2025年9月29日月曜日

謎めし。エンガワとか。

 

世の中の食べ物にはウマいものとマズいものの他に「ビミョーなもの」も存在する。ウマいマズいの範疇の外に位置する独特なモノのことだ。

 

もちろん、味覚なんて個人的な好みだから滋賀の鮒ずしや変な匂いのするチーズが大好物だという人もいるだろう。でもああいう特殊な食べ物は万人が揃って「ウマいなあ」と頷く味ではない。

 

そういう文化遺産的なビミョーな味はさておき、バカみたいに辛くしたカレーやらアホみたいに脂ギトギトにしたラーメンなんかも実に「ビミョー」だと思う。ウマいなあと頷くよりも一種の征服感を味わうために食べているだけだと思う。

 

若い頃は「強い味」をウマいと感じる。俗にいうガッツリってやつだ。加齢とともにキツくなってきて背を向けるようになるが、私だって若者時代はわざわざ辛さがウリのエスニック料理を得意になって食べていた。今では見向きもしなくなった。

 

それでもやはり「男の子DNA」は我が身に残っていて、今でもトンチンカン?なジャンクフードに食らいつきたくなる時がある。先日もよせばいいのにヘンテコな一品を食べてみた。

 




吉野家の牛玉スナミナまぜそばである。だいたいスタミナと呼称する食べ物は滋味深い優しい味とは無縁だ。ヤケッパチみたいに塩やニンニクが前面に押し出されている。ウマいマズいの外の世界である。

 

牛丼の具が乗っかった混ぜ麺なら美味しいはずだという私の安易な考えが甘かった。おまけに味をマイルドにする効果があるタマゴを混ぜ合わせるのを忘れた。なんだか拷問みたいな味だった。すみません、個人的な感想です。

 

40年、いや30年前ならウマいなあと喜んだのだろうか。天下の吉野家がメニューに採用するぐらいだからきっと私が言うほどヘンテコではないのかもしれない。謎だ。

 

ヘンテコな食べ物といえば回転寿司で出てくる「謎のエンガワ」も捨てがたい。ヒラメやカレイのエンガワの部分があんなに日本全国どこでも毎日品切れにならずに提供されるはずもない。謎の深海魚みたいな魚がエンガワに似ている風味だったから一斉に普及したシロモノだ。

 

独特の脂っぽさが若い人をトリコにする。実は私もあれが好きだ。正統派のお寿司屋さんで食べる本物のエンガワのほうが好きだが、そもそも比べるべきものではない。謎のエンガワはあれはあれで独自の世界だ。

 




チマタでは「えんがわの押し寿司」が人気だという。東京駅などでは売り切れ続出だと聞いたことがある。以前、たまたま羽田空港で売っているのを見つけて勇んで買ってみた。ワクワクしながら食べたのだが、これが思ったより口に合わずに落胆した。

 

あまりにも脂がギトギトで尋常な状態ではなかった。ラーメンの世界では「脂マシマシ」なる危険な?注文の仕方があるそうだが、きっとそれを上回るベトベトぶりだった。容器や附属のおしぼり小袋までベトついていた印象だ。

 

やはり、謎のエンガワは謎の存在であって、マトモなエンガワには遠く及ばない怪しい食べ物だと痛感した。ナゼそんなものが大人気なのか不思議で仕方なかった。

 

その後も羽田空港に行くたびに謎の押し寿司を目にしていたのだが、さすがに怖くて買えずに時は過ぎた。しかし、人間の記憶力と学習能力なんて頼りないもので、最初の体験からほんの23か月しか経っていない某日、ナゼかまた購入してしまった。

 

箱のデザインが以前と違っていたから買いたくなった。違う業者さんの商品だろう。前に食べたやつとの違いを確かめたい気持ちに負けて再挑戦である。

 




で、恐る恐るラウンジの隅っこで食べてみた。ふむふむ、これならイケる。私のジャンク魂が頷いていた。前に食べた押し寿司よりもギトギト感が強くない。回転寿司屋のエンガワに近い感覚だった。

 

ウマいなあとしみじみする味ではないのだが、こういうモノを食べたい気分の時ならちゃんと美味しく感じる。えんがわの押し寿司をいくつの業者さんが販売しているか知らないが私のおススメはこれ。この箱のデザインが目印だ。

 

他にもウマいのがあるかもしれないが、たった2種類を食べた私の感想はそんな感じだ。それにしても最初に紹介したほうはなぜあんなにギトギトだったのか今も謎だ。ひょっとしたら保管状態ひとつで状態が大きく変化するのかもしれない。一応、そっちの業者さんの名誉のために付け加えておく。

 

四の五の書いたが、結局はホンモノのエンガワを正統派のお寿司屋さんで食べるのが一番幸せである。もともと数に限りがあるネタだから「エンガワ、まだありますか?」と尋ねながら注文する姿勢が望ましい。「エンガワください!」などとネタがあるのが当然みたいな頼み方はオトナのたしなみとしてはスマートではない。

 

大きなお世話かもしれないが…。

 

 

 

 

 

 

2025年9月26日金曜日

優しさとは

 更新しそびれてしまったので過去ネタを一つ。


優しいオジサマ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/04/blog-post_22.html




2025年9月24日水曜日

馬、馬、馬


精力と聞くとすぐにアッチのほうを想像してしまうのは正しくない。もちろん、ソッチの意味合いで使われることは多いが、そもそもは日々を生きるエネルギーの源そのものを指す言葉である。

 

やる気、根気、意欲や情熱という前向きな姿勢すべてを意味する言葉である。いわば活力と同義語みたいなものだろう。精力は年齢とともに自然と低下するのが普通だ。情熱バリバリのオジイサンという話はあまり聞かない。


ご多分に漏れず私も精力は減退気味だ。体重を減らして倦怠感こそ無くなったものの、物事への集中力や意欲はどうしても若い頃よりは弱まってくる。

 

一応、自分の名誉のために書くとアッチのほう?の精力はまだちゃんとしている。男として生きているうえでこれは救いだ。この歳になって現役でいられることは有難い。

 

 いまだにスキあらば一戦交えようと思うし、据え膳は残さず食べる。ソッチはもういいやという感覚の同年代男も増えてきたが、まだしばらくは現役でいようと思っている。



 そういう考え自体が精力旺盛ともいえるが、そうじゃないとさすがに退屈だから多少は無理してでもカラ元気に励もうと思っている。とはいえ、ランニングしたりスクワットに励んだりするような努力はちょっと苦手だ。

 

努力なしに活力、精力を維持できるのが食事だろう。気がつくと最近の私は馬刺しばかり食べている。精力アップをもくろんでいるわけではない。純粋にウマいから食べまくっている。とはいえ、精力増強に良いという側面も何となく意識はしている。

 



 馬肉の強壮効果は昔から有名だ。江戸時代の吉原の近隣には桜鍋の店がたくさんあったそうだ。遊郭に遊びに行く前に男たちがこぞって馬力をつけに行ったわけだ。俗に「蹴とばし」とも呼ばれたそうだが、そのぐらいパワーがつくことが理由だ。

 

馬肉の良い効能は火を通すことでいくつかは消滅するらしいから馬刺しで食べるのは元気になるためには理にかなっているらしい。おまけに馬刺しの場合、ほぼ100%スライスタマネギが付いてくる。私はこのスライスタマネギが好きで、時にはそれだけ大盛りにしてもらう。

  



タマネギも精力増強に効果的なのは有名だ。昔の中国のお寺の入口にはタマネギ持ち込み禁止が掲示されていたという話を聞いたことがある。修行僧がギンギンになっては困るという趣旨だったそうだ。タマネギはニンニクと同系の植物だからパワーの源としても似たようなものなのだろう。

  

馬刺しにタマネギをセットで食べるわけだからきっと精力増強には最強の組み合わせだろう。このところ週に何度も食べているから私も何とか元気ハツラツぶっていられる。


半年前までコンビニの菓子パンばかり食べていた頃より寝起きも良い、睡眠の質も良い、ダルさもあまり感じなくなった。ついでにいえばアチラのほうも何となくラクチン?になっている。

  

好きなものを食べて元気になるわけだからこんなに良い話はない。飽き性だからいつ馬刺しに目がいかなくなるかが心配だが、しばらくはB型特有の凝り性体質のほうを活かして食べ続けようと思う。

 



この画像は赤坂の肉十八番屋という店の赤身とフタエゴの盛り合わせだ。ここ数か月なぜか何度も通っている店だ。タバコが吸えることと「鬼おろし」と名付けられた果肉ブリブリの生グレープフルーツサワーに惹かれて通うようになったのだが、馬刺しのウマさも魅力だ。おかわりしちゃうこともある。


タテガミだと脂っぽいだけの印象もあるが、赤身が混ざっているフタエゴやら肩ロースあたりはサッパリに加えて適度なコッテリも感じるので延々と食べられてしまう。

 

馬刺しばかり食べて、あとは梅キュウやら牛スジ煮込みでも食べていればいつの間にか満足する。炭水化物はちょっと我慢である。節制暮らしには最適な過ごし方だと思っている。

 



こちらはモツ鍋の人気店「やましょう」人形町店の馬刺しだ。普通は鍋を食べに行く店だが、馬肉が目的の私は鍋には見向きもせずチマチマと一品料理だけを注文して焼酎のアテとして楽しむ。そのぶん高くつくのだが…。馬刺しの値付けが高いのが残念だが、その分、間違いのない肉質の一品が出てくるから悪くない。

 

他にも行き当たりばったりで馬刺しを注文しまくっている。先日は、日比谷の路地をうろつきながら適当に入った居酒屋でも食べた。お客さんがほとんどいないシャバダバな様子の店だったので、久しぶりにハズしたかと思ったが、馬刺しはマトモだった。

 

結局、馬刺し専用の甘くて濃いめの醤油とサラシタマネギをたっぷり加えて食べればたいていの馬刺しは私にとってはアタリだ。単純である。

 



精力旺盛になるのは結構なことだが、そのエネルギーをどこに向けるかが問題である。加齢にあらがって下世話な事ばかり考えているようでは情けない。

 

何か建設的なことに活力を向けるように心がけようと思う。










 

2025年9月22日月曜日

飯茶碗のこだわり

 

誰もが日頃の暮らしの中で「こだわりグッズ」を使っている。私も凝り性だから生活のいろんな場面でどうでもいいこだわりに縛られている。

 

縛られていると書いたが、自分ではこだわっていることに快感を感じている。トイレットぺーパーはドコソコ製のナンチャラじゃなきゃイヤという感覚だってこだわりだ。それを徹底することは一種の快感になる。

 

私の愛用品といえば器関係が多い。30代のころに窯場巡りにハマって日本中の焼き物を見て歩いた。見るだけではなく随分買った。立派なベンツ1台ぐらい買えるほど器にお金をかけた。

 

現代陶芸作家モノが中心で骨董品にはほぼ手を出さなかったので破産しないで済んだ。いまは当時ほどの情熱はないが、それでも飯茶碗、湯飲み、ぐい飲み、豆皿あたりにはこだわりがある。

 

もっとも、家庭人を卒業してからはレンジでチンできる安っぽい皿を使う頻度が激増した。家庭人時代はすべての器が日本中の窯場で仕入れてきた一点モノだったわけだから随分と豊かだった。何だか懐かしい。一時期でもそんな文化的?な暮らしをしていたわけだから私もなかなかの粋人だったわけだ。

 

日常遣いの器の基本が飯茶碗である。個人的にはお気に入りを見つけるのに最も苦労するシロモノだ。世の中に出回っている飯茶碗って小さすぎると思う。私に言わせればたいていが女性向け、子供向けにしか見えない。

 

コメを茶碗によそう際に料亭みたいに上品にしたいのなら小ぶりの茶碗でもいいだろうが、私としてはウマいコメを炊いたらしっかり盛りたい。それには相応のサイズの茶碗が必要だ。

 

長年愛用しているのが唐津の作家モノだ。飯茶碗ではなく小ぶりの抹茶椀である。抹茶椀は焼き物の世界ではドッヒャー!と値段が高くなるので気軽に使えないのが普通だ。

 



 その点、我が愛玩品はお抹茶の練習用として造られたらしく抹茶椀としては格安だったのでガンガン使っている。絵唐津という様式に分類されるのだが、色柄よりもサイズ感に惹かれて長年使い続けている。

 

とはいえ、最近ちょっと浮気をしてしまった。半年ほど前からの節制生活のせいで自宅でコメを食べる機会が減った。食べるにしても小盛り程度にしている。そうなると愛しの絵唐津の飯茶碗が甚だしくオーバーサイズなのが気になっていた。

 

料理を盛る器には「余白の美」が必要だが、飯茶碗だとそんな風流な気分にはならない、大きめの茶碗にちょこんと白米がある風情はちょっと寂しい。これっぽっちしか食えないのかという飢餓感さえ覚える。

 

というわけで、小ぶりの飯茶碗の意義を改めて痛感している。ウチにはなかなか素敵な美濃焼の飯茶碗があるのだが、同居する娘に使わせているから今さら奪い取るわけにもいかない。

 



美濃焼探訪のために岐阜の多治見に行った際に購入した茶碗だ。織部様式の中でも全体が緑色の総織部である。織部の緑は発色がすべてだ。安っぽい観光土産みたいなシロモノと真っ当に作られた本気モノとでは色の深み、渋みがまるで違う。

 

白米が映えるのもこういう茶碗の良さだろう。画像だと分かりにくいが先の絵唐津椀に比べれば随分と小さい。今の私はこっちを使いたい。

 

で、先日の沖縄旅行の際に新しい飯茶碗を買ってきた。私にしては小ぶり、一般的にはまあまあしっかりしたサイズだ。見込み、すなわち覗き込む内側は無地のキレイな乳白色だ。外側の絵柄は沖縄・壺屋焼ならではの風情だが、いわゆる民芸路線のスタイルとして益子焼などにも似た雰囲気だ。

 



単なる白ではなく実に雰囲気のある乳白色だった点が気に入った。作家モノとはいえ、大御所でもない限り数千円で買える。こういうものは出会いである。さっそく自宅でこの器でタマゴかけご飯を食べた。なかなか良い。

 

窯場めぐりではなくとも旅先で出会った器を使い込むのは楽しい。いちいちその器を買った時の旅を思い出す。大げさに言えばそんな器たちには何かしらの物語があるわけだ。使うたびにそこに思いを馳せるのもオツだ。

 



こちらは大きめの茶碗だ。正当な抹茶椀だが、私にとってはお茶漬け専用飯碗である。唐津焼の中の斑唐津というジャンルの器だ。有名人気作家の一品だが、窯場めぐりをマメにしていた頃に親交を深めたおかげで格安で譲ってもらった。

 

抹茶椀といえば陶芸家がとくに気合を入れて造るものだ。ましてや唐津の茶碗は茶人の世界でも人気が高い。そんな作品をお茶漬け専用にしているのは贅沢だが、それもまた楽しみである。


単純な私はお茶漬けを食べるたびにこの器のおかげでとても豊かな気分に浸れる。たかがお茶漬け、されどお茶漬けである。15年以上使っているが傷も欠けも無い。愛着があれば長持ちするものである。


日常使いの器の話をもっと書こうと思っていたのだが、長くなったので今日はこの辺でおしまいにします。

 

 

 

 

 

 

 

2025年9月19日金曜日

危うし、ドカ食い


ドカ食い男。魅力的な言葉だ。単純に豪快なイメージがある。これに対して「食が細い男」は線が細く頼りない感じだからカッチョ悪い。どう考えてもドカドカ食べる男のほうがエネルギッシュだろう。

 

私自身、ドカ食いには結構な自負があった。いまそれを過去形で語っていることに忸怩たる思いがある。還暦を前に我がドカ食い人生も終焉を迎えそうで切ない。そんな状況にストレスすら感じる。

 

いい歳して牛丼特盛に牛皿まで追加して注文しちゃうのはバカである。バカだと自覚していてもそれが出来ちゃう自分がちょっと誇らしかったりする。

 



酒を飲んだ後にラーメン屋で当然のようにチャーシュー麵大盛りを頼み、寿司屋でしっかり食事した後にマックのフィレオフィッシュとビッグマックを食べちゃう行動は私にとってわりと普通だった。50代後半になってもそんな行動様式は不変だった。

 

人から見ればバカげた行動だから、一応オモテ向きには「恥ずかしいこと」「反省すべきこと」と表明してきた。でも実際には「オレって結構ヤンチャなんだぜ」的な自己肯定感に浸っている自分もいた。

 

男たるものウサギみたいにチマチマと野菜なんか食えないぜ!といった無駄なツッパリ精神と考え方の根っこは同じだ。「ジャンクなものをドカ食いするワイルドなオレ」。それを一種のライフスタイルとして貫いてきたのが私の生きざまだった。

 

なんだか大げさな書きぶりになってしまったが、そんなドカ食い人生が危うくなってきた。寄る年波のせいか、この半年の節制生活の副作用か、情けないことにちょこっとした量の食事で満足している自分がいる。健康には良いと分かっているのだが、言い知れぬ無念さみたいな感情も渦巻く。

 

まるで「普通の人」である。ドカ食いを得意とする「普通じゃないオレ」であることにどこか変態的優越感?に浸っていた私にとっては危機的状況である。

 

喜多方ラーメンの人気チェーン店「坂内」が9月になるとヤケクソみたいなチャーシュー祭りを実施する。チャーシューが23枚も乗っかっているハッピーなラーメンが食べられるキャンペーンだ。

 

今年は、ネット上の告知を見て心が揺れた。なぜなら今年からヤケクソチャーシュー麺に小型サイズが登場したせいだ。麺は半盛でチャーシューは15枚程度だとか。今までならそんな中途半端な商品をクサしたはずの私がそっちのほうに惹かれた。

 

その時点で敗北である。あくまでアノ挑発的ですらある23枚入りチャーシュー麺をシレっと平らげるのが正しき男の姿だ。そう信じてきた私にとっては小型サイズによろめきかけた事実は敗北でしかない。

 

で、瞬時に心を入れ替え、通常版のヤケクソチャーシュー麺を食べに行った。でも例年のようにワクワクしない。どこか自信を失っている自分がいた。私の心の動きだから当然私にしか分からない話だが、身体の中を冷たい風が通り過ぎていくような寂しさを感じた。

 



で、ヤツが運ばれてきた。やはりワクワクよりも不安が募る。完食は無理かも…。せめて肉だけは全部食べるぞと弱々しい気持ちで箸を手に取った。

 

もともとこの店のチャーシューは好きだ。美味しく食べ進む。満腹にならないように心なしか急いで豚肉を味わう。山頭火の句に「分け入っても分け入っても青い山」があるが、まさにそんな感じだ。分け入っても分け入ってもチャーシューが次から次に出てくる。

 



結論から言えば完食出来た。喜ばしいことだが、食後の感想が例年とは違った。今までは「たいしたことないぜ」だったが、今年は「厳しかった、苦しい」である。

 

敗北はしなかったが勝利もしていない。ついでにいえば「これを食べるのも今年が最後かな」という心の声も聞こえた。完食した達成感よりも自らの限界がすぐそこまで来ていることを痛感させられた。

 


もっと言えばこの時はすこぶる空腹だったのにこのザマである。午前中に胃の内視鏡検査を受けたので朝から何も食べておらず検査後に職場に戻ったりして、結局チャーシュー麺と対峙したのは夕方の5時だった。最高潮レベルで空腹だったのに余裕しゃくしゃくで食べられなかったことが残念だった。

 

ドカ食い人生も風前の灯火である。

 

というか、チャーシュー麺を食べただけの話をここまで膨らませて書いてしまう私のクドい文章にお付き合いくださりありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

2025年9月17日水曜日

自然治癒力

 

キックボクシングを始めて7か月が過ぎた。半年続けば上等だと思っていたのだが、ここまでくれば1年は続きそうだ。倦怠感退治を目的にジムに通い始めたが今ではすっかり元気になってきた。身体を適度に動かすことの大事さを今更ながら痛感する。

 

特筆すべきは昨年痛めた左脚の膝が問題なく動かせるようになったことだ。不調だった時期が長かったからこれは大きい。痛みが続いていた頃だったらキックのジムなど通えなかった。

 



 

昨年の初めに自転車で大転倒して脚を強打し左膝付近がおかしくなった。その後は半年以上も湿布を貼り続け、早足で歩くことすらままならない状態が続いた。整形外科にも行ったが医者の態度がすこぶる悪かったのでリハビリなどもせず不便な日々を送っていた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/01/blog-post_31.html

 

普通には歩けたのだが、小走りなどまったく無理。歩行者信号が点滅しちゃったらあきらめるというヨレヨレ老人みたいな状態だった。不便だったが騙し騙し過ごしていた。残りの人生で走ることなどないだろうと達観していた。

 

大転倒から10か月ぐらいたったある日、ふとしたことから膝痛に効くストレッチのやり方をネットで目にして半信半疑で実践してみた。今ではそのやり方も忘れちゃった程度の簡単なストレッチだったのだが、ほんの2日ぐらいで膝の調子が劇的に良くなった。まさにキツネにつままれたような感じだった。

 

その後、一週間ぐらいそのストレッチを続けたら早歩きどころか小走りまでできるようになった。信号が点滅するとウキウキしちゃうほどだった。得意になって小走りに励んだ。

 

で、思ったのが「自然治癒力」についてだ。ストレッチという手段は用いたものの医学的な手助け無しにあれほど絶不調だったものが回復したわけだから自ら修復しようとする力は侮れないことを痛感した。

 

人間が本来持っている回復力は自分が思っているより遥かに強いのかもしれない。風邪薬や葛根湯が大好き?な私はちょっと調子が落ちるとすぐに薬に頼ってしまう。服用すれば安心するだけで実はムダなことをしている可能性はある。

 

お医者さんだって商売だから訪ねてきたお客さんに「自然治癒力で治しましょう」とは言わない。言い方は悪いが病人に仕立てたほうが都合が良いのは当然だ。

 

もう10年以上前になるが、腰痛がヒドくなっていろんなところに頼ってみた。もちろん整形外科にも行った。レントゲンを撮られてヘルニアと診断されて手術しかないと言われた。


もちろん、腰の手術なんて怖くてしょうがないからとっとと逃げ出した。とはいえ改善しなかったので知り合いから謎の整体師さんみたいな人を紹介してもらって藁にもすがる思いで通ってみた。

 

いくつかの整体に行ったのでどれが効いたのかは正直よく分からない。ある人には「宇宙エネルギーを注いで治します」みたいなケッタイなことを言われた。もはやスピリチュアルの世界である。

 

そんなことを言われたら笑うしかないのだが、ひょっとしたらそれが一番効いたのかもしれない。次第に痛みは無くなり、この10年ぐらい腰痛からは解放されている。今は整体にも通っていない。結局は自らの自然治癒力が痛みを克服したのだろう。

 

そういう実体験を思い返すと、レントゲンまで撮ってヘルニアだと確定診断して手術するしかないと言い切ったお医者さんの判断は何だったのか首をかしげたくなる。

 

別に西洋医学を否定する気はさらさらない。実際、日頃からいろんな検査やらで普通にお医者さん通いをしている。決して偏屈な医者嫌いというわけではない。でも今の膝の状態を思うと、何事に関しても自ら回復しようとする力をもっと信用したほうがいいという気持ちになっている。

 

もちろん、精神力だけですべての病が吹っ飛んでくれるほど甘くはないのだろうが、意味もない通院や服薬、検査は溢れかえっているはずだ。ちょっと冷静になったほうがいいと思う。


先月コロナに感染した際もロキソニンは飲んだもののとくに専用の薬をもらったわけではない。4日もすれば治まった。自分の体が勝手に治そうとしたわけだ。

 

そうは言っても、歳も歳だしこれから先は命にかかわるような厄介な病気が待っているはずだ。自分の力ではどうにもならないだろうが、少しでも自然治癒力をパワーアップしたいものである。はたしてどうすればいいのだろう。

 

規則正しい生活、健康的な食生活等々、そんなことは分かっているが、今さらそんな刑務所暮らしみたいなことは難しい。だいたいそんなの面白くない。「酒も煙草も女もやめてそれで100まで生きる馬鹿」という格言?もある。なかなか難しいところだ。


せいぜいストレスを最小限にして好きなことばかりに目を向けるワガママオヤジになりきることが早道だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

2025年9月12日金曜日

東京ドームシティ

 

杉並区の荻窪エリアで生まれ育って、その後、新宿区、豊島区、文京区と移り住み、今は中央区を拠点にしている。職場から自宅まで歩ける程度だからついつい決まったエリアでしか行動していない。モノグサぶりは年々エスカレートしている。

 

荻窪の実家に住んでいた頃、よくもまあ毎日のように渋谷あたりの繁華街をウロついていたものだと我ながら感心する。あれも若さの証だったのだろう。いま私が荻窪に住んでいたらせいぜい阿佐ヶ谷か西荻窪ぐらいまでしか行動範囲を広げないと思う。

 

で、何が書きたかったというと「住みたい街」についてだ。今の中央区はさすがに都心だから便利この上ないが、それ以外ならどこが魅力的だろうか考えてみた。

 

若い頃は歳を取ったら田舎に住んでみたいなどと考えたこともあった。でも現実には難しい。徒歩3分以内にコンビニがないと不便だから熊が出ちゃうような自然豊かな場所に暮らすことはできないと思う。都内でも住宅地ならコンビニが近くにないことが珍しくない。モノグサ男にとって「コンビニ基準」は重要な観点である。

 

先日、東京ドームシティで半日過ごす機会があった。感想は「ここなら楽しく住めるぞ」である。別にジャイアンツ戦を観たいわけではない。野球に関係なくやたらとコンパクトに何でも揃っていたから改めて楽しいエリアであることを実感した。

 

昔の東京人にとっては野球場と遊園地と場外馬券場のイメージだが、後楽園駅直結のモールにはそれこそ何でも揃っている。温泉まである。飲食店も無数にある。成城石井のすぐそばにお化け屋敷がある街など日本中探してもここぐらいだろう。

 

ファストフードも勢ぞろいしているしサーティワンアイスクリームもある。高級路線なら東京ドームホテルの中にそれっぽい店もある。

 



近隣に劇場もある。この日は「東京グランド花月」なる夏のイベントを観に行った。漫才がちっとも面白くなくて残念だったが、いにしえの後楽園を知る者として劇場まで活況を呈している現状に感心した。

 

ついでに球場併設の野球体育博物館にも久しぶりに足を運んだ。ここは野球好きにとっては飽きない場所だ。近所に住んでいたら頻繁に通うと思う。

 



 

後楽園ホールではボクシングやプロレスも見られるし、ボウリング場もあるし、各種の展示会もあれこれ開催されている。飲食、レジャーに関してはあらゆるものが揃っているから近隣に住んだら便利そうだ。

 

何となく若者がグループで遊びに行くようなイメージもあるが、考えてみればここで羅列したような施設やお店は一人暮らしの年寄りにとっても好都合なものばかりだ。

 

何といってもここに書いたようなものが徒歩10分以内ぐらいに集まっているのが良い。それこそ年寄り向きかもしれない。真面目に老後の拠点候補にしようかと思った。

 

後楽園駅、水道橋駅、春日駅と交通の便も良い。なんなら本郷三丁目あたりからもバスでサクっと行ける距離だ。そっち側だと私が好きな湯島エリアも近くなる。

 

文京区は大塚、茗荷谷エリアには住んだことがあるが、水道橋寄りの文京区はまた違った特徴がある。住んでみたらきっと楽しそうだ。とはいえ、今の中央区暮らしも気にいっているので水道橋に別荘用マンションでも借りてみようか。

 

などとバカげた発想になるところがモノグサ男ならではだ。今の住まいから水道橋は距離にしてたったの4.5キロだった。マメに遊び行けばいいだけの話である。

 

ちなみにこの日は叙々苑で夕飯を食べた。久しぶりの叙々苑は随分と値段が上がっているように感じた。これもまた物価高の影響か。

 



老後の住まいがどうちゃらこうちゃら言う前に老後資金をしっかり考えるほうが大事である。童話「アリとキリギリス」でいえば、100%キリギリスとしてこの数十年を過ごしてきてしまったからそっちの心配が先である。

 

サマージャンボで6億円当たるはずだったのにナゼか外れてしまった。困った困った。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年9月10日水曜日

那覇の楽しみ

 

沖縄に行ってきた。高校野球日本代表が奮戦している18歳以下の世界大会の観戦が目的だ。ちょっと物好きな行動である。これのために夏の甲子園もしっかり見て代表メンバーに関する予備知識を入れていたので楽しく観戦できた。

 





沖縄には数十回は行っている。とはいえ、頻繁に通ったのは80年代後半から2000年代の始めまでの15年ぐらいだっただろうか。その後は数年に一度ぽつんと行くぐらいで今回も7年ぶりの訪問だった。

 

勝手知ったるホームグランドのように感じていた沖縄だが、この30年ぐらいで大きく変わった。私がマメに出かけていた頃は高速道路は建設中だったし、ゆいレールも走っていなかった。変われば変わるものである。

 

もっと言えば、お土産屋の店頭に飾ってある破顔一笑みたいなファンキーなシーサーの置きものも昔は滅多に見なかった。名産の壺屋焼の色柄もだいぶ変わった。陶器屋を覗いてみても私が好むのは古典的な感じでモダン系がどうしてもしっくりこない。

 

歳をとるってこういうことなのかと痛感させられた。でもそれだけ沖縄自体がめざましく発展したのだから結構なことである。大ヒットした「島唄」、朝ドラ「ちゅらさん」、安室奈美恵の登場あたりから確実に空気感は変わった。

 

こればかりは「昔はよかった」とはエラそうに言えない。喜ばしい発展である。那覇にもやたらと新しいホテルが出来ていて歩いているのも若者が多い。今後もどんどん発展してほしいものだ。なんかエラそうな書きかたですいません。

 

野球観戦は日本チームが3連勝するのを見て満足。セルラースタジアムに3日間通ったが、デーゲームの日はさすがに暑さがハンパなかったので2時間ちょっとの観戦中にかき氷を2回も食べてしのいだ。





泊まったホテルはロワジール・スパタワー。本館であるロワジールホテルには20年近く前に泊まったことがある。当時は新興ホテルだったが、いまや名門ホテルみたいな貫禄?を醸し出していた。

 

スパタワー館は本館から通路でつながっていて移動がやや面倒だったが客室は広め。何よりもスパタワー館専用の温泉大浴場が朝から夜まで通しで入り放題なのが良かった。

 




プールも一応あったが、オンシーズンなのにプールサイドでドリンクが頼めるようなリゾート的なサービスは無し。このあたりが日本のリゾート文化のシャバダバさを感じる。

 

陽気なBGMを流すわけでもなく、アイスクリーム一つ買えない。せっかく市街地にプールがあるホテルなのだから夏場のハイシーズンぐらいもっと頑張ればよいのに実に残念だ。

 

3泊したのだが、旅先では無性に現地のものを食べたくなる。3回の夕飯は迷わず沖縄料理屋に行った。初日の夜、迷走しながらバテバテになったせいでテキトーに入った怪しげな居酒屋が一番良かった。

 

「亀」という小さい店。夜の11時近くに入ったらラストオーダーが11時だという。こっちはバテバテだったから一気に注文をして12時の閉店までのんびり過ごした。

 





店内は何だかガチャガチャしていて渋さもオシャレな感じもまるで無かった。それがまた妙に居心地が良かったから不思議だ。


ヤギ刺し、馬肉ユッケ、ジーマミ豆腐、ソーキの煮つけなどを頼む。ヤギ刺しが非常にウマかった。酢醤油っぽいタレにおろしニンニクとおろし生姜をしっかり入れて味わう。別の日に入った民謡も聞かせるようなベタな居酒屋で出てきたヤギ刺しが臭くて食べられなかったから、この日のヤギ刺しはかなり上等だったのだろう。

 

さて、沖縄といえばソーキそばである。7年前の旅では確か毎食毎食ソーキそばばかり気が狂ったように食べたのだが、今回は1軒のみ。これがまた大当たりで感動的だった。

 

壺屋近くにある「EIBUN」という店がそれ。地元の人ではなく内地の人が研究を重ねてオープンさせたそうだ。すでに3号店まである人気だという。90年代ぐらいの基準でソーキそばを認識している私にとっては「内地の人の店、値付けも高い」というだけで「??」だが、せっかくだからトライしてみた。

 



やはり固定観念や食わず嫌いは時に損をすることを痛感する。この40年で食べたソーキそばの中でトップレベルでウマかった。スープも麵も奇をてらうまではいかないものの確実に古典的な沖縄そばとは一線を画す。

 

スープはラーメンに近い感じだが、あくまでラーメンスープとまでは言えず、ちゃんと沖縄そばのスープとして成立している。ソーキや三枚肉、細切れチャーシューみたいな肉が入っている「全部入り」にタマゴと追加ソーキも注文。

 

そんなトッピングをしたら余裕で2千円を超えた。でもそれを払うのに抵抗がないほどウマかった。地元の人向けではなく完全に観光客向けに徹した商売なんだろう。こういう戦略も正しいと思う。

 



節制中?だから麺量半分の「まぜそば」も頼んでみた。こちらはまあまあだった。コーレーグースや酢や卓上にある調味料で味変させたらだいぶ深みのある味になったが、やはり基本のスープ麺のウマさに比べれば普通だった。

 

「やちむん通り」という壺屋焼の窯元が集まっているエリアに近い店だから、そっちを散策するついでに訪ねるのを勧めたい。

 



壺屋エリアは風情があって人も少ないからあてもなく歩きたくなる。国際通りに戻るにしてもほんの10分、15分で行けるし、その途中のアーケード商店街はディープで楽しい。

 



疲れたらブルーシールの紅芋アイスを舐めながら一息。最近すっかり甘党になった私としては今回の旅でも甘味に癒された。さすがに泡盛も毎晩しっかり飲んだが、寝る前にはホテルの部屋で持参したスティックコーヒーのおともに雪塩ちんすこうをかじったりした。

 


一番ウマかったのはセブンイレブンで見つけたちんすこう入りレアチーズケーキだった。沖縄独自の商品だろうか。こんなものを夜景を見ながらコーヒーとともに味わうのが至福の時間だった。


ヘンテコな結論になってしまった。









2025年9月8日月曜日

野菜との日々

 沖縄に野球観戦に来たついでにブラブラしていたら更新が間に合わなくなってしまいました。

15年前に野菜が嫌いだという話を書いたのだが、その後もあまり進歩していない。薬味やネギ類はかなり摂取するようになったが、こんな歳になってもバリバリの偏食野郎として過ごしているのは情けない。

いや、案外、それを徹底し続けて偏食老人のクセにバッチリ健康という異色の存在を目指してみるのも面白いかもしれない。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/07/blog-post_20.html







2025年9月5日金曜日

三人旅、心模様


先日、娘と息子を連れて伊香保温泉に行ってきた。夕方以降は思ったより暑くなかったので案外快適な温泉旅になった。4月にも伊香保を訪れたのだが、その時は新型のモダン系の宿だったので、今回はレトロ感たっぷりの老舗宿にしてみた。

 

千明仁泉亭、「ちぎらじんせんてい」と読む。口コミが総じて良かったので選んだ。にごり湯としては都心から最も行きやすい伊香保には昔から何度も来ている。10軒ほどの宿に泊まった経験があるが、今回の宿はなかなか良かった。

 



 

温泉っぽい風情。意外にこの部分は大事だ。風情を味わうにはモダン宿より老舗宿に軍配が上がる。もちろん古めかしいだけで汚らしい宿は論外だ。その点、今回の宿はレトロ感を活かしながら必要なリノベーションはしっかり行われている印象だった。

 

娘と息子との3人旅だから旅情も何もあったものではないが、それでも非日常感の中で過ごすと弛緩できるから嬉しい。ダウン症の息子もいまや18歳の立派な?オトナだ。さほど手がかかることもない。いまや娘の止まらない無駄話に付き合うほうが体力を消耗しているかもしれない。

 

息子は母親と暮らしているから私との旅行は1年ぶりぐらいだ。普段、頻繁に遊んでやれない罪滅ぼしにヤツの楽しそうなことを優先して過ごした。無邪気に何でも喜んでくれるからこっちも嬉しくなる。

 

伊香保名物の石段もぶらぶらした。温泉の正しい過ごし方である射的にもトライした。息子もいっちょ前に景品をゲットしてニンマリである。ナゼか以前から射撃に興味津々の娘は上級者向けの射的にも挑戦し、息子の声援を受けてハッスルしていた。

 



随分と景品を入手したが、うまい棒や2秒で壊れそうなオモチャばかりである。射的屋を随分と儲けさせてしまった。老後は射的屋の主人になりたいと思ったが、温泉街の射的屋なんて利権だろうからそう簡単にその座を手に入れることは難しそうだ。

 

さて、温泉宿である。親子3人旅にとって良かったのは貸切風呂が45か所用意されていた点だ。それも予約不要でカギが開いていればいつでも入れる仕組み。おまけにすべて伊香保のウリである茶色いにごり湯がかけ流しされている。

 



 

部屋付き露天風呂を手配すると妙に宿代が高くなりがちだが、貸切風呂にわりと自由に入れるなら普通の部屋を予約して温泉三昧も悪くない。貸切風呂に行くたびに通る廊下もレトロ感たっぷりだったので温泉情緒に浸るためにもこういうパターンはアリだと感じた。

 





部屋は和洋室。古めかしいわけではなく、かといってモダン過ぎずなかなか快適だった。日常の暮らしで和室で過ごす機会がまったく無くなってしまった今の私にとっては時折出かける温泉宿の空間は畳があるだけでちょっと癒し効果がある。

 

食事は個室で用意された。わが家のダウンちゃんはいちいちそこら辺の人に手を振ったりして愛想を振り舞くので、同行者の立場としては個室のほうが気が休まる。彼自身も気が散らないで食事に専念できるから好都合だ。

 



 

夕飯は温泉旅館ならではの品数豊富なメニューだった。メインはすき焼きだったのだが、肉はすべて息子にあげてしまった。私もいっぱしの「人の親」である。

 

鮎の身も食べやすいところを息子に食べさせた。18歳の食べ盛りの男の子にとって鮎なんてどうでもいい食べ物の筆頭だろう。それでも親としては蓼酢をつけた鮎を味わってもらいたくなる。丁寧に骨を取り除いて食べさせた。親バカに徹した時間だった。

 

ダウン症の息子が生まれたときは混乱もしたし落胆や絶望感も味わった。あれからもうすぐ19年になる。過ぎてしまえばアッという間だった。この春に国立の支援学校の高等部を卒業して今は自宅近くの施設に通所しながら楽しく過ごしている。

 

幼稚園から通った支援学校では友達もできたし、優しい先生に随分と可愛がってもらった。親としても支援学校やその周辺で助けてくれた人たちの優しさや高邁な人間性に触れて随分と勉強になった。教えられることばかりだったと感じる。

 

正直、知能の面ではかなり劣っている息子だが、今の彼を見ていると「人としてのステージ」という点では親よりも兄弟よりも上に位置しているように感じる。

 

駄々をこねることもない、変な執着心や邪心も無い、意地悪な要素や腹黒い要素もまったく無い、争いごとが大嫌いで我を通すこともなく、穏やかな性格は常に安定している。私が咳ひとつするだけで心配してくれるし、幼い子供の無垢な心のままで成長してきた。場面場面で感心させられることばかりだ。

 

娘ともよく話すのだが、最近は彼のことを仏様みたいに感じることがある。大げさではなく時に拝みたくなる。人間が本来持っている「善」の部分ばかりが成長してきたような感じだ。ちょっと褒め過ぎだろうか。

 

何かとダメダメな私を少しでも真っ当な方向に導くためにどこかから派遣されてきたのかと思ってしまう。

 

生まれてすぐにダウン症という宣告を受けた時の気持ちは今でも覚えている。「もうこれからは空が青く見えることはないのか」とさえ感じた。いま、青空はすこぶる青く見える。あの時あんな感情になったことを息子に素直に詫びたい。

 

絶望って案外コロっと逆転するものなのかもしれない。