2024年3月29日金曜日

休み

 結膜炎がまるで良くならず、注意していたのにもう一方の眼にも移ってしまった。両目が真っ赤でホラー映画みたいな顔になってしまった。


時折かなり痛みもあって難儀している。点眼薬に頼っていたのだが、追加で眼の軟膏も出されたので絶賛格闘中である。お医者さんによると発症から1週間は悪くなるだけなのが現実だとか。参った参った。


というわけで今日の更新はお休みです。


ウイルス性の結膜炎は大人にはかなりキツいです。特効薬もなく対処療法だけで2週間ぐらい治るまでにかかるらしい。


かなりシンドイから皆様もお気をつけてください!




2024年3月27日水曜日

卒業と不調


娘が大学を卒業した。中学や高校を卒業するよりも感慨深い。何だか一つの区切りを迎えた気がしてひとり勝手にシミジミしてしまった。

 

同居を始めてまもなく2年になる。娘いわく同居する前よりも私を父親として意識する気持ちが強くなったそうだ。変な表現だが、同居する前までは私のことを“親戚のオジサン”に近い感覚で捉えていたらしい。

 

離婚した後も頻繁に会うようにしていた。それを最優先事項に暮らしていたのだが、子供の感覚なんて一緒に住まなくなったら一気に変化してしまうものらしい。

 

当時は一生懸命になって「離婚してもパパはパパなんだぞ」と言いきかせて気張っていたのだが、ちっとも通用していなかったみたいだ。妙に切ない。

 

まあ、いまようやくその分の穴埋めが出来ているのなら四の五の言っても始まらない。今の状況を前向きに受け止めるしかない。

 

コロナのせいもあって娘の高校の卒業式や大学の入学式を見ていなかったから今回の卒業式には出かけていった。袴をまとっていっぱしになったつもりの娘を見ていたら、今更ながら自分の親の有難さを痛感する機会にもなった。

 



娘を育てて大学まで出させたことはそこそこ大変だった。大げさだが、ちょっとばかり「よくやったなオレ」という気分になった。と同時に、自分を振り返ってみたら私の親も頑張ったんだなと気付いた。

 

今頃気づくあたりが私のダメなところだが、自分にとっては当たり前に思っていたことも親の結構な労力によって支えられていたわけだと改めて思い知った。感謝感謝である。

 

さて、大学を卒業させれば「一丁上がり」になるのが普通だ。ウチの場合、娘はこれから3年も別の大学院に行くことになったから、ちっとも上がりではない。私もまだ学生の親として奮戦しないといけない。

 

それでも一応は大学卒業という段階に来たわけだから父親として少しは肩の荷が下りた気持ちになった。不思議なものでその安堵感のせいで一気にアチコチ不調になって難儀している。

 

もちろん、たまたまだろうが何となく気が抜けたせいか、歯茎は腫れ出し、眼は炎症を起こしてボロボロである。ついでに言えばチャリで転倒して痛めた膝周りも相変わらず良くならない。

 

やはり人間は何らかの節目で気を抜くと体調に影響するのだろうか。たかだか娘の大学卒業という現実に対して人一倍感慨にふけり過ぎたせいでフニャフニャになってしまったみたいだ。情けないったらありゃしない。

 

歯茎の腫れは前の週に歯医者さんで定期クリーニングと定期チェックをしたばかりだったのに急に痛みだした。眼の方もこれまた何の前触れもなく娘の卒業式当日あたりから怪しい感じになった。お医者さんに行ったらタチの悪い結膜炎だとか。

 

ナンチャラウイルスが原因の炎症らしく2週間は治らないという。点眼薬いろいろ使うのだが、要は自分の免疫力で退治するしかないとか。ビタミンCやプロポリスを100個ぐらい飲んだら早く治るかとドクターに尋ねたのだが「まったく関係ない」と言われてヘコむ。

 



思えばモノモライにだってなった記憶がない。結膜炎だなんてケツをマクられたみたいな名前の敵に襲われるのは初めてである。その昔は汚い海でも潜水行脚に明け暮れ、菌がウヨウヨしている海でも平気で眼をゴシゴシして過ごしていたが何ともなかった。

 

それなのに普通の暮らしの中でそんな菌にヤラれるとは実に腹立たしい。それだけ歳を取ったということか。こうやって徐々に老人への準備というか心構えを強制的に身に付けさせられているのだろうか。

 

膝の不調、歯の不調、眼の不調。まるで爺さんの世界である。昨年は膵臓がんのリスクが高いとやらでしつこく検査もした。着実に自分が昔とは別の生き物になってきたことを痛感する。

 

「寄る年波には勝てず」。若い頃から聞いていた言葉がいよいよ我が身にも関係してくるとはビックリである。

 

子どもの成長を喜んで感慨に浸った話を書くつもりが年寄りの愚痴みたいになってしまった。いかんいかん、もっともっとポジティブにしていよう。

 

眼だって奇病にかかって失明の危機とかではなかったことを喜び、歯の件だって虫歯は無いと言われたことのほうを喜び、膝だって事故で歩けなくなったわけではないと前向きに捉えたほうが気分はアガる。

 

何事も前向きに捉えることにしょう。

 

 

 

 

 

2024年3月25日月曜日

「まるハラ」のバカらしさ


「まるハラ」をご存知だろうか。何でもかんでもハラスメントに分類するアホな世の中の風潮の中でもとくに愚かなテーマだ。

 

ここでいう「まる」とは句読点の「。」である。文末に「。」が付いていると怖いから一種のハラスメントなんだとか。バカもほどほどにしろ!って叫びたいほどバカな話である。

 

こういうバカに付き合って世の大人達が句読点のマルを省略するような自体に陥ってはいけないと思う。

 

「わかりました。」「すぐに処理してください。」など「。」があると、怒ってる、冷めているというニュアンスを感じるのだとか。

 

より良い方向に変えるなら「わかりました!」「すぐに処理してください!」など「!」を付ければいいと大真面目に解説するスットコドッコイまで出てくる始末だ。何だか脱力する。

 

句読点の「、」も「。」も入れずに結構な長さの文章を書く若者が珍しくないそうだ。呆れる。冗談抜きに小学校から学び直して欲しいと思う。

 

「おじさん構文」なる言葉も考えてみれば中高年世代からすればイラつく言葉だ。一種のジョークだとは分かっているが、ロクに文章を書く経験を積んでいない連中にアーダコーダ言われるのは気持ちの良い話ではない。

 

句読点の多さもおじさん構文の特徴の一つだとか。それ以外に長文イコールおじさんだとか。他にも汗や表情の絵文字を多用する、「ナンチャッテ」など中途半端なカタカナの多用や改行の多さなども該当するらしい。

 

若者同士はLINEなどのやりとりでは「了解」を単に「り」と省略するなどやたらと短文で済ませているそうだからマトモな大人たちのやり取りが奇異に見えるのだろう。

 

逆に言えばマトモなやり取りをする文章能力すら持っていない知的レベルの低さの証みたいな話だ。まあ、そんなことに対して真っ当な指摘をしちゃうこと自体が既に「ズレたおじさん」なんだろうが、やはり言語の最低限のルールは一種の文化だから極端に変形させるのは感心しない。

 

もちろん、おじさん構文をバリバリ書いちゃう我々世代だって若者時代はヘンテコな言葉を使っていた。古今東西、若い頃には言葉遣いに奇天烈なアレンジを加えるものなのだろう。

 

放っておけばいずれは収まる話だからグダグダ言うような話ではないのかもしれない。それは分かっているのだが、大人側が変に若者側におもねってそっち側の真似をしちゃうのが気色悪い。

 

昔のお年寄りは時の若者がヘンテコな言葉を使おうとまったく影響されずにお年寄りならではの言葉を平然と使っていた。それが正解だと思う。

 

今の時代はアンチエイジングか何だか知らないが、若者側になびいてそっちの真似をしたほうが格好いいと勘違いしているオッサンオバハンが増えているような気がする。若々しい気持ちでいることと若者のマネをすることは次元が違うという当たり前の認識が欠けている。

 

昨年このブログで「おっさんビジネス用語」について書いてことがある(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/03/blog-post_03.html)。

 

「よしなに」「幸甚に存じます」みたいな言い回しがもはや絶滅危惧種?みたいになっているという話だ。当然、時代とともに廃れていく言葉はある。「電話のダイヤルを回す」みたいに時代の変化で実際に意味不明になってしまった言葉もある。

 

それでも文章の長さやそれにともなう句読点といった基本的な決まり事は極端に崩してはいけないと感じる。文章を読めば書いた人の知的レベルや教養の度合いだけでなく、人間性そのものだって浮かび上がってくる。

 

他にも、行間から滲み出すニュアンスみたいなものを感じ取ることで、本意を察したり意図を汲み取ったりすることも出来る。句読点も無しにただただ短ければOKという風潮は大げさに言えば民度の低下という残念な結末にも繋がりかねない。

 

何だか大真面目に熱弁をふるってしまった。無視すればいいバカを本気で相手にしてしまったような後味の悪さを感じる。

 

もっと楽しい話だけを書いていくようにしないと私の血圧が上がるだけだ。気をつけようと思う。

 

 

 

 

 

2024年3月22日金曜日

黙ってボーっとする

 

黙ってボーッとする。ひたすら何もしない。これって案外大事なことだと思う。今の時代、そんな時間に没頭する人を見かけることが少なくなった。

 

電車の中ではスマホを眺める人ばかりで、それ以外は時折本を読む人か寝ている人だけだ。ボケーっとしている人はまずいない。

 

私も暇があればスマホを覗き込んでいる。中毒というほどではないが、かなりそこに時間を取られている。家にいるときも似たようなものだ。テレビを見ているか、スマホを見ているか、雑誌や本を読んでいる。風呂の中でさえ同じだ。

 

いわゆる沈思黙考という時間があまり無い。これって生きる上でちょっと損をしている気がする。黙ったまま何もせずにボーっとしていることで様々なことが頭の中を駆け巡り、ちょっとした気付きやアイディアにつながる。

 

何かに没頭していればその中でしか頭は働かない。思考は当然広がらない。当たり前のことだがそれって脳ミソ活用法?としては実にモッタイナイことだろう。

 

すべてスマホのせいにするわけではないが、スマホがない時代は誰もがもっとボーッとする時間を持っていたはずだ。大袈裟な言い方になるが、そんな時間が人間の深みや奥行きを作っていく大事な要素だったのではないだろうか。

 

イマドキの若者である私の娘をみていても常にスマホに目線が注がれている。クルマや電車での移動中も車窓から外の景色を眺めることなど滅多にない。誰がいつどこを見てようが勝手だが、移動の際の眺めは一種の情報の宝庫だ。そこに目を向けないのはやはりモッタイナイことだと感じる。

 



ちょっと話が飛躍しちゃうが、周囲への気配りが足りなかったり広い視野を持てない人が多かったりするのはスマホ依存的な日常生活を送っていることが理由ではないだろうか。日頃からアチコチに関心を向ける習慣がないから近視眼的な言動ばかりになるような気がする。

 

私が昔から一人旅や一人メシは好きな理由もおそらくボーっとする時間を堪能したいからだろう。街中ですれ違う人の人生を勝手に空想したり、ホロ酔いになった酒場で自分の破廉恥な日々の言動を反省したり、はたまた計画を練るのは案外楽しい。

 

そんな妄想にふけるだけではなく、ふと目にした光景からいろんな“気付き”が生まれるのも確かだ。散歩にしても同じ。誰かと連れ立って無駄話をすることも悪くないが、一人だと目に入る景色が変わる。季節の変化を感じるといった日常的なことだけでなく、そこから自然と派生して様々な思いを整理したり新たな感覚が生まれたりする。

 

別に孤独のススメみたいな話ではない。せわしない日々の暮らしの中で自分をリセットする時間は大事だという話である。仕事だろうが遊びだろうが絶対に必要になるのが「余力」であり「余白」だ。

 

詰め詰めで過ごしていると頭の中はパンパンになる。それでは斬新な考えなど生まれるはずもなく、下手すれば正しい思考からもズレ始めてしまう。

 

例えは極端だが、自殺する人の最後の頃はきっと「詰め詰めでパンパン」なんだろう。ちょっとした余白があれば踏みとどまった人は多いはずだ。やはりちょっとした余白を作るためにも「何もしないでボーっとする時間」を意識して持つことは大切だと感じる。

 

ニュースで見た話だが、どこかの中学だか高校で全員が一斉に短時間の昼寝を強制されるらしい。ほんのちょっとのそんな時間が頭をリフレッシュするのに効果的だという。これも余白の大切さを表している話だと思う。

 

エラそうに書いてきたが、私の場合は寝る前にあれこれ考えすぎる悪い癖があって、結局毎日のように睡眠導入剤のお世話になっている。それはそれで不健康だが、それでもスマホの電気の光を眺め続けて脳にヘンテコな刺激を浴びせるよりはマシかもしれない。

 

これを読んだ人の中には「そんなに暇じゃねえよ」と反発する向きもあろうが、どんなに忙しくても何もせずボーっとする時間ぐらい絶対に作れるものである。ほんの30分だって無意味ではない。それすら出来ないような人なら間違いなく何をやらせてもダメな人だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月20日水曜日

ダルビッシュの凄さ


いよいよ野球シーズン到来だ。今日はメジャーリーグの開幕戦だ。韓国遠征という異例のスタートだから時差がない分じっくり中継を観られる。開幕ピッチャーはパドレスがダルビッシュ、すなわちいきなり大谷翔平との対戦が実現する。

 

大谷翔平はもはや国宝であり世界遺産みたいな存在になり、いまや彼の話題にウンザリする人達の間では「大谷ハラスメント」なる言葉さえ生まれた。

 

大谷さんのことはこのブログでもさんざん書いてきたので今日はダルビッシュについて熱く語りたいと思う。

 

大谷翔平の父親になりたい

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/04/blog-post_9.html

 

大谷翔平ラブ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/09/blog-post_16.html

 

大谷さん

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/07/blog-post_07.html

 

サウスポー大谷

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/08/blog-post_28.html

 

さてさて、ダルビッシュはまもなくプロ20年目の大ベテランである。大谷の影に隠れてしまっている印象もあるが、日本の野球界においては歴史的傑物である。平成以降に絞れば日本一のピッチャーと評しても過言ではない。

 

なんといっても日本のファイターズ時代の実績は神がかり的だった。シーズン通しての防御率1点台という神ワザ的芸当を5年連続でやってのけている。これはあの金田正一でも成し遂げていない前人未到の記録だ。

 

野球に詳しくない人のために念の為に書くと、1試合9イニング投げて2点取られることはないという数字だ。プロの世界では奇跡と言っても大袈裟ではない。

 

通算奪三振数も野茂よりも上の歴代3位。上には鉄腕米田哲也とレジェンド金田正一しかいない。いずれも登板頻度が異常に多かった時代の先人だ。現代野球でダルビッシュを上回るピッチャーは現れないと思う。

 

私は東北高校時代・ダルビッシュ少年の甲子園での活躍をテレビで見ていた。ヒョロヒョロで気の強そうな顔つきでふてぶてしくて不良っぽい雰囲気の若者だった。

 

鳴り物入りでプロ入りしたのもつかの間、春のキャンプの休日にタバコをスパスパしながらパチンコ屋に入り浸っていたところを週刊誌に撮られて大問題に。プロとはいえまだ高校在籍中の2月だったから学校から停学処分をくらい卒業式にも出られなかった。

 

普通にタバコを吸う高校時代を過ごした私からみればお気の毒にも思えたが、あの一件はその後の彼の成長に大きく影響したことは間違いない。事実、一定の謹慎期間を経てプロ初登板したダルビッシュには熱い声援が寄せられ彼自身その時の感謝の気持がその後の原動力になったと語っている。

 

プロ2年目ぐらいからダルビッシュのピッチングは無双状態だった。力任せで速球を投げるのではなく数え切れないほどの変化球を交えて打者を翻弄する高度な野球脳が彼の真骨頂だった。

 

あの頃の日本のプロ野球はダルビッシュ中心に回っていたといってもいいかもしれない。ナゼか女性誌「anan」などでフルヌードを披露していたのは謎だったが…。

 

メジャーに活躍の場を移してからも七色の変化球には磨きがかかり、いまやメジャー全体の中でも一目を置かれる存在だ。

 

日本での7年で93勝、メジャーに移ってから11年で103勝。順調にいけば今シーズンの前半に200勝に到達する。メジャーに移籍して活躍した選手は何人もいるが、ずっと第一線に居続けたうえで今年12年目を迎える息の長さも特筆に値する。

 



おまけに選手寿命が短いとされるピッチャーとして今も全盛期と変わらないポジションを維持していることが凄い。少しでも劣化するとすぐに見切りをつけられるのがメジャーの世界だ。野茂や松井秀喜だって30代半ばの頃には“流浪状態”だった。この点だけでも別格の存在だといえよう。

 

ダルビッシュといえば食生活からトレーニング方法まで独自に研究を重ねてきたことで有名だ。昔の根性論ありきの野球界を大きく変えた第一人者でもある。

 

パチンコ屋でタバコを吸っていた姿からは想像も出来ない。昨年のWBCの際には大御所的存在なのにいち早く来日して侍JAPANに合流、自分の調整を二の次にして若手ピッチャーに自らの技術を惜しみなく伝えたという。関係者たちは口を揃えてあのチームは「ダルビッシュ・ジャパン」だったとその行動を絶賛していた。

 

パチンコ屋でタバコをスパスパしていた悪ガキ時代からは想像もできない。しつこいか。でも一人のヤンチャな青年がヤンチャ時代を糧にして立派な大人に変わっていった姿がとっても印象的であり魅力的である。

 

ついでにいえば、私が離婚経験者だから彼にシンパシー?を感じるのが養育費の凄さである。当時、女性週刊誌などでずいぶんと騒がれたことを覚えている。その額は一説によると毎月200万円とも500万円とも言われた。

 

仮に500万円だったら1年で6千万円、10年で6億円である。200万円だとしても10年で24千万円だ。ドッヒャーである。

 

立派と言ってよいのかわからないが、やはり立派としか言えない。私だって離婚してから払ってきた養育費の額はフェラーリの新車が余裕で買えるほどだが、ダルさんに比べれば屁の突っ張りにもならない。

 

話がそれた。

 

数え切れないダルビッシュの偉業の中でも特筆すべきは昨年結んだパドレスとの契約内容だ。あのメジャーリーグの歴史の中でも初めてと言われる「30代後半の選手への大型6年契約」である。

 

本人も「ドッキリじゃないか」と思ったそうだが「6年総額150億円、トレード禁止条項付き」という非常に厚遇された内容だ。それだけ彼の能力やコンディション維持への才能が評価されたわけだ。大谷さんの超絶的契約の話題の影に隠れてしまったがこの事実は日本人野球選手における歴史的偉業と断言できる。

 

韓国での開幕戦という異例のスケジュールの中、ダルビッシュは韓国に到着したその日に10年来の韓国人ダルビッシュファンが営むカフェにアポ無しで訪れたという。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/713334db6aa983afc9e1f966f1551764031f7005

 

そんな彼のスマートさに単純に感動した。なかなか出来ることではない。18歳当時、パチンコ屋でタバコスパスパだったヒョロヒョロのヤンチャな少年が20年後に多くの人に夢を与えるヒーローに進化したわけだ。

 

とりあえず今日の試合はダルビッシュを応援しようと思う。大谷さんは今年はバッター専門で150試合ぐらいは出場するだろうから、今日のところはダルさんの凄さを見たい。でも大谷さんにも1本ぐらい打って欲しい。

 

こんなことを書いていられること自体が昭和40年代からの野球ファンとして幸せの極地である。

 

 

 

 

 

 

2024年3月18日月曜日

教えたがり


「昔話を得意になって語る人は未来をあきらめた人」。テレビか何かで聞いたフレーズだ。確かにそんな側面はあるだろう。今より躍動的だった頃の思い出はいつだって輝いている。私も加齢とともに回顧話をする機会は確実に増えている。

 

回顧ネタといっても単に今と昔の違いを力説しちゃうのは別に未来をあきらめたウンヌンとは別次元である。イマドキを生きる人々に昔の現実を知らせるのも先人の努めだ。年の功とやらが身に付いたのなら語るべきだろう。

 

その昔、街中にはズラっと電話ボックスが並んでいてそこには数え切れないほどのピンクチラシがベタベタ貼ってあった。今の若い人は知らない。個人的にはつい最近だったような気もするが、あれはとっくのとうに絶滅したようだ。

 

思えばずいぶんと世の中が寛容だったのだろう。子供も普通に使う電話ボックスにエロ満載の小型チラシが貼ってあったわけだからたいしたものである。コンプラという言葉も無かった時代ならではだ。

 

人気ドラマ「不適切にもほどがある」の影響で昭和の世相に改めて注目が集まっている。アナログかつ脳天気だったのは確かだ。パワハラ、セクハラという言葉も無かったし、SNS的全盛の密告社会みたいな窮屈さは感じなかった。

 


良し悪しは簡単に決められないが、私はあの時代に若者だったせいで個人的には今の時代には息苦しさも感じる。

 

自転車の信号無視や一時停止違反にも青切符が切られる法改正が実現するそうだ。いやはや統制の嵐はどんな分野も例外ではないようだ。時代の変化をつくづく感じる。

 

何事にもおいても揚げ足とりや重箱の隅つつきみたいに世間様が人の行動を監視するようになったのが今の時代だ。逆説的に言えばそれだけバカが増えたのだろう。

 

その昔であれば「いわずもがな」の常識で収まっていたことが通用しなくなり世間からアウンの呼吸も消えてしまい、いちいちルールという名の規制が必要になってきたのかもしれない。

 

こうした流れが結果的に人々から自分で考えて判断する力を奪い、ひいては「お上は絶対である」みたいな強権国家に繋がっていくような怖さを感じる。お上にとって国民はバカでいてくれるのが最もコントロールしやすいわけだからイマドキの気弱な全体主義みたいな空気はちょっとブキミだ。

 

なんだか話が大袈裟になってしまった。

 

今日は私の「教えたがり」について書くつもりだった。回顧話ついでに若い人に昔のことを教えたがるのが歳を取ってきた人の悪いクセである。私もそうだ。

 

さすがに昔の自分の武勇伝みたいな自慢話にはブレーキをかけるが、事実としての「昔はこうだったんだ」的な事象解説をついつい力説してしまう。

 

世代がまるで違う相手だから石原裕次郎や美空ひばりの話をしたところでちっとも関心を持たれない。せいぜい「山口百恵は大人っぽかったけど引退したのは21歳の時だった」とか、「カップ焼きそばUFOはもともとピンクレディーの歌とのメディアミックスで売り出された」といった小ネタにフムフムとうなずかれるぐらいである。

 

ほろ酔いになって「教えたがり」のクセが出てしまうのは食べ物をめぐるウンチクである。寿司や鰻、はたまた関東と関西の違いみたいなテーマを滔々と語ってしまう。面白そうに聞いてもらえることも多いが、おそらく無理やり面白そうな様子を作ってくれているのだろう。

 

江戸のウンチクも私が語りたがるテーマの一つだ。東京は昔はベネチアみたいに川だらけの水運の街だったとか、参勤交代で単身赴任の男ばかりだったから蕎麦や寿司や天ぷらといった屋台外食産業が賑わったとか、吉原の遊女のウンチクなどを気づけば熱く語ってしまう。

 

年寄り特有の押し付けがましさではあるが、私の本音は「東京に暮らす以上はそのぐらい知っておけ」である。もちろん聞かされている若い人にも10に1つぐらいは参考になる話もあるだろう。でも大半はきっと「だからどうした?」と思われているかと思うと切ない。

 

中学や高校の頃、ちっとも先生の話を聞いていなかった私だ。あの頃、まったく聞く気のない生徒に向かって必死に授業をしていた先生たちの気持ちが今になって分かる。反省しても遅いが今なら「先生ごめんなさい」と素直に謝れる気がする。

 

 

 

 

2024年3月15日金曜日

下ネタを取材する


今日は下ネタが苦手な人は読まないことをお勧めします。とか言って私のスケベ武勇伝を書くわけではない。他人の下ネタ体験談を引き出すことが趣味?になっていることについてだ。

 

真面目そうな顔、清楚ぶった顔をして過ごしている女性だって案外アバンギャルド?な体験談を持っている。そういう話を引き出すことが私は大好きである。もはや趣味である。

 

男性陣の体験談にはあまり興味はない。スペクタルな話を聞き出せても羨ましいだけである。女性から聞く話だとやはり萌え萌えだ。相手は妙齢の女性であれば誰だってOKである。

 



自分と親しい関係にある人はもちろん、ちょっとした知り合い、飲み屋のオネエサン、何ならそこに居合わせた初対面の人だって構わない。過去のスケベ体験を語ってくれるなら大歓迎である。

 

もう何年も前にワイ談のコツみたいな話を書いたことがある。なぜか今でも定期的に読まれているネタだが、相手からムホムホ体験話を聞き出すにはそれ相応にテクニックも必要になる。そんな技術論?を解説した話だ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_19.html

 

あからさまに物凄い体験談を勝手に語りだす人はいない。ジャブを当て続けて徐々に扉を開かせるのが大事になる。別にそんな体験談なんて隠し立てするほどのものではないよという流れを作るのがポイントだ。

 

詳細は上に貼った過去記事を参照してもらうとして、せっかく聞き出してきた幾多の凄い体験談を私の頭の中だけに保管しておくのもモッタイナイので今日はいくつか披露することにしよう。

 

ここで活字を読んだところでピンとこないだろうが、私が聞いた段階ではその当事者が目の前にいるわけだから臨場感バツグンである。美人サンから聞き出した話ならヘンテコなアダルト動画を観るよりもワクワクできる。

 

高校時代、放課後に校舎の非常階段の踊り場で先生とコトに及んでしまった話とか、混雑する流れるプールで密着するふりをしてコトに及んだ話などは序の口である。序の口といっても目の前にいる人の実体験だと知れば萌える。くどいか…。

 

痴漢体験シリーズもわりと耳にした。普通は怖さと不快感だけだが、中には痴漢からの攻撃に心ならずもヘナヘナにされてしまった話は複数の女性から聞いた。

 

中でもオモチャ攻撃の話には驚いた。その痴漢は指サック状の電動でブルブルする小型のオモチャを持参していたらしくそれで攻撃された某女子はたまらず撃沈したそうだ。

 

笑ってしまったのが痴漢に協力してしまった女性の話。高校時代にやたらと巧みな?痴漢に遭遇してそれなりに反応してしまったら調子に乗った痴漢が自らの暴れん坊将軍を握らせてきたそうだ。

 

普通ならそんなものはブキミなだけだが、その女子高生は何と「気持ち良くなってもらえたら嬉しい」という意味不明な心理状態になってしまい条件反射的にそれを激しく動かしてしまったとか。心理学的に実に興味深い体験談である。

 

ちなみにアダルト動画の世界では「そんなアホみたいな展開になるわけねえだろ!」みたいな設定がよく見られる。私も長年そんなバカげたシチェーションモノを笑って観ていたのだが、実社会には意外に多くの「そんなアホみたいな展開」は発生しているみたいだ。

 

アダルト動画のヘンテコなシチュエーションは案外男たちの願望ではなく、誰かの実体験に基づいて作品化されているのかもしれない。そう考えると実に夢がある話である。

 

海の家のバイトの青年が簡易シャワー室に入ってきてコトに及ばれてしまった話とか、クラブ(昔のディスコのほう)で目があったイケメン白人にトイレに連れ込まれてドッカンドッカンされたとか、チープなアダルト動画で展開するようなシーンを実際に体験した女性は存在する。

 

最近聞いた衝撃体験談の一つが「初体験は小学生」という話である。それ自体はイマドキ珍しくないのかもしれないがこの話は特別だった。相手は結構なオジサンだとか。通学路の交通整理をしていた顔見知りのオジサンだったとか。

 

ある日、そのオジサンに誘われ公園のトイレに連れ込まれコトに及んでしまったという。純粋に犯罪である。アダルト動画でも倫理上作品化しないぐらいのエグい話だ。

 

ところが、よくよく聞いて見ると被害者のはずのその女子は当時の心境を「ワクワクして興奮した」という。オッタマゲである。もともとオジサン好きで今もうんと歳の離れた男性にしか興味がないのだという。いやはや恐るべしである。

 

この体験談をなにかの拍子に親に話してしまい地元界隈で結構大きな騒動になり、交通整理のオジサンはそれ以来姿を見せなくなったという。そりゃそうだ。おそらく逮捕されたのだろう。

 

なんだか事例を上げているとキリがない。まだまだいろんな凄い話を聞かせてもらった。世の中には随分と秘め事があるようだ。もちろん、そんな話が普通に披露されるわけもなく、私のような敏腕取材記者!?が活躍することでオモテに出てくることになる。

 

人から上手に話を引き出す。仕事上、若い頃から鍛えてきた分野だ。ワイ談を聞き出す分野で活かされていると思うと正直複雑な気分にもなるが、それはそれで良しである。今後もスクープを求めて活動しようと思う。

 

 

 

 

 

 

2024年3月13日水曜日

トランプさんの食事

「もしトラ」が「ほぼトラ」になってきたことでアメリカ大統領選の行方が何かと話題だ。トランプ返り咲きの公算が強くなってきたからメディアもさまざまな角度からその影響を取り上げている。

 



わが「富豪記者ブログ」もこれに触れないわけにはいかない。もっとも政治経済の影響なんてヨソにまかせて彼の大食漢ぶりの問題や健康への影響を考えてみることにする。

 

トランプさんの大好物はマックのハンバーガーとケチャップをぶりぶりかけたステーキだとか。実に素晴らしい。巨万の富を築いた男のくせにマックを愛するあたりがアメリカ人っぽくて好感が持てる。

 

かつて側近が明かした話によるとビッグマック2つとフィレオフィッシュ2つ、それにポテトとチョコシェイク。これがトランプさんの定番だったらしい。実に王道である。新参メニューには目もくれず古典的なビッグマックとフィレオフィッシュを選ぶ点が素敵だ。

 

メディアでさんざん批判されたせいで、その後はサラダ中心のヘルシーメニューで減量に成功したとも言われている。でも、ワガママそうなオッサンだからそんなのはフェイクニュースで今もマックをむさぼっていると私は信じている。

 

ケチャップドバドバステーキにしてもマックの話にしても大統領になってからオモテに出てきた話である。少なくとも70歳ぐらいの時にそんな食生活をこなしていたわけだから尊敬に値する。それでもアメリカ大統領という激務をこなしたわけだから凄い。

 

巷にあふれる健康的な食生活のススメみたいな話を無視してもまったく問題ないという“逆教科書”的な示唆に富んだ話だろう。偏食人生を歩んできた私にとってトランプさんの食生活の話を聞くと勇気が湧いてくる。

 



フィレオフィッシュの下のパンとダブルチーズバーガーの上のパンを外してドッキングさせる「フィレオダブチ」の美味しさをぜひトランプさんにも知ってほしいと願う。きっと彼なら強力な理解者になってくれるはずだ。いや、ひょっとするとあの邪道な組み合わせを編み出したのはトランプさんかもしれない。

 

家庭人を卒業してからの私の食生活はなかなかヒドいものだ。第一に好きなものしか食べない。ファストフードはもちろん、コンビニ飯もバンバン食べる。もはや全身が化学添加物で構成されている状態かもしれない。遭難して死体になっても防腐剤のおかげでいつまでも腐らなくて済みそうだ。

 

先日のベトナム旅行から帰国した際も、家に着いて最初に食べたのが吉野家の牛丼特盛だった。普通のオジサンなら海外から戻った直後はお茶漬けとか味噌汁とかでほっこりするのだろうが、どうも私の場合はヘンテコだ。

 

その日の夕飯はこれまたウーバーの宅配で「なか卯」を利用したし、翌日は朝からコンビニパン、それもタルタルメンチカツサンドという若者専用みたいなものを選んだ。その日の夜こそ蕎麦屋で鴨焼きとせいろ2枚というヘルシーメニューだったが、翌日からまた「ロクなもんじゃない」シリーズである。

 

朝からウーバーの宅配で2種類のドーナツとソーセージエッグマフィン、夕方はコンビニのおにぎりと袋麺の即席焼きそばだった。この数日間で食べた野菜は牛丼に入っているタマネギと蕎麦の薬味ぐらいである。

 

次の日の朝はコンビニのツナサンドとたまごサンド。ツナはマヨネーズだらけだし、たまごサンドはいまや毒物とも言われるマーガリンぶりぶりである。夜は銀座の料理屋さんでトリュフソースがたっぷりかかったゆで卵、ウニと卵黄とトリュフソースのグラタン、からすみビーフン、エビマヨにメンチカツである。

 




 普段はもう少しマトモな食事をしているが、旅行疲れを言い訳にこの週は私の日常の中でも特にヒドい食べっぷりだった。一応、毎朝サプリと青汁は飲んでいる。ついでに血圧やコレステロール対策の薬、血をサラサラにする薬も飲んでいるのでそれを免罪符だと思っている。

 

来年にはいよいよ還暦だというのにこんな食生活ではヤバいと心の中ではいつも感じている。でも改善に向けて頑張ろうと思うたびにトランプさんの顔が脳裏をよぎってしまう。

 

もし、このまま大過なく70歳ぐらいまで元気に暮らせたらそれはそれで画期的なことだ。その際には「食生活は健康と無関係」という学問というか流派でも立ち上げて教祖になってみるのもアリかもしれない。その時はトランプさんを勝手に名誉顧問にしちゃおうと思う。

 

 

 

 

 

2024年3月11日月曜日

ホイアンの夜


前回からの続きです。


古い街並み全体が世界遺産になっているベトナムの古都ホイアンはなかなか楽しいところだった。大事に保存されている歴史的建造物が集中的に固まっていて、それがカフェやショップとして活用されている。

 

ランタンの灯りが名物で夜になると中心地を流れる川の周りが幻想的な景色に変わる。どこを切り取っても絵になる街だと思う。

 




想像以上の観光客の多さに辟易としたがそれを差し引いても行く価値のある場所だと感じた。宿泊したのは一応五つ星の「ベルマリーナリゾート」。徒歩5分ぐらいで歴史地区まで行けるのが便利だった。

 




庭やプールも快適で広めの部屋を取ったので快適な時間だった。ベランダも巨大でタバコも吸い放題。のんびり過ごせた。ハノイもそうだが、ベトナム旅行の利点の一つがホテル代の安さだろう。12万円程度でちょっとしたホテルのスイートクラスの部屋が確保できる。

 

社会主義国家だけにサービスの質にちょっとビビっていたのだが、まったく問題なく皆さん親切で人当たりもソフトな印象だった。これから発展していくうちにスレてしまわないことを祈りたい。

 




円がすっかり弱くなってしまった今、ベトナムの物価の安さは実に有難い。20年ぐらい前まではアジアへの旅は財布に優しかったことを思い出した。世界的観光地ホイアンでもそんな傾向は同じ。観光客向けのキレイな高級レストランでも日本に比べれば3分の1程度の値段だった。

 

前回の更新でベトナム名物「フォー」があまり好きではないと書いたが、ホイアンの名物はフォーよりも「カウラウ」という汁なし麺。これは何度も食べた。

 




チャーシューが乗った和え麺である。タレが甘辛くフォーよりもしっかりした味付け。パクチーは混ぜずに上に乗っているだけなので簡単に除去できるのも良い。若い頃ならこれだけ食べていれば満足できそうな味だった。

 

ホイアン周辺の名物料理としてはこれ以外に「ホワイトローズ」と呼ばれる蒸し春巻き的なものと「揚げワンタン」があるとのことなのでそれぞれ食べてみた。

 




両方とも生春巻きに使われる例のライスペーパーがポイントだ。ホワイトローズは簡単にいえば蒸し餃子っぽい感じで、揚げ春巻きはそれこそ餃子チックな一品だった。つけダレの味が決め手だからそれ次第で印象は変わる。アジアっぽいタレの甘辛味が好きな人なら満足しそうな感じだった。

 

私はコメが大好きだが、あくまで粒感が好きなのでライスペーパーや米麺にはあまり興味がない。というわけでベトナム版チキンライスに関してはどこで食べても満足した。

 




シンガポールの海南鶏飯、タイのカオマンガイなどアジア各地にチキンスープで炊いた似たような一品がある。ベトナム版もかなり美味しかった。聞くところによるとこのスタイルのチキンライスはベトナムではホイアンが本場だとか。確かに鶏肉の旨味、ご飯の味加減も納得の逸品だった。


その他はベトナム名物のバインミーと呼ばれるサンドイッチにもトライしてみた。フランスの植民地だった名残りの料理でフランスパンの中にアジアっぽい味付けの肉各種と野菜を挟んで味わう。


フランスパンがそれ用なのか、意外に固くないので見た目以上に食べやすかった。帰国後にこの画像を撮った人気店の情報を見ていたら、昨年、集団食中毒事件を起こしていた店らしい。知らずに食べて幸せだった。




東南アジア方面に行ったら欠かせないのがマンゴスチンだ。何でも揃うわが国でもこれだけは気軽に味わえない。見つけても1個が200円、300円という法外な値段だ。

 

アジアでは1キロ(20個ぐらい)で数百円で買えるし、そこら辺の道端で簡単に買える。ホイアンでも同じ。天秤棒を担いだオバサンからも買える。今回も露天で買ってホテルの冷蔵庫で冷やして朝食ビュッフェ会場に持ち込んでモリモリと食べた。

 




私にとって東南アジアはマンゴスチンとスイカジュースとマンゴシェイクである。ヘンテコな表現だが、これら抜きに旅は出来ないと言っても大袈裟ではない。今回も暑い日にはスイカジュースやマンゴシェイクで生き返った。

 



魅惑的なホイアンだが、想像以上の人の多さには驚かされた。それこそ世界中からの観光客で溢れかえっていて、ランタンが灯り始める直前の夕方には歩くのも大変なほどだった。


コロナ禍の頃が嘘のように世界中の人々がノーマスクでワイワイ楽しんでいる光景はそれだけでインパクトがあった。いろんなウイルスが飛び交っていたはずだが、帰国後数日経っても体調はバッチリだから「コロナも遠くなりにけり」である。

 



陽が落ちるとホイアンならではの眺めに癒やされる。なかなか他では見られない光景だろう。人の数こそ多いものの独特な情緒を味わえた。日本から近いところにこんな「ムーディーなアジア」?があったことを実体験出来ただけで行った甲斐があったと思う。

 





ホイアンを目指すならハノイまで直行便で飛んでそこから国内線で1時間のダナンを経由するのが便利だ。日本からハノイまでは行きが5時間半、帰りは何と4時間ちょっとだった。


その昔マメに通ったバリ島までは10時間ぐらいかかったからそれに比べればやたらと安近短である。オススメだと言えます。




2024年3月8日金曜日

ベトナムの旅


 

ベトナム旅行に行ってきた。娘との二人旅である。娘の大学卒業記念という名目である。貯まりまくっているANAマイルを使って無料航空券がスムーズに取れたベトナムが目的地になった。

 

これまで40近くの国や地域を訪ねてきた私にとってもベトナムは初訪問の地だ。中年になってからは横着になって知らない土地に行く機会が減っていたから結構ワクワクしながら出かけてみた。

 

行き先は首都・ハノイとダナン経由での古都ホイアン。世代的にハノイだダナンだと聞くとベトナム戦争をイメージしてしまう。若い頃にベトナム戦争関連映画を見過ぎたせいかもしれない。

 

首都ハノイに着いたのは夜の11時過ぎ。ホテルに向かう道から見える街の景色はとにかく暗い。首都とはいえ夜の12時近くになると開いている店などほとんど無い。社会主義国っぽさを痛感。

 

ホテルは旧市街に近い「デユ・パルク」。旧日航ホテルだとか。暖房便座にウォシュレットまで付いていたのと室内喫煙OKというあたりが日系の名残り。

 

朝食ビュッフェの評判が良かったのもこのホテルを選んだ理由の一つだ。品数豊富で真っ当な日本食もあったし、麺コーナーではベトナム名物「フォー」も作ってくれる。

 




ベトナムのグルメ代表みたいなフォーだが、実は私はこの麺があまり好きではない。今回もホテルの朝ビュッフェでアリバイ?のように食べただけだった。きっと米の麺が今ひとつ口に合わないのだろう。

 






ハノイ旧市街はフレンチコロニアル様式の古い建物が立ち並び独特の風情を醸し出していた。アジアの様々な国を旅してきたがこの街の雰囲気は他のどこの都市とも似ていない。やはり知らない場所の見知らぬ景色にキョロキョロすることは旅の醍醐味だと感じた。

 

「ベトナムっぽさ」を感じる独特の景観を見るたびにコロナ禍ですっかり錆びついてしまった旅情に浸る感覚が甦ってきて、元気なうちにもっと旅に出ようと気持ちを新たにした。

 


チャリを使った人力車「シグロ」にも乗ってみた。二人で乗るとさすがに重いのだろう。感想はただただノロい。早足で移動したほうがマシかもしれない。でもノンビリと街中を見ながら進む時間はなかなか味わえない体験だった。

 

ベトナム名物の一つが「エッグコーヒー」だと聞いてこれまた初体験してみた。ベトナムのコーヒーはコンデンスミルクを入れるのが定番らしく、どこで頼んでもちょっとこってり風味だ。そんなベトナムコーヒーに卵黄まで入れちゃったのがエッグコーヒーである。

 




卵黄とコンデンスミルクを泡立ててコーヒーに入れるスタイルだ。聞いただけで気持ち悪い。でも飲んでみると案外ウマい。コーヒーというよりスイーツに近い感覚だろうか。味はちっとも気持ち悪くない。でもナゼか飲んだ後しばらくするとちょっと気持ち悪くなった。

 

ベトナム滞在中、何度も違う店でエッグコーヒーを飲んだが、そのたびにちょっと気持ち悪くなった。でも不思議と中一日開けばまた飲みたくなる謎の飲み物だった。

 

ハノイからダナンまでは国内線で1時間ちょっと。ダナンは「伸びゆくアジア」を感じさせる高層ビルもチラホラあって近代的なイメージだ。ダナン近郊にもリゾートがたくさんあるのだが、今回はダナンからクルマで小一時間の距離にある古都ホイアンに滞在した。

 




ダナンでは戦争博物館を見学したり賑やかな街を散策して市場を覗いたりした。ダナン周辺も空港から至近距離で便利だが、個人的にはダナンに滞在するよりホイアンまで移動したほうがベトナムっぽさを堪能できる気がする。

 

今の季節のベトナムは本来は夏の始まりでしっかり暑いはずだったが、旅の前半では季節外れの寒い日が続いた。後半は南国的暑さになってスムージーやらスイカジュースやら現地のビールをグビグビ飲んだ。

 



私が気に入ったのがサイゴンビアの「スペシャル」という銘柄。スッキリ爽やかで歩き疲れて乾いた喉に何とも心地良い味だった。軽さの中にもキレがあって近所で売っていたら買い溜めしたいと思ったほど。

 

長くなってしまったので、ホイアンの話と食べ物の話は次回の更新で書くことにする。

 

 

 

 

2024年3月6日水曜日

今日も過去モノ

 今日も更新できなかったので過去モノです。金曜から通常頻度の更新に戻る予定です。


一盗二婢三妾四妓五妻

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/09/blog-post_16.html


枯れる

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/06/blog-post_15.html

2024年3月4日月曜日

アーカイブ

 旅行に出ていて更新が追いつかないので過去モノを2つ載せます。


止まり木の人

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/07/blog-post_6.html


魯山人

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/08/blog-post_24.html




2024年3月1日金曜日

一気見の楽しみ


自転車で大転倒してまもなく1ヶ月。ほぼ普通に戻ったが、膝の裏に痛みが残っていて勢いよくしゃがむような動作がまだ出来ない。骨が無事だったから良かったが、やはりちょっとしたケガでも不便になる。健康の有難みを痛感中だ。

 

というわけで、脚の不調もあったせいでここ最近はすっかりテレビっ子になってしまった。テレビっ子という言葉自体すでに死語になった。私が今日書くのもネット配信モノがほとんどだ。

 

リアルアイムでテレビを見る機会はめっきり減った。いま楽しく見ているドラマ「不適切にもほどがある」と木梨憲武がもうすぐ死んじゃうお父さん役で出ているドラマもともに録画して見ている。

 

何かと話題の「不適切にも・・・」では喫煙シーンがバンバン出てくるが、あれはすべてCGで煙を出して演者はタバコを吸っていないそうだ。どうにも窮屈でイヤな時代になったものだ。

 

このドラマで主人公の娘役を演じる女優さん(河合優実)が気になってネットで調べてみたら昨年、NHKBSプレミアムドラマで主演を努めていたらしくさっそくNHKオンデマンドで見てみた。

 



「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」という実話ベースのドラマだ。一気に10話を見てしまった。感激してちょっと泣いた。

 

主人公の女性が中学生から大人になっていく姿を描いた作品だが、まず中学生の時に父親が突然亡くなる。その後、高校生の頃に今度は母親が車椅子生活になる。もともとダウン症の弟もいてまさにシッチャカメッチャカな家庭だ。

 

世間からは「あの家は可哀想」と単純にみなされることに違和感を感じた主人公は面白おかしい日常をSNSで発信してバズりまくる。福祉の現実など難しくなりがちなテーマが軽やかに描かれていて実に素晴らしいドラマだと感じた。

 

ダウン症の息子を持つ私もいろんな場面で「あるある、それ」と笑い「まるでその通りだ」とホロっときた。出演している俳優陣も皆さん実に良い演技でNHKBSじゃなければ制作できない“深度”のある名作だと感じた。

 

連ドラを一気見するのはかなりエネルギーが必要だが、一気見するからこその面白さも堪能できる。昨年大ヒットした「ブラッシュアップライフ」というドラマにも感動させられた。

 

バカリズムが脚本を書いて昨年数々の賞まで取りまくった人気ドラマだそうだ。まったく知らなかった私も見終わった今は「ドラマの革命」と称したくなるほど感銘を受けた。

 



思いがけずに死んじゃった女性が人生を何度もやり直しながらグイグイ成長していくストーリーだ。そう書くとちっとも面白くなさそうだ。でも実際は物凄い展開が続くから、未体験の人にはそれこそ10話を一気に見ることをオススメしたい。

 

バカリズムの脚本ということで単なるコメディーかと思いきや、とくに後半からはお涙頂戴的な話も盛り込まれていて実に深い内容になっていた。若い頃に脚本家になることを憧れていた私からすれば早々にそんな無謀な夢を捨ててよかったと心底感じた作品だった。これからはバカリズムを尊敬して生きていこうと思った。

 

脚のケガのおかげで「一気見癖」がついたきっかけは、その昔の法廷ドラマ「イチケイのカラス」。竹野内豊が型破りな裁判官役を演じる人気作品である。関連映画やスペシャルドラマも全部見てしまった。

 

「監察医・朝顔」もシーズン110話を一気見した。時任三郎は若い頃より枯れた味が出てきた中年以降のほうが魅力的に感じる。

 

ネット配信専門ドラマとしてはNetflixオリジナルの「サンクチュアリ 聖域」も面白かった。不良少年が相撲の世界に飛び込んで激烈な青春を過ごすストーリーだ。こちらもほぼ一気見。民放ドラマとは異質の面白さだった。

 

その他、映画を見そびれて後悔していた「沈黙の艦隊」がAmazonプライムのオリジナルドラマとして連ドラ形式で公開されたのでこれまた一気見した。

 


普段、漫画を読まない私だが「沈黙の艦隊」は前半の10巻ぐらいは読んだ記憶がある。壮大なスケールの話だけによく映像化出来たものだが、CG全盛の今だからこそ迫力ある作品に仕上がったのだろう。大沢たかおはタイムスリップ医療ドラマ「仁」の時から好きな俳優だが、中年になって渋みが加わって結構ホレてしまった。

 

「ドラマ一気見」が私の新たな趣味になりそうだ。最近やたらと眠くて仕方がないのはそのせいかもしれない。

 

ちなみにその他の一気見向けのオススメは3年ぐらい前にWOWOWオリジナルで放送された「華麗なる一族」だ。15年ぐらい前に民放でキムタク主演で制作されていたが、個人的にはWOWOW版のほうが面白かった。

 

昭和の高度成長期にのし上がっていくグループ企業を経営する一族の話だ。切ない親子の葛藤がウリの山崎豊子原作の古典的名作である。キムタク版では父親役は北大路欣也、WOWOW版は息子が向井理、父親役は中井貴一。

 

昭和の名作ドラマ「ふぞろいの林檎たち」でひ弱な大学生役だった中井貴一がそんな役を演じる歳になったのかと思うと感慨深い。

 

上で書いた時任三郎もそうだが、佐藤浩市や中井貴一といった面々がすっかり大御所になってきたことが何とも不思議な気がする。私がそれだけ歳をとったことに他ならない。それはそれでビミョーだ。

 

よく分からない結論になってしまった。