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2013年10月28日月曜日

クルマの話


クルマの話で盛り上がる機会が減ってきたように感じる。私の周りだけだろうか。

確かに車の売れ行きは低下を続け、輸入車販売台数もピークに比べれば相当減少した。

若い頃は、誰それがソアラを買ったらしいとか、あのコの彼氏はポルシェに乗ってるだの、そんな話をよく耳にした。

「おクルマは何にお乗りになってるのですか?」と女子から尋ねられたときに、「カローラです」と答えたくない一心で、ビンボー学生まで必死にローンを組んで中古の真っ赤なクーペなんかに乗っていた時代だ。

世代ごとに確実に「クルマ・ヒエラルキー」みたいな空気が存在していた。実際、自動車メーカーも若者ウケするクルマをたくさん開発して、テレビCMも今より盛んだった。

今のクルマのCMは、すっかりファミリー向けが主流になり、夢を売るというより実用性を強調するようなものばかりだ。

時代の変遷と言ってしまえばそれまでだが、なんだか淋しい。女性がファッションや宝飾品にウツツをぬかすのと同じように、男子の社会でもクルマへの熱い思いが盛り上がってほしいと思う。


先日、免許証の更新に行ってきた。免許を取得してからもう30年になる。「じぇじぇじぇ」である。これから30年も運転するとは思えないから、考えてみればドライバー人生も後半戦である。

数えてみたら随分いろんなクルマに乗ってきた。おんぼろ、へんてこ、家族用のゲタ車まで全部含めれば25台ぐらいになる。長く持つと下取り価格がなくなるのでコマメに回転させてきたから台数だけは多い。

4駆小僧だった名残りで、ジープタイプの四輪駆動車も8台乗った。今でもラングラージープは常に欲しいクルマである。


中古車屋で衝動買いした幌仕様の真っ赤なジープが大好きだったし、昭和の頃には改造しまくった日産サファリ(商用登録、軽油仕様)でオフロード踏破に励んだりした。

カイエンも乗ったが、どうにも馴染めずに、高く売れるうちに数ヶ月でとっとと手放してしまった。シボレーやキャデラックの四駆の方がしっくり来たから、やはりあのタイプはアメ車のほうが好みなんだろう。

ドイツ車、イタリア車、英国車も乗った。最近は、英国車に肩入れすることが増えた。根拠はないのだが、なんか落ち着く。ドイツ車の素晴らしさも充分知っているつもりだが、何てったって街中に溢れているから、アマノジャッキーとしては、ついつい少数路線を選んでしまう。

車種やメーカーごとのウンチクはさておき、一人で運転しているときの「おこもり感」は他の場面では味わえない快適さだと思う。

書斎とか自分専用の個室は狭い方が落ち着く。男の心理はそういうものである。おこもり部屋、秘密基地感覚である。

助手席に女性を乗せてのドライブデートも悪くない。密室である。会話に気を遣うことはない。横並びに座っているから面と向かってキザな台詞をはかずに済む。

クルマの話ついでに、ちょっとした節税ネタをひとつ紹介したい。少し儲かってしまった中小企業向けの手法だ。

ポイントは6年落ちぐらいの高級中古車を購入すること。税務処理上、耐用年数は2年で済む。2年といえども減価償却のパターンによっては1年目に取得価格の大半が損金になる。

数百万とか1千万円ぐらいの利益が見込まれる場合に、割と簡単に大きな金額を経費に出来る有効な策となるわけだ。

6年落ちぐらいで1千万円前後の高級車は結構あるから、社用車として購入すれば結構な節税効果があるわけだ。

その後、クルマの価値が大暴落しちゃえば面白みもないが、中古でも高い価格が維持されているものなら、その後もそこそこ高値で処分可能であることが多い。

クルマ好きの経営者なら知っておいて損はないと思う。そんなことより黒字を出すことのほうが大変なのが現実か。

2013年7月5日金曜日

木を見て森を見ず

今日は久しぶりに硬派な話です。

多くの二代目、三代目経営者が思っていることの一つが「会社を国から買った」という感覚だ。

わかりにくい言い回しだが、親から引き継いだ側面よりも莫大な税金を負担して、ようやく経営を受け継いだという印象があるようだ。

相続税増税によって、一部の人の悩みでは無くなりつつある「相続」の問題。都内に一戸建てがあれば場合によっては課税対象になるぐらい裾野は広がる予定だ。

家や土地、現金が相続の主役のようなイメージだが、中小企業経営者にとっては「自社株」が大きな問題となる。

非上場であれば事実上、流通性、換金性は無い。にもかかわらず「評価」という洗礼によってアッと驚くタメゴローみたいな金銭換算をされることが珍しくない。

工場用地、事業所などが自前の不動産であれば、それらの価値がストレートに自社株評価に跳ね返る。たとえ業績がメロメロで資金繰りに窮していても、資産価値が自社株の評価額を押し上げる。

理屈としては仕方がない。ただ、その自社株を売ろうにも、そんな値段で売れるはずもない。結果、会社を引き継ぐには、評価額に見合う税金を何とか工面するしかない。

「国から買った」、「国に金を払って商売させてもらっている」。そんな感覚もあながち大げさではない。

気が遠くなるほど古い話で恐縮だが、律令時代の「班田収受法」を思い出す。農地はあくまでお上のものであって、農民が死んだら農地は返上するのが基本だった。

頑張って耕したところで、自分の農地にはならないのだから、農民がハッスルするはずもない。荒れ地が増えて、悪法の名の下に大転換を余儀なくされ「墾田永年私財法」が生まれたわけだ。

例えは極端だが、持っている資産に莫大な税金がかかる制度は、「資産は国のもの」と言われているような気持ちにもなる。最高税率が50%を超えるほどになれば、財産権もヘチマもあったものではない。

近年、諸外国の多くが相続税の廃止・縮小に向かっている。理由は単純。生前にさまざま税金を課税してきた残りだから。

すなわち、それまでかかっていた税金との二重、三重課税になっちゃうから相続税はナンセンスな存在という考え方だ。

わが国の場合、相続税そのものの存在を「富の再配分」という大義名分によって正当化している。人間、スタートラインは平等であるべきという実に崇高な?理想論みたいな発想に基づいている。

社会主義国家じゃあるまいし、この国が選択した経済体制の下では、スタートに相応の差がつくことは致し方ないのに、そんな当然の現実を否定する考え方が基本になっている。

もともと、わが国に相続税が誕生したきっかけは、富の再配分などと言う美名とはまるで関係ない事情によるものだった。

日露戦争の戦費調達。あくまでこれが理由だった。その後、いつの間にか「富の再配分」というお題目が取って付けたように登場して、それが金科玉条として今に至っている。

相続税の税収など全税収からみればわずかであり、所得税の10分の1程度でしかない。消費税を0.5%程度引き上げれば相続税収のすべてがまかなえる程度の水準だ。

したがってこんなものをイジったところで税収増につながるわけもなく、存在自体がお金持ちへのヤッカミや嫉妬でしかない。

ついでにいえば、国が大衆増税を打ち出す際のガス抜きに使われている側面もある。相続税増税、すなわち金持ちイジメを打ち出すことで、消費税や所得税などの大衆増税への不満を少しでも吸収しようというパフォーマンスである。実に不毛だ。

税制改正が論議される場合、一般ウケの良い「富の再配分」というロジックばかりが前面に押し出され、諸外国で普通に受け止められている生前に課税された税金との重複課税であるという「性悪説」が取り沙汰されることはない。

一種の思考停止みたいなものだ。木を見て森を見ずという言葉があるが、相続税の問題はまさにこの一言に尽きると思う。

2012年6月20日水曜日

裁判所の鑑定と相続税

今日は久しぶりに小難しい話です。最近ハヤリの相続税問題について書こうと思う。

ここ数年の細かな取扱い改正に続いて、消費税増税法案なんかと一緒に相続税法も大きく改正される予定だ。

いよいよ一部の資産家だけの話だった相続税が、都市部で一戸建てを持ってそこそこ貯金を貯めているような「中流階級」をも直撃するようになる。

こうした時勢もあって、昨今、ウチの会社に持ち込まれる玉石混合?の情報も、一昔前とは趣が変わってきた。

税金の専門新聞を発行している関係で、昔から画期的な節税対策手法や商材の話が持ち込まれることは多い。

主に税テクとでも言おうか、あくまで税金を節減する方法論が多いのだが、最近は、いわゆる「資産フライト」みたいな話が持ち込まれるようになった。

要は「税金対策するよりも、とっととこの国を見捨てて資産を海外に移しましょう」という話だ。

哀しいかな、そんな風潮が富裕層をコンサルするような世界ではもはや常識化している。それが現実だ。

さて今日の本題。増税や資産フライトの話ではない。最近、仕事の関係でいろいろな裁判にタッチしているのだが、そこで気付いた摩訶不思議な理屈について書こうと思う。

相続税の世界で、何かと問題が多いのが中小企業オーナーの相続だ。非上場会社の株式の「時価」をどう評価するかという点が勘どころになる。

従業員数人、業績は赤字続き、日々の資金繰りにも難儀している会社。こんな会社だったら株価なんて屁みたいなもんだと思うのが一般人の感覚だ。額面が50円とか500円だとしても、第三者がそれをその値段で買ってくれるかと言えば現実には難しいだろう。

とはいえ、こんな会社でも所有している会社所有地が都心にあったりすると俄然事情は変わってくる。

非上場の自社株は、相続税の取扱い上では、いわゆる純資産価額をベースに評価額が決まる。すなわち会社が持っている土地の値段がストレートに株式の価値に跳ね返るわけだ。

前述したような吹けば飛ぶような会社でも、一株あたりの評価額が5千円ぐらいになることもある。東証で日々取引されている有名企業の株なんかより遙かに高値になったりする。

売るに売れない土地の価値で株価がボンと跳ね上がり、それを元に相続税がかかってくるわけだから、まさに地獄絵図だろう。

ここまでは前振り。最近、相続と無関係の裁判に関わりながらひょんなことに気付いた。

非上場の中小企業の株式をめぐる裁判って意外に多いようだ。代替わりを繰り返し、まったくその会社と関係なくなった少数株主が、その株式を手放そうと考えることは多い。他にも昔出資していた会社が、取引や付き合いがなくなり、保有株を手放したくなるようなケースも同じだ。

誰に買ってもらうかという問題を始め、そもそも適正な時価をどうするかで話がつかないケースが大半だ。

売りたいほうは高く評価したいし、買い戻す側は低く評価したい。非上場で流通していないからモメやすい。裁判所に適正な時価を判断してもらおうという話になる。

裁判所だって株価算定のプロではない。結局、裁判所が選任した第三者鑑定によって株価を決める流れになる。

基本的には公認会計士が第三者鑑定を担当する。ここからは会計士の裁量も大きく関わる。高く売りたい側の理屈、低く抑えたい側の理屈を吸い上げて判断するわけだ。

たして2で割るような結論になりそうなものだが、裁判所の決定に関わる作業だ。いやでも「堅め」の線に落ち着く傾向がある。

所有土地の不動産評価も堅実な水準になるし、業績の悪さも過敏と言えるほど影響する。やはり人間が行う作業だから、「将来きっとこんなに儲かるはず」という希望的観測より「業績回復はもうダメかもしれない」という「堅い話」のほうに引っ張られる。

実際の株式価額算定は、土地の時価などをベースにその会社の純資産価格を求め、それを元にプラス要因、マイナス要因を足し引きしていく。鑑定する人間がマイナス要因を斟酌する気持ちが強くなれば、当然株価は低めに誘導される。

実際に聞いた話だが、まだ取引継続中の得意先から支払ってもらえていない未収金まで貸倒れ損失として純資産価額から差し引いてもらったケースもあるらしい。税務の概念からは想像できない大甘な判断だろう。

第三者鑑定での結果は、裁判所が下す結論に直結する。多くの場合、そのまま株価が決定するわけだが、上記の経緯で低めに決まった株価は、何だかんだ言っても「裁判所様がお決めになった価格」である。

さて、何が言いたいかというと、相続の実務において、一般的な自社株評価で導き出される金額より、上記したような経緯で裁判所が決めた株価のほうが遙かに低くなるのなら、相続や贈与の際に裁判所で決めた価格を使って申告しちゃえば良いという話だ。

評価方法の経緯はともかく、天下の裁判所の決定に行政機関の出先である税務署が文句を言えるはずもない。

ある意味、高度かつ合法的かつ安全な節税作戦になり得る話だろう。

もちろん、理論上はそうでも、現実には裁判を提起する手間、鑑定費用等々、話はそう簡単ではない。それでも、大幅な税金の圧縮が可能なら、大いに検討の余地はありそうだ。

2011年11月28日月曜日

150億円で遊んだ人

大王製紙の前会長の道楽ぶりは、まあ何というか、何とも言えないというか、実に破天荒でスペシャルではある。変な表現でスイマセン。

良いとか悪いとか、今更そんな論評は無意味だろう。世の中の同族会社経営者の目線と一般サラリーマンの目線とでも受け止め方は全然違うのだろう。

同族会社には、相応の公私混同は付きものだし、それを100%すべて悪と切り捨てることは無意味だ。それこそが同族会社のパワーになっているのも真実ではある。

もちろん、程度問題ではあるが。

それはともかく、会社のカネを150億円も個人的に使っちゃったんだから豪快だ。大半がギャンブルですったことを本人が認めてるわけだから、ヒョヒョヒョのヒョだ。

そこまで突き抜けたら、もはや偉人?だろう。

40代、妻とは離婚。すなわちフリーの身だ。見た目もマトモだし東大も出てる。そんで150億円で遊ぶ。うーん、悶絶する。

常識で考えつくこの世の快適なこと、快感なこと、ワクワクすること、全部経験できたんだろう。あんなことも、こんなことも・・・。羨ましい・・・。

本人は返済の意向もあり、実際に持株などを処分すれば、使いまくったカネは返済可能だとも言われる。だとしたら逮捕はされたものの、重い量刑をくらう可能性は低い。

世界中に恥をさらしたのは確かだが、たった一度の人生、一瞬でもそんな経験が出来ちゃったのなら、御の字だと思っていてもおかしくない。

さてさて、この一件をただ羨ましがっているだけでは情けない。私の印象を少し書いておきたい。

といっても、大層なことを考えたわけではない。要は「日本もカジノを解禁しやがれ」ってことだ。

日本にも世界に誇れるカジノがあれば、あの150億円だって、わざわざ海外に流出しなくて済んだわけだ。実にもったいない。

変な話だが、本気でそう思う。カジノ推進の話はこの国でも古くて新しいテーマだ。とっとと解禁すればいいのに、反対派の声も強く実現していない。

競輪、競馬、ボートなどの公営ギャンブルが大賑わいで、反対論が強かったサッカーくじだって、今ではごく普通に世の中に定着している。

パチンコだって、勝ち金の両替に摩訶不思議な建前はあるものの、純然たるギャンブル。お隣のオッソロシイ国に随分とアガリが流出してるようだが、景気に関係なく大盛況だ。

まあ、事実上、国がギャンブルをドシドシ後押ししているのだから、カジノだけ特別扱いする意味が分かんない。どんどん作ればいい。

過疎になっちゃった地域とか、観光資源に乏しいどこかの島をまるごと使ったりして、この国の自慢であるハイテク技術なんかもガンガン駆使して世界的なスーパーカジノを作ればいいと思う。

尖閣諸島とか竹島あたりも有力な候補地だ!?。

メイド・イン・ジャパンのスーパーハイテクカジノを作って、そこに向けて豪華客船の航路を開いたりすれば一大産業が出来上がりそうだ。

間違いなく世界中のお金持ちはぶりぶりお金を使ってくれます。

だいたい、財政状態がヘロヘロなんだから、気取ったことばかり言ってたって仕方がない。なりふり構わず国庫を潤す話はすべて実行すればよい。

射幸心をあおるとか、旧態依然とした反対論だって、さっき書いたような公営ギャンブルが大盛況になっている状況を前にしたら、ちっとも説得力はない。

増税増税と国民を憂鬱にさせることばかり言わないで、もう少し国民心理をくすぐることを言い出すセンスが欲しい。民主党や霞ヶ関のオッサンにはそんなセンスが皆無なのだろうか。

「楽しみながら納めたい」。国に納めるものすべてにそういう観点からの議論があっていい。

今では当たり前になったクルマの希望ナンバーだって、「カネを出せば希望の番号がもらえる」なんて昔は考えられなかった。そのせいか、インチキや裏ワザやうさん臭い話も多かったが、希望ナンバーが取れるようになって余程スッキリした。

あれだって、通常より割増しの金額を払うことで自分の好きな番号を押えることが出来るわけで、その「割増分のカネ」は、純粋に受け取る側の粗利になる。小さい話だが、そういう発想の積み重ねだと思う。

地方税の世界で定着してきた「ふるさと納税」も各自治体が、納税先に選んでもらおうと、米や肉、果物といった地域色豊かな特典を納税してくれた人にプレゼントしている。

納税で特典などというと、非現実的なこと、不真面目なことといった印象を抱く人がいるが、そんなことはない。

いまどき、どんな世界でもポイント制とかキャッシュバックとか、何らかの特典を提供することで顧客満足度を高めている。

ふるさと納税で頑張ってる自治体のマネをして、国だって、納税者への特典ぐらい考えたっていい。

納税額の多寡に応じてプレゼントを用意したり、国の施設を安く使えたり、特典なんて簡単に作り出せる。

迎賓館に1泊出来ます、とか、政府専用機で遊覧飛行とか、国宝に一瞬さわれますとか、自衛隊の輸送機使って流氷見学なんていうのもアリだろう。

真面目に何年も高額納税を続けたら、政府系金融機関からの融資利率が優遇されるとか、国有地払い下げ情報が一足早く分かるとか、訴えられても裁判所が優先して扱ってくれるとか、いろいろありそうだ。

話がアチコチに飛んだが、突飛な話、素人の話、門外漢の話にこそ、局面打開のヒントがあるのも事実。

どうせ納めるのなら、どうせ取られるのなら少しは楽しい気分になりたいもの。それが人間の素直な心だろう。

「150億円で遊んじゃったアノ人」の話から随分と飛躍してしまった。

2011年4月20日水曜日

義援金でトクをする?

高額な義援金を拠出する人は、どう逆立ちしたって、それをしない人より褒められて当然。それ自体は間違いないのだが、金額を自ら発表する風潮は、何かしっくりこない。モヤモヤする。ひがみ根性だろうか・・。

まあ、そんな綺麗事を言っても仕方ない。経営者であれば企業のイメージアップを考えるし、人気商売の人は、当然、その行為をアピールしたいだろう。

もちろん、そうした報道に触発された第三者がせっせと義援金を出すつもりになれば、「発表ブーム」もあながちムダではない。

韓国人は、WBCで敵役になったマリナーズ・イチロー選手を批判したらしい。理由は、韓国同胞の「冬ソナのペ」が出した義援金とイチローのそれが同水準だったからだという。バカみたいな話。

金額の公表は、逆に「それっぽっち?」とか言われかねないから、有名人の方々もお気の毒。つくづく一般人で良かった思う。

さてさて、高額な義援金を出す場合、当人は当然テクニカルな面が関心事になる。すなわち、義援金を出すことで、どういう効果が得られるのかということ。

イメージアップといった観念的なものではなく、いくら節税が出来るのか、自分の税金はどのぐらい戻ってくるのかといった部分だ。


「そんな考えは不謹慎」という声もありそうだが、それこそが綺麗事だろう。高額な支出の裏にまったく思惑がないというケースは奇跡に近い話だと思う。

だいたい高額な出費をただ漫然とアト先考えずに支出するのは天文学的なお金持ちぐらい。そういう次元のお金持ちは一般社会では見かけないから、その手の偉人を尺度に考えても仕方がない。

わが社が発行する新聞は、震災関連の現象面を追う一般メディアとは異なり、こうしたオモテに出てこないテーマにもスポットをあててアレコレ取材している。

表層的な事実を浪花節調に取り上げるよりも、その背景にある問題点や意外な経済的影響を随時掲載している。

わが社でも取材班を被災地入りさせたし、支援チームが飲料水を持参して、被害甚大地に直接届け、現地の生の声を聞き取った上で、義援金の支出先を慎重に検討している。

闇雲に義援金を送って、それが東京電力が本来補償するはずの所に配分されては堪ったものではないし、現地の声に最大限配慮することが大切な取組みだと思っている。

そういうサポートに向けた意識と、被災地以外で求められている情報とは別個であり、編集制作上は、そのあたりの機微を考えながら、実情に応じた紙面作りを展開中だ。

義援金については、寄付金控除との絡み、ふるさと納税制度を利用した場合のメリット、借金してまで支出する場合の税務上の効果、個人と会社の二つのサイフの使い分けによるアレコレ、経営する会社が行う寄付行為にともなう各種の効果など、記事で取り上げるパターンはさまざまだ。

経営者がそれなりの金額を拠出する際には、たとえどういう場面であっても、さまざまな角度から効果を検討する。

「はたしてこの義援金を払うことでどういう効果があるのか」。純粋な善意とともに必然的に脳裏をよぎるこうしたテーマを噛みくだいた記事にすることは専門メディアの役割だ。

現場記者からの報告によると、黒字体質の会社であれば、高額義援金を会社で支出することで、理論上、後継者へのバトンタッチの際に有利になる相続税対策まで実現できるようだ。

節税効果を発揮するテクニックを「不謹慎だ」と片付けるのは簡単だ。もっともらしく聞こえるが、否定ありきの必要はないと思う。

極論すれば、高額義援金の支出で大幅に節税が出来たのなら、浮いた分を更なる復興支援に向けることだって可能になる。

世の中には、壊滅した被災地に取引先があったことに仮装して、インチキの貸倒れを計上しようと企むようなヤカラも存在する。

そうしたインチキは純粋に不謹慎だが、正当な手法で「効果」を追求する分には非難される必要はないと思う。

なんてったってそれだけの支出を現実にしている以上、その行いは尊い。

2011年3月25日金曜日

稲川淳二

「非情」なのか「実情」なのか。企業経営者である以上、自らの事業を棚に上げて震災に気を取られている人は皆無だろう。

特需という表現自体が不謹慎という指摘もあるだろうが、現実に経営者が考えていることは、震災関連需要をどう取り込むかという一点だ。

現に東北方面には、廃品、ガレキ撤去、葬祭関連、不動産関連の事業者が続々と集まっているそうだ。それが実情だ。

便乗悪徳商法でない限り、経済社会の中で出てくるこうした動きは責められるものではない。

テレビにしても、視聴率競争の勝者を目指すから、誰のためかサッパリ分からない報道を繰り返す。迫力の映像、単なるお涙頂戴に走る情緒的報道を理念もないまま垂れ流す。

インタビュアーもバカばかり。ちょっと考えれば「どんなお気持ちですか」という質問を投げかけることはないはずだ。家や家族を失った人にそれを聞いてどうするんだ。どんな答えを聞きたいのか。

情報過疎状態になっている人にとって何が必要な情報なのか。誰に向けたニュースなのか、まったく曖昧なままだ。

話がそれた。今日、書こうと思ったのは商魂みたいなテーマだった。

この夏、電力不足でメロメロになる首都圏。早くも特需を狙う動きが活発化しているそうだ。

私ももちろん、冷房に馴れきった都会人の一人だ。毎年、震えるぐらい寒くなるまでクーラーを付けていた。「クーラーの無い東京の真夏」を思うだけで滅入るし、自然と何が必要かが頭をよぎる。

乾電池式の卓上扇風機、ウチワ、扇子、冷氷効果のあるウェットティッシュみたいなやつや氷嚢、氷枕あたりはすぐに思い浮かぶ。細かいものばかりだがみんな品切れ続出状態になるのだろう。

自販機も電気不足で頼りないから、氷で冷やした縁日の出店スタイルの飲料販売はアチコチに出没するはず。

かき氷、小型のビニールプール。こんなものも大ブレイクだ。かき氷は屋台のほか、リヤカーでの移動業者も出てくるだろう。風鈴を売り歩く屋台も増えそうだ。

なんか毎日が昭和の縁日みたいだ。

ラーメンブームも冷やし中華ブームに取って代わり、氷の上に麺を載っけるようなベタなスペシャル冷やし中華の店が人気になる。きっと。

簡単に膨らむ30センチ四方ぐらいの「オフィス用足元簡易プール」とかを作ったら大売れするかもしれない。仕事中、デスクで足だけ水につけておけば、相当涼しいだろう。タバコを吸いにムダに席を外すことも減って仕事の効率もアップだ。マジメに商品化を考えようか。

保冷車にテーブルと椅子をセットした「移動式クーラー会議室レンタル」なんて珍商売も出てくるかもしれない。クーラーはクルマが頼りとなれば、またまたガソリン買い占めが社会問題になる可能性もある。

蒸れる下着よりもフンドシが復権するかもしれないし、薄着の女性を狙った痴漢が増えるから、痴漢撃退グッズも品薄になるかもしれない。

涼しくなりたいから怪談話も大ハヤリで、稲川淳二が引っ張りだこになって、織田無道あたりも再起を果たすのだろうか。

男女のまぐわいも暑さでゲンナリだから、若い男がますます草食化し、われわれオッサンにとっては、喜ばしい現象につながる。

今日は威勢良く書き出してみたが、結局、自分の発想の貧困さと、商才や商魂の無さを痛感する内容になってしまった。

2011年3月9日水曜日

退屈な屁理屈

「お金がない」。

中小企業の多くが実感し、その苦しさにあえいでいる。銀行の貸し渋りは相変わらず厳しい状態で、急場しのぎに有難がられていたノンバンク系もグレー金利問題で絶滅状態。

いま我が国では、開業数より廃業数が上回る状態が当然のパターンになっている。確かに身近なところでも破産や廃業を頻繁に耳にするようになった。

「お金がない」、「お金が足りない」。ケタ違いではあるが、まったく同じ状態にあるのが国の財政そのもの。

国民が政権を選ぶ基準にした「基本的約束」であるマニフェストですら財源不足で簡単にホゴにされる始末。

お金がないならどうすべきか。答えはひとつ。ケチケチ節約するしかない。新たな収入が見込めないなら支出を削る以外に方法はない。ごく単純な話。

国の財布だって同じ。とはいえ、あれこれと難しい理屈をこねくりまわして予算削減に抵抗する勢力があるのも世の常。

中国へのODA(政府開発援助)をめぐる外務省の姿勢などはその典型だろう。外務大臣が大幅削減を指示したが、外務省は「重要な外交カード」という建前でODA削減に否定的。「予算獲得こそ命、予算獲得だけが仕事」という役人根性はここでも根強い。

いうまでもなく中国は大国中の大国だ。GDPでわが国を上回り、南米やアフリカの途上国に自ら支援を実施しているほど。

援助されている国のくせして他の国に援助しているわけだから、もはや笑い話。ついでに言えば有人宇宙飛行計画まで進めている。「宇宙に進出する開発途上国」ってありえない話だ。

外交カードだとか難しい理屈は、何となくそれっぽく聞こえるが、あくまでも常識で考えるべきだろう。もっと優先されるべき援助対象はいくらでもある。

ODAとひとくちに言っても無償資金供与だけでなく円借款という名の貸付金のウェイトも大きい。この円借款について、かつて“親中派の左巻き”与党代議士からこんなことを言われた経験がある。

「貸しているだけ。くれてやったわけではない」。

そんな屁理屈で中国向けODAを擁護しているわけだが、これってどうだろう。経営に携わって資金繰りに奔走した経験があれば「お金を借りる」ことがどれほどシビアなことか痛感するはずだ。

借りることの大変さは中小企業経営者なら誰もが切実な問題として受け止めている。高い利息がつこうが、貸してもらうだけで立派な援助であり、そのために必死に頭を下げて努力する。それが普通の人の普通の感覚だ。

「センセイと呼ばれるほどアホじゃなし」。こんな言葉を思い出す。巨額な資金、それも国民から集めた税金をジャブジャブ貸付ける行為がどれだけ尊いかがまるで分からないのだろう。

別件だが、先日、「エラくなった元クラリオンガール」ことレンホー大臣が気になる発言をしていた。都知事選に出馬したワタミ創業者が主張している「経営感覚」について、「利益追求が目的の経営と政治は違う」などともっともらしく息巻いていた。

これもまた屁理屈だろう。申し訳ないけどペケペケだ。利益追求的発想って結局はコスト意識だ。こんな大事な視点がないままで国家や自治体が運営されてきたから、いまの大借金状態につながった。

元クラリオンガールは、昨年の事業仕分けで「二番じゃダメなんですか」と迷言をブッ放して失笑を買った。今度の都知事選出馬が取り沙汰されていたが、情勢分析では「到底勝ち目ナシ」だという。そりゃそうだろう。

都知事選で負けた後で「二番じゃダメですか」では喜劇にもならない。

ずいぶん話が飛んでしまった。

対中国ODAだ。あくまで素人でも分かる方向に転換すべきであり、それこそが民主党が口を酸っぱくして主張する政治主導だと思う。

2010年12月13日月曜日

ノスタルジックな抵抗感

今日のタイトルは、なんとなくロマンチック?な響きだが、いま私を悩ませているテーマだ。いや、大げさに言えば日本中がこんな感覚に陥っているような気がする。

ソフトバンクの孫さんが雑誌のインタビューで語っていたが、国を挙げて電子系、IT系分野への注力に邁進しなければならないことが明確なのに、因習にとらわれて物事が進まないのが現状の閉そく感の根底にあるのだろう。

明治維新後、工業立国を目指して重厚長大産業の育成に努力したわが国は、なんとか現在のポジションを得るに至った。時代の大転換の渦に巻き込まれて、今からは想像も出来ない葛藤や軋轢だらけで時代が作られてきたわけだ。

「龍馬伝」とか「坂の上の雲」でNHKがさんざん流しているあの時代の空気は、実際に凄まじかったんだろう。多分、大多数の人が漠然とした不安、恐怖、そして抵抗感を感じていたはずだ。

急激な路線転換にニコニコついていける人は単なるバカか偉人のどちらかなのかも知れない。

農業保護の重要性はコメが大好きな私にとっても切実な問題だが、そうはいっても国の政策遂行という枠における優先順位とは別な次元だと思う。

学校教育現場でも教科書の内容など昔と変わらず農業的視点の素材が目立つらしい。一方で先進技術、電子立国に向けた人材育成につながるような戦略的な取組みは遅々として進んでいないという指摘もある。

情報格差で国力はもちろん、人々の生活レベルの優劣が決まってしまう時代だけに思い切った舵取りは待ったなしに必要なはずだ。

なんか大げさな話になってしまった。

私自身の「ノスタルジックな抵抗感」が今日のテーマだった。

新聞事業、紙媒体を軸としている仕事をしている以上、時代の急激な変化は物凄く恐いことである。

端的に言って斜陽産業に携わっているわけだから、四の五の屁理屈をこねているうちに会社自体が無くなってしまっても不思議ではない。

いま、天下の大新聞社でさえ、赤字が当然の構造不況だ。黒字が出ていても、しょせん不動産関連収入で本業の赤字をごまかしているようなパターンが主流だ。

こんな事態を10年前に切実感を持って感じていた人は少ない。大きなうねりの渦中にあることを実感する。

わが社でも現在、アレコレと生き残り策を模索中だが、現状の嘆かわしい低迷状態も思い返せば「ノスタルジックな抵抗感」が原因にあることは確かだ。

主力商品しかり主力部門しかり、長く続けている会社であればあるほどそのイメージは硬直化する。主力だと思っていたものが冷静に見ると足を引っ張る存在になっていることなど珍しくない。

コスト削減も同じ理由で遅れる。看板事業だから、長年の慣習だから、長い付き合いだから・・。さまざまな浪花節的要素が決断を遅らせる。

わが社でも最近、何十年単位で付き合いのある取引先をいくつも変えた。ただ、変える決定を下すまでの逡巡の時間が大いなるムダを垂れ流していたことも事実。

これまで実行してきたコスト削減策を見返すと、当然効果は確実に出ている。ただ、同時に実感するのが「すべて手を付けるのが遅かった」という後悔。

同様の改善策を2~3年早く実行していればどれだけ今が楽だったか、つくづく思い知らされる。

後手後手に回ってきた理由は単純に「ノスタルジックな抵抗感」にあるのだろう。私自身、社内の組織変更やリストラなどを検討する際、つい自分の歩んできた“畑”に関しては思考停止に陥ってしまうことがある。

その事業部門の現場責任者ならともかく、全体像をトータルに俯瞰できないようなら経営者失格だ。おセンチな感傷みたいな気分で転換を避けたら会社やその仕事自身がホントに無くなってしまいかねない。

なんだか自分に一生懸命言い聞かせているのか、単なるグチなのか分からなくなってしまった。

2010年12月10日金曜日

銀行と豚

最近イライラすることが多い。こんなご時勢だから仕方ないが、いろいろと思うようにいかない。

私をイラつかせる原因は様々だ。好意を寄せる女性に上手にあしらわれたり、体重が減らないとか、タバコがやめられないとか結構いっぱいある。

強制的に目に飛び込んでくる「壇れい」のCMにもイライラする。

そういう問題以外に最近私が憂鬱になるのが「銀行折衝」。ほんの5~6年ぐらい前までは無借金経営だったわが社も、ご多分にもれず、このところ銀行の世話になる場面がある。

財務担当役員も兼ねている私だが、長年の無借金経営のせいもあって、はっきり言って銀行折衝がヘタだ。なんかやりこめられている気がする。

銀行さんも商売だから、こっちの無茶が通るはずもないが、それにしても結構なご商売だと思う。

セーフティーネットとか緊急ナンタラ制度融資とか、不況のせいでメニューは増えたみたいだが、それによって守ってもらっているのは中小企業ではなく、銀行そのものなんだろうか。

まあグチっていても始まらない。なんとか業績を浮上させて、億単位の金を全部小銭にして銀行員様に取りに来てもらうように頑張ろうと思う。

某日、イライラついでに無性に腹が減ったので「トンカツ」を食べることにした。

とんがった神経をなだめるには揚げ物様の出番だ。いっぱい食べたかったので、無理やり会社の人間を同行させて揚げ物三昧だ。

銀座にある「平田牧場」で、さんざん飲み食いした。一品料理、つまみ類もいろいろあるが、何だかんだ言ってメニューが豚オンパレードなのが嬉しい。

メンチカツをつまみに飲む生ビールは最高だ。豚の味噌漬焼きをつまみに飲むハイボールも最高だ。そんな感じで若者みたいに飲んで食べる。

カキフライも頼む。揚げ物大会だ。ソーセージやベーコンもつまみにする。

結構ヘビーだ。豚豚しい感じ?だ。肉汁の宴とでも言おうか。何となく身体から脂がしみ出そうな勢いで脂を摂取する。

中年男だ。カサカサしても良くない。乾燥肌をかきむしって血だらけになるのもイヤだ。そんな屁理屈を言って脂分を過剰摂取。


その後、金華豚棒ヒレカツと特厚ロースカツを注文。上質な豚が絶妙な加減で揚がっている。満腹中枢を気絶させてムシャムシャ食べる。

不思議なもので、これだけ食べるとイライラがスーっと引いていく。すっかり上機嫌。胸焼け防止薬も飲んであったし、ニコニコと夜の散歩。

クラブ活動で単純明快にはしゃいでみる。漫才師並みに機関銃のようにしゃべりまくる。

何かを必死に叫んで諭して訴えていた。内容はすっかり忘れてしまった。

ストレス発散といきたいところだが、そんなことで発散されるようなストレスなんてストレスではない。

世間一般にストレス発散と表現されることは、しょせん「気晴らし」に過ぎない。

気晴らし完了、深夜に帰宅。ゼロカロリーコーラをがぶ飲みしてゲップをして素に戻る。

なんか最近揚げ物ばかり食べている。
胃腸の調子が絶好調なんだろう。このところ逆流性食道炎も暴れずに済んでいる。

胃腸が好調ならきっとストレスなんか無いのだろう。そう思い込んで踏ん張っていこうと思う。

2010年12月8日水曜日

賢者の言霊  社長のミカタ

世の中に溢れる経営者向けの説教的ビジネス書がどうも好きになれない。作っている人間が経営者でなければ、どうしたって「経営者目線」とは異なる仕上がりになる。

昨年、わが社が創刊した経営者向けの月刊紙は、その点に特に配慮をしながら編集作業にあたっている。

抽象的な精神論を力んで掲載するより、社長さんにとって有益で実践的な情報を提供するほうがとっつきやすいし、実際そうした内容に徹しているため、着々と発行部数は増加中。


タイトルは「社長のミカタ」。経営者にとっての“味方”でもあり、経営者独自の“見方”を掲載しているという趣旨だ。

経営者階層の方々からの直接購入の他、経営者をお客さんに持つ各業種の営業職の人々から顧客配布ツールとして利用してもらっている。

人気コーナーが「賢者の言霊」。著名経営者の金言をエピソードとして紹介する欄だが、このコーナーへの問い合せが結構な数に上っている。

先日も全国ネットの某ニュース番組から紹介したいという連絡を受けた。ダラダラと著名経営者の評伝を読まされるより、その人の発した生きた言葉こそが求められているのだと思う。

いくつか過去の掲載分を紹介したい。

●「慎重とは急ぐことなり」
ヤマハ発動機創業者・川上源一


●「1日にメシは4回食え。3回は食事で、1回は読書」
    日本ツーリスト創業者・馬場勇


●「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」
   阪急東宝グループ創業者・小林一三



それぞれ味わい深い言葉だと思う。経営者が現場に求めているものがすべて当てはまる。「大胆なスピード感」、「教養と知識」、「基本を疎かにしない地道な努力」。すべて大事な要素だろう。

これ以外に印象的だったのが日清食品創業者でカップラーメンの父と呼ばれた安藤百福氏の言葉だ。

●「遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない」

ごく当たり前のようでいて、その背景を知ると説得力が格段に違う。安藤氏はそれまで手がけてきた事業が46歳の時に破たん、それからわずか2年後、48歳の時に畑違いの即席メンを完成させたという。

その負けん気、バイタリティーは想像を絶する。ヤワな中年としてボンヤリ生きている私にとって実に刺激的だ。

中年になるとついつい何事に対しても分かったような顔をしてしまう。分別顔とでも言うのだろうか、自分自身の狭くて小さい感覚の中に閉じこもって固まってしまう。

ここで新鮮な発想と新鮮な心を持てるかが、中年以降の人生が盛り上がるか否かを決めるのだろう。

先日、漠然と暖めている新しい仕事について協議する機会があった。同じような構想を抱いている妙齢の女性を紹介してもらい、初対面にもかかわらず数時間にわたって考えを披露し合った。

その仕事、テーマとしては実は「エロ方面」だったのだが、大真面目に初対面の男女がケンケンゴウゴウと意見交換。端で見ていたら不可思議な光景だったかも知れない。

まだブレストの入口みたいな段階なのだが、そんな一歩ですら踏み出さなければ何も始まらない。それこそ遅すぎることはないし、自分の凝り固まった固定観念を打ち破るいい機会だと思う。

まあ、本業の大ピンチをさておき、そんな構想にかまけてばかりではいけない。それはそれ、これはこれでケジメをつけて邁進しないとなるまい。

そんな時、冒頭で紹介した『社長のミカタ』・「賢者の言霊」コーナーの最新掲載原稿が回ってきた。


●「社長と副社長の距離は、副社長と運転手の距離よりも遠い」
        元帝人社長・大屋晋三


自分の名刺の肩書きを「副社長」ではなく「“福”社長」にしようかとシャレで考えているようなフラチな私だ。

やっぱり最後の最後、後ろに誰もいない「社長」という重いポジションとは随分緊張感が違うのだろう。

反省しないといけない。

2010年11月29日月曜日

民主党のバカ

専門新聞社の編集局長という立場上、時には編集現場にストレートに紙面編成の指示を出す。先日伝達したのは、どうにもヘロヘロの民主党が打ち出した迷走政策への批判記事の企画だ。

~~~「ビンボー大好き国家を目指す民主党政権の愚!!」

富裕層をねぎらうより取りやすいところから取る発想しか出てこないお粗末な大衆オモネリ路線で国の税源はあっという間に枯渇する!!~~~

要はそういう内容の見出しに沿った記事を特集すべきだという打診というか指示だ。

来年度税制改正論議がヤマ場を迎えるなか、漫然とその論議を報道するより、大衆迎合メディアとは別な視点で大局観無き政策を批判すべきだろうと強く感じた次第だ。

少し専門的になるが、民主党が進めている税制改正のうち、個人の税金に関するものは、まさに増税一直線。とくに中堅・高所得者層への攻撃は想像以上に下品。

端的に言って、高所得者層を締め上げるより、そういう階層の人に積極的に消費や投資を促すほうが景気刺激には効果的。ごく自然なことだし、経済活動の牽引役として高所得者層をもっと上手にノセない手はない。

バカのひとつ覚えで、取りやすいところ取る発想しか出てこない今の状況は悲劇的だ。

民主党が声を枯らして言っていた「生活者目線」は「貧乏目線」でしかなく「国民の生活が第一」というフレーズも「貧乏暮らしが第一」と言っているように見える。

相続税の増税については「ピーク時より課税される人が減ったから」という摩訶不思議な理由が大義名分として使われている。バカなんじゃないだろうか。

ピーク時とはバブルの頃であり、その頃、相続税重税を苦にした自殺とかがあったりして都市の社会問題に発展したから減税をしたのであって、「課税される人を減らすため」に改正しただけの話。

その目的が達成されことを理由に今度は元に戻したいという理屈は一体なんなんだろう。

お粗末なのは給与所得控除の上限導入だろう。企業勤めをしている人は社長から新入社員まで「給与所得者」だが、所得税を計算するにあたって収入に応じた一定の控除額がある。

「みなし必要経費」みたいな考え方だが、高収入を得るような人は当然、低収入の人より控除額が多いのは当然の話。それを年収2千万円で打ち止めにしましょうという話。

一説によるとそのラインを超える給与所得者は全体の数パーセント、18万人程度だとか。そこを増税して一体どれだけの財源が出てくるのか大いに疑問だ。

単なるイヤガラセ。稼ぐことは悪ですよと国家が宣告しているお粗末な話。

給与所得控除の上限導入は、極論すれば、収入2千万円を超える人だけは違う税制を適用しますと言っているようなもの。税率5%の消費税を高収入の人は10%にしますと言われるのと変わらない。

企業経営者などある程度自分の給与収入をコントロールできる人ならどうするか。結局、自分の収入を2千万円以下に抑えて、抑えた分は奥さんを専務かなんかに据えて、そっちで支出するみたいな“調整”をするだけの話。

もしくは、表面上の給与収入は抑えて、会社経費での消費活動を増やすことになる。

いずれにせよ、高収入を得るような人物がそうした後ろ向きな作業や知恵出しにせっせと励むような非常に非生産的な空気が蔓延することは間違いない。

中途半端な富裕層ではないスーパーリッチはますます海外に拠点を移して、結果、納税階層の空洞化だって現実的になる。

笑っちゃうのは、普段は「金持ち優遇」を徹底批判することが大原則の一般メディアまでもが「金持ちイジメ」というフレーズを使っていること。

“ブルジョワ鳩山”を“豪腕小沢”を前面に出して政権を取っておきながら、二人を追っ払ったあとは“お里が知れる”旧社会党系勢力が大ハッスル。

民主党政権の実態は、しょせん「金持ちは憎い敵、みんな平等に貧乏暮らしを楽しもう」という路線だ。

つくづくおぞましい。

2010年8月23日月曜日

社長室あれこれ

「社長室」のイメージってどんな感じだろう?。中小零細企業から大企業まで企業規模で違うが、当然、社長個人の趣味や嗜好が反映されていることが多い。

役所の中の大臣室とか次官室、長官室ともなれば、一見、立派なスペースだが、頻繁に主が交代するため、その人個人の個性はあまり見あたらない。

民間企業のオーナー社長ともなれば、オンとオフの切り替えなんてないわけで、24時間が“社長”であり、同時に24時間が“私人”だ。だから社長室も個性豊かなことが多い。

若い頃、わが社の新聞でオーナー経営者のインタビュー記事を担当したことがある。20回ぐらいの連載だったので、いろいろな「社長室」を取材にかこつけて見ることができた。

それこそ全面赤じゅうたんの広~い部屋、お茶を持ってくる女性がうやうやしくひざまずくような貴族趣味のところから、道具や書類に埋まって足の踏み場もないような下町の技術系社長室もあった。

仕事してる雰囲気が全然感じられないゴルフ用品しか目に入らなかった趣味人社長室とか、数千冊はありそうなほど部屋の全体が本棚に囲まれている社長室もあった。

某チェーンストア業界の重鎮社長の部屋も印象的だった。まさしく社長用という感じの立派な事務机と椅子があるにもかかわらず、社長さんは、常時床に直に座って書き物をしたり、書類をめくっている。

靴を脱ぐ部屋なので床に座るのもおかしくはないのだが、高価そうなソファセットも荷物置き場と化している。使っている形跡がない。

事務机やソファを上目遣いに眺めながら、私も床にアグラをかいて社長さんにインタビューした。なんとなく畳の上で談笑しているような不思議な感覚だった。日本人の本来の姿はそっちが正しいのかもしれない。

とかく、オーナー企業の社長さんは、巷で公私混同的な要素を批判される。公私混同ぐらいなければ誰が中小企業の社長なんか引き受けるのかという真っ当な反論もある。

程度問題ではあるが、オーナー社長ともなれば「会社イコール自分」という自負が強い。創業者であれば尚更で、公私混同をしている感覚自体が薄いのだろう。

「仕事に関係のないものは会社の経費では買えませんよ」などと言われても、すべてが「仕事を充実させるために必要だ」と本気で思うわけだ。

社長というポジション以外の人からは不自然に映るのだろう。だから、税務署とモメる。公務員である税務職員には理解できないだろう。

社長室に豪華な家具を置こうが、高級美術品を置こうが、はたまた、バーコーナーを作って高級酒を備蓄しようが、「業務用」として利用されるなら、会社のカネを使っても何も問題はない。ルールに乗っ取って、経費計上したり資産計上すれば済む話。

最新型のテレビやエアコンといった家電を購入しようが、立派な神棚を設置しようが、お気に入りの陶芸家に作らせた壷を置こうが、会社で利用するものは会社のカネで調達するのが普通だ。逆に会社で使うものを社長個人のお金で買う方が不自然だ。

30年ぐらい前になるが、まだ元気だった祖父が旅行先の台湾で突然、大理石の高価な円卓を衝動買いした。6~7人が囲める大きさの重厚な丸テーブル。値段も当然それなりに高い。

子ども心に「こんなもん、どこに置くのか?随分カネ遣いが荒いな・・」とか思ったのだが、日本に運搬されたそのテーブルは会社に運ばれ、会議室件役員応接室に設置された。

いわば、社長個人が立て替え購入した会社の「什器備品」を後日会社の費用で精算したという単純な仕組みだ。

そのテーブルは30年近く経ったいまも会議室で重厚に輝いている。そう考えると高い買い物ではなかったし、公私混同といったマト外れな批判を受けるものでもない。

決定や選択をする際に、社長が自分の趣味を押し通せるということが「公私混同」と批判されるのならまるでピンボケだ。でもイジイジした大衆目線にへつらったメディアは、そんな程度のことを色メガネで語りたがる。

業績不振で困っている会社なら、贅沢品を社長室用に購入することなどない。そのあたりの厳しさは役人なんかが考えているよりすっとシビアだ。

法人税を納めている企業が全体の3割程度になってしまったいま、キチンと税金を納めているような会社ならバンバン消費行動に励んでもらいたい。そういう会社がなければ経済の活性化などない。

そういう会社にはどんどん贅沢をしてもらいたい。ねたみや嫉妬で足を引っ張る風潮にはウンザリだ。結局、景気浮揚の邪魔になるだけ。

2010年6月9日水曜日

小久保、中内・・・。

古い話を蒸し返してファンの人には気の毒だが、1997年にプロ野球界の脱税汚染が世間を騒がせた。多くの選手が刑事訴追されて裁判で有罪になった。

代表格といわれたのが今だ現役で活躍するホークスの小久保選手。脱税コンサルタントに他の選手を紹介して謝礼まで受け取っていたこともあって事件の主役と目されていた。

執行猶予こそついたものの現役選手が刑事事件で有罪判決を受けるというのは異常事態。その昔の「黒い霧事件」では、刑事訴追までされなかった選手でも球界から永久追放処分されている。それに比べれば当時の小久保選手達にくだされた一定期間の出場停止処分は大甘処分として批判が多かった。

今日、このテーマを書き始めたのは、当時のダイエーホークスの中内正オーナー代行が先日、脱税で逮捕されたことがきっかけだ。

私の記憶が正しければ、中内氏は小久保の謝罪会見でも同席して怒った顔を見せていた。同じ大学出身と言うことで目をかけていた小久保選手の犯罪にショックを受けていたかのような印象がある。

10年以上が過ぎ、自分自身が脱税で逮捕というのはなんともシュールな話。ダイエー創業者・中内功氏からの贈与を認識しながら、借りた金のように見せかけて税金を免れたというのが報道されている内容だ。

税金の世界で仕事をしていると、今回の騒動が何かと気にかかる。逃亡や証拠隠滅の恐れがある場合に基本的に逮捕されるわけだが、贈与税とか相続税の脱税での逮捕という話はあまり聞いたことがない。

逮捕劇の裏に何があったのか気になる。本人があくまで借入金と言い張っていたのなら、どのような根拠で国税はその壁を崩したのだろう。

一部報道によると一部は実際に返済もしていたらしい。だとしたら、それを偽装とみなされた経緯はなんだったんだろう。

現在、わが社のベテラン記者が周辺事情を鋭意取材中だが、この時期にこんな話題がマスコミで取り沙汰されるのには何か特別な事情があるのかもしれない。

「贈与税の脱税」といえば、何と言っても鳩山前首相の“総額12億円にのぼるママからの資金提供”が思い浮かぶ。

月曜のブログでも書いたが、本人は修正申告して解決済みのつもりでも、最終の判断は国税や検察当局にかかっている。

有名人である中内氏の贈与税脱税が話題になれば、必然的に「じゃあ鳩山はどうなんだ?」という疑問は多くの国民が感じる。

ついでにいえば、「民間人は贈与税脱税でしょっ引くのに政治家はお咎めなしなのかい?」という声が少なからず出てくる。

捜査当局が前首相の問題をまったく取り上げるつもりがないなら、あえてそんな批判にさらされるリスクを負いたくないはず。

そう考えると、この時期の中内氏の逮捕劇には、捜査当局サイドの何かしらのメッセージが込められている可能性は否定できない。

ちょっと強引かもしれないが、うがった見方をすれば、そんな論法も成り立つ。

まあ、中内氏の場合、仮に事件の内容が悪質で意図的な脱税だとしたら金額も巨額であり、単純に「逮捕」はあり得る。当局への挑発的態度や抗戦モードが強かったのであれば見せしめ的な逮捕もあり得る。

はたして、事件にはどんな背景があるのだろう。近いうちにわが社の新聞でも特集する予定だ。

2010年4月26日月曜日

センチュリー

精華、神威、摩周、瑞雲。これが何を意味するかを知っている人は相当なマニアだろう。私自身、最近知った。

萌え系アニメのキャラクターにも聞こえるし、旅館の部屋の名前にも聞こえるが、この仰々しい名前はクルマのボディカラーのこと。

日本が誇る“スーパーカー”であるトヨタ・センチュリーの外装色の名称だ。なんか妙に力んだ感じが良い。

http://toyota.jp/century/index.html

ブリリアントシルバーとかドルフィンメタリックとかドイツ車の外装色の名称もお洒落だが、センチュリーは日本の工芸品だ。画数の多い重厚な漢字で色を表現するという発想はアリだろう。

あえて“スーパーカー”と表現したが、何十年変わらない不変のデザイン、専用のV12気筒エンジン、専門の職人が手仕上げする造作などを考えるとやはり普通ではない。

個人的にはちっとも欲しくない。どんなに素晴らしいエンジンだろうと、自分で乗り回すような感じではない。

ドライブという楽しげな言葉が最も似合わないクルマとも言える。高級車なのに見せびらかしたりしたくなる感じとも無縁だ。

なんだか誉めてるんだかケナしてるんだか分からなくなってきた。

純粋に誉めるために書き始めた。というか、センチュリーがある国の格好良さ、日本の矜持みたいなものへの共感だ。

一説によると高度なテクノロジーが投入されたエンジンをセンチュリー専用にしていること自体が、日本のプライドだとか。

レクサスなど海外マーケット向けのクルマに安易にこのエンジン載せない理由は、「アイツラにこんなスゲエエンジンを味合わせるこたあねえよ」といった意識があるんだとか。

本当だったらなかなか面白い。

純国産で完全に国内だけを意識しているから、車内のスイッチ類も表示は日本語ばかり。室内スペースも日本人の体型を意識して、あえてだだっ広くしていないらしい。

日本的という意味では、あの突出しない感じも特筆モノ。誰が見ても存在感は感じる。かといって目立つわけでもなく、同じクルマがアチラコチラで走っている。

ロースロイスやフルサイズアメ車のようなこれみよがしな押し出し感は皆無だ。道行く人が振り返って注目することもない。

「VIPが乗っていそうな大型高級車」というカテゴリーにおいて、ちっとも目立たないという現実は、ある意味日本人が昔から大事にしてきた美意識であり、見方を変えれば「粋」な世界を体現しているように思える。

わが社にもセンチュリーがあって、私もたまに利用する。外から見た印象ほど後部座席が広々という感じではない。

特徴的なのは座面の高さ。長時間乗っていると落ち着かない感じが強まる。変な話、くつろげない。凡人をくつろがせるような設計思想はこのクルマにはないのかもしれない。

ちゃんと座ってないといけない感じ。ふんぞり返って休息するのではなく、移動中もしっかり仕事だけを考えなさいといった雰囲気が漂う。

ある意味、極めて日本的だ。居ずまいを正す窮屈な茶室のような感覚なんだろうか。

考えてみれば、座面の高さは「やんごとなき方々」の需要を考えれば必然なんだろう。ぴしっとした姿勢で外に向かって会釈するにはあの座面と窓サイズの関係に意味があるのだろう。

センチュリーに乗せられて、ホゲホゲとくつろげる人は、きっとホンモノのVIPなんだろう。私にはくつろげない。あの空間でくつろげるような人間にならないといけないと改めて思う。

まあ、そんな特殊なクルマが作り続けられているのだから、やはり日本は風流な国だ。

2010年4月21日水曜日

チェイス 国税査察官

「チェイス~国税査察官」というドラマがNHKで始まった。以前に「ハゲタカ」でヒットを飛ばした硬派系のワクとでも言おうか、それなりに骨太の番組だ。

主役は江口洋介。その昔の映画デビュー作「湘南爆走族」での“怪演”を思うと、マルサの男をシリアスに演じている姿に時代の流れを感じる。おっと、話がそれた。

税金の世界って、とかく固い言葉が飛び交い難解で専門的なイメージがつきものだが、演出の仕方によっては、エンターテイメント要素がたっぷりだ。時たま今回のようにドラマ化されることがその証しだろう。

伊丹十三監督の「マルサの女」のせいで、いまやマルサという専門用語も一般的になった。本来、マルサは国税機構の中でも特殊な1セクションなのだが、現実の世間では「税務調査」全体を指す言葉として定着している。

高額で悪質な脱税だけを検察庁に刑事告発する役割がマルサの仕事。通常の税務調査とは性格が異なる。だから普通の税務調査体験を「ウチにマルサが来た時の話だけどさあ」などと分かったような表現をするとあらぬ誤解を生む。

マルサがターゲットにするのは、相当な悪(ワル)。狙われたらその大半が刑務所行きになっているのが現実。

「マルサが来た」イコール「刑事犯」。知ったかぶって使うと「私は悪質な守銭奴です」という意味になるのでご注意を。

今回のNHKドラマではマルサの「内偵班」が重要な役割だが、このセクションの徹底した隠密主義は、税金の世界では有名な話だ。

かつて、雑誌のグラビアでマルサが特集された際にも、職場風景のカット写真に写っていたのは広報課の職員ばかり。本物のマルサは内偵の際に顔バレしたら苦労が水の泡になるため顔出しNGを貫いていた。

ところで、マルサとは別の一般の税務調査でも世の社長さんにとっては対処が難しい。調査対象は過去の決算内容。法的には7年前の分までさかのぼれるが、実際の運営はケースバイケース。普通は3年前までがチェックされる。

ごくごく些細な間違いであれば、指導ということで、それ以後の経理処理の是正を要求されて済むこともあるし、同じ内容でも、しっかり修正申告を求められることもある。

全国の国税局、税務署では税務調査の段取りにバラツキが生じないように何かと内部のルール作りが行れているが、裁量が絡む場合、その指摘内容の深さに開きが出るのはある意味仕方のない話だ。

人間が行う以上、裁量の度合いに微妙な違いが出るものだが、この部分を詐欺師などのイカサマ連中が目をつける。

「ホントなら5年前までさかのぼって修正申告させられるはずだったのをオレの力で3年分で済ませてやった」。こんな感じだ。

こういう話はチマタでよく聞く「税務署に顔がきく」ななどと自慢げに語る人々から出てくる。このセリフ自体が胡散臭いと思った方がいい。ナントカ・コンサルタントなどの肩書きがあれば尚更怪しい。

もちろん、世の中には「税務署に顔がきく」人は大勢いる。国税局や税務署出身の、いわゆるOB税理士なんかは「顔がきく」という表現はウソではない。

ただ、「顔がきく」の意味は曖昧だ。元同僚、元部下がいるだけでも当てはまる。「顔がきく」イコール無理が通るとか税金が安くなるというイメージは短絡的だ。

いまの時代、知り合いがいる、いないで税額に差が出るというベタな話が実現するとは考えにくい。基本的にはそう考えて間違いない。

そうは言っても「顔がきく」「顔が広い」ことの効果は色々な局面で発揮される。どこかの後進国のように生々しい“ズブズブ・コネ行政”はさすがに珍しいだろうが、行政上のちょっとした“ヒダ”の部分では「顔がきく」意味は存在する。

まあ少なくてもハエや蚊のように頼みもしないのに寄って来て、さも税金が安くなるみたいな話をする連中の中にはホンモノはいない。

税務調査をめぐる微妙な話はキリがないので省略するが、その辺の事情が必要ならわが社の新聞がオススメです!

単純に宣伝になってしまった・・・。

2010年4月19日月曜日

1億円の役員報酬

1億円以上の報酬を得ている上場企業役員の氏名や金額が個人ごとに公表されることになった。金融庁が音頭をとった企業内容開示策の改正で今年3月決算から適用されれる。

導入をめぐってはプライバシー問題などを理由に反発した経済界に対して亀井金融相が噛みつくなどスッタモンダしていたが、結局金融庁サイドが押し切った格好だ。

日本取締役協会という組織が数年前に調査したデータでは日本の大企業経営者の報酬水準は、欧米に比べて低く抑えられていることが浮き彫りになった。

同調査によると、アメリカの売上規模1兆円超の企業経営者の場合、その報酬は約11億1千万円。欧州では約2億7千万円が平均。

これに対し、わが国のトップ企業の経営者の平均報酬は約8千万円。欧米が絶対とはいわないが、大手企業の経済活動の規模を考えれば、決して高い水準ではない。

高い安いの基準をどこに置くかで見方は変わるが、社会的要請や公共的使命なども押しつけられるわが国トップ企業の経営者の年俸がベラボーだとはいえないだろう。

わが国の場合、報酬を決定する基盤は、いわゆる日本型サラリーマンの姿がベースだ。新卒で仲間入りして終身雇用や年功序列を前提とした組織生活を送り、勝ち抜きレースに残ったものがトップの地位に座る。

大雑把に表現すれば予定調和の中で緩やかな上昇カーブを描く感じだ。あくまで従業員の延長線上に経営者があるという考え方。

これ以外に、役員賞与や長期インセンティブ報酬などに関する税務上の扱いも影響している。これらは一定の要件を満たせば、企業の損金にできるが、それなりに経費化ヘのハードルは高く、相対的に経営者報酬を低く抑えることと無関係ではない。

極端にいえば、現状の税制が頑張って稼ぐことを悪とみなしているような仕組みであるため、欧米型の超高額報酬が出にくいわけだ。

今回の「1億円」基準も「ねたみ、そねみ」ばかりが話題になりそうだ。対象になる経営者達には堂々と胸をはって高額報酬を自慢して欲しいものだが、日本人的謙譲の美徳のせいで、なぜだか申し訳なさそうな顔でメディアを避ける姿が想像できる。

また、1億円基準で氏名が公表されるのを嫌って、フリンジベネフィットに重きを置く動きが強まることも予想される。

フリンジベネフィットは、いわば「報酬以外の役得部分」。陰の給料とでも表現した方が分かりやすいかも知れないが、社用車、社宅、交際費などなど、会社マネーを使った経営者独自の「経済的利益」の部分だ。

たとえば年俸3千万円のサラリーマンと年俸1200万円のオーナー経営者を比較すると、表面上は前者がリッチだといえるが、その実態は異なる。

リッチサラリーマンは、住宅ローンにあえぎ、クルマの月賦にも追われ、奥さんは専業主婦なら収入ゼロ。

オーナー経営者は、会社コストで住宅や自動車が用意され、奥さんは専務として夫を支えながら然るべき役員報酬を得ている。

こうやって比べると実際の可処分所得は、サラリーマンの方が断然少ない。

日本の経営者報酬が海外より安いと言っても、説明したようなフリンジベネフィット次第で、実際の待遇は大きく変わるわけだ。

今回、1億円基準を設けたにしても、そこに顔を出す経営者より基準以下の経営者のほうが遙かにリッチというケースはいくらでもあるわけだ。

結局、鳴り物入りで導入される1億円基準はその程度のものでしかない。オーナー経営者の財務的実態がピンとこない役人の発想だろう。単なるノゾキ趣味。

喜ぶのは金持ちを探しているドロボーとか誘拐犯ぐらいだったりして・・。

2010年3月29日月曜日

リゾートマンション

リゾートマンションがあぶれてるらしい。中古物件はかなりの値崩れ状態とのことで、購入希望者にとっては今が買い時みたいだ。

サウナ好き、温泉好きの私もインターネットでちょこっと調べてみた。正直、結構ビックリ。思ったよりも安い値段で結構な物件がゴロゴロ出てくる。私が無知だったのだろうか。

国産の高級車を買うぐらいの予算で、温泉大浴場にサウナが付いたそこそこの広さの物件が見つかる。メルセデスの新車程度の予算があれば随分選択肢が広がる。

若い頃伊豆方面に水中撮影によく出かけた。週末基地としてダイバー仲間とリゾートマンションの共同購入を考えたのだが、結構高くて断念した記憶がある。

私が金持ちになったのか、物件価格が崩壊状態なのか。多分後者だと思う。宝くじに当たらなくてもローンでも組めばあっさり買えそうだ。

熱海あたりなら新幹線で東京駅から40分ぐらいで着いてしまう。平日だってブラッと行ける。真剣に考えてみようか。

真剣に考えてみると、物件価格はともかく、管理費やナンチャラ積立金とかが結構バカにならない。設備のよい物件ほど高い。毎月の固定費として見逃せないコストだ。

物件価格だけなら堅実なサラリーマンだって充分に手が届くが、毎月の固定費がネックになって簡単に流通しないのだろう。

結局、買えるのは「もうひとつの財布」を持つオーナー経営者という理屈になる。「もうひとつの財布」、つまりは会社の資金だ。

会社の名義で購入する福利厚生用施設であれば、当然、毎月の固定費だって会社の経費だ。利益の出ている会社であれば、痛くない出費だ。

税務署的な目線では、リゾートマンションを会社の施設として資産計上・経費処理する場合、あくまで役員・従業員を問わず利用できる施設かどうかが問われることになる。

そうは言っても、税務調査官が実際に現場を確認に行くことは考えられないし、中古リゾートマンション程度の資産購入に目くじらを立てて執拗なチェックがあるとも考えにくい。

対税務署的安全策としては、福利厚生施設の利用規程やマニュアルなんかを社内に整備しておくことが一般的だ。そのほか、社長専用ではないという社内利用状況が分かるような資料を“作成”しておくようにと指導する税理士も多い。


なんだかんだいって世の中の消費行動における絶対的な存在が「もうひとつの財布」を持つオーナー系企業の経営者だ。

リゾートマンションをはじめとする不動産しかり、メルセデスあたりの高級車しかり、ゴルフ会員権しかり。高級料亭とかの費用だってポケットマネーというパターンは考えにくい。

一方、不動産や高級車を売りたがる側のセールスマンはこのあたりの常識が今ひとつ認識しきれていないキライがある。

年収3千万円の勤め人と、年収1千万円でも代々続く安定したオーナー系企業の経営者では、ほぼ例外なく後者のほうが大胆な消費行動がとれる。

中古リゾートマンションを一生懸命販売しようとしている業者の宣伝を見ながら、このあたりのピントのズレが目に付いた。こうした機微が分からないと中々物件は捌けないだろう。

それにしても、温泉露天風呂、サウナ付きの熱海のリゾートマンション、本当に気になる。どうしたもんだろう。

2010年3月5日金曜日

クルマ・ヒエラルキー

政治力学によるパフォーマンスにしか見えない米中によるトヨタバッシング。嵐が去るのをじっと待つしかないのだろう。

ということで今日はクルマの話題を書く。

旅先や出張先でレンタカーを利用することが多い。たいてい小回りのきく1500~1800㏄クラスを選ぶ。このクラスも昔に比べれば随分ガッチリ感が増した。高速を飛ばしても恐くない程度には進化している。

とはいっても、この手のクルマに乗っていると、やはり厳然たる車社会のヒエラルキーを痛感する。追い越しや割り込みなどの場面で、高級車から虫けらのように扱われる。

技術の進歩によって小型車の安全性も上昇しているが、真の安全性はそういう物理的なものとは別次元だと思う。

ムリな追い越しや割り込みをされないような雰囲気を漂わしていることこそが最高の安全策。やはり、しみったれたクルマは危険だ。「車格」はつくづく大事。

だからメルセデスの安全性には説得力がある。私だって小ベンツはともかく、Sクラスをあおったりはしない。無意識に線引きをする。

私のようなマニアではない人間にとって、クルマは結局のところ面構えがすべてなのかもしれない。

私もその昔はクルマ好きだったのだが、30代後半ぐらいから随分と冷めてきた。きっと飲酒量の増加と関係があるのだろう。昔と違ってクルマと酒は両立できなくなってしまった(本来それが当たり前だ!)。

新車、中古車あわせて相当の数のクルマに乗ってきた。長く持ってしまうと下取りの関係で損なので頻繁に変えていた時期もある。

国産はもちろん、ドイツ車、イギリス車、アメ車、イタ車・・・、思えば凄い数のクルマに乗ったような気がする。

セダンにクーペ、ワゴンにオープンカーに四駆・・・、何でもありだった。今ではあまり強いこだわりはないのだが、最近の高級車市場の傾向はちょっと興味深い。

エレガントなクルマ、スポーティーなクルマといえば2ドアが普通だったが、最近は事情が一変。セダンのプレステージ感にクーペのエレガントさをミックスした高級車が続々登場している。

きっかけはメルセデスのCLSシリーズの成功だ。Eクラスじゃ中途半端、かといってSクラスもジジくさいという人々に圧倒的な支持を得たCLSは確かに独特のデザイン。いい感じだ。

BMWも次期8シリーズとして色っぽい4ドアクーペを出すみたいだし、アウディも今年登場予定のA7がその路線だ。

各メーカーが次々にSUVを市場に投入したのと似たような状況だ。SUVといえば、その昔は一種のオタクのシンボルだった“四駆”が発展したもの。ポルシェですらカイエンを投入して大当たりした。

その昔“四駆小僧”だった私も、5年ぐらい前にカイエンに乗っていた時期があったが、あまり好きになれずにすぐに手放してしまった。「四駆なのにエレガントで速い」ことがちょっと不気味だった。

最近の「スポーティー4ドアクーペ」なら私が感じた不気味な感じはない。単純にカッコイイ。そうはいっても運転席の頭上あたりが大柄な人間には少し窮屈なんだろうか。

4ドアクーペの中でもデザイン的に抜きんでているのがアストンマーチン・ラピード。無条件にセクシーだ。

http://www.asahi.com/car/newcar/TKY201002050178.html

10年ぐらい前、ジャガーのXK8に魅せられ、しばし愛用していたことがある。アストンマーチンと同じデザインの系統だったのだが、その後継車が4ドア化したわけだから気になる存在。いつかは手に入れてみたいと思う。でも高い・・・。

そういえばポルシェ初の4ドア車であるパナメーラというのもある。個人的にはあの顔が好きじゃないのだが、売れてるのだろうか。

ちなみにランボルギーニまでもが4ドア市場に参入するらしい。いにしえのスーパーカーブームを記憶している人間にとってはビックリ仰天ではある。

http://www.goo-net.com/goo_news/news_category9/n_number993.html

さてさて、高級車といえば日本の制度・慣例上、個人名義よりも会社名義で購入されるケースが多い。メルセデスのSクラスなど大半が法人所有だ。

社用車の世界で昔からポイントになっているのが税務署の視線。高価すぎるとか、個人の趣味嗜好が強すぎるクルマだと会社名義での経費処理にイチャモンがつくのではという危惧は少なくない。

大原則は、業務に必要で業務に利用しているのかという点に尽きるのだが、これも個別現実的に判断するしかない話。

まことしやかに囁かれているのが「2ドアはダメだ」とか「赤いクルマはマズい」みたいな話。

こうしたクルマだと社用車としての経費処理を否認されるという“伝説”があるのだが、税法上も通達上もそんな規定は存在しない。

あくまで目立つようなクルマだと税務署に目を付けられやすいという一般常識が飛び火したような表現だ。

逆説的にいえば「4ドアなら問題なし」という単純な理屈になってしまう。まあそれならそれで先ほど紹介したランボルギーニだって立派な4ドアだ。税務署が社用車としてお墨付きを与えたクルマという屁理屈が成り立ってしまう。

それもそれで妙な話だ。ちなみに税務署的視線が良く分かる経営者向きの専門新聞はコチラです。

2010年1月21日木曜日

公私混同

オーナー経営者の感覚は、それ以外の人にはなかなか理解されにくい。会社のお金にしろ、個人的なお金にしろ消費活動には一種独特の感性がつきもの。

先日、独立したての経営者と色々話をする機会があった。まさにオーナー初心者なので、「経費」の概念がよく分かっていない。

「会社のカネで車なんか買ってもいいんですか?」、「会社のカネで人間ドックやってもいいんですか?」。たとえて言うならそんな感じ。

勤め人感覚だと仕方ないのだろうが、車に限らず、家だって会社で買っても何も問題ない。社宅に関する税務上の規定がアレコレ用意されている以上、逆に安心だ。

経営判断として、そういう投資行動が可能ならどんどん実行すればいい。

オーナー企業では、経営者の「公私混同」がとかく問題にされがちだ。創業オーナー社長などは、もともと会社も自分も一心同体。感覚的に区別をつけられないのも無理はない。

オーナー経営者ではないジャンルの人から見れば、公私混同は単純に「悪」と映るのだろうが、そんな簡単な話ではない。

税金の専門紙、それもオーナー経営者側の目線を意識して編集しているわが社の紙面で、その昔、画期的な特集を組んだことがあった。ズバリ「公私混同こそ中小企業のパワー」。

税務署からすれば、目を剥きそうなタイトルだが、かなりの数の賛同の声が寄せられた。個人保証がつきものであり、まさに命というリスクまで背負わされているオーナー経営者の実像だ。

西欧諸国と違って、儲かっていても慣習的に破格の役員報酬を取ることが少なかった日本の経営者は、いわゆるフリンジベネフィットと呼ばれる「会社経費での経済的利益」を厚くしていった経緯がある。

新入社員と比べてたかだか5倍程度の年収で、すべてのリスクを負っている経営者は珍しくない。考えてみれば変な話ではある。

近頃やたらと勤め人保護の思想が手厚くなってきた労働関係法規にしても、経営者はカヤの外だし、いざというときのリスクの大きさを考えると従業員と年収を比較すること自体がナンセンスだろう。

必然的にゴルフとか車は社用が前提になり、福利厚生施設としての別荘だとか社長交際費だとかが充実してくる。

当然、「経済的利益」に敏感な課税当局は、一連の社長関連費用に睨みをきかす。結果、税務上の細かい取扱いがアレコレ誕生することになった。

逆にいえば、税務上の規定等々に違反しない範囲であれば、公私混同的行為は当然の行為とみなされているという見方も出来る。

少なくとも、税務署側に抗弁できる客観的な論拠なり資料などの証拠があれば、公私混同と指摘されそうな経費処理であってもビクビクする必要はない。堂々と経費処理すれば良い。

今度の税制改正でもスッタモンダしていた「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入」という制度がある。内容は省くが、この文言だけでも差別的だ。言葉の字面を見るだけで、いかに課税サイドがオーナー経営者を色メガネで見ているかが分かる。

色メガネ規制がキッチリあるのならそれはそれで逆に分かりやすい。規制に抵触しない範囲の行為やそれ以外のことなら堂々としていればいいわけだ。

公私混同的経費については、わが社の新聞でも注意点とかポイントを特集することが多い。あくまで経営者的感覚の対極にいる税務職員を納得させるためにはそれなりの準備は大事。逆にポイントさえ抑えれば無用な紛争も避けられるわけだ。

経営者向けの雑誌とか新聞は数多い。もっともらしい企画が満載だが、会社の財布と個人の財布という「二つの財布」の使い分けとか勘どころを掘り下げた企画を見ることは無い。担当編集者の目線が経営者的でない以上、当然そういう角度の媒体を作ることは出来ないわけだ。

富裕層向けのメディアも同様。高級嗜好品の消費行動を煽るような企画が満載だが、その根源である経営者の「二つの財布」までは発想が及んでいない。

5千万円の高級車を前にして、オーナー経営者が考えることは、「今期の減価償却はいくらになるのか、それによって節税効果がどのくらいなのか」。意外にそんな観点だけで決済するか否かを決めている。

2010年1月14日木曜日

マイレージ問題

「マイレージサービスは継続するらしい」。日本航空の倒産に絡んで私の関心はその一点だ。株主でもないし、今は付き合ってるコもいない。だから私の問題はあくまで貯めているマイルの行方だ。

とはいっても、貯まっていたマイルは、昨年春に妻子がハワイに行く時にたくさん使ったし、暮れに私がバリ島に行った時も特典航空券に消えた。現時点ではあまり残っていない。

ただ、JALのマイル残高が少なくても、瞬時にマイルに移行できるクレジットカードのポイントが大量にあるので、その処理にちょっとだけ悩む。

いまどきのクレジットカードのポイントは複数の航空会社と提携関係にあるため、簡単にマイルに移行できる。JALにこだわる必要はないのだが、私の場合、JAL以外の航空会社のマイレージ会員登録を面倒がっていたせいで、移行する先がJALしかない。

せっかく貯まった大事なポイントを安易に倒産会社のマイレージサービスに移行させて良いものか悩む。急に何らかの制限がついたら困ってしまう。さっさとANAカードに申し込まねば。

きっとここ数日でANAマイレージ会員の新規登録数は過去最高のペースで増えているんだろう。当然といえば当然だ。

そういえば、ANAはとにかく怒り心頭らしい。JALがそうしてもらえるなら、自分達の借入金だって銀行はチャラにすべきという理屈だ。

そりゃそうだ。同業者の一方が優遇政策を受けるのは不公平という感覚は当たり前だろう。腹を立てて当然だ。

もっとも、怒ってるのはANAだけではない。高いリスクを負って企業経営に努めるオーナー経営者達にとっても噴飯ものだ。

JALの経営陣は退任するだけで個人保証で破産するわけではない。減額されたとはいえ、企業年金が存続するんだからビックリだ。甘過ぎ。

もちろん、わけの分からない採算の合わない空港を日本中に作って不採算路線を増やし続けた政府の姿勢、アジアのハブ空港争いで無能ぶりを見せつけた国の航空戦略のお粗末さがJAL破綻の一因ではある。ほんの少しはJAL側にも言い分はあるのだろう。

まあそんな理屈はただの屁理屈ではある。ANAが黒字経営をしている以上、JALの放漫経営は重過失だ。そのツケが国民に回ってくるのは許し難い。

話がそれた。マイル問題だ。

その昔、アメックスのポイントを短期間で膨大に貯めたことがある。詳細は書けない部分もあるが、やりようによってはグングン貯まる。オーナー経営者にとってはポピュラーな話だろう。

当時、カード会社のポイントは無制限で航空会社のマイルに移行できた。今では年間移行制限枠が設けられているのだが、きっと私のような迷惑な客のせいでそうなったんだろう。

私の目的は、アメリカン航空のビジネスクラスでカリブの某島に行くこと。JALでは乗り継ぎが良くなかったのだが、JALとマイレージサービスで提携関係にあるアメリカン航空なら効率よく動ける。

アメックスカードのその他の特典を便利に使いこなしていた関係もあって、アメックスでポイントを貯めて、それをJALマイルに移行、そのうえでアメリカン航空の特典航空券に変えた。わらしべ長者みたいだ。

アメリカン航空に一度も乗ったことがなかったし、JALにも当時、あまり乗る機会がなかった。そんな私でも膨大な特典マイルをため込んで、悠々と快適にカリブ海の往復が可能だったわけだ

継続するにしても、今後、JALのマイレージサービスがどのように変化していくかは注意深くチェックしないとならない。

JAL問題に絡んで、もう一点気になるのが「株主優待券」だ。いまチケットショップにはJALの株主優待券が大量に持ち込まれているらしい。使えなくなる可能性があるのならタタキ売っちまえという感じだろう。

私も、国内旅行の際には株主優待券をフル活用する。日頃から株主優待券を安く手に入れたり、もらったりするようにしている。

1枚あれば片道普通運賃が半額になる。そんなことより、使い勝手がすこぶる良い。予約、購入は搭乗当日でもOKだ。例え1ヶ月前に予約しても、搭乗当日、空港に着いてから購入すれば良く、キャンセルしてもペナルティーはない。変更も自由自在。

思いつきでスケジュールを変えたくなる私のようなわがままな旅行者には最強のツールだ。上場廃止となれば、株主優待券がどうなっていくか微妙だ。少なくとも一般への流通という形は激減するだろう。

この部分でも、やはりANAにさっさと取り込まれておいたほうが得策だ。

もっと早くANAファンになっておけば良かった。