2024年5月17日金曜日

ニッポンに生まれて

 

日本の食べ物はウマい。自分が日本人だからそう感じるのかと以前は思っていた。激増した外国人旅行者は口々に日本の食べ物を褒めまくっているから、どうやら日本の美食は地球レベルで真実みたいだ。

 

これまで出かけた国や地域は40ぐらいになる。すべて旅行でちょろっと覗いたぐらいだが、食べ物に感激する機会は多くなかった。どちらかといえば首をひねることのほうが多かった。

 

「親ガチャ」みたいな言い方をすれば、こと食べ物に関しては日本に生まれたことは「国ガチャ」における勝ち組である。どんなジャンルの料理も豊富に揃いそれがまた高いレベルだ。これって幸せなことだと思う。

 

日本に生まれたのが幸運と書いたが、50100年単位で早く生まれていたら今のような百花繚乱状態は楽しめない。飢饉に苦しむ時代に生まれたら行き倒れになった人の死体を齧っていたかもしれない。

 

逆に今と同じ時代にまったく別の場所で生まれていたら事情はまったく変わる。アフリカあたりの未開の国だったら今の私のように食を楽しむという発想すら無かっただろう。

 

世界に冠たるアメリカだって多くが田舎だ。毎日、豆とパンと決まった味の硬い肉ぐらいしか食べていない人も多い。そう考えると今現在の東京に暮らすことは「国ガチャ」どころかトンデモないレベルの凄い宝くじに当たったぐらいの幸せだと思う。

 

ちょっと大袈裟な書きぶりだが、先日、久しぶりに極上の水炊きとスープを堪能したので、ふとそんな感慨にふけってしまった。

 

新宿の市ヶ谷寄りにある「水炊き・玄海」は昔から鶏好きな大人たちを喜ばせてきた店だ。私が最初に体験したのはもう30年以上前になる。仕事の付き合いで連れて行かれたのだが、美味しくてビックリした。

 




この店の水炊きは何といっても野菜をいっさい入れていない点が素晴らしい。野菜のせいで薄まらず野菜の香りが邪魔になることもない。スープの旨味にほっこりする。

 

自分で行くようになってからはおそらく鍋のスープをおかわりしなかったことは一度もない。液体なのに酒の肴にもなるほどひたすら味わっていたい美味しさだ。

 

肝心の鶏肉も締まった肉質で旨味も強い。何切れだろうとエンドレスで食べていられる。コースしかない店だからいつも一番安いコースを注文して鍋の鶏肉とスープを追加注文するのが私のパターンだ。

 


 

コースだからちょこちょこ料理も出てくるが、いつもそちらのことは忘れてしまう。ただただスープと鶏肉をお腹がプカプカ鳴り出すまで堪能し続けるのが幸せだ。

 

店員さんによると外国人客も増えているそうだ。はたしてこの店の滋味あふれる水炊きをどう感じるのだろう。これぞニッポンの味とも言える。シンプルだけど深みがとてつもないこの味が理解できれば正しい味覚の持ち主だと認めよう。

 

妙に上から目線の書き方である(笑)

 

話は変わる。日本蕎麦の美味しさも外国人に理解できるのか気になるところだ。ラーメンなら油っぽいし小麦粉麺だから通用するのは当然だが、蕎麦は独特だ。食べ方だってよく考えればちょっとヘンテコだ。

 

わざわざ小さなおちょこに蕎麦をちょろっとつけてズルズルすするわけだから蕎麦文化に無縁の国の人からすれば一種異様な世界だろう。

 

同じ日本人でも明治維新後にエバって東京にやってきた薩摩の下級武士なんかは江戸前の蕎麦の食べ方がわからなかったらしい。ザルに載った蕎麦につゆを上からかけ回してしまい卓の上をつゆまみれにした失敗談を何かで読んだことがある。

 



先日、築地の「さらしなの里」で普段は注文しない変わり蕎麦を食べてみた。ゆず、よもぎなど季節ごとに変わり蕎麦は用意されているが、今の時期は茶そば。本格蕎麦屋がわざわざ作る茶そばに興味が湧いた。

 

茶そばを好んで食べたことはない。たいてい何かの付け合せ的な存在で茶の香りも風味もたいして感じた覚えがない。色だけ付いたテキトーな一品というイメージだ。

 

嬉しいことにこの日の茶そばは私のそんな思い込みを軽く吹き飛ばしてくれた。お茶の風味をしっかり感じた。色も妙に美しい。こんなレベルの茶そばなら普段からちょくちょく食べたいと思った。

 


鴨や蕎麦がき、天ぷらを肴に蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを楽しみ、せいろ、さらしな、そして茶そばを堪能した。どっからどう転んでも「ザ・ニッポン」である。若い頃とは違う中高年ならではの幸せを満喫した。

 

 

 

 

 

2024年5月15日水曜日

騙す女、貢ぐ男

 

新宿のタワマンに住む25歳の女性を刺殺したとして50代の男が逮捕された事件。なんだか哀愁を感じる話である。さんざん貢がされたのにソデにされた恨みで殺しちゃったわけだ。50代の男のバカさと哀れさにメディアはこぞって大騒ぎだ。

 

貢ぐために消費者金融から金を借り、趣味のクルマやバイクも売払い必死になって人生最後の結婚のチャンスに賭けたらしい。男女の距離感が分からない中年男の危なさを象徴する話だ。

 

先月は「頂き女子・りりちゃん」こと25歳の女が複数のオッサンたちから総額15千万円以上を騙し取ったとして懲役9年の実刑を食らった。こちらの案件ではオッサン達を騙して金をむしり取るマニュアルまで販売して荒稼ぎしていたが、新宿の事件後にそのマニュアルが“評価”されるヘンテコな事態になっている。

 

マニュアルには「趣味がないオッサンを狙え」という趣旨の内容があったそうで、新宿の事件もその点を守っていれば安全?だったという理屈だ。要は大事な趣味まで捨て去って貢ぐような男はあとが怖いという意味合いだ。

 

なんだかバカげているというか、マトを射ているようなビミョーな話である。いずれにせよ前後不覚になったオッサンの破れかぶれの行動ほど危なっかしいものはない。世相も相まってこういう洒落にならない事件は今後もどんどん増えるだろう。


若いオネエチャンが金満ジイサンをたらし込むといえば、かの「紀州のドンファン事件」を思い出す。いずれはあの事件が「騙されるオッサン文化」という現代病?の出発点として歴史に記憶されるような気がする。

 

そんな事件が増える背景は単純だ。結婚しない、結婚できない人が増えているのはデータ上も明らか。その多くが対人関係の作り方が苦手で、引きこもり気味な人も少なくない。今の時代、SNSを代表とするネットの世界やゲームに一人で没頭することで世間の現実を学ばないままオッサンになる人は多い。

 

昔でいうオタクっぽい人々ともちょっと違う。昔のオタクはオタクでコミュニティを作ったりして案外明るく人生を楽しむ人も多かったが、今の時代は根暗な被害妄想の中に生きる陰湿なタイプが増殖している。

 

やつあたり的な妙な復讐心みたいな動機で通り魔的事件を起こすような厄介な連中が増加していることは近年の諸々の事件を見れば明らかだ。いっぱしの年齢になっても冷静な判断、常識的な見極めが出来ない連中が物凄い勢いで増えているようだ。そんな連中を百戦錬磨の詐欺師が騙すのは簡単なことなのかもしれない。

 



かたやパパ活という言葉に象徴されるように若い女性がお小遣い付きでオッサンに付き合う文化?がすっかり定着した。しょせんはお金ありきのキツネとタヌキの化かし合いだから手練れの女子はニブいおっさんを簡単に手玉に取る。

 

「頂き女子・りりちゃん」が9年もの実刑判決を受けたのも、チマタに横行する詐欺女による被害が思った以上に甚大だから一種の見せしめ効果を狙ったものという考えるのが妥当だ。

 

格差社会、貧困の固定化によって若い女性のカジュアル売春が珍しくなくなった。それを支えるSNSは日増しに便利になり、SNSを舞台にした怪しい詐欺も横行する。そんな危なっかしい世界にもかかわらず居場所を求めて男達が誘蛾灯に群がるように集まる。


社会性の欠けた大人の増加や結婚できない男性の増加という時代の特性を考えると、SNSを入口にした「騙され事件」が減ることはない。今この瞬間もどこかで誰かが騙されてむしられるのが「普通のこと」になっているのだろう。

 

思えば、昔から水商売などの女性に騙されて身を滅ぼす話は珍しくない。松本清張の作品の世界もそうした“業”や“サガ”のオンパレードだ。今の時代はSNSの普及で素人とプロの線引が曖昧になったからトラブルの広がり方も際限がない。清張先生が生きていたらどんな作品に仕上げてくれたか興味深い。

 

ちょっと軌道修正。


しょせんオッサンと若いオネエサンの組み合わせは大半が「カネがすべて」だ。その基本原則を忘れるからトラブルになる。冷静さを失って舞い上がっちゃうオッサンがシャレにならない被害を受ける。

 

ある意味、女子の気を引くために小遣いを武器にするのはオッサンの特権?でもある。それ自体は世の中の潤滑油としてアリだと思う。需要と供給の話だ。ただ、前提として「常識的な金額に留める」という暗黙のルールは存在するべきだ。そこがすべてのカギだろう。

 

ギャンブルだろうが、女遊びだろうが、趣味の世界だろうがこの基本的な前提は非常に大事だ。人によって経済レベルは違うが、誰にだって「絶対防衛ライン」はある。そこを守れないのは単なるバカで、水原一平サンやナントカ製紙の元会長サンという奇特な?世界の話になってしまう。

 



お人好しの私だってこれまでの人生でずいぶんオネエサンたちにタカられた。当然、下心の見返りにタカりに応じてきたところもある。それでも自分の中で金額の線引きは当たり前にある。だから地団駄踏んで悔しがるような騙され方をしたことはない。

 

逆に言えばそんなチマチマした考え方だから豪放磊落なり無頼漢になるなんて無理だったわけだ。あくまで自分の凡人ぶりを実感する。たった一度の人生、突き抜けちゃった人をちょっとだけ羨ましく感じたりもする。

 

話を戻す。

 

おカネありきの男女関係と聞くと眉をひそめる人も多いが、一概にそんな悪いことばかりでもない。たいした金額ではなくても「カネが前提」という部分を男側も一種の壁にして相手との距離感を適度に保てるという効果もある。

 

男女の仲について勘違いをするのは何も男だけではない。女性だって勘違いをして必要以上に距離を縮めてくることがある。その防波堤になるのがおカネの存在だ。その壁のおかげで適度な距離を維持できるのも確かだろう。

 

私自身、これまで何度もインチキ臭いタカり話を体験してきた。やれ親の入院費だ、やれ弟の学費だ、はたまた整形費用を騙されて自己破産しそうだ等々、当たり前のように私には無関係なテーマだ。知ったこっちゃない。当然、すべて断った。もう少し信じたくなるようなマトモな作り話を考えろと言いたくなる。

 

財布を落としちゃったから2万円ほど口座に送金してくれという寸借詐欺みたいな話もあった。よほど親しければ別だがそんな相手ではないから断った。でも、2万じゃなくて2千円でいいと言われたら信用したかもしれない。案外そんなものだろう。

 

一応、私はレッキとした独身だから今も若い女性たちと付き合いもある。交通費名目で小遣いも渡す。でも「もっとちょうだい」みたいな空気を感じたら残念ながら終了である。もっと渡せるにしても、いや、目的完遂?のためにもっと渡したくても、一度応じたら必ずそれがクセになるのが人間だ。後ろ髪を引かれてもオサラバしたほうが賢明だ。

 

一種のヤセ我慢みたいな部分もある。でもそこさえブレなければ変な詐欺には遭わずに済む。人間って不思議なものでタカったりせびったりしてこない相手には逆にこちらからサービスしたくなる。どうせならそういうノリでおカネを渡したいものだ。

 

実際、そんな流れで高い服を買ってあげたり、結構な金額を渡してしまったことは何度もある。もともと私はどちらかといえば太っ腹なほうだから、上手く取り入ってきた女性には割と財布のヒモが緩くなってしまう。

 

もちろん、常に「程度問題」という意識は維持しているが、数を重ねれば結構な出費になる。結局はアレコレと強がったところで無駄に散在してきたのは事実だ。

 

でも騙されたとは思っていない。そう信じたい()

 

何だか話がまとまらずに終わってしまった。


 

 

 

 

 

2024年5月13日月曜日

野菜はコーラか?


テレビを見ていたら野菜だらけのマズそうな中華丼を食っていたオヤジが「野菜不足を感じたから今日はこれです」と得意げに語っていた。はて、野菜不足を感じるとは一体どういうことなのだろうか?

 

来年還暦を迎えるぐらい長く生きてきた私である。物心ついてからは野菜を天敵とみなして毛嫌いしてきた。いくつかの野菜は年齢とともに食べられるようになったが基本的に野菜は嫌いだ。実際に食べない。でも野菜不足を感じたことなどない。

 

トンカツに付属してくるキャベツや鍋に入っているネギなんかは一応食べることもあるが、ハンバーグやステーキに添えられた人参やインゲンなんかに手を出したことはない。

 

添え物野菜は手を付けなければ次のお客さんにも使えるだろうから綺麗なまま触れずに残している。気遣いバッチリである。かろうじて蕎麦に欠かせないネギみたいな薬味や生姜焼きに付属する玉ねぎや大根おろしなどは苦手ではない。むしろ好きだ。でもいわゆる緑黄色野菜と呼ばれる連中はすべて嫌いだ。

 

自慢気に書くことではないが、あと10年ぐらいこんな食生活のままでいられたら「野菜なんか気にしなくても大丈夫ですよ」という実体験を全世界に発信しようと考えている。

 

これまで半世紀以上も野菜無しで健康で過ごしてきた。大病もしていない。膵臓がんのリスクのせいで昨年は細かくチェックしてもらったが、あれも食生活は関係ないと専門医に言われた。

 

持病といえば時々、扁桃腺が暴れるぐらいであれも野菜うんぬんの症状ではない。高血圧、高コレステロールは野菜不足も原因かもしれないが、そんなものはクスリでコントロールしているから問題はない。野菜をちゃんと食べていたって中高年にもなれば血圧やコレステロールが高くなるのは珍しくない。

 

一応、青汁やサプリは結構真面目に接種している。10年以上そんなものに頼っているが、普通に元気でいられる原因がそれだとしたら苦手な野菜を吐きそうになりながら食べる必要はないという理屈になる。

 

ツラく苦しい思いをして苦手な食べ物にトライするのは相当な忍耐が必要だ。そんなことを繰り返していたらきっとストレスで癌になってしまうと真面目に感じる。

 



ネットで見つけた「野菜を食べないとどうなる?」というページでは野菜不足によって起こる8つの症状が羅列されていた。画像の通りだが、私にはほぼ当てはまらない。

 

便秘もしない、肌も荒れない、肩はこらない、貧血にもならない、イライラもしない。強いていえば生活習慣病になりやすい点が一応合致するぐらいである。このサイトを見たことで逆に何も心配はないみたいだと変に納得してしまった。

 

「コーラを飲みすぎると骨が溶ける」。まことしやかにそう言われて育った世代だが、周りを見渡しても骨が溶けたやつは皆無である。「野菜を食べないとウンヌン」という話もそれに近い迷信みたいな話じゃないかと思い始めている。

 

もちろん、青汁様やサプリ様あっての私の健康状態だとしたら、さすがに「野菜全否定」は出来ない。一応はサプリなどの助っ人を真面目に頼ることを前提にすることで成り立つ考え方かもしれない。

 





最近の自作ライナップである。相変わらず野菜は無い。冷やし中華は沖縄そばバージョンである。ふるさと納税で取り寄せた「東江そば」という人気店の逸品だ。

 

コシの強い太めの沖縄そばの麺がバツグンで付属の豚バラ肉も沖縄感を盛り上げてくれる。麺の完成度が高いから彩りのためだろうと決してキュウリなんか入れてはダメだと思った。

 

ドライカレーは市販の素を使って味を微調整しただけ。具材として追加したのは鶏肉とマッシュルーム、玉ねぎだ。玉ねぎもみじん切りになっている冷凍モノを使っているから簡単調理の極みだ。ウスターソースを隠し味として追加すると味が広がる。

 

パスタの具材はツナとエリンギとしめじだ。もちろん野菜は出番なし。これも「まぐろのガーリック醤油」というレトルトパスタソースにツナ缶ときのこ類を追加投入して仕上げに粉末のバジルなどで味を微調整しただけ。

 

家で作るのもこんなラインナップである。外食に行けばウナギか寿司屋、トンカツ屋あたりが中心だ。野菜とはまるで無縁である。大好きな洋食屋さんに出かけてもクリームコロッケやオムライスみたいなメニューを選ぶし、シチューを頼んでも人参や芋は残す。

 

大衆酒場に行っても焼きとんや焼鳥あたりが基本で冷奴やマカロニサラダ、もっといえば赤いウインナーを嬉々として食べる。野菜とは縁がないまま今の今まで来てしまった感じである。

 

結論。青汁やサプリってエラい、そして凄い。それしか言いようがない。




2024年5月10日金曜日

世代間ギャップと鰻

 

 いつの間にか自分が旧人類になっていることに時折ビックリする。若い世代に通じない言葉が増えてきた。「ズック」とか「トックリのセーター」とかを口にしようものなら「何ですのん?それは?」と返される。

 

先日はカルピスをめぐって驚いたことがあった。水で薄めて飲むのがカルピスの基本だということを若い世代は知らないらしい。思えばカルピスウォーターなる“完成品”が世に出たのは随分前の話だ。

 

カルピスウォーターを初めて飲んだ時に「妙に薄いな」と感じたと同時にこれが正しい水とカルピスのバランスだったのかと感心したことを覚えている。育ちが良い?私は贅沢にも家でカルピスを濃い目に作っていたわけだ。

 

当時、お歳暮などで家に届くカルピスは宝物に見えた。ぶどう味みたいなイレギュラーなやつが混ざっているとかなり興奮した。割る時の水加減に気を配るのもいま思えば楽しい時間だった気がする。

 

話は変わる。真っ当な専門店のウナギを食べたことがない若者も多いみたいだ。10年ぐらい前から稚魚の不漁を理由に価格が高騰したことで若者が手を出せる食べ物ではなくなったのは確かだ。

 

昔ならハレの日に家族でウナギを食べるような文化があったが「失われた30年」という貧困志向も相まってそんな贅沢も激減したのだろう。

 

食べるにしてもせいぜいスーパーで売っているウナギか牛丼屋が期間限定で提供する鰻丼ぐらいになり、専門店で職人が手掛けたウナギを口にしたことがない若者ばかりになったのも頷ける話だ。

 

先日、高校生の息子と散歩ついでに吉野家に入った。ダウン症の息子は体質的に太りやすいので普段は食べ過ぎないように母親がわりと厳しく管理している。私と会うのは月に1度か2度程度だからその際はドカ食いをさせている。息子にとっては至福の時間だと思う。

 



この日は牛丼特盛に加え唐揚げ丼に鰻重、親子丼を注文。私が食べたのはトータルで1人前ぐらいだったから息子は3人前ぐらいを余裕で平らげたわけだ。牛丼がウマいのは当然だが、ちょっと驚いたのが鰻重の進化だ。

 

牛丼屋の鰻重はマズい。私は長年そう思ってきた。マニアックに老舗のウナギ専門店に出かけている私の口がおごっているのも確かだが、数年前に何度か食べた時の記憶が最悪だった。小骨だらけで臭みも感じた。こんなものを食べて育つ子供はウナギが嫌いになるだろうと心配していたほどだ。

 

ところが久しぶりに食べてみた吉野家の牛丼は見違えるように進化していた。並盛で1200円、二枚盛り2千円である。コスパ的に充分合格と言えそうだ。もちろん、老舗の専門店と比べるほどではないが、子供が食べてもウナギを嫌いにならないぐらいにはちゃんとしていた。

 

「あれれ?案外ウマいんじゃないか!?」。その日は少ししか食べなかったから確認したくなって後日ウーバーで注文してみた。過去に何度かウーバーで牛丼屋の鰻重を注文してその都度後悔していた。ちょっと勇気を出して再トライしたわけだ。

 



ふむふむ。やはり以前に比べると格段に進化している。エラそうな書きぶりで申しわけないが結構満足した。食後に変な味が口に残るようなこともなかった。身も厚いしタレもベトベトではなかったしヘタな和食屋で食べるよりマトモかもしれない。二枚盛りだったらかなり贅沢な気分に浸れるはずだ。

 

ニッポンの企業のたゆまぬ努力の賜物だと感心した。中国のウナギ養殖場も日本企業の指導で昔とは様子が変わっているらしい。逆に言えば数年前のあのマズさは何だったんだろう。よくあんなレベルで商品展開したものだと逆に気になってしまった。吉野家以外にもウナギを出す他の牛丼チェーンも同じように進化しているのだろうか。

 

ついでにウナギのネタをもう一つ。今まで「まあまあ」だと思っていた鰻屋さんの鰻重が妙に美味しくて嬉しかった話である。お店は神楽坂にある「志満金」。過去に何度も食べに行ったことがある店だ。

 



雰囲気も渋めでお気に入りの店の一つではあったが、ナゼかこの日は今までよりも遥かに美味しく感じた。今年食べた鰻重の中で一番美味しく感じた。ちょっと首をひねっちゃうほどウマかった。

 

老舗だからそうそう味が変わるはずはない。私の味覚に異変が起きたのか、それともよほど機嫌が良くて体調も良かったのか、はたまたたまたま一番の腕っこきの職人さんが手掛けた鰻重だったのだろうか。

 



吉野家の鰻重みたいに確認のために再トライしようかと思っている。最近は職場や家の近くでしか外食しなくなってしまったから今回みたいな刺激は新鮮だ。

 

ここ5年ぐらいですっかり開拓精神が希薄になり、ジャンルを問わず決まった店にしか足を運ばなくなった。この悪い癖?のせいで老け込んでしまわないためにもマメにいろんな場所に行ってみようと思う。

 

 

 

 

 

 

2024年5月8日水曜日

クリームシチュー問題

 

「クリームシチューをご飯にかけるか問題」は結構広い範囲で議論のマトになっているらしい。要はパンとともに食べるのか、カレーライスみたいにご飯とセットで食べるのかという話である。

 

人の好みだからどっちだって良いのだが、私は断然ご飯にかける派だ。理由はない。ただ子供の頃からそうしていたからだ。ついでに言えばパンは朝しか食べないから必然的にそうなる。

 

逆にパンじゃなきゃイヤだという人がそれなりに多いことに驚く。カレーのルーを前にパンを出されたら私は気を失うはずだが、それに近い感覚だ。ビーフシチューしかり、液体系のものはご飯にかけて食べたい。

 

今までレトルトカレーやレトルトハヤシの研究に励んできたことはこのブログでも何度も書いた。

 

ハヤシ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/12/blog-post_29.html

 

カレー

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/100.html

 

イマドキのレトルトはかなり本格的な商品も多く、昔の感覚のままで食べずにいるのは実にもったいない。というわけで、最近はクリームシチューのレトルトをせっせと研究している。

 

クリームシチューのレトルトはスーパーでは地味な存在だ。レトルトカレーはあってもシチューは無いケースが基本だろう。あってもハウス食品の定番品がポツンと置かれているぐらいだ。

 

定番のレトルトクリームシチューは私が苦手な野菜が主役みたいな感じだ。人参や芋が存在感バリバリのサイズで入っている。シチュー自体が食べたい私は敬遠しがちだ。

 

それ以前に世の中にはクリームシチューのレトルト自体が少ない。ネットでせっせと調べたがかなり限られた商品しか見つからない。レトルトカレーが100としたらレトルトハヤシが25ぐらいでレトルトクリームシチューは5ぐらいの割合でしか存在していない感じ。スーパーに置かれないのも仕方ない。

 



大きめのちょっと高級路線のスーパーだと「新宿中村屋・濃厚クリームシチュー」を見かけることがある。入手しやすいだけで有難いが、こちらも人参や芋が威張っているから個人的には下位ランクだ。でもシチュー自体はかなり美味しいので野菜が平気な人にはオススメだ。

 




ネットで取り寄せた「たいめいけん・チキンクリームシチュー」もシチューの味がとても良かった。ご飯との相性が良いのはこれが一番だったかもしれない。野菜は小さめだったからドカすのがラクなのも良かった。

 

お次もネットで取り寄せた「三笠会館・クリームシチュー」。洋食界の老舗のものだけに期待したのだが、個人的には低評価。ちょっと味にクセを感じた。レトルトっぽさが強い感じか。



どうしても「野菜問題」がクリームシチューの壁になっているのは確かだが、ネットであれこれと口コミを見ていたら「野菜がほとんど入っていない」という悪評?のある商品を見つけた。それなら私には悪評どころか朗報である。コスモ食品という会社の「ごろっとチキンのクリームシチュー」である。

 


生クリーム感が強いのでパンに合わせて開発されたような雰囲気だが、ご飯派の私は普通に白米をお供に食べている。何が素晴らしいかといえば人参がいっさい入っていない点である。芋も小さなカケラがちょこっと入っているだけでチキンは多め。上の商品画像は追加で具を入れた際のものだろう。下の画像が実態だ。

 


 

ネット上の商品ページには「お好みの具材を入れて楽しんでください」と書いてあったから野菜好きが後から好きなものを追加することを想定しているわけだ。野菜嫌いの私にとっては実に素晴らしい商品コンセプトである。潔いぐらいシチュールーだけである。リピート確定だ。

 

他にもいくつものレトルトクリームシチューを取り寄せてみた。どれもそれなりにウマいが「コスモ食品バンザイ」は変わらない。人参が入っていない商品は他にはまだ見つかっていない。

 




こんな偏った論評を書いても誰かの参考になるとは思えないが、レトルトクリームシチューは世の中であまり注目されていないから、まずはそこから改革を始めて欲しいと切に願う。

 

私の場合、主に朝ごはんの際に面倒だからレトルトを利用するのだが、カレーやハヤシだとちょっと重いと感じる時もある。その点、優しい味のクリームシチューなら朝向けだと思う。正直こっちも朝からクドいのだが、色が茶色や黒じゃなくて白っぽいから何となく朝向きだと信じ込むようにしている。

 

理想の朝シチューを求める私のレトルト探求は今後も続きそうだ。

 

 

 

 

 

 

2024年5月1日水曜日

幻の沖縄そば

 

ふと食べたくなるのが沖縄そばだ。「そば」とは名ばかりで東京人がイメージする蕎麦とはまるで別物だが一応「そば」である。コロナ前には沖縄そばだけ食べていたような旅もした。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/01/blog-post.html

 製法的にはラーメンと同じだ。沖縄は古い時代には琉球王国として独自に中国と交易していた。その流れで生まれた麺だからラーメンっぽいわけだ。

 

余談だが、沖縄が昭和40年代に本土復帰を果たした際に「沖縄そば」の名称をめぐって一悶着あったらしい。公正取引委員会だかどこかの役所から「製法や原料が違うのだから“そば”と名乗ることは許さん」とイチャモンがついたとか。

 

結果的には地元の人達の頑張りでどうにかこうにか無事に名称利用が認められたのだが、もしダメ判定のままだったら今頃は沖縄ラーメンと呼ばれていたかもしれない。

 

そんなエピソードひとつとっても沖縄の人の戦後は想像を絶する苦労があったことが偲ばれる。本土の人間の傲慢さに悔しい思いをしたのだろう。ボクシングのレジェンド・具志堅さんも上京後はアパートひとつ借りるのにも差別されて大変だったらしい。

 

いま沖縄はどんどん発展しているが、いろんな特区に指定してでもバンバン繁栄してもらうのが日本国としての責任だと感じる。

 

話がそれた。沖縄ラーメンより沖縄そばのほうが何となく情緒がある。やはり名称って大事だ。今更ながら当時の沖縄の人々の頑張りに敬意を評したい。

 

大学生の頃、ダイビングで頻繁に沖縄を訪ねた。もう40年近く前になる。当時は東京に気軽に入れる沖縄料理屋は無かったから現地で初めて食べた沖縄そばに衝撃を受けた。

 

正直、マズいと思った。そばだと聞いていたのに謎の麺に薄いスープ、おまけに当時は苦手だった紅生姜まで乗っている。トッピングのソーキがウマかったので何とか食べたが、第一印象は最悪だった。

 

その後、何度も仕方なく食べた。ダイビングの昼休憩に選ばれる店が沖縄そば屋ばかりだったので気づけば結構慣れ親しんできて美味しさが理解できるようになった。その後、沖縄には20回以上は旅をしたから今では大ファンである。

 


 

有楽町の交通会館の地下にカジュアルな沖縄そば専門店がある。ちょくちょく立ち寄る。ソーキが別注出来るのが魅力でいつも2000円近いコストをかけて豪勢に食べる。このあたりは富豪級である。

 

肉を食べに行ったのか麺を食べたのか分からないような感じだ。今では紅生姜も店から注意されそうなほどドバドバと何度も入れてしまう。ラーメンにしても必ずチャーシューを多めに食べたい私にとってソーキをぶりぶり投入する沖縄そばは至高の一品だ。

 

有楽町付近には沖縄物産展みたいなショップがいくつかある。立ち寄るとついつい沖縄そばや調理済みのソーキなどをまとめ買いする。自宅で手軽にソーキを多めに入れて楽しむことになる。

 


 

時には沖縄そばの麺を使って自家製焼きそばを作ることもある。縮れた平打ち麺を使うと普段の焼きそばとは違った焼きそばが出来る。なかなかオススメです。

 

過去に現地で何度か沖縄焼きそばを食べて感激したことがあるので再現を試みるのだが、私が使う市販の焼きそばソースだと何だかんだ言って味は単なるソース焼きそばに落ち着いてしまうことがちょっと残念ではある。

 



沖縄そばにも細麺や太麺、平打ち麺などいろいろあるが、やはり沖縄っぽさを一番感じるのは平打ち縮れ麺だろう。この麺にはちょっとした思い出もある。

 

20年以上前のとある沖縄旅行の際、帰りの那覇発の飛行機で食べた機内食の話だ。確かJALだったと思う。平打ちの縮れ麺を使った冷やし中華風の沖縄そばの和え麺が出てきた。ごま醤油風のタレが麺に絡んで卒倒するほどウマかった記憶がある。

 

あれから沖縄に行くたびに沖縄そば屋や沖縄料理屋で似たようなメニューがないかと常にチェックしているのだが、それっぽいものを見つけたことはない。きっと機内食業者が苦し紛れ?に作った思いつきメニューだったのかもしれない。

 

私にとっては死ぬまでにもう一度食べてみたい幻の一品である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年4月26日金曜日

六大学野球とナポリタン

 

「昨日亡くなった誰かが生きていたかった日」。今日はそういう日だ。要は一日一日無駄に過ごしてはいけないという戒めのような言葉である。

 

果たして自分はどうだろう。無駄な時間ばかり過ごしている。きっと最後の段階でもっとあーすれば良かった、こーしておけば良かったと後悔しまくるのだろう。そんなもんだろう。

 

予定のない休みの日などはダラダラ寝坊してメジャーリーグ中継を観て、ベランダでタバコを吸いまくって散歩に行って大福を買って食べるといった同じようなパターンで過ごしている。

 

ラジオ体操を10回ぐらいやってみたり、料理教室に通ってみたり、熟年お見合いバスツアーに参加すればいいのになかなか新たな試みにトライしない。もったいないことだと思う。

 

この前の週末、たまには変わったことをしようと六大学野球を観戦に行った。数十年ぶりである。観戦したのは明治対東大。東大戦なら観客もまばらだろうと思ったのだが、実際にガラガラだった。妙にゆったり野球を楽しめた。

 




応援団席にまとまったお客さんがいるぐらいで一般内野席はチラホラと観客がいる程度。いとも簡単にネット裏に陣取って野球観戦が出来るのだからなかなか画期的な時間だ。

 

これなら老後の趣味にも良さそうだ。ちゃんとビールの売り子もいる。内野席全体で23人だったから注文するのがちょっと大変だったが、コロナ明けの頃はプロの試合でもアルコールが禁止だったことを思えば天国である。

 



この歳になって学生野球を真面目に見てみた感想は素直に清々しいの一言。ハタチ前後の若者が必死に野球を頑張っている姿は眩しい。パスボールをバックネット裏付近まで追いかけてきた東大のキャッチャーの必死の形相になぜだかちょっと感動した。

 

プロ注目の明治・宗山選手の打席もしっかり見てきた。今年のドラフトの目玉だけにさすがに立ち姿から他の選手とは違うオーラを感じた。打撃、守備ともに身のこなしが柔らかい。別モノだった。

 

想像以上だったのが東大野球部の頑張りだ。もっとヘロヘロなイメージがあったが、ホームランは打つわ外野ではファインプレーを連発するわ、かなり鍛えられている印象だった。

 

私の人生には縁もゆかりもない東大だが、判官びいきで東大野球部のファンになってみるのも面白いかもしれない。電光掲示板に表示された選手の出身高校も明大とは当然ながらまるで違う。プロ予備軍が何人もいる明大相手にキチンと試合になっていただけで褒めたくなった。

 



試合観戦後、神宮球場の周りを散歩する。中学3年から2年ぐらいこの近辺のテニススクールに通ったことを懐かしく思い出す。女子が大勢いたから男子校生だった私の胸はいつもキュンキュンしていた覚えがある。青春初期の甘酸っぱい思い出を辿りながら時の流れの速さに唖然とした。

 

老け込んでばかりもいられないとその後はレンタルチャリで帰宅することにした。外苑前から赤坂、霞が関、日比谷、東京駅を経由して30分かからない程度の距離だ。運動不足解消を目論んだが、やはり電動自転車はちっとも疲れない。単に心地良いだけだった。

 

話は変わる。休みの日には簡単調理も手掛ける。まな板と包丁を使わないという私のルールの中で今回作ってみたのがナポリタンである。


野菜嫌いなのにピーマンとタマネギまでちゃんと入れた。もっとも冷凍カット野菜を取り寄せて使ったので自分では料理っぽいことはしていない。

 

ピーマンは親の仇ぐらい嫌いなのだが、不思議とナポリタンには入っていて欲しい。味の完成度に不可欠だと思う。それ以前にピーマンを抜くとナポリタンとは名乗れない気がしたのでしっかり投入。これを怠たら負けた気がするから仕方ない。

 

ソーセージはシャウエッセンだ。それも普通バージョンではないシャウエッセンプレミアムである。このあたりのコダワリが私のエンゲル係数を破壊的にするのだろう。正直、普通もプレミアムも味はたいして変わらない。

 



で、それっぽく完成。レトルトのナポリタンソースをベースにちょこっと余計な味付けをしていっぱしのナポリタンが出来上がった。味も実に真っ当で満足した。でもちょっと意外だったのが麺の茹で加減である。

 

イタリア人並みにアルデンテにうるさい私だ。普段、自宅でパスタを作る時はかなり硬めに仕上げるのが基本だ。ナポリタンも同様に作ったのだが、不思議なことにナポリタンにはアルデンテが合わないような印象があった。

 

あくまで個人的な感覚だが、ナポリタンの麺はモサっとしてるかブヨっとしてるのが正しい姿だと感じた。やはり昭和に生まれた日本のオリジナル料理だからそこが大きなポイントなのかもしれない。茹で置きしたムッチリ感がナポリタンの真髄だと気付いた。

 

「パスタ」どころか「アルデンテ」という言葉を誰も使っていなかった時代の食べ物だ、謎のソフト麺ですらスパゲッティーという名前を臆面もなく名乗っていた時代の産物である。麺は規定時間通りに茹でるぐらいでちょうど良かったのだろう。

 

こんな発見をしたぐらいだからこの日の私の時間は無駄ではなかった。大いに意味のある一日だった。無理やりそう解釈することにした。





2024年4月24日水曜日

パワハラ、セクハラ、ミズハラ


「パワハラ、セクハラ、ミズハラ」なる言葉まで生まれた大谷選手とイッペーさんの騒動。とりあえず大谷さんの潔白が証明された格好になったが、いまだメディアではこの件をめぐるネタで大盛りあがりである。



 

このブログでは何度も大谷翔平賛美を書いてきたから、私としても一ファンとしてホッとひと安心という心境である。

 

というわけで、今回の事件について一般メディアとは違った視点で取り上げてみたい。

 

私の職場では税金関係の専門新聞を発行している。その関係で日本記者クラブなどの関連団体にも所属している。その関係で2年半前にプレスセンターで行われた大谷さんの凱旋会見にも記者が出席した。

 

その日はスポーツ系の記者会見ではなかったから様々な角度から質問が出たが、わが社の記者は大谷選手に高額納税者としての意識や要望などを投げかけた。唐突といえば唐突な質問にも大谷選手はキチンと答えてくれたことが印象的だった。

 

当日の夜のテレビニュースなどではその部分のやり取りがバンバン使われた一方で「野球以外の場違いな質問をしたのはどこのどいつだ」的な批判もネット界隈で展開された。運動記者会の会見じゃないわけだからウチはウチの視点で質問するのは当然なのにプチ炎上した格好だ。

 



今回の事件では、奇しくもまさにその記者会見の頃からイッペーさんが悪事に手を染めたことが発覚した。いま思えば大谷選手の“経済問題”に関心を持ったことは場違いでもなんでもなかったように感じている。

 

と、手前ミソな話はこのあたりでヤメにしてイッペーさんによる巨額な使い込み事件に関するスポーツ芸能マスコミが書かないネタに話題を移す。

 

当初、イッペーさんは大谷選手の口座から使い込みをしたと白状して、二度とバクチに手を出さないという約束のもと大谷選手が借金を肩代わりしてくれたと話した。直後に球団と大谷選手がこの発言を全否定したのはご存知のとおりだが、仮に肩代わりがあった場合には税務上は贈与の問題が発生する。

 

アメリカの贈与税はもらった側ではなく、贈与した側が課税される仕組み。すなわち大谷選手が無駄に税金を負担することになり、それを怠れば脱税という話になってしまう。

 

肩代わりがウソだったということでその心配はなくなったように思えるが、だとしても今回の被害について大谷選手側がイッペーさんに形式的にせよ賠償請求なり返還請求をしなければ、やはり贈与したと判断される可能性は残っているわけだ。厄介な話だと思う。

 

他にも今回の事件の罪状が「詐欺罪」という点も税金の観点からは結構大きな意味を持つ。窃盗ではなく詐欺だと意味合いが変わってくる。

 

泥棒被害だったら所得税の扱いでは雑損控除(日本での名称)が適用され一定の所得控除が受けられる。ところが詐欺に関しては雑損控除は適用されない。

 

この取り扱いは日本もアメリカも確か同じだったと思うが、詐欺か盗難で税制の救済は大きく違う。その理由としては詐欺にあった場合は本人にも落ち度があったという解釈になるから。普通の詐欺は知らぬ間にお金を盗られるわけではなく自らの意思でお金を動かすという部分が落ち度とみなされる格好だ。

 

ただ、今回のイッペーさんの罪状は「銀行詐欺罪」。すなわち銀行への詐欺だから大谷さん自身が詐欺にあったわけではないという理屈も成り立つ。大谷さん側が盗まれたことを立証する捜査機関の書類などを用意することで盗難被害としての雑損控除も適用の余地はあるように思える。

 

雑損控除といっても一部の金額が救済されるだけだが、今回のように被害額が巨額なケースではその金額も一般人から見れば結構な金額になるはず。“野次馬的一般人感覚”ではその行方も気になってしまうところだ。

 

いずれにせよ、チマタではいまだに陰謀論的な話も聞こえてくる。簡単にいえばメジャーリーグを代表するスターを守るために国家絡みで大谷さんが潔白になるストーリーを作り上げたという内容だ。

 

検察官がわざわざ大谷さんを被害者だと会見で発表した時は岸田首相が訪米していたタイミングでもあり、バイデンさんと岸田さんとの間でもこの事件への“すり合わせ”があったという奇天烈な噂話もあるらしい。

 

震災が起きるたびに出てくる人工地震説みたいな話だろう。物事をナナメから見たがる私でもさすがにそんな話は大谷さんの話題にウンザリしている人々の“居酒屋談義”レベルのものだと思う。


まあ、なんだかんだ言って私は大谷選手の大ファンだから素直に翔平さんのことを信じている。希望的観測だろうが信じたいというのが本音だ。

 

やましいことがあったら騒動の渦中でも試合でガンガン打ちまくるなんて芸当は常人では絶対にありえない。そう言ったら言ったで翔平さんはもともと常人ではないと突っ込まれそうだが、とにかく私の大谷翔平ラブは不変である。

 

 

 

 

 

 

2024年4月22日月曜日

喜びと感謝のドカ食い


ドカ食い。来年還暦を迎える私にとっていつまで続けられるか分からない崇高な作業である。若い頃のドカ食いには苦しさと後悔がつきものだったが、この歳になると「喜び」と「感謝」が加わる。

 

こんな歳になってバカみたいにドカ食いが出来るのは健康を維持している証拠でもある。これは喜ばしい。ドカ食いが躊躇なく出来る収入があって宴に付き合ってくれる友人がいるのも有難い。感謝である。

 

平たくいえば単なる暴飲暴食なのだが、それを言っちゃあおしまいなので、定期開催しているドカ食い大会のことは「喜びと感謝の宴」と名付けたいと思う

 

というわけで今回はトンカツを死ぬほど食べる会を満喫してきた。もともと我がバンドメンバーである旧友と中華料理屋さんで「炭水化物だけでどれだけ食えるか大会」を開催したのがきっかけだ。その後、基本メンバー3人で何度か熱い戦いを繰り広げてきた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/12/blog-post_18.html

 

今回の試合会場は東銀座の「はせ川」。このブログにも何度も登場している名店である。比較的トンカツのメニューが豊富なのでアレコレ食べ散らかすには最適なお店だ。

 



 

 

私自身も何度も足を運んだ店だが、行くときは一人か二人。注文するものはほぼ決まっている。今回はドカ食い大会だし大食い3人の男の集いだから今まで頼んだことのないメニューにも挑戦できることが嬉しい。赤枠で囲んだメニューの品々をすべて平らげた。なかなかの戦果だろう。

 

上等なロースには脂身が多いというヘタレた理由でロースカツは「並」と「しそチーズロース」のみ注文。ヒレについてはこの店の名物でもある極上の「シャ豚ブリアン」と変わりカツである「梅紫蘇ヒレ」にした。画像は一部だけ載せる。

 





今回始めて食べた標準の「ロースカツ」が想像以上に良かった。脂身の量は適度で肉の締まった感じや甘味とのバランスが良い。コスパ的にかなり優秀な一品だと思った。

 

シャ豚ブリアンはさすがの一言。変わりカツ2種もベースのトンカツのレベルが高いから邪道感は無し。すべてウマかった。その他にも極上のメンチカツやクリームコロッケも食べた。なかなかに攻めた揚げ物ざんまいの時間だった。

 


揚げ物ばかりじゃ飽きそうだからと生姜焼きも注文。一種の箸休めである。極上のカツメニューが揃う中、これを注文する人はかなりのアマノジャクか我々のような宴を行う人なのだろう。

 



トンカツの名店が作るカツサンドがマズいはずがない。これは世の中の真理と言える。とはいえ、トンカツ気分で店を訪ねたらサンドイッチを優先して注文する気にはならない。当然、この店のカツサンドは初めてだった。いやはやウマいの一言。さんざんカツを食べまくった後に出てきたのに凄くウマい。

 

空腹の時に出されたらその美味しさに卒倒するのかもしれない。今後は絶対にかつサンドはお土産用に注文しようと決意した。今回はロースだったのでヒレカツサンドも非常に気になる。

 



メニューの中に「カレールー」という気の利いた一品があったのでそれも注文。ほぐし肉がどっさり入った和風カレーだ。これをさまざまなカツにドサっと乗っけて食べるのも大いにアリだった

 

漬物や肉味噌きゅうりなどもツマミにしてアルコールも摂取していたから十分満足であり早い段階から苦しくなり始めた。でもそんなことは気のせいだとメンバー全員で励まし合いながら食べ進む。

 

かつサンドを終えたところで終了ムードが漂ったのだが、余力がゼロとは言い切れない雰囲気も漂う。満足感はあるが達成感はないというヘンテコな理由で最後にカツ丼を追加注文した。

 

この店のカツ丼も以前から気になっていた。普段は上等なカツの単品を2つほど注文する私にはどうしてもたどり着けない一品だった。今回の特殊活動によってようやく味わえることになったわけだ。

 



満腹で苦しい時に出てくるカツ丼を想像して欲しい。普通の神経ならゲンナリするはずだ。でも今回の我々は正常な精神状態ではない、いわばイッペーさんみたいにぶっ飛んでいたので余裕でムホムホ食べた。

 

3等分にしたわけだから実際にたいしたことはなかった。個人的には3分の1では物足りなかった。強がりではない。そのぐらいウマかったからまだまだ食べられそうだった。

 

総括すると充分バカみたいに食べまくったのは確かだが、ほんの少し不完全燃焼みたいな気持ちもある。オーダーするタイミングの読み違いでちょっと料理の提供に間が空いたことと、この会に慣れてきた我々メンバーの守りに入りがちな姿勢が災いして、あと2品はいけたのではないかと考えている。

 

とはいえ、あと2品食べていたらその後は確実に体調不良になったはずだ。結局、この日の帰宅後、太田胃散を大盛りで2回飲み、翌日は午後まで太田胃散を手放せなかったのだから十二分に戦ったことは確かだ。

 

次回はいつどんなジャンルでこの「喜びと感謝の宴」を展開するか検討し始めようと思う。

 

 

 

 

 

2024年4月19日金曜日

散歩と豚丼

 

散歩が楽しい季節になった。都心に暮らし始めてから散歩のついでにムダ遣いをすることが増えた。住宅街を散歩しているなら“無料”で済むのだが、繁華街だとついついウマそうな和菓子を買ったり、ジャンクフードを衝動食いしてしまう。

 

今の住まいは三越前駅にも人形町にも近いからどっちに行っても私の購買欲は上がってしまう。三越に行けばデパ地下に寄って惣菜やスイーツをあさってしまう。「たねや」の水ようかんなどはこれからの季節の生活必需品かのように買ってしまう。

 

人形町も老舗和菓子屋がいくつもあるから甘味だけでなくロクに食べない煎餅なども衝動買いをする。水天宮に近い「三原堂」は甘味の他に塩せんべいが人気だが、私の好みはコーン味と甘辛醤油味のあられだ。ちょっと高いのだが立ち寄ると条件反射で買う。




パン屋さんがあれば翌日の朝用にお惣菜パンや甘いパンをいくつも買う。同居する娘に収奪されると困るのでついつい多めに買う。でも健康志向の娘は私が買うようなパンはほとんど食べない。結局私が太り続けることになる。

 

先日は近場散歩ではなくレンタルチャリに乗ってアチコチぶらぶらしてみた。昨年レンタルチャリに目覚めてから改めて自転車の便利さを思い知らされている。自転車だと東京が妙に狭く感じるほどアッという間にいろんな所に行ける。

 

この日はあてもなくチャリを漕いでいたら御徒町方面に近づいたので上野や湯島界隈をぶらぶら。ちょっと小腹がすいてきたのでカツ丼でも食べようかと思ったのだが、洋食屋さんに入りたい気分にもなってウジウジ悩む。決断できずにチャリを漕いでいたら秋葉原を超えて神保町界隈にまで移動した。

 

夕方だったので夜の営業開始まで閉まっている店が多い。何度かドカ食いに出かけた「揚子江菜館」なら通し営業だから名物の上海焼きそばと餃子でも食べようかと思ったのだが、「タレカツ丼」の店の前でこっちもウマそうだと再び悩む。

 

あーでもないこーでもないとウジウジ悩む時間は案外楽しい。休日の夕方の一人散歩である。ひたすら自由である。レンタルチャリを捨てて神保町をさまよう。場所柄、若者が喜びそうなラーメン屋やハンバーグ屋などガッツリ系の店が目に付く。

 



カツ丼、洋食、中華、どれも食いたい。もはや迷走状態だった私の目に飛び込んできたのが「豚大学」の看板だ。新橋の聖地?であるニュー新橋ビルにある豚大学には何度か行った。ドカ盛りの豚丼が楽しめる豚好きには天国のような店だ。神保町にもあったとは知らなかった。

 

迷走していた私の脳は一気にクリアに整理された。豚丼で決まりである。もちろん選ぶべきは「大」である。5年前なら上の画像みたいな「特大」を頼んだはずだがさすがに今は厳しい。


正直、年齢的にも常識的にも「中」を選んだほうが間違いないのだが、ここに来たからには男子たるもの「豚丼・大」である。

 

食券機で缶ビールとトッピング用の温玉も選んで席につく。休日の明るい時間にせっせとチャリを漕ぎ終えたあとのビールだ。マズいはずがない。幸せを絵に書くとしたらこの状況しか思い浮かばないほどだ。

 



で、豚丼大である。肉もどっさりだ。最初の数枚は肉だけをつまみにしてビールを味わう。数枚の肉を剥がそうが豚丼大はビクともしない。ものの数分でビールタイムは終了。あとはドンブリを抱える時間である。

 

こういう豚丼専門店は都内には少な過ぎると思う。牛丼屋の安さに比べると本格豚丼専門店は価格面で勝負にならないのだろうか。豚丼の本場である北海道の帯広なら市内にいくつも豚丼専門店は存在する。ああいう成功例が実際にあるのだから東京にももっと豚丼文化が浸透してほしいと思う。

 

さて、豚丼大である。ある程度食べ進めたら味変を楽しむためにグシャグシャに混ぜた温玉を投入する。また新たな美味しさを喜びながら噛みしめる。

 

さすがに「大」は米の量もやたらと多い。若者じゃないのだから「中」サイズにして「肉増し」を選択したほうが正しかったかもしれない。いや、そんな弱音を吐いたら一気に老化が進みそうだからやはり豚丼は「大」が正解だ。

 



ちょっと苦しんだがドンブリメシを残すという所業は私の辞書には無い。頑張って完食。さすがに苦しい。でも苦しさを感じるのは健康の証とも言える。そんな意味不明な言い訳で自分を納得させる。

 

再びレンタルチャリを使って帰路につく。わりとすぐに家に着きそうだったので腹ごなしにいろいろ遠回りしてみた。普通の自転車ならこの日の走行距離ならそこそこの運動量になるだろうが、レンタルチャリは電動自転車だからダメである。ラクチンでちっとも運動にならない。

 

散歩という健康志向のはずの時間が単なるカロリーオーバー大会になってしまう私のワガママな食欲が残念である。

 

 

 

 

 

2024年4月17日水曜日

人生最後の・・・

 

某日、日本橋外れのウナギの老舗「高嶋家」で晩酌がてらウナギを堪能してきた。気ままな一人時間だったせいか大好きなウナギを前にひょんなことが頭をよぎった。

 





肝焼き、白焼きを肴に燗酒を楽しむ。程よいタイミングで出てきた鰻重を眺める。「はたして人生最後の一食だとしても私は鰻重を選ぶのだろうか」。そんな哲学的?なことを考え始めてしまった。

 

せっかく鰻重を味わっているのに頭の中は他の食べ物ばかり浮かんでくる。深く思い悩んだせいできっと物凄く難しい顔をしながら過ごしていたように思う。

 

10年以上前にこのブログで「最後の一食を選ぶ」という話を書いたことがある。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/09/blog-post_4.html

 

ウダウダと書いていたが結局はTKG、すなわち卵かけご飯を選ぶという結論だった。10年たった今も果たして同じ気持ちなのか冷静に考えてみた。

 

TKGはやはり別格だろう。究極の日本食と表現しても大袈裟ではない。だいたい卵を生で食べる文化は日本ぐらいしか無いので世界一のグルメメニューと言える。

 

とはいえ、「人生最後の一食」である。もうちょっと色気?のある食べ物を選んでも良さそうだ。問題はその一食を味わう時の自分の状況だろう。

 

重病で息も絶え絶えなのか、健康のまま突然死んじゃうのかでまったく様子は異なる。明日、隕石が衝突して地球が全滅する場合ならごく普通の健康状態で最後の一食を選択することになる。

 

病床でヘロヘロだったらもはや食べる意欲はないかもしれない。仮に食欲があったとしてもステーキやカルボナラーラを食べようとは思わないはずだ。やはり、その場合にはTKGが最有力だ。ダークホースとして蕎麦かソーメンぐらいだろう。

 

問題は隕石衝突前日の最後の一食だ。そんな状態で飲食店など開いているはずはないし、もうすぐ死んじゃう時に食べることなど考えてないだろうが、まあ仮定の話だからそこは通常の世相のままという前提だ。

 

最後の一食である。悩みに悩む。頭に浮かぶものをすべて食べたいが、物理的には3品ぐらいが限界だろう。好きなものをそれぞれ通常の半分ぐらいの量で5,6品食べるのがいいかもしれない。


 

最有力候補はトンカツだ。極上のヒレを2,3切れ、続いて鰻重だ。これも半量で済ませて、グラタン、ドリアなどのベシャメル系を半分、麺も欲しいからアルデンテのボロネーゼパスタあたりを半分、さすがにもう満腹でダメそうである。

 

それだけ食べれば納得するかと考えたが、まだまだ大好物が残っている。チキンライスやオムライス、ソース焼きそばが漏れている。これは問題である。これらはその時の気分で上位メンバーと簡単に入れ替わる。

 

麺をメインにするかご飯物をメインにするかでラインナップは変化しそうだ。うーん実に悩ましい。それにしてもこんなことを真剣に考えている私はどこかおかしいのだろうか。いや、心が平穏な証拠だから良しとしよう。

 



と、ここまで書いてきて選外になっていた大事な仲間がいることを思い出した。イクラである。これも物心ついたときから私の人生を楽しませてくれる存在だ。ランク外にしてはダメだ。

 

寿司のイクラもいいが、どんぶりメシにどっさりイクラを乗せて頬張るのが最高だろう。寿司の場合には量的に欲求不満が残るが、イクラ丼の幸福感は圧倒的だ。

 



旅先などでイクラ丼を食べる時にはコレステロール問題が頭をよぎって罪悪感をちょっぴり感じる。でも明日は隕石が衝突するわけだからそんなアホみたいな健康神話は完全無視だ。どれだけイクラを投入しようとヘッチャラだ。なんなら極上の生ウニを箱ごと追加トッピングするのも良い。きっと超絶的に幸せを感じる。

 

ここまで書いてきて、やはり何が何でも外せないのはウマい白米だと気づいた。こればかりは最後の一食に欠かせない。私の場合、最優先すべきはコメなのかもしれない。

 

やはり日本人としてのDNAのせいか、ウマいコメがあってこそのご馳走だ。自分好みに硬めに炊いた粒立ったウマいコメがあれば、むしろそれが人生最後の一食にふさわしいと言えよう。

 

こんなことを考えた翌日は、朝からしっかりウマいコメを炊いてTKGとイクラご飯をセットで食べてしまった。やはり至高の味わいだった。

 



よくわからない結論ですいません。平和である。春である。