近年、よく言われるのが「真ん中がダメ」という話。飲食店に例えるなら、すごく高い店とすごく安い店は繁盛するけど真ん中の価格帯だと厳しいという話。
飲食店に限らず、世の中のあらゆる分野に浸透している考え方だろう。二極化、格差固定みたいな経済ジャンルの話題にもこういう話は出てくる。
さて、話が難しくなりそうだから本題に移る。日頃グルメだなんだと自慢気にSNSに映える画像を投稿している人は多い。インスタのリール動画を参考にさせてもらうこともあるから文句を言うつもりはないが、どうしても“中庸”の店が紹介されることは少ない。ちょっと残念だ。
まあ、SNSなんて幸福自慢みたいな側面があるから必然的にカッチョイイお店や予約困難店や妙に高価な店が中心になるのも仕方ない話だ。
どんなジャンルだろうと高級店と大衆店は存在する。一人5万もとるような意味不明な寿司屋が謎に繁盛する一方で、くら寿司にも行列は出来る。いきなりステーキみたいな気軽な店が人気だが、やはり一人10万ぐらい取るステーキハウスもしっかり客を掴んでいる。
鰻しかり、天ぷらしかり、蕎麦しかり、カレーライスやハンバーガーにも言える話だ。今どきは5千円ぐらいするハンバーガーも平気で売られているらしい。それはそれで食べてみたい気もする。
さてさて、ヨソの国の料理なのにひょっとしたら和食の一ジャンルかと思えるほど日本人の間に定着したのが中華料理だ。
実に多種多様である。丸美屋の麻婆豆腐などは普通の日本人の普通の家庭料理である。中華料理だと思って食べている子供などいないと思う。それをいったらラーメンも元は中華料理である。大勝軒のつけ麺やニ郎系ラーメンを中華料理だと思って食べている人も皆無だろう。
先日、市ヶ谷にある中国飯店に行く機会があった。都内にいくつかの店舗を構える高級中華料理の象徴的な老舗だ。昨今、一般化した「町中華」と呼ばれるジャンルのお店の対極みたいな路線だ。
ピータンの味の豊潤さ、チャーシューも蜂蜜っぽいソースを上手にまとわせているこだわりかたなど、いちいちさすがだと感心した。画像の他にもいろいろ食べたがどの料理も丁寧かつ繊細。高級路線の存在意義みたいなものを改めて実感した。
こちらは名物の松の実入り黒チャーハン。職人技のような食感、味付けで文句なし。大げさではなく毎日でも食べられそうな感じだった。
「毎日でも食べられそうな感じ」って単純にいえば誉め言葉だ。でもそれが必ずしも食における満足感を完璧に満たすわけでもない。そこが実に面白いと思う。
人間はワガママだから時に“猥雑な欲求”に走りたくなる。すなわちジャンク系の喜びだ。ジャンク系のウマいものって不思議なもので、その場では相当な満足感を得るのに、決して毎日でも食べたいとは思わない。それこそ猥雑な欲求である。
町中華で例えるなら油ギトギトのホイコーローやら臭いが気になる焼き餃子、カタ焼きそばあたりだ。独特の存在感があるラインナップだ。ナゼだか分からないが同じ中華系でも高級中華の繊細な味よりそっち系を身体が求めることは多い。
財布にゆとりがあるかどうかは別だ。もしサマージャンボ7億円が当たってもギトギトしたホイコーローが食べたい気分なら高級中華のフカヒレ料理より断然そっちを優先しちゃう。そんなもんだと思う。
よく言えばしっとり、悪くいえばテキトーな炒めご飯である。でも、塩コショウの分量を間違えたような怪しげな濃い味付けに悶絶する。おまけに町中華のチャーハンに必ず付いてくる「謎スープ」がまた魅惑的だ。
飽きてきた頃にチャーハンを謎スープに浸して食べると得も言われぬ快楽が身体の中を駆け抜ける。ウーバーでチャーハンをデリバリーする場合、多くの店が謎スープを付けてこないことが今の私の最大のストレスである。チャーハンにあのスープをビシャビシャするのが醍醐味なのに実に残念である。
この画像はデリバリーでやってきたカタ焼きそば、天津飯、ホイコーローである。そういう気分の時にそういうメンバーが揃ったらまさに無敵だ。高級店でフカヒレの姿煮や北京ダックを出されてもこっちの気分の時なら迷わず町中華の面々を選ぶ。
誤解のないように書き加えるなら高級中華をディスっているわけではない。そっちはそっちで私の大好物である。あくまで2極化の両極をそれぞれ楽しめることが日々を、いや人生を充実させる大事な心がけである。大げさか。
SNSなどで高級店のことしか語らないようなグルメぶった人ってその点でとっても退屈な人だと思う。大きなお世話だけど…。



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