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2026年9月14日月曜日

検査ばかりの日々

 

とりあえず健康体だ。食欲も性欲も人並み以上?にあるし、筋肉痛になる以外は痛いところもなく、活字を読む時以外は裸眼で暮らしているし、バンド練習の際もまあまあ声も出ている。自分としては還暦を過ぎたにしては健闘しているほうだと思う。

 

にもかかわらず何だか年柄年中アチコチ身体の検査をしている。よく考えたらバカみたいに思えてきた。今週も大腸と胃の内視鏡検査を予定している。1年に一度の恒例行事になっているが始めてから15年以上が経つ。

 

今までポリープこそ何度も取ってもらっているが大きな異常を指摘されたことは無い。毎年のようにやっている肺のCT検査もしかり。毎年毎年聞かされるのは「変化なし」である。

 

3年前からは膵臓ターゲットの超音波内視鏡もレギュラーになった。恒例行事がこんなにある上に、先日はここでも書いた脳のМRIもやった。こうした検査の際には多くの場合、血液検査もついでに頻繁にやっている。基準値を超える数値もよく出るが異常なほどの結果になったことはない。

 

先週も腹部のМRI検査を受けてきた。結果は「変化なし」である。もちろん喜ばしいことであり今後もちゃんとチェックする必要はあるのだろうが、以前より検査の意味に首をひねりたくなることが増えた。

 

やり過ぎでんがな!。ナゼか関西弁でそんな囁きが私の頭の中を駆け巡る。そりゃあ30代、40代で子供が小さい頃なら不慮の病死を避けるためにマメに検査に励む意味もある。今はそんな時期も過ぎて高齢者側の入口に立っているわけだから以前と同じ頻度で検査に明け暮れる意味はあるのだろうか。

 

早く死にたいわけではないが妙な長生きは御免だ。せいぜい75歳あたりでオサラバするのが順当ではないかと思っている。残り15年を切った状態である。

 

今後も今みたいにやたらとマメに検査に励んでいたら、我が意に反してムダに85とか90まで生きてしまうかもしれない。だとすると検査ざんまいの現状は私の人生プランとズレたことをしていることになる。ちょっと考えモノである。

 

とはいえ、仮に来年からすべての検査をやめてみたとする。再来年に手遅れのガンが見つかったら6263あたりでオオサラバだ。それはそれでちょっと早過ぎる。

 

うーん、実に悩ましい。狙ったタイミングでうまく人生の終幕を迎えるにしても問題は、そこに至るまでの健康状態である。ピンピンコロリが理想だが、そう簡単にはいかない。残り15年と仮定してその期間をそれなりの健康状態でいるためには適度な体への気配りやチェックは必要だ。

 

ちょうどいい加減で暮らしていくにはどの程度の頻度で検査をしていればいいのだろうか。今の私にとって一番悩ましいテーマである。

 

先日の腹部МRI検査もトンネル状の検査機械に入る前からギュっと目を閉じ、約30分の検査中は一瞬たりとも目を開けずに頑張ったら何とかパニック気味にならずにクリアできた。

 

閉所が苦手だからたかだか30分の検査なのに前の晩からストレスはバリバリで、無事終了した後は物凄い疲労感だった。ウチを出る前に安定剤を多めに飲んだせいもあるのだが解放されたあともヘロヘロだった。

 

ヘロヘロついでに朝飯抜きだったことを思い出し、途端に空腹感に襲われた。クリニックからは日本橋高島屋が近いので特別食堂で贅沢メシでも食べようと決意。いそいそ向かう、しかし、満席で30分待ちだという。仕方なく同じ館内の資生堂パーラーに向かう。ここも満席。平日の昼は優雅なオバサマ族の独壇場である。

 

で、近所にある憩いの喫茶店「げるぼあ」に向かう。気の利いた洋食メニューがあってタバコも吸える。私にはオアシスみたいな店だ。早めの午後の時間帯で満席に近かったがとりあえず待たされずに着席。

 

オムライスとキノコパスタを注文。いい歳したオジサマが2品頼むわけだから怪訝な顔をされるのがストレスだがこればかりは仕方ない。「朝飯抜きで物凄く腹が減ってます」と言い訳をかましながら注文。

 



ワンパクメシを表現するために2品並べて画像に収めたかったのだが、そこはさすがの名店「げるぼあ」である。こちらの食べ進み具合を確認しながら同時に2品が出ないように配慮してくれていた。

 

おかげで上のような画像になってしまったが、非常に満足度の高い食事だった。オムライスはオーソドックスそのもの。これだよこれ!って世界観をみせてくれたし、キノコパスタはキノコだけでなく串切りタマネギがたくさん入っていて完璧なるニッポンのスパゲッティーを体現していた。行儀悪さの極みだが、これをタバコ吸いながら楽しめちゃうわけだから天国である。

 

高島屋特別食堂でお高いメニューを23つ頼んじゃうつもりだったからお財布にも優しくて検査で疲れた心身を癒すにはバッチリだった。

 

で、今後もいろんな検査を続けるかどうかの結論は出ないままだ。でもこういう暴食を続けたいなら1年に一度ぐらいは我慢して胃腸を中心にチェックするのが妥当じゃないかと思えてきた。





2026年9月11日金曜日

ご近所に学ぶ

 

近所のキックボクシングジムに通い始めたのは昨年2月のこと。一念発起して身体をイジめたおかげで体調は良くなった。当初は週に2回も通っていたが、さすがに昨年の秋ごろからは週に1回のペースになった。でも行けば行ったでありえないぐらいの発汗時間を過ごしてきた。

 

ところが、いろんな事情で7月中旬からサボりはじめ体重もぶくぶくと増加してきた。2ヶ月サボることはやめちゃうサインだと誰かに言われて、先日久しぶりに足を運んだ。

 

2か月近くサボっていると最初のウォーミングアップが既にキツい。ケガ防止のために家を出る直前にストレッチを30分ほどやってからジムに行くのが私のパターンなのだが、家でのストレッチすら妙にきつかった。


加えてジムでのウォーミングアップである。ほんの56分の基礎的な動きをするのだが、これが終わった時点で疲れちゃって帰ろうかと思った。さすがにそれはアホなので久しぶりにサンドバックに向き合う。殴る蹴るの動きを自分なりに負荷をかけて頑張る。ゼエゼエである。

 

この日は途中から一種のランナーズハイ状態になり、今まで以上にサンドバックとミット打ちに時間を費やした。2か月近くサボったのに過去最長の頑張りは身体に良いはずがない。

 

終了後、バテバテになったのでいつもならさっさと更衣室に引っ込んでとっとと着替えて帰るのに、練習場の端の休憩椅子に座ったまましばし放心状態だった。

 

私としてはシンドかったものの心地良い疲れでダラダラしていただけだったのだが、しばらくしたらスタッフが二人で心配そうに声をかけてきた。

 

死んでる?…。おそらくそう思われたのだろう。私が元気に反応したら心底ホッとした表情に戻った。私はジムの会員の中では上から3番目の高齢者らしい。若いスタッフからすれば要注意対象である。何だか哀しい。



でも休憩椅子に座って脱力状態でビクともせずに座っていた私は「あしたのジョー」のラストシーンそのものだったのだろう。こんなにスリムではないが…。

 

さてさて、キックジムもウチから徒歩3分だが、ちょっといい感じのお寿司屋さんを徒歩230秒の距離に見つけた。今のマンションに住んで3年以上たつが、至近距離の店を案外見落としているケースは多い。このお寿司屋さんもその一つ。

 

存在は知っていたのだが、ネットのクチコミがコース料理の体験談ばかりだったせいで敬遠していた。自分の好みで食べられないイマドキ系?の店はエセ寿司屋だと思っている私の信条が邪魔して覗いたことがなかった。

 

とある日、やはりわが家からさほど遠くない別なお寿司屋さんを開拓しようと暖簾をくぐったら運悪く満席。仕方なく近くにあるその店に行き意を決して改めて「こちらはコースだけですか?」と尋ねてみた。

 

すると「お好きなものをなんなりとどうぞ」という正しい返答があったので初トライすることに。やはり、ネット情報を鵜呑みにせず自分の耳で聞くべきだと痛感。

 


 

家族経営の居心地の酔いお店だった。いい感じの大将とその弟、そして銀座の名店で修業していたという若い息子さん、おまけに大将のお母さんらしきマダム?もお運びを手伝っている。皆さん人当たりも良い、キチンと手を入れた真っ当なネタが揃っているうえにエラそうな態度はゼロ。おまけに場所柄もあってか、煮ハマグリのような江戸前の仕事ネタもいくつもある。穴子も上等だった。

 




 ちょっと高級な町寿司とでも言おうか。店の作りも風情があって私好みである。もっと早く知っておけばよかったと反省する。

 

思えば界隈に引っ越してきた際に何軒かのお寿司屋さんを開拓してみた。日本橋の三越側のエリアを中心になかなか良いお店がいくつかあった。場所柄、単なる生魚中心ではなく仕事系のネタを出す名店がいくつもあった。

 

スットコドッコイみたいな寿司屋が多い銀座と違って日本橋周辺のお寿司屋さんは極端に表現するなら「真っ当」だった印象が強い。上等なネタ、丁寧な仕事ぶり、店の雰囲気ともに高水準なのに値段については納得できるレベルに収まっているお店が多かった印象がある。

 

銀座の7丁目8丁目ともなると夜の蝶がヒラヒラと舞う特殊な街だ。お寿司屋さんの“ノリ”もやはり他の街とはいろんな意味で異なる。その点、日本橋あたりだと質実剛健というか、道理をわきまえているようなお店が多いのだろう。客層の点にもそうした違いは出るのだと思う。

 

ここ数年、新富町にある某お寿司屋さんがお気に入りになり、他の店を新規開拓する気持ちがまったく無くなっていた。それはそれで悪いことではないが、隠居の身でもあるまいし、時には好奇心を満たすことも必要だ。

 

かつては毎月毎月何軒も道場破りかのようにお寿司屋さんの新規開拓に励んだ私だ。あの頃ほどのエネルギーはないものの、あの頃に身につけた私なりの“新規店でとっとと上客になるマル秘マニュアル”はまだまだ有効だ。時には冒険するのも一興だと感じた。

 

 

 

 

 

 

2026年9月9日水曜日

MRIとの闘い

 

物忘れがヒドくなってきたことで脳神経内科に行き、脳のMRI検査を受けるハメになったことを8月終わりにこのブログで書いた。閉所恐怖症気味だからイヤでイヤで憂鬱で憂鬱で仕方なかったのだが勇気をふり絞ってちゃんとやってきた。

 

脳神経内科でMRIを手配してもらう際に閉所が苦手だという話をしっかりアピールしまくったせいでオープン型のマシンがあるクリニックを紹介された。

 

受付の際に鎮静剤をもらうつもりだったのだが、私の勘違いもあって話がスムーズに進まずちょっと難儀した。鎮静剤を使う場合は予約時間より1時間早く到着して服用後クスリが効いてくるのを待ってから検査をする段取りだとか。


私の検査予約時間は10分後だ。これ幸いとばかりに「では無理なので帰ります」と言ってみたのだが、親切なクリニックの人々が予定時間をずらしてくれることになった。嬉しいような悲しいような気分とはこういうケースを指すのだろう。

 

鎮静剤を2錠もらい一時間後に戻ってきてくれればいいとのことだったので近くのカフェの喫煙ルームにこもってガバガバとタバコを吸う。オープン型のMRIとはいえどうせパニック寸戦になるぐらい恐怖感と闘わねばならない。束の間の自由時間は煙を吐き出すぐらいしか出来なかった。

 

十数年まえに脳のMRIを受けた際は首から上をすっぽりと機械に覆われその閉塞感に悶絶した。気が狂うんじゃないかと心の底からビビりまくった。

 

その後、トンネル状の機械に全身が包まれる一般的な腹部MRIも何度かこなしてきたが、頭すっぽりバージョンほどではないものの毎度メロメロにバテまくっている。閉じ込められるのがとにかくイヤだ。

 

久しぶりに頭部MRIである。オープン型の機械がどんな形状なのか不安で不安で仕方なかったのだが、鎮静剤が効いてきた頃にご対面した機械をみてちょっと驚く。良い意味で驚いた。

 

座った状態で首から上をすっぽり覆う機械ではなく、通常のMRIのように横になって検査を受けるスタイル。おまけに全身を包み込むような形状ではなく、左右は開放された状態で検査部位にカメラが覆いかぶさる感じの仕組みだった。身体がベルトで固定されることもない。

 



 この画像はネットで借りてきた見知らぬ医療機関のものだが、大雑把にいえばこんな感じで“包み込まれない”スタイルである。これはかなり気が楽だ。

 

鎮静剤のおかげでボーっとしてきたし、担当医がやたらと丁寧に気を配ってくれたのでどんどんやる気?が出てきた。聞けばこのクリニックは閉所恐怖症気味の人が各地からこぞってやってくる“駆け込み寺”みたいな場所らしい。

 

私などはしょせん「閉所が苦手」レベルだが、電車やクルマにすら乗れない重度の閉所恐怖症の人も利用しているとか。そういう人は徒歩34時間かけて検査に来るという話を聞いて、がぜん勇気が湧いてきた。

 

で、検査が始まった。腹部の検査だと「息を吸って、吐いて」みたいな作業を結構マメにやらされて放心状態になれないのだが、頭部の検査はそういう作業が無いのがラクだ。エロい妄想に励んでいるだけでいい。

 

通常は20分で終わるのだが、痴呆傾向を調べるには追加で10分必要らしい。検査を始める前は20分でいったん解放してもらって一息ついてから追加の10分をやり直すようにワガママ要求を受け入れてもらったのだが、結局、追加の10分もそのまま連続でこなせた。

 

無事に終わったことで達成感、満足感はかなりのものである。おかげで検査結果を聞きに行く診療予約をしていない。忘れたままである。変な話、結果を聞きにいかなければ「異常なし」だ。そうはいかないか…。

 

ちなみに明日、すい臓方面をチェックする別のMRI検査の予定が入っている。こちらは以前に手配済みなので一般的な閉じ込められる機械の検査だ。いまさら検査するクリニックを変えられない。もう少し時間に余裕があればオープン型の優しいMRIを手配し直したのに何とも切ない。

 

前回の検査では機械に入れられる前から終了するまで一瞬たりとも目を開けずに閉じたままでいるといいという技師さんのアドバイスのおかげで何とか耐えられた。今回もその作戦を徹底しようと思う。

 

それにしても長生きしたい願望はまったく無いのにナゼ私は何度も何度もこんな検査をビビりながら受け続けているのだろう。医療費でパンク寸前の国家財政の観点からも問題である。

 

そろそろ検査だ何だと余計な健康対策にソッポを向いてサプリや常用薬もスパっとやめて自然のままに任せてみようかと本気で考えている。

 

 

 

 

 

 

 

2026年9月4日金曜日

肉食、草食

 

肉食動物は草食動物を丸ごと食べているから野菜不足の心配はない。この理論が好きだ。日頃、私がガツガツ食べている牛や豚や鳥も馬も生前は野菜的なものを食べて育ったはずだ。だから大丈夫である。

 

野菜が嫌いだなどと声を大にして60歳のオヤジが叫ぶのはカッチョ悪いが嫌いなんだから仕方ない。先日、旧友たちとの飲み会で空心菜の炒めを注文した友や麻婆ナスを注文した友に罵詈雑言を浴びせたのは私だ。

 

でも、麻婆ナスを取り分ける際に私の皿だけナスを除外してくれた友には宝くじが5億円当たったら3万円ぐらいは謝礼を渡そうと思う。

 

話が変わる。焼肉屋さんに行く機会が増えた。もう10年ぐらい前から正直焼肉は苦手な食べ物に近い存在になっていたのだが、ここ1年ぐらい頻繁に行くようになった。渋々ではなく自ら積極的に行くようになったから変われば変わるものだ。

 

その理由が野菜である。論理破たんも甚だしいのだが、野菜のおかげで焼肉好き男に復帰した感じである。

 

そもそも数年前から薬味野菜は好きになった。相変わらず主役みたいに出てくる野菜には殺意を覚えるのだが、麺つゆに入れるネギ、冷ややっこのミョウガ、カツ丼に混ざっているタマネギなどはむしろファンである。

 

強壮効果を狙って頑張って居酒屋でオニオンスライスをモリモリ食べ続けたことで昔ほど野菜に対する怨念が強くなくなってきたのだろう。あくまで脇役の野菜なら大歓迎だ。

 

かといってハンバーグに添えられるニンジンみたいな準主役級はやはりダメだ。やはりせいぜい葉っぱや刻んだネギ類あたりが私が仲間と認める野菜である。

 



画像の手前はナムルに白髪ねぎまでふりかけた状態だ。サンチュに肉を置きそこにナムルを加えてくるんで食べるようになった。数年前までの私を知る人から見れば異様な光景かもしれない。

 

サンチュで焼肉をくるんで食べる人のことを人生で何十回、何百回ディスってきただろう。今になって反省する。ごめんなさい。あの食べ方だとサッパリしてカルビだっていけちゃう。

 

サンチュにくるんだ肉を5回食べたら、肉だけを1回たべるようなパターンが今の標準だ。これだと苦手になっていたはずの牛肉が結構ドカドカ食べられる。ついでにキムチも食べちゃうわけだから野菜まみれの時間である。

 



店によっては刻んだネギだけを出してくれるところもある。これがまた良い。焼いた肉にドッサリ載せてこれまたキムチやナムルもまぶして頬張ると妙にウマい。

 

いまや私にとって焼肉屋さんは野菜を食らう場所になりつつある。私の野菜嫌いを心配していた今は亡き母親が見たら涙を流して喜んでくれるだろう。いかんいかん、まだ生きている。今度その姿を見せてやろうと思う。

 




 

話が変わる。先日、自宅からほど近い人形町の外れにあるお蕎麦屋さんで楽しく飲んだ。いわゆる街の普通のお蕎麦屋さんである。夜は気の利いたツマミを揃えているから近隣サラリーマンのオアシスみたいだ。ヅケまぐろ、ハタハタ、鴨などをツマミに蕎麦焼酎の蕎麦湯割りをグビグビ。

 

で、シメの蕎麦に山菜そばを注文してしまった。爺さん婆さんしか食べないものだと思い込んでいた山菜そばを自ら食べたくなり、ウマウマいと食べたわけだからいよいよ私も爺さんデビューの入口に辿り着いてしまったようだ。

 



とかいいながら別な日は気になっていたジャンクフードをムホムホ言いながら完食した。すき家が出しているポークロックカレーである。キャッチフレーズは「そびえる肉に食らいつけ」である。

 



豚肉のデカい塊がトッピングされたカレーライスである。豚の肉塊は1個から3個まで選べる。当然私は3個入りを選ぶ。それどころか別注できるポークロックを追加でもう一つ頼んだ。

 

店で食べるのはちょっと恥ずかしいからデリバリーを利用した。デカい肉が角煮のような脂部分の多いシロモノだったらイヤだと心配していたのだが、脂身はさほど感じない文字通り肉塊だった。

 



 

カレーライスのライスの上にこれを4つ投入するとコメは見えなくなる。パっと見すると謎の茶色い食べ物である。でもそれが良い。茶色こそジャンク界隈のチームカラーである。

 

ムシャムシャ食べた。余裕で食べた。しょせんカレーライスが並サイズだったから気づけば皿はカラッポになっていた。カレーと混ぜちゃうから肉の味はよく分からなかったが、豚の肉塊自体にもしっかり味はついていた。ガーリックを感じるバーベキューソース味だった。

 

単品で取り寄せて肉を細かくほぐして炒めメシの具材にするのもアリだと感じた。

 

というわけで、山菜そばで爺さん界隈の入口までたどり着いたが、すき家のジャンクメニューのせいで相変わらず年齢不相応な食生活を楽しんでいる。めでたしめでたし。




 

 

 

 

 

 

 

2026年9月2日水曜日

若々しい味覚

 

いつの頃からか我が家の冷蔵後にはオロナミンCが常備されるようになった。小さいサイズのコーラもファンタもあるのだが、オロCに手が伸びる頻度が一番多い。

 

たいていは酔って帰ってきた日の夜遅くの時間だ。ゲップが目的である。飲み終えた後の中途半端の不快感はゲップを盛大にすることでかなり解決する。盛大なゲップにはコーラが一番なのだが、オロCがいつも私を呼ぶので一番の相棒だ。

 


 

ゲップが目的とはいえ、やはり好みの飲み物を優先したい。ファンタやジンジャエールでもなく炭酸飲料といえば私にとってはオロCがエースだ。

 

子どもの頃、ナゼだか親にせがんでも滅多に買ってもらえなかった。強壮剤みたいなものかと勘違いされていたのだろう。だから友達の家に遊び行った際には友達のお母さんにオロCをねだったりしていた。

 

ドデカミンなんちゃらとか似たような商品があっても私はオロC一択だ。あのナゾの小さいサイズが妙に魅力的だ。かといって一気に2本飲んでも不思議と感激しない。オロCはあのさりげない分量が美味しさの秘訣なんだと思う。

 

ありとあらゆる清涼飲料や炭酸飲料には各種のサイズが用意されているのにオロCはあのサイズが不変だ。ビッグもミニもない。ヘパリーゼみたいなドリンク剤だって大きさが何種類もあるのにオロCのあの達観ぶりは尊敬に値する。ブレない強さ、不動心みたいなオーラすら感じる。

 

子どもの頃からのオロCファンではあるが、週に何本もマメに飲むようになったのはここ10年ぐらいだろうか。加齢のせいか、はたまた赤ちゃん返りへの準備なのか我ながら不思議だ。

 

オロCに限らず、食べ物の中にも若い頃に好きだったものを今になって改めて頻繁に食べるケースが増えてきたように思う。チキンライスしかり、マックしかり、焼肉屋のカルビしかり、数えだしたらキリがないぐらいだ。

 

赤ちゃん返りへの準備というと大げさだが、この歳になると味覚が原点回帰する傾向ってあるのかもしれない。小難しい料理をウンチクいいながら食べるよりオムライスやナポリタンや赤いきつねを食べているほうがどこかホっとした気持ちになる。

 

通学前の忙しい時間帯に母親がやっつけ仕事で作ってくれたようなテキトーな料理が妙に恋しく感じる。作るのに5分、食べるのに3分ぐらいで済ませたような日もあったが、そんな時の味覚に戻りたがっているのだろうか。

 

と、おセンチなことを書いてみたが、単純に私の酒量が減ってきて、その分、甘いモノを口にしたい欲求が強まってきている可能性が高い。

 



先日の週末もクリスピークリームドーナツのミニサイズ盛り合わせをデリバリーで注文して一気に半分以上ムシャムシャ食べてしまった。甘いモノだけだとちょっとビミョーなので近所の総菜屋で買ったタマゴサンドに“追いマヨネーズ”を加えてシメにした。味覚が破たんしている…。




そういえば最近のマイブームがセブンイレブンのピスタチオアイスバーである。すこぶるウマい。まとめ買いしたせいで冷凍庫が窮屈になってしまった。

 

実はこの商品が登場する前までは「カリッとアーモンド」と称するホワイトチョコがコーティングされたアイスバーに夢中だった。絶品だった。ハーゲンダッツより軽めで、かといってコクもあって名作だったと言える。

 


 

ところが我が家の近所の店舗では見かけなくなってしまった。セブンの凄さでありダメなところは商品の入れ替わりが激しい点である。とくにスイーツ系は、かつてのバニラテリーヌのようにどんなに名作でも一定の周期で廃版になってしまう。

 

ローソンのスイーツは「どらもっち」など人気商品は定番として残り続けているから、セブンのスイーツにももう少し辛抱強さを求めたいところだ。

 

で、お気に入りの「カリッとアーモンド」が無くなっちゃって絶望の淵にいた私だったのだが、まるで後継商品みたいにピスタチオ版が出てくれたのは有難い。味の点ではピスタチオ感がさほど強くないのだが、チョココーティングをケチっていない感じが前作同様で嬉しい。おススメです。

 



オチも何も無いまま終わるのがシャクだからついでにもう一つ。最近食べた妙にウマかった一品を紹介する。友人たちとの飲み会で出かけた神楽坂「龍公亭」のとうもろこしチャーハンである。

 

いやはや実にそのまんまの一品だった。余計な野菜など入っておらず微妙にバター風味も効いており個人的には抜群に美味しかった。友人たちと取り分けたことが残念で仕方ないほど心が掴まれた。




やはり、根本的な味覚が赤ちゃん返りに向かって突進しているのかもしれない。

 

 

 

 

2026年8月31日月曜日

ショート動画中毒


 本が読めない、ドラマが観られない。そんな若者が増えているそうだ。長い文章や長時間何かを視聴することが苦手になっている人が多いということ。原因はネット上に溢れるリール動画というシロモノだとか。せいぜい数十秒程度の短い動画のことだ。

 

私もご多分に漏れず寝る前によくリール動画を脈略もなく眺めている。ハッキリ言って楽しい。思った以上の面白くてついつい夜更かしをしちゃうこともある。

 



確かにひとつが数十秒だから飽きないし、AI様のおかげか一度でもジックリ見た内容に似た動画がランダムに表示されるし、かと思ったら別なテーマの妙に面白い動画が出てくるので気づけば1時間ぐらいアッという間に経ってしまう。

 

昔の野球の名場面、いにしえの「夜のヒットスタジオ」の名物だった冒頭の歌手紹介コーナー、昭和の懐かしいCМ、かつてのメジャーリーグのスーパープレー、はたまた京都橘高校の華麗なマーチングバンドの動き、道端や電車内での酔っ払いの殴り合いなど特に意味はないけどナゼか見入ってしまうようなショート動画がエンドレスで出てくる。

 

私が簡単調理に励むようになったのもリール動画でソッチ系ばかり面白がってみていたせいである。ほんの20秒ぐらいでレシピや作り方のコツを教えてもらえる。意外に実用性もあるわけだ。

 

簡略化、省力化ばかり進んだ今の時代ならではだが、確かにこんなものばかり見ていたら映画や小説などとしっかり向き合う時間が馬鹿らしく思える若者が増えちゃうのだろう。

 

文化の危機だ!などとエラそうなことを言いたくなるが、これもまた時代の特徴である以上、旧世代がブツクサ言ったところで仕方ない。映画や連続ドラマ、小説などの面白さや奥深さを昔から知っている人間ならいまさらショート動画に全面的に趣旨替えすることはない。

 

でも、物心ついた時からショート動画ばかりで情報を得ている若者にとっては2時間を超える映画、数か月先まで見続けなきゃいけない連ドラ、読み終えるのに何日もかかる小説はじれったいの極みだろう。旧世代から言わせればお気の毒としか思えない。

 

まあ、そんな愚痴みたいな話を書いてもキリがない。今日はショート動画の中で面白かったいくつかを紹介しよう。このブログに静止画で載せられるのは、動画といっても箇条書きの図表のようなものを表示しているものぐらいだからそんな系統のものをいくつか載せる。

 




いわゆるフェッチの分析と血液型のありがちな解説だ。画像に載っているフェチは限定的だから私の重度のフェチが分析されていないのが残念だ。でも強いてこの中に絞れば、私は「執念深い忍耐男」になるらしい。いいかげんである。

 

血液型は、まあこんなものだろう。だいたいB型というだけで昔から変人っぽく断定されがちだ。人間様をたかだか4種類の血液型で類型化すること自体バカげているが、B型が変人なのは確かだからこればかりは仕方ない。

 



親子の時間を切ない感じで表したこれは私にはちっとも刺さらなかった。実際のショート動画では物凄くせつないBGMととも表示されるのだが、同居する25歳の娘にいまだに完全依存されている私にとっては当てはまらない。それはそれで逆説的に見れば幸せなことなんだろう

 


 

お次はソープ遊びと結婚を比較した“やるせない”図表だ。笑わせてくれる。なかなか面白い。私の場合、ソープには行かないが一応独身だからいろエロな女性の友人はいる。当てはめてみればこの図表と似たようなものだ。

 

でも、この図表でいうところの「しがらみ」って考えようによっては案外大事なものかもしれない。人間は一人きりでは生きられない部分はあるから適度な「しがらみ」は高齢化とともに必要性が増す気がする。他にも「同志的連帯感」とか「ともに歩んだ歴史」みたいな人生の深みみたいなものはちゃんと家庭人を継続できた人へのご褒美かもしれない。ちょっと悔しい!?

 



つづいてはノーテンキなネタだ。「眠れる森の美女」「可愛い子には旅を」の対義語が最高だ。近年、コンプラコンプラとやかましいからこういう痛快系?は何だか嬉しくなる。

 

やはりリール動画で大昔の「ツービート」の漫才映像が出てきたことがあったが、時代の変化をあれほど感じたものはなかった。たけしの毒舌は今では犯罪者扱いされそうなレベル。あの大らかだった時代に若者だったことが今更ながらラッキーだったと痛感した。

 

キリがないからこのあたりで今日はオシマイです。

 

 

 

 

 

 





2026年8月28日金曜日

頭の問題


先日、脳神経内科に行った。娘に引っ張られて半ば無理やり連れて行かれた。最近、やたらと物忘れが多いから放置したらいかんというのが娘の言い分である。

 

自分ではさすがに若年性痴呆というレベルではないと思っているが、娘に言わせると普通じゃないらしい。言われてみれば今年に入ってからもATMでお金をおろした際に出てきたお金を取らずに去ってしまったことが2回ある。

 

以前にも経験しているのだが、誰かに盗られたらオシマイだが、取り忘れたお金は案外早めに機械に戻るようなので実害はなかった。だから油断しているのだろう。

 

キャッシュカードを財布に戻すことに神経質になりがちなせいで肝心のお金を取り忘れるのが私の悪いクセである。まあ、これって物忘れとは次元が違う。単なるアホである。

 

そんなことより記憶のほうが問題みたいだ。娘に言わせればわりと最近交わした会話内容を私が覚えていないことが頻繁にあるらしい。病院に無理やり引っ張っていくぐらいだから真剣に心配しているようだ。

 

確かに多少は自覚がある。私なりに言い訳はあるのだが、間違いなく以前より忘れっぽくなっている。まあ、60歳も過ぎた今の状態が昔と同じはずはない。常識の範囲ではないかと思っているがどうなんだろう。

 

先日も某知人と食事をしたのだが、そのお店に連れていくのは2度目だと思っていたのにここ2年ぐらいの間に3度も連れてきていたそうだ。まるで覚えていなかった。

 

ちょっとヤバいかもしれないが今のところ仕事上の大ポカもしていないし、生活に支障が出るほどの物忘れはないので自分としてはあまり気にしていない。

 

とはいえ、考えてみれば結構マヌケな物忘れは多い。ほんの一か月前に隣に座って談笑しながら食事をした人の顔を忘れちゃって「すいません、どなたでしたっけ?」と尋ねたこともある。さすがに失礼な話だ。

 

物忘れと言われれば物忘れなのだろうが、じつのところ大半は注意力と興味の問題だと自己分析している。もともと興味のないことにはとことん興味がないB型の典型的な性質がある私だ。忘れちゃったというよりハナからキチンと認識していないという側面もあるはずだ。

 

さほど興味がない会話をする時って誰だって真面目に聞いていない。テキトーに聞き流したりそれっぽく相づちはうったりしても内容はちっとも頭に入っていない。後からそれを突っ込まれても忘れたのではなく最初から脳に刻まれていないだけというケースは珍しくないと思う。

 

人の顔を忘れちゃうのも似たようなものだろう。興味や関心がない人の印象ってまるで頭に残らない。皆さんは違うのだろうか。私が極端なのだろうか。

 

それ以外にも脳の防衛本能として「イヤな記憶」は消去しちゃうという現実もある。私の場合、かなり若い頃からそんな傾向が強かった。思い出したくない恥ずかしいことやマヌケな失敗みたいな行為や言動を記憶から消し去る能力?がマメに機能してきた。

 

だから数十年ぶりにあった旧友とかに昔の私のヘンテコな言動を指摘されて突然それを思い出すようなシーンが何度もある。都合の悪いことは記憶から消しちゃうという“お調子モノ機能”が一種の得意ワザになっているわけだ。

 

で、脳神経内科のお医者さんにいろいろ聞かれたのだが「ビミョーなレベル」ということでMRI検査を来週受けるハメになった。これって私には一大事である。以前に脳ドックを受けた際に閉所恐怖症気味の私はパニックになってしまった経験がある。その時の話がコレ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/10/blog-post_11.html

 

 一応、そのことも伝えて多少なりとも解放感のある機械で検査してくれるよう手配してもらったのだが真剣に逃げ出したいぐらいビビっている。死ぬほど憂鬱だ。

 

そんな過去の敬意をお医者さんに説明する際にも私の物忘れはかなりのものだった。脳ドックを受けたのは「56年前」だと説明したのだが、その時の顛末を書いたこのブログの日付を見てビックリである。なんと16年も前のことだった。私の認識と10年もズレていた。

 

さすがにヤバいのかもしれない。困った困った。

 

 

 

 

 

2026年8月26日水曜日

通販好きオヤジ


ネットサーフィンといえば聞こえがいいが、私の場合、よく考えると単なる通販好きオヤジみたいである。アマゾンを筆頭に連日ヤマトや佐川が何かを持ってくる。毎日毎日段ボールを捨てている感じだ。

 

ネット通販の中でも怪しげ?なイメージがあるのがTEMUだ。中国系のECサイトだが、危険だの詐欺まがいだのと良くない評判を耳にする。

 

そうはいってもサイトを覗くとなかなか魅力的である。私もしっかり会員登録済みだ。クレジットカード登録は何となく避けているがそのほかの支払い方法で何度も買い物をしている。

 

ベルトやら部屋着やら安いものしか買わない。安さがウリだから失敗もあったがマトモなものもいくつもゲットした。時々使うとちょっと楽しい。

 

先日、久しぶりにサイトを覗いたら食料品にも進出していて驚いた。それも松屋や吉野家といった日本ブランドの冷凍品を激安で扱っている。ふむふむこれは牛丼好きな私にとっては見逃せない。早速注文してみた。

 




牛丼の具の冷凍モノは以前にも何度か入手して食べているが、お店で食べるのと大差ない味わいだ。案外高いのでふるさと納税の返礼品で取り寄せるぐらいで定価で買ったことはない。

 

今回のTEMUの通販ではまとめ買いする分量にもよるが定価の半額ぐらいで買えた。ワッショイ!である。同じく松屋の冷凍ウナギもついでに買った。

 

牛丼の具20食にうなぎを15食ほどまとめて買って1万円程度で済んだ。賞味期限が短いのが激安の理由かと心配していたのだが実際に届いた商品をチェックしたところ全く問題なし。味もいつもの松屋のまんまだった。当然か。結果、なんだか嬉しい気分になった。




「嬉しい気分になる」。これが買い物の楽しみである。まるで女性が洋服を買ってウキウキするような感覚だが、私の「通販オヤジ暮らし」もそれを求めているのだろう。

 

Amazonの最近の注文履歴を見てみたが、脈略もなくいろんなものを買っていた。頭皮マッサージブラシ、エルメスの香水、都市対抗野球のガイドブック、ノンオイルそうめんなどなど。コーヒーに使うクリープのスティック状100本セットなども買っていた。

 


 富豪を名乗っているとはいえ、高いものをほとんど買っていないあたりが私の小者ぶりを象徴している。まさに安物買いのナントカだ。クリープ100本入りも千円ちょっとだったし、便利に使っている乾燥ネギもそんなもんだ。

 

そういえば最近は地震ばかりで不安だから10万円近くするポータブル電源も買った。私にしてはこれは富豪級の買い物だ。こればかりは「嬉しい気分」というより安心感を買ったようなものだ。

 



 やはり食べもの系、それもジャンク系を買うとワクワクする。そういう買い物が一番好きなんだと思う。15年ほど前にシングル生活に戻ってから数えきれないほどのレトルト食品を取り寄せ、時に感激し時にゲンナリしながら暮らしてきた。

 

レトルト食品の進化は昭和人からすると驚きだ。基本的にはゲンナリするダメダメ商品のほうが多いが、マメに探していると唸りたくなるほどウマい逸品にも出会える。

 

一応いまではカレーもハヤシもシチューも自分好みのレトルトをいくつか見つけて常備しているが、時には新しい商品も試したくなる。最近買ったのが「蜂蜜カレー」である。

 

カレーは朝に食べることが大半なので私の場合は辛い商品はNGだ。必然的に欧風か和風の商品に絞られる。もともと甘めの味付けが好きだから原材料表示に「砂糖」と表示されている商品を選びたくなる。

 



今回買ってみたのは「山田養蜂場」のはちみつチキンカレー。レトルトカレーの中では高めの値段設定だが、甘めのカレーが好きな私にとってはスティック状のハチミツが味変のためにセットになっている商品だと聞けば買わないわけにはいかない。

 

で、食べてみた。カレー自体はニッポンの家庭のカレーという感じで無難な味付け。細切れのニンジンや芋がブツとして認識できる感じで入っているのが野菜嫌いの私には気に入らないが、よく煮込まれているせいでゴリゴリ食感はなくスムーズに食べ進められた。丁寧に作られた誠実なカレーって感じで好印象だ。

 

そして肝心の別添ハチミツを追加してみた。スティック状の容器からカレーにテロテロと投入。適度に混ぜて頬張る。うん、ウマい。大いにアリである。カレーとハチミツの相性はバッチリだった。

 

とはいえ、気づいてしまったのが適当なレトルトカレーに普通にウチにあるハチミツを追加投入すれば済むのではないかという真理である。それに気付いちゃうとちょっと高いこのレトルトカレーがビミョーに思えてくる。

 

なんとも締まらない話になってしまった。でも基本的にはなかなか良い商品でした。







2026年8月17日月曜日

オヤジバンド、ヒロミゴー

 

15年の歳月といえば結構な長さだ。生まれたての子は思春期になるし、思春期の子だったら30歳の大人になっちゃうぐらいの年月だ。

 

とはいえ、60歳の私からすると15年といってもアッという間に近い感覚もある。なんなら15年前は「最近」の範囲に入る。そう考えるとここから先もアッという間に時間は過ぎて気づいたら死んじゃっているかもしれないわけだから実に不思議だ。

 

そんなことを考えたのは何となく始めたオヤジバンド活動が15年も続いていたことに気付いたから。いっぱしのベテランである。ライブを年に一度やる程度だから自分が“ミュージシャン”や“バンドマン”だと思ったことは無い。でも人様から見れば「15年もバンドを続けている人」である。我ながらビックリだ。

 

私の担当はボーカルである。МCをそこそここなれた顔でこなしているせいで中心人物みたいな立ち位置にいるが音楽的素養はない。楽器も出来ない。ちょこっと手を出したギターの基本コードのストロークがよちよち鳴らせる程度である。

 

他のメンバーは腕っこきが揃っている。ボーカル無しのインストゥルメンタルも一部の演目にあるのだが、練習の際にその音色を聴いていると大真面目に感動する。今年は「太陽にほえろ」と「名探偵コナン」のミックスアレンジバージョンを演目に予定している。その部分はただボケっと聴いているだけの私は単純にそれが一番楽しみだったりする。

 

今年も11月のライブ本番に向けてスタジオ練習がスタートした。事前に演目候補曲は決めてあったのだが、1回目の練習から皆さんしっかり精度高めの音を出していたことにビビった。ボーカルの私が最も仕上がりが遅れていた。

 



バンド活動の初期はアコースティックギター2人と私の3人編成で練習の初期段階はメロメロも通り越してヘニャヘニャだった。今ではフルバンド編成に拡大したのだが、気づけばボーカルだけが昔のヘニャヘニャのままなのが我がバンドの弱点といえる状態だ。頑張らないといけない。

 

バンド活動を通して知ったことや感じたことは結構ある。何事も勉強だと思えばこの経験は案外大きい。それこそシャレみたいなつもりで始めた活動だが、15年もやっていると私の人生になかなかのインパクトを与えてくれたと感じる。ちょっと大げさか。

 

大勢の人の前でスポットライトを受けてPAさんの助力を得てプロが使う本格的なライブハウスで熱唱するわけだから得難い体験ではある。そんな体験は日本全国、いや世界中の人の中でもかなり少数派に属するはずだ。ちょっと大げさか。

 

何だかヘンテコな書きぶりになったから話を変える。「郷ひろみ」の偉大さについて書いてみる。近年、我がバンドはお客さんのウケを狙うために誰もが知っているノリノリの楽曲のカバーを多めに演目を構成している。

 

バンドメンバーの誰もがそれぞれ演奏したい渋い曲や通っぽい曲はたくさんあるのだが、素人バンドが陥りがちなマスターベーション的演目構成を避けるために我がバンドではベタな歌謡曲も積極的に手掛ける。

 

で、ヒロミゴーのノリノリ曲「ゴールドフィンガー」も過去に何度か披露した。あの「アチチ、アチチ」と熱唱するヤツである。NHKの紅白でも郷ひろみは近年では「アチチ」か「億千万」のどちらかしか歌わなかったぐらい盛り上がる曲だ。

 

今も彼は歌番組で披露しているが、何といってもキーが高い。それを激しく踊りながら余裕で歌っている。もうすぐ70歳である。前期高齢者になってすでに5年も経っている。ただただ感心する。

 

それこそ「億千万」と叫ぶ有名曲「24千万の瞳」より遥かに高いキーである。驚かされるのは「アチチ」の歌は「億千万」の歌より15年も後に発売されている点である。すなわち、30歳の頃より高いキーの曲を45歳ぐらいになっても余裕でレコーディングして今もそのキーのまま踊りながら歌っているわけだ。

 

どうでもいい話かもしれないが、ヒロミゴーより10歳年下の私にとっては驚異的な話である。それこそ私が子供だった頃に、♪僕たち男の子~♪とくにゃくにゃ歌っていた人である。当時は子供心にブキミな男にしか思えなかったのだが、半世紀を経たいま、彼を類まれな傑物として尊敬している。

 

バンドの話のはずがヘンテコな結末になってしまった。





2026年8月7日金曜日

愛しのドーナッツ

 

時代とともに呼び方が変化するものがある。BMWなどは今でこそローマ字をそのまま発音するか「ビーエム」と略して呼ぶのが普通だ。ほんの30年ぐらい前まではたいていの人が「ベーンベー」と呼称していたことを知る人は減った。ベンツのチューニングメーカー「AMG」しかり。昔はだれもが「アーマーゲー」と呼んだ。

 

いずれも古いほうが本国の読み方を踏襲していたわけだが変われば変わるものである。高級時計の「ヴァシュロン・コンスタンタン」も昔は 「バセロン・コンスタンチン」と呼ぶのが普通だった。こちらは本国読みに戻った代表だろう。

 

スパゲッティーもいつの間にか「スパゲティー」「スパゲティ」に変わった。「ッ」一文字とはいえ今となってはその一文字を声高に叫べないような社会の“圧力”を感じる。「ッ」が入ると途端に格下になったかのような変な感覚がある。

 

さて、ここまでは前フリである。今日は「ドーナツ」の話。これまた昔は誰もが「ドーナッツ」と呼んだ。「ッ」が撤去されてしまったパターンである。でも不思議なもので話し言葉ではいまだに「ドーナッツ」と呼ぶ人が多い。高齢者だけの傾向だろうか。「ッ」を入れたほうが発音しやすい気がする。

 



さてさて、還暦も過ぎ、オジイサン世代への突入を間近に控える私だが、実はドーナッツが大好きである。アメリカ人みたいである。私の周りの同年代でドーナッツを嬉々として食べている人は見当たらない。

 

若々しいのか、子供舌なのか、味覚がヘンテコなのか、おそらく一番目の理由が正解だろう。ウマいんだからしょうがない。時おり無性に食べたくなってそういう気分の時は必ず食べる。一ヵ月に最低でも3回はガツガツ食べていると思う。

 

スタバのドーナッツは美味しくないことで定評があるが、私の場合、スタバの実店舗にいる時やデリバリーでそれしか選択肢が無い時は喜んで注文する。レンジでチンすればそこそこウマい。

 



最近は「クリスピークリームドーナツ」が世間でブイブイ言ってるイメージがある。私も時々買う。まあ、人気が出るのも分かる。悪くはない。でも私にとってはナンバー1の存在ではない。

 

私の場合、ウーバーでのデリバリーか有楽町マルイの店舗で買って帰ることが多いのだが、わりと最近、同じマルイの1階に新たなドーナツ屋が出店したので、その仁義なき戦いぶりに感心した。

 



 

「ランディーズドーナツ」というのがそれ。なかなかそそるディスプレイのせいもあっていつ見てもお客さんがレジにいる。人気があるようだ。ドーナッツ好きオヤジとしては試さないわけにはいかないので早速たくさん買ってみた。

 

まあそれなりだった。あくまで個人的な好みの問題だが、ワンフロア下に店舗を構える「クリスピークリームドーナツ」ではなくこちらを選ぶ理由は無さそうに感じた。

 

 


強いて言えば甘いクリームペーストの上に焼いたベーコンが散りばめられているドーナツは画期的な味がした。私の場合、ドーナッツを食べる際は3個も45個も食べたくなるので必然的に途中で甘さがキツくなる。ベーコントッピングという秘策がとても良いアクセントになってくれた。

 

デリバリーで頼んだことがあるドーナツショップは数多い。有名なところでは「ジャックインザドーナツ」も何度か頼んだ。他にも小規模な店から生ドーナツやら米粉のドーナツやらあれこれ頼んでいる。

 




ハヤリの生ドーナツとやらも嫌いではないが、クリーム入りの商品などは単なる菓子パンみたいでドーナツ的な満足感とはイメージが違う。まあ、甘い気分の時に食べるから四の五の言いながらムシャムシャ食べまくってしまう。

 

で、結論から言えば「ミスドは偉大だ」という絶対的真理である。「ミスタードーナツ」はもともとアメリカのチェーン店だが半世紀以上前に日本に進出。その後、日本独自の路線を歩んで今に至る。

 

ちなみにアノ名作中の名作である「ポンデリング」は日本が開発した商品だ。さすが日本人!と言いたくなる。創造性より応用力の高さを象徴している。

 



後発のいくつものアメリカ系ドーナツショップと比べるとミスドの“日本的な雰囲気”は独特だ。半世紀以上にわたる数々の企業努力のおかげで、まるで日本土着のドーナッツ屋さんみたいな現在の雰囲気に繋がっているのだろう。

 

何だかんだいってミスドのドーナツは他のショップより美味しい。個人の嗜好だが、私としては断固そう思う。食感なのか甘さの加減なのか良く分からないが総合力で他を圧倒していると思う。

 

なんだかミスドの回し者みたいになってしまったが、ここ数年、ウーバーのおかげでやたらといろんな店のドーナッツを食べまくってきたからこそ辿り着いた結論だ。

 

日本で歴史を重ねて進化した味わい。これって日本人にとっても財産だと思う。そう考えるとミスドと同じような時期に登場して昭和の頃にバチバチ競い合っていたダンキンドーナツが撤退したことは残念だ。頑張り続けてくれていれば日本っぽく進化したウマいドーナツは2巨頭状態だっただろうから妙に惜しい気がする。

 

 

 

 

 

 



2026年8月3日月曜日

いいかげん

 

「いいかげん」、「いい加減」。同じ言葉でも何となくニュアンスが違う。前者は無責任、投げやり、おおざっぱといったネガティブな意味合いだ。後者はもちろん、適度、ちょうどいいといった肯定的な響きになる。

 

「いいかげんにしろ」。相手に伝えるにしても場面や状況で意味合いは変わる。日本語の奥ゆかしく面白い部分だろう。こんなことを書き始めたのは私自身がどんどん「いいかげん」になってきているからだ。

 

そうはいっても「いいかげん」になっちゃったつもりが実は「いい加減」になっていたような展開もある。分かりにくい書き方でスイマセン。

 


 

シンコの握りだ。夏の風物詩である。寿司通を気取るならシンコのウンチクを延々語らないと始まらないほどのド定番である。30年近く前に一念発起して客としての寿司修行?を始めた私もシンコと聞くだけでアドレナリンが出ちゃう日々を長々と過ごしてきた。

 

そんな私も還暦を過ぎ、これまでやたらとこだわってきたあらゆる分野のあらゆることへの執着が徐々に薄まってきた。シンコも然りである。


ほんの23年までは56月あたりからシンコはまだかとソワソワしていた。初モノ食いをイキの極みだと信じていた江戸時代の洒落男のDNAが染みついているのかと思うぐらい頭の中がシンコ一色だったこともある。最近はそうした執着心が急速に弱まってきた。

 

良いか悪いかではなく“薄まる感覚”自体が年の功なのかもしれない。もちろん、お寿司屋さんにシンコがあれば喜んで食べる。でも、シンコ狙いでガツガツしていた頃と違い、今では半分その存在を忘れている。「そういえばシンコってあるの?」。そんなヌルい感じで店主に尋ねて無事に出てくればニンマリする。

 

こだわりが無くなっちゃたわけではないのだが肩の力が抜けたような感じだ。これこそが「いい加減」なんだと思う。

 

でも、ほんの23年前に私からシンコのうんちくを口うるさく力説された人からすれば、シンコの存在をヘタしたら忘れちゃってる今の私のヌルさは「いいかげん」そのものに映るはずだ。

 


 

こちらは東京駅そばの「平田牧場・極み」という店で食べたヒレカツだ。この日、トンカツの気分になったのに自分がいた場所から移動するのが面倒になってこの店を選んだ。

 

いつもならお気に入りのトンカツの名店までタクシーを飛ばして駆けつける。移動距離が極端に遠くなければ迷わずそうしていた私だが、この日は「いいかげん」モード発動である。

 

とはいえ、出てきたヒレカツが充分ウマかったので単純に満足。わざわざ移動して思い入れのある名店に行ったら行ったで得難い満足感を味わえるのも確かである。そういうこだわりも捨てがたいのだが時に面倒なのも事実だ。

 

「面倒くせ~」。すなわち投げやり的な「いいかげん」精神に従うのも時には必要だ。いつもいつもハッスルしてこだわりの男を演じ続けるのもツラい。こうやって適度に種々のこだわりが薄れていくことで老境という世界に突入しやすくなるのだろうか。それはそれで良いのか悪いのか判断がつかない話である。

 



こちらは銀座の土佐料理「祢保希」で食べたカツオの塩タタキだ。何の変哲もない一品だが、私にとっては革命的?である。醤油系、ポン酢系のタレ以外でカツオのタタキを食べたことが無かった。


その食べ方が絶対だと信じて疑っていないのに塩タタキなる一品を注文してしまう私の変節というか柔軟性?に我ながらビックリした。「いいかげん」になってきた証だ。

 

でもたいしてウマくなかった。やはり王道のタレ味にしておくのが賢明だと痛感した。とはいえ、こういうハズレを経験すると自分のこだわりをもっと大事にすべきだと思い直すきっかけにもなるから悪くない。

 

ちなみにカツオのタタキには醤油とポン酢のミックスが一番美味しいというのが私のこだわりだ。どちらかを多めにするかは好みの問題。私自身は5050だ。醤油とポン酢を半々で安直なタレを作る。スライスした生ニンニクとこのタレがあれば言うこと無しって感じだ。

 

話がそれた。

 

「いいかげん」と「いい加減」をめぐる私の迷走はもちろん食における店選びに限らない。それこそいろエロな場面で直面している。そもそも「加減」とは文字通り加えたり減らしたりの世界である。力の入れ具合、抜き具合も同じ。あらゆる分野でその按配が上手いか下手かが人としての器量の決め手にもなる。

 

 

 

 

 

2026年7月29日水曜日

明け渡す気持ち

 

気持ちに身体が付いていかないという現実を初体験したのは25歳ごろの頃だ。中学、高校の一時期、学校とは別のテニススクールに通ってスカしていた。元野球少年だったからテニスもそれなりにサマになっていた(はずだ)。カッコばかり気にしてスクールに通ってくる女子にモテたくてスカしていた。

 

で、スカした目的だったからスクールを卒業しちゃったらテニスとも縁遠くなった。その後、25歳ぐらいになった頃に某テニスコートで久しぶりにラケットを握る機会があった。この時が衝撃的だった。

 

気持ちと頭では飛んできた球を余裕で打ち返せるつもりで反応しているのに、あと、23歩が届かない。23歩の距離だと惜しいと言えるレベルではない。まるっきり歯が立たない感じだった。

 

たかだか25歳ぐらいで運動能力が一気に劣化していることを実感してかなりビビった。思えば、あの日を境に今に至るまで30有余年に渡って緩やかに体力低下の坂を下り続けているのだろう。

 

脳の記憶って切ないもので実際の身体機能と昔の身体機能の切り替えが苦手だ。バッティングセンターに行っても120キロぐらいのストレートが妙に速く感じる。しばらくして目が慣れるとしっかり球の軌道は見えるのに振ったバットが当たらない。昔の感覚で頭の中はイメージしているのに肝心の身体の機能から必要な俊敏さが失われているわけだ。

 

昨年、自転車で大転倒して10か月ぐらい膝の不調に悩んだのも若い頃の「チャリ脳」がそのまま甦ってしまったからだろう。肝心の腕や足の瞬発力が追いつかないことに気付かなかったのが原因だ。

 

うだうだ書いてしまったが、今日の本題は前フリとは全く関係ない「満腹になっちゃう早さ」である。一応、これも気持ちに身体が付いていかないという切ないテーマである。

 

ガンガン食うぞ!と張り切っていたのに意外にしょぼくれた量で終わった時には切実に哀しい。

 



 

先日、神保町近くの如水会館でやっていたサマービュッフェに意気揚々と乗り込んだ。運営はニッポンの洋食の本家みたいな東京會舘である。

 

ゴールデンウィーク頃に初体験した時にシャトーソース付きのピラフやらローストビーフ、舌平目のボンファムっぽいメニューなどが食べ放題だったことで興奮した。スイーツ界の重要文化財とも言えるマロンシャンテリーのミニサイスまで食べ放題である。

 




今回は残念ながらシャトーソース付きピラフなど私を狂わせる逸品たちは無かったのだが、それでも揚げたて天ぷらはぶりぶり食べられるし、タルタルソース付け放題?のエビフライもあったし、魚料理やアイスバインなんかも用意されていた。

 

いわゆるホテルカレーっぽい欧風カレーが常に潤沢にあるのも嬉しい。この日はやたらと具材がゴロゴロ入ったチキンカレーだった。実に幸せな味だった。

 



一応、画像で見るとそこそこ食べたように見えるが、前半に食べたローストビーフのせいで空腹がわりと早く収まってしまい、焼売だのエビフライをツマミに白ワインを調子に乗ってグビグビしていたらモノの30分もしないうちに満足感が押し寄せてきてしまった。

 

ビュフェに向き合う男子としては実にだらしないことだ。なんとかローストビーフをお代わりしてチキンだらけのカレーもガツガツ食べたのだが、デザートはちょっとしか食べられなかった。寿司にも蕎麦にもミニ鰻丼にも手が出ず。負けである。

 



前回ウマかった焼き立てのパンケーキにアイスクリームをのっけてシロップをぶりぶりかけるヤツも楽しみにしていたのに、まったくもってたどり着けなかった。

 

もちろん歳を考えれば普通の量なのだろうが、今までドカ食いをさんざん自慢しながら生きてきた立場上、しみったれた現状がもどかしい。

 

牛丼も特盛りではなく頭の大盛りで済ませることが増えた。定食っぽいものを食べる際に「ご飯大盛り」と言わなくなった。デリバリーでマクドナルドを食べる際、パンの大半を捨てるという暴挙に出るのだが、以前なら5個ぐらい注文していたバーガー類も今では3つ程度で収まっている。

 

ケンタッキーフライドチキンを食べる際には、鶏の皮だけでなく衣もすべて剝ぎ取って食べるというフトドキぶりを発揮するのだが、以前ならフライドチキンを単品で8個か9個取り寄せていたのが今では6個程度だ。

 

ここ12年で確実に人並みに成り下がってしまった。健康のためには良いのだろうが、半世紀近くにわたって大食漢という位置にどっかり居座っていたことを思うと、その座を去らねばならない現実が妙に切ない。

 

引退するアスリートの気持ちがつくづく理解できるようになってきた。全然違うか…。