相変わらず「部活」と称して銀座のクラブめぐりをしている。部活だから、純粋な気持ちで頑張ったり、努力しないとならない。
などとアホなことを言いながら、どこで飲んでも同じ味がするはずの酒をハイパーインフレのような値段で飲んでいる。
先日は、たまにしか顔を出さない8丁目の老舗クラブに同窓の友人数名が集っていると聞き、ほろ酔い気味で途中参加した。
メンバーの中に、店にとって特別太い客がいた関係で、その日のお勘定は全部彼が持ってくれた。後輩だったので大恐縮な話。
それならコソっと新しいボトルを入れておけば良かった、などというフラチなことは一瞬たりとも思っていない・・・。
さて、あの街で飲みながら気付いたことがある。大きく分ければ男の分類みたいな話だ。
女性が接客してくれる酒場に喜んで通う人と通わない人。この2種類の違いについて考察してみた。
高級クラブでも大衆キャバクラでもスナックでも、はたまたガールズバーでもいいのだが、そうした店に足繁く通う人間はM。その手の店で飲むことに興味がない人はSだと思う。
その店に、少しぐらい無理してまで通っていればまず間違いなくM決定!だと思う。
わざわざ高いお勘定を払って、ただお世辞だけを言われて、伸びた鼻の下をおさめる手だてもなく悶々と帰路につく。これは間違いなくMだろう。
同伴して~、お寿司食べた~い、シャンペン抜いて~等々。こういうリクエストに必死に応えても待っているのは愛想笑いだけだ。
なのに「しょうがね~な~、ガハハハ」と半分引きつりながら大枚が消えていく。これをMと呼ばずして何と呼ぶ。
何を祝ってるのか知らないが、パーティー期間だと言われれば、のこのこ義理で顔を出し、同伴の強制日なんです~とか言われれば、協力させられ、新調日だと言われれば、その服、素敵だねえとかお世辞を言いに出かける。
おまけに陰ではハゲだのデブだの陰口を言われ、ちょっとお尻でも撫でようものなら、そういう店とは違うのよって叱られる。
あの世界に長く通えば通うほど、そんな現実が見えてくるのに、あえて承知した上でまた出かけていく。
完全にMだ。
先日、某店で、銀座の客はたいていMだというこの持論を得意になって展開したら、「みなさん、そうおっしゃいます」とシレっと返された。
どうやら私がようやく気付いただけで、世間一般ではそういう共通認識が既に成り立っているらしい。
男の場合、Sは若い頃からSであることに気付くが、Mに気付くのはそこそこ年齢を重ねてからだと思う。
私自身、若い頃は間違いなくS系だと思っていたのだが、中年に近づくに連れ、微妙なMっぽさを自覚しはじめた経験がある。
若い男なんてものは、征服したい、強く見せたいといった意識が強すぎるから、多かれ少なかれ隠し持っている逆の部分に気付かなかったり、自覚しなかったりするのだろう。
年を重ねて力みや気負いが少しずつ薄まり、期を同じくして、若い頃とは比較にならない重圧やストレスにさらされる。こういう背景があれば、ふと、S路線に位置する自分に疲れを感じ、ふと真逆の路線への興味が湧いてくるのかもしれない。
なんか力説してしまったが、ここで言うSとかMは、別にムチやロウソクでプレイするような短絡的な話ではない。
心の揺れ動き、意識の置きどころみたいな意味でS系かM系なのかといった次元の話
だ。
あくまで性的な嗜好とは別のより広い精神性のタイプ分類として、どちらに寄っているかという趣旨で力説しているつもり。
さんざん自分のMっぷりを書いていたら、誰かにムチで叩かれやしないか心配になってきた。
私だって、どちらかといえば、拘束されるより拘束したいほうだ。いや、どちらもそれなりに捨てがたい。
危ない、話がそっちに生きそうだから軌道修正。
ちょっと無理して銀座の常連ヅラしている人々がMだと結論づけると、裏返せば、そういう世界に興味を持たない人達はSに違いない。
「ちぇ、何が楽しくてクラブなんて行くんだい、バカくせー」。この考え自体がS的ではある。
確かに、抽象的な暗黙のルールのようなものに制約され、思ったようにコトが運ばないし、どっちが楽しませたり、もてなしてるのかよく分からないこともある。だから、そんな空気を嫌うのはS的な思考だと言えよう。
ちょっと強引だろうか。
まあいいか。
今日はなかなか高尚かつ文化的な考察を書いてしまった。
2012年1月25日水曜日
銀座のクラブ SとM
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