2007年12月28日金曜日

ALWAYS 続・三丁目の夕日

昭和30年代の日本人の姿を描いた大ヒット映画「三丁目の夕日」。続編を見た。吉岡秀隆演じる売れない小説家・茶川が、ひょんなことから一緒に暮らし始めた淳之介と親子以上の絆で結ばれている部分が物語の中心。

これから見る予定の人は、ここから先は読まない方がいいです。

淳之介の実の父親は、成功を収めた企業経営者。自分の跡取りにするため淳之介を連れ戻しにくる悪役として前作に引き続き重要な位置付け。

茶川はオンボロの駄菓子屋を営み、その向かいには堤真一・薬師丸ひろ子演じる自動車整備工夫婦が住んでいる。この三丁目近辺は、まだ道路の舗装も終わっていない豊かとはいえない世界。そこに運転手付きの車で乗り付ける淳之介の父親は、どうしたって悪者イメージ。

茶川との暮らしを選ぶ淳之介。父親は茶川に忠告する。「この子に人並みの生活をさせられないようなら次こそは連れて帰る」。

茶川は必死に小説に打ち込み、文学賞の受賞目前まで行くが結局落選。父親はまた淳之介を連れ戻しに三丁目にやってくるが…。

まあこういう展開に小雪扮する訳ありの美女も絡んで、面白おかしくストーリーが展開される。

今回、淳之介の父親に妙にシンパシーを覚えた。上昇志向の無さをなじり、高いレベルでの教育を説き、時代の趨勢を読んでいる役まわりの彼の発言は、三丁目の住人に対してひとつひとつが嫌みであり憎まれ口でしかない。

住人達からは帰れコールを合唱されるし、立ち去ったあとは「塩をまけ」と言われる存在。でもいちいち彼の発言は正論であり、人情話ばかりで世間の荒波を渡っていけないことを体現している存在でもある。

文学賞を受賞するための工作を持ちかけた男が詐欺師だったことが発覚した際、なけなしの金をくすねられて唖然とする大勢の住人達を前に彼はピシャリと言う。「低級な人間だからそんな低級な詐欺に遭うんだ」。まさに正論だ。向上心を持って強い自負心を持っていなければ言えないセリフだろう。

「金より大切なもの」云々にこだわる三丁目の住人達。そのくせ詐欺師がでっち上げた文学賞の受賞工作に金を注ぎ込む幼稚さは、彼の思考では、理解できるはずはない。

実の息子を連れ帰りたいという願いは息子を救いたいという使命でもあるわけだ。かといって、徹底的に「低級な人間達」を嫌悪しきれていない人間性がチラッと覗くところがいい。

クライマックスで、訳あり女が突然、茶川と淳之介の前に戻ってきて感動の再会となると、父親は、子どもの引き渡しに合意した茶川に背を向け、まさに空気を読んで黙って運転手を促して立ち去る。単にドライすぎる男として描かれていない点が、それこそこの映画の主題である「昭和の日本人像」とリンクして象徴的なシーンになっている。

出たとこ勝負のように暮らす三丁目の住人より、私はその後の父親の人生が見てみたい。

大ヒット映画「踊る大捜査線」が、登場人物ごとにスポットを当て直す、いわゆるスピンオフの関連作品を次々に出しているが、
三丁目の夕日もシリーズ化して、ぜひアノ父親を主役にしたスピンオフ作品を作ってもらいたいものだ。

2007年12月27日木曜日

熱海大観荘


また行ってきました。大観荘。今年5回目。いまどきのモダン和風とは異なる落ち着いた感じに癒される。

とりたてて豪華でもなく、きらびやかでもないが、随所に「安定感」が漂う。本館と別館をつなぐ渡り廊下の風情が良い。そこから見える庭園は、ちょっとやそっとの時間では成し得ない風流な景観。松の木の佇まい、静謐な池、その向こうに広がる海の眺めが非日常感を演出してくれる。

料理も奇をてらったところが一切なく、正統派の逸品が揃う。まさに安心と安定。朝食がまた絶品。自家製の干物はいつ行っても満足できる水準。定番の茶碗蒸しは拍手したくなる味。味噌汁も無言になってしまうほど抜群。生たらこ、佃煮、漬け物、小鍋仕立ての湯豆腐など書き連ねるとわかるが、意表を突いたものは何もないが、それら定番ばかり揃えた上で客を唸らせるのだから率直にその誠実な仕事ぶりを賞賛したい。

シティホテル戦争の一方で、日本旅館が見直されている。超高級路線の宿がアチコチで高い評判を呼んでいる。もちろん、一泊6万も7万も出せば欠点など無くて当然。良くて当たり前の世界だ。逆にそうしたクラスの宿だと、宿を評価したくても自ずと減点法になってしまうのが人間のサガだ。普通なら許せる点、気にならない点までもがイライラの対象になる。

それとは別に、一泊5万円以上の宿ともなると、どうも気安さが希薄になり、お客はもちろん、受け入れ側にも妙な窮屈感があったりする。ノンビリ癒しを求めて投宿したのに居住まいを正して肩が凝ってしまうようでは意味がない。その点、大観荘は、妙な安心感があって実にくつろげる。極端に高級路線ではなく、かといって大衆路線では決してなく、まさに「いい加減」だ(あくまで個人的な趣味だが・・・)。

欠点も書いておかないと宿の回し者みたいだから、とりあえず書く。増築を重ねてきたがゆえの問題がひとつ。動線がかなり悪い。バリアフリーには完全に逆行している。多分、始めていった人は部屋によっては、大浴場との行き来などで迷子になるはず。

飲食店の感想と同様、旅館の感想など個人的な嗜好で決まる。ライフスタイル、日頃の行動、食べているもの、その時の精神状態などなど。このブログの右側にプロフィール欄があるが、それに共感できる人はきっと気に入る宿だと思います。

2007年12月26日水曜日

バリ島のホテルその2

「ミンピリゾート・ムンジャンガン」。
バリ島の北西にある国立公園エリアにムンジャンガン島というダイビングの有名スポットがある。その対岸に作られたリゾートがここ。バリ東部の有名ダイビングスポットそばに小洒落たリゾートを成功させたミンピリゾートが展開しているため、ダイバー向けの設備はもちろん上等。ただダイビング目的でなくても充分に快適な時間が過ごせる穴場リゾートだ。

なんといっても天然温泉が湧いている点が特徴。コテージによっては、プライベートプールに加えて、硫黄の臭いたっぷりの天然温泉露天風呂が設置されている。風呂の横にはバレブンゴンというバリ独特の東屋も用意され、海で遊んで冷えた身体を温泉で温めてから、東屋にごろんと転がってビールをグビグビすることが出来る。寝室自体は大きくないが、自分専用のプール、露天風呂、東屋を占有できる快適さは居心地抜群。空港から車で4時間近くかかることが難点だが、長期滞在可能なら何日間かはこんな場所に陣取るのもオススメだ。

「アリラ・マンギス」。
以前は「セライ」として知られていたバリ東部のチャンディダサ地区にある快適なリゾート。空港からの距離は約1時間半。周囲に雑踏はなく、ホテル内に閉じこもって過ごすことになりがちだが、レストランのレベルが高く、充電を目的にするような旅行には最適。通常の部屋は恐ろしく狭く、スイートを選ばなければ快適さは期待できないが、スイートといっても、日本のちょっとしたシティホテルのせせこましい部屋程度の価格なので、行かれるのなら絶対スイートを確保することが肝心。

敷地内のデザインも洗練されており、プール周辺には目に鮮やかな芝生が敷き詰められ、流れる時間もどことなく緩やか。トゥガナン村という原住民集落が車で10分程度の距離にあるのも魅力。この村がバリ雑貨の代表であるアタの産地。水草の蔓で編み込んだバッグやかご類のことだが、主要観光地の土産物屋ではめったに置かれていない大型サイズの製品が豊富。私はここで自宅のインテリア用に巨大商品をいくつも買い込んで船便で送った。


「ザ・レギャン」。
バリの人気エリア・南部リゾート地区の中でも洗練度の高いスミニャック地区にある大人気リゾート。70室程度の客室数の割には大型規模である理由は、全室スイート仕様であるため。90年代半ばに登場したこのホテルが、その後のアジアンリゾートの躍進に大きく影響した。

バリの伝統的な意匠をモダンにアレンジしたインテリアや調度品はどれも格好良く、天井や床のデザインひとつとっても単なる高級感だけではないセンスが感じられる。スタッフも優秀で、このホテルで働いていること自体が業界人にとっての優越感になっているようだ。

「昔からのバリっぽさ」はないが、「モダンになって世界的リゾートになったバリっぽさ」を象徴している。伝統芸能のガムランの旋律よりジャズが似合うような雰囲気なので、客層もおのずと他のリゾートとは異なる。ヨーロッパの同性愛者が多いという噂もよく聞くが、裏返せば、やたらとお洒落な連中に好まれているハイセンスなホテルという見方も出来る。

海外旅行慣れ、というかリゾート慣れした人には居心地の良いホテルだろう。Tシャツ、短パン、ビーサンの3点セットしか持参しないような人や、ゴルフウェアオヤジとかは行かない方が無難。

「イバ」
ライステラスで有名な高原エリア・ウブドにあるお洒落なブティックリゾート。部屋の作りはさまざまだが、田園風景を眺めることができれば、のどかな夕暮れ時などは実に癒される。全体にこざっぱりした印象のホテルで、カジュアルすぎず、かといって凛とし過ぎるほどでもなく、ポワンとした時間が過ごせる。

海水を満たしたプールの造りもありきたりなデザインではなく、プール脇には壁をくりぬいたような穴蔵風休憩スペースなんかもあり、女性受けは最高だろう。ウブドの繁華街まで歩ける程度の距離にあることも好材料。ホテル周辺をあてもなく散策すれば、田園地帯ののどかな農作業風景なども簡単に見られるし、どこかホッとする。

きりがないので以下はひと言コメントにしたい。

「ピタマハ」・・・ウブドエリアの隠れ家系リゾート。渓谷の斜面を上手に利用した作りだが、その分、歩きにくく、移動のたびに疲れた印象がある。レストランの雰囲気はかなり上質。

「ザ・ラグーナ」・・・シャラトンラグーナから改称。敷地内は水の宮殿のようにプールだらけで家族向けには間違いのないホテル。

「エメラルドトランベン」・・・おそらくダイバー以外は行かないトランベンという東部エリアにある隠れ家。日本人経営で開業。日本式の露天風呂が結構快適。朝食は部屋のべランダにおにぎりと味噌汁を持ってきてもらうことが出来た(現在は不明)。

「インドラウディヤナ」・・・東部アメッド地区の中規模リゾート。部屋は暗く、虫も多く、エリア内では高級だが、客層はヒッピー風の欧米人が多かった。

「ザ・ヴィラス」・・・スミニャック地区の別荘系ヴィラ。私が親兄弟家族を引き連れて渡バリした際に選んだヴィラ。独立した寝室が3カ所に巨大なオープンエアのリビングスペース、しっかり泳げる規模のプライベートプールが用意されたまさに別荘。レストランがなかったこと(近隣にはいくつもお店がある)と至れり尽くせりのホテルサービスがない点が少し不便だが、隠れ家感は抜群。

「ソフィテル・スミニャック」・・・ロイヤルスミニャックと称している頃に滞在。元々は日本の帝国ホテルがインペリアルバリとして開業した高級リゾート。何より立地がいい。全体に作りは重厚感があってやや暗い雰囲気だったが、庭園の感じやプール周りの様子は落着きがあって快適だった。フランス系のリゾートになって明るいトーンになったらしい。だとしたら、オンザビーチの立地、繁華街への距離、空港との距離などを総合的に考えると穴場といえる。

これ以外にも変なホテルにも泊まったが、あまり人様の参考にならないようなところは割愛した。

老若男女、ファミリー旅行、新婚旅行、不倫旅行、ひとり旅・・・、どんな状況でも楽しめるバリの魅力をもっと大勢の人に知ってもらいたい。

2007年12月25日火曜日

バリ島のホテルその1

学生時代から始めたダイビングのおかげで。世界中の海を覗いてきた。いま思えばエジプトやカリブ・中米方面などにも行ったのに、大半の時間を水中探索に費やしていたことが悔やまれる。陸上の記憶が少ないのが残念。

10年以上前、世界の航空会社が次々に全面禁煙にしていくなかで、最後まで喫煙OKだったのが、アジア路線。そのせいで、東南アジア方面に出かけることが多くなり、なかでもバリ島には、妙に惹かれて、数え切れないくらい出かけた。

「アジアンリゾート」という表現がすっかり定着したように、バリでもリゾートの快適指数は高い。以前、このブログでもアマンダリとアマンキラのことを書いたが、それ以外のリゾートホテルをいくつか紹介したい。

「トゥグ・バリ」。ここはバリ島の西側、夕日で有名なタナロット寺院に近いチャングービーチというエリア。インドネシアのアンティーク好きな富豪が作ったブティックホテル。アチコチにインドネシア周辺の骨董品が並べられ、ガイドブックでは、美術館などという形容詞が使われているが、実際に泊まってみると、おばけ屋敷チックな印象が強い。ホテル内に決まったレストランは無い代わりに、ホテル中のどこにいても本格的な食事を提供してくれる。客室以外のスペースがどこも絵になる作りなので、こうした試みは面白い。アフタヌーンティーのサービスも、豊富な種類の紅茶が用意され、お菓子も毎日さまざまなものがバイキング形式で並び、結構優雅な気分になる。でも霊感が強い人ならきっと敬遠しそうなホテルだ。

「SACRED MOUNTAIN SANCTUARY RESORT」。ここは異色。島の中央部山岳地帯にある不気味なリゾート。プライベートプール付きの2階建て一戸建てコテージが1泊150ドルぐらいだったので、ダイビングの移動の際に試しに泊まった。

コテージは高床式住居風、屋根と壁の間は構造上すき間が空いており、竹で組まれた床も、ところどころ地面が覗いている。エアコンは無い。夜はやることがないので天蓋付きのベッドの蚊帳の中で、本を読んで過ごした。気付いたら蚊帳の外側は読書灯を目指してきた虫で一面おおわれている。蛾やカナブン、カミキリ系の見知った顔ぶれ以外に、日本の図鑑には載ってなさそうな得体の知れない虫が変な羽音を立てながら「蚊帳の中に入れろ」とばかりにうごめいている。一晩中、ベッドから出られなかったことは言うまでもない。

明け方、寒くて目が覚めた。虫はだいぶ減っていたが、枕やベッドがぐっしょり濡れている。原因は朝露。川のそばの森にほとんど野ざらしでいるわけだから、朝露攻撃も半端ではない。二度寝は出来ずに薄ぼんやりとした明け方の森を眺めていたら、神秘的な光景に出会った。一本の大木から真っ白な鷺のような鳥が次々と飛び立っていく。活動開始の時間なのだろうが、一斉に飛び立つのではなく、一羽ずつ規則正しく同じ方向に飛んでいく。3~4分ぐらい続いただろうか、すべてが飛び立った後は、すっかり朝日が昇っていた。

大きめで快適なメインプールにも人はいないので昼間の時間帯は、虫や朝露のことも忘れてくつろげる。ただ。想像以上に標高が高く、物凄く早く日焼けしてしまって困った記憶がある。

チェックアウトの際、ホテルのマネージャーに客層を尋ねてみた。ヨーロッパからのヨガ愛好家が中心だという。それもいわゆるスピリチュアル系らしい。話の種としては画期的なホテルだった。

お次は「バリハイアット」。国策としてリゾートエリア開発が行われたヌサドゥア地区にグランドハイアットが存在する関係で、サヌール地区にある老舗「バリハイアット」は、日本人観光客に見逃されている。

バリの大型リゾートは施設内の樹木や花の彩りが素晴らしいが、バリハイアットのそれは、長い年月がもたらした熟成という点で、他のリゾートよりも格段に勝っている。

旅行ガイドなどは、新規オープンのリゾートこそ最高といったノリで取り上げるが、熟成こそがホテルの質を決めると思っている私にとって、「古くても随時リノベートされている老舗」は非常に魅力的。バリハイアットはまさしくそんな感じ。ホテルスタッフもベテランのオジサンが多く、イケメンビーチボーイ風のウェイターとかは皆無。私にとってここは「バリの中の熱海・大観荘」である。

通常の客室は、古いだけに専有面積が狭い。スイートを選べば最先端リゾートのそれより遙かに安いので、バリのリピーターにはとくにオススメ。

そして、「リッツカールトン・バリ」。南部エリアを代表する大型高級リゾート。日本人が大好きなホテルであり、間違いのない快適さ。リゾート内のどこにいても高級感があって絵になる。ホテル内物価は高いが飲食店のレベルは高い。総合力ではトップクラスだろう。今回つけた写真はリッツカールトンバリのメインプール。

長くなったので次回に続編を書くことにする。

2007年12月21日金曜日

壺中の天

陶器が好きな人にとって特別な言葉が「壺中有天」。壺中の天ともいわれるが、要は「壺の中は別世界」という話。徳利もそうだが、壺の口部分が小さいと中がのぞけない。だからこそ、そこにある別世界に行ってみたい感覚にとらわれる。

壺中の天の話は中国の故事からきている。露天商の老人が店じまいを終えると、するりと店先にあった壺の中に消えた。それを見ていた役人が翌日、老人に頼み込む。自分も連れて行ってくれと。一緒に壺の中に出かけてみると、そこには素晴らしい宮殿があり、老人から例えようのない歓待を受けたという話。

どんな境遇にあっても、他人には分からないその人だけの別世界を持っているとか、誰もが見かけからは分からない境地に達しているとか、解釈はさまざま。

私としては、自分だけの内緒の世界を持っていれば、どんな状況にあっても世俗のしがらみから解放されるという意味合いで捉えている。実に気持ちのいい言葉だ。

さて壺の話。徳利を集めていて、そのフォルムに魅せられていると、酒を注がない時でも掌でもてあそぶようになる。酒なしでも愛玩対象になってくるわけだが、そうするとデカい逸品にも目が行く。そこで壺の登場だ。酒器を集める際は、骨董より現代作家の作品が好きな私だが、壺となるとなかなか現代作家の作品に好みのものが見つからない。

高さ40~50センチほどのサイズの壺は確かに今の生活スタイルでは実用性に乏しい。陶芸家もあまり作らない種類で、仮に作っても、ちょっと作為が強くなる作品が多い気がする。「どうだ!」みたいな力強さを感じるが、どうにも、さりげなさが足りないものが多い。

その点、骨董品のなかには手ごろな価格で実に清々しい壺に出会うことが多い。もともと種などの保存目的に実用一本で作られてきた経緯があるため、たたずまいが実にさりげない。作った側もその壺が鑑賞されるとは思っていないわけで、必然的に質実剛健的力強さも備わっている。

器肌の豪快な変化が特徴の信楽の名品ともなれば、ウン百万円という金額を出さねば買えないが、その他の古窯であれば、グッと安く入手可能だ。

自宅の酒呑み専用部屋に鎮座している私のお気に入りは越前焼の古壺。一発でフォルムが気に入って手に入れた。器肌の変化は大したことないが、全体の丸味が妙に優しげで見ていて飽きない。業者は室町頃の古越前と断言していたが、購入金額から考えるとちょっと眉ツバものだろう。でも江戸中期ぐらいの逸品ではないかと勝手に決めつけて悦に入っている。

古い壺は、備前、信楽、丹波、常滑あたりを産地として大量に流通している。ただ、サイズと口部分の形状によっては、骨壺に使われていた可能性も高いため、なかなか厄介。さすがにどなたかの骨壺を肴に酒を飲むのは勘弁だ。本当はそんな心配をしないためにも現代作家の大壺を入手したいが、いまのところ自慢の古越前を凌ぐ作品に出会っていない。

小型、中型、大型といろんな壺を手に入れたが、眺めていて飽きないものはごくわずか。結構な数を人にあげてしまった。

江戸中期のものとの触れ込みで手に入れた古丹波の壺も、しっくりこなくて玄関先に放置している。今では傘立てに格下げしてしまった。結構富豪みたいな使い方かも知れない。

2007年12月20日木曜日

タコ社長が怒る税制

昨日、役員給与に関する変な税金の話を書いた。今日も続きを書きたい。

役員に支給する給与は損金にできないというおかしな原則をクリアする方法のひとつが「定期同額給与」。これは1か月以下の一定期間ごとの支給で、その都度支給額が同額であれば、その役員給与は損金にできますよという制度。

大半の企業は、この規定によって役員給与を当然のように損金にできる。月給100万で年間1200万といった綺麗に収まるケースであれば、経費性に問題ない。一見、なんてことなさそうな決まりだが、実際の中小企業経営においてコトはそう簡単に運ばない。

寅さんに出てくるタコ社長を考えればよく分かる。いつも資金繰りでピーピーの朝日印刷のタコ社長。安定した資金繰りとはほど遠い状況だ。タコ社長も経営者のはしくれ、さくらの旦那・博さんをはじめとする従業員の生活維持に腐心する。映画でそんなシーンはなかったが、博さん達の給料を遅配したりカットすることになれば、当然、それより先に社長である自分の給料をなんとかするだろう。遅配や減額。中小企業のオーナー社長にとって身近な話だ。

タコ社長が、ある時期、自分の給与を2割でも3割でもカットしたり、ある1か月分だけ返上したとする。この場合、税務上は「定期同額給与」に該当しなくなり、その他の月の分も含めた1年間の社長給与が朝日印刷にとって損金にならないという仕組み。これって変じゃない?

実際の世界では、減額分や遅配分を経理上「未払金」で処理し、事業年度内で辻褄を合わせようという動きが盛んらしい。そうでもしないとレッキとした役員給与という純粋な費用が税務上の経費にならないという状況は不自然極まりない。歪んだ制度といえる。

一応、例外規定もあり「経営の状況が著しく悪化」すれば、減額改定しても役員給与を損金にして良いとされている。ただ、「著しい悪化」という定義が不明であり、タコ社長の場合を考えても分かるが、慢性的に資金繰りに躍起になっている会社にとっては救済策にはならない。

この定期同額給与という規定、そもそも昨日のブログで書いた事前確定届出給与とセットで登場した。昨日も書いたが、事前確定届出給与は、「役員賞与も損金にできますよ」という鳴り物入りで導入された制度。
この2つの制度の関連をうがった見方で解説すれば次のようになる。

「役員賞与を損金にできるようにしてあげたのだから、月々の給与に関する取扱いは、これまでよりカチっと整備しますよ」といったところか。アメとムチのような論法だが、フタをあけたら、役員賞与を損金にすることなど普通の中小企業には至難のワザ。結局はムチとムチの構図が完成したという薄ら寒い話。

「一度決めた給料は変わらないのが普通」。役人の発想として本当にそう信じているのなら結構驚く。

2007年12月19日水曜日

変な税制 役員給与

中小企業にとって変な税制は数あれど「役員給与の損金不算入」制度は、民間の実態をまるで分かっていない人間が作ったと断言できるものだ。

税制上は、役員報酬は損金にでき、役員賞与は損金にできないというのが以前の大原則だった。平成18年の税制改正でこれが大きく転換、報酬も賞与も「役員給与」として一本化され、あくまで原則は損金不算入の支出という位置付けにされた。

役員給与は原則として損金にできないという発想自体が物凄いが、まあそこは大原則。問題は、限定的に損金にできることが認められた条件の中味だ。

平成18年改正の目玉だったのが、「役員賞与も損金にできるようになりました」というもの。これは「事前確定届出給与」という内容で、読んで字のごとく、基本的に事業年度開始から3か月程度の間に所轄税務署に対して支給額や支給時期を届出ておけば、従来は損金にできなかった役員賞与も損金にできますよという規定だ。

「役員賞与も損金にできる」という字ヅラだけ見れば画期的だが、事業年度当初までに「事前」に「支給額や支給時期」までも税務署に「届出」しないとダメという構図である。

一般的な役員賞与とは、業績の結果に応じて支給が決まるものであり、事業年度初めに決められる性質のものではない。つまり、「役員賞与が損金にできる」という表現は、厳密に言えば正しくない。役員賞与をどのぐらい出せるかを期首から分かっている会社など考えにくい。

強いていえば、これまで月間給与の14か月分の年俸制で、月間給与とは別に夏と冬に1か月分づつ支給するような形態をとっているケースに使える制度という話だ。

税務専門紙を発行している立場で、いまさらこんな見解を書くことは正直心苦しい。ウチの紙面にも「役員賞与も損金に!」といった短絡的な記事が載っていた。細かな規定が整備されていくうちに「アレレ」は強くなっていった。

でも改めて思う。上記の制度が誕生した際、財務省も国税庁も「役員賞与だって損金にできるようになったのだから画期的なこと」という趣旨の自画自賛を繰り広げていた。あの主張は、いわゆる“おためごかし”的な方便だったのか、それとも本当にそう思っていたのだろうか。

仮に「役員賞与を損金にできるようにした」と本気で思っていたとしたら、民間の実情をあまりに知らない。役員賞与は、日々変動する業績の積み重ねで生まれる性質のもので、事前に決められるほど安定している会社など中小企業の世界には珍しい存在だろう。

ちなみに「事前確定届出給与」を適用した会社が、業績低迷で、決めていた支給額をほんのちょっとでも減額したら、そのすべてが損金にならないのだから、救いようがない。

「どんなことがあっても、何が起きようとも確定している支給額」なんて給与の世界にあり得るのだろうか?。思わず考え込んでしまう…。おっ、あったあった!公務員の給与だ。人事院勧告をもとに細かい額までびしっと決められているお役人の給料は確かキッチリ確定したまま変動しなかったのでは無かろうか。

役人の発想でしか出てこなかった制度が「事前確定届出給与」という存在だ。

2007年12月18日火曜日

税制改正考 「変な制度」


平成20年度の税制改正の方向が決まった(12月14日のブログ参照)。同族中小企業の非上場株、いわゆる自社株評価の引下げは画期的な内容だが、その一方で中小企業蔑視の制度が依然としてまかり通っている現実はなんとも気味が悪い。

「特殊支配同族会社」。仰々しい用語だが、中小企業の多くが該当する会社形態だ。オーナー経営者およびその同族関係者が株の9割以上を所有しているケースで、その会社の役員の過半数を同族関係者で占めているような会社を指す。

中小零細企業や創業間もないベンチャー系の企業ならこうした条件に当てはまることは珍しくない。

この条件に当てはまる会社は、経費の計上に制限が設けられている。オーナー経営者の給与所得控除相当額が、その会社の損金にできないという規定だ(例外規定もある)。そもそも企業の経費判定と社長個人の所得税における控除相当額をごっちゃにしている点が変な制度。学者、税理士をはじめ専門家も首をかしげる内容だ。

たとえば、給与総額が3000万円の社長であれば、給与所得控除は320万円。これは社長個人の所得税を計算する際に基本的な控除額として差し引くための金額だ。この320万円を社長が経営する会社の法人税の計算上、経費に認めないという制度。

導入されてわずか1年で適用対象企業の条件が見直され、ターゲットが狭くなったが、各界からの廃止要望が相次ぐなか、いまだに存続中。

ただ、今回の与党税制改正大綱では、中小企業税制に関する基本的考え方のなかで「適用状況を引き続き注視する」という文言が盛り込まれた点に注目したい。

導入してわずか1年で内容が見直され、そしてまた1年後にわざわざこんな文言が盛り込まれること自体、変な制度ということが公的に認められたようなものだろう。

規制的要素の強い新制度が税制改正で誕生することは過去に幾度もあったが、誕生してすぐにドタバタするなんて事は、かつては無かった気がする。言い換えれば、この「特殊支配同族会社」の規制制度がいかに強引に導入されたかを物語っている。

2年ほど前だったか、自民党国会議員から同制度について「役人が上手に税制改正案に盛り込んでしまった」という趣旨の話を聞いた。「なんだかなー」な話ではあるが、さもありなんという印象を受けた記憶がある。

税制や関連する実務上の規定整備の世界は、民間の実態など世情に通じたノンキャリア組の主(ヌシ)のようなベテランが、絶妙なバランス感覚を発揮して作業していた。時代は流れ、倫理問題などによって民間との接触も減った役人は以前より孤立感を強め必然的に独善的な感覚を強めていった印象がある。

税務職員出身の、いわゆるOB税理士の間でも、現在の税制関連法案や税務行政運営は、昔より強権的と指摘されることが多い。時代が変わったと言えばそれまでだが、首をかしげたくなる制度が誕生する背景には、そうした役所の事情が関係していることは確かだろう。

明日も「変な制度」の続きを書きたいと思う。

2007年12月17日月曜日

力のおでん

先日このブログで書いた「おぐ羅」もそうだが、おでん屋さんは冬場はさすがに混んでいて、時間をずらしていかないと席がない。銀座7丁目の「力」も同様。ギンザギンザした通りにポツンと構える旅館のような一軒家。中は古民家の佇まいでレトロ調。とはいえ、エセ古民家風という感じではなく、本物の古さが醸し出す鄙びた感じが気持ちいい。

カウンターの中でおでんを引っくり返している板前さんはきちんとネクタイを締めて、ひたすら無言。あからさまに元気バリバリでやたらと愛想を振りまかれるより、かえって落ち着く。店内を動き回っている旅館の仲居さんのようなおばちゃん連中が多少騒々しい印象なので、ちょうど良いバランスかもしれない。

おでんは、薄口ながら旨みがしっかり感じられて沢山食べられる。他の銀座のおでん屋さん同様、つまみ類も多数用意され、高めの価格設定ながら、相応のレベル。

この日は、おでん以外に力風アジのたたきと白魚のかき揚げ、牛すじの土手焼をオーダー。炙った〆鯵に大量の大根おろしとモミジおろしが添えられており、燗酒との相性抜群。かき揚げもベチャつかずサクサク感が強く、あっさりしたもの中心のおでん屋さんの中ではアクセントになる。土手焼はこの店の名物。串に刺さった牛すじは、おでんではなく、味噌だれをタップリまとって出てくる。これは焼酎向きだ。

おでんは、定番の他に、めかぶやトマトがおいしい。健康になったような気持ちになる。岩のり餅やつみれもいい。結局みんな美味しい。

四の五の言っても冬場のおでんは美味しい。みすぼらしい店だと侘びしいが、銀座のやす幸、おぐ羅、そしてこの力あたりなら、一般的に連想されるおでん屋さんとは一線を画した雰囲気が楽しめる。泥酔オヤジ出現率も低く、香水プンプンお姉さんも少ない。極めて真っ当だ。この手の店が銀座にしかないところが残念。

2007年12月15日土曜日

橋下弁護士と今年の漢字

テレビで人気の橋下徹弁護士が大阪府知事選に出馬する。これまで「2万パーセントない」と出馬を否定しながら結局はご承知の通り。記者会見では、それまでの発言を「ウソではない」と断言した。細かな話かも知れないが、こういう発言を平気でする精神性に今の時代の特徴的な臭いを感じた。

出馬しないと否定し続けてきた理由はテレビ出演との絡みだそうだ。それはそれで仕方ないし、彼なりの誠意の見せ方ともいえる。ただ、出馬を公にできなかった事情を「解除条件付き契約」とか「技巧的ロジック」と平然かつ冷静に弁明する姿には違和感を覚える。

素直に「これこれこういう事情でウソついてました。ごめんなさい」といえない精神性は、やはり現代社会の縮図だ。昨今あらゆる分野で屁理屈や都合の良い言い逃ればかり。グニャグニャした説明を機関銃のように繰り返して、その場を丸く収めようとする空気が蔓延している。

橋下氏も結局は「ウソといえばウソだった」とトーンダウンしたが、この表現自体もシブシブ感たっぷりでなんとも微妙。事情はどうあれ単純明快なウソであり、ウソはウソ。屁理屈やくだらない言い逃れをするより、「結果的に嘘をついたことをお詫びします」とスパッと会見冒頭からかませば、きっと10万票ぐらい稼げたはずだ。

ちなみに、以前、橋下氏の申告もれが報道されたことがあった。重加算税案件でもなく、通常の税務調査で生じる、いわゆる「見解の相違」レベルの話だったが、同氏は、自らの主張や報道されたこと自体を自身のブログで、かなり熱く取り上げていた。元々、あれこれ言いたがるタイプなのだろうが、弁護士としての性からか、あくまで自分の理屈を押し通そうとする性分が相当強いようだ。

ところで、謙虚な人、徳を積んでいる人なら、謝るべき点は素直に謝る。鼻っ柱とかプライドとか自信の有る無しに関わらず、何が悪いことかを知っていれば、どんなに名声や地位があろうと謝る行為から逃げない。そういう人こそ品格ある大人と呼ぶ。

あらゆる分野で偽装やらイカサマが大流行だ。不祥事が発覚した企業の釈明会見も人を喰ったような弁解や言い訳にもならない詭弁が横行している。潔さという感性が欠如している。

毎年恒例の「今年の漢字」。予想通り「偽」が選ばれた。「嘘」、「疑」なども上位候補だったことも淋しい限り。だましたり、あざむいたり、これらの行為の蔓延は深刻。

せめて自分は「真」、「正」、そして「潔」という漢字をモットーにしていきたい。

言うは易し、行うは・・・。

2007年12月14日金曜日

相続税が大きく変わる


来年から実施される相続税の減税が固まった。自民党税制調査会がまとめた平成20年度の税制改正大綱(与党税制改正大綱)によって、いわゆる事業承継税制の整備が決まったもので、法案成立自体はまだ先だが、事実上の正式決定だ。注目されるのは中小企業の株式評価に大幅な値引き措置がとられること。

中小企業の、いわゆる自社株は非上場株であり、一般に流通する性質ではない。額面自体はひと株あたり50円とか500円であっても、いざオーナー経営者が亡くなり、相続が起きると相続税を計算する際に、自社株は税務上の評価という作業が必要になる。
会社の所有する資産や業績などが反映されるため、都心部に事業所があれば、その不動産価値もバッチリ反映される。

たとえば大昔からある自社ビルで、処分するにも苦労する物件でも、それが建っている土地の立地次第では、当然、自社株評価は高額になる。

オーナー経営者に集中する自社株の相続であれば、株式の評価額だけでウン億円、ウン十億円になりかねない。キャッシュなら相続した分から払うことも難しくないが、自社株が中心的な財産であれば、納税資金に事欠くことになる。

大雑把かつ乱暴に言えば、「それなら会社を売って現金化してでも税金を納めろ」という趣旨だった中小企業相続の考え方がようやく今回の改正で転換する。

オーナー経営者の子どもによる事業の継続などを条件に、非上場の自社株の相続税評価を大きく減額(80%減)することで、中小企業の事業承継をスムーズにすることが狙いだ。

そもそも農地の相続では昔から同様の考えで、農業を継続するなら農地の相続税が猶予される仕組みになっていた。また、居住用の不動産、いわゆるマイホームの相続についても、一定規模までは相続税評価額が大幅値引きされる制度が用意されている。

税金の専門新聞を発行してきた関係で、中小企業の自社株評価にも同じ考え方を導入すべきという特集やキャンペーンをこれまで幾度となく展開してきた。

ようやくこうした方向性が見えてきたわけだが、改めて税制の考え方の転換に驚異的に時間がかかることを痛感する。

あのバブル時代、相続税の負担に耐えきれずに廃業する企業があった。相続税を原因とする自殺という悲しい事件も存在した。あの頃は東京だけの現象という側面もあり、政治の無力さを露呈した象徴的な現象だったような気がする。

国会議員といえども東京選出組は全体から見ればわずかな存在。実際の都道府県の勢力的なものとはまったく比例していないわけで、人数という物理的な面での発言力の無さはどうにもならない。

おまけに業種団体、業界団体の声をバックに動く構図の政治力学にあって、相続税に苦しむ人々という存在は、特定の業種でもなければ、団体があるわけでもない。構造的に声が届きにくい仕組みになっている。あげくのはてに相続税という限定された対象に関わる問題だけに「金持ちのエゴ」で片付けられ、大衆迎合こそ絶対のマスコミもこの階層の苦悩に光を当てないという悪循環。

相続税イコール妬みの対象になる金持ちという構図は実に短絡的。企業経営者が下流社会の住人とは言わないが、雇用確保にも貢献し、経済の底辺を支え、なにより稼動することで税金を納めるわけだから国にとって「税源」である。差別されて重税を課せられるいわれはない。

これまでのような減額措置のない制度下での相続経験者の中には、自社株の相続税を工面するために銀行から大借金をして、せっせとその返済のために必死に働いている人も少なくない。その姿は、次の世代の起業意欲を削ぎ、ひいては中小企業文化をも崩壊させる。

今回決まったのはあくまで大枠。これから具体的な法案作成が行われ、法案成立後にはより細かな規則や行政機関による通達などが制定される。歴史的に見て企業経営者を税務面から締め付けることに意欲と執念を見せる役人の性質が気になる。

今回の大転換の趣旨に反するような分けの分からない適用条件などを付け加えないよう切に願う。

2007年12月13日木曜日

舘山寺温泉、みかん、鰻

先週末、浜松近郊の舘山寺温泉に行った。泊まったのは「ホテル九重」。最近は、大型旅館に泊まることが多い。目的は、どかーんと広い大浴場。隠れ家系の宿だと風呂場も隠れ家みたいなことが多く、開放感を味わうには少し物足りない。

ホテル九重も、一応このあたりでは評判の高い宿だ。広大な吹き抜けを持つフロント周りでは琴の生演奏、お香の香りも癒し効果充分。客室も次の間付きで浜名湖の眺めも良く何より清潔。肝心の大浴場は、湖の眺望が心地よく、露天風呂は茶色く濁った食塩水の源泉が掛け流しになっている。浴室内に水分補給用のスポーツドリンクが常備されているのも有り難い。脱衣所にもウーロン茶や冷茶がふんだんに用意され、大小のバスタオルも使い放題。サウナ好きには良い環境だ。

全体に館内の「気」が明るく華やか。食事は個室。ぎょっとするほど旨いものはない代わりに、まずいものもない。朝食が簡素すぎる点を除けば全体に高得点。

今年の初めにもこのホテルに泊まったが、その時も朝食が淋しかった印象がある。まあ私の場合、宿に泊まった次の日の昼に浜松近郊で鰻をイヤというほど食べるので、結果的に朝食を軽く済ませられて助かる。

とはいえ、この価格帯(一泊一人3万円前後)の宿の朝食としては、これまで訪れた数々の旅館の中でもワースト1かもしれない。まずくはないが品数が少なすぎ、前夜の晩餐と比べて落差が激しい。

チェックアウト後、昼の鰻まで間が持たないので、レンタカーのカーナビを頼りに、みかんで有名な「三ヶ日」に行ってみた。
国道から見える山の斜面は一面みかんだらけ。結構壮観。国道から適当に山の方に分け入ってみれば、収穫真っ盛りのみかん畑が四方八方広がっている。枝だから落ちたみかんがゴロゴロ転がっている光景が結構面白く、ついピンぼけ写真を撮影。

いい気になっていたら、帰りの新幹線の時間が迫ってきており、訪ねてみたかった鰻専門店をあきらめ、浜松駅そばの老舗「八百徳」の支店に入る。オーダーしてからさほど待たずに出てきた鰻とあって、期待しないで食べたが、個人的には大満足。あまり長時間待たされるのが苦手な私としては、ここで充分かもしれない。

白焼きをつまみに妙に辛口の冷酒をグビグビ。昔から思っているのだが、冷酒のつまみコンテストをやったら、私が1位に強く推すのは鰻の白焼きだ。おろしたての上等なわさびをしっかり乗せて、チョこっと醤油に浸して食べるアノ味は、熱燗でもなければ焼酎でもない。キンと冷えた冷酒だ。

その後、甘すぎない独特な風味のたれ味の蒲焼きに移る。30分ほどで冷酒2合を空けたので、かなり酔う。昼間から呑む酒は素敵だ!。

そして鰻重をかっこむ。高カロリー摂取。
新幹線に慌ただしく乗り込む。いまだ喫煙車が用意されている時代遅れのサービスが有り難い。

それにしても、東海道新幹線は「ひかり」や「こだま」がめっきり減ってしまい、熱海や浜松あたりの人は昔より不便だろうと感じた。「のぞみ増発」といえば、東京を起点とする遠距離利用者には便利だろうが、全路線トータルで見れば、結局は値上げみたいなもの。でもいまだに喫煙車を用意してくれている根性に免じて気にしないことにする。

さすがに夕食は抜いた。

2007年12月12日水曜日

焼鳥バンザイ


先日このブログで書いた「おぐ羅」もそうだが、例のミシュランガイドにそもそも載ってないカテゴリーがある。おでんや焼鳥がそれ。

おでんや焼鳥というジャンルは日本の飲食店において絶対に無視できない存在だ。今回は焼鳥について書いてみたい。

東京中、そこそこの値段を出せばおいしい焼鳥屋はいくらでも見つかる。そこそこの値段というのがクセモノだが、こればっかりは正直言って値段と味が比例することは間違いない。

確かに安くておいしい焼鳥屋もたくさんあるが、たいてい馬鹿みたいに混んでたり、ひとり当たりの占有スペースが窮屈すぎたり、居心地という点で劣ることが多い。

ところで、たいていの人が自分の贔屓の焼鳥屋さんをもっている。不思議なもので、その基本は会社のそばや自宅の近所など、「わざわざ感」を感じさせない所が多い。

まあ焼鳥自体が、オヤジっぽい存在だし、めかし込んで食べに行くようなものではないので、たいていの人が「近所だから、つい」とか「通り道だから・・・」みたいな理由で店を選んでいるような気がする。

「わざわざ」じゃなしに行く店がうまいととても幸せだ。そういう意味では焼鳥の喜びは、「ご近所」とか「そこらへん」に転がっている。

私にとっての「そこらへん」が豊島区内某所にある焼鳥屋「T」。こんなブログに実名を出したところで混雑するはずもないが、イニシャルにすると格好いい気がするので「T」だ。

店構えはとてもつまらない。ひと昔前のモダン居酒屋が疲れちゃったみたいな雰囲気。店主は優しく親しみやすい人だが、見た目が丸坊主で独特な風貌。初めて店を訪ねたときは、間違いなくハズレだなと感じたが、その予想は嬉しい方に裏切られ、いまでは結構頻繁にでかける。

レバーが絶品。焼いても極上だが、ナマがたまらなく旨い。このレバ刺し、いつも必ずあるのにメニューには「限定品」との表示。理由を尋ねると店主が言った。

「本当は出しちゃいけないんだよ、保健所が入ったらヤバイんで」。

なんともすごい理由だ。客に出しちゃいけないものをたまたま出しちゃったと弁明するために限定品とうたっているわけだ。

「本当は出しちゃいけないレバ刺し」はとろけるように旨い。牛のレバ刺しより軽く、例えるなら、小ぶりのふぐの白子みたいな感じ。ヤバイもの、危なそうなものほどおいしく感じるものだが、この逸品はまさにそれ。薬味はわさびとショウガとニンニクおろしを好みに応じて醤油に溶かして食べる。焼酎にやたらと合う。

このレバーを使ったもうひとつのお気に入りメニューが、タタキポン酢(写真)。生で食べられるレバーを軽く炭火で炙って、ポン酢と薬味のネギたっぷりで味わう。レア状態だが、一応火が入っているため、体調が悪いときでもちょっと安心。写真ではやたらまずそうだが、実際は、プリッ、トロッという見た目と食感で衝撃的なおいしさ。これまた焼酎にやたらと合う。

そのほかにも、岩手の方から直送される上質な鶏を使った酒肴があれこれ楽しめる。

焼物は、ハツ、砂肝、せせりなどは、特別ジューシーで正しい鶏の味が口に広がる。銀座あたりなら1本で500円ぐらい取られてもおかしくない水準だが、この店では130円とか160円とかそんな感じ。

これを書いているだけでまた行きたくなった。

2007年12月11日火曜日

いちいち肯定してみる


たまに顔を出す銀座の鮨店。店名は写真に撮ったコースターの文字をご解読いただきたい。このお店は今年、近くから移転して寿司激戦区の雑居ビルに新装オープンした。

店主の姿勢がいい。客を客としてもてなす。当たり前のようでこれが出来ない職人さんは多い。押しつけがましくされるのが嫌いな私にとって、これは好きな店を決める大きなポイント。

銀座の寿司店は場所柄、総じて柔らかい接客をする。一部には無礼な店もあるが、やはり同伴客も多い土地ゆえに、主客をたてることは当然で、食べ方や順序、うるさいウンチクの押し売りをエラそうにされることは少ない。

こちらのお店も、しっかりスジの通った仕事ぶりに加え、客の意向を完全に汲んでくれるし、かといって極端に客におもねることもなく気持ちがいい。

店主は、都内の私立一貫校からそのまま大学に上がった好漢で、同じく私立一貫校上がりの私にとって共鳴できる「臭い」がある。

ちなみに路面店ではなく雑居ビルの地下とか階上に店を構える寿司店には妙な落着きがある。この店以外にも、たまに顔を出す店がいくつかあるが、不思議と同じような環境の店ばかりに行っている気がする。

こうした店は隠れ家的な雰囲気が気分を盛り上げてくれる。それ以上に、クラブ的、いや倶楽部と書いた方がニュアンスが伝わるだろうか、「お互いよくこんな所までたどり着けましたね」的な物好き同士の一体感が心地よい。

目的の大半はアルコール摂取なわけで、気分で呑むタイプの私としては、この手の店にいると「通っぽい気分」を満喫してしまい、ちょっとしたことやつまらない物にも感動する。刺身のつまの大根をやたらとおいしく感じたり、刺身の下敷き役の大葉まで喜んで食べてしまう。

先日もただのワカメに用意された酢醤油の美味しさに感動し、箸休めのカイワレにかかっていたドレッシングに感激した。我ながら実に安直だと思う。自分がいかに楽しい時間を過ごせるか、いかにその時間を無駄にしないようにするかを突き詰めていたら、いちいち肯定して、いちいち有り難がる習性が身に付いてしまったようだ。

文句や不満をあげつらってばかりだと結局自分が楽しくない。酒もまずくなってしまう。飲食店でも文句ばっかり言ってるオヤジをよく見かけるが、あの手の連中はきっと幸せではないのだろう。お気の毒だ。

肝心の寿司の話。この店の特徴は赤酢を使ったほんのりと黒みがかったシャリの色。このシャリを食べると他の店の普通のシャリが少し物足りなく感じる。握りは小ぶり。いろいろ食べられるので有り難い。

いつも酒肴ばかり嘗めているので、今度こそは握りを腹一杯食べようと画策しているが、いまだに実現していない。先日も店主が「ちょっと早い」と言うのも聞かずに自家製のからすみを出してもらい、ネットリ濃厚な味を楽しんだ。実にエロティックな味がした。

2007年12月10日月曜日

お受験と詐欺


先日、慶応幼稚舎に子どもを入学させたい中小企業経営者が、トータルで7千万円もの出費をしながら、結局不合格になった件で、詐欺の可能性ありという内容の記事が週刊新潮に載った。

子ども向けの名門お受験塾関係者がアレコレ指南した通りに各方面に謝礼や付け届けを配りまくったり、塾の改修工事を無償で引き受けるなど、その内容はまさに親バカ。

とはいえ、記事の内容通りなら、仕掛け人達は実に巧妙。信じてすがるのも無理はない。私自身、子どもの幼稚園受験を乗り切った経験があるので、名門幼稚園や小学校受験をめぐる独特な世界観を多少なりとも知っているつもりだ。

私の周辺にもお受験狂想曲経験者は多く、真偽は問わず、いろんな話を耳にした。暗躍する怪しげな人々、塾やいろいろなお教室の選び方、面接当日の服装の細かい色や、下手をすれば服のメーカーまでマニュアルがあるとか、願書の記入方法をめぐる微妙な言い伝え、提出書類に貼付する家族写真の撮影業者がどうだとか、ここで書けないような話もいくつも聞いた。

子どもの受験といっても、幼稚園や小学校だと親の試験、すなわち親が選考されるという要素が大きい。それだけに親の中には、少しでもアドバンテージを得ようと常軌を逸した行動をとる人もいる。詐欺師にとって最高の環境であり、ターゲットだ。

なんだかんだ言って頻繁に金を出させ、実際には何も活動を行わなくても、たまたま合格すれば、活動の成果だと主張できる。成功報酬ガッポリの構図だ。不合格ならそれまでの話。実に単純。

大体、この手に引っかかる親は、教育熱心なのは確か。詐欺師に頼る以前に、お受験に必要なするべきことはちゃんとしているわけだから、結構放っておいても合格する確率は高い。それを自分達の手柄に偽装するのだから困ったものだ。

税金の世界でも、似たような魑魅魍魎がうごめいている。税務調査に絡んで暗躍するような輩だ。

たとえば、どこかの会社に税務調査が入っている情報を入手した詐欺師は、その会社の社長に「私の顔で追徴をまけてもらえる」とうそぶく。実際の追徴税額が500万円だったなら、「本当なら1千万円取られるところだったが、うまく話をつけた」とのたまうような構図だ。

また、「本当なら過去5年分の決算内容までさかのぼって調査されるはずだったが、私の人脈で3年分しか調査させないようにした」とか、微妙なヒダを突いてくるような手口が特徴的だ。具体的な税務調査のスケジュールや調査によって追徴される税額や内容を把握していなければ出来そうにない話だが、「蛇の道は蛇」で昔から聞く手口だ。

聞くところによると、この場合、実際の税務調査は何の手心もなく淡々と行われる。担当の調査官は、裏でそんな連中が暗躍していることすら知らず、普通に業務を行うだけ。どこからか漏れたホンの些細な情報が詐欺師の絵図に利用される。

もっとひどいのになると、まったく当てずっぽうに儲かっていそうな企業に対してアプローチする。「税務ナントカ協会」みたいな名前で、「まもなく御社に税務調査が行われる予定ですが・・・」といったノリでアレコレ企業側の不安心理を突いて悪銭を稼ごうとする。このほかにも「国税ナンタラ協会」のようにさも公的な団体を装って、いけしゃあしゃあと「平成19年度通常会費」とかいう請求書と振込み用紙を送りつけるような手口も少なくない。

ひとかどの企業になれば、業種や地域ごとなど結構な数の団体に会員として名を連ねている。それっぽい請求をつい鵜呑みにして払い込んでしまう例は相当数にのぼる。

ところで、税務調査の世界は、税務署の裁量と絡むので、一般の社長さんにとって、その対処が難しい。調査対象は過去の決算内容だが、法的には7年前の分までさかのぼれるが、実際の運営はケースバイケース。悪質でなければ3年前ぐらいのものがチェックされることが一般的だ。明確な決まりがあるわけではない。

明確な決まりがないのは指摘内容も同様だ。軽微な間違いであれば、指導ということで、それ以後の経理処理の是正だけを要求されて済むこともあるし、同じ内容でも、しっかり修正申告を求められることもある。

全国の国税局、税務署でも税務調査などの事務運営にバラツキが生じないように何かと内部のルール作りを行っているが、調査官という人間が行う以上、裁量の度合いに開きが出るのは当然の話。詐欺師が目をつけるのもそうした部分だ。

「税務署に顔がきく」なんて言ってくること自体が胡散臭いと思った方がいい。その人間が税理士でもなく単なるコンサルタントなどの肩書きで動いているようなら、まず怪しい。確かに国税局や税務署出身の、いわゆるOB税理士のなかには、「顔がきく」人はたくさんいる。「顔がきく」という表現の意味は曖昧で、知り合いが多いというだけでも当てはまる。「顔がきく」イコール税金が安くなるという短絡的な考えは賢明ではない。

まあ税務調査という行為自体が懐を探られることだから、誰もが歓迎したくない話だ。常々思うのだが、税務署は警察よりよっぽどパワーを持つ権力だ。警察は悪いことしている人だけを攻めるが、税務署は、品行方正・謹厳実直の個人や会社にだって攻め込むことが可能だ。

税務行政の話を書き出すとキリがないのでこの辺にしておく。

2007年12月7日金曜日

上海蟹とブルーノート


新橋にある「Y鮨」で、鮨ではなく、今年食べそびれていた上海蟹の紹興酒漬けをしゃぶる。中国産食品は避けたいが、これだけは別。ミソが最高。紹興酒につけ込むぐらいでは寄生虫は死なないらしいが、隅から隅まで食べた。今日は私の体の中でどんな寄生虫がうごめいているのだろう。二日酔いだが、元気だから良しとしよう。

上海蟹といえば東麻布の「富麗華」で、店員さんに殻をむいてもらって安直に食べるのが最高だが、あの店もミシュランガイドに載っちゃたので、しばらくは行かないだろう。

「ミシュランガイドに載っちゃたからしばらく行かない」というパターンが師走の東京で結構多いのではなかろうか。

続いて南青山。「ブルーノート東京」。超ピンボケ写真でスイマセン。世界最高峰といわれるサックス奏者、デヴィッド・サンボーンのライブ。本当に上手だ。うっとりする。私に「上手だ」と誉められても困るだろうが・・・。

ただ、この日、光っていたのはベーシスト。帰宅後、ネットで調べてみたら、マイルス・デイビスのバックも務めたことがあるらしい。相当の実力者だった。うーん、ジャズなどに詳しくない私の耳も結構確かだなどとうぬぼれてみる。

ベースソロが圧巻。躍動感、指の動き、まさに魔術師のよう。じっくりどっしり控えめにしているイメージが強いベーシストも、一流レベルのアーチストだと主役を食うぐらい迫力がある。グルーブ感というのか、よく分からないがきっとそんな空気がステージを支配していた。

演奏終了後、客席をぬって楽屋に戻るベーシストを呼び止めて賞賛してみる。酔っぱらいオヤジになっていたので、握手ついでに彼の筋肉質の肩のあたりをポンポン叩いてみた。いい感じの重量感。「抱かれてもいい」と一瞬思う(むこうは迷惑だろうが)。

2時間近くのステージのさなか、洗面所で一服。すかさず店員が入ってきてしっかり注意された。思わずタバコを後ろ手に隠そうとしてしまった自分が高校生みたいで切ない。

2007年12月6日木曜日

小池百合子


自宅周辺を歩いていると、選挙区の関係で小池百合子代議士のポスターをよく見かける。最近のキャッチコピーは「百合子の本懐」。自信満々の笑顔のアップと大きな活字がなんとも微妙な感じ。

女性初の防衛相就任時だったか、何かの会見で「女子の本懐」と語ったことが印象的だったが、例の守屋事件で相当ラッキーだった人が小池女史だろう。

今年夏の防衛省の事務次官人事をめぐるドタバタ劇は、安倍政権末期の混迷ぶりを象徴していたが、結局、小池氏はこの抗争で大臣職を追われたようなもの。

守屋氏も退任したため、痛み分けといった報道が多かったが、大臣が官僚をコントロールできなかったわけだから、痛み分けでも何でもなく、間違いなく小池氏の「負け」だった。

テレビキャスターを経て日本新党ブームに乗って政界入り、その後、政党をいくつも渡り歩き、気付いてみれば政権中枢で総理候補といわれるまでになった小池氏。防衛相としての人事案件の失態は、彼女の政治家としての行く末に大きな影を落とすはずだった。

ところがどっこい、その後、守屋氏は刑事事件の犯人として大悪党ということになり、この夏、せっせと守屋おろしに励んでいた小池氏は、「悪党を追い払おうとした女傑」という願ってもないおいしいポジションを得るに至った。

元日本ハムの新庄やハンカチ王子・斉藤投手が言うところの「持ってるわ、オレ」ではないが、小池氏もやはり運というか星を「持っている」ことは確かだろう。

人生はプラスマイナス・ゼロだと思っている。盛者必衰は世の常だが、それでも働き盛りの年代にあるうちに「プラス」や「盛」が集中してくれたらと切に願う。おじいちゃんになってから人生の最高局面を迎えてもつまらないし、子どもの頃にピークが終わっていても困る。

小池百合子は、いまがピークに近い状況だろう。間違いなく田中真紀子や野田聖子より勝ち組と言える。

小池百合子になりたい。

2007年12月5日水曜日

おぐ羅のおでん

師走の声を聞けば「おでん」だ。すっかりコンビニ食となってしまった感があるおでんだが、上質な専門店なら、極上の晩餐になる。

銀座、数寄屋通りにある「おぐ羅」。出汁のうまみたっぷりのおでんが揃っている。「やす幸」の路線を踏襲したクリアなつゆは、あっさり、かつしっかりした味付けで、おでんと呼ぶより上等なお吸い物といいたくなる。

醤油を使わず、塩で味付けしているそうで汁の色は琥珀色。早い時間なら茶飯におでん汁をかける出汁茶漬けが楽しめる。これが死ぬほど美味しい。

アルコールの種類は少ないが、お燗酒は錫のやかんで温め、板前さんが自分の口に運んで頃合いを確かめる。やはり丁寧につけたお燗はしみじみと旨い。

おでんを食べる前の一品料理も、居酒屋料理とは一線を画す。しめ鯖などは、下手な寿司屋よりも上等。カツオの時期なら、特製ポン酢と薬味がどっさり入った名物のタタキが最高。カツオをたいらげたら、残った薬味たっぷりのポン酢におでんの豆腐を投入。ひたすら旨い。

つまみを2,3品、おでんをあれこれ食べて、しっかり酔って、お勘定は1万円前後。
おでん屋さんというカテゴリーとしては、富豪級だが、それはそれ。店の雰囲気も“正当な銀座感”にあふれているし、おでんを懐石の煮物とでも言い換えれば仕方ないかもしれない。

「おぐ羅」でおでんを食べると、滋味のせいか、何となく“充電”した感覚に陥る。“放電”のためにはしご酒をしてしまうのが困りものだ。

2007年12月4日火曜日

愛すべき「偽装」


「非日常感」。男は誰しもこれに弱い。最近は、大っぴらに自分の性癖を語る人が多いが、いろんなフェチをひと口で言えば、非日常性への憧れだろう。

アニメおたくしかり、制服フェチしかり、乱交やSM趣味もそうだ。ちなみに私は、パンティーストッキングの腰の近くで色が濃くなる折り返し?部分に妙に興奮する変な癖がある。チャイナドレスの脚線美を見ても、私の目線は脚ではなく、ストッキングの色の変わり目を探す。変かもしれない。

唐突に話は変わって、また銀座。他の繁華街のクラブ街と違うところは、多々あるが、見た目の大きなポイントは着物姿のママさんやホステスさん遭遇率の高さだろう。

和服の女性と一献などという状況は、ある意味非日常的な時間だ。和服姿のママさんといえば、たいてい、自分自身を別人に仕立て上げて夜の世界を生きている。自己演出というか内面の話を言いたいつもりだったが、すっぴんの普段着とでは外見も大違いなのも事実。

話は脱線する。毎年、関西の知人が盛大な花見旅行に招待してくれる。北新地の顔役である知人の主催とあって、例年、キタのホステスさん達が何名も同行し、道中はかなり賑やか。レギュラーメンバーも多く、女性陣とも顔なじみのつもりだった。

「つもりだった」と書いたのは、ある朝の失態が原因。二日酔いで宿の大浴場に向かい、サッパリして部屋に戻ろうとエレベーターを待っていた時のこと。「おはようございます」という女性の声。通りすがりの宿泊客同士が挨拶を交わすのは珍しくない。そのノリで素っ気なく返事したものの、その女性、何かせっせと親しげに話を続ける。

前の晩、一緒にカラオケでバカ騒ぎしているベテランホステスさんだった。別人ぶりにまるで気付かなかったわけだが、取りつくろえないほど露骨に「知らない人を見る顔」をしてしまった私。その後の彼女の冷たい視線を思い出すと今でも冷や汗が出る。

話を戻そう。銀座の女性の外見の話だ。着物に限らず、妖艶なロングドレスも夢見る男どもを魅了するが、衣装だけでなく、髪型も非日常性を演出する効果は大きい。

近頃は、ナチュラル路線というか普通っぽい髪型や衣装であえて素人っぽさをウリにする女性も多い。個人的にはやはり、頭がとんがっている位が趣があっていいと思う。

せっかくの止まり木だ。普通でどうする!と変に力んでしまった。ただ、トサカというか尾長鶏というかトーテムポールみたいな髪型は、銀座界隈ではハヤリではないらしい。確かに、前述した関西の知人が通う北新地の店の方が、クリスマスツリーのような髪型を頻繁に見かける。実際に触らせてもらうと、ガチガチにスプレーで固めたその感触がプロの心意気を感じさせてくれるようで実に心地よい。これもフェチと呼べる症状かも知れない。

最近はヘアメイクという表現が主流で、「化粧」という言葉がないがしろにされているような気がする。化粧という言葉を生み出した人が「化ける」という漢字を迷わず(かどうかは分からないが・・・)使ったセンスに脱帽する。

化けて綺麗に見えるのなら化けないことは罪だ。偽装ばやりの世の中だが、こちらの偽装は大いに結構。

2007年12月3日月曜日

銀座の夜

銀座8丁目、クラブがたくさん入居する有名雑居ビルに割烹「T」がある。もともと7丁目でクラブを経営するママさんが出した店で、実にしっぽりとした雰囲気の店だ。

都内の老舗料理店も経営に絡んでおり、料理のレベルは実にまとも。クラブママさんの副業的出店とは言えないレベル。しっかり出汁がとられた関東の味付けだが、関西風の食材と盛りつけも楽しめて、いい感じ。

カウンター中心でテーブル席が少しと小さな座敷もある。ポイントは着物姿の女性の接客。向島芸者出身のママさんの他に2名の綺麗どころがカウンターを挟んでソツなく相手をしてくれる。

先日訪ねたときは、柿と豆類の白あえ、白身の刺身が3種類、茄子の煮浸し、聖護院かぶらの蒸し物と鴨肉あえ、鰆の味噌焼を堪能。健康的かつ滋味。

一人でカウンターに座っていると、目の前に立つ綺麗どころに食事をジーっと眺められている感じでちょっと落ち着かないこともある。意味もなく行儀よく箸を上げ下げしたり・・・。まあ自分の所作を見つめ直すことも時には必要かと変に納得したりする。

居酒屋のカウンターでだらけてばかりいては、やはり男がすたるなどと自分に言い訳して凛とした空気と浮世離れした風情を楽しんだ。

続いて6丁目の「M」へ。銀座でも勝ち組として有名。その秘密はホステスさんというより黒服連中の優秀さだと私は睨んでいる。

10年以上前に初めて行った。しばらくはぽつぽつ顔を出していたが、いつしか足が遠のいた。4~5年のブランクが空いて、ひょんなことで再訪、店に入った途端、ベテランの黒服氏がこちらの名前をしっかり覚えており、不義理な客を以前と変わらず案内してくれた。それ以来、この店の信奉者になってしまった。

割と大箱の店で、大人数の客も珍しくない。微妙な有名人(バブル紳士系とか政界の生臭い系)もよく見かけるが、総じて客層がしっかりしている。私などは一人か二人でしか行かないし、さほど頻繁に行くわけでもない。そんな客も厚遇してくれるからさすがだ。

銀座のクラブといっても、お客をファンクラブの会員かのように錯覚しているママさんが幅を利かせている店もあれば、極端にくだけ過ぎちゃって地方都市のスナック状態になっている店、素人感覚とか言ってプロとしての仕事を最初から放棄しているキャバクラもどきが結構多い。

同業者からも特別な目線で見られている「M」。銀座が銀座であることを私に実感させてくれる場所だ。