普段、何でも分かっているような顔をしてエラそうに暮らしているが、その実情はたかが知れている経験とチンケな思い込みが基盤である。
何だか仰々しい書き出しになってしまった。たいそうな話を書こうとしているのではない。
たとえば、女性問題を誰かから相談されたりする。「オレの経験ではさあ~」などと達人ヅラして語ってしまうが、はたして私にどれほどの経験があるというのだろう。
女性に縁がない人に比べれば恵まれていたが、しょせんはチョボチョボである。世の中には100人斬りのマイスター?みたいな人もいる。
まだまだ現役続行である。ドラゴンズの山本マサを見習ってダラダラ頑張らないといけない。
ちなみに、寝付けない夜にヒツジを数える代わりに私が実践するのが「過去の〇〇を数えること」である。
旅行に行ったことがある外国の国名、これまで乗り継いできたクルマの車種、使ってきたカメラの商品名、ハマショーのアルバムタイトルなどなど。
そんな真面目な?テーマのほか、交遊のあった女性を数えるという悪趣味なことにトライすることもある。バカである。
そんなことばかり考えているアホと思われそうだが、そんなことはない。
あくまでブログの内容を楽しく?アレンジするために必死に軟派系の話を無理やり捻り出しているだけだとご理解いただきたい。
普段私が考えているのは、千里同風、恒久平和、経世済民、安居楽業、八紘一宇といったことばかりである。ウソだが。
さて、そっちの話だ。もちろん、深い深い関係になった女性は多くはないから、数えるのは「手をつないだことがある人」とか「1対1で食事をした人」など中学生並みにハードルを下げる。
そこまでハードルを下げると長く生きてきたわけだからそれなりである。幼き日々の甘酸っぱい記憶の中で眠りに落ちたりする。
もしかすると、若かった頃の元気さやマヌケさを懐かしく思い返して、老け込まないように自分を鼓舞しているのかも知れない。
とはいえ、まあ悪趣味な話ではある。またまた自分の恥をブログを通して世間にさらしてしまった。
まあいいか。
それにしても話が大きくそれた。今日書きたかったのは「エビカツ」だった。
冒頭に書いた「自分の経験値など大したことない」という話は、バツグンに美味しいエビカツに遭遇して思い知らされたことだ。
「エビカツ?エビフライじゃなきゃダメだぜ」
これが私の基本姿勢である。というかエビカツという料理自体、そうそうお目にかかるものではない。
エビフィレオとかエビカツバーガーとかその手の店で出てくるぐらいだ。
そうしたファストフードのエビカツは、あくまでコッテリソースと衣を楽しむイメージで、カツの中味は「エビも混ざってる練り物」みたいなイメージがあった。
水道橋にあるトンカツ主体の洋食屋さん「菩提樹」で食べたエビカツは、私にとってのエビカツ概念を覆してくれた。
プリプリのエビの身とタマネギだけで作られているらしい。食感も風味も紛れもなくエビがブリブリ。エビ丸出しって感じだった。素直に美味しい。
エビフライも大好物なのだが、あいつはウホウホ喜んでかじるとすぐにシッポの部分に近づいて切なくなる。
おちょぼ口で少しずつ食べない限りすぐにシッポに到着しちゃう。だからチビチビ食べるハメになる。
その点、エビカツはシッポという残念な箇所がはじめから存在しない。グワシっ!とかじってもシッポが接近してこない。モゴモゴするほど口の中いっぱいにエビカツが溢れる。
味は二の次みたいな書き方になったが、意外にこの点は評価ポイントかもしれない。
エビフライの場合、なぜか衣が剥がれやすい。衣が剥がれちゃった時の剥き出しになったエビの弱っちい姿は見たくない。見てはいけない気がする。エビカツの場合はその点でも安心だ。
この店のタルタルソースもウマかった。エビフライという細い物体にタルタルをトッピングするのは案外やっかいだが、エビカツなら断面にドヒャーとぶちまけてもタルタルソースが脱落することがない。
エビフライから外れて皿に落っこちたタルタルソースほど悲しいものはない。舐めたいけどそうもいかない。フォークでは救いきれない。犬死にである。
エビカツは「タルタル人」である私のパートナーとして信頼できる存在である。
この菩提樹という店は、水道橋に本店を構える「かつ吉」の系列。丸の内や日比谷、渋谷の支店でもエビカツはレギュラーメニューになっているようだ。
トンカツのサイドメニューにオススメである。いや、エビカツがメインでトンカツが脇役でもいい。
どっちでも同じことだが・・・。
オススメです。