更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。
男の靴の裏側
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東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
赤坂界隈には何となく思い入れがある。子どもの頃に「シャレた街だなあ」と思い込んだ印象が今も残っている。小学校5年か6年の頃に友人と二人で赤坂見附に住んでいた医大生のマンションに勉強を習いに通っていた。
週に1回、電車を乗り継いで赤坂見附を目指し、そこからその家庭教師の医大生宅まで歩いた。小学生だから実家の最寄りである荻窪駅か学校の最寄りである飯田橋・九段下エリアしか知らなかったので、赤坂見附の街並みが妙に色っぽく見えた。
家庭教師だった医大生もそれこそ絵にかいたようなボンボンタイプの男で愛車はポルシェ、いつも細身の身体に洒落たセーターを着こんでチャラい雰囲気が漂っていた。
杉並区在住の田舎者?にとってはその医大生がシティーボーイとやらの典型に見えて、舞台である赤坂見附も何だか妙にオシャレなイメージとして頭に刻み込まれた。
その後、赤坂界隈はいわゆるコリアンタウンに変貌を遂げていくのだが、私にとっての“プチ憧れ”みたいな感覚は強固なままだった。
近年、私の友人が赤坂で焼鳥屋を開業したのだが、その友人はオシャレイメージとは対極の元応援団の男である。にもかかわらす私の中の「赤坂は素敵だ」という思いは今も揺らいでいない。
そんな赤坂界隈で時々訪ねる店がいくつかある。利用頻度が高いのは手軽な肉専門居酒屋の「肉十八番屋」だ。魚介系はお寿司屋さんでしっかり食べているので居酒屋では肉が中心になりがちだ。
カウンターの端に座っているとナゼか肉系の店なのに毎度スッポンが私を見つめてくる。ガン見されながら生グレープサワーを飲むのが一つのパターンになっている。
何人かで連れ立って行く場合には肉盛り合わせが便利で有難い。鶏、豚、牛がドッサリである。他に焼きそばなどを注文すれば野郎同士の飲み会のアテとしては完璧である。
一人ふらっと訪ねた場合は馬刺しを2種類ほど注文し、牛すじ煮込みやポン酢で味わうマルチョウ、豚ステーキみたい一品をワシワシ食べる。肉に飽きたら海老とアボカドの和え物みたいな小洒落たメニューもある。
早い時間からオープンしているのも使い勝手が良い。陽の高いうちからほろ酔いになれる。週末の午後飲みに何度も利用している。
タバコが吸える点も喫煙者にとっては天国である。赤坂界隈は気のせいか愛煙家に優しい飲食店が多い印象がある。いまや絶滅危惧種の喫煙者にとっては居心地が良い街だと思う。
次に紹介する店は奇しくも「肉十八番屋」の隣にある焼鳥中心のちょっと高級居酒屋「〇(まる)」だ。こちらも喫煙OKだから時々出かける。
串モノは豚バラ紫蘇巻きやトマト巻きといったちょっと洒落た路線か。その分、コスパの良い店ではないが、焼鳥以外にもニクい小料理が揃っていて使い勝手が良い。
客層の中心は大人のグループ客だからゆったりしたカウンター席は案外空いている。一服しながら気ままに過ごせるのが有難い。
前菜も手の込んだ小鉢が出てくる。カジュアル店と高級店の中間ぐらいだろうか。メニューも豊富で肉、魚それぞれこだわっていそうなラインナップが並んでいる。
鶏ナンコツの梅水晶や豚の角煮、上質な馬刺しあたりを肴にグビグビ飲んでいることが多い。もっと本格的な料理にも手を出したいのだが、「喫煙プラス酒」モードに入るとなかなかそうもいかない。
先日もチキン南蛮を頼んだのだが、その他にもアレコレ注文していたので完食するのに難儀した。でもどれを頼んでも料理は全体的に丁寧で中高年向きの良店だと思う。
ちなみにこの「〇(まる)」というお店は銀座にも違う形態のお店をいくつか出している。喫煙者に優しいカジュアル過ぎない店を常に探している私としては赤坂よりも行きやすい銀座の探検にも励もうと思う。
昨年、体重を落としたことをきっかけにドカ食いをする機会が無くなった。まあ、年齢的にそれが普通なのだが、物心ついてから半世紀以上に渡ってドカ食いを生きざま?にしていた私にとっては大きな変化だ。
ドカ食いをしなくなった自分を残念に思っているのは確かだ。純粋な敗北感である。「オレ様がこの程度で満腹になっているようじゃ世も末じゃ」と心の中でつぶやく日々である。
でも、せっかく体重を落としたおかげで体調が良い。この状態をみすみす放棄して再び肥えまくっちゃったらそれもそれで敗北感である。というわけで最近はウジウジと中途半端な気持ちで過ごしている。
そんな忸怩たる思いを束の間だが解放する機会があった。「ビュッフェディナー」に意気揚々と出かけてきた。かなり頑張ってドカ食いしてきた。とても幸せな時間だった。
神保町と竹橋の間にある「如水会館」が舞台だ。ゴールデンウィークのイベントみたいな形でウマいものが食べ放題である。ポイントはここの飲食部門はかの「東京會舘」が運営しているという点だ。
かつては洒落たホテルのビュッフェディナーにもいろいろ行ったが、正直、品数ばかり多くヤッツケ仕事みたいな料理ばかりであまり満足した記憶はない。満足したのは帝国ホテルのビュッフェぐらいだろうか。あそこは品数だけでなく味も本気だ。10年若ければしょっちゅう訪ねるはずだ。
さて、如水会館である。こけおどし的なイマドキの洒落たビュフェとは異なり品数は少な目で派手な飾り付けもない。こういう路線は私好みだ。九段下にあったホテルグランドパレスのビュッフェを思い起こさせる地味な感じである。
こういう路線の場合、提供されている食べ物は結構ウマいものばかりである。質実剛健というか、中身で勝負だ!みたいな感じで対戦相手として不足はない。
東京會舘の料理といえばパレスホテルあたりと並んで古き良き東京の洋食を味わえるのが特徴だ。ローストビーフをはじめ、ピラフ、カレーあたりの質と味は間違いない。かのスイーツの古典芸術であるマロンシャンテリーもある。
そんなウマいものが食べ放題なんて私にとっては幸せの極致である。朝から食事を控えめにして勝負に備えた。
で、夕方現地に到着。宴会場に急ごしらえのように造られた会場の雰囲気が質実剛健さを表していてアガる。並んでいる料理の案内書きも実に簡素だ。そこがまた「通」っぽい感じで個人的には好印象だった。
如水会館だけに客層も独特だ。見るからに「一橋大学関係者」みたいなカチっとした感じの人々が集っている。私にはアウェー感バリバリである。まあ暴飲暴食キャリアでは私のほうがエリートだと思い込むことにする。
目の前で揚げてくれる天ぷら、目の前で握ってくれる寿司などがビュッフェでは人気だが、東京會舘の洋食が目的の私にとってはまるで眼中にない。
伝統のダブルコンソメスープをお代わりし、あらかじめテーブルに用意されるオードブルを味わいながらこれまた無料の白ワインを舐めながら戦略を練る。
戦略を練ったところで私の狙いは「小海老のピラフ・シャトーソース」一本である。かつてこのブログでもシャトーソースという謎の液体をぶちまけながら食べるピラフへの偏執強的な愛情を数えきれないほど語ってきた。
東京會舘の本館レストランに行ってもシャトーソースをかけるピラフはレギュラーメニューではないようだから、確実に食べるにはパレスホテルなどに出向かねばならない。シャトーソースピラフの大ファンとしては、それが食べ放題というのはバンザイしたくなる話である。
ビュッフェ用の作り置きだから必然的に味は「それなり」だ。コメの食感もシャトーソースのビミョーな風味も「それなり」の域は出ていない。でも、でもである。私にとっては大好物をエンドレスで食べられるわけだから興奮しまくってしまった。
皿一杯に盛った状態でお代わりも当然した。おまけにシチューとパスタを取ってきた際もナゼか横にもピラフを追加で載っけてしまった。空の水筒でも持参してコッソリとシャトーソースを入れてきちゃえばよかったと本気で思った。
カレーがまたウマかった。オニオンの甘味が溶け込んだ昭和のニッポンのホテルカレーそのものの味だった。これまたお代わりするほど食べた。
ミニ鰻丼もわりとちゃんとしたウナギが使われていたので2回も食べた。ただし、2回目の鰻丼のご飯はお代わりしたカレー用に流用して満腹対策にも気を使った。
画像を撮り忘れたのだが、以前は置いてあったらしい名物料理「舌平目のボンファム」の代わりに用意されていた「白身魚のポーランド風」という料理も妙に美味しかった。バターの使い方が絶妙で王道洋食の味わいそのものだった
東京會舘のウリでもあるローストビーフも食べたが、ピラフやカレー攻撃のせいで1回しかもらわなかったのはちょっと残念だった。コメばかり食べてしまったのが敗因だ。
そしてデザートである。東京會舘とパレスホテルのどちらが元祖かでモメている?マロンシャンテリーのミニサイズである。これが食べ放題というのもファンにとっては感涙モノである。
もちろんブリブリ食べたのだが、他にもウマそうなスイーツがアレコレあったので一番間違いのなさそうなパンケーキを選ぶ。これも目の前で仕上げてくれるのがニクい。暖かいパンケーキにシロップをじゃぶじゃぶかけてアイスクリームがアクセントに加わる。そりゃあウマいに決まっている。
必死に食べ続けたのはスタートから45分ぐらいだろうか。さすがにべちゃくちゃ歓談しながらの宴席ではない。ただただ食べ続ける会だったから頑張っても45分が限界だ。ゆったり酒を楽しみながらもっと悠然と構えていたらトータルの食事量は増やせたのだろうか。悩ましい問題である。
この日以降、1週間は体重計に乗らないことを決めた。
以上です…。
エロを大っぴらに語れることは幸せである。いきなりだが昨今の物騒な世界情勢を見るにつれそんなことを感じる。ちょっと大げさか。
いや、大げさではない。やはり楽しくワイ談に励める状況って平和の象徴だと思う。戦争や災害など哀しい出来事に世の中が覆われている時にはエロやワイ談の出る幕はない。
先日、銀座で飲んでいる時にその場に言わせた全員でマヌケなエロ話に没頭したのだが、笑い過ぎてバテちゃうほどだった。そんな時間を過ごせることは間違いなく幸せだと痛感した。
昭和を代表する作詞家のなかにし礼さんが生前に語っていた印象的な話もそういう趣旨だった。いわく「エロスや不道徳は平和や自由の象徴。エロスや笑いを失った社会に平和などない」。まったくその通りだと思う。
「フシダラな話イコール嫌悪感」みたいな人って案外多い。もちろんTPOは大事だが、杓子定規にエロに対して壁を作ってしまう人はある意味不幸だと思う。
道徳は大事だが人間なんて脱線するから面白いわけで教科書みたいに生きていくのはむしろ非人間的じゃないかとさえ思う。まさに「人間だもの」である。誰からも尊敬されるようなご立派さを維持するのはそう簡単ではない。
良し悪しはさておき、私は年頃の自分の娘にも平気でワイ談をかます。ドギツイ路線の話こそしないがそこにヘタに壁を作ってしまうことは本音で付き合えていないように感じる。
多少呆れられようが聖人君子ぶるのはイヤだし、いまさらカタブツぶっても意味がない。一応は下品にならない程度にはあっけらかんとアレコレ話している。
まあ、下品かどうかは相手が決めることだから適切かどうかはまったく自信はない。
ちなみにダウン症の息子とワイ談を語り明かせないのは実に残念だ。普通に仲良しだしコミュニケーションも問題ないのだが、さすがにエロ系の話で盛り上がれるほど彼の知能は高くない。
息子は19歳である。もし健常児だったとしたら「オヤジ、頭おかしんじゃないか?」と言われるぐらい諸々の変態的失態や武勇伝?を語っていたはずだ。男同士だから娘とは違う角度からソッチ系の話をコッソリ語り合えたら面白かったのだが、その点だけはちょっと惜しかった。
さて、この歳になってもエロの道から引退できない往生際の悪い私だが、さすがに最近は疲れも感じる。「いい歳して何やってんだろう」的なタメ息が出ることも増えた。
歳をとったらショボくれていくことを強制するような「いい歳して…」という表現や世間の風潮に反発して生きてきた。今もその思いは変わらない。
とはいえ、やはり寄る年波の現実はなかなか厳しい。若い頃の活発さ、マメさは当然無くなったし、何事においても億劫度合いが強まっている。
そうなっていくのがむしろ普通だろう。このまま枯れていこうと思う反面、まだまだ抵抗してやろうという邪念もある。そのせめぎ合いを自分で俯瞰して観察するような日々だ。
今のところまだギリギリで邪念が上回っている感じだ。ワイ談合戦の場においてもまだまだ若い連中には負けないぞというハッスルぶりを披露してしまう。
おまけに仲の良い若い黒服さんに実践的な指導をしたり、ここでは書けない怪しい企画に巻き込んだりしているせいで「エロ師匠」などとおだてられて喜んじゃったりする。
我ながら実に能天気だと思う。でもそれって平和で幸せの証だから今更キャラ変など考えずに黙々とこの道?を邁進しようと思う。
ウジウジとこんな話を書き始めたのは「どぶろっく」が原因かもしれない。最近、寝る前に彼らの名曲!に聴き入ることが増えた。以前から好きだったのだが、同じ曲でも何年も聞いているうちに自分なりの解釈が変わってきたりして飽きない。
彼らのエロ歌の完成度はもっと評価されて然るべきだと思う。あれこそ純粋に「芸」だと思う。さすがに紅白に出場するのは厳しいだろうが、その道ではもはや巨匠と称されていい存在だ。
先日、とある飲み屋さんで意気投合した同年代のオジサマが若い交際相手を「性友」と表現していたので、その言い回しに感心したついでに「どぶろっく」の名曲を教えてあげた。曲名は“Dear My Friend”だ。
そのオジサマは腹を抱えて笑ってくれて、彼の専売特許みたいだった「性友」という洒落た表現の使用権?を私に許可してくれた。
実に良い夜だった。
今日はキュウリの話。富豪という言葉の対極みたいな響きだ。私にとってキュウリは謎の存在だ。嫌いなのによく食べている。
ちなみに人生で一度もお金を出して生のキュウリを買ったことはない。スーパーとかでの買い物の話だ。ピーマンも買ったことがなかったのだが、昨年、自家製ナポリタンを作る際に禁を破って?買ってしまった。ニンジンもレタスももちろんセロリなんかもお金を出して買ったことがない。威張る話ではないが…。
キュウリの原体験といえば小学生の頃に飼っていたカブトムシやクワガタの餌に使ったことだ。これがまた臭くなっちゃうからイヤだった。ただでさえ青臭い様子のキュウリから放たれる悪臭に辟易とした。
その頃、祖母が作るぬか漬けキュウリは食べたのだが、あれはキュウリ感が無い単なるしょっぱい物体だったから食べられた。漬かり過ぎたぬか漬けキュウリは色も変わる。茶色に変化したしょっぱいキュウリは今でも食べたくなる。
そんなこんなで普通のキュウリを食べずに生きてきたのだが、50歳になった頃から好んで食べるようになった。梅きゅう、もろきゅうといった居酒屋の箸休め的な「きゅう」である。
きっかけは某焼鳥屋でサービスで出された梅きゅうである。梅ペーストを付けたとしてもしょせんは生のキュウリである。それまでまったく興味がなかったのだが、サービスで出された以上は手を付けないわけには行かない。
仕方なく食べてみたら案外悪くなかった。鶏肉の脂っぽさを中和してくれて結構美味しく感じた。それ以来、居酒屋系の店ではほぼ必ず注文するようになった。
モツ焼きの店などジャンク系居酒屋も大好きな私だが、そういう店の食べ物はクドいものが多い。そのクドさを楽しみに出かけている面もある。とはいえ、歳も歳だからクドクド攻撃が続くとシンドくなる。そこに梅きゅうである。サッパリしてその後また改めてクドいものが美味しく感じる。
同じ頃、ワガママが言える程度に馴染みになったお寿司屋さんでスーパーカッパなる巻きモノを頻繁に頼むようになった。気が狂ったようにすりゴマを投入したカッパ巻きである。
お寿司屋さんでヒエラルキーの最下層に位置するカッパ巻きだが、すりゴマをテンコ盛りにすると一気にゴージャス感が生まれる。キュウリの風味をチョビっとしか感じないぐらいにゴマを入れてもらうのがポイントだ。ゴワゴワするぐらいの食感になれば完璧だ。
最近はそういう変態的な注文をしなくなったのでこれはこれで私にとっては思い出の一品である。
さて、梅きゅうが私にとってのキュウリの基本だが、時には個性的な「きゅう」に出会えるのも嬉しい。キュウリ単体なら絶対に食べたくないのに「添え物」次第でいきなりキュウリがご馳走に変わる。
一番のお気に入りが東銀座にあるトンカツの名店「はせ川」の肉味噌キュウリでだ。この店に初めて入った時に食べて衝撃を受けた。その後何度も通うようになったのはトンカツのウマさだけが理由ではなく肉味噌キュウリのせいでもある。
甘めの味付けでちょこっと付けても良し、ドッサリ載せて味わうも良しである。単純明快にウマい。肉そぼろ系の「きゅう」が世の中にもっと普及すべきだと感じる。時にはこの肉味噌をテイクアウトすることもある。炊き立てご飯に載せて食べてもバツグンだ。
続いて上の画像は赤坂にある焼鳥「まる」の鶏味噌キュウリだ。この店に行ってこれを注文しなかったことがない。むしろこれが目当てと言っても大げさではない。
そぼろみたいな肉感はないのだが、ほんのりニンニクの風味も感じられて延々とキュウリを食べ続けられそうな味だ。うまく表現できないのだが、あえて表現するならキュウリが喜んでいる感じがする。
こちらは人形町のもつ鍋「やましょう」の大葉味噌キュウリだ。大葉の風味がキュウリの青臭さを退治?しているかのような味わいで焼酎との相性が良い。
キュウリといえば95%ぐらいが水分で出来ているらしい。カロリーの少なさでギネスに載っていると聞いたこともある。栄養価はまったく期待できないようだが、暴飲暴食が趣味みたいな私のような人間には有難い存在である。
たいていは飲み食いの前半で出てくる一品だ。空腹でスタートした頃合いでキュウリが出てきてそれをボリボリ食べればドカ食い防止の効果もある。
ここまで書いておいてディスるのもキュウリに申しわけないが、なんだかんだ言って今でもキュウリ自体はウマいとは思えない。あくまで「梅」「肉味噌」「鶏味噌」「大葉味噌」といった名参謀たちが私を魅了しているわけだ。
変な結論になってしまった…。
土用のウナギという言葉がある。平賀源内が編み出した広告コピーの元祖という説もある。夏の時期に鰻屋の客足が途絶えちゃった対策として縁起物、願掛けチックな話として広まった。
養殖モノがなかった江戸時代だから夏のウナギは当然痩せている。客足が減っちゃうのも無理はない。本来は冬が旬だから脂がのったウナギは夏には食べられなかったわけだ。
今の時代はヘタな天然モノより養殖モノのほうがウマい。安定的に上質なウナギが食べられるわけだから土用の丑の日にわざわざ大混雑かつ雑な仕事になっちゃう鰻屋さんに行く意味はない。老舗鰻店の中には土用の丑の日をあえて休業日にしているところもある。
さて、どうでもいいウンチクはここまで。私にとってちょっとした課題だったのが土用ならぬ土曜日のウナギだ。普段、ウナギで一献と洒落込むのは平日が中心だ。特に意味はないが仕事終わりにウナギとランデブーしていることが多い。
ところが、近隣で私がよく行く東銀座の「神田川」、築地の「宮川」は土曜が休業日だった。数寄屋橋に近い「野田岩」は土曜営業していたが正直好みではないので他を考える。複合ビルに入っている店だとワチャワチャしてそうでシッポリ気分には合わないような気がする。
日本橋まで行けば「大江戸」や「喜代川」が土曜営業していたはずだが、あまり移動したくない事情もあったのでパス。で、5~6年ぶりに東銀座、汐留側の「竹葉亭本店」を訪ねることにした。
私にとってウナギは鰻重をさっさとかっ込むというより、一品料理をつまんでだらだら酒を飲み白焼きでうなって最後に鰻重をもらう“ダラ飲み”の場だ。ヤボだけどそれが習慣になっている。
銀座4丁目角にも竹葉亭はあるのだが、そちらはダラ飲み路線とは違う“サクっと鰻重を食べて帰る”みたいなイメージがあるので長年覗いたことがない。不便な立地でもつい風情ある建物をウリにする本店のほうを選ぶ。
本店も座敷席を使うにはコース料理を選ばなきゃならないので、コースが苦手な私はカジュアルなテーブル席に陣取ることになる。
ウニのイカ和えみたいな一品メニューもあるのでダラ飲み派にも居心地が良い。この日はウナギづくし気分だったので、うざく、う巻き、白焼き、そして鰻丼という王道のメニューを選んだ。
何が有難かったかといえばう巻きのボリュームだ。卵焼きのワザを見せつけるため?か、たいていの専門店が2人前ぐらいの量で出してくる。一人や二人では注文しても食べきれないことが多い。
その点、こちらでは画像のサイズで提供してくれる。他にもあれこれ食べたいしシメの鰻丼の前に満腹になりたくないからこのサイズは嬉しい。おまけにキチンと甘い卵焼きである。
だし巻き卵で作るう巻きも悪くはない。なんなら美味しいな~ってつぶやいちゃう時もある。でも、やはり東京の老舗だったら“西からの攻勢”に負けずにあくまで甘い卵焼きをベースにすることにこだわって欲しいと思う。
で、シメの鰻丼だ。座敷席と差別化するためか、サイズは2種類だけで姿かたちも重箱ではなく丼である。丼は食べやすいから重箱に固執する気はないのだが、サイズの選択肢はもうちょっと頑張って欲しいところ。老舗の有名店なんだから3~4種類は揃えてくれたほうが楽しいと思う。
味のほうはバッチリだった。見事までの小骨の処理に改めて感心した。タレの味に頼るのではなく鰻本来の味を邪魔しない程度に味付けされている点はさすがだと感じた。
土曜のウナギ。銀座・新橋界隈ならここは立地的にお忍び感もあって悪くないと思いました。
飲食店を新たに開拓する気持ちが湧いてこない。何だかシャバダバな感じだが、ある意味では間違いのないウマいものを食べられていると自己固定する日々だ。先日、すき焼きが食べたくなったのだが、職場から近い京橋の「婆娑羅」に迷わず向かった。
この店ではトマトすき焼きが人気だ。そう聞くとヘンテコな料理にも聞こえるが私に言わせれば実に真っ当だ。肉の他はトマトとタマネギのみ。余計な野菜が少ないから個人的には気に入っている。
野菜嫌いな私でも味の濃いトマトは普通に美味しく感じるし、タマネギはなぜか好物である。白菜や春菊というすき焼きの定番野菜が出てこないことは有難い。
この店の名物が文箱八寸というシロモノだ。すき焼きの前に出てくる。これが妙にウマい。数えきれないほどの品数の前菜的なものが一口づつ用意されている。酒のアテに抜群だ。これを肴に一献やっているうちにメインのすき焼きを店の人が作ってくれる。
すき焼きの割下とトマトの味は相性が良い。タマネギも然りだ。すき焼きを受けるタマゴもこの店では少し温かい状態で提供される。こういう気配りは嬉しい。
すき焼きが目当てというよりこの店では最後に出てくるパスタが素晴らしい。すき焼きを作った後の割下をベースにお店の人が作ってくれるのだが、この和風フェットチーネにはいつもホッコリする。トマトも牛肉もこれに辿り着くための露払い役みたいなものかもしれない。
割下という日本人が生み出した“国宝級ソース”の使い方が実に巧みなお店だと言えよう。すき焼き専属みたいなイメージが強い割下だが、他の料理の調味料としてもなかなかニクい働きをする。
私が自宅で愛用している「TKG専用醤油」も割下の風味がほんのり感じられる点が気に入っている。「人形町今半」ブランドの醤油だが、人形町の直営総菜屋でも買うしネット通販でも買ってしまうほどだ。生卵かけご飯ファンには絶対におススメ。
続いては焼鳥の話。かつてはウマいと評判の焼鳥屋さんを随分と訪ね歩いた。大衆店、高級店を問わずアチコチに出かけるマメさがあったが、最近はあまり焼鳥欲が高まらない。
移転する前の六本木「鳥長」や文京区の「蒼天」などわざわざ出向く店もいくつかあった。その後、今は椎名町の外れにある「とりんと」という大衆店にハマってそこばかり訪ねた。中央区民になってからは新富町の「義常」、「さくら家」あたりに何度も行ったのだが、それぞれ最近は行っていない。
いま時々行く店は銀座にあるその名も「串銀座」ぐらいだ。変な話、焼鳥自体は特筆するほどではないし値段も安くない。でもここの「温玉」に惚れている点と内臓系の刺身が出てくること、あとは何より掘りごたつの個室でタバコが吸えることが魅力で活用している。
私もよく自宅に取り寄せている大分の「蘭王卵」を使った温玉がひたすらウマい。たいていお代わりしてしまう。おまけにシメには温玉そぼろ丼をほぼ毎回注文する。居心地と温玉が目当てなどというと焼鳥をしっかり焼いている大将に申しわけない気がする。
世の中にはウマい焼鳥屋さんは星の数ほどある。職場や自宅の至近距離にだって真面目に探せばそういう店はいくつも見つかるはずだ。せっかくの都会暮らしだから新規開拓しないともったいないような気もするが、ついつい決まった店ばかりに足が向く。
私の友人にラーメンブログを書き続けるためにわざわざ遠征していろんなラーメンを食べ続けている男がいる。同級生だ。そう考えると私に開拓精神が無いことを歳のせいにはできない。
せめて中央区界隈だけでももうちょっとマメマメしく動き回ってみようと思う。