2025年1月31日金曜日

ビシャビシャしたい


ピラフ。私にとっては愛しさ満点のご馳走だが、世間の評価はビミョーだ。冷凍食品の安いエビピラフや乗っかっている肉が主役のステーキピラフなどがちょろっと注目されるぐらいで、チャーハンやチキンライスなどに比べると存在感は薄い。

 

日本代表選手であるコメが洋風にアレンジされた一品だから近代ニッポンではもっと英雄視?されていいのにピラフ、ピラフ!と騒いでいるのは私ぐらいである。

 

安い冷凍食品だけでなく、古めかしい喫茶店でテキトーに調理されるパターンが定番化してしまったせいだろう。そうした“カジュアルピラフ”は別として老舗ホテルなどで出てくる高級ピラフの美味しさはこの国の西洋料理の崇高さを象徴するものだと思う。

 

このブログでも10年以上前から折に触れてピラフ賛美を書いてきた。

 ●ピラフ文化論

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/03/blog-post_12.html

 

ピラフの社会的地位を向上させようと孤軍奮闘してきたのだが、当然ながらピラフブームがやってくる気配はゼロだ。やはり西洋風炒めメシ、西洋風炊き込みメシに数千円を投下する物好きは少数派なんだろう。

 

かく言う私も、ここ数年はピラフのことをなるべく思い出さないようにしていた。九段下のホテルグランドパレスが閉館して一番好きだったピラフが食べられなくなってしまったせいである。その後も洋食の人気店には頻繁に出かけているが、私がウットリするほどのピラフにはなかなか遭遇しない。

 

気が狂ったようにピラフを追っかけていた頃に比べれば情熱の炎が消えてしまったような状態だった。

 ●ピラフ病

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/11/blog-post_30.html

 

洋食屋さんでチキンライスやハムライス、はたまたオムライスを食べていれば、愛するピラフを失った痛みへの対処療法になっていた側面もある。

 

そんな私のピラフ病を再発させそうな出来事があった。資生堂パーラーの「チキンライスの素」というレトルト食品がきっかけだ。ご飯と混ぜて炒めるだけの即席版だが、世の中に出回っているチキンライスの素とは一線を画した味だった。

 



チキンライスというよりピラフっぽい雰囲気の味だったからちょっと興奮しながらムホムホ食べた。ご飯だけでなく鶏肉やマッシュルームを追加して味を微調整して作ったこともあって、チキンライス感は逆になくなってしまい高級ピラフっぽい雰囲気に仕上がった。

 



日頃からチキンライスによってピラフ愛を誤魔化していた私のシミッタレた?心に久しぶりにピラフ信号が灯った感覚だった。意味不明な表現ですいません⋯。

 

そんなこんなで久しぶりに高級ピラフを堪能しようと東京會舘のロッシニテラスに行ってきた。私にとって高級ピラフとは専用ソースをビシャビシャかけて味わうのが基本である。東京會舘のピラフもそのパターンだ。

 

黙ってピラフだけを大盛りで注文したい気分だったが、ナゼか気取ってしまって名物のローストビーフも頼んでしまった。ピラフ様の露払い役としては悪くない。

 


 

思えばローストビーフもグレービーソースを自分でビシャビシャかけて味わうのが一般的だ。どうやら私は「自分でビシャビシャする」ことが好きなのかもしれない。久しぶりに食べた本格的なローストビーフは妙にウマかった。

 

やはり、ハヤリのカッチョいいレストランよりも老舗のクラシックな料理にホッコリしてしまう。正しい中高年の姿?である。東京會舘もそうだが、日系老舗ホテルのカフェレストランで出てくるような「ザ・王道」みたいな食べ物が歳を重ねた東京人にとっては一種の“ふるさとの味”だと思う。

 

メインのピラフはアメリケーヌソースをビシャビシャする小エビのピラフだ。東京會舘には舌平目のピラフにシャトーソースが付いてくる名物もあったはずだが、あちらはレギュラーメニューではないみたいだ。

 


 

この官能的な見た目にウットリである。食べるのがもったいないと思ったが、2秒ぐらいでそんなセンチな気持ちは消え失せガツガツと食べた。ひたすらにウマい。空腹の時にこれだけ食べろと言われたら平気で3人前はイケるだろう。ぜひ一度そんな食べ方をしてみたいと思う。

 

ピラフ万歳。そんな言葉しか出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年1月29日水曜日

歌舞伎、ウトウト⋯

 

久しぶりに歌舞伎を見に行った。浅草で先週まで行われていた新春歌舞伎だ。毎年恒例のこの公演は若手役者の登竜門と言われているらしい。市川染五郎や中村橋之助が中心だったが私のお目当ては中村玉太郎。友人の息子だ。

 


玉太郎クンとは以前、旧友の飲み会で一緒になったことがあった。オッサンだらけの集いに参加すること自体、若者として立派な心がけ?である。感じの良い好青年だったので新春歌舞伎に抜擢されたのならナマ観劇しないとなるまいと一人ノコノコと平日の午前中に出かけた。

 

玉太郎クンがいじらしい娘役を担当する演目とひょうきん者に扮した演目を観た。若手歌舞伎役者ばかりの舞台だからフレッシュな感じが良かった。皆さん平成生まれの役者である。そうなるとこちらはもう親の目線である。

 

熟練歌舞伎役者の醸し出す空気とは確実に違うのだが、イキの良さというか必死に頑張っている姿勢がストレートに伝わってきて観ていて気持ち良い時間だった。

 

歌舞伎鑑賞といえば若い頃はただただ退屈だったが、この歳になると独特な空気感を心地よく感じるようになるから不思議だ。日本人としてのDNAのなせるワザなのだろうか。

 



とはいえ、“推し”の役者がいてこそ観劇を楽しめることを改めて感じた。玉太郎クンが出ていない場面が長々と続くと眠くなってしまう。実際に何度かウトウトした。

 

でも、ウトウトする感じこそがひょっとしたら伝統芸能を鑑賞するキモなのかもしれない。セリフ回しや所作、三味線の音色のどれをとってもゆったりしている。せわしなくセカセカした今の時代にあっては非日常のリズムが流れている空間に身を置くことは贅沢な時間だ。

 

その空気感が心地よいからウトウトしてしまうわけで、そんな境地にいることがまさに「いとをかし」である。「歌舞伎って眠くなっちゃうから苦手」みたいな声は多いが、逆にそれを堪能すればいいのだと思う。


伝統芸能を敷居が高い高尚なモノみたいに捉えるのはそもそも間違いだろう。肩肘張らずに思い思いの感覚で楽しむのが正解だ。

 

それにしても気づいたら自分の子ども世代が世の中でブイブイいわせていることが感慨深い。時の流れの速さを痛感する。還暦間近だから当たり前だが、“旧人類”というジャンルに自分がいることにちょっとアワアワしてしまう。

 



思い起こせば甲子園で奮闘する高校球児がいつのまにか年下になってから、事あるごとに自分のいるポジションというか、年代的に社会の中のどのあたりに位置しているのかを気にかけるようになった。

 

その後、プロ野球の監督に年下がちらほら見受けられるようになったあたりから加速度的に人生後半戦がズンズンと進んだ。ナントカ大臣に就任する国会議員がフツーに年下になってきた。総理大臣はまだ年上ばかりなのが救い?かもしれない。

 

なんだかヘンテコな話になってしまった。

 

20年ぐらい前には縁あって能や狂言もナマ鑑賞する機会が何度もあった。あの頃はただ退屈で苦痛だったが、今の歳だったら当時より楽しい時間が過ごせるような気もする。そういう意味では加齢は悪くない。悪くないどころか案外楽しい。

 

若い頃に苦手だったことやものに抵抗がなくなるのが歳を重ねることの強みだ。囲碁将棋や盆栽なんかにこれから興味が湧いてくるのだろうか。浪曲や人形浄瑠璃みたいなものまで実際に観に行ったらハマる可能性があるのだろうか。

 

だとしたら嬉しいような切ないような不思議な気持ちになる。

 

まあ、いい年して若い女性のお尻を追っかけるよりもそっちのほうが建設的?かもしれない。いやいや、老け込まないためにソッチも大事だ。

 

「不惑」を迎えてから20年ぐらい経つのに惑いの日々である。

 

 

 

 

 

2025年1月27日月曜日

新しい復讐のカタチ


フジテレビをめぐる一連の騒動は収まる気配を見せない。12月に一部メディアが報じて以来わずか1ヶ月でここまでの事態になることを誰が予想しただろう。





被害者のことをAさんと呼ぶ。もはやネット界隈では誰だか特定されているが、一応Aさんとしておく。戦略なのか偶然なのかはもちろん断定できないが、Aさんの復讐戦としてはこれ以上ないほどの完璧さである。


ちなみにAさんはフリーでタレント活動をしていくようだ。ただ、最近の彼女の活動を記事にするメディアの多くが「さん付け」で呼称している。メディアによる「おっかなビックリ感」が敬称付きタレントを生み出したのか。ちょっと不思議だ。


話がそれた。軌道修正。


報道されているような金額の示談金を受け取ってもそれはそれで復讐心は消えるものではない。示談に応じたくなかったのに職場や仕事環境に伴う無言の圧力で仕方なく示談に応じただけだった可能性もある。

 

示談の際に守秘義務という口外禁止を約束させられたものの、週刊誌の取材に詳細や個人名を明かさずに応じたことで結果的に加害者の悪行を世の中に知らせることになった。

 

事件の後には自身のSNSで体調不良や入院の事実、PTSDの状況や、職場を退職する経緯の他、再出発の告知を発信している。こうした内容によってネットの世界では報道直後から被害者として特定されていたわけだ。

 

最初の報道の直後やフジテレビ社長のお粗末会見のタイミングに合わせるように、AさんのSNSは更新された。内容は騒動とは無関係なものだが必然的にその発信は大いに注目を集める。


とはいえ、Aさんの個人名が事件に絡めた形で報道されることはない。SNSの更新がたまたま(!)絶妙なタイミングというわけだ。そしてAさんの活動が発信されるにつれ加害者や元職場への批判の勢いは加速していった。

 

結果、示談での守秘義務という契約を破ることなく加害者の悪がオモテに出て、ついでに自分を守らなかった元職場を崩壊させることになった。

 

戦略的に練られた復讐劇だとしたら実に見事だ。表現が適切かわからないが快挙としかいいようがない。

 

性加害事件は本人のプライバシーというデリケートな問題があるだけに被害者は声を上げにくいのが一般的だ。勇気を出して告発したくてもいわゆるセカンドレイプ的な状況に追い込まれる恐れもあり、渋々泣き寝入りやそれに近い示談で終わるケースが多い。

 

法律家から聞いたところによると性加害案件の示談金の相場は100万~300万円程度だという。被害状況によってはその後の人生を台無しにされることもあるわけだからどう考えても安すぎる。

 

そんな程度の金額なら刑事裁判を起こしたほうがマシという考えもあるが、思い出したくもない被害の詳細を何度も事細かく語らさられる厳しい現実などもありブレーキがかかってしまう。

 

今回のAさんの件は、ネット上では本人が特定されてはいるもののあくまで世間の「推測」であり表向きには名前は出ないままだ。名乗り出ていない状態は維持されている。いわば示談契約に反しないまま、裁判も起こさずに“トドメの攻撃”を完遂したような格好だ。

 

あくまで偶然の結果かもしれないとしつこく書いておくが、もし狙い通りの戦略だったとしたら凄い話だ。今に至るこの展開を見越したシナリオを描いたのはAさんなのか、それとも優秀なブレーンがバックについているのか大いに気になる。

 

性加害に代表される泣き寝入り案件の復讐劇の方法としては実に画期的だ。今回の手法?が一種のエポックメーキングになることは間違いない。

 

芸能関係に限らず、どんなジャンルにおいても性的上納みたいなウサン臭い話は存在する。それ以外にも立場に付け込まれた数限りない性加害被害者が存在する。

 

上司と部下、元請けと下請け、教師と生徒、師匠と弟子など「力関係」を背景にした性暴力の被害者が今回の件をきっかけに動き出す可能性も大いに考えられる。

 

示談という形で事実上泣き寝入りさせられても、その後、示談契約の内容に反しない範囲で「外圧」を利用して改めて復讐するようなパターンが増えていくかもしれない。上記したようなチンケな金額で手打ちさせれるのが一般的なら、そういう考え方や方法で対抗するのも当然と言えよう。

 

最近は不同意性交罪という新たな法律もできた。それこそ力関係を武器に意に沿わない性被害を受けたら刑事告発しやすい環境が整備された。


まだまだ周知されていないようだが、普通に想像する力任せのレイプのようなパターンではなくても意に沿わない性行為に追い込まれれば幅広く成立する重い罪である。


暴力や脅迫のような分かりやすいパターンはもちろん、それ以外にも力関係などのせいで同意したくないという意思を表明できない状況にあった場合でも対象になる。


いわば渋々とか、仕方なく応じさせただけで簡単に犯罪者である。法定刑が重く設定されているため初犯でも実刑になりやすいようだ。これまでの強姦罪や強制わいせつ罪よりも格段に裾野は広いわけで、優越的地位が絡めば簡単に有罪になる仕組みだ。


時効は15年だ。加害者側としては泣き寝入りさせたつもりでも15年は刑法犯になりかねないわけだから安易に逃げられなくなったとも言える。

 

従わざるを得ないような力関係を利用した性暴力は男の私から見ても許しがたい行為だと感じる。卑劣極まりない。被害者の人生を狂わせるまでの悪行は些細な金銭的賠償で済まされるような話ではない。


フジテレビのガバナンス問題に世間の関心が集まっているが、一連の騒動の根っこは性被害の酷さとその罪をしっかり追及することの大事さだと思う。





2025年1月24日金曜日

物産展は楽しい

 

デパートの物産展は楽しい。そのまんまの言い方だが何だかんだ凄く楽しい気分になる。余計なものまで買って散在するのが私の悪いクセだが、何も買わなくても楽しめちゃうわけだから大人のワンダーランドと呼んでもいい。

 

職場から歩いて行ける距離に日本橋高島屋がある。自宅からは三越日本橋本店が近い。これって物産展を楽しむには最適な立地だ。マメに行かないとバチが当たりそうだ。今年はもっと真面目に覗きに行くつもりだ。

 

先日、三越本店で開催されていた北海道展でやたらとウマいハムに出会って一気にトリコになってしまった。「大金ハム」という札幌に拠点がある業者さんのハムだ。半世紀を超える私のハム歴の中でナンバー1だった。

 



北海道展といえば海鮮やスイーツ系に目が行くのが普通だ。「わざわざハム?」と言われそうだが、意地汚い私はブラブラしながら差し出される試食はすべて食べてしまうのでバカウマなハムに出会うことができた。

 

あまりの美味しさに2日後にも買いに行った。ついでにお店のオジサンにネット通販している商品の中のどれを注文すればそのハムにありつけるのかを尋ねたのだが、残念ながら私が感動したハムは催事用の商品とのこと。そういうプロモーションのやり方もあるのかと感心した。

 

もっとも、そのハム屋さんは都内各地で開催されている北海道物産展に頻繁に出展しているそうだ。今年上半期の都内での出展予定を教えてもらったから私が“追っかけ”になることは確定である。

 

ついでにベーコンやコンビーフも購入したのだが、ベーコンがこれまた絶品だったのでまとめ買いしてみた。そこら辺で売っているベーコンとは一線を画した美味しさだった。

 

それからしばらくは自宅でハムやベーコンばかり食べ散らかす日々が続いた。もともと豚肉好きの私にとっては至福の時間である。ベーコンのせいで人生初のカルボナーラ作りにもチャレンジしたほどだった。

 

インスタのリール動画の中から簡単そうなレシピを参考に私流のカルボナーラを作った。タマゴは卵黄だけを使い、生クリームではなく牛乳を使った。あとは結構な量の粉チーズにコショウをたっぷり用意、主役はベーコンである。あらかじめニンニクを軽めに入れて炒めた。

 




それっぽく完成した。タマゴもダマになることなくエロティックにパスタ麺を覆い尽くしてくれた。ただ、私が参考にしたレシピがちょっと気取った?路線だったらしく、完成した味は良く言えばローマ風というか大人っぽい感じだった。

 

「ニッポンのスパゲッティーカルボナーラ」をイメージして作ってみたので正直ギャップが大アリである。やはりニンニク抜きで生クリームを使ってタマゴも卵白までちゃんと利用しないと昭和の喫茶店で食べたアノ味にはならないみたいだ。何事もやってみないと気づかないものである。

 

そうそう、デパート物産展の話だった。



今回の北海道展には地の利を活かして混雑していない時間帯に攻め入ることができた。おかげで相変わらず散在してしまったが、ハズレもあればアタリもあるのが楽しい。ハズレの敗北感は切ないが、その分、意外なアタリの喜びも大きい。

 

今回のハズレはかの有名なお菓子「白い恋人」をベースにしたロールケーキだ。個人的な好みなので関係者の方には申しわけないが意味不明な食感、味に思えて敗北感バリバリだった。

 

アタリは下の画像の「たまねぎポタージュ」である。たまねぎスープといえば茶色いコンソメ系が一般的だが、これは珍しくポタージュである。粉末状でお湯を入れるだけで完成する。クリーミーかつオニオン感がほんのりあってホッコリする味だった。

 



値段は忘れたがそこそこの値付けだったと思う。安くてマズいものよりそこそこの値段を払ってでもまともな味のものを口にしたいー。そんなノリなら気に入るはずだ。

 

さてさて、私の行動エリアである有楽町や日本橋、銀座近辺には多くの自治体のアンテナショップが集まっている。いわば常設の物産展と言えるかもしれない。日頃はついネットスーパーやウーバーを利用してどうでもいいモノを買っているが、物産展みたいなそんな店を活用しないのはもったいないことだと思う。

 

最近も沖縄物産の店で沖縄そばとソーキをまとめ買いして「ソーキてんこ盛りソバ」を週末の夕飯にしてみた。牛丼屋の紅生姜も大量に保管してあるのでそれも追加投入してワイルド?に堪能できた。

 

別な日には有楽町の交通会館内にある富山県のショップで鱒寿司の鱒ダブルバージョンを限定販売していた。妙に高値だったから2分ぐらい悩んだが、結局買って帰ってむしゃむしゃ食べてみたら大当たりだった。普段は見かけないこういうものに気軽に出会えるのはラッキーだからもっとマメに探検しようと思っている。

 

話がとっ散らかったが、物産展の楽しみは東京人ならではの楽しみとも言える。全国からいろんなものが集まってくるわけだから地の利を活かしてもっともっと面白がってみたい。

 

 

 

 

 

 

2025年1月22日水曜日

フジテレビとオジ世代

 

まだ今年が始まったばかりだが、年末の流行語大賞にノミネート確実なのが「上納」だろう。言うまでもなくフジテレビの問題をきっかけに飛び交うようになった言葉だ


それにしてもここまで一気に逆風が吹きまくることはフジテレビも想定外だったはずだ。今の時代の「風」の強さというか猛烈な速さには目を見張るものがある。


今回の事件は時代が変化する速度がかつてないほど速くなったことと、世代間格差の急速な広がりを象徴する話だと感じる。


世代間格差はいつの時代にも存在した。至極当たり前の話だが、今の社会は変革スピードが昔とはまるで違う。ほんの20年ぐらいで別な世界になってしまうぐらいの勢いだ。

 

当然、世代の違いによる「ズレ」も昔とは違う。急激かつ想像以上に大きくなる一方だ。フジテレビの一連の問題をめぐる動きも「ズレの大きさ」を甘く見ていたことが元凶だろう。

 



社長会見のトンチンカンぶりにしても「その場しのぎ」「お茶を濁す」ことで騒ぎが収まるのを待つ感覚自体が昭和のおおらかさ、ぬるさをガッツリ味わってきたことの副作用だと思う。

 

バブル時代には社会に勢いがあった反面、面倒なことを先送りしたり、いい加減なやりっ放しや後になってからの辻褄合わなど“テキトー”に物事を済ますという悪弊も珍しくなかった。

 

過程がどうあれ、勝てば官軍みたいな空気が支配的だった時代だから、そんなテキトーぶりも最後はなあなあで済まされていた。良く言えばおおらか、悪く言えばズサンな空気が確実に存在していた。

 

フジテレビといえばバブルの頃にイケイケドンドンで知られていた。社会のキーワードだった「軽薄」を体現するようなハッチャケぶりを支えていたのが世代的に今の上層部の面々だ。

 

今回の一件は、尋常じゃない性被害を社員が受けたことを放置していたということ。このズサンな体質は会社上層部の認識のズレそのものだろう。栄光の時代の反作用が今になって顕在化してきたとみるのが妥当だ。

 

加害者が人気タレントというだけで思考停止に陥り「この世界にいたらそんなこともある」という、いわば間違った「なあなあ精神」で正常な判断ができなくなったのだろう。

 

当たり前だが、CMスポンサーも次々にサジを投げた以上、身売りなり解体という選択しかないと思うがどうなんだろう。

 

フジテレビに限らず、一般の企業にとっても似たような病巣は存在するはずだ。少なからず上層部の世代が昭和世代である以上、今の若者との距離感は想像以上に開いている。単にジェネレーションギャップと言っても過去に言われてきたそれとはギャップの幅自体が比べ物にならないぐらい大きい。

 

大企業から中小企業まですべての職場に共通する話だと思う。どこかの新聞で社長以外はAIしか働いていないという会社を紹介していたが、世代の全く違う人間が複合的に働く職場よりそんなドライな環境のほうが当たり前になる時代が迫っているようだ。

 

話をちょっと変える。

 

昔の若者のほうが上の世代の考えに無条件に染まるケースが多かったと思う。背伸びしたくて必死に上の世代に話を合わせたり、仕事のできる先輩のカーボンコピーになろうと努力したり、自分を捨ててまでその職場に染まろうとしていた傾向が強かった。

 

上司に接待の場に同行したら奴隷のようにかしづいて馬鹿なことをさせられ、それを当然のことと捉えながらそんなバカげた行為に没頭することが社会に適応することだと信じた。丁稚奉公や徒弟制度の名残りみたいな意識がそういう空気の根っこにあったのだろう。

 

エコノミックアニマルという言葉が生まれた戦後の高度成長期から何十年にもわたってずっとそんな盲従型会社人間こそサラリーマンの基本みたいな意識が根付いていた。もっと言えばそこで行われていたことへの善悪の判断すら麻痺する勢いだった。

 

その後、個人の尊重や多様化などの言葉が広まり、働き方改革なる言葉も一般化した。それにつれて「社畜」なる言葉も生まれた。この言葉が昭和の頃には無かったという事実がある意味で興味深い。

 

極めて劣悪なポジションだということを暗に伝える言い回しだが、昭和の頃まではサラリーマン自身に社畜という意識が無かったからそんな言葉も無かったのだろう。すなわち、どんな状況やポジションでもそれを当然と受け止める一種の思考停止状態の人が圧倒的に多かったわけだ。

 

ワークライフバランスという言葉だって近年になって出てきた言葉だ。逆に言えばそれまでの社会にはそんな発想を許さない空気があったわけだ。

 

おまけに「◯☓ハラスメント」に細心の注意を払わなければならない時代になり旧世代は四苦八苦の状態だ。結果、若いサラリーマンの意識は昔とは比較にならないほど激変した。ひょっとしたら明治維新でサムライがいなくなっちゃったぐらいの激しい変わりようかもしれない。

 

それを昭和の空気に浸かった50代60代以上の会社上層部は今ひとつピンと来ていないのが今の時代の問題点だろう。もちろん、上層部のオジサン、オジイサン達も頭では一応理解しているものの、変化を身にしみて実感しているかと言えばビミョーなところだ。人間の原体験や成功体験は簡単に覆せるものではない。

 

なんだか堅苦しい話に終始してしまった。自分自身も社会の変化に何とか対応しないと単なる化石になっちゃうから気をつけないといけない。


今回の一件におけるフジテレビのお粗末体質は世の中すべてのオジ世代にとって教科書にすべき問題だと感じる次第です。




 

 

 

 

2025年1月20日月曜日

ちゃっちゃか作って⋯


食の趣味が原始的になりつつある。こだわりが無くなったのか、ベタな食べ物を楽しむという新たなこだわりなのか、最近は凝ったモノを食べる機会が激減した。

 

いま一番食べたいものは何かと言われたら、子どもの時に食べていた「家のおにぎり」かもしれない。グルメを必死に追究してきたわけではないが、年相応にいろんな料理を食べてきた結論がそこだと思うと何だか面白い。

 

富豪記者を名乗っているくせに牛丼やハンバーガーだけで楽しく行きていけそうだ。それはそれで問題である。好奇心や向上心、開拓心みたいなものがユルユルになってきているのなら老け込む前兆だから要注意だ。まあいいか。

 

とはいえ、牛丼屋さんの安直メシを食べる際も「富豪精神」を保つために贅沢食いは実践している。先日も牛丼の松屋からデリバリーでアレコレ持ってきてもらったのだが、私が食べたものは還暦を迎える大人の食べかたとしては異常だった。

 



牛カルビ肉にキムチが乗った「キムカル丼」の特盛りを基本に、単品で「厚切り豚カルビ焼肉」の肉2倍盛りも一気に食べた。ウーバーだったからこの2品で3400円ぐらいである。松屋の一人メシの値段としては大富豪級である。

 

それにしても牛丼屋さんのアノ安っぽい肉だと脂の部分もペロペロ食べられちゃうのはナゼだろう。牛丼なら煮込まれて出がらしみたいだから理解できるが、焼肉系メニューのカルビと称する肉を食べてもさほど重たく感じない。

 

一般的な焼肉屋さんのカルビは今は一枚も食べたくないのに牛丼屋の肉には特殊な秘密でもあるのだろうか。それとも根本的に私の味覚がヘンテコなんだろうか。謎である。

 



別な日、中央区某所の高級焼肉屋に出かけたのだが、脂身をムシャムシャ頬張る連れの女子を見ているだけで胸焼けしそうな気分になった。私は自分専用の赤身肉を一人前だけ手元にキープして過ごしたのだが、ちびちび酒を飲んでカクテキをボリボリ食べるのがメインだった。

 

安っぽい牛肉ならガンガン食べられるのに高級和牛となると途端に遠慮したくなるわけだからカッチョ悪い話である。一応、私はお坊ちゃん育ちである。子供の頃から高級肉を食べさせてくれた親に申しわけない気分になる。

 

ちょっと話がそれた。食の趣味が原始的になっていることが今日のテーマだった。原始的というと極端な表現みたいだが、平たく言えば「分かりやすいベタな食べ物」だろうか。

 

そんな食べ物が揃うのが居酒屋のシメに食べる炭水化物メニューだ。焼きおにぎり、焼きうどんといった何の変哲もない一品たちが妙に美味しい。以前はツマミを大量に食べることが多かったが、ここ数年はシメの炭水化物メニューをアレコレ頼むのが習慣化してきた。

 



 

新橋あたりで人気の居酒屋グループ「魚金」で食べた焼きそばとエビチャーハンである。画像を見るだけですぐにでもまた食べたくなる。ちゃっちゃか作ってパっと出てきたような気軽な感じが嬉しい。

 

考えてみれば「分かりやすいベタな食べ物」の定義、いや魅力は「ちゃっちゃか作ってパっと出てくる」ことに尽きるのだろう。ラーメンやカレーの専門店だって実はその部分が人気を支えている。

 

実際に私は混んでもいないラーメン屋さんで10分〜15分ぐらい経ってもラーメンが出てこないと、たとえ食券を購入済みでも食べずに帰ってしまうことがある。単なるワガママと言われればそれまでだが「ちゃっちゃか作ってパっと出てくる」感じを求めている以上、ダラダラ待たされるのは騙されたみたいな気がする。

 



 この画像は日本橋の喫茶店「げるぼあ」で食べたピラフだ。この店は知る人ぞ知る「喫茶店オムライス」の人気店である。


カフェではなくあくまで喫茶店という風情が素敵だ。タバコも吸える名店である。オムライスだけでなくナポリタンも人気だ。このブログでも前に紹介したことがある。https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/07/blog-post_10.html

 

オムライスとナポリタンの影に隠れたような存在がピラフである。エビピラフでもチキンピラフでもない。単なる「ピラフ」という素っ気ないメニュー表記にシビれる。

 

ピラフは本来は生米から炊くのが基本だが、単なる炒めメシを洋風の味付けにすればピラフと呼ぶことが一般的だ。「喫茶店メシ」に対してピラフ論をウダウダ書くのも野暮だからそこはどうでもいい。ちゃっちゃか作ってパっと出てきたピラフを幸せな気分で食べた。

 

ウマいかマズいかというワクを超越した「究極の普通」みたいな味だった。こういう食べ物はそれでいいのだと感じた。喫茶店でピラフを食べるというベタな感じが好ましい気分の日もある。

 

人気のオムライスやナポリタンをさておいて謎めいたピラフを頼んじゃう。そんな〝こだわりの男〟を演じる自分に酔いしれる時間である。

 

ただのバカかもしれない⋯。

 

今日は何が書きたかったのかよく分からなくなってしまった。

 

 

 

 

 

2025年1月17日金曜日

引退 郷愁


実質的には引退していたがいよいよ完全決別の時が来てしまった。大学生の頃からの趣味だった潜水・水中撮影からの撤退である。ついに機材を売り払ったから本当に終了である。ちょっとだけ寂しい。

 

もっとも、最後に潜りに出かけたのは2018年である。フィリピンのボホール島に出かけたのが最後の潜水旅となった。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/05/tg-5.html

 

実はその旅行の前年に引退を決めていた。その記念として今までで一番好きだった場所に出かけた。メキシコのコスメル島である。30年以上にわたって熱中した趣味だったから最後は大好きだった海で終えようという計画だった。

 

ところが、この時の楽しさが格別だった。綺麗な作品もたくさん撮れた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/05/blog-post_12.html

 

そのせいで改めて水中撮影への情熱が甦ってきて「大仁田厚」ばりに早々に引退を撤回した経緯がある。つまり50代前半の段階でほぼセミリタイア状態だったわけだ。

 

その後も撮影機材や潜水機材も重要なものは大事に保管して来たるべき次の機会をうかがっていた。しかし、前のように情熱は盛り上がらず、時折目にする高齢者の潜水事故のニュースに妙に納得しているうちに何年も経ってしまった。

 

で、ついにここに及んで撮影機材や潜水機材を売りに出すという思い切った行動に出た。機材が無くなってしまえばウジウジした未練ともオサラバである。セミリタイアという中途半端な状態ではなく完全に引退である。

 

ヤフオクなどで諸々の機材を売り払った。もちろんすべて中古であり10年以上前に購入したものが中心だ。もっと言えば最後に使ったのが5年以上前のモノである。それでも全部で数十万円になった。良いモノや渋いモノを揃えていた証である。

 

すべての処分が終わるまで自宅のアチコチに細かな機材やレンズ類などを散在させていたのでちょっとストレスだったが、それも一種の別れの儀式だと思い直して我慢した。

 



 


そりゃあ30年以上にわたって命がけで熱中した趣味である。マスクや足ヒレひとつとっても上質なものを使っていた。タンクに繋いで使用する呼吸機材「レギュレーター」もかなりの高級品だった。

 

撮影機材もカユいところに手が届くような細かな便利グッズ的小物を大量に持っていたので全部処分した。世の中には同好の士が思った以上に多いみたいで、ヒョイと捨てようと思っていたものにまで5千円や万単位の値がついた。

 

私が愛用した機材で後進の人たちが楽しみを広げてくれれば本望である。ちょっと大げさに言えば、私の命を守ってくれていた潜水機材が誰かの命を守るために再活用されるなら引退する身としてはちょっと嬉しい。

 

一応、動作確認のために格納していた箱から引っ張り出していろいろと点検したのだが、独特の機材の香りにふれてしばし郷愁に浸ったりもできた。嗅ぎ慣れた香りひとつで熱中していた頃の記憶がまざまざと甦ってきた。





メンテ用品の品揃えにも我ながら目をみはった。実に用意周到かつ完璧な小道具たちが用途ごとに分類されてチンマリといくつかのポーチに準備されていた。自分で用意したグッズなのに今更ながら感心してしまった。

 

私にもそんな几帳面で用意周到な部分があったんだとナゼか感心してしまった。やはり熱中する趣味を持つことはその人間の行動パターンさえ変える力があることを再認識した。

 

思い返してみると20年以上前のフィルムの時代の水中撮影という趣味はなかなかに厄介だった。デジタルに移行してからは労力が10分の1で済んでいたような気がする。

 

不思議なもので私の場合は面倒で仕方なかったフィルム時代からデジタル写真に移行したことが情熱を失っていくきっかけになったのも事実である。


簡単便利な変化に最初こそ感激したが、アナログ時代のアノ面倒な感じや思うようにいかないもどかしさの中で傑作写真をモノにすることに喜びを感じていたわけだ。

 

時代に置いてけぼりにされた初老男の嘆きに過ぎないかもしれないが、懐かしく思い返すのはアナログ時代の体験ばかりだ。若かった頃でもあるので貧乏旅行で世界中を旅した思い出と相まって私の心に強烈に刻まれている。

 

ついでに「撮影したい病」と題して過去に撮った水中写真を載せた数年前に書いた話を貼ってみる。そこに載せたのもフィルム時代の写真ばかりだった。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/09/blog-post_29.html

 

機材類を処分したことで完全引退したわけだが、ホッとする気持ちもある。さすがにウン十年もの間には結構コワい体験もした。今の年齢と体力で同じ状況に遭遇したら大げさではなく簡単に死んじゃってもおかしくない。

 

海で死ぬことがなくなった。これが結論でありそれに関してはホッとしている。人生後半戦ってこうやって取捨選択の「捨」が増えていくのだろう。何とも感慨深い。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







2025年1月15日水曜日

私のタラコ革命

 

その昔、家でパスタを茹でるのは結構メンドーな作業だった。大きな鍋に湯を沸かし、麺を投入しても茹で上がるまで時間がかかったから即興料理という雰囲気ではなかった。

 

最近は早茹でをウリにするパスタ麺が主流になったからだいぶ簡単になった。私も暇さえあればパスタを食べている。レトルトパスタソースをちょっとアレンジするだけで本格的に料理をした気分にもなれる。

 

ネットのリール動画を脈略もなく眺めていると簡単手抜きパスタのレシピがやたらと出てくる。それも参考にしながら自分なりにウマいパスタが仕上がると気分がアガる。

 

パスタの味付けは無限大なので今日はタラコパスタに話を絞る。

 

子供の頃、母親が作ってくれるタラコパスタが大好きだった。今もコンビニで出来合いのタラコパスタを買うし、ウーバーでデリバリーを頼む際にもわざわざタラコパスタを探すことも多い。

 

子供の頃はミートソースやナポリタンとは違う和風な感じが新鮮に思えた。大人になっても小洒落たイタリアンのパスタとは一線を画す「ニッポンのスパゲッティー」には独特な思い入れがある。

 

そりゃあイタリアの本格パスタがウマいのは確かだが、昭和の子供にとっての原体験は「母親が作ったスパゲッティー」である。いわば日本料理とも言えるタラコパスタは私にとって一種のソウルフードでもある。

 

とはいえ、大人になって自炊の真似事を始めてもタラコパスタは何となく敷居が高くて?作ったことはほとんどなかった。

 

一番の理由がタラコの中身を出すという作業が面倒だったからである。やってしまえば簡単だがレトルトパスタソースに比べれば随分と面倒なのは間違いない。おまけにタラコなんて冷蔵庫に常備していないし、冷凍していたら解凍がメンドーだからついつい敬遠していた。

 

そんな私に神の恵みのような商品が舞い降りてきた。明太子メーカー「かねふく」が発売している「たらこスティック」である。個人的には革命だ。この存在を知った私はちょっと興奮した。

 



3ヶ月も冷凍保存が出来て、解凍するのも流水で23分である。小分けサイズなのも嬉しい。パスタ一人前なら1袋でちょうどいい。大盛りにするなら2袋使えばバッチリである。

 

明太子のスティックがあることは以前から知っていたが、タラコバージョンは後発らしい。私は明太子より断固タラコ派だ。タラコは大好きなのに明太子は一切食べないという偏屈バリバリ男である。

 

そんなタラコパスタ難民だった私のために開発されたかのような商品である。これを見つけた時には、配送料が商品代金ぐらいかかるのに躊躇せずにこれだけを注文した。

 

昨年末に初めて手にして以来、もう5回ぐらいはタラコパスタを作った。レシピはネットに溢れている簡単なヤツを参考に適当にアレンジしている。さすがに5回ぐらい作ると自分なりの定番の味付けがみえてきた。

 




このタラコスティックに麺つゆ、マヨネース、コンソメを適量ずつ加えて最後にバターで決まりである。大葉や刻み海苔も追加すれば文句なしである。

 

スティックに入ったペースト状のタラコなんて怪しげに思えたのだが、実食してみれば純粋にタラコそのものだった。こんな便利なものを知ってしまった以上、今後私はスーパーでタラコを購入することは二度とないと言えそうだ。

 

今後はこれを使ってさまざまなアレンジ料理を開発しようと妄想は膨らむばかりだ。炊き込みご飯なんかに応用するのもアリだ。仕上げにバターを入れちゃえば何でもかんでもきっと美味しいはずだ。

 

とかいって、根っからの無精者だからきっとタラコパスタばかり作ることになりそうだ。

 

 

 

 

 

2025年1月10日金曜日

睡眠とキンタ◯


眠気と戦うことが増えた。というか、朝がちっとも起きられない。それも8時間、9時間も寝たのにである。何かの病気じゃないのかと心配しちゃうほどだ。

 

若い頃はやたらと寝るタイプだったが、社会人になってからは人並みに過ごしていた。6~7時間も寝ればスッキリ過ごせていたのだが、ここ半年ぐらいはやたらと寝まくるようになった。

 

年を取ると睡眠時間が減ってくるというが、逆もあるのだろうか。よほど起きたくないほどのツラい事情があるわけでもないし、自分でも謎である。

 

自律神経がおかしくなっていると起きられないらしいが、そんな理由だと何だかちょっとスカした感じ?だからそれも違う気がする。ひょっとしたら糖質過剰がもたらした体調変化ではないかと睨んでいる。

 

とはいえ、糖質を減らすような努力もせずに漫然と日々を過ごしている。健康に悪いからコンビニ飯はやめようと決意していたのに、結局は毎日のようにコンビニのパンを朝から頬張っているからダメダメである。

 

それもホイップクリーム入りクロワッサンだのカスタードクリーム入りデニッシュだの冷静に考えて不健康そうなものばかり選んでしまう。

 

60歳近くになって好きなものを好きなだけ食べられることは物凄く幸せなことだ。だったらそんな状況をしっかり堪能しなければもったいないというアホバカ思考が私を支配している。

 

血圧もコレステロールも薬のおかげで基準値をちょこっとオーバーする程度で済んでいる。そのせいで何も制限をせずに好き勝手にジャンクフードまでむさぼっている。裏返せば幸せの塊だが、その反動が日々の眠さやダルさという形で跳ね返ってきている可能性は強い。

 

ダルさと疲れとは違うはずだが、私の場合、ダルいとすぐにスタミナ不足だろうと思い込んでウナギを食べて復活を試みる。ウナギをしっかり食べても翌日になって急にスッキリしていたことはない。でも私の中に「ウナギ信仰」が染み付いているからそんな行動を繰り返す。

 


 

先日も築地の宮川本廛に立ち寄って肝串と山かけで一杯ひっかけてから鰻重をがっついてきた。それも中入れ重である。すなわちウナギが2段になっている贅沢品だ。

 

糖質過剰が日々のダルさの原因だとしたら鰻重の白米までしっかり食べることは逆効果だ。にもかかわらずウナギパワーに加えて山かけのとろろパワーを信じてガツガツと食べてしまった。

 

で、翌日の朝がどうだったかというと、9時間も寝てしまったのに目覚めてもダルくてしばらく動き出せないでいた。ウナギパワーまるで効果なしという結果だった。

 

寝すぎちゃったからダルいのかもしれないが、疲れてもいないのに9時間も眠れちゃうこと自体が普通ではない。困ったものである。

 

おまけに夜の9時や10時にのんびりテレビを見ていると必ずと言っていいほどうたた寝までしちゃうようになった。朝まで十分すぎる睡眠を取っているのに不思議で仕方がない。

 

そんなこんなでまた新たなサプリを試してみることにした。眠さ解消とは違う気もするが、男性の主要なホルモンであるテストステロンの錠剤だ。

 



テストステロンなどと聞くと男性機能だの勃起障害だのソッチ系のイメージだが、そんな目的ではない。気分が沈んだりやる気が出ないという男性更年期的な症状はテストステロンが減少することで生じる。

 

生活習慣病やガンの予防のためにもテストステロンの補充は効果があるらしいので、しばらく飲み続けてみようと思う。功を奏して活力がみなぎってくることを願っている。

 

ちなみにテストステロンが足りている状態で追加補充をしすぎると、精巣が錯覚を起こしてキンタ◯袋が小さくなってしまうという副作用があるらしい。

 

それはそれで怖い話である。これからしばらくはキンタ◯袋が日に日に小さくなり続ける悪夢にうなされそうである。

 

 

 

 

 

2025年1月8日水曜日

マックだのイクラだの⋯

 

年末年始に1週間休んだからまだ気持ちがホゲホゲしている。若い頃のように正月を迎えることへのワクワク感など無くなったくせに、やはりこの時期はフヌケみたいな気持ちになってしまう。

 

大晦日から3日間、高齢の母親を預かったからその間は自分が80代になった時の予行演習のような時間を過ごした。ほぼ外には出ずダラダラとテレビを観て過ごした。

 



 ふるさと納税で取り寄せたアリバイみたい?なおせちは母親のためである。おせちが苦手な私はまとまった休みにはジャンクフードがやたらと食べたくなる。今回もマックの「罰当たり食い」に励んだりした。

 

ダブルチーズバーガーとフィレオフィッシュを合体させる「フィレオダブチ」はもちろん、他にも合体系を食べて悦に入る。エッグチーズバーガーとフィレオフィッシュを合体させた「フィレオエグチ」などは食べ応え抜群で良かった。

 


 

合体させる際には双方のバーガーのパンの片側を捨てちゃうわけだが、合体系じゃなくても私の悪いクセはバーガーのパンを平気で見捨てる罰当たりな食べ方をするところだ。

 

ビッグマックも上と下のパンを捨てて真ん中に挟まったパンだけを頼りに?頬張ると味がダイレクトに伝わってきて普通より美味しく感じる。もともとはダイエットの際に渋々パンを捨てていたのだが、今では色んな種類を味わいたいせいでパンを残しちゃう。実にヒドい食べ方だ。

 



さすがの私も残したパンを再利用しようと考えるのだが、結局は妙案が浮かばず廃棄してしまう。今年はパンケーキ風にアレンジするぐらいの創意工夫にトライしたい。

 

甘いものといえば、暇だったせいで何と自家製プリン作りにも挑戦してみた。ネットで見つけたレシピが超簡単だったのでその通りにやってみたら想像以上に簡単だった。

 

私はプリンのカラメル部分が嫌いだから“本体”しか作っていない。最近、カラメル部分のない“全プリン”をコンビニなどでも見かける。そっちのほうが断然好きだ。

 



で、上手にできたプリンだったが、レシピの想定がカラメルもセットにするやつだったせいか、本体だけだと何かが足りない。バニラエッセンスを入れるとか別の素材を活用するとか改善の余地はありそうだ。

 

それにしても作ってみて感じたのは、砂糖の莫大な量である。市販品と同レベルの甘さを出すにはビックリするぐらいの砂糖を投入する。コンビニスイーツの甘さを思い返すとアレを2つも3つも同時に食べちゃうことがある自分の身体が真面目に心配になった。

 

息子が遊びに来た時には彼のリクエストに答えてマグロ丼とイクラ丼を山盛りで食べさせた。ダウン症の息子は太りやすい体質もあってか母親と暮らす自宅では「普通の一人前」しか食べさせてもらえない日常を過ごしている。

 



甘甘父ちゃんである私の家に来た時はいつもドカ食いだ。マグロのほうはデリバリーで結構高価な本まぐろ丼を頼んだが、イクラ丼はふるさと納税の返礼品をドッサリ盛ってみた。これ以外に私が食べていた肉も随分と横取りしていたからヤツにとっては幸せな時間だったと思う。

 

前にこのブログでも書いたが「すき家」が期間限定で販売しているイクラ丼が気に入ったから、私自身も年末年始の休み期間は外に出るたびごとに食べていた感じだ。

 



ウーバーイーツだと「すき家のイクラ丼」はデリバリーの対象外である。店舗に行かないと食べられない。逆にそのおかげで「毎日毎日イクラ丼」みたいな生活にならずに済んでいるのかもしれない。

 

イクラ丼はメガ盛りを注文するのが王道だと思う。2千円ぐらいするドンブリ飯は牛丼屋という範疇で考えると妙に高い。でも、てんこ盛りになったイクラ丼という事実を冷静に見極めるとむしろ安いと思う。

 

「松屋」より「すき家」のイクラ丼のほうが断然美味しいので今の私の願いはこれが期間限定ではなく、通年の標準メニューになってほしいことだ。署名運動したいぐらいである。

 

なんだかオチもまとめもない話に終始してしまった。今年もこんな感じで気ままな日常が過ごせたらそれだけでハッピーだ。

 

 

 

 

 

 

 

2025年1月6日月曜日

閲覧数ベスト10


今年もよろしくお願いいたします。

 

このブログを書き始めたのは2007年だ。気づけば18年近くになる。生まれた赤ちゃんが成人するぐらいの年月だと考えると実に感慨深い。

 

私的な雑文ばかりだが、もはや私の自伝的半生記?兼日記?みたいになってきた。目指すものは何も無いのだが、書くという作業は脳にも良い作用を与えるし、人間には何かしらの反復作業が必要な気がするので、まだまだ続けていこうと思う。

 

本日は新年一発目だから毎年恒例の前年の年間閲覧数トップ10を紹介したい。一位はナゼか昨年と同じく10年前に書いた「色気」をめぐる考察である。日々せっせと更新しているのに過去モノが2年連続で一番読まれたのかと思うとちょっと複雑な気分だ。

 

その他はやはり時事ネタ的な内容が上位に来るようだ。松本人志とかトランプとか固有名詞系?は閲覧数が増える傾向になる。

 

それ以外だと、ちょっとセクシーな画像を乗せた話が上位に来るのも例年の特徴だ。それにしても男女のウンチク?みたいな話を一生懸命書きたがる自分はまだまだ青いのだろうか。

 

念願の旅先だったポルトガルに行った話よりもついでに立ち寄ったパリの話がよく読まれたのはオリンピックの影響だろう。親心の話やジェネレーションギャップや健康問題のネタに関しては読んでくださる層が私と近い年代だからだと想像している。

 

閲覧数の多かった順に並べてみたのでお時間のある方は改めて覗いてやってください。

 

 

色気

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/02/blog-post_28.html

 

 

松本人志とか

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/02/blog-post.html

 

 

見栄心 ビビリ心

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/07/blog-post_03.html

 

 

騙す女、貢ぐ男

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/05/blog-post_15.html

 

 

パリを歩く

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/06/blog-post_05.html

 

 

トランプさんの食事

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/03/blog-post_13.html

 

 

オスの矜持

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/10/blog-post_30.html

 

 

父親という存在

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/07/blog-post.html

 

 

歯と膝

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/07/blog-post_05.html

 

 

世代間ギャップと鰻

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/05/blog-post_10.html