2009年1月30日金曜日

一人酒か二人酒か

一人で酒を呑むのが結構好きだ。つるむのはキライだ、群れる男はロクなもんじゃない・・などと言うほど格好の良い理由があるわけではない。単なるわがままだろう。

偉そうに書いてしまうが、昔から私は、人に気を使えない人間が嫌い。自分のことは棚に上げやがってとお叱りを受けそうだが、自分では、結構人様に気を使っているつもりだ。

気配りをしたい、ちゃんと気を使える自分でありたいと思って、それを習性にしているくせに、気疲れするのがイヤで、結局一人の時間に逃げ込みたくなる。

好きな肴を前に勝手なペースで盃を傾けている時間は何とも幸せだ。社会性、協調性に問題があるのかも知れない。ちょっと反省。

一人ぶらぶらと夜の銀座を徘徊していると、時間帯によっては、知った顔に遭遇することがある。ママさんやホステスさん、黒服さんにお寿司屋さんの若い衆。。。

決して私が顔が広いわけではない。夜の銀座という世界の狭さゆえだ。夕暮れ時とか19時過ぎあたりに7,8丁目あたりの路地をほっつき歩いていれば、仕事前の準備で往来する知った顔に会うことは珍しくない。

誰も通らないような細い路地で、良くも悪くも別人状態の顔見知りのママさんとぶつかったり、薬局で偶然会ったホステスさんにウコンの力をおごってもらったり、バッタリ会ったご高齢のママさん(ババさんか)に無理やりハンバーグを食べに連れて行かれたり、、、。

最近も、某クラブの黒服君が、うら若き女性と道端で神妙に顔を付き合わせていたので、すぐ横でウソっぽいクシャミをかましておいた。

先日、相変わらず一人で酒を呑もうとふらふら思案中に顔見知りの女性と偶然会った。着付けに行くところだという。まさに、ここで会ったが百年目。普通なら同伴出勤に付き合うところだが、あいにくその日は一軒呑んだら、そのあと野暮用があったので、お付き合いはできないことを詫びる。

ところが、一杯だけでも付き合わせろと憎いお言葉が返ってきた。お店に付き合わない客、それもしばらく不義理している客を相手に、お義理でも嬉しいことを言ってくれる。

とりあえず着付けに行く女性と別れて、近くのお寿司屋さんに腰を落ち着ける。

ほどなく、和装に変身した女性がおっとり登場。出勤時間まで30分もない。色気のない近況報告を交わし、一杯二杯ひっかけただけで慌ただしく去っていった。

一人のんびり呑むのが好きだが、こういうちょっとしたアクシデントなら一人酒じゃなくても楽しい。束の間のご相席が想定外だったことに加えて、やたらと短い時間だったので、妙に印象的だった。

でも、予定していなかったシチュエーションで綺麗ドコロにお供してもらうと変に緊張するから不思議だ。

ガラにもなく、ふと視線に入ったうなじにハッとしたり、お酌する指先を見てドギマギしたり・・・。
まだまだ修行が足りない。。もっと精進しないといけない。。

2009年1月29日木曜日

派遣切り 京品ホテル 悪循環

ファーストフードのハンバーガーが100円で食べられるのには、経営側の努力あってのこと。企業努力の代表がコスト削減。変動費の調整が中心だ。

正規雇用者ばかりだったら暇な時間帯も忙しい時間帯と同様に人員をシフトすることになる。そんなことしていたらコストがかさんで100円バーガーは提供できない。これってごく当然の道理だ。

評論家の大前研一氏がこんな例え話で、昨今の派遣切り問題を語った。わが社が発行している経営者向けの税務専門紙「納税通信」のインタビューで、最近の表層的な労働問題をめぐる報道に警鐘を鳴らしている。

常勤雇用こそが正しく、いわゆる派遣切りを断行する企業は悪者であるかのような世間の風潮は、まさに「木を見て森を見ず」の典型だろう。

「不安定な非正規雇用より常勤雇用を増やすべき」みたいな変なプレッシャーが世の経営者に向けられている。はたして、それを実現したらどうなるのか。結末は、日本企業の海外流出だ。

大前氏は、非正規雇用というスタイルを含んだ日本の産業構造自体が、多くの製造業があえて海外に行かずに粘ってこられた要因だと指摘する。

この構造が保てないなら、結局は大企業の海外進出が加速し、派遣切りどころの話ではなくなる。職場自体が国内に無くなってしまうという内容だ。

至極もっともな話だと思う。

ところで、東京・品川の京品ホテルをめぐる元従業員の居座り騒動にも、昨今の派遣切り批判と同様のいやらしい臭いがした。

従業員がホテルに誇りを持っていようが、愛着があろうが、細々と客が来ようが、本体の事業が立ちゆかなくなってからでは、屁の突っ張りにもならない。

経営側に対してやたらと戦闘的な連中って、会社自体が不滅なものだとでも思っているだろうか。無くなっちゃったら元も子もない。

大前氏の主張に話を戻そう。

最近の雇用不安に対して、経団連会長も“常勤雇用が望ましい”という趣旨の発言をしたことに対して、大前氏はスジ違いだと怒る。

すなわち、消費者に良い物を安く届けようと世界中で闘っているのなら、軽々しく常勤雇用賛美などという無責任なことはできないはずだと指摘。堂々とそのことを主張し、それが通らなければ日本では生産ができなくなると声を大にすべきという趣旨だ。

至極もっともだと思う。

不況風に対応しようと企業側もあれこれ創意工夫をする。当然痛みも伴うが、その痛みを単純に悪だと決めつけ、企業を悪者視したらバカみたいな悪循環に陥る。

雇用安定などの本来なら政治がすべき役割を企業に押しつけ、今以上に負荷を課したらどうなるか。当然、企業の利益は減少する。そうなれば税収は減ってしまう。

利益の減った企業は従業員の給与も削減する。そうなると個人個人が納める税金もどんどん目減りする。

税収が減って、連動して社会保障費の集まりも悪くなる。そうなれば、最終的には雇用政策に回す予算だって縮小される。実にもったいない負の連鎖だろう。

大衆向けメディアはいつの世もどんなテーマも大衆ウケを狙う視点でしか物事を報道しない。

経営者層の目線で正論を報道するような媒体はありそうでないのが現実。「納税通信」では、これからも世の経営者の皆さんが少しでも溜飲を下げられるような企画記事を掲載していく予定。

2009年1月28日水曜日

男ばかり

小学校から高校までずっと男子校に通った。
私にとっては、その生活しか知らないので特別な印象はないが、人様に話すと驚きや同情といった反応が返ってくる。

私の母校は、運良く周辺に女子校が山のようにあったので、思春期らしい経験にもそれなりに恵まれた。だから男ばっかりでも男子校の良い面ばかりを経験したように思う。

同じ年頃の男子でも、それぞれの路線はバラバラ。ガリ勉、運動派、ナンパ派などのパターンが一般的。その一方で「オカマ派」の存在がしっかり確立されていた印象がある。

オカマという呼称は今の時代、差別用語との指摘を受けるので、ここからは「ニューハーフ」と言い換えることにする。ニューハーフじゃなんかピンと来ないが・・。

最近、テレビをつければニューハーフのオンパレードだ。私が10代だった頃に比べて格段に彼らの社会進出は進んだ。一種の文化人並みに扱われているように見えることさえある。

私の中・高校生時代に“その道”まっしぐらだった旧友達は、あの頃より生きやすくなっているのだろうか。

私が通った学校は、小さい頃からエスカレータで上の学校に進むため、良くも悪くも狭い世界でいろんなことに見聞を深めた。男とは思えない“そっち系”の級友がいても、それはそれ。ハレモノに触るような別扱いまではしていなかったような気がする。それなりに学校やクラスに溶け込んでいたと思う。

まあアチラの世界のことはよく知らない、というか正直知りたくないが、単にナヨナヨした男と、いわゆる性同一性障害とは分けて考えないと行けないことは確かだ。後者は文字通り障害なので、コトはそう簡単ではない。

自分の性別が受容できないまま、自分が認識しているのとは反対の性別で生きていくのは結構悲惨だろう。

単純に自分に置き換えて考えてみた。男だと思っているのに、ずっと女性の格好をして、女性らしく振る舞い、女性の言葉を使って暮らさなければならない自分を想像してみた。どうにも耐えられない。そうした障害というか病気になっている人に対して安易に後ろ指はさせないと改めて感じる。

もちろん、病気や障害というレベルではなく、単純にナヨナヨしている男は嫌いだが、その線引きはこっちにはわからないのだから、それはそれで困る。

私の男子校時代にも「ニューハーフ系」はいっぱいいたが、いま思えば、ただのナヨナヨとは違う“筋金入り”もいた。噂では今もその路線を貫いて堅い仕事を化粧をしながら立派にこなしているらしい。

当時、そうした人々が自分の苦労や辛さをテレビなんかで訴えることはなかった。いま活躍中のその道の人達は、世の中に知識と一定の理解を広めているわけだから彼らの存在も意味があるのだろう。

性同一性障害に限らず、障害を持つ人が障害を堂々とアピールすることは、障害に無縁な人達の理解度を広めるために最適だという考え方もある。そう考えると売れっ子ニューハーフの使命って大きいのかも知れない。。

ところで、やたらとテレビに出ている売れっ子の美人ニューハーフが男子校出身であることをカミングアウトした本を見る機会があった。

私の母校出身だという噂を聞いたので確認してみた。本に使われている学生時代の集合写真を見ると確かにわが母校の制服だ。何年経ってもそういう路線の生徒がいるんだと思って変な意味で感心した。

男子校だからニューハーフが育つのか、ニューハーフだから男子校に集うのか、はたして男子校という異質な世界との因果関係はあるのだろうか。共学校にはどのぐらいの頻度であういう路線の男子が混ざっているのだろうか。

なぜだか興味が尽きない。

2009年1月27日火曜日

東京のカニ

年末にカニをたくさん食べた話を新年早々アチコチで自慢していたら、またカニがやまほど食べたくなった。

東京でカニといえば、単純な私が思いつくのは天下の「かに道楽」チェーン。以前、テレビの企画で某お笑いトリオが、かに道楽の全メニューを泊まり込みで食べつくす企画を見た。カニ好きな私は笑いとともにヨダレが出た。

メニューに書かれた順番に食べ尽くす企画だったので、揚げ物なら揚げ物、ご飯ものならご飯ものばかりが続く。その点は大変そうだったが、ゆでガニや刺身なんかは、見るのもイヤになるぐらい食べられたら幸せだ。

さてさて、今回出かけたのは東銀座にある「網元」。一応、かに道楽チェーンの上級ラインらしい。エンポリオに対するジョルジオだ。普通のかに道楽より、なんとなく店の作りや雰囲気が仰々しい。

メニューの内容は場所柄コースが中心。カニすきコースを頼んで、それ以外にアレコレ一品料理も頼むことにした。

コースもやたらと種類があるのだが、あまり揚げ物に魅力を感じなかったので、カニ刺し、ゆでガニ、焼きガニなどが付いたカニすきコースにした。

別注品は、甲羅ミソ焼き、花氷刺し、そして「ザ・かに道楽」というビミョーなネーミングの、いわゆる殻剥き盛り合わせだ。

ズワイの刺身はコースにも付いていたので、「花氷刺し」とやらは、きっと氷水にさらして花が咲いたようになっている鮮度抜群の刺身だろうと想像していた(今年1月6日付けのこのブログに花が咲いたような刺身画像を載せてますのでご参照)。

ところが、出てきたのは、コースに付いてくる刺身と特別変わりなく、ただ大量の氷に埋もれていただけ。身も花が咲いているわけではない。少し拍子抜けしたが、食べてみたら実に甘みタップリで濃厚。ウットリする。

花が咲いているような刺身は、考えてみれば話の種に食べるようなものかもしれない。新鮮さは間違いないが、新鮮さばかりが際だち、いわゆるウマ味に欠けるのだろう。

多くの魚がそうであるように、絞めたてより、絞めてから適度に時間をおいた方が旨味が濃厚になってくる。変な表現をすれば、死体ならではの味だ。死んで時間が経ったことで旨味が膨らんでくる。そういう意味で、氷水につけても花が咲かない程度のズワイの刺身には、旨味が充分にあふれている。実にエロティックな味だった。

次の画像は単品で頼んだ「ザ・かに道楽」。上の段はゆでガニ。右から毛ガニ、タラバ、ズワイ。下の段はズワイの刺身とタラバの刺身(湯引き)とズワイの沖漬け。基本的にコースで出てくるものとかぶるが、殻から剥かれているので、少し気分は変わる。でも味は同じなので、このあたりを食べ尽くす頃にはカニに飽き始める。

「カニに飽き始める」なんて、安易に書いてしまったが、実に素晴らしいことだ!富豪みたいだ。一般的に料理に使われているカニは一切れでも嬉しいのだから、飽きるほど食べられることは幸福の極みだ。おまけにカロリーも低い・・・。

最後のカニすきも鍋に入っているダシが実に風味豊かで、鮮度の良いズワイを大量にぶち込めば、ゆでたり焼いたりするのとはひと味違った美味しさ。飽きてきたはずのカニがドシドシ食べられる。

そして雑炊。問答無用でしょう。贅沢にカニのダシをまとった雑炊は滋味たっぷりの冬の味。攻撃的な美味しさではなく、ほっこりさせる優しい味わい。

カニを食べまくった翌日、私の脳裏に浮かんだのは「ズワイばっかりだったなあ」ということ。そして「毛ガニがたべたいなあ」「毛ガニのミソが恋しいなあ」・・・。

“北海道行きたい病”の発作が近づいているようだ・・・。

2009年1月26日月曜日

ムダ遣い

税金ってすべての国民に影響するにもかかわらず、想像以上に知られていないことが多い。難解な税金の仕組みはともかく、周辺事情なども世間一般にほとんど馴染みがない。

「税金のムダ遣い」というテーマも、週刊誌やテレビが表層的な現象を報道するぐらいだ。ムダ遣いチェックの専門機関である「会計検査院」については、国民にとって物凄く大事な組織にも関わらず広くその存在が知られているとは言えない。

会計検査院は、内閣や裁判所、国会のいずれからも独立した特殊な国家機関。独立しているということは、それらに対しても検査権限を持つことを意味する。いわば国家に対するマルサみたいなもの。

特殊かつ強力な機関の割には一般的に認知度は低い。実際の活動規模が大きくないこともその理由だろう。国税庁が6万人程度の陣容であるのに対し、会計検査院は、1300人ほどの組織であり、直接検査に関わっているのは、900名程度。

毎年一度、決算検査報告が総理大臣あてに提出され、その時だけはメディアもこぞって取り上げるが、それ以外に話題になることはない。

組織規模からして活動に限界はあるのだろうが、基本的に不正に対する刑事告発が行われることもなく、不正な公務員への懲戒権があるわけでもないため、行政機関のムダ遣いは一向に減らない。

税金のムダ遣いが減らないという事実自体が会計検査院の存在価値をビミョーなものにしているような気もするが、一応、会計検査院の年間予算より遙かに大きい金額のムダ遣いを毎年見つけてくるため、とりあえずその働きは貴重ではある。

会計検査院の働きによって発覚する税金のムダ遣いは、毎年、ある一定金額を超える。「今年はどこの役所もマジメだったようで、ムダ遣いはあんまり見つかりませんでした」といったことはなく、“実績”は安定している。

毎年毎年安定的にムダ遣いを見つけられるのだから、組織規模を2倍、3倍にすれば、ムダ遣いの指摘も2倍、3倍になると考えて間違いない。そうであるなら、会計検査院だけは行政のスリム化などどこ吹く風で、どんどん肥大化させればいいと思う。

会計検査院が税金の使われ方を検査する際には「正確性、合規制、経済性、効率性、有効性」の観点がポイントになる。正確であるだけでなく、効率性や有効性もチェックポイントになるということは、“バカげた使い方”もターゲットになるわけだ。

今日のブログで、こんな堅いテーマを書き始めた理由は実はこの部分がポイント。わが社の関係者のブログ(http://blog.livedoor.jp/shun1101/)を読んでいて、改めて例の定額給付金のトンチンカンぶりにイラついたことがきっかけ。

いわゆる所得税減税ではなく、バラマキ型の定額給付金という方式が選ばれたことは、納税すらしていない人々をも対象にするため。

しっかり納税している人なら、自分が納めた税金の一部が戻ってくるというイメージだが、納税ゼロの場合、タダでお金をもらうという意味でしかない。頑張って納税している側から見ればアホみたいな話ではある。

ついでにいえば、税金を滞納しまくっている人であっても定額給付金をもらうことに制限はない。

意識して税金を納めない人、悪意を持って滞納している人だろうとお構いなし。マジメな人が納めた税金をそういう輩にもバラまくのが定額給付金というスタイルだ。

このトンチンカンな税金の使い道は、会計検査院が言うところの「不適切な支出」に該当するんじゃないだろうか。マジメにそう思う。

さっき紹介したように「効率性」や「有効性」の観点も会計検査院の着眼点だ。だとすると定額給付金の「非効率性」や「非有効性」は国の財政支出として「不当」に該当するのではなかろうか。

会計検査院の検査報告は、支出が済んだ会計年度のものが対象。何年か後の検査報告で「定額給付金は不当でした」という指摘が盛り込まれたら面白いかも。

ちなみに会計検査院から不当事項を指摘されても罰則があるわけではない。それゆえにムダ遣いが減らないという見方もある。だったらだったで、変な財政支出はどんどん「不当」と指摘されて欲しい。罰則がないのだからせめてそのぐらいしてもらいたい。

今日は感情論に走ってしまった・・・。

2009年1月23日金曜日

お燗酒と神様

冬は燗酒を飲むことが多い。寒い夜、旨い肴を前にして熱めの一杯をひっかけると一気に身体全体が弛緩する。極楽気分だ。口の中と喉のあたりが温泉に浸かった時のように幸せになる。

冬の酒肴がまた熱燗に合うモノが多い。アンキモに白子、カラスミ・・・。やはり焼酎より日本酒、それも熱燗がバッチリな珍味ばかり。

器好きの私としては、熱燗を飲む時、“マイぐい呑み”があれば大満足。ご機嫌。ビジネスバッグにぐい呑みを常備し、いつでも臨戦体勢なのだが、なるべくバッグを持たないようにしているので、最近はマイぐい呑みを使いそびれることが多い。

以前、頻繁に通っていた寿司屋にお気に入りのぐい呑みを何点か置かせてもらっていた。キープぐい呑みだ。ここ数年は放浪の呑み助なので、マイぐい呑みと付き合うには持ち歩くしかない。

いまバッグに入っているのは、備前焼の逸品。人気作家・金重晃介さんの手による器肌の景色が変化に富んだ作品。燗酒を飲むにはもう少し小ぶりなものが私の好みなのだが、冷酒を飲む際にも使い勝手がいいので愛用している。

写真は、そのぐい呑みと食べかけのカラスミを撮ってみた一枚。

本当の酒飲みという種族は、ツマミにもうるさいことは言わず、ましてや器なんてどうでもよくて、普通のコップでがんがん飲むようなイメージがある。

私なんかは、ツマミがどうだの、盃をどうしろなどと小うるさいことばかり言っている。酒飲みとしては邪道なのかもしれない。

そうは言っても酒を飲むという行為自体が、その昔は大層な意味を持っていたことを忘れてはいけない!神道ではまさに身を清め、神様との一体感を高める飲み物と位置付けられている。

酒という言葉自体が災いを「避け」るという意味に由来するという話もあり、なんだかんだ言って、酒を呑む時間って崇高な時間なのだ(こういうモノの言い方を屁理屈という)。

酒を入れたり呑んだりする器だって、その昔は大事な祭器であり、食器と同等のもののではなかった。そう考えると酒器にこだわっている私の姿勢は、日本の伝統精神から見ても正しいことかもしれない・・。

「身を清め、神様と一体化する」。うーん実に素晴らしい飲み物だ。もっと呑まねば!。それならば、器だって神様に恥ずかしくないような良い物を使おう。もっと集めねば!。これもひとえに神様にお近づきになるためだ!

結局、“神様”を都合良く解釈する悪い癖が出てしまった・・・。

2009年1月22日木曜日

キャデラック

私はアメリカ人ではないので、大統領就任式で興味があったのは大統領専用車の威風堂々とした姿。その名もキャデラックの「プレジデンシャル・リムジン」。なんとも立派だ。これぞアメリカン!って感じだ。

報じられている記事を引用するとこんな感じ。
『~防弾ガラスと強化されたボディに加え、化学兵器による攻撃を想定して内装も完全密閉式になっているとされ、「携行式ロケット弾の攻撃にも耐えられる」ほど頑丈な作りとの評判に、一部では「小惑星の直撃にも耐えられる」との冗談も飛び交うほどだ。~』

うーん、是非近くで見てみたい。

以前、恐れ多くも私も参加していたあるイベントに天皇陛下がご臨席された。ここぞとばかりに私が実行したのが、待機中の専用車を見にいくこと。まことに不謹慎だ。

当時はまだ、現行の「センチュリーロイヤル」ではなく「プリンスロイヤル」が現役だったので、イベント会場の賑わいをヨソにノコノコ車寄せあたりをウオッチ。

ただ、通常公務には普通のトヨタセンチュリーが使われていて、レトロなクラシック感が魅力的だったプリンスロイヤルを間近で見ることはできなかった。それでも、ご紋章が付いたセンチュリーが厳かに停車している姿を見てウヒョウヒョとした気分になった記憶がある。

プリンスロイヤルに取って代わった現在のセンチュリーロイヤルは、何となく見た目が面白味に欠ける。これもひとつの昭和レトロ懐古趣味かもしれない。

さて、アメリカ大統領のキャデラックリムジンの話。過去の大統領専用車はリンカーンかキャデラック。ケネディ大統領が狙撃された時のオープンカーはリンカーン。

その後、専用車は防御機能がメインになっていく。ちなみに、確かレーガン元大統領が来日した際に持ち込んだリンカーンのリムジンがやたらと格好良かったことを思い出す。

今回の新型車もそれなり格好良いが、まるで要塞のようだ。あのリンカーンのエレガントさは特別だった気がする。

ところで、あやかったわけでもなんでもないが、実は私もキャデラックを愛用中。といっても「SRX」。すなわち、いまどきの四駆だ。

若かりし頃、ニッサンサファリ・ディーゼルを改造して、その手の愛好家が作る四輪駆動ツーリングクラブに参加していたことがある。

ナンパ車最盛期だったので、そういう風潮がイヤだったアマノジャクな私としては、オフロード攻めこそお洒落と思って遊んでいた。

いまやすっかり四駆もステータスが上がり、ポルシェだってカイエンが経営を支えるほどだ。昔の習性で、いまもついつい四駆に目が行ってしまう私が選んだキャデラックは、たいした故障もなくすこぶる快調。なにより気に入っているのが、絶対と言っていいほど街で同じ車種を見かけないという点。

私自身、オーナーのくせに「SRX」という名称がいつまでも覚えられなかったほどマイナーだ。そこが素敵だと思う。

今度から「俺のクルマは大統領専用車と同じメーカーだぜ」とか言ってみることにしよう。

でも、こちらの専用車は、野良猫に引っかかれたり、ネズミを轢いてしまったり、最近はドアミラーの自動開閉が勝手に動き出したり、随分頼りない。