2025年3月7日金曜日

2025年3月5日水曜日

台湾の温泉と新庄監督


台湾に行ってきた。マイルを使った無料航空券の関係で4泊というゆったり旅になったのでアレコレ変化球?を交えた時間を過ごした。

 

台北郊外に温泉があるので最初はそちらに宿を取った。北投温泉という日本統治時代に一気に開発された温泉地らしい。海外で温泉につかるのもオツだ。

 

北投亞太飯店(アジアパシフィックホテル)というリゾートみたいな名称の宿を取ったのだが、これが結構立派な和風モダン調の宿だった。部屋にはデカい浴槽があって白濁した源泉が堪能できた。

 





部屋風呂だけでなく大浴場も日本式で水着は不要。普通に裸で楽しめた。これまた白濁かつ硫黄臭プンプンの上等な温泉が溢れていた。サウナもあってのんびり過ごすには最高だった。

 

事前に北投温泉のことを調べている際は、電車の乗換情報とかがいろいろ出てきて面倒な立地かと思ったのだが、実際に行ってみれば台北中心地からちっとも遠くない。タクシーで30分弱の距離だった。

 

台湾の物価も日本並みになってきたが、タクシーに関してはかなり安い。到着当日に松山空港から北投温泉までが30分程度で4千円ぐらいだっただろうか。チェックアウト後に台北中心部に移動した際もその程度の値段だった。重い荷物を抱えて電車移動するよりタクシー利用が便利だ。

 

温泉街みたいな風情があるわけではないが、駅周辺にはそれなりの繁華街が広がっていた。マックをはじめ牛丼屋など日本のファストフードのお店もいくつも揃う。宿は朝食付きで手配してそれ以外は街をぶらついて現地メシを食べ歩くのがオススメだろう。

 

台北中心部も賑やかで楽しいが、3泊以上滞在するなら北投温泉に1泊することをオススメしたい。私なら2泊しかなくても1泊は温泉宿を選ぶと思う。そのぐらい気に入ってしまった。

 

 温泉をあとにして台北中心部に3泊。とくに目的のある旅ではなかったのだが、ハイライトは「台北ドームでの野球観戦」である。


台湾旅行を決めてから現地の野球関係の情報を見ていたら偶然にも私の滞在中に日本ハムファイターズが台北で親善試合をすることを知った。

 


ネットでチケットを予約。発券は現地のコンビニ限定だとのことでちょっとビビったが、思った以上にスムーズにコトは進み、晴れて台湾国民ご自慢の台北ドームに足を運んだ。

 

出来てまもない球場だけに実に立派だった。郊外にあるのかと思いきや市街地のど真ん中だった。球場外周には数え切れないほどの飲食店等が入っていてその場所すべてがテーマパーク的な様子だった。




この日は気温が26度ぐらいあったのだが、球場内は寒いぐらいクーラーが効いていて快適だった。試合前のセレモニーもレーザー光線バリバリの一大スペクタルショーみたいで気分もアガった。台湾側のチアガールはもはやタレント並みの人気らしい。

 



試合では万波選手のホームランが観られたし、昨年のプレミア12で大活躍した台湾の陳傑憲選手も目撃できた。ファイターズガールによる例のキツネダンスを生で観られたのも結構嬉しかった。


それより何より興奮したのが新庄監督の登場シーンである。試合前、両チームの選手が一人づつ紹介されてカッチョ良くグランドに出てきて整列するなか、大トリで姿を表したのが新庄ビッグボスである。

 

一人だけなぜか外野席方向からオープンカーで登場。試合直前なのにスーツ姿で手を振っていた。もはや謎めいている。エースでも四番打者でもない。監督である。世界広しといえども監督の登場シーンをこんな演出でやってしまうのは彼ぐらいのものだろう。

 




台湾での新庄監督の知名度が高いとは思えないのだが、あの瞬間は間違いなくドーム全体が大いに盛り上がった。野球観戦の雰囲気だとは思えない状態だった。ロックのライブかのような熱さだった。


それこそが新庄監督の凄さだろう。「野球観戦の雰囲気とは思えない」ような空気を作り出しちゃうわけだから、やはり余人を持って代えがたい。眉をひそめる人もいるだろうが、文句を言うより一緒に野球というスポーツのエンタメ性を向上させたほうが建設的だと感じた。

 

日本では武道の影響もあってスポーツの世界にも何かと窮屈な伝統や慣習がつきまとう。柔道や空手道のような「野球道」みたいな感覚だ。それはそれで子どもの教育段階における部活動では意義もある。

 

でも、プロの世界では違ってもいい。こと野球に関しては本場メジャーリーグのような突き抜けた陽気さがあったほうが楽しいと思う。


新庄監督が体現する野球のエンタメ性向上という路線は、結局はファン層の拡大や野球人口の裾野を広げることにもなる。

 

今年のプロ野球はやはりファイターズに注目したいと思う。

 

台湾旅行の話からずいぶんと脱線してしまった…。

 

 

 

 

 

2025年3月3日月曜日

人のせいにする


一人メシが好きだ。誰に気兼ねすることなくノンビリできる。一人メシが苦手な人も案外多いようだが、私には逆に理解できない。私が変人だからかウマいものはこっそり?一人で食べたほうが気楽である。

 

ただ、一人メシにも問題点はある。一人だと注文しにくいものや量的に厳しいものなど、同行者がいたほうが堪能できるメニューもある。

 

相変わらずウナギが好きな私だが、鰻屋さんに一人で行く場合に注文しづらいのがう巻きだ。ウナギの切り身をいれた卵焼きである。たいていの店では下の画像のようなサイズだからこれを食べちゃうと他のものが食べられなくなる。

 



老舗の専門店でこそ堪能できるのがう巻きだろう。職人さんの腕の見せ所だし、実際に名のある店を訪れたならう巻きを注文しないのはもったいない話だと思う。

 

鰻料理の王道といえば鰻重だが、白焼き、肝焼き、うざく、う巻きは脇役陣として欠かせない顔ぶれである。これらすべてを味わってこそ完璧なフルコースになるが、う巻きだけはボリューム的に諦めてしまうことが多い。

 





だから誰かを連れて鰻屋さんに行く場合、私の頭の中では「う巻きだ、う巻きだワッショイ!」って感じになる。ひとしきり白焼きやうざくに関するウンチクを語る一方で、実はう巻きにワクワクしていることが多い。

 

私の好みは甘い卵焼きである。だし巻きも美味しいが、関東風のふわふわウナギを出す店だったら、当然にう巻きの卵焼きも甘さがほしい。ところが、近年の西からの食文化攻勢?のせいで関東風ウナギの老舗みたいな構えの店なのにう巻きが甘くないケースが増えたように思う。

 



だし巻きも悪くないのだが、店によっては薄ぼんやりした味付けで拍子抜けする。そんなものを口にするなら思いっきり甘い卵焼きでニンマリしたい。

 

切り身のウナギのタレが甘めだから卵焼きはあえて甘くしない気持ちも理解できる。でも、でもである。年々偏屈傾向が強まっている私としては「卵焼きイコール砂糖」という考えに固執したいから時折残念な気持ちになる。

 

話がそれた。一人メシでは楽しめない同行者アリの場合の食べ物の話だった。

 

そこそこ寿司の世界に詳しいつもりの私にとって回転寿司はビミョーな立ち位置だ。勇んで行くのは格好悪いという古い人間ならではの思い込みが強い。

 

行くとしてもあくまで「つき合いで来ました!」みたいな顔をしたくなる。実際に同居する娘と連れ立って行くか、息子が遊びに来た時に行くパターンが大半だ。自意識過剰である。

 

回転寿司の楽しみは、回っていないお寿司屋さんでは味わえない珠玉の!?品々を味わえることである。コーンマヨしかり、ツナサラダしかり、サーモンしかりである。

 




グルメ評論の世界で決して語られることのないコーンマヨやツナサラダだが率直に言ってウマい。どう逆立ちしたってウマい。B級だのジャンクだのと言われようとも単純明快にウマいし、実はみんなが大好きなことをナゼか隠している食べ物である。

 

サーモンも実に可哀想なネタだと思う。普通のお寿司屋さんでは「そんなもの寿司ネタじゃねえやい」と仲間外れにされているが、そんな常識もいつかはひっくり返る可能性は高い。

 

今はまだ邪道かもしれないが、たいていのものが最初は邪道である。ウニやトロだって今でこそ寿司業界の大エースだが、その昔は寿司とは無縁の存在だった。そう考えるとサーモンだってあと1020年もしたら老舗高級店でも普通に置かれるようになると思う。

 

この画像は人形町の「みさき」という回転寿司のものだ。「京樽」が母体のお店らしい。下手な街場のお寿司屋さんよりもシャリが美味しい。「しょせん回転寿司なんて…」という私の思い込みを良い意味で裏切った店だ。

 

もちろん、そんなネガティブな思い込みが復活してしまうヘンテコな品々もある。下の画像はエビとチーズがミックスされた意味不明な一皿だった。注文するほうが悪いのだが、回転寿司ならではの邪道系?をある意味とても愛している私としては味見しないわけにはいかない。

 



やはり、邪道系はコーンマヨ、ツナぐらいにとどめておいたほうが無難だと感じる味だった。でもチーズが好きな子どもならバクバク食べるかもしれない。

 

ちなみに、この店にはトロタクならぬ「ツナタク」がある。文字通りツナサラダとタクアンの巻物だ。これが結構ウマい。クセになる味だ。これなら家でも作れそうでオススメ。

 

こんな話を書いているだけでまた食べたくなってしまった。また子ども達を連れて「つき合いで来ました!」という顔を作って出かけたいと思う。

 

 

 

 

 

2025年2月28日金曜日

地の利を活かす

 

中央区に住むようになって6年になる。杉並区で生まれ育ち豊島区、新宿区、文京区で暮らしてきたが、中央区民になって思うことは「もっと東京を楽しまねば」である。

 

都心が拠点だからどこに行くのも便利だ。東京には美術館や博物館などが数多く揃っている。世界中から展示物がやってくるし、国内の秘宝みたいなものも頻繁に披露されている。マメに観に行かないともったいない。

 

最近もモネの睡蓮ばかり集めた展示会が上野で開催されていたのに見逃してしまった。パリに行った時には必死になって観にいくのに近距離での展示会をサボるなんて実にバカみたいだ。

 

ネット上の各種チケットガイドを見ていると面白そうな展示会やイベントがあれこれ掲載されている。ボンヤリ暮らしているばかりでは地の利をまるで活かせていない。

 

今年はもっとマメに東京観光?を楽しもうと決意しているがなかなか実行に移せないでいる。キックボクシングジムに通うのも大事だが、もっとマメにアチコチに行こうと思う。

 

先日、散歩ついでに三井記念美術館で開催中の「円空展」を覗いてきた。木彫りの仏像で知られる江戸初期のアーティスト!の作品がたくさん展示されていた。日本全国の城めぐりと並んで仏像鑑賞を老後の趣味にしようと企んでいる私としては見逃せないイベントだ。

 





荒々しい手仕事丸出しの仏像ばかりだった。京都や奈良のお寺にある凛とした仏像も素晴らしいが、円空仏の醸し出すパワーと優しさはまったく違う趣があった。一人勝手にフムフムと感心するばかりの時間だった。

 

恥ずかしながら三井美術館は初訪問だった。徒歩でも行ける距離なのに実にもったいないことをしていた。マメに展示会スケジュールをチェックしようと反省した。

 

円空の作品をロクに知らなかった私である。地方在住の円空ファンからすれば恵まれ過ぎた環境に暮らしているわけだから大真面目に鑑賞してみた。昔の超アナログ時代ならでは信仰への思い、神々への畏怖みたいな「念」や「力」を感じることが出来て有意義な時間だった。

 

別な日、これまた散歩ついでに大河ドラマの主人公「蔦屋重三郎」が日本橋に開いた「耕書堂」を再現した展示を小伝馬町まで観に行った。これは地元の着物屋さんというか和雑器屋さんが店内の一部で再現展示したもの。入場無料だったから食器の一つも買おうかと思ったが欲しいものが見つからず文字通りタダ見で終わってしまった。

 



美術館や博物館ではなく、一私企業の意気込みだけでこういう企画を実施するなんて大したものだと思う。大げさかもしれないがこういう取り組みが文化や歴史を後世に伝えていくうえで重要なんだと思う。

 

たまたま、これを観に行った前の週に歌舞伎座で「蔦重モノ」の舞台を観てきたばかりだった。結構良い席だったのでラストシーンの花吹雪まで浴びまくった直後だったから、より親しみが湧いて楽しいひと時だった。

 




もう終わってしまったが、この「きらら浮世伝」はとても面白かった。歌舞伎というより歴史モノの芝居だったが、だからこそ分かりやすく2時間飽きずに楽しめた。楽しんだついでに、後日、娘用にチケットを購入して強制的に観劇に行かせたほどだ。情操教育だと思ったのは悪くないが桟敷席を用意したあたりが親バカである。

 

もともとは同級生の中村松江の渋い脇役ぶりを観に行ったつもりだったが、主演の勘九郎、七之助兄弟の演技が素晴らしかった。円熟期を迎えた芝翫の存在感もさすがだった。歌舞伎座にもっと通わないともったいないと感じた。3月の演目は忠臣蔵だからサボらず観劇に行こうと思う。

 

4月をすぎればまた週末は大学野球見物が待っている。B型気質でハマるものがあるとそればかりになっちゃうのが私の悪い癖だ。今後は他の競技の生観戦にもチャレンジしょうと思う。美術展、お芝居、スポーツ観戦などなど脈略もなく野次馬根性を発揮するつもりだ。

 

まずはチケットぴあなどで都内の催し物をマメにチェックする習慣をつけないといけない。昨年痛めた膝の調子もかなり改善したから動き回れるうちにアチコチ覗きに行こうと考えている。




 

 

 

 

 

 

2025年2月26日水曜日

よもやまごと


喫茶店に入るとカフェオレやカプチーノを頼むことが多い。ブラックコーヒーをカッチョ良く飲むのは苦手だから仕方ない。問題はラテアートという余計なおせっかい?である。

 

10回に7回はハートマークが描かれてくる。残りは葉っぱの柄である。オジサマが一人でコーヒーを飲む時にハート柄はバツが悪い。気にし過ぎと言われればその通りだが、すぐにスプーンを手に取りハート型ラテアートを破壊するのが私のお決まりのパターンである。

 

葉っぱ型よりハートを描くほうが簡単だろうから仕方ないのだが、つくづく客がオジサマだったら「無地」で提供してほしい。

 

 

先日は「猫ちゃん」が出てきた。ギョっとした。キテレツ極まりないと思ってしまう私が悪いのだろうか。哀れな猫ちゃんは私のスプーンで秒殺である。まあ、こんなことで心がザワザワするようでは私もまだ修行が足りない。

 

話は変わる。職場の近くに高島屋、自宅近くに三越がある関係でわりとよくデパート散策をする。主にデパ地下をウロウロするぐらいだが、欠かせないのがフレッシュジュースである。

 

昔からデパートの地下といえばジューススタンドの聖地?である。子供の頃、親に連れられて飲むジュースは普段とは違う感動があった。安くないから有難い。そこがポイントである。あのジュースが一杯300円ぐらいだったら有難さも半減だ。妙に高いから気分がアガる。「贅沢してるんだぜオレは」という満足感がある。

 


メロンジュースが1000円ぐらいだとビビる。でも、それをまるで意に介さないフリをして注文する自分が格好良く思える。ちょっとバカみたいである。


また話は変わる。マクドナルドの商品をアレンジしたくなるのが私の悪いクセだ。違う種類のバーガーを合体させる話はこのブログでも何度も書いてきた。


体重対策、小麦対策でバーガー類のパンを外して食べたがるヘンテコぶりも悪いクセである。その分、5個ぐらい一人で食べちゃうから逆に食べ過ぎになる。



これはダブルチーズバーガーの上のパンを外して肉の上にナゲットに付いてくるマスタードソースを塗りたくって食べた時の画像だ。どちらかと言えば真面目な味?がするダブルチーズバーガーだが、こうすると物凄くジャンク度が上がる。


合わせるのはコーラが定番だが、最近は箱買いするほど愛着があるファンタグレープの小サイズとともに味わうことが増えた。味覚が子供レベルを通り越して何か変な病気なんじゃないかと思う。この歳でこんな食生活を楽しむのは一種の変態かもしれない。




また話が変わる。先日ひょんなことで「鳥貴族」に初めて入ってみた。人気の居酒屋チェーンなのに未体験だったことがまるで富豪みたいである。


感想はただただ「個人店じゃあ勝負にならないな」ということに尽きる。お手軽な値段でサービス面もテキパキしている。短期間でグイグイ店舗数が増えたのも納得である。


昭和世代の私に言わせれば、風情だの情緒だのそんな観点でビミョーに思える点も多々あるのだが、若年層からすればそんな尺度は関係ないのだろう。昔の居酒屋チェーンのようなシャバダバな食べ物に比べたら数段マトモだからそれのみでもはや「正義」みたいな存在なんだと感じた。



画像は温玉かけご飯である。専用の小袋入りのダシ醤油が非常に美味しかった。通販商品として発売して欲しいぐらい気にいった。あのダシ醤油があれば毎日でもTKGを食べたくなると思う。


というわけで今日は何の脈略も無い話をつらつら書いてばかりで失礼しました。






 

 

 

2025年2月21日金曜日

キックを始めてみた

 

何を血迷ったのかキックボクシングを始めた。思いたって近所のジムに通い始めた。自分史?的には事件といってもいい。

 

いまさら誰かと戦いたいわけではない。試合に出る気もない。痩せるのが目的ではない。痩せたいが…。とにかく体力を増強したいのが目的である。

 

最初は体験コースに申し込んだ。事前のストレッチからウォーミングアップをした段階でヘロヘロになった。我ながら情けない。

 

その後、基本動作の指導を受けた。パンチにキックだけだが、キックボクシング流の動き方の基礎を反復させられた。

 

私は少林寺拳法の心得がある。もっともウン十年前の高校時代のことだ。いわば格闘技未体験歴もウン十年ということになる。

 

でも少林寺拳法の構えや動き方が一応身体に染みついているからキックボクシングとの違いになかなか付いていけない。構え方からして違う。どうにもシックリこない。

 

そんなことより体力が極端に無くなっているから簡単なワンツーパンチにしても10回も繰り返しているうちに足元がふらついてくる。

 

少林寺拳法との違いウンヌンなどと気取ったことを言っている場合ではない。とにかく身体が重いし体幹がフニャフニャなことを実感する。これが還暦間近のぐうたら男の現実である。

 

これを書いている段階でジムにもう3回も通った。ちょっと自分を褒めたくなる。生意気なことを言えばキックのフォームなど大昔に私が体得してきた形と比べるとどうにも理にかなっていないような気もするから、数年前の私だったらイヤになってとっととヤメちゃったはずだ。

 

でも続いている。継続は力なりである。形も理論もヘチマも関係ない。1時間ほど動くと有り得ないぐらいヘロヘロになるという事実だけが頼りである。続けられれば間違いなく体力が向上するのは間違いない。

 

帰り道、汗はいつまでもひかず、家までのわずかな距離も3キロぐらいに感じる。茫然自失みたいな状態で歩いて帰る。そのままヌルい風呂につかって一心地つくと風呂の中で寝落ちする。浴室内死亡事故に結構近い状態で過ごしている感じだ。

 

たかだか1時間の運動でそこまでヘバるわけだから通い始めてよかったと思う。身体って使わないと確実に劣化してサビついていく現実を改めて突き付けられた感じだ。

 

30代の頃、草野球に熱中していたことがある。夏場にピッチャーとして完投してバテバテになることがあった。中学高校時代の部活よりもヒドく疲れることもしばしばだったが、今回始めたキックボクシングは1時間でそれを凌ぐバテバテぶりである。

 



若い頃は身体も柔らかく前後開脚は180度ピタっと地面につけられるほどだった。自分より高身長の友人の頭の上を上段回し蹴りが通過することもできた。そんな私の今のキックは自分の腰の高さぐらいしか上がらない。何ともシャバダバである。

 

そんなヘタれたキックをミットで受けてくれた若いトレーナーさんは「脚、かなり上がりますね」などといたわりの目で私を励ます。

 

「世が世ならキミの顔面に余裕でハイキックを食らわせたんだよ」と心の中でつぶやく自分が切ない。年内には自分の頭ぐらいの高さにハイキックを出せるぐらい柔軟性も向上させたいと秘かに企んでいる。

 

それにしてもよくもまあこんなヘタれた体力で日々フツーの顔をして過ごしていられたものである。それ自体に驚く。

 

毎年恒例のオヤジバンドのライブだって結構な長丁場をフロントマンとしてこなしているわけだが、今更ながら不思議な気持ちになる。きっと緊張感やらアドレナリンやらがギリギリで私をサポートしてくれているだけなんだろう。

 

ここで書いてしまった以上、簡単にジム通いはヤメられない。たかだか週2回のコースではあるが、最低でも年内は辞めないよう頑張るつもりだ。

 

正直、ちょっと自信はないのだが…。

 

 

 

 

 

 

2025年2月19日水曜日

血染めの梅など

 

梅の季節だ。寒空に凛と咲くあの可憐な姿は実に美しいと思う。つぼみがはち切れんばかりに膨らんでいるのを見ると妙に愛おしく感じる。

 

桜ももちろん美しいが、梅のけなげな雰囲気に比べると憂いが無さ過ぎるというか、自慢げな?様子がちょっと鼻につく。それに比べると梅の花にはどこなく“品”や“徳”を感じる。

 

ほのかな香りも良い。そろそろ冬も後半だなあと感じさせる。白、赤、黄、ピンクそれぞれが競うように咲き誇っている場所にいるといつまでも眺めていたくなる。

 

梅の花がチラホラと咲き始めた某日、ふらっと泉岳寺に行ってきた。47人の赤穂浪士が浅野の殿様と眠る場所だ。1214日が討ち入り決行の日として有名だが、あれは旧暦なので現代の季節感覚でいうとちょうど今頃に当たる。

 


 

以前ここに来た際はコロナの影響で記念館が閉館していたので今回はそこをじっくり見学するのが目的だった。かといって義士たちのお墓参りをしないわけには行かないのでそちら側にも行く。

 

300円で強制的にお線香を売りつけられた。このシステムはいつからだろう。以前はなかったと思うが、拝観料だと思えば仕方ない。忠臣蔵ファンとしては数セット買ってもいいぐらいである。

 



売り場の人は「100本ほどありますので義士一人につき2本づつお備えください」などと言っていた。さすがにそれは厄介なので大石内蔵助サマの墓前に100本まとめてお供えする。

 

墓所の周辺には吉良サンの首を洗ったと伝わる井戸の他に浅野の殿様が切腹した際に血しぶきが飛んだと言われる石や梅の木がある。おどろおどろしいいわれだが梅は梅だ。この日もけなげに咲いていた。

 



 

討ち入りは300年前の話だから血染めの梅の木が本当の話かどうかビミョーではある。とはいえ、梅の木の中には400年、500年もの樹齢を記録したものもあるらしいからホンモノの可能性も充分にあるわけだ。

 

次の週、今度は亀戸天神まで梅を眺めに行ってきた。太宰府の本家も文京区の湯島天神もそうだが、梅を好んだ菅原道真を祀る天神様には梅の名所は多い。

 

全体にはまだ5分咲き程度だったが、梅はつぼみの姿も風流だから桜とは違って満開うんぬんはあまり気にならない。適度に咲いてくれていれば充分にその美しさに魅了される。

 





 この日はぽかぽか陽気だったからじっくりと梅の花弁を観察しても寒くないので助かった。時折メジロみたいな鳥もやってくる。その都度「オー!ジャパン、ワンダフルですね~」とつぶやきたくなった。

 

東京のどこへ行っても人が集まる場所には外国人がテンコ盛りだが、さすがに亀戸天神あたりだと外国人旅行者はチラホラ程度だ。わざわざ晴天の昼下がりに亀戸まで来る外国人が多いはずもないが、逆に言えば少数ながら梅を愛でに来ていた外国人もいるわけだからその人達のセンスには脱帽である。

 

十数年前からマンション暮らしになったが、それ以前に住んでいた戸建ての家には玄関の近くに梅の木を植えていた。今となっては「マイ梅」を楽しむには室内に盆栽として置くしかない。

 

とはいえ、梅の木は成長が早いし虫も付きやすいからモノグサな私には現実的ではない。ちょっと残念だ。生まれ変わった次の人生では結構な屋敷に暮らして広大な庭に梅林を用意してみたい。

 

いや、来世を待たずとも、もしも無駄に長生きしちゃってそこそこ元気だったら田舎に引っ込んで梅の木を眺めて暮らしてみようと思う。