2025年6月20日金曜日

アッパレ!カツ丼

 

何かとバタバタで更新が怠りがちだ。たいして忙しいわけでもないのに何事においても集中力が衰えてきているのだろうか。とりあえず暑さのせいにしておく。

 

思えば、私の世代は小学校、中学、高校にエアコンなど設置されていなかった。夏は下敷きを団扇代わりにするだけでしのいでいた。おまけに部活は水飲み禁止の時代だった。いま思えば違う星の話みたいに感じる。

 

40年以上も前のことだから確実に気象状況が変わったのだろう。ゲリラ豪雨なんて言葉もなかったし、熱中症という言葉も一般的ではなかった。時々、日射病で医務室に行くヤツがいる程度だった。

 

そう考えるとこれから30年、40年先はどこまで地球は暑くなるのだろう。こちらは死んじゃうから構わないが、今の若い人が私の年齢になる頃には異常な気温の中で暮らすようになるのだろう。お気の毒だ。

 

さて、話は変わる。

 



最近、やたらとカツ丼を食べたい気分になる。もともとトンカツが大の好物なのだが、カツ丼とトンカツの関係は考えてみれば不思議だ。派生形と呼ぶには随分と様相が変わる。

 

トンカツといえばソースである。ニッポンの洋食の大定番として誕生したトンカツに合うように日本人が開発したのがトンカツソースという崇高な調味料である。トンカツソースあっての料理ともいえる。

 

時々「お塩でどうぞ」やら「おろしポン酢も合いますよ」みたいな余計なことをいうお店もあるが、あくまでトンカツはあのソースあってこそ完成する食べ物だろう。

 

対するカツ丼はソースのソの字も感じさせない仕上げ方なのにそれはそれで別次元のウマさに到達している。地域によってはソースカツ丼が定番であるケースもあるが、ここでは卵とじで麺つゆを基本にした古典的カツ丼に絞って語る。

 

トンカツソースという絶対的エースに背を向けて、おまけに揚げ物本来のウリである食感さえ無視して出来上がるのがカツ丼だ。脇役であるタマネギも絶妙なマッチングをみせる。原点であるトンカツにはキャベツこそ付いてくるもののタマネギが同席することはない。思い切った「進化」を遂げたものだと思う。

 

詳しいことは知らないが、街場のお蕎麦屋さんがカツ丼文化を発展させたことは間違いない。親子丼、天丼しかりでアノ麺つゆの味わいをコメの世界にも広げてくれた功績は素晴らしいと思う。

 

そんなことをシミジミ感心しながらカツ丼を頬張っている人はいないだろうが、トンカツ専門店で普通のトンカツ定食とカツ丼を両方注文してみると、ウマいものを追求してきた先人たちの努力に敬意を払いたくなる。まるで王・長嶋の「ON砲」にも匹敵する文化遺産的2大巨頭のように思える。

 



いつだったか、銀座のトンカツ屋さん「梅林」でカツ丼の上級バージョンを注文したことがある。かっ食らおうとしたら隣から妙に熱い視線を感じた。二人連れの外国人観光客からの「ガン見光線」だった。かれらは普通のトンカツ定食を前に喜色満面だったのだが、隣に座った日本人が食べようとしている得体の知れないドンブリものに心を奪われたかのような顔で覗き込んでいた。

 

偏屈な私は彼らにカツ丼を解説してあげることもなくスカした様子で「こっちはそんな平凡なトンカツなんてしょちゅう食ってるんだよ。たまには高級カツ丼も悪くないぜ、キミらにはまだ早いんじゃないかな」と横顔で語ってみた。

 

外国人からみれば生の卵黄まで乗っかったナゾのカツ料理はニッポンの神秘に映ったのではなかろうか。いや、彼らの目にはゲテモノに見えたのかもしれないが真相は不明だ。

 



この画像は函館のみに展開するファストフードの「ラッキーピエロ」のカツ丼だ。こういう気候になってくると私にとって第二のふるさととも言える函館に行きたくなる。函館といえばウニ丼、いくら丼がエースだが、今の私はラッキーピエロのカツ丼が妙に恋しい。

 

最近は節制を基本にしていたので、カツ丼を食べる際にも上ばかり食べてご飯をほとんど食べないという人の道に外れたことばかりしている。

 

でも、一説によると75日にはみんな死んじゃうかもしれないようなので、そんなバカげた食べ方をしている場合ではない。上はロースとヒレのダブル、ご飯も大盛り、そんなカツ丼を夢中になって食べたい気分である。





 

 

 

 

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