2024年9月9日月曜日

カツオ賛美

 

魚の王様みたいな存在がマグロだ。日本人なら誰もが好きな国民魚だろう。赤身もトロもそれぞれの美味しさがある。山の中の旅館ですら夕飯時にはマグロの刺し身が出てくるほどポピュラーだ。

 

私も上質なマグロの赤身が大好きだ。テキトーな店、安さを売りにする店ではシャバダバな?味の無い残念な赤身が出てくるが、真っ当な赤身の刺し身は香りも味の濃さも強くて極上だ。

 

シャバダバなマグロでも山かけにしたり、ヅケにしたり工夫次第で美味しく食べられる。そういう点も含めて「マグロへの愛」は日本人の総意みたいなところがある。

 

と、四の五の書いたのは前フリで、実は今日はカツオの話を書く。私はカツオが大好きで時折無性に食べたくなる。マグロは無性に食べたい気分にならないからカツオへの愛はかなり強いのだと思う。

 



ウマいやつ、マズいやつが混在するのはカツオも同じだが、味の濃い正しいカツオに出会うと物凄く幸福感に包まれる。上等なマグロにも勝るとも劣らない食感に濃厚な旨味、鉄分感?の強い後味が独特の美味しさにつながっている。

 

春のカツオもウマいが秋からのいわゆる戻り鰹のエロティックなねっとり感はヘタなマグロのトロよりもイケてると思う。マグロばかり王様扱いされているのが不思議なほど秋からのカツオは最高だ。

 



カツオの面白いところは生魚の中で唯一にんにくと合わせても負けない点だろう。かつていろんな魚で生にんにくスライスとの相性をチェックしてみたが、カツオ以外はすべて不合格だった。高知が発祥と言われるカツオのタタキににんにくスライスをどっさり加える食べ方は、和食業界の変化球みたいで楽しい。もちろん抜群に美味しい。

 

その昔、高知を旅した際、カツオの押し寿司のシャリの中に細かく刻まれたにんにくがまぶしてあったことを思い出す。コメの中に生にんにく?って感じで驚いたのだがこれがやたらと美味しかった。シャリの上のカツオパワーゆえの逸品だった。

 

私の場合、カツオを刺し身かタタキで食べることが多い。お寿司屋さんでも握りで食べるよりツマミとしてカツオ単体を味わうことが多い。にんにくが出てこなくても生姜たっぷりの醤油との相性は抜群だし、薬味たっぷりのポン酢で味わうのもアリだ。

 



カツオそのものはもちろんウマいが、なぜだかオニオンスライスや刻んだネギなどの薬味をどっさり使うとまた違った美味しさを感じる。このあたりも醤油一辺倒のマグロと違った面白さだろう。

 

受け売りだが、カツオとマグロは分類上は「スズキ系サバ科」に属する親戚筋みたいな関係にあるそうだ。そこからマグロ属とカツオ属という別ジャンルの魚に分かれているらしい。鮮度が落ちるのはカツオのほうが早いそうなので、上等な刺し身に関して言えばマグロよりも有難い存在といえるわけだ。

 

お寿司屋さんでは時々は握りでも食べる。春のカツオより脂が乗ったこれからの時期のカツオのほうがシャリとの相性が良い気がする。酢飯とカツオの香りが混ざり合う一瞬に悶絶してしまう。

 



ウマい魚は香りの有無がポイントだろう。匂いではない。あくまで香りである。ちょっと抽象的だがふわっと漂うウマい魚独特の香りこそが味を左右する。上質なマグロの赤身もそうだが、カツオの香りも食欲を刺激する。

 

相変わらずオチというか、とくに結論めいた話は無い。ただ、カツオの社会的地位?がマグロに比べて今ひとつ低いことがどうにも気になる。「サザエさん」に出てくるカツオ君のせいだろうか?

 

マグロももちろん美味しいし私も当然のように大好きだが、日本中に浸透している「マグロ最強!」みたいな風潮を感じるにつけ「カツオを忘れちゃいませんかい?」と叫びたくなる。

 

そろそろ秋の風が吹く季節だ。これからズンズン美味しくなるカツオをバンバン食べようと決意している。

 

 

 

 

 







2024年9月6日金曜日

サイドメニューの誘惑

 

サイドメニュー。なんとなく心惹かれる言葉だ。昔から食卓にはあれこれと並べたくなるクセがある。大食漢なのか、意地汚いのか卑しいのか、きっと全部当てはまる。

 

居酒屋みたいにいろいろな食べ物を並べてゆったりするのが最高だから、焼肉屋さんに行っても余計なサイドメニューをたくさん頼んで後悔しがちだ。

 



焼肉屋なんだから鮮度の良い生肉を目の前で焼いて食べるのが間違いのない過ごし方だ。分かっちゃいるのだが、メニューに「茹でタン」などを見つけると悩まず注文する。

 

わざわざ用意されているサイドメニューって何だかその店の得意ワザが隠されている気がする。たぶん気のせいだが、そう思いながら注文すると意味もなく得をした気分になる。

 

洋食屋に行ったらエビフライやグラタンやシチュー、オムライスみたいな王道メニューを堪能すれば万事OKなのだが、「ついでの小皿料理」みたいなメニューを見つけると条件反射みたいに注文してしまう。

 



たとえば中央区新川にある洋食屋さん「津々井」では決まって「生ベーコンのカルボナーラ風」という小皿を頼む。サイズ的に手頃だから主役の料理たちの前にチビチビ味わうのが楽しい。

 

鰻屋さんに行っても鰻重、白焼、うざくといった基本形の料理以外に気の利いたツマミを23つ頼みたくなる。強欲なのかワガママなのか、たぶん両方だろう。

 

お寿司屋さんに行っても、刺し身をちょこっと食べてから握りをドシドシ食べればいいのに、ウダウダとサイドメニューに固執する。先日は新富町の「なか山」で珍しくうざくがあったから鰻屋さんで日頃食べているくせにここでも注文。ヘタな鰻屋さんより丁寧な仕上がりで美味しかった。

 



秋になるにつれて通いたい気分になる銀座のおでん屋さん「おぐ羅」でも、決まって注文するのがカツオのタタキとクジラベーコンである。おでんよりもそっちを目的に訪ねている気がする。

 

もともと、おでんは好きではない。20年ぐらい前に「ちょっと高級なおでん専門店でシッポリ飲む姿が絵になるオヤジ」を目指して行き始めたから、正直言うとおでんは二の次である。

 



クジラベーコンはいまや高級品になり、時折気の利いた居酒屋で見つけても満足の行く一品に出会うことがない。味の抜けた安っぽいハムみたいなクジラベーコンにうんざりすると、この店の真っ当なクジラベーコンが欲しくなる。

 

おでん屋、寿司屋あたりだとサイドメニューを頼むのはいわば普通のことだが、やはり焼肉屋だと肝心の焼き肉を二の次にしてしまうことにちょっぴり罪悪感も覚える。

 

若い頃に焼肉は徹底して食べまくったから、きっと一生分のノルマ?はとっくに果たしてしまったのだろう。今では2,3切れの肉を焼けば満足して、サイドメニューに好奇心を集中させてしまう。

 

人形町に「オキデリ」という小洒落た焼肉屋さんがある。なかなか上等な肉を揃えている人気店だ。普通の焼肉メニューも豊富だし、どれもハズレはないが、サイドメニューがまたニクい路線なのが嬉しい。

 



削ったチーズのせいで中身がよく見えない画像だが、「おつまみビーフシチュー」という逸品である。ご飯に合わせたくなる味付けではなく、サワーやハイボールにこそお似合いの味だ。正直、これを3つぐらい頼んで黙々と酒を飲んでいたほうが個人的には幸せなような気もする。

 



ユッケも味付けが丁寧で、やはりこれを2つぐらい頼んで一人で抱えて酒のアテにしたら最高だろうと思っている。要するに焼肉は知らん顔してビーフシチューとユッケがあれば満足しちゃうぐらい美味しい。

 

焼きたての肉をタレにつけて白米にバウンドさせて食べるのが焼肉屋メシの王道であることは百も承知だ。でもこの店のようにサイドメニューに「温玉のせ牛すじ丼」なんかを見つけてしまうとそっちが無性に食べたくなる。

 



上等かつ鮮度の良い生肉を焼いて食べるべき場所なのに、そっちには目もくれず、余りの?スジ肉を駆使した丼メシに嬉々とするのはヘンテコかもしれない。でもそんなアマノジャクこそ外食の面白みだとも言える。

 

スジ肉といえば焼肉屋さんに置いてある肉の中でランク的には下位の食べ物である。でもそれが妙に美味しく感じちゃうのも事実だ。これが長年にわたって安い肉を使った牛丼屋に洗脳されてきた私の味覚の現実なのかもしれない。でもウマいんだからしょうがない。

 

 

 

 

 

 

2024年9月4日水曜日

リハビリ中の人


史上初のホームランと盗塁の「5050」に向かって突き進むのが大谷翔平サマである。野球を好きになって半世紀が経つが彼をこの目で目撃できたことは幸運としかいえない。

 



誰も指摘しないが、彼はいま「リハビリ中のピッチャー」である。肘の手術を受けて来年に復活登板するためにリハビリに励んでいる。そんな選手が打者として「5050」を成し遂げそうだから驚天動地としか言いようがない。

 

野球肘を修復するトミージョン手術を終えたピッチャーのリハビリはかなり過酷だという。翔平さんにはそんな常識も通用しないからビックリである。

 

かつて巨人のエースだった桑田投手はリハビリ中に黙々と走り続けたことが知られている。同じ場所を走り続けたせいで練習場の芝生が剥げてしまい「桑田ロード」と名付けられたほどだった。

 

いま思えば打撃も守備も抜群に上手だった桑田選手もリハビリ中にピッチャー以外で試合に出たら面白かっただろう。そんな妄想をするぐらいリハビリ中のピッチャーが別の役割で大活躍していることは異次元の世界の話だ。

 

翔平さんはあの巨体を軽々と走らせて悠々と盗塁を成功させる。一般に盗塁巧者といえば昔の阪急・福本や今のソフトバンク・周東のように身体は細めでホームランには無縁の選手ばかりだ。


翔平さんは並み居る巨漢メジャーリーガーよりもデカいホームランをかっ飛ばすのにバンバン走れちゃうからこれまた異次元である。

 



盗塁成功率は92%を超えているそうだ。闇雲に走っているわけではなく高い技術と洞察力あってのことだろう。野球センスは今風にいえば鬼レベルである。翔平さんが走るたびにくれぐれもケガだけはしないように祈っているのは私だけではないだろう。

 

打点の多さも特筆モノである。打順が34番ならランナーを置いて打席に入る確率が高いわけだが、翔平さんは1番バッターである。1番バッターがシーズン終盤の今になって打点王争いをしていることも超絶的な話である。

 

ついでにいえば、愛犬に始球式をやらせるという無謀な企画まで完璧に成功させちゃうあたりも、いわゆる「持っている」という強運ぶりの上をいく凄味と言える。スターとスーパースターとの差はそんなところにも確実に存在するのだと痛感した。

 

これまたついでの話だが、今シーズンの始めには「イッペー事件」があったことも忘れてはならない。あれだけの事件に巻き込まれたら普通の人間は正常な精神状態ではいられない。翔平さんはアノ事件をすっかり大昔の話だったかのようにどこ吹く風とばかりにバリバリ活躍している。驚嘆するしかない。

 

メンタルお化けと呼ぶにふさわしい超人ぶりだと思う。

 

野球に興味のない人にとっては連日報道される翔平さんの話題はウンザリだろう。まさに大谷ハラスメントである。大谷ファンの一人としてその点はお気の毒だと思う。素直にごめんなさいと言いたくなる。

 

でも野球好きや野球に関心がある人にとっては既に好き嫌いを超越した存在になっている。野球好きの中には翔平さんのアンチが存在しない。そう断言しちゃうほどのポジションまでたどり着いていると思う。反論もあろうが「王・長嶋を超えた」とさえ感じる。

 

個人的に注目しているのは来年の活躍だ。リハビリも順調そうで来年は「投手大谷」が復活する。一般的にトミージョン手術あけのピッチャーは球速が上がると言われる。翔平さんははたしてどうなるだろう。

 

日本人の最速記録は翔平さんと佐々木朗希が記録した165キロである。手術明けに復調したらそれを超えてくる可能性もある。大いに注目だ。

 

ちなみにメジャーリーグの最速記録は怪物左腕・チャプマンの169キロである。異次元男である翔平さんならひょっとすると170キロを投げちゃうかもしれない。「そんなバカな!」を今までも成し遂げてきたわけだから案外あり得る話かもしれない。

 

複数回のトミージョン手術を受けると投手寿命は短くなるのが相場だ。投手大谷もそう考えると年齢的にも来年から23年で限界が来るのだろうか。だとしたら来年、再来年あたりの剛腕ぶりをしっかり目に焼き付けたいところだ。

 

かつてイチローが引退会見の席上で「翔平はホームラン王とサイヤング賞を交互に取るぐらいの選手にならないといけない」と語ったことを覚えている。その頃の翔平さんはまだ今のようなスーパースターレベルではなかったから単なる夢物語にしか聞こえなかった。

 

気づけばあれから5年半が過ぎた。夢物語だった話が確実に現実に近づいていることにただただ驚いている。

 

 

 

 

 

2024年9月2日月曜日

飲んだ後のシメ


酒を飲んだ後にラーメン。これって戦後ニッポンのオヤジ達にとって一種の決まり事みたいなところがある。アルコールで疲れた肝臓は脳に糖質を補充するよう指令を出すらしいから「シメのラーメン」は理にかなった話だとか。

 

私の場合、シメのラーメンならぬシメの牛丼を食べてしまいがちだ。麺も好きだがコメのほうがもっと好きだから牛丼の頭の大盛りに加えて牛皿まで別注するようなスットコドッコイ的な食べ方もしてしまう。

 



食後に必ず後悔の念に襲われるのだが、酒に酔うと正常な判断が出来ないから仕方がない。いつも正常な判断ばかりしようと奮闘努力している真面目一本槍の私?だから時にはこういう脱線もしたくなるのだろう。

 

もちろん、シメに麺類を選ぶこともある。先日はかなり満腹だったにも関わらず冷たい麺が無性に食べたくなった。銀座の外れにいたのだが、通りすがりの「紫龍」という店に吸い込まれて冷やしつけ麺を注文。

 

満腹なのにナゼか大盛りを頼んでしまうのが私の悪いクセだ。どんなジャンルにおいても「並」を頼むことは私にとって敗北である。牛丼にしても特盛を基本に最低でも頭の大盛りを注文する。「並」を頼むようになったら男がすたるとさえ感じている。バカである。

 

 


 

キンキンに冷えた麺が心地よかった。つけ麺というジャンルに違和感を持ち続けている偏屈な私だが、冷たい麺に冷たいつけ汁だったら素直に美味しいと思う。ソーメンやもりそばと同じ系統である。

 

別な日、バンド練習の飲み会の後に怪しげなつけ麺にトライしてみた。赤坂の「ホルモンらーめん8910」という店だ。熱々の付け汁の中にブヨブヨのマルチョウみたいなギトギト系ホルモンが何個も入っていた。

 

中途半端な辛さのつけ汁に冷めた麺である。私が苦手なパターンだったのだが、麺自体は美味しかったので、つけ汁に麺をちょっとだけつけるように食べた。ホルモンはギトギトだったから残した。

 


 

これで1300円である。なんともビミョーな値付けだと思う。一緒にいた友人が頼んだ普通のホルモンラーメンは990円。つけ麺スタイルにしただけで3割アップである。つけ麺はラーメンより高い値付けにすることがそっち業界では定番になっているのだろうか。

 

飲んだ後の麺というとナゼか蕎麦やうどんを選ばない。我ながら不思議だ。きっと「油っぽい」という要素を求めてしまう不良性感度みたいな心理が影響しているのだろう。もりそばがシメだと何だか優等生みたいである。無頼漢になれないくせに無頼を目指すような感覚か。

 

もちろん、最初から蕎麦屋で過ごしていれば蕎麦をとことん食べてオシマイである。その後に別な店でシメの麺類を食べる気にはならない。当たり前か。

 

昨年から日本橋に住み始めたせいで界隈にいくつもある蕎麦の老舗や人気店をあれこれ訪ねてみた。どこもそれぞれ美味しいのだが、いまだに以前住んでいた場所の近くにある蕎麦屋までわざわざ出かけてしまう。築地の外れにある「さらしなの里」である。

 

とくに風情のある店ではない。悪くいえばどうってことのない造りでごく普通の街場の蕎麦屋といった構えの店である。でも何となく落ち着くし、一品料理メニューが豊富で天ぷらもウマい。肝心の蕎麦も安定の美味しさだ。

 

蕎麦の人気店の中には一人前の量が異常に少ないところが少なくない。冗談かと思うようなこともある。それに比べてこの店は真っ当な量で出てくるのが良い。一品料理をアレコレ食べた後に蕎麦を2種類注文したらちょっと苦しくなるぐらいだ。

 



 

この日は天ぷら、そばがきの他に鴨焼き、だし巻き卵などを注文。だし巻き卵はほんのり甘めの味付けが嬉しい。東京の卵焼きは甘くないと正しくない。これは大事なポイントだ。

 


季節の変わり蕎麦も楽しい。今の時期はさらしな蕎麦に紫蘇が混ざった紫蘇蕎麦だった。連れが頼んだので一口もらったが定番化してほしいぐらいウマかった。

 


 

蕎麦の種類も豊富でいろいろ頼んでみたい気持ちはあるのだが、いつも定番で済ませてしまう。十割蕎麦と二八蕎麦である。つゆは辛口で濃い。正統派の東京の蕎麦だ。蕎麦で腹がパンパンになるのは結構幸せなことだ。

 

シメのラーメンをあれこれ語ろうと思ったのに結局は蕎麦讃歌になってしまった。


ちなみに冷たい麺ではないが、期間限定で「やけくそチャーシューラーメン」が復活するという通知が届いた。


喜多方らーめん「坂内」の幸福の極み麺?である。前回のキャンペーンの際はインスタの画面を見せないと注文できないようだったので、わざわざ友達登録して職場の近くの店舗でトライしてみた。




友達登録のおかげで今回の通知が来たわけだから食べに行かないわけには行かない。いつまで経ってもチャーシューが無くならない幸せを味わいに行こうと思う。さすがにこればかりは飲んだ後のシメには無理だ。キチンとしたディナーとして攻めに行くうもりだ。











 

 

 

 

 

 

2024年8月30日金曜日

ソースだよソース


ソースか、醤油か。アチコチで論争が繰り返されているテーマである。主なところではアジフライや目玉焼きあたりだろうか。私は断然ソース派だから問答無用でソースで食べる。

 

ウスター、中濃それぞれ大好きだ。揚げ物に合わせるとんかつソースは世界に誇る日本の魂みたいだと感じる。

 

ソースマンである私は海外旅行に行く際は中濃ソースの小型ボトルを持参する。どこの国に行こうが揚げ物には遭遇するからそこにソースを加えるとマズいものもウマくなる。

 

目玉焼きにソーセージやハムも世界共通で用意されているからソースさえあれば私にとって平和な日常が維持できる。

 



大型スーパーに行くとウスターソースだけでも結構な種類が並んでいる。いろいろ試してみたが、結局は「スーパープレミアムソース」という大げさな名前の商品が私のお気に入りだ。

 

私が朝飯によく作るのが「目玉焼き混ぜ混ぜご飯」である。油を少し多めにひいて目玉焼きを作り、熱々ご飯に混ぜ合わせてソースを掛けてかっこむ逸品である。

 

油とウスターソースの融合ほどエロティックな味わいはない。それが硬めに炊いたアツアツご飯と混ざるわけだから簡単にして最高の一食になる。

 

目玉焼きに関しては想像以上にソース派は分が悪い。醤油派にケチャップ派、塩派などの勢いに押され気味だが、私が精魂込めて制作する「目玉焼き混ぜ混ぜご飯」を口にしたら他派閥の皆さんもきっと悔い改めると思う。

 

先日、テレビ番組でウマそうなエビフライにちょこっとだけタルタルソースを付けて食べているタレントさんがいた。タルタルソースとエビフライはもちろん鉄板の組み合わせだが、私はそこにソースも加える。主役を食ってしまう名脇役みたいに一気に味が広がる。

 

思えば揚げ物にはソースが絶対だろう。アジフライに多い醤油派の気持ちもわかるが、あれは頭の中で「魚にソースは合わないから醤油だ」という思い込みが原因だと睨んでいる。

 

冷静になって「これはレッキとした揚げ物だぞ」と気づけばソースのほうが好ましく感じるはずだ。たぶんそう思う。違ったらごめんなさい。個人的な意見の押し付けです。

 

時々、トンカツに醤油をかける人がいる。申しわけないがそんな変態的行為は私から半径10メートルぐらい離れた場所でやってほしいと思う。醤油トンカツ派の人々はいったい何をきっかけにそんなスペクタルな?世界に行ってしまったのか多いに気になる。

 

私が洋食屋さんを好きな理由もソース天国だからかもしれない。メンチカツだのクリームコロッケだのソースが大活躍する場面が多いのが嬉しい。高級路線の店だとクリームコロッケにデミソースや洒落たオリジナルソースがついてくることがあるが、私はそこにこっそりウスターソースを足しちゃったりすることもある。

 



この「ウスターソースちょいがけ」は案外いろんな場面で使えるワザだ。居酒屋のチャーシューエッグは焼き豚のタレ的な味付けになっていることが多いが、そこにソースを足すとウマさが倍増する。マカロニサラダにだってソースちょい足しを実践すると味が一段階アップする気がする。

 

なんならオムライスにも応用可能だ。オムライスといえばケチャップだ。ただ、ケチャップにもウマいマズいはある。単に酸味が強すぎるケチャップだと肝心のオムライスの味を落としてしまう。そういう時はケチャップに少しウスターソースを加えるだけで味が引き締まる。

 

この夏、甲子園に行ったついでに串カツ屋に行ったり、居酒屋で焼きそばを食べたり、球場でもたこ焼きやソバメシを嬉々として味わった。とかく「西の食べ物」にチャチャを入れて東京の味はこうでなきゃ、などと気取っている私だが、西のソース文化には素直に脱帽だ。

 

コテコテのああいう食べ物がソースではなく醤油味だったらと考えるだけでゾっとする。ベチャベチャベトベトとソースを塗りたくなる点では西のアノ振り切った感じが大好きだ。

 


友人にラーメン大好きな男がいる。ラーメン食べ歩きブログを1000回以上も更新しているツワモノだが、私がこういう話を書くと必ずといっていいほど謎の「ソースラーメン」とやらを勧めてくる。世の中にはそんなケッタイなラーメンを出す店はあるらしい。

 

興味がないわけではないが、私にとってソースはスープ的な存在ではない。あくまで「混ぜる」「染み込ませる」のが基本だと考える。まぜ麺、和え麺的なものならトライしてみたい。

 

ちなみに私にとって死ぬまでにもう一度食べたいソース関連の食べ物は「ソースだけビーフン」である。子供の頃に祖母がたまに自分用にちゃっちゃと作っていた謎の食べ物だ。

 

乾燥ビーフンを戻して、フライパンで炒めて最後にウスターソースをかけるだけの実にシャビーな一品だった。具も一切ナシでヘンテコ極まりなかったのだが、ナゼか抜群に美味しかった記憶がある。

 

大人になってから再現しようと何度トライしたのだが一度も美味しく出来たことがない。乾燥からの戻し加減か、塩コショウを入れるのか否か、はたまた炒める時間なのか、炒め油の問題か、それともソース自体のメーカーの違いなのか等々、いろいろ研究したが祖母が作った味には程遠いマズいものしか出来なかった。

 

まさに幻の味である。いつかまたトライしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年8月28日水曜日

隠語の奥深さ


ツイッター(現X)界隈でちょっと話題になっていた日本語の“言葉遊び”がある。その名も「#本来の意味が失われエロい使われ方の方がメジャーになった単語」というシリーズである。

 

文字通り意味が変わっっていった言葉をいろんな人が紹介している。なかなか面白い。いわば隠語みたいなものだろう。たとえば「本番」。これなんかスケベ男の脳裏にはソッチの意味しか浮かんでこない。

 

「駅弁」もアダルト動画の影響でいつのまにか体力自慢が好むヘンテコな体位の意味で知られるようになった。いまどきは駅で弁当売りを見かけないから若い人には情景が浮かんでくるのか不思議である。

 

アダルトビデオの省略語である「AV」もすっかり定着した。その昔、AVといえば「オーディオビジュアル」を表す言葉でしかなかったことが懐かしい。当時、オーディオ機器に詳しい人を「AVマニア」と呼んだが、今はそんな呼ばれ方をしたら恥ずかしいったらありゃしない話になる。

 

もっと文化的?なものとしては「花電車」という古典的な言葉がある。その昔、路面電車が主流だった頃、宣伝などのために花飾りで装飾した電車を指す言葉だった。その後、ストリップ業界の隠語に発展してエッチな言葉になった。

 

思えば「エッチ」という言葉もニッポン代表と呼べるほどポピュラーになった隠語である。元々は単なるアルファベットの一文字なのに今では多様化した意味で広まっている。

 

Wikipedia先生によると「変態」のローマ字表記の最初である「H」が起源だとか。ちなみに「エッチする」といった言い回しがひろまったのは1980年代に明石家さんまや島田紳助が使い始めたからだそうだ。ふむふむ。

 

「菊の御紋」、「菊門」など菊の花もスケベ方面の隠語としては歴史が古い。菊の花のシワに似た形状から名付けられたわけだが、先人の言語センスの風流な感じにちょっと感心してしまう。「貝合せ」も似たような風流系だろう。

 

最近はあまり聞かなくなったが、夕立ちの朝バージョンである「朝立ち」に至っては気象用語のほうを知っている人が少数派かもしれない。いまやゲリラ豪雨だらけだから風雅な言葉の出番はない。

 

「観音様」「御開帳」あたりも昔からソッチ系の使い方が珍しくない。ただ、年配の人が好んで使うイメージがある。若い人だと通用しない可能性もある。まあ、拝みたい心理は古今東西同じだから今後も使われ続けるはずだ。

 

「聖水」。これまたよくもソッチ系の言葉に変化したものである。幼稚園から高校までキリスト教の学校に通ってミサを受けていた私からすると実に不謹慎に聞こえる。ウソです。

 

個人的に好きなのが「筆下ろし」である。何とも風雅な響きだ。ペンや鉛筆がなかった時代、貴重品だった筆を使い始めるのは気持ちも高鳴っただろう。細長い棒である筆に若造のソレをなぞらえたのはニクいセンスだと思う。

 

その他にも「モザイク」、「尺八」、「自家発電」、「二輪車」等々、本来の意味とはまったく別なセクシャル系隠語になっている言葉は数多い。大げさに言えば日本語の面白さだろう。

 

ついでだから隠語つながりで個人的な思い出を書く。若きの日のこと。いわゆる「肉体関係友達」の女性との間で行為のことを「転回」と呼んでいた。若かったから身体を縦横無尽に動かしていたせい?でそんな隠語を使うようになった。

 

別な友人といる時にもそのコには「後で転回するよ」と伝える。ヨソの人に悟られないように奥ゆかしく?ソッチの誘いに励んでいたわけだ。

 

ある日、かの有名な「アルファイン」に行ってみようという話になり、目的地を探しながらドライブ。まだカーナビがなかった頃だから迷ってしまいフラフラとクルマを走らせていた。

 

ようやくそれらしき場所を見つけて適当にUターンしたのだが、その途端パトカーが登場して停車させられた。道に迷ってしまったと釈明したがUターン禁止の道路だったようで警察官は許してくれない。

 

キップを切られるハメになったのだが、そこには警察官が手書きした文字で「転回禁止違反」と書かれているではないか。こっちは不謹慎ながら大爆笑である。これから励むつもりだった楽しい“転回”を警察に禁止されるとは思ってもいなかった。若かりし頃の楽しい思い出だ。

 

それからしばらくして「転回」という言葉は使わなくなった。近年では「試合」という呼び方を愛用?している。「試合会場に先乗りしてるからね」みたいな実に上品な使い方をしている。

 

バカですいません…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年8月26日月曜日

夏の終わりに


毎年8月も終わりに近づくと森山直太朗の「夏の終わり」を無性に聴きたくなる。実に素敵な歌だと思う。わけもなく泣きたくなる。


今日は更新が間に合わなかったので、晩夏の切なさについて考察?した過去ネタを載せます。


夏が終わる

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/09/blog-post.html