2010年2月26日金曜日

強ソーダ

今一番欲しいものが「ハイボールタワー」だ。サントリーがウイスキーの販促のためにハイボールブームを煽る一方で、一部の店にロボットみたいなハイボールタワーを設置してウマいハイボールを普及させている。

このロボットの特徴は冷却された高圧ガスでハイボールを作る点だ。炭酸が強めで温度も低く、簡単にシャキ~ンとウマいハイボールが出来上がる。

ここ半年ぐらいすっかりハイボールオヤジになってしまった私だ。そんな便利な道具があるのならゼヒ欲しい。

ショッピングサイトをあれこれ見たが、さすがに売っていない。あくまで料飲店向けだ。だいたい保守管理、清掃等々、ものぐさな私にはムリだろう。

でも、私だって富豪を名乗る以上、たいして手間がかからないようなら高かろうが邪魔だろうがやっぱり欲しい。真面目な話、誰か売ってくれないだろうか。

さてさて、世の中では角ハイボールが人気だ。缶入り商品も飲んでみたが、あれはレモンエキスの風味が強くて好きじゃない。

やはり自分好みのウイスキーを自分好みの濃さで作ったほうがウマい。レモンは入れないのが私流だ。

聞くところによると、レモンを入れると「ハイボール」で、レモンを入れないと「ウイスキーの炭酸割り」だという説があるそうだ。ウソかホントかは知らない。

炭酸で割っちゃうと私の舌では正直言ってウイスキーの銘柄の違いは分からなくなる。
そういう意味では安いウイスキーを炭酸で割っていればよいのだが、そこはちょっと頑張りどころ。

一応、富豪なのだから小売価格1000円ぐらいのウイスキーで喜んでいてはいけない。それなりのウイスキーを標準にしないとダメだろう。

酒は気分で呑むもの。あくまでそう思い込みたい。惰性で呑んだりアルコールなら何でもOKという路線も何かイヤだ。だからウイスキーの銘柄にもこだわったフリをしたい。

そういえば、先日、赤信号で停車中、隣に並んだ車の運転席でオヤジがひとり、ワンカップをぐいぐい呑んでいる凄いシーンを目撃した。あれはまさしくアル中だろう。ああはなりたくない。

もしそんなになっちゃうとしても、ワンカップではなく、十四代とか獺祭とか、こだわりのある日本酒をあおっていたい。

さてさてハイボールの話だ。家で呑む際には、マッカラン、竹鶴、グレンリベットあたりを定番にしている。といっても、せいぜい12年モノだ。それ以上だともったいない。やはりエセ富豪だ。

竹鶴はスモーキーな感じがソーセージとか肉系のつまみに合う。炭酸との相性が私の好みだ。竹だの鶴だの縁起が良さそうな字面の感じも良い。

そんなことを書く予定ではなかった。今日は、ひょんなことから見つけた炭酸水の話がメインテーマだった。

その名も「男のちょい割る強ソーダ」だ。「ちょい割る」というゴロと「強ソーダ」という当て字を組み合わせたスーパーダジャレ商品だ。木村飲料という会社が生産している。

シュールなネーミングはさておき、ハイボールタワーが入手できない私としては、「シュワシュワが強い炭酸」は大いに気になる。ケース売りしかしていないようだが、その商品の存在を知った瞬間に注文した。

試してみた。確かに炭酸が強い。かなり強めだ。男らしい。悪くない。気に入った。

ケース単位でわが家に常備しているサントリープレミアムソーダと比べると後味のまろやかさこそ劣る。でも確実にシュワシュワ度が強い。

家庭でハイボールを作る際、油断すると半日経ったコーラみたいに炭酸が弱まってしまうのだが「強ソーダ」なら安心。ガツンとくる。

もっと端的に表現するとプレミアムソーダはそのまま飲んでも爽やかに美味しい。強ソーダはそのまま飲んでも強すぎてウマくない。そのぐらいの差がある。だから「割りモノ」にはバッチリ。

変な話、これだけガツン系の炭酸だと値のはるシングルモルトでハイボールを作るのがもったいない気がする。安モノウイスキーでも充分かも知れない。

もちろん、酎ハイ作りにも良いだろうし、上等な梅酒をこれで割ってもウマそうだ。
しばし、わが家の食卓を飾りそうだ。

変なデザインは我慢しよう。

2010年2月24日水曜日

友がみな・・・

先日、中学高校の同期会に行ってきた。今回は定年退職する恩師の慰労会という名目があったので結構な人数が集まった。

退職する恩師はフランス語の担当。私は第一外国語が英語だった関係で、この先生に担任をしてもらったことはない。それでも接点はそれなりにある。

停学になったり、学校に親が呼び出される常連だった関係で、担任以外にも学年に関わった先生達には随分お世話になった。

高校を卒業してからも迷惑をかけた。ハタチの頃、同窓会の流れでちょっとした騒動が起きて、逃げ切れなかった先生は某警察署の取調室に連行されてしまった。外との連絡も絶たれ夜明けまでお灸を据えられた。お気の毒。

同期会の席で先生は事件のことを懐かしそうに話す。どうやら私を首謀者の一人だと思い込んでいるらしい。アレコレと相づちを求めてくるのだが、あの晩私はとっとと逃げ帰って家で寝ていた。なんか申し訳ない気持ちだ。

定年退職したとはいえ隠居するわけではなくパリに渡って新たに教鞭をとるらしい。大したエネルギーだと思う。40代半ばで息切れしている場合ではないとつくづく感じる。

この日の集まりでは、高校卒業以来初めて顔を合わせる旧友も多かった。この歳になると、さすがにデブハゲ白髪率も高くなる。

とはいえ大規模ではない一貫校ゆえの濃い付き合いのせいで、激しく変貌を遂げていても誰が誰だかだいたい分かる。

今回の参加者は妙にお医者さん、歯医者さんが多かったように思う。そのほか独立して経営者になっている旧友も多かった。

勤め人稼業の旧友達も年齢的に慌ただしい時期にあるようで独特のエネルギーを感じる。みんな世知辛い社会を何とか泳いでいる。

珍しいところでは、政治の世界で活躍中の人、歌舞伎の第一線で頑張る人、俳優業が絶好調の人もいる。はたまた拘置所で頑張っていた人だっているから面白い。

中学高校だけでなく、なかには幼稚園、小学校から一緒だった旧友も多い。自分の子供より幼かった頃からの知り合いが大勢いる空間って結構不思議だ。

いずれにせよ、40代半ばの男達が集まるとそれぞれの「顔」に趣がある。大げさに言えば「顔」にそれぞれの人生が刻まれ始めている感じ。

いろいろな分野で重責を担っている「ひとかどの人物」も多いのだが、そんな連中の顔からはそれなりに深みも感じる。

今回改めて感じたのだが、やはり、深みのある顔付きをした旧友達は総じて当りが柔らかく腰が低い。とんがっていない。この部分は心底見習いたいものだ。“実るほど~”の格言通りだろう。

結局は人間力というか、人としての素地が問われる年齢なんだろう。ちょっと自分を見つめ直したくなった。

二次会、三次会と呑み続け、ヘロヘロになって帰宅。石川啄木の有名な句が頭に浮かぶ。

~友がみな我より偉く見ゆる日よ 花を買ひきて 妻としたしむ~

そうは言っても、明け方の帰宅だ。花を買うこともなく、妻と親しむはずもなく、ゼロカロリーコーラを一気飲みしてゲップして寝た。

そんなもんだろう。

2010年2月22日月曜日

脱税王がトップにいる国

気が早いが、今年の流行語大賞の候補に「平成の脱税王」をあげたい。さきの衆院予算委員会で自民党の与謝野元財務相が鳩山首相を評したフレーズだ。

所得税の確定申告が始まったが、行政のトップが脱税王と言われているわけだから、現場の税務署ではどんな空気が支配的か自ずと分かろうというもの。

鳩山首相だけでなく、「最高権力者」である小沢一郎氏も脱税の臭いがプンプンだ。例の政治資金問題での釈明では、「万一の場合に備えて家族名義にしていたカネ」という趣旨の発言が当たり前のように使われていた。

それって贈与税は?相続税逃れのため?等々、税金面ではツッコミどころ満載だ。

先日、国税OB税理士と会食した際、税務行政の現場でも相当不満が強まっているという話を聞かされた。すなわち、権力者の税金不祥事に対して傍観状態の国税の現状に多くの第一線税務職員が怒り心頭だとか。

そりゃそうだ。その昔、時の最高権力者である田中角栄元首相を脱税という観点で攻め落とした国税の調査能力を眠らせたままでは、弱腰という批判が出ても仕方ない。

このままでは間違いなく「贈与税はバレたら払うもの」という最悪の前例が出来てしまう。おまけにバレてから払ったところで重加算税もかからなければ、マルサも動かないのでは、真面目に申告する機運など盛り上がるはずもない。

それにしても不思議なのは、政権トップの脱税疑惑に世間一般の怒りが沸騰していない点。確定申告シーズンのいま、各地で申告ボイコットが起きていないことが不思議なぐらいだ。

毎年毎年、全国各地の成人式で間抜けな新成人が大騒ぎするが、変な話、確定申告会場で義憤に燃えるオジサン、オバサン達が大騒ぎするようなシーンが見られてもちっとも不思議ではない。

そんな動きがないことは、ある意味気持ち悪いことかもしれない。平穏でいる理由が国民のあきらめや無気力感だとしたら逆に恐い。あきらめや無気力からはそれこそ何も生まれない。

思えば、政権交代というドラマで国民が感じたのは漠然とした前向きな気分だった。新政権に頼りない印象も強かったものの、やはり清新イメージは閉そく感の打開を期待させるには充分だった。

ところがフタを開けてみれば、かつてないほどズサンな脱税疑惑。これじゃあドッチラケもいいところだろう。

民主党政権の支持率が一気に低下する一方、自民党の人気が上がるわけでもない。結局は分裂だの第三極だのといったゴタゴタが近づいている気がする。そんなことが続けば国民のあきらめ感情は一層強くなり、どんよりとした空気ばかり広がってしまう。

2010年2月19日金曜日

福子と仏罰 ヱビスビール

「福子」という伝説をご存じだろうか。伝説というより習慣と表現した方が的確だろう。障害を持つ子が生まれた家は繁栄するという話がベースだ。

確かに障害児の誕生は普通の家庭にとって大事件。それをきっかけに家族や親戚の絆や結束が強まるというのは理にかなった話。それによって何かとコトがうまく運ぶようになるという三段論法みたいなもの。

商売繁盛のシンボル「福助」も同じような趣旨で崇拝されているが、福助のモデルも障害を持った人だったというのが定説。

障害を持った子どもを福子と呼んで大切にする習慣は日本独特の感性として古くから定着していた。

七福神あたりの縁起モノ方面のキャラクター(?)は、大体が障害を持った人がモデルという説がある。結構この手の話を調べると面白い。

わが家にやってきたダウン症の長男のせいで、こんなウンチクを知ることが出来たわけだからそれはそれでOKだ。

ちなみに七福神の人気者・恵比寿様がダウン症だったという説も根強い。この話を聞いて以来、わが家ではビールといえばエビスが定番だ。

「蛭子」と書いて「エビス」と読むこともその理由を表わしているそうだ。そういう解説を聞くと妙に納得してしまう。

話は神話時代にさかのぼる。イザナギとイザナミの最初の子どもがヒルみたいにフニュフニャしてどうにもならなかったので蛭子と名付けられた。

結局は船に乗せて流してしまったのだが、その神話をベースに、ヒルコがたどり着いた場所といわれる日本各地でエビス信仰が
生まれたらしい。

諸説あるのだろうが、そういう話に接するとこちらとしては楽しくなる。わが子にも福々しい存在になって欲しいと前向きな気分になる。

でも、今のところヤツは富を運んでくる気配はない。こればかりはボヤいても仕方ない。

もちろん、福子伝説の一方で、鬼子伝説があるのも事実だ。さげすまれ追いやられた障害者の歴史は、つい最近まで続いていたハンセン病患者への差別を例に出すまでもなく厳然と存在する。

優生保護法という強制的な断種に関連する法律がほんの10年ぐらい前まで存在していたわけだから、この手の問題への意識はやはりそう簡単に改善されるものではない。

福子伝説のようなのどかな習慣も明治維新後に様変わりしてしまう。すべて迷信として切り捨てられ、当時の富国強兵政策のなかでは、戦力になり得ない障害者は完全に排除対象とされてしまった。

古くは法律用語などにも「白痴」とか「痴愚」などと表記された事実もあるようだ。わが家の福太郎も今の時代に生まれてつくづくラッキー。

ちなみに某巨大新興宗教団体では、障害児が生まれること自体が「仏罰」だと教えるらしい。ありゃりゃビックリって感じだ。

そういう屁理屈までこねて信者やカネを集めるのだから凄まじい。

下品という言葉以外思い浮かばない。

2010年2月17日水曜日

焼鳥の権威

最近少しずつだが確実にリバウンドしている。やはり中年は基礎代謝がほとんどゼロだ。ドカ食いしなくても、普通に食べれば太る。なんてことだ。

ササミよりナンコツが低カロリーという貴重な情報を得てから、焼鳥屋ではナンコツを多めに食べるようにしている。

先日、銀座にあるその名も「串銀座」に行った。日本酒の品揃いが豊富なことで有名な店だ。焼鳥も高水準なのだが、高級指向でちょっとコジャレた路線なので、ナンコツがメニューにない。

カロリー調整で焼鳥屋を選んだのだが、ナンコツが無いことを言い訳にして、普通にバクバクとモモだのセセリだのボンジリなんかを頬ばった。

あぶったパンと一緒に出されるレバーペーストもパンごと残さず食べちゃったし、卵の黄身をぶりぶり使っている鶏ユッケも食べた。結局、カロリー過多だ。でも美味しかったから仕方ない。

ちなみに銀座界隈の焼鳥は場所柄もあってかなり高価だ。串銀座でも1本500円ぐらいが標準。1本700円超の串もあった。そのかわり質も高いのだが、さすがに少し悶々とする。

値段のことを気にしているようでは富豪ではない。でも不思議と寿司なら許せるのに焼鳥だと高い値段にひと言いいたくなる。

銀座界隈にも高くない焼鳥屋はあるが、値段に比例して味のレベルも決まる。さもなければやたらと窮屈でゆっくりできなかったりする。

結局、積極的に上等な焼鳥をノンビリと食べたい時は、高いお勘定を覚悟しないといけない。

もちろん、この方程式は銀座に限った話。豊島区某所の私の自宅近所にある「T」は銀座の3分の1の値段でとてもウマい焼鳥を食べさせる。それでも近隣の焼鳥屋の中では高い店と言われているらしい。

世間一般の焼鳥の値段に関するシビアさは思った以上に厳しい。商店街の肉屋の店頭では70円とかで売ってるわけだからそれがひとつの基準になるのだろう。

逆にいえば1本500円クラスの店でも繁盛しているなら、それはそれで凄いことだ。

寿司の場合、高級路線、大衆路線、回転寿司、出前専門など店の種類が厳然と分類されている。それに比べて焼鳥屋の場合、そのあたりのジャンル分けがまだまだ不充分なんだろう。

妙齢の女性がエスコートされたい店、焼鳥屋と寿司屋の二者択一だったら、寿司屋が選ばれる確率が高いだろう。

「ちょっといい寿司屋があるんだ」と囁かれた女性が連想するのは白ワインの品揃えが豊富な西麻布あたりのモノトーン調の店。

「ちょっといい焼鳥屋があるんだ」と聞かされても、女性の脳裏に浮かぶのは、ホッピーの品揃えが豊富な新橋の外れにある煙で黒くなった店だったりする。

実際には、最近の焼鳥屋には西麻布あたりの気取った寿司屋に負けないような洗練された店は多い。それでも、まだまだ「赤ちょうちんに煙モクモク」のイメージは根強い。

牛、豚、鶏。なんとなく日本人の「肉」に対するランク付けはこの順番の通り。このイメージも焼鳥屋を取り巻く世間の視線と無関係ではなさそうだ。

「ごちそう」というイメージでもこの順番だろう。

「ボクんち、夕べはステーキだったんだぜ」、「ウチは焼鳥だったんだ」。

たとえ死亡牛肉のクズ肉ステーキと最高級地鶏だったとしても、上の会話のイメージだとステーキのほうが威張った感じがする。

外食産業におけるそれぞれの専門店の“権威”のようなものも何故か同じ順番のような気がする。

肉類の中で鶏肉が一番好きな私としては、そんな風潮がちょっと気に入らない。そうは言っても、焼鳥がちょっと高かっただけでブログのネタにするようでは、鶏肉権威向上審議会委員として失格だ。

私の悪い癖はお寿司屋さんに対してやたらと寛大なことだ。ちょっと居心地が良いと高くても許しちゃう。それを思えば美味しい鶏肉を出す店にももっともっと寛大にならないといけない。

2010年2月15日月曜日

としまえん

時間ができるとブラリと訪ねる場所のひとつが「としまえん」だ。練馬区にあるのに豊島園だ。

遊園地が目的ではない。温泉施設「庭の湯」へくつろぎにいく。何が良いかといえば、お子さま入場禁止というシステムだ。大人限定の日帰り温泉施設だから居心地がよい。

腹立ちやイラツキが最高潮に達したりすると平日でも夕方からサボってフラっと出かける。平日は当然空いている。実にお手軽に癒されモードに突入できる。

水着着用のスパゾーンと裸の温泉ゾーンがある。スパゾーンでは歩行浴コーナーで30分も歩けば結構な運動になるし、ついでに激流マッサージで身体をほぐす。

屋外の大型ジャクジーには茶褐色の天然温泉が溢れ、寒い季節は特に気持ちよい。いつまでも温泉に浸かっていられる。

東京ドームのラクーアなんかとは違う点は練馬という立地ゆえの解放感だろうか。スパゾーンのジャクジーも温泉ゾーンの露天風呂も壁に覆われた圧迫感のある露天ではない。木立の中で広々とした庭園の景色が目に入る。

スパゾーンの屋外ジャグジーのそばには大きなログハウスのサウナがあって、ここが私の憩いの場所だ。温泉ゾーンのサウナの方はそれなりに混んでいることが多いが、ログハウスサウナは広い上にガラガラ。

10分のサウナタイムを3セット、ずーっと私一人だったこともある。もちろん、平日の話ではあるが。

iPodをサウナに持ち込む悪い癖のある私にとってサウナが空いているのは有難い。一応ジプロックに入れて持ち込むのだが、いままで故障知らずだ。

一人きりでサウナにいる時は、当然、ゴロンと横になって曲に合わせて歌まで歌う。ハマショーあたりをうなる。

一度だけ目をつぶりながらノリノリで歌っていたら、他の客が入っていたのに気づかず、もの凄く恥ずかしい思いをした。

サウナには飲食禁止とか雑誌類持ち込み禁止とかの注意書きはあるが、iPodが規制対象かどうかは知らない。一度係員に「壊れませんか」と心配されたが、注意されなかったので問題なしとしよう。

ちなみにサウナでの「飲食禁止」の「飲」はともかく「食」が不思議だ。サウナの中で何か食べている人などいるのだろうか。
まあガリガリ君なんかはサウナで味わいたいものではある。

そういえば、最近マイサウナの話を書いていなかった。ローンで購入した私の書斎兼寝室に設置したコンパクトサウナだ。

一応、ちゃんと活用中だ。遠赤外線低温サウナなので65度ぐらいまでしか温度が上昇しないのが困りものだ。

発汗が始まれば、凄い勢いでダラダラ汗が出るのだが、汗が出始めるまで時間がかかる。

最近はサウナスーツ素材の変なタンクトップや腹巻きなんかを着用してサウナ入りする。相当おかしな格好だ。

フルチンなのに部分的に変な服を着ているオッサンだ。決して人様には見せられるような姿ではない。

悩みの種は、なぜかマイサウナの中では「ヤクザもの」を読む習慣がついてしまったこと。普段そちらの世界に付き合いがあるわけでもなく、興味だって無いはずだ。

それなのにサウナの中では“極道に釘付け”。自分でも不思議だ。

古本屋で“任侠道の偉人伝”みたいなソチラ系の人々を描いたマンガを何冊もまとめ買いしてしまった。読めば読むほど恐ろしやって感じだ。

何がしたいのだろう。

2010年2月12日金曜日

カラオケを考える

40ウン年も生きていると「遠い昔のこと」が随分と増えてしまった。ふと自分のカラオケデビューがいつだったのかを考えてみた。

昔は変な大げさな箱に変な大きさのカセットテープを差し込んで伴奏を流していた。新しモノ好きだった祖父の影響で、初期の頃から自宅にあったような気がする。

カラオケ専用機で歌ったのがいつだったかは定かではないが、単に「カラオケ」という意味では、懐かしのラジオ番組を思い出す。

確か「コーセー歌謡ベストテン」という番組だっただろうか。宮川泰が上から目線であれこれ評論していたのを思い出す。

確か番組内で毎週注目の曲を歌手のボーカル抜きで一曲まるまる流すコーナーがあった。カラオケだ。カラオケといってもガイドメロディーが流れるわけではない。生の演奏だけ。

歌手の声を抜いてみると生々しいミュージシャンの演奏が妙に格好良く聞こえた記憶がある。

大田裕美の「木綿のハンカチーフ」や岩崎宏美の「ロマンス」、浅野ゆう子の「セクシーバスストップ」あたりが印象に残っている。

エアチェック好きだった兄が録音して私がマイク片手に熱唱するみたいな間抜けな姿を思い出す。

私が高校生、大学生だった頃は、カラオケはどちらかといえばオヤジの遊びというイメージが残っていた。カラオケボックスが
今ほど普及していなかったことも理由だろう。

30年近く前のカラオケはステージのあるスナックみたいな場所が主戦場だった。チンチクリンのオヤジが菅原洋一をうなり、不良っぽいオジサンは尾崎紀世彦になりきり、パンチパーマみたいな髪型のオバサンは越路吹雪だった。

そんな場所に引っ張り出される幼かった私は、しかたなく初期サザンや沢田研二なんかを歌ってお茶を濁していた。憂鬱だった。

当時は遊びたい若者にとってディスコ全盛期でもあり、カラオケを熱唱する行為は、それこそ当時の流行語“マルキン・マルビ”の「マルビ」に該当するようなイメージがあった。

その後、六本木あたりにやたらとゴージャスな個室カラオケが登場したあたりから風向きが変わった。ディスコが衰退し、どことなく洒落っ気を意識したボックスの台頭で一気にカラオケ隆盛時代がやってきた。

いま我々オジサンは、原体験のせいで世の中の主流となったカラオケボックスに馴染めていない。“歌だけをガナりたてる”という構図がどうもシックリこない。

あくまで“酒を呑む場所でついつい歌も楽しむ”みたいな大義名分を欲しがる。そんな感覚は私だけだろうか。40代のオヤジ達は似たような感覚があるはずだと思う。

そのせいでステージがあるような店で騒ぐほうが落ち着く。エンジンがかかってしまえばボックスだろうがどこだろうが結局は同じである。



しょせん、こういう画像のような姿で声が枯れるまで歌うわけだ。少しせつない。

2010年2月10日水曜日

脳 封印

最近つくづく記憶力が鈍っている。さきほども離席中に電話をもらっていた相手の名前を瞬時に忘れたようで、全然違う人に折り返しの連絡を入れて困惑される始末。

若年性の痴呆症などはこんな風にはじまるらしい。ちょっと調べたほうがいいだろうか?

それ以外にも、人の話を熱心に聞いている最中に突如、頭の中がボーッとすることが少なくない。睡魔のような虚脱感のような微妙な感覚だ。脳がおかしくなっているのだろうか?

そんな深刻な話とは別に、私には記憶にまつわる変な習性がある。都合の悪い記憶を自分の意識から削除する能力?が人並み以上に強いらしい。

久しぶりに会う旧友と昔話をしていると、旧友から指摘される私自身の“若気の至り”の多くを覚えていない。小学校中学校当時より、高校、大学時代の記憶にその傾向が強い。

若気の至りなので、もちろん、ロクな内容ではない。イタズラとか失敗談とかそんな程度のものばかり。聞かされて思い出す話もあれば、まったく思い出せないものもある。

きっと、思い出したくない、忘れてしまいたいという意識が働いているのだろう。恥というほど大げさな内容ではないのだが、やはり無意識に“封印”しているのかもしれない。

先日、20年以上会っていなかった旧友と食事をした際にも、私の脳から削除されていた「恥ずかしい過去」が甦ってしまった。

イタズラというにはちょっとヒドい話で、さすがにその記憶を消し去った私の脳に自分自身で感謝したくなった。

話を聞いても、そんなことするはずない、作り話だろうとタカをくくっていた。そのぐらい「完全消去」に成功していたのに詳しい説明を聞くうちに事情が変わってきた。

話のディテールを想像していたら、不思議なもので、薄ボンヤリとその情景が頭に浮かんできた。そのうち、身体の一部が覚えている触感みたいな記憶が一気に甦った。思い出してしまった。。。。

触感と言っても色っぽい系の話ではない。器物損壊方面のネタだ。さすがにここで書くのはマズい。立派な犯罪だし、さすがに恥ずかしい。

何度もこんな体験をするとちょっと恐い。人に言われてようやく思い出す話が無数に出てきそうな気がする。善行だったら忘れても問題ないが、“恥ずかし系”はマズい。

真面目な顔してマトモな人として過ごしているつもりだが、過去に自分の知らない自分が存在していたみたいで気持ち悪い。

そうは言っても、そんな大げさなものではないし、もったいぶるような話でもない。だいたいの行動パターンや傾向は似たようなもの。

覚えていなくても「そんなことしちゃったかも」という範囲に収まる次元の下らないイタズラレベルの話ばかりである。

下らなすぎる行為への恥が記憶をコントロールしているのだと思う。

一応、女性方面、仕事方面などに関しては「完全消去」しなければならないようなマズい記憶はない。

・・・と思っているのだが、時たまフッと完全に忘れ去っていた人や体験を思い出して、赤面したり、興奮することがある。

あれって脳がどういう指令を出しているのだろう。つくづく不思議だ。

2010年2月8日月曜日

ダウンちゃんとの葛藤

先週月曜に掲載したダウン症の話には直接、間接にいろいろご意見をいただいた。有難いことです。少しでも知っていただけると嬉しい限り。

医師からの宣告を受けた当初は、もちろん、尋常じゃないほど動揺した。目に入るものすべてから色が無くなったような感覚だった。

私だって、もちろん人並みに葛藤する。しんどかった思い出がある。後から続く人の参考になるかもしれないので、簡単に振り返ってみる。

その頃ちょうど九州の病院で「赤ちゃんポスト」を設置する件が世間の一大関心事になっていた。いろんな角度からあの報道を見たことを覚えている。

少なくとも自分と無関係とは思えない次元でニュースを見つめていた。

私自身、幼稚園からエスカレーター式の私立校に通ったせいもあって学校生活の中で身近に障害児と接する機会がまったく無かった。

キリスト教系の学校だったため、折に触れて障害関連の学習は受けた。小学校の頃に宮城まり子さんのねむの木学園を取り上げた映画を見たり、中学時代も障害を持つ人が頑張る映画を見せられた記憶がある。

ただ、身近に接した経験がないと、何を見せられてもしょせん映像の中の話でしかない。現実感の中で障害を持つ人達のことを考えたことなど一度もなかった。

いや、あまりに遠い存在だったせいで障害を持つ人を蔑視するような言動を平気でしていた。

最近では、公立学校のなかで健常児と障害児が交流する取組みが活発化しているらしい。やはり無垢な状態の学齢で健常児が障害児と接することは、お互いの社会性向上のため大きな意味があると思う。

私の場合、周囲に障害を持つ人がいなかったことに加えて、学生時代はもちろん、大人になってからも障害者と実際に交流する機会がなかった。

突然、障害児の親に任命されちゃったわけだから正直「パニック」のひと言だった。

「この命には使命がある」、「ウチを選んだことに意味がある」、「障害はこの子の特徴だ」なんてフレーズを言い聞かせてはみたが、“悪魔の本音”は常に頭から消えなかった。

正直に言うと、手をかけるみたいな発想すら頭に浮かんだ。「このまま階段から落としてしまおうか」とか活字にするだけで胃が痛くなるようなことが脳裏をよぎる。

誰に非難されようがそれが現実だった。

手をかけるような勇気すら無いことに気付けば、次には捨ててしまおうという発想が出てくる。いま思い返せばまさに負の連鎖だ。

インターネットの世界には障害児の親の手記、支援団体のサイトなどが盛りだくさん。ネガティブなキーワードで検索をかければ、それなりの情報が出てくる。

「ヨーロッパでは障害児を育て上げた人達が昔の有意義な時間を懐かしんで障害児を特に指定して養子縁組をするケースがある」―――。

真偽はさておき、そんな記述を見つければ気持ちが揺れ動く。国際養子について調べてみたりもした。

わが子に手をかけられないから捨てるという傲慢な発想は、そのうち自分勝手な屁理屈と言い訳にカモフラージュされて頭の中で広がっていく。

「ウチよりもこの子がイキイキと暮らせる世界がある」、「親に困惑されて育つなら理解者の元で育ったほうが幸せ」とか、しまいには「安易に中絶せずに子どもをこの世に誕生させただけでも価値がある」などという滅茶苦茶な考え方まで頭に浮かぶ。

精神的におかしくなっていたのだと思う。恥ずかしい話だが、それが現実だった。

そんな経験のせいもあって、中絶をはじめ、子どもを手放す行為のすべてをただ安直に断罪することには少し違和感もある。異論もあるだろうが。

あの頃、いろいろな話を聞いて、世の中には様々かつ複雑な事情があることを思い知らされた。

私にも痛くて苦しい経験がある。ダウン症の子を授かったという共通点で知り合いになったお仲間の母子が突如、心中してしまった。励まし合おうと思っていた矢先の出来事だった。

自分達がなんとかネガティブモードから脱しつつある時期だっただけにキツい話だった。

今もつくづく惜しいと思う。可愛い子どもの成長を見てみれば良かったのに、と心から思う。

ネガティブな行為や発想を肯定するわけではないが、ただ闇雲に切って捨てるほどコトは簡単ではない。誰だって何かの拍子に想像も出来ない感覚にさいなまれる。

とにもかくにも、あの頃は後ろ向きな感情しか芽生えなかった。でもあのときの葛藤や悶々とした時間が今につながっていることも間違いない。

一連の傲慢かつネガティブな考えはそれこそ必要悪だったと思う。悪という言葉が的確かどうか分からないが、そんな感覚だ。

しっかり育てていくという着地点にたどりつくために、通らなくてはならない寄り道だったような気がする。

もちろん、医師からの宣告後、すぐに迷いもなく育児に邁進する親だって多いだろう。でも、少なくない数の親たちが「悪魔の本音」「ネガティブな発想」としばらくは闘っている。

その渦中にいる人にとっては、とにかく自分を責めないでもらいたいと切に願う。

ネガティブなことは誰だって思い浮かべてしまう。でも、それで当然。そこを何とかしのぐしかない。

似たような経験を持つ人に思いを聞いてもらうだけでも「ほんの少し」気が晴れる。

大事なことは「ほんの少し」を積み上げること。人間のエネルギーはなかなか大したもので、そのうち目に入るものに彩りがしっかり戻ってくる。

困惑が大きければ大きい分だけ、何とか進み始めた時にしっかり地に足を付けられるのかもしれない。

なんか重たい話になってスイマセン。

いまわが家のダウンちゃんは、毎日毎日楽しそうに暮らしている。どこからみても幸せそうだ。

彼にしてみれば、生まれも育ちもダウン症なのだから、同情されたり、可哀想と言われるのは不本意なのかも知れない。

健常者の価値観では、哀れみの対象だろうが、彼にしてみれば、発達のスピード、色々なことの理解度など、すべてが「標準」であり、彼にとっての「普通」だ。

親としては、つい誰かと比べてしまったり、ムダなことをしがちだ。まだまだダメな部分だが、まあアイツが幸せでいてくれれば充分だ。

なんか自分に言い聞かせるような文章になってしまった。

まとまりがなくてスイマセン。

2010年2月5日金曜日

サラダ問題

サラダが嫌いだ。野菜嫌いだから仕方ないが、「野菜」という言葉よりも「サラダ」という単語自体が気に入らない。

カタカナになって、さもウマいもののようなフリをしている。「要は野菜だろ」といつも思う。

私の中では野菜は敵だ。したがってサラダといえば敵のカモフラージュだ。それがまた気にくわない。

先日、「ボク、野菜が好きなんです」という40過ぎの男に出会った。人の好みに文句は言えないが、「野菜が好きな中年男」って少数派だろう。

野菜は仕方なく食べるものではないだろうか?

中年オヤジに限定して考えた場合、野菜は好き好んで喜んで食べるものなのだろうか?これが肯定されるようなら私の世界観は変わってしまう。

実際はどうなのだろう。世の中のオヤジ100人ぐらいに一斉に聞いてみたい。

ベジタリアンとかいう人々も私にしてみれば宇宙人だ。何が嬉しいのだろうか。

もちろん、体調管理の問題で仕方なくそれを強いられている人はお気の毒だ。同情する。そうではなくて、自ら喜々としてベジタリアン生活をエンジョイしている人々の神経が信じられない。

そんなんで本当に健康で長生きできるのだろうか。どうも怪しい。どんなウン○してるんだろう・・・。

子どもの頃から、野菜を食え、サラダを食えと言われ続けた私は、大学生の頃「マカロニサラダ」に気付いた。

ホントの話なのだが、サラダの定義がよく分かってなかった私は、マカロニサラダもサラダという言葉が付いている以上、健康に良いのだと勝手に思い込んだ。

正体がマカロニであることはさすがに知っていたが、あの味付けがきっと野菜エキスか何かで、たくさん摂取すればヘルシーなんだろうと真剣に思っていた。

当時、母親あたりから野菜不足を心配されても、堂々と「サラダはいつも大量に食ってる」と大真面目に答えていた。

そのぐらい「野菜・サラダ方面」にはピントがずれている私だ。デパ地下なんかでサラダだけを得意になって並べている店が増えたが、見るだけで気分が悪くなる。

せいぜい許せるのはマカロニサラダとか棒々鶏サラダ、カニサラダぐらいだ。

そんな私がサラダを喜んで注文することがある。お寿司屋さんで注文する海草系だ。
厳密に言えば野菜ではないからサラダと呼べるかどうかは微妙だ。

この写真は、高田馬場・鮨源で作ってもらったスペシャルサラダだ。いまだに気持ちだけはダイエット続行中なので、低カロリーでウマい「サラダもどき」は嬉しい。

海草は髪にも良いし、農薬ブリブリの変な野菜を生で食べるよりよっぽど健康的だ。

ワカメを大量に入れてもらって、フグの皮と少々の身を投入してもらう。まともなお寿司屋さんならポン酢はたいてい手作りでウマいので、これまたたくさん注入してもらう。

そしてこの時期の真打ちが白子だ。プリプリジュワジョワ~の珍味の代表である白子を細かくカットしてもらってワカメの周囲に配置。入れすぎるとヘルシー路線と逆行するので要注意。

ワシワシと頬ばると単純明快にウマい。白子が時たまジョワジョワ~ンと口の中で弾けて、ポン酢の味わいを途端にクリーミーに変える。

「白子でクリーミーになったポン酢」。こう書くだけで下半身が熱くなるぐらいの興奮を覚える。

元々は、ウマいポン酢が気に入ったので、ワカメをいっぱいもらって喜んで食べていた。そのうち、貧しい感じに同情されてフグ皮をトッピングしてもらったのがきっかけ。

貧しくなくなった以上、より上を目指そうと旬の白子が参戦したわけだ。どうせなら「富豪サラダ」を目指して、アワビのキモとかカキとかエビだのカニだのイクラあたりもトッピングしてもらおうか。

そんなことばかり考えている。でも「富豪サラダ」だとちっともヘルシーじゃないのが困りものだ。

2010年2月3日水曜日

雷鳥 

相変わらず機会があればクラブ活動に精を出す。不景気な気分を吹き飛ばしたくて出かけるのだろうか。ピーピーなのにそんなことしているから、ますます首が回らなくなる。悪循環だ。

銀座あたりで楽しそうに呑んでいる人々は勝ち組で余裕たっぷりというイメージがある。でも実際のところは、そうでもないだろう。

私みたいにキュウキュウしている人も多い。ただ漠然と「あやかりたい」という心理も働いているのだと思う。元気ハツラツで快調に勢いがある人達が持つ空気にあやかりたいという気分だ。

やはり、「場の空気」って厳然と存在する。安っぽい場所、シケた場所には勢いのある人は集まらない。

人間が持つオーラって確実にその場の雰囲気を左右する。しょぼんとしたオーラが集まれば、結局はシケた空気が支配する。そんな空気の中に身を置きたくない。

勢いのある人、活気に溢れた人が集まる場所には相応の空気がある。いまどきの銀座あたりで繁盛している店は、そういうエネルギーが集まってくると言える。

なんだか、もっともらしくウサん臭い言い回しをしたが、今日は「クラブ活動の意義」ではなく、「クラブ活動での乾きモノ」を取り上げるつもりだった。前振りが長くてスイマセン。

いつでも食い意地が張っている私は、腹ごなし後に出かけるクラブでもテーブルの上の乾きモノに手を出す。ウイスキーを飲むことがほとんどなので、チョコ系はついつい多めに摂取してしまう。

昔懐かしい麦チョコなんかが出てくると、ボリボリといつまでも食べてしまう。さっきまでちゃんと食事をしていたのに何故だか手が止まらない。

ポッキーなんかも罪な存在だ。昔からの定番ポッキーならいざしらず、最近は目新しい風味のポッキーが用意されている。ついバクバク完食してしまう。間違いなくカロリー過多だ。

店によっては、出来たての温かいポップコーンが出されることがある。コショウがしっかり振られた濃い味で、ついつい酒も進んでしまう。

先日は、某店で何気無くつまんでいた揚げ煎餅というかスナックに妙にハマッってしまった。

空腹でもなく、むしろ満腹気味なのにムシャムシャ止まらない。ガーリック風味が妙に強い。スナック菓子とか煎餅というジャンルにしては不自然なほどニンニクの風味が強烈。大人向けに割り切った感じが実に潔い。

偉大なスナックの名前はその名も「雷鳥」。命名の由来がちっとも想像できない。微妙なセンスだ。山中食品というメーカーが作っている。

綺麗どころそっちのけで、雷鳥をベタ褒めしていたら、お店から大きな袋入りを二つもいただいた。嬉しくてバンザイだ。

業務用だからだろうか、やたら大きなサイズだ。普通なら夜の銀座徘徊に持ち歩きたくない感じだが、そんな気取ったことを言ってる場合ではない。その晩は、意気揚々と「雷鳥」を抱えてフラフラした。

お店で教わった秘密の食べ方がまた素晴らしい(大げさだ・・・)。雷鳥にパラパラとカレー粉を振りかけると、これまた独特のオトナガーリックカレー風味。イケル。

自宅で試めそうとした時、カレールーしかなかったので、大根おろしを擂るアレを取り出してルーを粉にした。備前焼の中皿にタップリ盛った雷鳥にパラパラと振りかける。激ウマだ。

いっぱい食べた。口の中がいつまでもしょっぱくて困りものだが、マイルド指向ばかりの昨今、潔いほどのジャンクフード魂だろう。

その後、インターネット上で「雷鳥」の商品情報が随分溢れているのを知った。こういう掘り出しモノを見つけたり、こだわるのがB級グルメの楽しさなんだろう。

2010年2月1日月曜日

わが家のダウン症

わが家の下の子どもはダウン症だ。3才の男の子。ありがたいことに合併症がなく、視力が弱いぐらいで元気ハツラツの日々だ。

「障害を持つ子の親」などというと、なんか大げさな感じがして、あまり“宣伝”してこなかったが、ちょっと考えを変えた。

積極的に宣伝するのもアリだと思い始めた。

子どもの障害を隠すつもりはさらさら無いのだが、そういう話を聞かされた側は多くの場合、反応に困っちゃうことが多い。

“お気の毒・・・、それは大変・・・”みたいな感じの反応が一般的。それが普通だろう。こちらとしてもアレコレ解説するのが面倒だったり、“悲劇キャラ”に思われるのがモドかしかったりして、わざわざダウンちゃんの話を持ち出さない。

実際は、フツーの子育てにちょっと余計な手間と葛藤が加わるだけだ。単純明快に可愛いし、ハッピーな日々ではある。変な表現だが、ちょっと面白くもある。

わが家のダウンちゃんに限らず、障害を持つ子どもが生きていくためには「知ってもらうこと」が何より重要だ。それが急に“宣伝”してみたくなった理由だ。

私自身、ダウン症といわれても、何のことだか分からなかったし、単純に恐いとか、不気味だとか、うつるんじゃないのか等々そんな程度の感覚だった。

まわりにそういう人がいなかったり、聞いたこともなかった場合、誰でもそんな感覚だと思う。

ダウン症は、ヒトが持つ染色体が一本余分に存在する症例。基本的には発達が遅く、発達障害という範疇で語られることも多い。

遺伝に関係なく、古今東西、1000人に1人の割合で生まれる。「ダウン病」と表現しないことから分かるように病気ではない。

だから直るとか直らないというものではない。もちろん、うつるとかうつらないという話でもない。

一般的な特徴は、ひょうきんで穏やか。頑固者という指摘もある。もちろん、人によってさまざまだが、息子のお陰で知り合ったダウン症の子どもは周囲を和ませるタイプが多い。

ここに書いたことだけでも、この雑文を読んでくれた人に知ってもらえれば実に有難い。

意外とフツーです。まあ、「意外とフツー」などと表現すること自体が彼らを差別しちゃっているみたいで的確じゃないかも。

差別ではなく、あくまで区別する程度で理解してもらえると嬉しいです。

遅いとはいえ、ゆっくり着実に発達していく。スローライフとか言っちゃうとちょっと聞こえが良い。

ウチの息子を例にとると、3才になったものの、まだしゃべらない。アーとかウーとかブーが基本で、最近「ヤダ」と「パパ」が上手く言えるようになった。

すべての発達が健常児の半分ぐらいのペース。3才のわが子は1才半程度のレベルだ。いつまでも赤ちゃんなので、可愛いことは可愛いが、さすがに時にはイラつく。

歩くことは出来るが、まだまだヨタヨタ、しょっちゅう転んで顔面血まみれになって親を驚かせる。

電車が大好きで、電車のDVDは飽きずに見続けるし、近所の踏切に連れて行けば喜々として電車を追いかける。

音楽が聞こえるとどんなに眠くても踊り始める。大好物のフライドポテトと唐揚げを見ると、ヒョエ~とか言って満腹だろうとモグモグ食べる。

保育園では両思いの女の子がいて、いつもデレデレ追っかけてチューしているらしい。街を歩く女性にはいつも手を振る。スケベなところは親に似てしまった。

わが家のチビが楽しく暮らしているのも、先輩達の頑張りのお陰だ。ダウン症への理解が広がっているおかげで、保育園、学校などの教育体制や専門の医療支援などが昔より充実してきたわけだ。

“声高に福祉充実を主張するオヤジ”みたいな感じは性に合わないので、あくまで「知らない人に知ってもらう」をテーマに自分なりに発信する機会を作っていきたいと思う。

ダウン症といってもさまざまな分野で活躍する人もいる。

4年生大学を卒業し、文筆、講演活動を活発に行う人
http://www.mct.ne.jp/users/ayaiwamo7/jpindex.htm

天才書道家と騒がれている女の子
http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.htmlもいる。

海外ではカンヌでの受賞歴もある俳優も。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/mon/50620.html

皆さん凄い。と同時に親の前向きな姿勢が大きく影響したことも間違いない。

せっかくなので、わが家のチビも“ダウン症で初の○○”にしてみようと思う。何がいいだろうか。