2012年6月4日月曜日

紫陽花のうた

6月だ。水無月のほかに、風待月、松風月といった風流な呼び方もあるらしい。

最近、月初めになると去年の今頃は何をしていたのだろうと振り返ることが多い。自分が少しは進歩したのか確かめたい気持ちがあるのだろう。

昨年の6月頃は、スカイツリー特需で騒々しくなる前の静かでシュールな浅草をぶらついたり、印象派の絵画展を見に行ったり、7月に出かけたフランス旅行の下調べに没頭したり、日々、幸福な時間を求めて過ごしていた。

今年の6月のことは、来年になったらどんな思い出になっているのだろうか。

さて、6月といえば紫陽花だろう。雨が香る季節には欠かせない存在だ。

季節を強く感じさせてくれる花といえば、初春の梅、盛春の桜、夏の向日葵、秋の金木犀などさまざまだが、梅雨時の紫陽花も魅力的だ。

小さな花の寄り集まりが絶妙な色彩のグラデーションとなって、淡い色合いの極めて日本的な美しさを見せる。

ひとつひとつの花は地味な存在だが、集まることで優雅な雰囲気を漂わす。

若い頃には見向きもしなかったが、大人になってからは切なげな美しさに惹かれる。

雨に打たれる姿があれほど似合う花は他に無い。雨に耐えながらも凛とした存在感を失わない。低い場所に咲いているけなげな感じもまたいい。

華やかなのに奥ゆかしい風情がある。女性だったら最高だ。そんな人には一生ついていきたい。いや、ついてこいと言ってみたい。

そうはいっても、なぜか紫陽花の花言葉は「移り気」とか「高慢」とか嬉しくないものばかり。そんな女性だったらイヤだ。

今日は風流に書き進もうと思ったのにどうしてそっちに行っちゃうんだろう・・・。

軌道修正。

紫陽花の名所といえば、鎌倉周辺だ。毎年のように行こう行こうと思っているのだが、実は一度も訪ねたことがない。

映画「寅さん」でいしだあゆみ演じる薄幸の美女とあじさい寺で待ち合わせをした寅さんが、照れ隠しに甥の満男を連れていってしまい、ムードをぶち壊すシーンがあった。やはり、あじさいの寺を訪ねるときは、太った女性より、痩せた女性と一緒の方が好ましい。

話が飛んだ。

風雅の人である私?としたことが鎌倉の紫陽花を見に行っていないのは実に情けない話だ。今年こそは、そぼ降る雨の中、人の少ない平日の夕方当たりに訪ねようと思う。

私が崇拝する浜田省吾に「紫陽花のうた」という名曲がある。もう15年ぐらい前に発表された曲だ。

当初は、さほど好きな楽曲ではなかったが、このところしょっちゅう口ずさんでいる。

はじめて聞いて以来、15回ほど紫陽花の季節がめぐってきた。それだけの時間が経てば自分の置かれた状況や思い、考え方も随分変化する。人生の中でもこの15年は特に大きな意味を持つ気がする。いろいろ凝縮されている。死期が迫った時に走馬灯のように思い出すのはこの15年の出来事が中心だろう。

「紫陽花のうた」に話を戻す。長い年月、特定の曲を聴き続けていると、ふとした時に身体に染みこむ時がある。歌の世界観にすぽっとはまる感覚とでも言おうか。

切ないメロディーライン、詩の世界が眼に浮かぶような情景描写それぞれが、6月の雨の日に聴くには最高だと思う。

もうすぐ還暦を迎えるハマショーには、年を重ねた男の切なさを歌った名曲がいくつもある。

「日はまた昇る」なんて、最晩年の男の歌にも聞こえるし、「花火」にいたっては、わずか数分の楽曲の中に、男の魂のくすぶりが完璧なまでに表現されている。

これらの曲が収録されているライブDVDを見ると涙腺が刺激されて困ってしまうほどだ。

ちなみについ最近、ハマショーの楽曲の中に三部作があるというトリビアみたいな話を聞いた。まったく路線も違うし、それぞれ関係無さそうな雰囲気の曲なのだが、ストーリーとしてつながっていたのだとか。

なかなかニクいことをする。

その話を聞いて、さきほど紹介した「男の切なさシリーズ」の曲も、実は他の曲と連作のような意味合いがあるのかもしれないと思い始めた。

だとしたら、その手の楽曲の大元にあるのが「紫陽花のうた」かもしれない。

http://www.youtube.com/watch?v=yDbSxosEcW8

紫陽花の話を書こうと思ったのだが、結局、ハマショー評論になってしまった。

ついでに歌詞も載せておきます。



紫陽花のうた

    六月の雨の雫
    紫陽花の花 北鎌倉
    横須賀線のプラットホームに
    君と・・・

    静かな静かな 雨の午後
    微かな微かな 木々の声

    何も奪わずに 何も求めずに
    君を愛したいと願う


    誰にも 話せない恋だから
    誰にも ゆずれない恋だから

    すべてを与えて 何も求めぬ
    君と暮らしたいと願う


    渋滞の海岸通 
    そぼ降る雨に煙る 江ノ島
    水平線に 頬杖つく君の 愛しい横顔


    I'll give you my heart
    I'll give you my soul
    Stay with me forever

    I'll give you my heart
    I'll give you my soul
    We can be together

    So close and far
    Every time when we touch each other

2012年6月1日金曜日

四駆魂

最近、続けざまに似たような夢を見た。昔乗っていたクルマの夢だ。もっと色っぽい夢が見たいのに意味不明だ。

そのクルマは私のクルマ遍歴のなかでも一番思い入れがあったヤツだから、以前から時々夢に出てくる。

内容は、ひょんなところで私が愛用していたクルマが、今も愛好家の元にあり、それを見つけた私が高値で買い戻すというもの。

とはいえ、そんな大それたクルマではない。

日産サファリという昔々の四駆だ。パワーウインドーもなければ、標準装備はAMラジオだけという実に素っ気ない商用車だった。


画像は昭和60年頃。愛車に乗り込む私だ。髪もふさふさだ。この当時、数年間どっぷりハマったのが四駆の世界だ。自分のアマノジャクぶりを痛感した時代でもある。

バブルが始まる前の上昇気流のなか、世の中に厳然と広まっていた「クルマヒエラルキー」の外に出たくて、あえてハヤリとは無関係なクルマを探して行き着いたのが四駆の世界だった。

若者が読むようなクルマ雑誌にも目もくれず「4X4マガジン」だけを熟読していた。

プレリュードだソアラだ何だと、若者の間でもクルマヒエラルキーの影は忍び寄っていた。ダサいかダサくないか、女の子にモテそうか否か、みたいなアホみたいな感覚でクルマが時代のツールになっていた。

そんな世相が鬱陶しくて、あえて誰も選ばなかった四駆を選んだわけだ。

今でこそSUVというカテゴリーはすっかりクルマ社会の中枢に位置するようになったが、当時はジープタイプの形をしたクルマは、あくまで商用車とか貨物車のイメージ。マニアが喜んでいただけだった。

あれから四半世紀が過ぎ、ランボルギーニやベントレー、マセラティまでもがSUVを作る時代になった。ただただビックリではある。

当時、私が愛するクルマを「変な貨物車みたい」とか言っていた馬鹿な連中をタイムマシンで連れてきて鼻で笑ってやりたいぐらいだ。

わが日産サファリは、当時でも物好き中の物好きが選ぶほどマイナーだった点がお気に入りだった。ランドクルーザーやパジェロ、はたまたジムニーが四駆愛好家のアイコン的存在だった時代だ。


あれこれと改造のために通っていた専門ショップのつながりで四駆愛好家のクラブにも参加した。あちこちのオフロードを目指してツーリングにでも出かけた。

運転技術のまずさもあったが、わがサファリはやたらと重量のあるクルマだったため、しょっちゅうスタックして皆さんに救援してもらった。そんなダメな感じも可愛くて仕方がなかった。

思えば、あの頃が同年代の友人以外と交遊を始めた最初だろう。オッサンフレンドに囲まれた世界で何となく大人になったように感じた。

過激なオッサン達に刺激されて愛車なのに随分乱暴に扱った。

2枚目の画像のようにジャンプばかりして、前輪の駆動系がやられてしまい、正面から見るとスキーのボーゲンみたいにタイヤがハの字になってしまって真っ直ぐ走らない時期もあった。

下品にならない程度に車高を上げたり、大きなタイヤを履かせてみたり、当時最新のオーディオシステムを搭載したり、あれこれ手をかけた。頭の中はそのクルマのことでいっぱいだった。

エンジンはディーゼル。燃費だけは良かったが、スピードの遅さでは無敵だった。

北海道までクルマの中で寝ながら一人旅をした時も、がらがらの東北自動車道の起点から終点まで、都合6カ所ぐらいでスピード違反取締りをしていたが、わがサファリは遅すぎて一度もひっかからなかった。

話は変わる。

当時の四駆と言えば、ディーゼルエンジンでマニュアルシフトがごくごく当たり前。三菱パジェロがガソリンエンジン搭載のオートマ仕様を出したことにビックリした記憶がある。



この頃、私が憧れていたのがフォードブロンコⅡとシボレーブレイザーS10だ。ここから先の画像はネット上でパクりました。スイマセン。

うーん懐かしい。今見ると充分クラシカルな感じだ。

いずれもバカでかいサイズではなく、私の目にはエレガントに映った。ガソリン大排気量、オートマ、室内も乗用車並みに整っているというだけでウットリした。

アメリカ旅行に行った際も、いたるところで見かけたこの2種類のクルマの写真をいっぱい撮った気がする。


別格の憧れだったのがホンモノのジープだ。CJシリーズには魅せられた。あの頃、宝くじに当たったら迷うことなく買ってしまったと思う。

その後、真面目な?社会人になり、四駆から足を洗ってしまったが、所有するクルマが無難な路線になっていくのに比例してセカンドカーとして何度も四駆に手を出した。一応、今も我が家のセカンドカーは四駆だ。

最初に離婚?した時なんて解放感のせいで、ふと目にした真っ赤なジープを即決で買ってしまった。中古だったのだが、一目惚れしてあとさき考えずに購入。ウキウキと乗り回した。

憧れのCJシリーズは生産が終わっていたから後継のクライスラー・ジープ・ラングラーだったのだが、小さいボディーに力強いエンジン、高速を走るとホロがばたついて会話が出来ない点以外は大好きだった。


その後、この画像と同じホロではないFRPトップの緑色のラングラーも手に入れた。オープンに出来ないタイプだが、実用車として最高だった。何より運転していて楽しい気分に浸れた。家庭の都合で手放してしまった自分のだらし無さを悔やんでいる。

今ではラングラージープにも4ドアが登場。すっかり普通っぽくなってきたが、私の欲しいクルマの筆頭格ではある。

その後も、普通のカッコのクルマをいろいろと乗り継ぐ一方、時々、昔を思い出してイマドキ四駆にも手を出した。キャデラックSRXとかポルシャカイエンにもちょっと乗っていたことがある。

不思議なもので、その手の無骨じゃない四駆はどうもしっくりこない。なんか運転席が高いだけで、昔の四駆乗り?が求めていた浪漫みたいな空気が漂ってこない。

変な感覚かもしれないが、扱いにくいジャジャ馬的な雰囲気がないと、四駆乗りとしてはどこか寂しい。あえて表現するなら、BGMはイーグルスかドゥービーで、ダンガリーシャツにウェスタンブーツを履いて運転席に乗りこみたい。

そんなブーツ持ってないけど・・・。

気付けば立派な中年になって、分別ヅラで日々を過ごすようになってしまった。いっぱしのつもりで、メルセデスやBMW、ジャガーとかの、それも4ドアセダンなんかを乗り継いできた。

割と頻繁に私の夢に出てくる日産サファリは、きっとそんな私の平凡さ、つまらなさに対するメッセージかもしれない。

「四駆魂を思い出せ、世間の眼を気にせずアマノジャッキーとして突っ走っていたお前はどこにいったんだ」。

昔の愛車が出てくる夢は、そんな叱咤激励の意味合いがあるのかもしれない。

なんかカッコつけたまとめになってしまった。

まあいいか。

2012年5月30日水曜日

洋食の魔力

料理のジャンルの中で掴み所のない存在が「洋食」だろう。和食ではないものとして名付けられたわけだが、和食以外のすべてを指すわけではなく、あくまで「西洋風の日本の料理」というイメージだ。

欧米にルーツがある料理が日本人向けに進化したものというのが定義だろう。ラーメンや冷やし中華の場合、ルーツが欧米ではないから洋食とは言われない。

そんなことはさておき、私は無類の洋食好きである。我々の世代は、アメリカのいわゆる「小麦戦略」を真っ正面から受入れた世代だから身体の芯から洋食が好きだ。

アメリカの小麦戦略は、最近こそ知られて来た歴史の事実だが、考えてみれば凄まじい話ではある。

余剰農産物の処理に困ったアメリカが、大量の小麦を安く日本に押し込む一方、その使い方まで指図するために膨大な資金も用意して日本人の食生活に革命を起したというもの。

明確かつ長期的な国家ビジョンを持ってヨソの国の食文化を変えちゃうんだから、アメリカのしたたかさには恐れ入る。

昭和30年代には、日本の立派な学者まで旗振り役になって「コメを食ったら馬鹿になる」とか「パンを食べなかったから戦争に負けた」みたいなトンチンカンな話が世間に流布されたらしい。

給食は全面的にパンばかりになり、その後は気付いたらアメリカ系のハンバーガー屋がドドッと押し寄せ、その手のファーストフードが国民食になった経緯がある。

事実上の植民地政策にどっぷりと浸かり、古くからの食文化が否定されてしまったわけだから、敗戦の隠された後遺症みたいなものだ。

結果、我々の世代の給食は毎日毎日変わりばえのしないまずいパンとバターが主食だった。

何も知らずに食べていたが、戦勝国に利益をもたらす一助を担っていたかと思うとシャクにさわる話ではある。

まあ、今更ブツクサ言っても始まらない。そんな話はさておき、洋食の話題に戻ろう。

もともと明治、大正時代からハイカラな食事として存在していた洋食は、小麦戦略という強力な後押しによって広く普及する結果となり、庶民にも身近になっていった。

マカロニグラタン、コロッケ、フライ。その他にも肉や乳製品をブリブリ消費する必要のあった敗戦国ニッポンの事情もあって、日常的な食べ物として浸透したわけだ。

昭和40年代に可愛い子どもだった私が、それらの料理を浴びるほど食べたのも当然だ。おまけに実家の祖父は「浅草のモボ」上がりである。ハイカラな洋食が大好物だったから、世相も相まって、わが家のハレの日はその手の料理が基本だった。

そんなこんなで、和食以外のものを食べたい時でも、私の場合、真っ先に浮かぶのが洋食である。正統派フレンチとかではない。カニクリームコロッケとかタンシチューとかメンチカツとか、そっち方面に心奪われる。


冒頭のタンシチューとこの肉汁メンチカツの画像は、銀座8丁目の「YAMAGATA」にてワシワシ食べた料理だ。

この店は、クラブやスナックがたくさん入っている雑居ビルにひっそりと構える。銀座界隈の洋食屋さんのなかでは、値段設定はお手軽だ。味もまあまあ。ファミレスとかカフェだと今ひとつ物足りない気分の時に使うには悪くない。

優雅さとか高級感とは違うが、小綺麗で落ち着く空間だ。小洒落た洋食の定食屋さんぐらいのイメージだろうか。

ちなみに「洋食気分」を確実に満足させてくれるのが日本系老舗ホテルのカフェレストランだろう。メインのフレンチとかではなく、ロビーフロアに構える気取らない店に、その手のウマいものが用意されている。

そういえば、最近、皇居横のパレスホテルが新装オープンしたから、ローストビーフとピラフを食べに行かねばなるまい。近いうちに探検してこよう。


話がそれた。画像は九段下のグランドパレスの小海老のピラフだ。ナントカのひとつ覚えのようにこのブログで誉めまくっているが、最近も飽きずにガシガシ食べている。

特製ソースをピチャッとまぶして熱々のピラフを口に運ぶと、この国に生まれて良かったとしみじみ思う。大げさだがホントだ。

いつもこればかり注文するので、ついつい他のメニューに目がいかない。フンワリオムライスも評判いいし、カレーライスも根強いファンがいるらしいが、いまだ未体験だ。


先日はピラフ以外にカルボナーラを注文してみた。

やはり日本の洋食である。イタリアンレストランで出てくるカルボナーラとは随分違う。半熟レア気味のタマゴが頂上にトッピングされている。

ぐちゃっと崩して、弾け出てきたオレンジ色の液体を全体に和えていく。うーん官能的である。こんな作業が自分で出来るのがちょっと嬉しい。

味はどことなく日本的だった。家庭で作ったらこんな感じになりそうな身近?な感じ。それはそれでとっつきやすい感じで悪くなかった。

なんだか書いているだけで腹が減ってきた。根岸にある香味屋のビフカツとか赤坂津つ井のビフテキ丼とかのイメージがこの瞬間も脳裏をよぎっている。

パブロフの犬状態である。ツバだらけだ。食い意地煩悩太郎である。

胃腸方面にはくれぐれも元気でいてもらいたいものだ。

2012年5月28日月曜日

中年雑記

それにしても「中年」である。アラフォーどころの騒ぎではなくなってしまった。どう逆立ちしても若者ではない自分に時々びっくりする。

若者に戻りたい気持ちはまったく無いのだが、かといって、このまま今までのような早さ(感覚的なものだが)で年を重ねることに違和感もある。

面白いもので、老化は実にゆっくりと自然にさりげなく無理のないペースで身体に居座り始める。

徐々に。この言葉がピッタリだ。

軟体動物みたいに柔らかかった身体は徐々に固くなり、徐々に視力は劣化して、徐々に胃袋も人並みの容量になり、徐々に腰が痛くなったりする。

頭の中はどうなんだろう。気付けば記憶力は弱まり、予定調和を良しとする判断ばかりになり、保身や妥協を優先しがちになった。

瞬時の判断力は若い頃より進化したのだろうが、発想の着地先がどうにもフレッシュではない。「劣化」しているような気もする。

徐々にそうなってきた。

まだまだ老け込むには早いのだが、ちょっと残念な状態だと思う。

「こだわり」などと言えば格好いいが、ひと皮剥いたら、単に固定観念に凝り固まっているだけだったりする。

たまに若者に刺激を受けて、固定観念の呪縛から一歩外に出てみると妙に世の中が明るく見える。心をフラットにしておかないと自分が損するわけだから要注意だ。

中年という存在の面倒な部分は、若者でもなければ年寄りでもないというところだ。青臭いことは言えないくせに、悟ったような言葉を吐くほどこなれていない。「適度な感じ」を求められているような立ち位置とでも言おうか。

自分を振り返ってみると、好奇心なんてどこかに行ってしまったかのようだ。新しいことに挑む気力が湧かないことは自ら人生を退屈にしているわけだから、この点は猛省しないとなるまい。

「オトナの余裕ですね~」とか若い女性に言われることがある。馬鹿言ってるんじゃない。余裕なんかではない。ボーとしているだけだ。

「ガツガツしてませんね~」。こんなセリフを向けられることもある。冗談じゃない。疲れているだけだ。ガツガツしたいけど心身ともにそうもいかない事情もある。

適度な達観と、一歩を踏み出す柔軟性。これがマスターできたらカッチョイイ大人なんだと思う。

少なくとも悶々とこんなくだらないことを書いているようでは、エネルギッシュな大人にはなれないのは確かだ。

エネルギッシュな大人だったら、こんな問題を意識することもなく日々を過ごしているはずだ。

頑張らねば。

いやいや頑張ることは正解ではないのだろう。頑張っちゃうと、「郷ひろみ」みたいな痛々しい感じになりそうでイヤだ。

やはり自然体が一番なんだろう。

今日は、隠居ジジイみたいな話を書いてしまったから、ついでにそれっぽい詩を紹介したい。尊敬する人に教わった茨木のり子さんの「倚(よ)りかからず」という詩だ。73歳の時の作品だそうだ。ちょっと感動した。

これに感動しているようでは、やはり隠居ジジイっぽいだろうか。

いやいや、悶々とする中年こそこういう姿勢は大事だと思う。




「倚(よ)りかからず」 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

2012年5月25日金曜日

バリ島が呼んでいる

「本当の故郷とは生まれ育った場所とは限らない。本当の故郷を見つけられた人は幸せだ」。

開高健の言葉だ。

カッチョ良く書いてみたが、先日、Facebookで母校の後輩から教わった言葉の受け売りだ。

生まれ育った場所以外に、私が心を揺さぶられるのはバリ島だ。かれこれ10回以上出かけただろうか。とにかく惹かれる。身体の奥底にある根っこのような魂が呼び寄せられる感じだ。


ゴールデンウィークが終わったあたりから、どうもバリ島が私を呼んでいる。また行かねばなるまい。そう遠くないうちに「渡バリ」する予定だ。

ざっと数えただけで、ちょろっと寄ったところを含めればこれまでの人生のうちに40ぐらいの国や地域に出かけてきた。

その中でどこが一番好きかと言われたら迷わずバリ島を選ぶ。理屈抜きに好きなんだからしょうがない。

初めて行ったのは20年近く前になる。インドネシアのメナドへの潜水旅行の際、トランジットでバリに立ち寄った。1泊しかない日程の中で、伝統舞踊を見たり工芸の村を訪ねて、文化の奥深さ、芸術的感性の高さに感動した。

その後、頻繁にバリ各地に潜りに出かけるようになったのだが、旅の後半の1~2日は海とは無縁の観光に励むようになった。

最近では、日程の半分ぐらいを潜水以外に費やすようになった。島中至るところにある古い寺院を訪ねたり、ライステラスの景色をボーと眺めたり、小洒落たリゾートのバレブンゴン(東屋)でホゲホゲしたり、陸の風景をカメラに収めて喜んでいる。今日の画像は2年前に行った時に撮影したもの。クリックすると大きなサイズで見られます。


あちらの言葉で散歩のことを「ジャランジャラン」と言う。カメラ片手にジャランジャランしている時間がとても好きだ。絵になる光景にすぐに出会える。

香りというか、匂いがまた良い。プルメリアのさりげなく甘い香り、そこここに置かれた神様へのお供え物に添えられたコメの匂い、ふっと漂ってくるお香の匂いなどなど。どこかから聞こえてくるガムランの音色と混ざり合って、心地よいバリ・トランスに陥る。

ホテル選びの楽しさもバリの魅力だ。ブルガリリゾートとかセントレジスを筆頭に世界最高レベルのリゾートが点在する一方で、プライベートプールが付いた隠れ家ヴィラや、地元様式に則った妖怪が出て来そうなディープな宿もゴロゴロある。選びきれないほどだ。

数十年単位の歴史を持つ老舗リゾートであれば、いい感じに苔むした庭が何とも言えないバリ情緒を醸し出す。

リソートの見本市みたいな場所だと思う。


バリ島南部のメインリゾートエリアで充分に楽しめるが、少し移動すれば違った魅力に溢れている。郊外に行けば行くほど自然は濃密になり、バリっぽさも濃厚になる。

郊外で過ごす夜の時間は、夜空に浮かぶ星の群れに圧倒される。綺麗と言うよりグチャグチャと表現する方が的確なぐらいだ。

以前、空港から3時間近くクルマで移動したリゾートで、施設の灯りを一時的にすべて消してゲスト全員で星空ウォッチングをしたことがある。

周辺に民家なども無く、そのリゾートが灯りを消せば正真正銘の夜の闇に包まれる。地べたに寝ころんで空を見上げていたら、天空に吸い寄せられそうな幽体離脱みたいな不思議な感じを味わえた。

星空だけでなく、私が心惹かれるのはバリの月だ。バリムーンなどと言うと、怪しいインドネシア料理屋のまずそうなカクテルみたいだが、夜の散策では必ず月を探す。

砂浜に腰をおろして、ボーッと波の音を聞きながら海を照らす月を見ていると、それだけで「解脱」だ。水面に揺れる月の明かりが日常の煩わしさを束の間消してくれる。月光浴によって自分の五感がリフレッシュされ、すべての感度が上がる気がする。


一般的にイメージされる南国リゾート特有の底抜けに明るい穏やかな空気とは微妙に違う「気」に満ちている点がバリの特徴だ。そこに惹かれた人は徹底的にはまることになる。

神々の島と呼ばれる場所だけのことはある。月の明かりも夕焼けの輝き具合もどこかスピリチュアルな雰囲気を漂わす。

夕陽鑑賞スポットにしてもバリの場合は、寺院が背景に欠かせないから独特な情緒を伴う。南部のウルワツ、中西部のタナロットが2大スポットだが、それぞれ素晴らしいサンセットショーを目に焼き付けることが出来る。

いずれも夕陽の中に神を見た大昔の高僧が造った寺院だ。どこか神秘的で荘厳な感じに包まれる。


今度行く時は、潜水は2,3日にして、その後は、山側のウブドでディープな宿にこもったり、隠れ家ヴィラでしっぽりする時間も確保する予定だ。

行くたびに刺激をくれる神々の島、次はどんな啓示を与えてくれるのだろうか。

2012年5月23日水曜日

苦手なこと

スカイツリー狂騒曲がしばらく続きそうだ。よく分からないが、文明が高度化することはめでたいことなんだろう。

それにしても、あの手の新しいモノに一番乗りしたいとか、並んででも見に行きたいという心理が分からない。

私の苦手なことの筆頭が「並ぶこと」である。スカイツリー見たさに何日も前から徹夜で並ぶような人達が宇宙人に思える。

新しい橋が架かった、新しい道路が開通した、新しいショッピングモールが完成したなどというニュースには決まって行列する人々の姿が付きものだ。

趣味なんだろうなあ。人様の趣味をアレコレ言えないが、ああいう人達はきっと物凄く忍耐力があって、気が長い人なんだと思う。

それはそれで尊敬に値する。そんな好奇心旺盛で何事も素直に楽しもうとする姿勢を見習った方が人生は楽しいのかもしれない。

イヤだけど。

千葉にあるディズニーランドも大学生の頃に行ったきりもう四半世紀ご無沙汰だ。きっと死ぬまで行かないと思う。子どもを持つ親としては珍しいらしいが、ダメなものはダメだ。

「30分しか並ばずに済んだ」。こんな日本語が平気で通用する世界だ。意味不明である。30分も並んで遊具に乗るほど私の人生には余裕がない。

タイムイズマネーだ。光陰矢の如しだ。急いては事をし損じるだ。これは違うか。

そのわりにくだらないことで日がな一日過ごすこともあるから、要は単なるワガママなんだろうか。

渋滞がイヤだから、お盆の時期とかゴールデンウイークに車で遠出することはない。昼飯を食べるためだけにそこら辺の店に並ぶことも不可能だ。ラーメンのために人生の貴重な時間を行列作りに費やすことも無理だ。

これってワガママなんだろうか。自分では至極まっとうな普通の考えだと思うが、喜々として行列している人を見るたびに自分が変な生き物なのかと心配になる。

並ぶことと同じで、待つことも得意ではない。

以前、何度か通った銀座のクラブで、いちいちお勘定が運ばれてくるのが遅い店があった。

請求書を送ってもらって帰ることもできたが、その場で清算したい私としてはチェックをお願いしてから待たされる時間がイヤだった。

店側はサービスのつもりだったのか。キチキチセコセコ追い払うようにするより優雅な時間を過ごさせようとでも思ったのだろう。

でも帰ると決めたらすぐ帰りたい。結局、その一点が気に入らなくてその店に足を運ぶことはなくなった。

短気は損気。子供の頃からそう教わっていたが、江戸っ子バリバリの祖父などは、静寂に包まれたフランス料理の高級レストランで、突如大きな声で「遅いぞ!何やってんだ!」と怒鳴り出す人だったから、私の短気など可愛いものだろう。

贅沢でいかんのだが、新幹線に乗る時も近距離だろうと自由席の列に並ぶのがダメで指定を買う。

飛行機に乗るときも搭乗ゲートとか通路で並ぶのがイヤで、いつまでもダラダラしている。最後の乗客になってしまって館内放送で名指しで呼ばれることもしょっちゅうだ。

宝くじだって並んで買うような信心深さはまったくないから、さびれた駅のさびれた窓口で買う。だから当たったためしがない。

そういえば、今度行こうと思っているバリ島に関する話だが、ガルーダインドネシア航空の素晴らしいサービスは私のお気に入りだ。

入国審査官が飛行機に乗りこんでいて、機内でパスポートチェックや入国審査が完了する。空港についても、荷物が出てくるのを待つだけで、さっさと行動できる。

ガルーダは羽田からもバリ直行便を飛ばし始めたが、なぜかこの素敵なサービスは成田発着便に限られている。そのせいで便利な羽田便が就航してもついつい二の足を踏んでいる。

まあ、バリの場合、高級ホテルなんかではホテルスタッフによる優先的な入国手続き代行サービスもあるから、羽田便でもそんな手配をしておけば問題はないのだが。

話を戻す。待たされる話だった。

あまり待たされると、当然機嫌は悪化する。5分ぐらいならまあ仕方がないが、それ以上になるとカチンスイッチが入り始める。

逆に私自身は、一対一の待ち合わせにはキッチリ遅れずに行くタイプではある。

だから自分に甘いわけではない。あくまで私の時間を軽視されたかのような相手のルーズさに腹が立つわけだ。

そうは言っても、凄く会いたい人、大好きな人、とくにそれが異性だったりすると少しばかり事情が異なる。

もちろん、イライラはする。でも待たされる程度にもよるが、待っている時間そのものがちょっと楽しい。

手持ちぶさたな感じがやるせない感じにつながって、わずかな時間が愛おしい時間に思えてくる。

あんな話をしよう。こんなことも聞いてみよう。どんな表情で迎えようか等々、浮ついた気分の中でほんの少し動悸も激しくなったりする。

いい時間だと思う。

かといって、そんな悠長なことを思うのは、せいぜい10分が限界である。理由もなく15分も遅刻されたら、仏頂面に変身する。言葉もイヤミが中心になって、血圧も上昇。その後1時間ぐらいは機嫌を直すのに自分自身で苦労する。

わずか数分が「境目」になるわけだ。実に人間の心理なんて移ろいやすい。僅かな時間の差でいとも簡単に上がったり下がったりする。

私だけだろうか。神経質すぎるのだろうか。もっと大らかになるべきか。いや、やはり約束は約束である。特別な事情もなく、ましてや断りもなく平気で遅れる行為をニコニコ許してはいけないと思う。

そういうキッチリした姿勢がこの国を戦後の焼け野原から復興させ、いっぱしの先進国に押し上げた原動力である。

大げさでスイマセン。

なんだかんだ言っても人生後半戦だ。列に並ばす、待たされることもなく、スムーズに過ごしていければ幸せだ。

2012年5月21日月曜日

築地 寿司 食文化

今の世の中、キーワードは「マイルド指向」だろう。ここ20年ぐらいの間に「濃厚な感じ」があらゆる分野から消えていったように感じる。
AKB48の女の子達の顔が全然分からない。こちらが年を取ったせいもあるのだろうが、だいたい似たような顔に見える。なんかノッペリした感じだ。

男性アイドルなんて、私から見れば「松じゅん」以外は区別が付かない。みなさんノッペリ平坦な感じでマイルドだ。

いきなり話が飛ぶが、タバコだってふた昔前から比べれば異様にマイルド指向が進んでいる。

もう25年以上付き合っているラークマイルドだって、私の学生時代には「軟弱だ」とと小馬鹿にされていたのだが、今では「9㎜ってエラいキッツイですねえ」とか言われる。

酒を飲まない若者も増えた。飲んでも低アルコール飲料が主流だ。そもそも草食系なんていう悲劇的な言葉が若い男について回るのだから世の中大きく変わったのだろう。

政治家の顔だってしかり。田中角栄とか大平正芳みたいな風貌の独特な存在感を感じる人はいない。

「ロッキード社が5億円くれるのか、ヨッシャヨッシャ!」みたいな濃厚な感じが全然無い。

良し悪しはさておき、お大尽というか、清濁併せ飲む大人物みたいなオッサンを見かけない。

最近の首相は、腹が痛いからって辞めちゃったり、ママからお小遣いをもらい続けていたり、大震災を前にイライラするだけだったり、なんともズッシリ感が無い。

首相だけでなく大物議員とか言われている連中だって、大して悪いコトもしてなさそうだし(それでいいのだが…)、せいぜい秘書給与をピンハネしたり、国会に無届けでフィリピンで遊んでいるぐらいで、実にチンケな感じ。

一般の企業活動にしても、やれ接待は昼飯だけだとか、酒を飲んでも2次会はダメだとか、細かい話ばかり耳にする。

こんぴらさんだか、天ぷらだか知らないが、コンプラ、コンプラってやかましくなったのも最近の話だ。

コンプライアンスなどという外来語で包み隠しているが、ただの「道徳」みたいなことであり、「恥の文化」を特色としてきたこの国にとって一種の得意分野みたいな話だったはずだ。殊更マニュアル化しないと物事を判断できない人が増えたから重宝されている言葉なんだと思う。

なんかウダウダ書いてしまったが、実は今日は、築地で昔ながらのお寿司を堪能したことを書くつもりだった。

すなわち、イマドキの寿司のノッペリ感と昔ながらの寿司の濃厚な感じをアレコレ書いてみようとしていたら、ついつい最初から脱線してしまった。

で、築地の寿司の話。

先月、このブログでも書いた我が愛すべき先輩である生田與克さん(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/04/blog-post_23.html)にお声掛けいただき、築地に馳せ参じた。

連れて行ってもらったのは、住宅街に構える正統派江戸前寿司の店「S」。

築地界隈に無数にある「築地の寿司屋でっせ、ピッチピチの魚が揃ってますぜ」みたいな空気を漂わせる店とは違い、一見、何の変哲もない街場のお寿司屋さんである。

カウンターの後ろのテレビからは、相撲中継が流れており、お店の造りもオシャレとか和モダンとか、そういう演出は一切無し。

タイムスリップしたような感じと言ったら大げさだが、懐かしく落ち着く風情だ。職人気質の親方が切り盛りしているのだが、堅苦しい感じとか、威圧感はない。

後になって他のお客さんから聞いたのだが、一昔前の親方はかなり恐かったらしい。

「私も同じモノください」

「同じモノなんてないよ」

はたまた、「それください」って言われて「それっていう魚は無いよ」って答えていたとか。

そんな頃に訪ねなくてつくづく良かったと思う。

築地魚河岸のプロである生田さんが馴染みにしているわけだから、連れて行ってもらった素人の私としては、実に有難い展開だろう。

出されるモノすべてがウマかった。ボキャブラリーが乏しくスイマセンが、その一言だ。

生モノより何らかの手を入れたネタが中心。穴子などに使うツメも深い味わい。酢締めの加減も抜群で、つまみでもらったアジも、握りでもらったカスゴも寿司好きが大喜びすることは確実だろう。

締めたキスの握りもシャリとネタの間におぼろがまぶしてあり、ネタの上には甘めのバッテラ。複雑に絡まり合う味が「仕事をした寿司」の醍醐味を感じさせてくれた。

生田さんに連れて行ってもらったおかげで、デカい顔して飲んだり食べたりしていたわけだが、さすがの私も携帯を取りだして画像をカチャカチャ撮るわけにはいかなかった。

イキな世界でヤボは避けたい。でも撮りたかったなあ。イカの印籠詰めなんて芸術的に美しく美味しかったし、コハダの握りもキリッとしていて風情があった。

貝類のヌタもうまかったし、かんぴょうの味付けもしっかり甘く濃く、「これぞ東京の寿司」って雰囲気がプンプンだった。

皮目を焼いたイサキの刺身も味が濃くてウットリだったし、煮ハマグリとか煮タコの味の加減が「江戸前」そのものって感じ。
今の時代、物流事情が良くなって何でもかんでもナマで美味しく食べられるようになったが、やはり仕事を施した寿司の味は別ジャンルの逸品と言って良いと思う。

変な店、ヘタな店だと、手を入れ過ぎちゃって、かえってナマのままで食べたほうが良かったというケースもある。結構そういう勘違いって多い。

その点、こちらの店は、ナマで食べられることを有難がる季節限定のネタでも、過剰になり過ぎぎない程度に手を入れて、逆にネタの旨味を引き出していた印象がある。

何か偉そうに書くこと自体が小っ恥ずかしくなるぐらい、素人がああだのこうだの語ってはいけない寿司だと思った。

私を連れて行ってくれた生田さんは、その昔、この店に入りたくても、魚河岸の重鎮みたいな人がズラッとカウンターに並んでいたから恐くて入れなかったそうだ。死んじゃったり、隠居したり、引っ越したりで、そういうお歴々も激減したらしい。

そんな事情もあって、最近は激しく混み合うことはないそうだ。また訪ねたい私としては嬉しい話だが、考えてみると、これだけの技術を持った店が本当に混雑しないとしたら、それはそれで大きな問題だろう。

ピチピチ新鮮な魚を乗っけた寿司はもちろんウマいのは間違いないが、こうした江戸前寿司は一種の文化であり、これはこれで受け継がれていって欲しい。

とはいえ、正統な仕事をした寿司を出すお店は少数派だし、なかなか食べる機会がない。食べる機会がないから次の世代に伝わらず、文化がすたれていく。

味も雰囲気も仕込みも「濃厚」なこうしたお店は貴重だ。ちなみに先ほど書いたシャリとネタの間に挟むおぼろは、鍋の前で焦げ付かないように5時間かけて作るそうだ。凄い世界ではある。

ファストフード隆盛、デフレ一辺倒な世相が、食文化の世界にも「マイルド化」の波として押し寄せている。なかなか考えさせられる時間だった。

それにしても、最近、ダラダラと長文を載せることが多くなってきた。ちょっとヤボが進んでいる感じ。

もっと軽快に明瞭に書きたいことを書かなきゃいけねえな!!