2010年9月29日水曜日

石垣島 リベンジ

8月後半の潜水旅行では、天候の関係で沖縄本島の本部エリアで潜る予定を急きょ変更して石垣島にマンタを見に行った。

石垣島・川平エリアには世界でも稀なマンタとの高い遭遇率で知られるダイビングポイントがあり、8月、9月ならその確率は「ほぼ100%」と言われる。

15年前に訪ねた際には、実際に「ほぼ100%」マンタに遭遇したが、先月行った際には想定外の惨敗。マンタポイントに3回潜って1度も遭遇しないというアンラッキーな結末だった。

実は15年前にマンタを撮影した写真はネガごと無くなってしまった。当時一緒に旅行に行った”前の奥さん”が家を去る時に捨てたらしい。

ビミョーな話だ。

一応、四半世紀にわたってアチコチの海を潜ってきたベテランフォト派ダイバー?としては、マンタの画像ストックがないことは耐えられない。どうしても撮影したい。

8月にマンタに会えなかったイライラは想像以上に私の心をむしばみ、食欲減退をはじめ自律神経にも異常を来たし、幻覚まで見るようになってしまった(ウソです)。

というわけで石垣島にリベンジに行ってきました。

8月の惨敗から1ヶ月。東京が急に寒くなった週末と祭日を絡めて出かけた。この1ヶ月、毎晩毎晩、寝る前に両腕を左右に広げて上下にヒラヒラする「マンタダンス」を欠かさず、毎朝近所の神社に願掛けに出かけてマンタとの遭遇を祈願してきた(ウソです)。

潜水初日の2本目にいざマンタポイントへ。
透明度が悪く、すぐにでも現れそうな予感むんむん。エントリーしてすぐにこの日の水平透明度ギリギリあたりの20メートルほど先にやたらとデカいマンタ登場。

ただ、ちらっと見えただけでヤツは消えた。やばい。これでも一応見ちゃったことになる。このまま終わったら水中写真家が本業(大ウソです)である私にとってリベンジにならない。

しばし、マンタをじっと待つ。そしてヤツは音もなく現れた。嬉しくて涙チョチョぎれだ(半分ホントです)。腹にコバンザメをくっつけて堂々の登場だ。何度見てもあの雄大さは素晴らしい。海を羽ばたく怪鳥のようだ。

(画像をクリックすると拡大します)




世界にも稀なポイントだ。さすがに出る時は出る。その後も続々登場。このエリアがクリーニングステーションになっているため、身だしなみを整えに彼らはやってくる。

この地域では地元ダイビング業界の申し合わせ事項がある。マンタがホバーリングする根に上がってはダメだとか、追ってはいけない、進路妨害は禁止だとか、もちろん触ってはダメだとか様々なルールがあるので、なかなか撮影のために大胆な行動が取れない。

私と一緒に潜ったグループだけでなく、水中でマンタ待ちをしている大勢のダイバーの目が気になる。図々しい私もさすがにルール違反撮影は無理。実際にマンタが留まる根に上がりかけて、見知らぬショップの引率ダイバーに怒られてしまった。

この日、マンタポイントにはダイバーを乗せた船が17艘来ていた。ざっと200人から300人は数百メートル四方に潜っているわけだ。マンタ待ちをする場所は皆さんそれぞれ。どれだけマンタが近くに来てくれるかはあくまで運次第だ。

今回それなりに「証拠写真」は撮れたが、もし他のダイバーの目線がなければ、プロ級の画像が簡単に撮れるのは間違いない。

まあそんなワガママは言えない。いかにマンタの通り道にいられるかという運とマンタの移動コースをどう読むかで撮影できるかどうかが決まる。



触れられるほどではないが、運良く私から2メートルぐらいの場所をマンタが通過してくれた。連日のマンタダンスと神社通いの成果だ。太陽を入れてそれなりに撮影できた。

水面にはシュノーケルのツアー客も写っている。水深12~3メートルあたりにいるマンタを水面から見ても黒い背中がボンヤリ見えるだけだろう。ちょっと気の毒だ。私が追い回せば、マンタはバク転の一つもしてくれるはずだから追っかけようかと思ったがさすがにガマンした。

接近撮影できた個体はさほど大きくはない。それでも「翼」を広げれば軽く3メートルぐらいはありそうだ。優雅に舞う姿にしばし見とれる。

レンズはトキナーのフィッシュアイズーム。銀塩時代の表現だと「16~24㎜」相当の画角だ。これほどマンタ狙いに適したレンズはないと思う。

15年前には、超広角系でズームが可能なレンズなど無かったので、16㎜を装着するか、20㎜レンズを装着するか大いに悩んだものだが、いまではオールマイティーに撮影可能。

正直、今回程度の接近では28㎜クラスがベストだったようにも思うが、水面と太陽も入れるとなるとフィッシュアイは威力を発揮する。



24㎜側にズームしておけば、離れた場所でマンタと接近するダイバーの様子も一応記録に撮っておける。人物が入るとマンタの大きさも伝わりやすい。

と、言いながらこれを撮っている時はマンタの近くにいるダイバーがうらやましくて地団駄を踏んでいた私だ。

今回もマンタポイントには3回潜った。2回目は45分ほど待機したが現れず、あきらめてボートの下の水深4メートル付近で浮上前の安全停止をしていた。それでもキョロキョロと周囲を見回していたら遠くから2枚(マンタはなぜか一匹二匹ではなく一枚二枚と数える)一緒に泳いでくる姿が目に入った。


安全停止をやめて再潜行。なんとか撮っては見たもののチョット遠くて良く分からない。残念。今回の目標は1枚ではなく、2枚以上のマンタを同じフレームに捉えることだったので、せっかくのチャンスを逃して悔やむ。

でも見られただけで喜ぶ。また潜りに行く言い訳が出来た。

マンタポイントに3回目に潜った時は水平透明度が15メートル弱と濁りが強く浮遊物も多かった。撮影環境としては劣悪だったが、それでも小一時間のうちに7回ほどマンタ登場。透明度が悪い分、登場する感じも突然「ヌボ~」という雰囲気。萌え萌えだ。地元のガイドさんによると個体数では4枚だったそうだ。

接近遭遇できたマンタもいたのだが、濁りの関係でバッチリの写真は撮れず。それでもなぜか周りに他のダイバーがいないタイミングだったので、その迫力を堪能できた。見つめ合えたからOK。


まあ遭遇、撮影した私自身は大感動なのだが、こうもマンタの画像ばかり並べるとやっぱり少し不気味に思う人もいるかもしれない。

どこかの国の昔の漁師は、「マントをまとった悪魔」とか呼んでマンタを忌み嫌ったという話もある。マンタの語源もそこにあるらしい。いまでも「デビル・レイ」という呼称もある。メジャーリーグの球団名にもあったような気がする。

実際のマンタちゃん達は、エイにしては珍しく尾っぽに毒針もなく、プランクトンを補食する穏やかな生き物だ。悪魔と呼ばれるのは気の毒。

汚い画像で終わるのはイヤなので、濁りの中でストロボの加減と光の向きを一生懸命考えて何とかそれなりに撮った画像を並べてみます。




一応、念願のマンタリベンジは達成した。しかし、人間はワガママなもので、会えただけで満足すべきなのに、もう次回の構想を練り始めてしまった。

もっと迫力のある画像を撮りたい。ワンフレームに3~4枚のマンタが乱舞している画像が撮りたい。いまどきのデジカメなんだから、ついでに動画にも収めてみたい。欲求はつのるばかりだ。

石垣のマンタシーズンは風向きの関係でそろそろ終了。来年5月ぐらいから改めてシーズンを迎える。梅雨明けあたりにまた行ってしまいそうだ。

2010年9月27日月曜日

現実的な夢

まもなく誕生日が来たら「アラフォー」が終わってしまう。四捨五入という情け容赦の無い数え方によれば私は相当オジサンになってしまう。

そうはいっても、ドカ食いはするし、悲しい映画を見ると号泣するし、エロ大作戦はまだまだ展開中だし、新しいワザも日々研究中だ。大人げないのかバカなのか悩ましいところだ。

壮年と呼ばれるまでにはまだ時間がある。それまでにいろいろとやりたいことはある。「夢」と呼ぶには大げさだが、一応、現実的な夢はいくつもある。

仕事上のこと、家庭のこと、そういう厄介なことは抜きにしてアレコレ考えてみた。さすがに中央競馬の個人馬主になるとか、神楽坂あたりに100坪の平屋を建てて暮らすなんてことは非現実的なので、あくまで「その気になれば出来そうなこと」に限定しよう。

「オーロラを見ること」。昔から憧れているが機会がない。それだけの予算と時間があれば潜水旅行に行ってしまっていたので実現していない。

「ドイツの混浴温泉・サウナに行く」。

http://www.youtube.com/watch?v=cxXEduzHJPI

これもその気になれば行けるのに勇気が無くて未体験だ。凄いことになっているらしい。サウナ好きでおまけにAVを見るなら“グループ系”と決めている私だ。行かねばならない神秘の世界だろう。グラマラス美女の同行者を見つけたらすぐにでも行かねばなるまい。

「アフリカ」。まあ定番だろうが、これまた根性入れて行かないと中々実現しそうにない。以前、伊集院静の「アフリカの王」という長編小説を読んだことも影響している。夜更けに宝石のように輝く星空が人生観を変えてくれるらしい。

こう書いてみると旅にまつわるものばかりだ。他にないのだろうか。

そうだ。陶芸家になりたかったんだ。「陶芸家になる本」とかいうベタな本まで熟読したことがある。細川さんだって総理大臣を辞めてからあれだけの人気陶芸家になったのだから、絶対無理というはずはない。

昭和を代表する備前焼の人間国宝・藤原啓にしても陶芸を始めたのは40歳を過ぎてからだ。といいながら鑑賞・収集そして飲酒専門で器を愛でているだけの私では難しいかもしれない。

さてもっと現実的な夢はないだろうか。

そういえば髪の毛をアフロヘアにしてみたい。ついでに緑とか紫に染めてみたい。アフロといっても昔の久保田利伸みたいな感じではなく、あくまで「松鶴家千とせ」みたいな髪にしてみたい。

「わかるかな~、わかんねえだろうな~」という意味不明のギャグで一世を風靡した変なオジサンだ。

元来、髪質が細い私だ。若い頃はエンジェルヘアーなどと気取っていたが、年とともに草原が滅びるように減少し、現在では育毛、増毛効果のある薬物なんかを愛用している。

一応、いわゆるハゲオヤジではないものの、画期的な髪型を作り上げるほどの毛量はない。昔から同じような個性のない髪型だ。一度、アフロのような突拍子もない髪型にトライしたい。

まあ、そのうち、キチンと禿げ上がったら、いろんなスタイルのズラを数限りなく制作して日替わりでかぶってみるつもりだ。結構これは本気だ。

もうちょっと真面目な現実的な夢は「ダイブクルーズに乗ること」。25年近く潜水趣味を続けているのにダイブクルーズは未経験だ。

文字通り、船に寝泊まりして1日5回も6回もダイビング三昧するスタイルだ。ダイビングポイントへの移動がない、機材はタンク交換だけでセットしっぱなし。「食う寝る潜る」これだけ。

休みの短い日本人向けにもパラオやタイあたりでは短期間のクルーズはある。ただ、調べてみると、ちょっと船にゴージャスさが足りない。タイ・スミラン海域のクルーズなんか昨年、転覆して沈んじゃった事故もあった。

最近はだいぶ改善されてきたらしいが自分用の個室にトイレやシャワーがないとか、狭い刑務所のような二段ベッドの部屋が主流だとか、「富豪」?としてはそそられない。

無鉄砲な若い頃には悲惨な宿に泊まって潜り歩いていた。ゴキブリだらけの部屋で、ネズミが尻の下を走り回る壮絶な汲み取りトイレに悪戦苦闘したこともある。それでも当時は楽しかった。すっかり贅沢になってしまったことはある意味不便だ。

それ以外にも、せっかくの旅先だから夜は夜で盛り場で呑んだくれたい気持ちがクルーズを敬遠していた理由でもある。

さてさて、そうなると選択肢は盛り場が無いような秘境の地へのダイブクルーズだ。考えられるのは、ガラパゴスとか、インドネシア・コモド海域とか紅海・スーダンエリアへのクルーズだ。短くても船中泊が1週間程度の豪華大型クルーザーに乗りこみたい。

私の英会話能力は犬が飼い主に話す程度のレベルだが、ダイビングの話ぐらいなら何とかなるだろう。付き合ってくれそうな人はいないだろうから、きっと一人旅だ。

今更ながら英会話教室にでも通っておこうか、それとも金髪の愛人でも作ったほうがいいのだろうか。

どうしてそういう結論になるのだろう?

2010年9月24日金曜日

小料理屋と皿うどん

こじんまりして、季節に応じたウマいものを出すカウンター中心の店。お客さんも騒々しくなく、寡黙な板前さんと、和装のおかみさんが切り盛りするようなシッポリ系の店。そんな店なら頻繁に通いたい。

そんな絵に描いたような店はありそうでなかなか見つからない。間違いなく池袋には無い。あったとしてもビール一本とイカ刺し一品で粘り続けるタチの悪いオヤジに占領されている。必然的に銀座、赤坂あたりで探すことになる。

銀座をぶらぶら歩いているとそれっぽい店を見かける。雑居ビルの上の方とか、地下奥深くとか、たいていは目立たずに佇んでいる。飛び込みで入ってもけげんな顔をされそうでなかなか開拓できない。

その手の店の良さは逆にそういう神秘性にあるのだろう。誰でも気軽に飛び込めるオープンな店なら冒頭に書いたような雰囲気は期待できない。

そんな店を常時開拓中の私なのだが、先日、ひょんなことからイメージ通りの店を見つけた。久々のヒットだ。

銀座で働く人が連れて行ってくれた。数寄屋通り側の雑居ビルの上の方にポツンとあった。小箱でカウンター中心。元新橋芸者さんだったおかみさんが和服でいそいそと働き、初老の板前さんが黙々と丁寧に料理を担当する。

窮屈な高級感はない。かといって適度なシッポリ感が漂う。実に銀座的なお店だと思った。うまく表現できないが、酒を呑みたくない時でも、調子よくお燗酒をあおりたくなっちゃう雰囲気。

世間様から隠れるほど悪いことはしていないのだが、隠れ家として通いたいと思う。もったいぶって店の名前は書かないでおく。

食べ物がまた高水準だった。誠実に料理された味の良さはもちろん、酒呑みのツボを押さえたメニューがまたニクい。メニューに値段が書いていないのも恐いけどニクい。

お通しは数種類出てきた。野菜中心のしっかりと手の込んだ料理。なかでもハマグリのヌタが奥深い味わいで、何を注文しても外れが無さそうだと確信。

実際いろいろ注文したが、全部真っ当に美味しかった。こんな店が近所にあったら肝臓がいくつあっても足りない。

メザシと小ぶりの赤ムツの一夜干しを食べたが、大げさではなく私の「メザシ感」が一変した。味の強さ、脂の乗り方ともに抜群。ちょっとビックリした。

カラスミや刺身、ナンコツ入りの鶏のつくね等々、奇をてらったメニューはないが、すべて高水準。おでんも結構な種がラインナップされていてメニュー選びがかなり楽しい。

変わり種といえば、皿うどんだろう。正当派小料理屋というかオーソドックスな和食屋さんには異色のメニューだ。これがまたウマい。ちゃんとウスターソースも出してくれる。ハーフサイズでも頼めるらしい。

たまに酔っぱらった夜更けに一人、こっそり「リンガーハット銀座店」でソースをベチョベチョかけて皿うどんを頬ばる私だ。そんな変な趣味がある私にとって実にニクい締めの一品が用意されているわけだ。

近いうちに改めて突撃しようと思う。

2010年9月22日水曜日

甘党

酒ばかり呑んでるように見えて、実は私は結構な甘党だ。酒も好きだが、甘味にも目がない。節操がないというか幸せな身体だ。

シガーバーで葉巻をくゆらせながら、シングルモルトを舐め舐め「オレって怪しいオトナじゃん」などと気取った時間を過ごしていても、サービスでチョコレートが出てくると人格が変わる。わざわざオカワリして延々とチョコレートばかり食べてしまう。結局「お子ちゃま状態」だ。

いい年をした男として何事にもこだわりを持って生きていたいものだが、甘いものに関しては割と節操がない。コンビニで売っている変なプリンとか、レジ横に置かれているミニサイズのチロルチョコとかも衝動買いをしてしまう。

「最近食べ過ぎが続いたから今日は昼飯抜きだ」と決意しても、午後3時頃になると職場に隣接するコンビニでどうでもいいパフェとか大福を買ってしまう。そんなイージーカロリーに手を出すのなら、よほど近くの手打ちそば屋で軽く昼飯を食べた方がローカロリーだ。

どうでもいい安物スイーツでも喜んで食べていると、時たま食べる高級スイーツの贅沢さにぶっ飛ぶ。



写真は帝国ホテル「パークサイドダイナー」のチョコレートパフェとキャラメルクレープだ。

創作系とはいえないオーソドックスなスイーツだけにゴマカシはきかない。“本気で作りました”という雰囲気が漂う。大量生産工業品的甘味に馴れている舌をビックリさせてくれる。

キャラメルクレープのソースがまた「苦み走ったイイ男」だ。オトナの苦みだ。私が愛する“日本人好みの正当派ホテル西洋料理”の延長線上にある「東京の味」だと思う。ゼヒ一度お試しあれ。

甘味の中でも本来私は洋菓子より和菓子のほうが好きだ。もっちり系の食感に弱いので、モチ系、ういろう系、すあま系?がとくに好きだ。こしあんなら尚更嬉しい。練りきりも見るだけでヨダレが出る。

日持ちしないのでごくごくたまにしか注文しないのだが、いつも興奮するのが、名古屋・美濃忠の「上り羊羹」。一般的な羊羹のイメージとはまったく異なる食感がエロティックだ。

http://www.minochu.jp/agari/

ふわふわ、ぷよぷよ、もっちり。思春期の頃、勝手に思い描いていたオッパイのイメージみたいだ。強すぎない甘さがジュワッっと口に広がり、きっと誰もが機嫌が良くなる味だと思う。

その他にもいろいろオススメはあるので、いずれ紹介してみたい。

ちなみにわが社が出しているオーナー経営者向けのフリーペーパーである『オーナーズライフ』の人気コーナーを紹介したい。

「美女が選ぶ逸品の逸話・社長の手土産」というタイトルのこのコーナー、毎号女性経営者が気の利いた手土産を紹介する企画だ。

毎号紹介される手土産候補の逸品は2点。甘味が紹介されることが多い。最新号では人気のマカロンとラスクが登場。うまそうです。

2010年9月17日金曜日

内臓を覗かれた日

内臓を覗かれてきた。おまけに私の知らない間に盗撮までされた。いつも南国の海やプールで見知らぬ女性の水着姿を盗撮している私に対するしっぺ返しだ。

オカマでもないのにお尻の穴から挿入されてしまった。カメラを。口からも遠慮なく特殊なカメラが入ってきた。裸を見られるのは恥ずかしいわけだから、裸のその先である中身を見られるのはもっと恥ずかしい。

「恥ずかしさと快感は紙一重だよ」などといつも女性を洗脳するように言い聞かせる私だ。その言葉にウソはなかった。まさに快感に浸る時間だった。

年に一度の胃と大腸の内視鏡検査だ。今年は体調不良もあって予定より早い時期に受診した。銀座1丁目にあるクリニックにはもう5年ぐらい通っただろうか。ある意味「銀座の馴染みの店」?だ。

このクリニックの素晴らしいところは、薬物注射で私にめくるめく快感を与えてくれる点だ。押尾君もここに通えば犯罪人にならないで済んだだろうに。

検査の前に特殊な鎮静剤でコロッと落としてくれる。血液検査の注射のついでにその薬物は注入される。麻酔ではないので、実に緩やかにホワワンとさざなみが押し寄せるように意識を失う。

意識を失うまでの時間が醍醐味。徐々に視界が狭まり、浮遊しそうな感覚にとらわれる。この快感を長く味わいたいために必死でシャキッとしようと抵抗してみる。抵抗むなしく母親の胎内に潜り込むかのように落ちていく。

落ちないようにドクターにとりとめのない話を持ちかけてみるが、あれよあれよという間にロレツが回らなくなる。「来た、きた、キタ~~」とつぶやいて意識を失う。

眠れない夜にゼヒ欲しい薬物だが、以前、ドクターに「売ってくれ」と頼んでも売ってくれなかった。

目がさめる頃には、小部屋の中でポツンと一人寝かされている。本当に検査されたのかも分からないぐらいほとんど記憶はなく、ぐっすりだ。それでもスタートから起きるまでざっと1時間から1時間半程度だ。

有難いことに割としょっちゅう見つかるポリープは2年連続で無し。びらんだとか憩室はレギュラー。胃と食道の境目に気になる色素変化があって細胞検査に回されたぐらいで特別厄介な状態ではなかった。逆流性食道炎は相変わらず好転していないが、その程度なら私にとって充分合格点だ。

それにしても今回の鎮静剤、効きにくかったというか、私がムダな抵抗をしすぎたせいで、ラッキーなことに?普段より多めに注入された。

おかげで検査終了後もフワフワ感がずーっと続いた。それはそれでかなり気持ちいい。

朝から絶食状態で検査が終わったのが午後2時半過ぎ。フワフワ感のまま空腹を満たすためにドカ食いするのが私のお決まりのパターンだ。


今回はタクシーでワンメーターの日本橋「たいめいけん」に行った。この時間なら空いているだろうから、ポリープがなかったことに祝杯を上げないといけない。

鎮静剤とアルコールはフワフワ感と睡魔が増長するのだが、それはそれ。コールスローをツマミにエビスビール。朝から下剤用のドリンクぐらいしか飲んでいなかったので、恵比寿様が五臓六腑に染み渡る。グヒヒ。


単品注文したカニクリームコロッケの登場だ。タルタルソースつきだ。ウスターソースも混ぜてベチョベチョと食べる。恵比寿様も好調だ。最高だ。恥ずかしさに耐えた私の素っ裸の胃が喜ぶ。ウホホ。


まもなく、タンポポオムライスなるものが運ばれてきた。何種類かあるオムライスの中で何となく選んだ一品。チキンライスの上に大ぶりのプレーンオムレツが載っている。

オムレツを真ん中あたりで割るとトロトロフンワリのオムレツがビュワッ広がる。結構楽しい。デミソースとかではなく、ただのケチャップを使うのが面白くないが、オムレツがやたらとウマい。優しい味でオジサン向きだ。ペロペロ食べる。


食後ふんわりしたまま職場に向かう。ダメだ。フンワリモードが消えない。非常階段の踊り場で葉巻をふかしたぐらいでとっとと帰宅してしまった。

ダメダメな1日だ。まあ健康管理も我々にとって重大な任務だ。普通なら1泊2日の人間ドックでやるような項目をほとんど半日でこなしたのだから許してもらおう。

2010年9月15日水曜日

コラム

このブログでたまに小難しい話を書くことがある。私がただの酔っぱらいエロオヤジだという事実を隠すために真面目な話を書いているわけではない。

タネあかしをすれば、仕事で書いているコラムがベースだ。わが社の新聞の1面にあるコラム欄に書いた内容を膨らませてここに載せることがある。

新聞記事の基本は事実の客観的報道だが、新聞社自体の考えや主張、各記者の個人的見解などを載せるのがコラム欄。朝日新聞でいえば「天声人語」などがそうしたスペース。

大新聞のコラム欄であれば、執筆担当の論説委員はその業務しかしない。それを書くことだけが仕事。私の場合そんな悠長なことは無理。いろんな業務やら雑用の合間に書くことになる。ヘタすると締切日の夕方になっても書き忘れたままで催促を喰らう。

だから大したものが書けない。と、言い訳をするのもスマートではない。専門新聞なので、ある程度テーマは限定される。何かと苦労する。

まあ、そうはいっても、遊んでいる時にでもふとコラムの題材を思いつくことがあるから、その点ではボケ防止に役立っているのだろう。

旅先の経験が思わぬネタになることも多い。エジプトの博物館が貴重な遺物なんかをオープンに展示している場面に遭遇すれば、「過度な規制」が題材になるし、カリブ海のリゾートが実践していた海洋保護の先進性を見て「環境政策」を書いたこともある。

マレーシアで地方選挙がお祭り騒ぎになっている現場を目撃すれば「投票率問題」を取り上げ、韓国の骨董品国外持ち出し規制でヤバい目に遭えば「文化財保護の重要性」を書いてみる。

遊びといいながら、より良い?紙面作りに役立っているわけだ。そのせいか何か書くたびにネタ元になった旅行費用を会社の経費にできないか考えるのだがさすがにそれは都合が良すぎるか。いや、もしかしたら、一部の費用ぐらいなら経費にしちゃっても税務署が文句を言うことはないかもしれない。

そんなこんだで、今日は最近書いたコラムをそのまま載せてしまおう。民主党代表選がまだ決着していなかった先週の段階で書いたものだ。

何のことはない。沖縄に遊びに行って見聞きした話がベースだ。航空券代ぐらい経費にしてもらえないもんだろうか。



▼基地問題で揺れる沖縄。「戦争は終わっていない」という表現をいろいろな場面で耳にするが、身近にある命の危険という意味では不発弾問題がその最たるものだろう
▼大空襲を経験した東京でも時たま不発弾発見がニュースになるが、沖縄の場合、毎月のようにどこかで不発弾処理が行われている。本土で何気なく暮らしていると想像もできない日常だ
▼当時、沖縄では「タタミ1畳に1発」といわれるほど膨大な量の爆弾が空から降ってきた。本土では国による終戦処理事業として行われた不発弾処理だが、長く米軍占領下にあった沖縄では対策が遅れた
▼すべて撤去するにはまだ100年近くかかるという話もある。終戦後、昨年までに不発弾が原因と見られる爆発事故で700人以上の命が奪われ、1千人以上が負傷した。現在進行形のまぎれもない「戦災」だ
▼民主党代表選の行方に注目が集まっている。どちらが首相になるにせよ沖縄問題の行方が気になる。米軍の本土上陸を阻止するため、ひいては戦争終結、国家再建のために犠牲になった沖縄。65年経ったいま、あらためて思いを馳せたい。

2010年9月13日月曜日

ヒュー・ヘフナー

「ヒュー・ヘフナー」。この名前、ある年齢以上の男性には独特な響きを持つ。

「PLAYBOY」の創刊者であり、その生きざまもまた同誌のイメージそのものの人。現在84歳。まだまだ元気で活躍中らしい。

私にとって、「ヒュー・ヘフナー」は、トラとかライオンをかっさばいたじゅうたんの上で金髪美女を何人もはべらせてブランデーグラスを手に不敵に微笑むオッサンだ。

確か私が小学校高学年の頃、日本版「PLAYBOY」が鳴り物入りで誕生した。週刊プレイボーイとは全然異なる大人向けの高尚かつ魅惑的な雑誌だった。

祖父が自宅で定期購読した。そりゃあ小学校高学年の僕ちゃんは大興奮で、ひっそり隠れて拝見していた。

記憶はおぼろげだが、ヒュー・ヘフナー本人も宣伝塔として雑誌によく登場していた。いつも美女をはべらせていた気がする。

「このオッサン、たまんね~暮らしだなあ」。子供心にそう思った。ちなみにウィキペディアで出てきた彼の情報にはこんな一説が記載されている。


~~~1988年には、ヘフナーの娘であるクリスティー・ヘフナーがPLAYBOY社のCEOに就任(現在は取締役会長も務める)したことで、経営の第一線から身を引く形になったものの、現在も「プレイボーイ・マンション」と呼ばれる豪邸に正妻を含む多数の女性と暮らす他、数々のメディアに登場するなど、「PLAYBOY」誌の「哲学」を身を持って体現するライフスタイルを続けている~~~


最敬礼したくなる。「正妻を含む多数の女性と暮らすジジイ」だ。それはそれで大変なときもあるだろう。

オトナになった私は、ごくたまにバンコクとかソウルとかススキノとかで、「はからずも」、「ひょんなことから」あられもない美女達に囲まれて過ごしてしまうことがある。

そういうとき、自分がヒュー・ヘフナーになったような錯覚を覚える。子供の頃の印象は相当強く自分の中に刻まれているようだ。

世界各地で現地版が創刊されたほどの「PLAYBOY」の流行は、アメリカ大好きの日本でも物凄かったようで、その後「プレイボーイクラブ」が六本木に誕生するに至った。

バニーガールがウロウロするレストランバーの元祖だ。新しもの好きの祖父は最初の頃からメンバーになっていたようで、それこそひょんなことから私も同行する機会があった。

小学校高学年、思春期の入口あたりの僕ちゃんだ。感想はただ一言「ぶっ飛んだ」。

バニーガールがウロウロだ。お尻プリプリだ。胸の谷間からライターを出してお客さん相手にタバコに火をつけている。

クラクラした。子供なのになぜ連れて行かれたかというと、ファミリー向けのクリスマスパーティーみたいなイベントだったから。35年ぐらい前の話だ。随分ハイカラだ。

そういう事情なのできっと普段より妖艶さは控えめだったのだろうが、子供だった私には刺激が強かった。表現するなら酔っちゃった感じ。バニー酔いだ。

1970年代の夢のような記憶だ。

祖父も亡くなり、日本版「PLAYBOY」も廃刊になり、プレイボーイクラブも今はない。

残ったのはバニー好きのエロオヤジになった私だ。Tバックが好きだと広言してはばからないのも、きっとあの日、バニーガールのお尻の食い込み加減が強く脳裏に刻まれたからだと思う。

先日、会社の人間と食事をしたあとに「どっか画期的な店に連れて行け」と無茶な指示を出した。連れて行かれたのは池袋にあるバニーちゃんの店だった。

バニーちゃんがいっぱいいた。しみじみ眺めた。凝視した。穴があくほど見続けた。

幼かったあの日、バニー様を前に顔をあまり上げられなかった初々しさは今はカケラもない。

そんな私だ。