2012年4月27日金曜日
野球
2012年4月25日水曜日
結婚 未婚 離婚 再婚
最近、続けざまに未婚男と飲む機会があった。未婚といっても、わざわざそう表現するのだから中年男だ。ともに40代半ば。江戸時代だったら隠居の身分だ。
片方の男は、意中の人がいるらしいが、相手がちょっと消極的で、せっせと自分から追い込もうとしている。
もうひとりは、泰然自若に見えながら、お見合い的な工作に幾度もトライしてブツブツ文句を言っている。
二人とも要するに結婚したいらしい。
大丈夫か!今の幸せに気付いた方がいいぞ!っと言いたいのが私の本音だが、本人達は一度は結婚生活を経験したいらしい。
そういうものだろうか。
その一方で、中年になると、周囲に結婚3回目とか4回目とか、これまた偉人みたいな人が出てくる。それはそれで凄いことだと思う。
何度も結婚し直す人をバカにするのは簡単だ。実際、さほど頭が良くないのだろう。いやいやそんな失礼なことは言えない。
逆に人間としてとても素直で純粋で愛すべき人物なんだと思う。これはお世辞ではなく、本心からそう思う。
親子関係とは違って、夫婦は他人である。他人同士が一つ屋根の下で何十年も暮らしていくことは生半可なことではない。ギクシャクして当たり前だ。
結婚生活の基本は忍耐と我慢と妥協である。基本というより、むしろそれしかないのが現実だろう。
たった一度の人生、忍耐と我慢と妥協に甘んじることを良しとしない極めて健全な発想が仕切り直しを選択する。ごく自然な発想だ。
仲良し夫婦なんてものは、奇跡的なほど相性が良かったか、前世で悲恋関係にあったことを神様が憐れんだかのどちらかだろう。
仲良しではないものの、何となく日々をやり過ごしている大半の夫婦は、忍耐と我慢の中で生まれたあきらめを同志的連帯感と思い込んで漫然と日々を回している。
離婚するエネルギーや面倒臭さは、確かにそれを思いとどまらせるぐらい厄介だ。多くの夫婦が踏みとどまっているのも、そこに最大の理由がある。
だからこそ何度も結婚をやり直す人は、エネルギッシュで純粋で一本気で、正直で真っすぐな人だと思う。ホメ過ぎか。でもそれが真実だと思う。
世間様というヤツは厄介なもので、あーだのこーだの屁理屈をこね回して、忍耐と我慢と妥協をしないことを罪悪視する。
「家庭を守れないようじゃ出世しない」、「裏切り者と呼ばれたいのか」、「老後に悲惨な目に遭うぞ」とか実にウサン臭い言われようだ。「夜に口笛吹くとヘビが出る」ぐらいのテキトーな話だろう。
わが敬愛するハマショーも「疲れたどり着いた家、窓の明かりまるでダイアモンド~」なんて歌詞を叫んでいたが、私にとって、深夜に帰宅した際の窓に灯る明かりは不整脈の元である。
おっと脱線した。
もちろん、社会秩序を保つためには協調性が大事であり、社会の最低単位である家庭というものが渋々でも維持されていなければ世の中が不穏になってしまうのだろう。
古今東西、あらゆる角度からの協調性とやらの押しつけで、多くの家庭が何とか維持されているわけだが、それをモノともせず何度も結婚をやり直す人は、クドいようだが私に言わせれば偉人だ。
だいたい、結婚式という儀式自体、舞い上がっている当事者達をマインドコントロールする作為がプンプンである。
神様に永遠を誓うという行為自体が、オドシみたいなもんだ。親戚、知人、友人からお金をもらってまで小っ恥ずかしいセレモニーを見せることで「簡単にヤメちゃいかんぞ」と無意識のうちに洗脳される。
その先に待っている現実が想像以上に大変だからこそ、最初の儀式の段階でさもスンバラシイことを成し遂げたかのように錯覚させるわけだ。
なんかキリがなくなってきた。
こんなことをグダグダ書いていると、普通の人は不快に感じるんだろうなあ。
でも、その「普通」ってやつが厄介なんだと思う。
「フツーはこうなんだ」、「フツーはそれが当然」等々。フツーフツーの押しつけが世の中を息苦しくしている。
今日は爽やかさのカケラもない話題でスイマセン!
2012年4月23日月曜日
生田與克さん 魚食
世界に冠たる魚市場・築地を題材にした本を読んだ。著者は生田與克さん。軽妙な語り口で最近はテレビにも引っ張りだこの御仁だ。
実は生田さん、わが母校(小、中、高)の3年先輩にあたる。私の兄が彼の同級生だったせいで、当時からいろいろと可愛がってもらった。
今では、築地の案内人としての範疇を超え、いわば「魚食文化の伝導師」というポジションを確立した人だ。
多くのテレビ番組で築地や魚事情を語ったり、料理番組では気の効いた魚料理を手掛けてみたり、ネットテレビでは自民党の番組の準レギュラーみたいな立場で、あの石破さんあたりと丁々発止のやり取りまで見せている。
先日は、NHKの「視点・論点」というすこぶるお堅い番組にも登場。ひとりカメラに向かって自説を展開する番組だが、時折ベランメエ調が混ざるような話しぶりに失礼ながら大ウケしてしまった。
マグロの仲卸商の3代目として怒号渦巻く築地に入り、はや30年。子どもの頃のパワフルさに拍車がかかった勢いで、正しい魚食の在り方を伝えていくために八面六臂の活躍中だ。
幾多の著作があるなかで、私が今回読んだのは「たまらねえ場所・築地魚河岸」(学研新書)。学術的なイメージが強い新書だが、さすがに生田さんの本だけに一貫して独特の「よっちゃん節」に彩られている。
クスクス笑いながらアッという間に読み終え、おまけに読後感は痛快そのものといった感じだ。
魚河岸の歴史、時代による人気の魚の変遷や「生で食べる」という独特の文化を背景にした魚の扱い方や旬の大切さなどが、軽妙なタッチで綴られている。
笑えるエピソードも満載だ。魚河岸見学に来た「ジャン・レノ」を「ジョン・レノンぐらい知ってらあ」と言うオッサンや、「ハム・トンクスとかいう肉屋の特売みたいな俳優が来た」と語るおっちゃん達の日常も紹介されている。
ブランド魚信仰の愚かさ、鮮度だけでは計れない魚のウマさ、評価が上がってきた輸入モノの実態、大型スーパーに駆逐されてしまった街の魚屋さんの果たしてきた役割など、言うなれば日本人なら知っておくべき魚食の基本が手に取るように分かる内容だ。
ちなみに本業の他にテレビ出演や原稿執筆、講演活動などを精力的にこなす生田さんの睡眠時間は3時間ぐらいだそうだ。
年中寝不足だからいつもハイテンションなのかと邪推してしまうが、そんな生田さんが最近力を入れているのが「魚食スペシャリスト検定」。
昔に比べて飛躍的にインフラが整備され、「魚を美味しく食べたい」という願いが手軽に叶えられるようになったにもかかわらず、間違った情報などもあって逆に「魚離れ」が進んでいるのがニッポンの食卓の現状だ。
嘆かわしい現状は、突き詰めれば日本人の精神性の崩壊にまでつながりかねないと危惧する生田さんの思いが、「NPO法人・魚食文化の会」につながり、「魚食スペシャリスト検定」は、この5月に7度目の試験実施を迎える。
http://www.gyoshoku.com/?p=448
うーん、なんかここまで書いてきて生田さんの人物像が、優等生的なカタブツになってしまったようで気に入らない。
実際の生田さんは、ファンキーモンキーベイビー?みたいな人で(スイマセン)、まわりにいる人を爆笑の渦に巻き込む超絶的に愉快な人だ。
先日、私の兄の家で花見を兼ねた大宴会があったのだが、生田さんは美味しい魚介類をドッサリ持参してくださった。私も鮑を丸かじりさせてもらったり、マグロのカマのバーベキューや、生ウニやトリ貝、マグロのスジの塩炙りなんて珍味も御馳走になった。
地声のデカさは築地生活で更なる大音量になって豪快そのものだが、その実、宴会でも目配り、気配りがすこぶる細かい。
「イキな男」は気配り上手と同義語なんだなあと改めて思い知らされた時間だった。
誇るべき先輩・生田さんは、有難いことにこのブログを時たま覗いてくれているそうだ。
珍味食いばかりの日常なのでちょっと恥ずかしいが、「おまえも随分、食い物が分かってきたねえ」と誉めてもらって素直に嬉しかった。
プロ中のプロに更に認めてもらうために「魚食スペシャリスト検定」に挑戦しようかと思案中だが、落っこっちゃったら格好つかないからウジウジしている。
今度、築地で寿司を御馳走になる時にでもワイロを使って裏口合格を相談してみようと思う。
2012年4月20日金曜日
結局、珍味ざんまい
結局、血圧が高いの尿酸値が高いのコレステロールがどうしたこうしたと言ってる割には、いつも好みに流されて命を削っている。
意志薄弱なんだろう。
そのうち、一週間だけでいいから連日野菜とかコンニャクだけを食べて身体を浄化させたいと企んでいる。
まあ、無理だろうが、そんな発想が浮かんだだけでも前途有望だろう。
なんとかせねば・・・。
2012年4月18日水曜日
機会モノが苦手、コンピュータなんてもってのほかみたいな私だが、インターネットだけはそこそこ活用している。
「ウェブはバカと暇人のもの」という新書が売れているらしいが、私も暇なバカなので、毎日何かしら遊んでいる。
3年ほど前、友人に誘われFacebookに登録した。最初はちっとも意味が分からなかったのだが、昨年の震災の際に、Facebookが強力な通信手段として機能したと聞いて一念発起。前向きにいじりはじめてみた。
で、結構ハマってしまった。
頻繁にどうでもいいことを書き殴っている。お節介なことにサイトから「友達」の可能性がある人を紹介されてビビるが、その人が実際に知り合いだったりするから不思議だ。
また、「友達」が「友達」を紹介してくれたり、実名登録だから、懐かしい旧友が「友達」に名乗りをあげてくれたりする。性質上、一方通行に留まるブログとは違う「相互乗り入れ感」みたいな面白さがある。
使い始めの頃、機能をまったく理解しておらず、自分がアップした内容が「すべてのユーザーに公開」という設定になっていて青ざめたことがある。
勝手気ままに身近な話題をアップしていると、たとえば、あくまで、たとえばの話だが、平日の昼間から酒を飲んでいたり、怪しい場所にシケ込んでいたり、公式?に伝えている出張先とは違う温泉宿にいることが時系列に一目瞭然だ。
危ない危ない。
その後、「友達」に限定して情報が公開されるように設定し直した。そうすればそうしたで「友達」を厳選しないと危なっかしくて仕方がない。
私の場合、どちらかと言えば、不真面目な内容しかアップしていないので、基本的に仕事関係の知り合いはFacebookでは「友達」になっていない。
私の家族にどこかで接点があるような人もなるべく除外だ。社会平和のためには仕方あるまい。一度、「友達」になってから、コソッと除外させてもらったこともある。
「池袋の居酒屋で部下の深刻な相談に乗っていた」と言っておきながら、その日、その時間にFacebookには「やっぱり露天風呂とサウナは最高だ」なんて内容をアップしているわけだから始末が悪い。
会社や家族だけではない。「仕事が多忙で夜の街には出られない」と言っておきながら、毎晩のようにネオン街事情をFacebookにアップしていれば、アチコチから「うそつきバカやロー、さっさと店に顔を出せ」と脅迫にも似た営業攻勢を受ける。
油断大敵だ。
結局、「友達」は限られた知り合いばかりという状況に陥り、「震災に備えての通信手段」という当初の崇高な目的とは随分違う感じになってしまった。
それでも、30年ぶりに接点を持った旧友がたまたま沖縄でダイビングショップを経営していて、そっちの話題で情報共有できたり、小学校以来、消息を知らなかった旧友がバリバリのプロミュージシャンになっていたことに驚いたり、なかなか楽しい。
先日も高校卒業以来、没交渉だった友人とFacebookで再開し、彼と一度だけ組んだバンドもどき?で演奏したオリジナル曲の話題で盛り上がった。
作詞はなんと私だ。こっちが忘れていた歌詞を彼はすべて記憶しており、その小っ恥ずかしい詩をすべて教えてくれた。実にビミョーかつ残念なその内容に卒倒しそうになった。
妙に飲み会も増えた。Facebookのおかげで付き合いが復活した友人と実際に顔を合わせる機会が増えた。あれも一種の「オフ会」と称する集いなんだろうか。
「オフ会」などと聞くとコンピュータオタクの世界の話だと思っていたが、私も立派な「オフ会メンバー」だ。自分がしっかり文明の利器についていっている気がしてチョット嬉しい。
ちなみに、ここ1年ほど、どうでもよい話をアップしてきた中で、いわゆる「いいね!」ボタンを押してもらった数と、コメントをもらった数が一番多かったのは何だろうと見返してみた。
美しき四季折々の旅の景色とか、麗しき我が善行の数々のどれかだろうと思っていたのだが、第1位は「埋もれたい」という一言を添えてアップしたこの画像だった。
妙に切ない。
2012年4月16日月曜日
食い意地
2012年4月13日金曜日
おかまちゃん
オネエキャラだかなんだか知らないが、世の中、そっち系の男性が妙にもてはやされている。
正直言って苦手だ。
その手の人を全面的に否定するわけではないが、ああまでも公衆の電波に乗ってグイグイ出てこられるとゲンナリする。
私の感性が古くさいのだろうか。仕方がない。
小学校から高校まで男子校に通ったから、そういう気質の級友は珍しくなかった。それはそれでフツーに共存していた。
変にはやし立てるのは一時的で、その後は、当たり前のことのようになっていた。男女共学だとどういう感じなんだろうか。
高校の学園祭でも、そっち系はそっち系で聖子ちゃん風の衣装を着てアイドル歌謡を熱唱したりしていた。
私自身は、そっち系とは無縁なので、彼?らたちが大人になってどんな生き方をしているかは詳しく知らない。
そっち系といっても、なんとなくナヨナヨしているだけの単なる男も多く、「正真正銘ちゃん」はさすがに少ない。
高校生ぐらいの頃は、同級生達も、その微妙な違いまでは分からず、大人になって再会して「彼」だったのか「彼女」だったのか、コトの真相を知ったりする。
先日「彼女」と飲む機会があった。一緒に飲んでいた友人が酔っぱらって呼び出したら、エステにいたという彼、いや彼女がやってきた。
こっちは出来上がっていたから、ひゃあひゃあ歓迎したのだが、シラフだったヤツは、グイグイ飲み進んで30分ほどで我々に追いついてきた。
追いついたどころか、追い抜かれた感じで、「スペクタル彼女」の完成だ。10代の頃はあんなに可憐でおしとやかだったヤツも、いまは40半ばを過ぎている。
泥酔した中年熟女?だ。あとは想像の通り、横に座っていた母校の後輩の手を握りしめ、気付けば抱っこされてキャーキャー言ったり、みんなでノセてしまえばキスの嵐だ。
その日は、これまた級友が経営する店で飲んでいたのだが、その級友は見飽きた光景にゲンナリしていた。とっとと店を閉めたかったのだろう、憂鬱な表情で我々に軽蔑の視線を送る始末。
昨年だったか、別な飲み会で私もその中年熟女にロックオンされた。この日隣に座るのを避けるぐらいの学習効果はあった。
ロックオンされると、舌は絡めてくるわ、大事なところに手は伸びてくるわ、そりゃあ一大事である。でもヤツからはちょっといい匂いがするから、ついフラフラと身を任せそうになったりする。
小学校の頃から知っている気安さが加わって、危ない領域に近づきそうになる。
恐るべしである。
ヤツは酒を飲むと毎度毎度壊れてしまうようで、常に深夜のタクシーから乗車拒否される。まあ、中年になっていろんな葛藤が渦巻いて制御不能になっているのだろう。
イカした男も年を取ればオッサンだ。カッコいいオネエサンだって年を取ればオバハンである。オカマちゃんが年を取ったら何と呼べばいいのだろう。
オバマさんとでもいうのだろうか。
今、彼はその筋の人達が集うエリアで、その筋の人達のために健康や装飾?を管理する大事な仕事に携わっている。いっぱしの名士サマである。
あと20年、30年経ったら、オジイサンでもオバアサンでもないであろうヤツをどのように呼称するべきだろうか。
そんなくだらないことを真面目に考えてしまう一夜だった。
ああ、その時の画像をアップしたい!
さすがにやめておこう。










