2009年3月31日火曜日

名残りフグ

4月の声を聞けばすっかり冬っぽいものとはオサラバだが、3月の最後にフグを味わってきた。

神田にある「その田」へ友人と連れだってお邪魔した。子どもの頃からの同級生の実家でもあり、突然の訪問にも気安く応じてくれたのが有難い。

フグを食べようと意気込んで出かけたわけではなく、神田近辺にいたので覗いてみたというのが正直なところだ。

この店でも4月初頭にはフグ料理はおしまいになる。まさに名残りフグだ。

前菜に続いて、充分というか結構たくさんのフグ刺しを出してもらった。専門店だけあって、ポン酢や薬味も丁寧な感じで、気持ちが豊かになる。

歯ごたえ、旨味ともに上質なフグを肴にグビグビと呑むヒレ酒は、大げさではなくひとときの天国だろう。ちょっと風邪気味の私の体は、極上ヒレ酒でじゅんわりと癒される。

特筆すべきは、白子焼き。時期も終わりだからだろうか、白子も大ぶり。塩焼きで堪能する天然フグの白子は、珍味界広しといえ不動のスターだと思う。

大ぶりの白子のネットリ感、溢れるコクは魔女に誘惑されたような素晴らしい世界に私を誘う(魔女に誘惑されたことはないが・・)。

混ぜ合わせたり、かき回したり、ぐちゃぐちゃと料理するよりも、シンプルこそ美味という真理をこれほど体現している食べ物はないと思った。

この日は、サワラだったか、切り身の魚の西京焼きや天ぷらも味わった。お座敷天ぷらの看板も掲げる店だけに、天ぷらのネタも味が濃い上質なものが吟味されており、なによりも仕事ぶりが丁寧だ。

この店の若旦那は同級生であり、おまけに野球部仲間でもあったので、当然、私の寸評は贔屓の引き倒しになる。

でも逆に言えば、彼の性格が一本気で真面目であることを知っているのは旧友だからこそだ。大げさではなく、料理は作る人の人格を反映する。彼の手がける料理が丁寧で誠実なことは間違いないと思う。

ここまで誉めておけば、次にどんなサービスが待っているか楽しみだ・・・。

2009年3月30日月曜日

気付いたこと

ひょんなことに気付いた。温泉旅館選びの際にサウナのある宿に絞って探すことが何かと不便だったのだが、この問題を解決する方法を思いついた。

自宅にサウナを設置してしまえばいい。われながら名案だ。自宅でサウナ三昧の日々を過ごせば、たまの温泉旅行の際にわざわざサウナの有無にこだわらなくて済むはずだ。

その昔、実家に家庭用サウナがあった。そう書くと富豪みたいだが、実際は、一人用の狭いハコで、冷蔵庫程度の大きさだった記憶がある。

異様な狭さゆえの圧迫感のせいで、誰も使っていなかった。実にもったいない話だ。でも、自宅の空いているスペースに置くわけだからやはり一人用の小さいものしか置けないだろう。

早速、インターネットで調査開始。結構いろいろある。「1,5人用」とやらも珍しくないようだ。やはり、狭すぎると懲罰房に入っているようなものだから、多少の広さを求める人が多いのだろう。

フィンランド式、遠赤外線式、違いをいろいろ調査中だが、それなりのものだと50万~100万円程度を想定しないとダメそうだ。

まあこのご時勢だ。叩けないわけはないだろう。なんとか買いたたいて気に入るものを見つけたい。

前にマッサージチェアを買った時のように分割払いなら怖くはない。ここ数年異様なまでのサウナ好きになってしまった私にとって、モチベーション維持のためにも大事な買い物だろう。

マイサウナなら、人目を気にせず、雑誌を持ち込んだり、ガリガリ君を持ち込んだりできる。想像するだけで夢のような話だ。

ただいま数社から資料請求中。計画完遂時には実況リポートをしてみたい。

2009年3月27日金曜日

セカンドハウス

先日の地価公示でも土地の価格下落が顕著だったが、不動産取引にも不況の影響は色濃く出ている。

新規マンションの着工件数も激減し、ひと頃のマンションバブルもあっと言う間に過去の話題になった。

内需に注目した政策を推進する以上、住宅取引の活性化は重要なテーマだ。経済政策でも住宅関連に力点が置かれているが、諸制度の改正はあっても基本的には既存の政策の延長でしかない。大胆な発想が欲しいところだ。

税制上も住宅関連には数々の優遇策が設けられている。住宅ローンの残高に応じて税額を減らしてくれる住宅取得控除などがその代表だ。

最近の改正で、以前よりも「大盤振舞い」といえる減税規模になってきたが、ひとつポイントをあげるとすれば、こうした制度の前提は、すべてが「居住用物件」に限定されている点だ。

すなわち、セカンドハウス、別荘的な要素がある物件には恩典はない。一見、ごもっともな考え方ともいえるが、そうだろうか。

「マイホームも買えない人が大勢いるのに別荘に優遇策なんてトンデモナイ」。これが一般論だろう。とはいえ、いっぱしの先進国になった今、週末を過ごすセカンドハウスと平日を過ごす都心部の住まいを分けて考える人は決して少なくない。ビックリするほど贅沢な話だとも思えない。

一部の富裕層だけの話ではない。首都圏のサラリーマンの中にはそうした発想を持つ人が少なくない。闇雲にセカンドハウスイコール贅沢という発想は時代遅れだと思う。


こうしたセカンドハウス需要にも「居住用」を条件とする各種の優遇策を適用すべきだと思う。格好の経済政策になる。

国の中枢である首都圏の人々にしか当てはまらないかも知れないが、現実の経済効果を考えるなら首都圏の動きをターゲットにしたほうが話が早い。

セカンドハウスが奨励されれば、結果的に疲弊する地方経済にもプラスになる。日本中でだぶついている中古リゾートマンション市場にも光が当たることは確実だ。

「居住用」の物件に対する税制上の優遇策は、たいていが床面積基準を設けている。既に優遇策を適用している住宅のなかには、基準となる床面積を使い切っていない、すなわち、狭い物件で我慢しているケースも多い。

せめて、この余った床面積分まではセカンドハウスに対しても大幅な税の減免を認めるとか、やり方はいくらでもある。

「別荘は贅沢」という固定観念はつくづく意味がないことだと思う。ベンツも買えないぐらいの値段で、中古ならそこそこの週末用リゾートマンションが買えるのが現実だ。

それなりに余裕がある人の中にもそんな現実を知らない人は多い。経済力のある人に気付いてもらって、動いてもらわなければ景気刺激なんて無理。

低所得者層からの批判を恐れてばかりの政策なんかいくらやっても効果は薄い。分かりきった話だと思う。

2009年3月26日木曜日

独身気分

しばしの間、独身気分を味わっている。妻子が旅行に行ったので、1週間以上、野に放たれた状態だ。

私が一生懸命貯めてきたJALのマイルをガッポリ使われ、4月から激減する燃油サーチャージは高いままの金額を負担させられた。おまけに定額給付金もすべて旅行費用に充当されるらしい。

踏んだり蹴ったりだが、そのおかげで束の間の気ままな時間だ。1か月も不在にされれば寂しいだろうが、1~2週間の独り身なら正直バンザイだ。

朝食がサッポロ一番になることは不便だが、その他は問題ない。家の中は治外法権状態で快適だ。

何より“裸族”のままでいられる。暖房をガンガン入れた部屋で風呂上がりにブラブラしていると、それだけで得した気がする。

風呂の中でタバコを吸っちゃうし、ゴミの分別なんて適当だし、散らかし放題でも文句を言われない。エロ系DVDもBGMかのように垂れ流している時もある。

でも、不思議なもので、散らかしたあと、しばらくするとキチンと片付け始める。朝、起きた時や帰宅時に部屋が散乱しているのが不快なので、結局はいつもより真面目に整理整頓に励んだりしている。

せっかくだから家中を縦横無尽に使い倒したい気もするが、なぜか自分の部屋にこもっている時間が多い。普段誰かがいる空間に一人でいると落ち着かない。結局狭い自室で読書やネットサーフィンに時間を費やす。なんかもったいない感じだが、そっちの方が快適。

思えば一人暮らしをしていた頃も自分の居場所は不思議と決まっていた。初めて一人暮らしをしたマンションは、狭い部屋が3つあったのだが、居場所は特定の場所ばかり。

一戸建てに一人で暮らしていたこともあったが、この時も寝室以外でくつろぐことは少なかった。リビングよりも狭い空間で、テレビだって小さいのしか置いていなかったのに寝室でマッタリしていることが多かった。

狭い空間でのおこもり感を気持ちよく思うのは一種本能的なものかも知れない。先月初体験した寝台特急の個室でも妙に居心地の良さを感じた。閉塞感と表裏一体の包まれ感に上手く説明できないが、妙に魅力を覚える。

誰かに聞いた話だが、子どもが狭い空間に入り込んで喜んでいるのは、胎児の頃の原体験が影響しているらしい。胎内という環境は確かに究極の癒し空間だろう。なんとなく分かる気がする。

私のおこもり好きも胎児時代の記憶のせいなのだろうか。。。だとしたら子どもみたいだ。随分と成長が遅い。それはそれで問題だ。

女性を追っかけたがるのも、そのせいだろうか。出てきた場所に戻りたくなる帰巣本能かもしれない。きっとそうだ。
スケベなんかではない。

2009年3月25日水曜日

春の珍味様

何日か前に珍味大王として春の訪れを残念がる話を書いた。アンキモ、カラスミ、白子あたりの冬の名物が去っていってしまうことを嘆いた。

珍味攻めが生き甲斐になっている以上、季節を恨むだけで始まらない。春に春の珍味を探して生きていこうと思う。

高田馬場にある鮨源本店で食べた春の珍味を紹介する。鮮度の良いホタルイカをちょっとアレンジして出してもらったのがこの一品。

画像で見てもインパクトはないが、実に美味。ニンニク醤油で付け焼きにしてある。ホタルイカ自体、ワタがウリだ。その“臓物感”がニンニク醤油に引き立てられ旨味ブリブリ。添えられた黒七味とやらが抜群の相性で驚く。

黒七味は初体験。七味のイメージより山椒の風合いが強い。見た目より辛いが、複雑なコクがあって“和風なのにガッツリ”って感じ。

お次も鮨源本店で出してもらったマグロの酒盗あえ。もともと極上マグロしか置いていない店だけに当然のように美味しい。軽く火の入ったマグロの身に酒盗をトッピングしただけなのだが、珍味好きには応えられない味わい。

酒盗といえばカツオだが、マグロの酒盗も負けず劣らず風味豊か。甘みもあっていい感じ。酒盗単独で食べるより、“本体”も加わることで奥行きが広がったような印象。
通年食べられるようなので嬉しい。

お次もお寿司屋さん。銀座の「池澤」で遭遇したのれそれだ。穴子の稚魚。これもこれからの季節を代表する珍味だ。ポン酢がもともと好きな私にとって願ったりかなったりの味。稚魚というところがいい。シンコや新イカもそうだが。「赤ちゃんを食べる」という行為に変な喜びを感じる。変態なのか残酷なのか良く分からない・・。

次もお寿司屋さん。池袋にある「鮨処やすだ」で食べた軍艦巻。ネギトロ軍艦の変形だ。中落ちの上にウズラの卵の黄身を落としてある。まずいわけがない。想像通りコッテリと美味。

こうやって並べてみると、自分のアマノジャクぶりを再認識する。素直に普通に食べれば良いのにチョこっとした変化にやたらと喜ぶ。

これからもアマノジャッキーとして正しい食べ方を実践していこうと思う。

2009年3月24日火曜日

磐梯熱海温泉

福島・磐梯熱海温泉に行ってきた。どこか近場で気軽に行ける温泉はないかと探していたところ、私のアンテナに引っかかった。

熱海や箱根、伊香保あたりが近場というイメージがあったが、福島県とはいえ、磐梯熱海はやたらと近かった。

新幹線で郡山まで1時間ちょっと。そこから在来線で15分で着く。ヘタな関東エリアより便利。

サウナのある宿を探して見つけたのが「華の湯」という宿。中級と高級の間ぐらいのランクだろうか。割と大型の旅館だ。

泉質はそれなりに優しくなめらかな感じだが特別な印象もない。というか、このお宿の露天風呂は、この日だけなのだろうか、ちょっとぬるめ。身体にジュワーとくる感じが足りない。内風呂の方がお湯自体は快適だった。

館内に大浴場は2箇所、露天の浴槽がいっぱいある側と、建物上層階にある展望をウリにした側と2種類。問題は展望側の大浴場には露天風呂がない点。

この季節、「頭寒足熱」を満喫するには外気に顔をさらしながら入る露天が一番だが、イマドキの大型旅館で時間帯によるとはいえ、これは残念。

夕食は個室風に区切られた食事処で楽しめる。野菜が妙に美味しかったのが印象的。野菜嫌いの私が言うのだから野菜好きの人には嬉しいはずだ。


突き出しは馬刺し。海側の温泉ばかり行っている私には結構楽しい。この宿の名物らしい直火で温める燗酒を頼んでみる。こういうちょっとした遊びが旅心をくすぐる。

でもご想像の通り、直火で燗をつけるわけだから、すぐに熱くなる。どちらかといえば熱めの燗が好きな私でも、何度もお銚子を火から下ろして調整する。なんだかせわしない感じでピッチも上がってしまう。でも生ぬるい燗酒が嫌いなので満足。

この食事処は、熱々料理を楽しめることがポイントで、グラタン風の料理も熱すぎるぐらいの状態で出された。


刺身はごく普通だが、醤油とゴマだれ、マスタードベースの特製ドレッシングのようなタレが出てきたので試してみる。通常なら醤油以外で刺身を食べるのが嫌いな私だが、なんてったって山の中だ。トライする気になる。

白身の刺身にはなかなかの相性で、食わず嫌いはいけないと痛感する。

そのあとも、アワビの煮物や豚しゃぶも登場。豚しゃぶ鍋の味付けが塩ラーメン風だと思っていたら、一口サイズの喜多方ラーメンが出てきて納得。三切れほどの豚しゃぶを食べたあとは、そのスープにラーメンを投入。楽しい。

豚しゃぶのあとに福島牛のステーキが出てきた。なんか料理構成がハチャメチャだが、それはそれ。美味しければ文句はない。この牛肉が美味しかった。脂身が少なく、正しい鉄分の味が感じられて素直に美味。健康な牛肉という感じだった。

しめのご飯は、これまた福島らしいお茶漬け。漬け物や山菜、佃煮類がアレコレ出てきて全部混ぜ混ぜにして熱いだし汁をかけて味わう。滋味。大満足。

サウナにも死ぬほど入って温泉でふやけて、なんとも快適な時間だった。

今回、サウナに内緒で持ち込んだのはコンビニで買った変なマンガ。ロッキード事件の黒幕・児玉誉士夫の一代記が文庫本サイズのマンガになっていた。

良く分からないマンガだったが、サウナで辛抱時間を過ごすには丁度良かった。

2009年3月23日月曜日

桜の季節


少し気の早い桜を見た。場所は銀座のクラブ・Mの店内。いわゆる周年パーティーに合わせて南の方からせっせと運んできたらしい。大量の桜が窮屈そうに店のなかを賑わせている。

私も含めて客の目線は、花より団子ならぬ、花より夜の蝶といった感じ。せっかく運ばれてきた桜はチラ見するぐらいで、へたすると枝が邪魔だとか文句を言っている。
何ともふびんな桜だ。

数日ずれていたら、ひらひら散り始める花びらを愛でながら綺麗どころとバカ話が出来たのだろうが、この日は、まだ咲き方が固い感じ。

桜の美しさは、あくまで青空がバックにあってこそだと思う。夜桜のライトアップがこれからアチコチで見られるが、なんか不自然で個人的に好きではない。

桜色と春の青空色のコントラストが揃ってはじめて、寒い季節が遠のいていく実感につながるような気がする。

もともと私は、どうだと言わんばかりの桜より、いじらしい梅が好きだ。各地の梅園にも随分と出かけた。なんか桜ってこれみよがしで豪華な感じがする割には、切なさがつきまとうように感じる。

死んだ祖父が晩年、この季節になると「人生最後の桜かもな」と口にしていた印象が強いのだろう。やはり日本人にとって、桜が持つ意味合いは大きい。単に季節の区切りであるというだけでなく、人生のさまざまな場面の区切りという要素が強い。

私自身、数年前のこの季節に大きな区切りを迎えたことがある。心中穏やかでない日々に自分なりに区切りをつけたのが、ちょうど桜が満開になった頃だった。

あと何回ぐらい桜の季節を迎えるかは分からないが、自分としては、転換期になったその出来事を毎年毎年、桜とともに思い出すのだろう。

人それぞれ楽しかったこと、苦しかったことなどをひっくるめて、何かしら強い思いや記憶と付き合いながら生きている。

不思議とその思いや記憶の背景に満開の桜をイメージすることがあるのではなかろうか。そのぐらい強烈な印象を残す花だからこそ、誰もが開花状況に一喜一憂する。

年寄り世代、若者世代それぞれに桜にちなんだ名曲が存在するのもその証だろう。なぜか人を感傷的にさせる作用があるから不思議だ。

去年は、山梨や長野方面で古代桜を見た。それ以前には吉野山を含む奈良周辺にも出かけた。今年は今のところ予定を立てていないので、追っかけながら北の方にでも行ってみようかと思う。

2009年3月19日木曜日

「銀座のクラブ」の意義


リーマンショックに始まった不況の流れがいよいよ深刻な様相になりつつある。景気の良い話を滅多に聞かなくなったし、コストカットの話で持ちきりだ。

一時期、四の五の騒々しかった派遣切り問題も今ではさほど話題にのぼらない。それどころの状況にない企業や人にとっては、調整可能な変動費を削ることはごく普通の話でしかない。

正規か非正規かを問わず、戦力として不充分なら戦力外通告を受けてしまうのは仕方のないこと。種をまいて刈り取るまでの辛抱も大事だが、辛抱を続けられない状況なら、以前と同じに悠長に芽が出るのを待ってはいられない。

以前にも書いたが、最近さかんに引き合いに出される「天地人・直江兼続」がリストラをせずに藩の立て直しを図った美談にしても、従業員(藩士)の給料を3分の1にカットして成り立った話。今の時代、そのまま参考に出来るものではない。

夜の街も閑古鳥が鳴いている店が増えた。銀座あたりも遅い時間の人通りは想像以上に少ない。夢を見させてもらう場所でも出てくる話題は世知辛い。しまいにはその店の経営状況や改善策といった話に付き合わされる。

夜の世界で、勝ち組とそれ以外を明確に分けていることのひとつが「ジタバタの有無」だろう。もちろん、勝ち組の店が何もしないわけではない。的確な創意工夫はしている。

ジタバタしている店は、創意工夫が極端。店のスタイルや路線までいじるような思い切った手を打ってくる。功を奏すかどうかは微妙だ。

ファミレスとか、いわゆる路面店のようなオープンな飲食店なら、業態変更ぐらいの大胆な変化も有効だろう。それに比べて限定的で、知る人ぞ知る的な要素をウリにしている店の場合、あまり大胆な路線変更はリスクも大きい。

夜の世界の「クラブ」といえば、その閉鎖的な要素ゆえに「クラブ」と呼ばれる。いまどきインターネット上にホームページを開設していないことからもその閉鎖性が大事な要素だということは明らか。

キャバクラとの違いも突き詰めればその一点だろう。実質はどうあれ客のほうもメンバー的意味合いに惹かれている。

大幅で突然の路線変更には戸惑いだけでなく疎外感のような感覚もついてまわる。グルメ本に突然載ったレストランと同じ。

グルメ本のせいで一気に新規客が殺到するものの、常連さんが弾き出されてしまい、新規客の波が引いたあとには常連さんまで失うという話だ。

キャバクラ的ではない部分に魅力を感じているクラブの客にとって、「クラブ」だと思って通っていた店が、突如キャバクラ的に変身したら困惑だろう。そんな動きを見せる店が不況の深刻化とともに増殖している。

勝ち組と言われるクラブだと変なジタバタ劇は少ない。そこには勝ち組ならではの理由もある。不況になって慌てる前の段階、すなわち、平時の際も日頃から厳しいコスト・人材管理に励んでいる。

酔っぱらいついでにそんな厳しい話を少しは見聞きしてきたが、結構シビアな世界だ。ただ、日頃から厳しさを積み重ねていることが有事の際にジタバタしないでいられる唯一の理由なんだと思う。

まあそんなことを考えながら飲んでいても楽しくない。艶やかなホステスさんの笑顔に惚れっぽい私としては、シビアな彼女たちの闘いなど知らないほうがいい。

でも、艶やかな笑顔からは想像も出来ない厳しい裏事情があるかと思うと、それはそれで彼女たちに妙なシンパシーを覚える。

そんな感覚が私が魔界から抜け出せない理由かも知れない。

2009年3月18日水曜日

日課

いっぱしの中年になると、日課とも言うべき行動が増える。散歩や体操、ジム通いあたりに精を出せばいいのだが、私の場合、元来ものぐさなので、そういう立派なことを日々欠かさずやっているわけではない。

サプリメントなどと洒落た表現をしないが、“健康食品”という位置付けで日課にしているのが「青汁」だ。

近頃の青汁は決してまずくない。旨くもないが、罰ゲームの対象になるほどのレベルではない。

私が愛飲しているのは、アサヒ緑健という会社の商品。コレステロールを押さえるナントカという成分も入っているらしい。年間で10万円を軽く超える出費をしている。

粉を水に溶かして飲むのだが、そんな作業は面倒なので、あらかじめ500mlのペットボトルに作り置きをして、毎日1本を目安に飲んでいる。

といっても、ペットボトルへの作り置き作業は会社の人におまかせしちゃっているので、基本的に土日はお休み。平日の日課だ。

もう3年ぐらい呑み続けているだろうか、成果がどうなのかは全然分からない。でも一応元気なので、飲んでいる意味はあるのだろう。

青汁を飲むようになって困った問題がひとつ。食事の際に野菜を食べなくても罪悪感がまったくないこと。

「青汁を毎日飲んでるのだから、野菜なんて食べる必要なし」という発想になってしまった。果たしてこれでいいのだろうか。

もともと野菜嫌いなので、おまかせで出てくる串揚げ屋でも、平気で「野菜抜きで」とか言ってしまう。

レストランや飲み屋さんで野菜をきれいに残した皿を下げにくる店員には、「宗教上の理由で野菜は食べられないんです」とか真顔で言っている。言われた店員の5人に一人ぐらいは信じる。

「死んだ親の遺言で野菜は食べられない」などという罰当たりなセリフもしょっちゅう口にしている。こんなことを言い続けているのもすべて青汁のせいだ。

青汁を飲んでいれば、野菜を食べなくたって大丈夫という思い込みはすっかり私の基本姿勢になってしまった。

年末年始とか夏休みは、しばし青汁とお別れなので身体に異変が起きないか気になったりする。バカみたいだ。

青汁とは別に日課にしているクスリが「田七杜仲精」という漢方。肝臓機能を助ける効能があるらしく、もう2年ぐらい愛飲している。最近は感じないが、飲み始めた頃は、二日酔いしにくいだけではなく、薬のせいで普段より多く酒が飲めるような実感があってクセになった。これも年間10万円ぐらいかかっているはずだ。

ちゃんと野菜を食べて、アルコールも適量にしておけば、両方併せて年間20万円は浮く計算だ。タバコ代が年間約20万円だから、これもやめれば年間40万円も浮くことになる。

なんとも困った話だ。

2009年3月17日火曜日

野球

WBCの日本・キューバ戦を試合開始から見た。前の晩、9時に寝て早朝5時の試合開始に備えた。というのはウソで、日曜の晩、家で飲みすぎて早々に寝てしまい、結果的に早起きしてテレビ観戦できた。

野球少年の頃、日本の野球は「ベースボール」にはかなわないものだと思い込んでいた。近年の日本野球の強さは単純に嬉しい。

小学生の頃、アメリカ・メジャーリーグに関するニュースを見て、そのスケールに驚いたことを思い出す。まだ「メジャーリーグ」などという表現も普及していなかった頃だ。

「大リーグ」こそ的確な名称だった。

テレビに映ったアメリカの球場、フェンスに表示された数字にビビッた。日本の球場でもホームベースから外野フェンスまでの距離が表示されているが、幼い私のイメージでは、その数字はあくまで「90」とか「120」が常識。両翼90メートル、センターまで120メートルという日本サイズが一般的だった。

私がニュース映像で見たのは、「325」と書かれたフェンスの前で躍動している選手の姿。選手の動きなんかより、その異様に大きい数字にあ然とした。

大リーグの球場は日本より大きいという野球少年としての基礎知識はあった。それにしても、フェンスまで325メートルもあるのなら、王選手のホームランなんて鼻くそみたいな飛距離だと思った。

もちろん、その後、あのナゾの数字「325」はメートルではなく、フィートを表示していることに気付くわけだが、結構長い間、大リーガーのパワーはケタ違いだと信じていた。

野球少年時代の私にとって、大興奮だったのが、数年に一度、大リーガーが観光気分でやってくる日米野球だ。

1974年、ニューヨーク・メッツが来日した際、なぜかブレーブス所属のハンク・アーロンが同行。王選手とのホームラン競争のためだけにやってきた。

ホームラン競争といっても、いわゆるお遊びで、バッティングピッチャーが投げるゆるいボールを打つだけ。それでも野球少年は目を皿のようにしてみた。

ホームラン競争の結果よりハンク・アーロンと王選手の体付きの違いに野球とベースボールの遙かな距離を感じたことを思い出す。

それから4年後、シンシナティ・レッズが来日。当時、「ビッグレッドマシーン」と呼ばれた最強軍団がほぼフルメンバーでやってきた。物見遊山でやってきているはずなのに、親善試合なのに単純に強い。実に14勝2敗とまったく日本チームを寄せ付けなかった。

大リーグ史上最高のキャッチャー・ジョニーベンチ、安打製造機・ピート・ローズ、大エース・トム・シーバーらが本場の実力を見せつけてくれた。

そうしたビッグネーム以上に子どもの私が興奮したのが、4番バッター・ジョージ・フォスターの威風堂々とした姿。黒人パワーヒッターにありがちな巨漢という感じではなく、シャープなスタイルで黒バットを物静かに構える。巨人のエース・堀内からいとも簡単に弾丸ホームランを放った。しびれた。

そのほか、シーザー・ジェロニモという物凄い名前の外野手のことを妙に覚えている。プレーのことは記憶にないが、名前が“シーザー・ジェロニモ”だ。私がピッチャーだったらそんな恐い名前のバッターには投げたくない。

とにかく、30年前のことだ。レベルの違いは誰が見ても明らかだった。そんな日本野球が優秀な選手を大リーグに送り込み、ガチンコの国際試合でトップ争いをしていることは夢のようだ。

我々の世代以上の人からすると、野球の場合、国際試合イコール親善試合だったので、WBCはオールスターメンバーが真剣勝負をしているだけで興奮する。逆にだからこそ、2大会続けての優勝が現実的に簡単でないことも良く分かる。

WBC・2次ラウンドに進んだチームに基本的に弱いところなど無い。トーナメントに近い形で優劣を決めるわけだから、まるで予想はつかない。

勝てば喜び、負ければ残念。誰かを責めても仕方ないし、あういう試合で正直、采配なんか関係ないと思う(北京五輪の星野采配には疑問を感じたが・・・)。

流れを掴んだチームだけが優勝する。それだけだと思う。日本チームに流れが来るように願うだけだ。

2009年3月16日月曜日

銀座 黒薩摩

以前から気になっていた郷土料理屋の「黒薩摩」に行ってみた。銀座や六本木界隈で全国の郷土料理シリーズを店舗展開する会社が手がけている。

ひと言でいえば、郷土料理系居酒屋。いまどきのモダンな居酒屋チェーン的な要素を産地直送モノで演出した感じ。価格的にも高級居酒屋といったところ。

ただの居酒屋に行くにはチョットという時に使い勝手がいい。そこそこスマートにしつらえられた店内の感じで、それなりに外食の高揚感が味わえる。

銀座の数寄屋通りに位置する「黒薩摩」は文字通り鹿児島の素材を集めている。もう少し、郷土料理的メニューが豊富かと思っていたが、さほどでもない。

メインは豚しゃぶ。私が好きなソバつゆダレは使わない。というか、タレ自体を使わず、あくまでしゃぶしゃぶ鍋の濃いめのダシのみで味わう。感激したり感心するほどではないが普通に美味しい。



この日、豚しゃぶ以外で注文したのは、カツオのタタキ、馬刺し盛り合わせ、チーズの入ったさつま揚げ、薩摩シャモのタタキなど。

カツオは今ひとつ。チーズさつま揚げは、チーカマみたい。馬刺しとシャモはかなり美味しかった。

馬刺しは3種類の部位が盛り合わせてあり、どれも上等。馬刺し用のタレもいい味付けで、あれを安定的に出しているのなら結構エラい。でも、熊本とか青森あたりのイメージがある馬刺し、鹿児島でもポピュラーなのだろうか。

シャモのタタキも鳥好きの私は大満足。軽く炙った若シャモをタップリの葱とポン酢で和えて味わう。酒のつまみとしていい感じ。

この店の特徴は、芋焼酎の品揃えだろう。さほどこだわりのない私にとっては、種類が多すぎてちょっとウザったいが、好きな人には最高だろう。

宝山の綾紫が置いてあったので、お湯割りで何杯も飲んだ。お湯割にこそ合うような感じだ。

何はさておき、お値段が安かったのにビックリ。九分九厘、レジの間違いだと思うほど安い。律儀な私は、ちゃんと指摘したのだが、店員が問題ないと言い張る。

店を出てしばし、注文した内容を検算したけど、絶対に間違えている。

きっと隣にいたお客さんの注文と間違えたのだと思う。隣のお客さんにとっては、あの店はやたらと高い印象だろう。

2009年3月13日金曜日

言葉尻

「どんどん吸って早く死ねばいい」。どっかのお医者さんがタバコ問題でこんな発言をして問題になっている。

禁煙が進むと結果的に医療費がかさんで大変だという話のついでに出た発言らしい。

そんなに問題だろうか。厚生労働大臣が言ったわけでもないし、前後の話の流れからすると、過激な話だとも思えない。

このお医者さん、喫煙者だそうだ。あくまでタバコは自己責任であり、禁煙政策よりも医療や介護を受けられない人への対応が大事という持論があるとか。立派な主義主張だと思う。

言葉尻を捉えて、やたらと糾弾したがる風潮って何だか気持ち悪い。麻生首相を擁護するわけではないが、昨年12月、「たらたら飲んで喰って何もしない人の医療費をどうしてオレが払うんだ」と発言して結構なバッシングを受けた。

仕事もせず健康維持の努力もしないで病気になった人の医療費も、節制して働いている人が負担していることへの批判だ。首相というポストでの発言がまずかったわけで、話の内容は正論だ。

冒頭で紹介したタバコの話も同じだろう。頑張って節制して働いている人にしてみれば、ヘビースモーカーの病気治療に自分の医療費が湯水のように使われたら堪ったものではない。

そんなこと喫煙者の私でも同感できる。喫煙者の私が納得しちゃうのだから、お医者さんの発言がことさら責め立てられることが気の毒だ。

いまどき、喫煙が健康に悪いことを知らない人はいない。そう考えると社会保険料負担だって、喫煙者と非喫煙者で格差をつけてもいいと思う。

民間の生命保険であれば、加入時に非喫煙者への割引があると聞く。社会保険料にも同様の考え方があっていい。喫煙者の私が言うのだから説得力がありませんか。

さてさて、言葉狩りの風潮だ。冒頭のお医者さんの発言が講演会で飛び出したように、やはり話し言葉だと、噛み砕いて説明する際に多少の脱線はありえる。

例えそれが、誰もが本音では思っていることでも、発言者のポジションによって大きな問題になる。

子どもの頃だったか、有力政治家が戦時中の日本の占領政策について「日本は良いことだってした」と発言して大問題になったことがある。なぜ問題になるのか分からなかった。歴史に詳しいわけではないが、そりゃあ統治していたら、善行の一つや二つ無いわけがない。

いまインターネット上のブログが新しいメディアとして機能している。社会的信頼度の低さは今後も変わらないだろうが、旧来型メディアとの根本的な違いが見逃せない。

旧来のメディアでは不可能な「本音の部分の正論」が、どんどん発信される。既にこのスタイルは確立されつつある。

変な話、冒頭のお医者さんの発言に肩を持つ既存メディアは存在しない。でも、実際には、私のように擁護したいと考える人は物凄い人数にのぼるはずだ。そんな話がどんどん発信される。

もちろん、インターネットという魑魅魍魎の世界では、やたらと右や左に偏った話、弱者差別を助長するような話が増長する怖さがある。その点では、既存メディアの予定調和的論調の意義も否定されるものではない。

ただ、既存メディアのお約束事的な物事の捉え方だけでは限界に来ているのも事実だろう。このバランスが保たれれば、大げさな話、言論の世界における大革命だろう。

ちなみに、ひと頃に比べて、企業の派遣切りを悪者視するようなメディアの論調が減った気がする。推測だが、ネット世論が確実に影響しているのではなかろうか。

派遣切りを肯定する論調がネット上では思った以上に多かった。多数派だったかもしれない。なかには単なる弱いものイジメみたいな類もあったが、論理的に主張が展開されているものも多かった。

企業側を悪者視するお決まりの大メディアの論調は徐々に勢いを無くしていった。そこにネット世論が関係していたことは間違いないように思う。

「済州島を買っちまえ」。小沢民主党党首の発言だ。国会や公的な場で発言したわけではなく、労組の親分との会話らしい。

お決まりの「報道」を引用してみる。

●●「済州島を買っちまえ」。前連合会長の笹森清氏は11日夜、都内で開かれた会合であいさつし、かつて民主党の小沢一郎代表と会った際、小沢氏からこんな話をされたと明かした。笹森氏は面談の時期には触れなかったが、韓国の国民感情を刺激する話題だけに同国の反発を招きそうだ。●●

これは時事通信の記事。最後の2行が特徴的。「近隣諸国」からの反発を煽りたがる旧来型メディアお得意の表現だ。

発言を一部だけ抜き取ってセンセーショナルに報道するのも特徴的だ。上で引用した記事の続きはこうだ。

●●笹森氏によると、面談では小沢氏が「(長崎県の)対馬のことをどう思うか」と質問。笹森氏が「わたしは対馬のことを心配している。(韓国の)ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢氏は「今は絶好のチャンスだ。円高だから(韓国領の)済州島を買っちまえ」と語ったという。●●

なるほど、経済力という種類の話の流れだったのかと言うことが分かる。でも最初の引用だけをインプットすると「小沢さん、気でも狂ったか!」という印象だけが残る。

記事の作り方という点で、イヤらしい意図がプンプン臭ってくる感じだ。こういう旧来型メディアの姿勢こそがネットメディアからすると不愉快に映ることも多いのだろう。

今日はタバコの話を書こうと思っていたが、どんどん話がそれてしまった。長々失礼しました。

2009年3月12日木曜日

謝るということ

感謝や謝罪の言葉がスッと出てこない人間は信用できない。強く私が思っていることだ。

民主党・小沢代表の政治献金問題。国策捜査だろうが、政争だろうが、そんなことに関係なく、秘書逮捕直後にただただ突っ張った小沢氏の姿勢に失望した人は多い。

事件の真相はどうあれ、あの人にも大勢の支持者がいて、少なくともその人達が心配したり、ビックリしたことは事実だ。早々にその部分だけ限定でお詫びの言葉を出すのが人としての筋だと思う。

1週間経ってようやく、「ご心配、ご迷惑をかけたことについて」謝罪した。最初からそうすべき話。たとえ、結果が無実だろうが関係ない。心配した人への謝罪は絶対に欠かせない。

ビジネスの世界では確かに簡単に頭を下げてはいけない局面はある。謝った以上、責任を認めたわけで相手方にカードを持たせてしまうという意味合いから慎重になる場面は多い。

軽い交通事故を起こしても絶対に「I’M SORRY」と口走ってはいけないと言われるアメリカ型の発想は、局面によって大切な心構えであることは理解できる。

とはいえ、なんでもかんでも謝ったらオシマイみたいな感覚は根本的に間違いだと思う。

財政再建で男を上げた大阪府の橋下知事。私が苦手なタイプだ。知事選出馬が取りざたされた際、「2万パーセント立候補しない」と言いながら結局出馬。それ自体は、様々な事情があるだろうからさほど問題ではない。

ところが、出馬会見の際に「ウソをついていたのか」という記者の質問に「解除条件付き契約」だの「技巧的ロジック」だの、イヤミッたらしい言葉を使って、「ウソではない」と抗弁。

「これこれこういう事情で結果的にウソをついていました。ごめんなさい」という姿勢を見せてこそ立派な大人だろう。屁理屈で居直るかのような姿勢って美しくない。醜い。

強気の姿勢を見せることと謝らないことをマゼコゼにするからおかしなことになる。この二つは両立するはずだ。

プライドとか自信の有る無しに関係なく、人格的に優れた人は、謝るべき点は率直に謝る。名声や地位に関係なく、善悪の判断が的確な人は、謝ることから逃げない。
リーダーたる人はそうであって欲しい。

感謝の言葉についても同じだ。誰もが立派だと思うような人は、決まって感謝の言葉を素直に口にする。逆に言えば、感謝の言葉が素直に出ない人は低級という理屈になる。

要は相手方の立場に立って冷静に物事を見られるかどうかという一点につきるのだろう。人間性とか人間力とは、つまるところこの部分がすべてなんだと思う。

こういう能力や気付きが人より優れている人が「徳のある人」として評価されるのだろう。

偉そうに書いてしまったが、自分自身そう思いながら実践できているわけではない。まだまだ修行が足りない。

2009年3月11日水曜日

珍味様

カラスミ、アンキモ、白子・・・。このあたりの珍味様達とはそろそろお別れの季節。春が来て嬉しい反面、冬に私をホッコリさせてくれた面々が去っていくのは悲しい。

四季を食べ物で感じられるこの国に生まれたことは結構有難いことかも知れない。冷凍技術の発達や流通革命で1年中、旬に関係なく何でも食べられるが、やはり、真っ当な料理屋さんやお寿司屋さんでは、季節ごとの旬を楽しんでこそ風流というもの。

最初の画像は池袋の「鮨処・やすだ」で最近味わった珍味セット。卵ともども煮上がったヤリイカにカワハギのキモ和え、ズワイガニとカニミソ、そして、生のホタルイカだ。ホタルイカの登場が季節の変化だろう。

半月ほど前に出されたのは、まだまだ白子ポン酢が健在。微妙に季節の移ろいを感じる。

1か月ほど前の画像では、スジコの塩辛、鯨ベーコン、そしてまだまだカラスミが我が物顔で登場している。まさに冬の景色だ。

春といえば、鯛やサヨリ、サワラやカツオあたりが定番だ。なんとなく、珍味というより旨味のある魚の定番だ。それはそれで旨い。

春カツオだって、脂のノリが良ければニンニクスライスで味わう絶品タタキが味わえる。カツオ好きの私にとっては、春の楽しみのひとつだ。

昨年10月の血液検査では、予想に反して尿酸値が標準の範囲だった。良いことなのかどうなのか微妙だ。数値が良ければ、その後しばらくは尿酸値を気にしないで珍味を食べまくってしまう。

あれから5か月。現時点の尿酸値は知りたくない。やばそうだ。4月頃予定している次回の血液検査が恐い。ここらでおとなしくしていないと次の珍味シーズンが楽しめない。

まあ、4月に悪い数値が出ると、一応、しばらくは食生活に注意を払う。そして、10月の血液検査では、また標準値あたりに戻って油断する。

このバイオリズムが続けば、今年後半、また魚卵、臓物塩辛系とのランデブーがやってくる。なんか1年のパターンが読めてしまう。それこそ変な回遊魚みたいだ。

ところで、珍味食いの王様とも言うべき小泉武夫東京農大教授の著書を読む機会が多い。学者さんであり、それこそ発酵食品の研究で第一人者らしいのだが、文章の巧みさは学者さんとは思えない。そこらへんのエッセイストも脱帽だろう。

学術的な知識の裏付けがあるので、軽妙な文章でも単なる食い物本とは一線を画す。それにしても得体の知れないものを世界中で食べ続けているどん欲さにはビックリする。

機会があれば、是非ご一読をオススメする。ただひと言。凄いオジサンだ。

2009年3月10日火曜日

函館 梅乃寿司

ここ5年ぐらいの函館通いで何軒のお寿司屋さんを回っただろうか。函館には魚介類・珍味食いを目的に出かけることが多いため、必然的にお寿司屋さんめぐりばかりしている。

少なく見てもざっと15軒は訪ねただろう。昼でも夜でも、基本的にアルコール片手に珍味や刺身、一品料理を堪能してから握りをもらうパターンだ。

ある意味、一番高くつく注文の仕方だ。旅行という非日常の時間の中で気が大きくなっているわけではない。最初に訪れた時に、わんさか注文をすることで、その店の価格帯がどの程度か分かる。再訪するかどうかのポイントになるわけだ。

東京でもトライするやり方だが、居心地や味がバッチリでも、いくらなんでも的な値段の店も多い。

函館の場合、さすがにお勘定の段になって目ん玉が飛び出る思いをしたことはないが、内容からみて、そりゃないよ的な勘定をもらったことはある。そういう店は、味も居心地も悪い。

お寿司屋さんだらけの函館で15軒とか20軒程度経験したところで、函館の寿司通みたいな顔をするのはおこがましい。とはいえ、前述のような注文の仕方でじっくり向き合ってきた以上、そこそこピントを外していない自負はある。

そういう視点で見て、今回、初めて訪ねたお店は、間違いなく函館トップレベルと断定して良いだろう。

店の名前は「梅乃寿司」。人様の評判に加えて、ネットでの評判もすこぶる高く、以前から気になっていた。

インターネット上の評価ほどアテにならないものはないが、それでも、然るべき食べ方をしている大人に激賞されていれば大当たりの確率は高まる。

先日、登別で温泉を満喫した後、特急で函館へ。遅めの昼時にお邪魔した。場所はどちらかといえば住宅街。この立地自体に店の気構えを感じる。

もともとは、函館近郊の森町で40年以上のキャリアを持つお寿司屋さんで、3年ほど前に函館に移転したそうだ。親父さんと2人の息子さんが切り盛りする。

息子さん達も年齢からしてバリバリの職人さんという感じ。お年寄りだけがしんどそうに切り盛りしていたり、若いオーナーが勢いと思い込みだけでやっている店に比べて、バランスが良さそうな安心感がある。

地物へのこだわりが相当強く、ネタの話を聞いていても楽しい。写真のウニも地元産のまったくのナマ。漠然と季節違いかなと思っていたが意表を突く旨さ。

もちろん、ミョウバンを使っていない上等な逸品。ニンマリ。スペシャルミルキースイート攻撃だ。

イカの街・函館だが、この時期はヤリイカ。ゴロ(ワタ)の楽しみこそないものの、さすがに鮮度も良く味の濃い刺身を出してくれた。ポイントは山ワサビ。ホースラディッシュのようなものだが、この店のひと手間に感心。

北海道では、山ワサビを出してくれるとことは多いが、こちらでは、刻みネギとおかかを和えているため、ひと味もふた味も違う。イカの薬味だけでなく、そのまま食べても酒肴として成り立つ。

目の前にあった白子が呼んでいたので、ついつい注文。コッテリミルキー!かなりの上物と見た。

続いて焼きものが登場。大助だ。皿の上がびちゃびちゃ脂だらけになるサーモンとは違って、実にふっくらしっとり、かつ良質の脂のノリが抜群。塩加減も的確。貴重な素材の味が活かされていて素直に美味しい。

次の珍味は、一見何の変哲もないタラコだが、実はこれがすごく印象的だった。ワサビ漬けのタラコ。ワサビの味が強いわけではなく、うっすらとワサビ醤油に漬けたのだろうか、実に風味豊か。これだけでいくらでも酒が呑めそうな味だった。

目の前のネタケースに鮮度の良さそうな毛ガニのほぐし身があったので注文する。ミソと身があらかじめ混ぜ合わされている。酒飲みとしてはただ見ているわけにはいかない。

出された時には、毛ガニだけでなく、ズワイも同席していた。茹でスワイに切り込みを入れて、そこにズワイのミソをサンドイッチしている。こういうひと手間に私は弱い。毛ガニとズワイ、ミソ和えの競演だ。幸せ。


握りも間違いのない美味しさ。シャリの感じも悪くない。総合的にかなりの水準にあることは確かだ。ネタも豊富でまず間違いなく“イメージしていた食べたかったもの”にありつくことが出来そうだ。





写真は、順番に本マグロの赤身、軽く炙ったキンキ、ボタンエビ、アナゴ。穴子も地物だそうだが、ふっくらとろけるように調理されていて、意外な美味しさに感激する。

生モノの鮮度だけでそれ以外は知らんぷりという店が北海道のお寿司屋さんには相変わらず多い。その点、「梅乃寿司」は、そういう店と比べては申し訳ないほど、キッチリ真面目に誠実に仕事をしている感じがすごく印象的だった。

お値段は函館的には高い部類に入るのだろうが、内容を考えればまったく問題ない価格だと思う。私は迷わず再訪すると思う。

またまた函館に行く楽しみが増えた。単純に嬉しい。

2009年3月9日月曜日

第三極

政権の迷走だけでなく、野党第1党まで政治献金スキャンダルが直撃して、ますますニッチモサッチモ状態の政局。

今年は解散総選挙が行われる年だけに、今後起こりえるあらゆるトピックが、向こう数年の政治状況を変える可能性がある。

昨今の状況を見るにつけ、平成4~5年に吹き荒れた日本新党ブームを思い出す。細川護煕元熊本県知事が、既成政党の談合型離合集散を嫌って旗揚げ、あれよあれよと参院選、衆院選と議席を獲得。新党旗揚げのわずか1年後、細川氏は非自民連立政権で首相に上りつめた。

その後の細川連立政権のメロメロぶりはさておき、あのとき、日本中に吹き荒れた“風”は猛烈だった。まさに嵐。

自民、民主ともにフニャフニャした感じの今、まもなく行われる衆院選に向け、第三極の登場が十分に考えられる。カリスマ性、スター性、そしてメディア受けする人物がリーダーシップを発揮すれば、日本新党ブームのような風が吹くのは間違いない。

郵政騒動以後、無所属を貫き、一部で根強い支持を集める平沼赳夫氏衆議院議員や先日自民党を離党して一気に知名度を上げた渡辺喜美衆議院議員あたりも、当然、第三極を視野に入れている。

また、昔の名前で出ています的な空気は濃いものの、亀井静香衆議院議員らによる国民新党あたりも、第三極として政界再編のカギを握りたい思惑が強い。

こうした面々からすれば、今回の小沢スキャンダルによる民主党のダメージは大歓迎といったところか。

自民党はボロ負け、民主党も圧倒的多数は無理となると、当然政界再編が取りざたされるわけだが、今名前を挙げたような面々が、16年前の細川氏ばりの風を吹かすことは現実的には難しい。

あのとき、細川氏が猛烈に支持された理由はただ一つ。「手垢がついていない」というイメージ。この点からすると既存の永田町の面々ではパワー不足。手垢つきでも風を吹かすことが出来るのは小泉元首相ぐらいか。

そう考えると、いま風を吹かすことが出来るのは誰だろう。永田町の外という意味では、知事の面々も候補。

橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事あたりも、揃えるメンバーやブレーン次第では、突風ぐらいは起こすことが可能だろう。好き嫌いはともかく、閉塞感という敵の前では、知名度は抜群の強さだ。

石原都知事は、年齢的にさすがにありえないが、それ以上に過去に何度もあった石原新党待望論に飽き飽きした国民心理もあって、「いまさら」感は否めない。

もちろん、急浮上するカリスマは、意表を突いて出てくるからこそブームを呼ぶ。その点で、素人が今予想しうる人物では爆発的パワーを発揮するのは難しいという見方も出来る。

学者、評論家、財界人あたりを俯瞰するといろいろな顔が浮かぶ。はたしてどんな面々がいまこの時、虎視眈々と天下取りを狙っているのだろう。

逆に新しい風を巻き起こす人物が出てこないようなら、かなり危機的な状況と言える。ここ2,3か月の動きが興味深い。

2009年3月6日金曜日

登別 滝乃家

寝台特急北斗星を登別で降りたのが朝の9時半。朝っぱらから何をしようかと戸惑いながら駅から歩いてすぐの水族館で暇つぶし。お客さんはほとんどいない。じっくりと魚を観察。結構楽しむ。

その後、温泉街に移動。雪をかぶった地獄谷の冬景色を楽しんでから、すぐ横にある老舗大型旅館・第一滝本館へ。朝から受入れてくれる日帰り入浴が目的だ。

浴槽が30個以上ある巨大温泉テーマパーク的な大浴場でのんびり朝風呂。こんな時間に客はまばらで何とも贅沢な時間。すっかりふやける。

入浴後、ラーメンと餃子、生ビールで昼食。小原庄助並みの時間はあっと言う間に過ぎて、そろそろ午後2時。この日泊まる宿に向かう。

今回の旅、目的のひとつが昨年夏に新装したての老舗旅館「滝乃家」に泊まること。昨年、お隣の大型旅館「まはろば」に泊まった際、すぐ隣にたたずむ登別らしからぬ高級和風モダンの風情が気になり、訪問の機会をうかがっていた。

サイズも大きすぎず、個人旅行にはうってつけと睨んでいたが、一人旅でも受入れるサイズの部屋もあるらしく、勇んで予約してみた。


大箱団体向けワイワイガヤガヤ系の宿が幅をきかす登別にあって「滝乃家」は異色だろう。泊まってみた感想は、端的に言って文句なし。登別というより北海道全体でも高水準にランクされる気がする。


通された部屋は一番狭くて安い部屋。とはいえ、一人には充分ユッタリとした造り。ベッドも大きく、リクライニングチェアもあって、水回りも最新鋭機器で揃えられており快適。

確か全部で28部屋の規模。その多くに部屋付き露天風呂があるとか。そのせいで、滞在中は大浴場で他のお客さんと遭遇することがほとんど無かった。

大浴場は宿の規模に適したサイズ。巨大な浴槽がウリの登別の他の宿と比べると迫力はないが、清潔で快適。すべての浴槽が当然のように源泉かけ流し。これが濃くて素晴らしい。上の画像は内風呂。ガラス越しの雪景色がいい感じ。

露天風呂は内風呂から少し下がった位置にある。階段を少し下りていくのだが、階段の上部から温泉が流れていて、足元がぬくぬくと気持ちよい。

小さな滝の流れる渓谷のような立地に露天風呂はある。濃い硫黄泉の濁り湯にどっぷり浸かって雪景色を堪能する。冷たい風のおかげでのぼせない。湯温も陣取る場所によって熱めだったりぬるめだったりと長湯にはもってこい。

硫黄泉に満たされた浴槽の向こう側は池。こういう風流なお湯に浸かって冷たい風を深呼吸すると心の底から癒される。快感。間違いなく私の免疫力はアップしたはずだ。

さて、お楽しみの夕食。この宿では部屋ごとに用意されている個室で味わう。そうだ。個室なのに禁煙だったことが私にとってはマイナスポイントだった。


前菜に刺身。どれもとても美味しい。前菜に入っていたホタテの稚貝の味付けに感心。まさにいい塩梅。その後のお吸い物も然り。登別の旅館とは思えない繊細な味付けで料理されている。

基本的に夕食には必ず洋皿が用意されるようだが、変更も可能だったので迷わず変更。洋皿の代わりに登場したのは、魚貝の石焼き。サワラ、エビ、ホタテなどを熱々の石の上で蒸し焼きのように調理。素材の味そのものを素直に味わえて悪くなかった。

焼かれたエビはボタンエビだろうか。かち割った頭に詰まっていたミソが新鮮さの証し。酒の肴としてバッチリ。

冷酒を頼めばこんな気取った片口で供される。いい意味で登別らしくない。洒落ている。一人で過ごすのもいいが、酔うほどに次回は素敵な女性と利用しようと思ったりする。

このほかにも十勝産の牛肉朴葉焼きとか茶碗蒸し、炊き合わせなんかも実に真っ当。天ぷらも揚げたてアツアツ状態で運ばれてくる。

奇をてらったもの、特別高価な極上素材が使われているわけではないが、締めの梅茶漬けやデザートに至るまで全体にマジメで丁寧な仕事ぶり。至極上等な宿だと思う。

料理に力を入れている高級路線の旅館だと、大浴場はほどほどというケースが珍しくない。私の温泉宿選びにとって重要なサウナについても、小、中規模の宿には設置されていないことが多い。

ここ「滝乃家」のサウナは小ぶりながら景色も垣間見える快適な状態に設置してありバッチグー。当然のように脱衣所にタオルも山ほど積んであって至れり尽くせり。

さてさて、朝から温泉に入りすぎたせいで、夕食時に冷酒1合と焼酎1合で、なぜだか相当酔ってしまった。部屋に戻って、読みかけの本をパラパラめくっていたらアっという間に深い眠りに落ちた。

翌朝、すっきり目覚めた。昨日は覗かなかったもう1カ所の露天風呂に行ってみる。こちらは最上階の湯処でアジアンリゾートでよく見るインフィニティプールのような造り。景色が絵画のように目に飛び込んでくる。この時も貸切状態。

朝食はご覧の通り。普通に美味しい。取り立てて豪華ではないものの文句のない水準。なぜか熱々のおでんもあった。玉子焼きも温かで、タラコも上質。OK。

正直、一人旅にはもったいない宿だった。次回は誰と来るのだろうか。