2024年10月30日水曜日

オスの矜持

 

「禁欲的なことの押し付け」ほどタチの悪いものはない。SNSの普及がもたらしたヘンテコな監視社会が今の時代の特徴だ。人より楽しそうなヤツを見つけるとすぐに“歪んだケシカラン精神”がしゃしゃり出てきてバッシングを始める。

 

先日このブログでも書いたが、政治家が鰻弁当を食べたことをSNSに投稿しただけで炎上しちゃうわけだから薄気味悪い話である。“歪んだケシカラン精神”は単なるヒガミ根性とも言える。

 

禁欲は美徳みたいな感覚は社会に根強くはびこっている。清貧こそ崇高なものという理念は総論としてはアリだが、そこから外れたからといってそれを短絡的に悪だと決めつけるようだとトンチンカンだ。

 

なんだか難しい話になりそうだから軌道修正。今日は単に「好き勝手に生きてみたい」という話を書く。

 

江戸時代の健康押し売り書「養生訓」の影響もあってか、禁欲を中心にした生活が長寿の秘訣みたいに思われている。しかし、禁欲の効果ははたしてどれほどのものだろう。正直言って怪しいものだと思う。

 

「酒もタバコも女もやらず百まで生きた馬鹿がいる」という有名な都々逸があるが、禁欲して長生き出来ても何が楽しいのか甚だ疑問だ。私の周りを見回しても好き勝手に人生を謳歌している人は案外長生きしている。そんなもんだろう。

 

好きなものを楽しく食べたほうがストイックな食生活に励むよりも健康でいられる。当たり前のようなこんな話が昔より世間では一般化してきた。結構なことだと思う。

 

やれ油モノはダメ、揚げ物は控えろ、闇雲に野菜を食え、しまいには外食ばかりじゃダメだ等々、世の中の「禁欲派」はロクに根拠も知らぬまま得意になって私のような「フシダラ派」を非難する。

 

食べ物の話だけではない。とかく世の中では「いい歳して…」という枕コトバを使って大人から活力を奪おうとする。これも一種の禁欲の押し受けであり、根っこには“歪んだケシカラン精神”、すなわちヒガミ根性があるのだと思う。

 

有名人の不倫を異常なまでにバッシングするのだって「あいつ、ウマいことやりやがって」というネタミみたいな感覚が隠れているのだろう。モテない自分、勇気のない自分を認めたくないから正義感ぶって他人の行動に散々文句をつけて溜飲を下げる。ちょっと言い過ぎかもしれないがそんな一面もあると感じる。

 

何歳になろうと男はオスだからスケベ心はいつまでも消えない。でもそんな当たり前の生理現象でさえ「いい歳してバカじゃないか」と責められる。

 

責めるほうがバカだと私は思う。でも、世間では禁欲派がさも正統派かのように振る舞うから、多くの中高年男性、はたまた老年男性がショボンとして暮らしている。

 



これでは社会から活気が失われるのも当然だ。若者は放っておいても元気だが、中高年以降は意識して元気でいようと思わないと簡単に干からびる。オスとしての本能を適度に刺激することはイキイキと暮らすためには非常に大事だと痛感する。

 

そもそも男女のまぐわいを生殖活動以外の快楽として面白がるのは人間だけだ。いわば特殊能力である。だから生殖適齢期を終えても発情し続けるわけだ。歳を取ったからといってそれを闇雲に抑圧しようというのは自然の摂理に反する間違った考えだという見方もできる。

 

セックスを快楽として受け入れてきたから変態プレイに興奮するのも人間の特徴だ。コスプレに興奮したり、拘束プレイにムホムホできるようになったのは大脳が異常に発達したおかげだ。セックスを生殖活動に留まらず快楽目的のレジャーに発展させた生き物は地球上で人間しかいない。

 

生殖適齢期を過ぎても欲求が消えないのが人間だから、オジイチャンがバニーガールの格好をした女の子と拘束プレイを楽しみたいと考えても異常なことではないわけだ。それをオモテに出さないのは世間にはひこる禁欲同調圧力のせいでしかない。いわば単に我慢しているだけだ。

 

とかく健康のために大事なのは「我慢しないこと」だと言われる。我慢はすなわちストレスである。だから健康で長生きするためにはエロに対する我慢も時には発散したほうが良いという理屈になる。

 


 

それなりの年齢になると「子どもの手前…、孫の手前…」等々、エロなんて無縁だみたいな態度をしがちだ。それもある程度は社会秩序のため?に必要だが、人様に迷惑をかけない範囲で“解放”することも大事だと思う。

 

秘密結社じゃないが、オッサン同士、オジイチャン同士で集まってエロ動画鑑賞会を企画するとか、勇気を出して同好の士を集めて風俗店を利用するとか、程度はどうあれ、エロを封印せずに暮らしていくような心掛けはあって然るべきだと思う。

 

世の中、高齢者だらけになってきた。男はいつまでもオスであるという現実をもっとオモテに出すような社会運動?は必ず必要になってくると思う。

 

還暦も近づいてきたのに相変わらず煩悩の塊みたいな私自身を正当化するような話に終止してしまった。

 

いずれにせよ、「いい歳して…」みたいな世間の禁欲的同調圧力には徹底抗戦して生きていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

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