2026年1月28日水曜日

サイズの話

 更新が間に合わなかったので過去ネタの中からタメになる話?を一つ載せます。


ゴリラよりも

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/08/blog-post_22.html





2026年1月26日月曜日

甘くて甘い生活

 

相変わらず甘いモノばかり食べている。乙女みたいだ。いや、乙女というほど可憐ではない。ドカドカ食べたりもする。下の画像は時折無性に食べたくなるモンブランみたいな大福テンコ盛りである。ヘラで取り分ける時にナゼかいつも興奮する。

 



正式名称は「栗千本」だ。日本橋コレドの中に入っている「栗りん」という店で売られている。大福の中にも栗ペーストと生クリームが入っていて官能的な味がする。確か2千円ちょっとで買える。

 

日本橋エリアは三越前駅あたりを中心に各県のアンテナショップが集まっている。三重県のショップでは時々あの「赤福」も売られている。赤福も「ヘラで取り分けるスイーツ」である。栗ペーストもこしあんも私にとっては愛しい存在だ。

 

職場でもしょっちゅう甘いモノを食べているが、どちらかといえば夜のノンビリした時間に食べるほうが好きだ。わざわざウーバーでスイーツだけ取り寄せることもある。

 

「デザート」や「スイーツ」などの言葉で店舗検索するとワンサカいろんな店が出てくるのだが、夜の問題は和菓子系がなかなか見つからない点だ。パフェやジェラート、クレープなどは簡単に見つかるが、あんこっぽい甘味は見つからない。

 

思えば甘味処は早い時間に閉店するのが普通だ。あの慣習は何とかならないものだろうか。繁華街だったら夜の10時ぐらいまで開けてくれれば晩酌の後に立ち寄る需要はあると思う。いや、そんなヤツは私だけなのだろうか。

 

例えばお寿司屋さんで飲み食いをしてホロ酔いになったとする。夏だったらかき氷、冬だったら温かいお汁粉をシメに食べたらかなり幸せだ。私だけの変態趣味だとは思わないのだが、世の中そんなことを願っている人は少数派みたいだ。

 



デリバリーでよく頼むものの一つがミニストップのプリンパフェ特盛りだ。凄くウマいと言えるかはビミョーだが、甘さを求めている身体はいつも喜ぶ。ジャンクフード魂が満ち満ちている感じだ。

 

「夜パフェ」という言葉があるように私も不思議とパフェは夜に食べたくなる。ミニストップは他にもイチゴのパフェなど時期によっていろんなメニューがある。専門店よりお手ごろだしノンビリ映画でも見ながらコーヒー片手に味わうと癒される。

 



パフェの仲間?みたいなシェイクも外せない。マックシェイクはナゼかデリバリーしてくれないからもっぱらドミノピザからシェイクだけを取り寄せる。一個だけだと出前は頼めないという昭和人の思い込みのせいで必要ないのに複数注文して冷凍保存までしてしまう。

 

冷凍すると解凍が一苦労である。アイスクリームと違って「吸えるシェイク感」を再現するためにいつも奮闘している。基本は足元温風器のそばに置いて徐々に溶けるのを待つ。近づけ過ぎるとプラスチック容器が溶けるので25センチぐらいの距離で数分おきに容器を回してひたすらシェイク復活を待つ。

 

そんな苦労を経て吸える状態になると妙に愛しく感じる。我ながらとてもバカみたいである。でも実に平和だ。

 

休みの朝になぜか食べたくなるドーナツももちろんデリバリーだ。ミスドのほうが自分好みだと分かっていても時々浮気しちゃう。下の画像はクリスピークリームドーナツだ。

 



この店の他にもジャックインザドーナツという店からも浮気ドーナツを頼むのだが、やはりミスドのほうがウマい。毎度そう思うのは確実なのについついいろんな店にトライしたくなる。

 

「ヨソに目が向く」のは男の悪いクセかもしれない。美人の恋人がいても機会があれば他にもちょっかいを出したくなる心理と同じだ。私もいまだにそんな浮気男根性丸出しで生きているわけだ。

 

一応、節制も意識するときは東日本橋にある「cohachi」という「米と米粉のドーナツ」をウリにするお店の商品を注文する。

 



さすがにちょっとパンチに欠ける味だが、わりと温かい状態で運ばれてくるのでそれなりに満足できる。たいていのドーナツはレンチンでほんのり温めれば数段ウマくなる。

 

だったら健康を意識していつも米粉のシュガードーナツなどシンプルなものを食べればいいのにミスドの官能的な味の誘惑には勝てないのが残念である。

 

最後に最近感動した逸品を紹介する。ピザハットの「チージーロール」という名の生地だ。ピザはチーズと具材だけ食べて生地はすべて残すという不届きな行為を繰り返している私がピザ生地に感動したわけだから画期的である。

 

ピザハットは以前から「ピザ生地のミミまで食べさせたい」という努力を重ねているらしい。ミミどころか生地すべてを食べない私にとってはそんな努力を気にも留めていなかったのだが「チージーロール」には感服した。

 



 ピザ生地というよりもはやパンである。それもフカフカモチモチの素敵なパンである。具が乗っていない端っこは妙にこんもりしているのだが、その部分には別添えのメープルシロップをつけて食べる趣向だ。

 

やたらと美味しかった。私にとってはこれまで無残に捨ててしまったピザ生地の復讐みたいな感じだ。メープルシロップのせいで「ズルい味」になる。まさに「そう来たか!?参りました」って感じだ。

 

甘いモノが好きな人ならゼヒ試してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

2026年1月23日金曜日

時代遅れ

 

「男たるもの、こだわりを持て」。そんなエラそうなことを何度か書いてきた。もっともらしい主張だが、私のこだわりなどしょせんは時代遅れの偏屈男の戯言みたいなものである。

 

日本人の平均年齢は2025年時点で49.8歳だとか。いつのまにか平均よりも10年も年上になってしまった。私が15歳だった当時の日本人の平均年齢は34歳だったらしい。今よりずいぶん若い。そりゃあ国に活気があったのも理解できる。

 

私が43歳ぐらいの頃に平均年齢と同じになり、その後は私の年齢が平均を追い越し、今では10歳差になってしまった。何だかビックリである。

 

ちなみに国全体の平均年齢がいよいよ50歳になるから昔に比べて若者が幼く見えちゃうのも仕方がない。若者自体が少数派になっているわけだ。若者にはちょっと気の毒である。

 

昭和35年ぐらいだと国全体の平均年齢はまだ20代だった。若者のエネルギーが世の中で幅を利かせていたのも納得である。だから何だ?と言われそうだが、イマドキの世相を俯瞰する意味では興味深いデータではある。

 

さて、私自身の「時代遅れ問題」である。一例をあげる。ビジネスの世界で飛び交うヘンテコな横文字が妙に気持ち悪くて仕方ない。だいぶ前からそう思ってはいたが、近頃ますます違和感というか嫌悪感が強くなってきた。

 

期限だの納期をデッドラインなどと言われると途端にゾワゾワする。もともと編集畑で仕事をしたせいで私は「締め切り」という日本語に今でも敏感だ。変な言い換えがいつもひっかかる。

 

「オンスケで頼む」「デフォでよろしく」みたいなのも苦手だ。実際に耳にしてもヘンテコさを指摘するほど偏屈ではないが心の中でイライラする。

 

ナレッジだエビデンスだコンセンサスだ等々、なぜ日本語にしないのか不思議でしょうがない。定着していない考え方や適当な日本語が無い場合ならともかく、ごく普通の日本語でコト足りる意味合いだと気持ち悪さしかない。

 

「ボトルネック」とか言われると夜の銀座の話じゃないかと思ってしまう。オネエサン達にすぐに飲まれちゃう私のボトルの名札のことが真っ先に頭に浮かぶ。

 



ブツクサと文句を書いてしまったが、考えてみれば私が違和感を覚えること自体が世の中が変わってきている証なのだろう。


ビジネスの世界で60歳といえば超高齢者である。中枢で動いている面々は年下ばかりだ。ヘンテコな横文字が標準化しているなら私が感じる違和感は一種の老害に近いものなのかもしれない。

 

あ~~切ない…。

 

ヘンテコ横文字問題だけではない。自分が若かった頃に定着していなかった風習やイベント的なことへの違和感も同じだ。ハロウィンでワチャワチャする風潮などその最たるものだ。

 

クリスマスやバレンタインデーにはちっとも違和感がない。自分が経験してきたからに他ならない。ハロウィンに関しては若き日に無縁だったから何となくナナメからあーだこーだ言ってしまう。

 

西洋かぶれだ、ミーハーだ等々あれこれエラそうに断じてしまう。それを言うならクリスマスやバレンタインにも同じような姿勢をとるのが“正しい偏屈”なのにそうじゃないからシャバダバである。

 

恵方巻きもしかり。「あんなもの西のほうの怪しげな風習だろ?」などと毎年のようにウンチク付きの文句をシタリ顔で語っている。あれだって今やすっかり定着して私のようなブツクサ派はすっかり少数派になってしまった。

 

しっかり定着したそうした一連の流れに対してイチャモンをつけたくなるのは単に時代に逆行しているだけだ。言い換えれば時代遅れでしかない。ちょっと悔しいけどそれが現実だ。

 

あ~~切ない…。

 

と、自分の感覚が時代遅れだと改めて実感しているわけだが、かといって今さら迎合するのも気持ち悪い。キチンと自覚しながら“ブツクサ精神”を維持していこうと思う。

 

 

 

 

 

 

2026年1月21日水曜日

不毛地帯、白い巨塔

 

何も予定がない週末ほど嬉しい時間はない。隠居爺さんみたいだが、ヒゲもそらず寝間着のままダラダラ過ごす時間ほど得難い時間はない。

 

日頃、多忙を極めているわけでもないのに予定が無ければとことん何もしないで過ごす。「予定ナシ」という言葉は物凄く魅力的だ。一番の贅沢だと思う。

 

やたらと予定を入れないと不安という人もいるようだが、私には理解不能だ。年を取ったことが理由ではない。かなり若い頃から休みの日に漫然と何もせずに過ごすのは好きだった。

 

そんなダラダラの一日にオススメなのが「連ドラ一気見」である。何年か前にコロナに感染した際は、全26話ぐらいの名作ドラマ「北の国から」を2日ぐらいで全部見た。なかなかの達成感を味わうことが出来た。

 

この前の週末、「不毛地帯」と「白い巨塔」を黙々と鑑賞した。唐沢寿明の顔を数十時間眺めていたことになる。我ながらよく頑張ったと思う。

 



「不毛地帯」は15年ほど前、「白い巨塔」は20年前ほど前の連ドラだ。イマドキのドラマは10話ぐらいで終わるが、昔のドラマは半年サイクルだったから全20話ぐらいある。一気に見るのはかなり疲れる。

 

変な話、せっかくの休日が全部つぶれる。土日丸ごとテレビ漬けで終わる。休むというより疲れるだけかもしれない。でも面白ければそれで良しである。

 

夢中になって見ていればその世界に没頭することで一種の現実逃避にもなる。レンタルビデオ屋さんにせっせと通っていた昔と違って今は配信モノが世の中に溢れまくっているから随分と便利になったことを痛感する。

 

2作品の感想をアーダコーダと書いても仕方がないが、「不毛地帯」は設定が昭和30年代~40年代だからネットやスマホが無い時代ならではの緊迫感や切ないシーンがいろいろあって感慨深かった。

 

映画「ALLWAYS三丁目の夕日」シリーズにも通じる郷愁を誘う感じが良かった。こればかりは若年世代には理解できない部分だろう。“プチ時代劇”と呼びたくなる楽しさがある。

 

スマホってつくづく世の中から情緒みたいなモノを奪った機械だと改めて痛感した。もちろんその便利さに慣れきった今、スマホなしで暮らせと言われても絶対に無理だ。いわば「知ってしまった悲しみ」みたいなもので、知らずに生きていた時代のおおらかな感じが懐かしいのは確かだ。

 

誰かに追われているわけではないものの、スマホを持つことで常に何かに追っかけられている感覚は誰にでもあると思う。着信履歴があれば無視したくても何となく気になる。LINEも同じ。既読せずに無視しようと思っても何かの連絡が来ていると思えばザワザワしちゃう。

 

もちろん、有難い機械ではある。私自身、中毒といえるぐらい片時も手放さずに利用しているわけだから悪く言うほど嫌いではない。でも一種独特な「囚われの身」のような感じは昭和の頃には無かったのも事実だろう。

 

「不毛地帯」に「白い巨塔」。いわゆる山崎豊子モノである。壮大系とでも呼べる作品は他にもいろいろある。「華麗なる一族」や「沈まぬ太陽」など名作がテンコ盛りだ。

 



どれも過去に見ているのだが、不思議なもので熱中して視聴しても3年、5年も経つうちに細かいストーリーは忘れてしまう。「白い巨塔」だって財前教授が一審では無罪になるのを忘れていたから関連シーンをいちいちハラハラドキドキしながら楽しめた。

 

そう考えたら山崎豊子モノに限らず、近年の大ヒット作である「半沢直樹」のパート1とパート2をぶっ続けで見直したら案外充実した休日になるかもしれない。

 

物忘れが強くなってきたから過去に見た映画やドラマをフレッシュな気持ちで楽しめる。これは意外な盲点だ。無理して最新の作品を鑑賞するよりだいぶ前に熱中した作品を総ざらいするのは大いにアリだと思う。

 

なんなら「太陽にほえろ」や「特捜最前線」、「池中玄太」や「ふぞろいの林檎たち」あたりを全話見られたら楽しそうだ。配信されているかどうか調べてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2026年1月19日月曜日

鴨の夜

 

気に入ったからまた来ようと思ったまま忘れてしまうお店は案外多い。凝り性なB型気質?のせいで決まったジャンルのお店を探索しまくった時期もあったので記憶から消えてしまった店は多い。トンカツや洋食、寿司など頻繁に食べたくなるジャンルならともかく、それ以外だと簡単に忘れてしまう。

 

先日、ふと思い出したのが鴨料理専門店だ。鰻やら馬肉、牡蠣あたりなら専門店の存在をしょっちゅう思い出すのだが鴨は盲点だった。

 

で、訪ねたのが東銀座にある「鴨亭」。繁華街から外れた立地だから通りすがりに思い出すこともなく、前回訪ねた時からもう何年も経っていた。蕎麦屋にいけば高頻度で鴨せいろを食べるのに鴨専門店を忘れていたのは何だか損した気分である。

 

数年ぶりだからメニューも変わっていたし、内装もリニューアルされていた。鴨しゃぶを中心にあれこれと鴨の一品料理を頼みたかったのだが、今はコースじゃないと鴨しゃぶが注文できないと聞いてちょっと落胆。

 

コースだと鴨とは無関係な料理も出てきてしまう。頭の中がカモカモモードになっていた私としては鴨しゃぶを我慢して一品料理だけで攻めようかとも思ったのだが、レア気味で食べる鴨しゃぶのウマさを断念できずおとなしくコースを注文。

 



前菜あれこれや刺身も美味しかったが、以前より少食になってきたせいで調子に乗って食べていると鴨しゃぶが楽しめないから控えめに味わう。そのくせ、アラカルトメニューから馬肉ユッケは頼んでしまう。本末転倒だ。

 



メニューに馬肉があると条件反射みたいに注文してしまう。カモカモ気分を超越する馬肉の魔力に改めて恐れ入った。本能的に滋養強壮を求めているのかもしれない。

 

コースに含まれていた鴨の焼き物はカモカモ気分を充たしてくれた。つくねがとくに良かった。鶏肉とはまるで違う風味を苦手に感じる人もいるが、さすがに専門店だけあって鴨肉の良い意味での個性が引き出されている感じ。

 



以前に来た時はいろんな鴨料理を頼んだのでサッパリ系の鴨とちょっと脂っぽい鴨の両方を堪能したのだが、今回は全体にサッパリ系に終始していた印象だ。もう少し脂身のウマさを楽しめる一品があっても良かったと思う。

 

鴨しゃぶの肉も脂身は少な目でクドさは無し。クセが無さすぎるぐらいだがこれはこれで良かった。中高年向きかもしれない。いうまでもなくネギとの相性も抜群でヘルシーな気分になれた。

 




つけダレは無し。その分、しゃぶしゃぶのダシがしっかりしているから鴨肉の味をストレートに楽しむ感じだ。15秒程度しゃぶしゃぶすれば程よい火加減になる。薄ピンクぐらいがちょうどいい。

 



シメは雑炊か蕎麦を選べるのだが、この日は蕎麦。ほぼ茹で上がっている蕎麦が出てきて、鍋で少ししゃぶしゃぶする。冷たい鴨せいろでシメたい気分だったが。温かい蕎麦で仕上げるのも冬ならではだ。コシのある蕎麦だったから満足。

 

あーだこーだと書いてきたが、コースにしちゃったせいで前回のような感激はなかったのが正直なところ。次回はアラカルトで鴨ざんまいを企んでみたい。

 

 

 

 

 

2026年1月16日金曜日

プチ贅沢めし

 

ネットに溢れるリール動画の中にはズボラで簡単な料理を紹介するものも多い。時々私も参考にする。便利な時代になったものだと思う。

 

20代で一人暮らしをしていた頃は自炊の真似事をするにも一苦労だった。いつも思いつきとカンと目分量の調味料でアレコレ作ってみたが、失敗が7割、成功が3割ぐらいだった。成功しても常に目分量で作っていたから二度と再現できないのがジレンマだった。

 



いまも時々キッチンに立って簡単なズボラ調理に励む。たいていは肉を焼くぐらいだが、一応こだわりをもって自己流を楽しんでいる。上の画像はコンビーフ炒めメシだ。案外こんなものがウマい。


ちょっと高級なコンビーフをドッサリ使うのがポイント。そこら辺で見かけるありがちなコンビーフは味がイマイチなので不純物が少ない高級路線のコンビーフを使う。オジサマ料理だからコスパは考えない。


顆粒のコンソメを少量、あとは焼肉のタレとウスターソースをチョロっと投入。塩コショウは無しで硬く炊いたご飯と炒めるだけ。実に簡単だがかなり美味しい。オススメです。

 

簡単調理の極めつけといえば炊き込みご飯だ。市販されている炊き込みご飯の素を使えば間違いない味になる。そこに具材や味付けを追加するとちゃんと料理をした気分になる。

 

「まな板と包丁は使わない」。これが私のモットーだ。あまり本格的になると何かに負けたような気がするし、凝りだしたら際限なくマニアックな趣味になりそうだからブレーキをかける意味もある。

 

包丁やまな板ナシでそれなりにウマいものが完成すると勝ち誇りたい気分になる。闘いでもないのに勝った気分になるのが良い。意味不明だが、いつもそこに小さな幸せを感じている。

 

頻繁に作るのがタケノコご飯である。市販の素もいろいろ使う。タケノコご飯の素に限らず、キノコの炊き込みご飯やら五目釜飯の素やら相性が良さそうなものなら何でもアリだ。

 



ポイントは具材の追加だ。市販の素に入っている具材はシャバダバだからプラスアルファこそが勝負を分ける。タケノコを別途用意して具だくさんにすればちょっと優雅な?気持ちになる。やはり材料に関してはコスパ無視が基本だ…。

 

タケノコを一から仕込むのも面倒だ。ここでもお惣菜として売っている出来合いのタケノコ土佐煮などを買ってそれを適度なサイズにハサミでカットして使う。

 

市販の炊き込みご飯の素はたいてい味付けが弱めだ。おかずナシで満足したい私としては醤油やみりん、時には砂糖を加えて味を濃くする。この加減をミスするとマズい仕上がりになるが、しょっちゅう作っていると失敗しなくなる。

 



タケノコご飯に限らず、鯛めしの素だったら鯛の刺身、タコめしだったらタコの刺身を追加投入すればプチ贅沢気分が味わえる。上の画像はカニの炊き込みご飯にカニのほぐし身の缶詰を丸ごと加えたバージョンだ。画像では分かりにくいがカニ風味がグレードアップして美味しくなった。

 

冬になると頻繁に食べたくなるカキも炊き込みご飯にしたくなる。ちなみに節制を兼ねて炭水化物を避けたい時は、市販のパスタソースに生ガキを加えてアヒージョ風にして食べる。ハイボールに妙に合う。実に簡単だが手軽にカキ料理を堪能した気分になる。

 


 

カキを炊き込みご飯にする際も各種の市販品をベースにすることが多いが、塩昆布が冷蔵庫にあればそれだけでウマい一品が出来上がる。醬油、みりん、酒を基本にテキトーに味付けを考えて炊飯器のスイッチを押すだけで真っ当な炊き込みご飯が完成する。

 



ちなみに、炊き込みご飯に加えたくなる薬味のネギもあらかじめカットされているものを用意すれば都度都度適量を振りかけるだけで済む。カットねぎは我が家の冷蔵庫に常備している。使う予定が無くてもネットスーパーへの注文のたびにムダ覚悟でまとめて買っている。

 



ネギと漬物さえあれば好みの味付けにした炊き込みご飯だけで満足できちゃうのが嬉しい。具材が多ければおかず無しでもOKだ。炊き立てのウマさは格別だ。炊き上がりをすぐに冷凍すればせわしない時の朝食用としても重宝する。

 

「富豪」を謳うブログにしては随分とビミョーな題材を熱く語ってしまった。先週書いたスティックコーヒーの話もそうだが、最近は手近なものをちょっと贅沢に使って満足している。


もっと豪快な話を書きまくらないと看板倒れ?である。頑張ります…。




 

 

 

 

 

2026年1月14日水曜日

サッカー、ジャンプ力、レバ刺し

 

高校サッカーの決勝戦を観に行った。準決勝をテレビで観戦していたら余りの面白さに興奮して、急きょ高値のリセールチケットを買って出かけた。

 

試合内容は優勝校の圧倒的な力を見せつけるような内容だったが、ビックリしたのがスピードとテクニックの進化だ。高校生ってこんなにウマかったっけ?と首をひねりまくった。

 



実はサッカーを生で見るのは40年以上前の高校生の時以来である。私が高校3年の頃、母校が正月の全国大会に出場したので即席応援団を結成して観戦した。

 

我が母校は小学校から高校までのいわゆるエスカレーター式だが、小学校時代にサッカーが上手だった子が選抜されて、そのまま中学高校と鍛えあげられて東京代表の座を勝ち取った。

 

その同級生たちのサッカー技術は凡人とはまるで違うレベルだった。野球少年だった私には宇宙人に思えた。で、高校3年の時に都の予選から全国大会の3回戦まで彼らの活躍をしっかり見させてもらった。青春の思い出の一つだ。

 

それ以来の生観戦となった先日の高校サッカーだが、スピードもテクニックも40数年前とは異次元だった。サッカー素人の私でも間違いなくその違いが分かった。国立競技場が狭く感じるぐらい動き方がダイナミックだった。

 



40年の歳月ってスポーツのレベルをこうまで変えるものかと驚いた。さすがにワールドカップの常連国になり、親善試合とはいえブラジルにも勝っちゃうほどになった日本サッカーである。まさしく「今」を実感した。

 

私が高校生の頃はJリーグ発足前でありワールドカップなど夢の話みたいな状況だった。然るべき人々、然るべき組織が本気で育成に励むと段違いにレベルは上がっていくみたいだ。

 

40年、50年前といえば、日本人がスポーツで世界を席巻することは稀だった。オリンピックのメダル獲得数にしても今よりもシャバダバだった。やはり根性論がすべてに優先していた時代だったからだろうか。

 

サッカー観戦の前に時間があったので国立競技場近くのオリンピック記念館とやらを覗いてみた。日本の歴代メダリストの写真がずらっと展示されていたが、最近の人たちに関しては名前も顔もあまり印象に残っていない。それほどメダリストが増えたというメデタイ話なんだと実感した。

 




やはり4050年前ぐらいはまだまだいろんな意味で日本が遅れていた時代だったのだろう。と同時にその時代の記憶が鮮明にある自分の年齢をイヤでも実感させられてしまった。私も随分と「ベテラン日本人」になったものである。

 

オリンピック記念館には先進技術を使った各種の体験コーナーもあり、私も調子に乗ってジャンプ力をアスリートのそれと比較するコーナーに挑戦してみた。

 



 真ん中のシルエットがジャンプした私の姿だ。リュックも背負っていたし着ぶくれしていたせいもあってチョロっとしかジャンプできなかった。言い訳です。もちろん、裸でジャンプしたところで少しの違いしかないのだろうが、あまりにも自分の体が浮き上がっていないことに衝撃を受けた。

 

まあ、考えようによってはしっかりと地に足をつけて生きている証である。そう思って自分をなぐさめるハメになった。それにしてもバスケット選手はこんなに飛んでいるのか。まさに超人である。

 

で、寒空の中で高校生のサッカーを観戦した後は、冷えた身体を温めるために居酒屋でオヤジっぽい時間を過ごした。日本橋まで戻って「ふじ屋」という店で肉刺しやら焼鳥やらモツ焼き。

 




芋焼酎をお湯割りにしてノンビリ過ごす。ジャンプ力はショボショボだが、オッサン的な酒の飲み方ならアスリートより得意かもしれない。そんなことを思いながらレバ刺しの官能的な味わいにしばしほぐれる。

 

正月の箱根駅伝も歩いて見に行けたし、この日のサッカー観戦も思い立ってすぐに観戦することができた。都会の真ん中に住んでいる利点だろう。

 

いままさに私の寝室の真横でビルを建てているから朝からやかましくて仕方がない。周りはビルだらけで虫の声や雲や夕焼けの色具合といった季節感を味わえる要素はまるで無い。そういうデメリットは多いが、逆に言えば都市部で開催されているイベントにマメに出かけられるメリットもある。

 

ちょうどいま、これまた徒歩圏の明治座で松平健とコロッケが共演する見世物が開催されている。席はまだあるみたいだからちょこっと観に行ってみようかと思う。