「男たるもの、こだわりを持て」。そんなエラそうなことを何度か書いてきた。もっともらしい主張だが、私のこだわりなどしょせんは時代遅れの偏屈男の戯言みたいなものである。
日本人の平均年齢は2025年時点で49.8歳だとか。いつのまにか平均よりも10年も年上になってしまった。私が15歳だった当時の日本人の平均年齢は34歳だったらしい。今よりずいぶん若い。そりゃあ国に活気があったのも理解できる。
私が43歳ぐらいの頃に平均年齢と同じになり、その後は私の年齢が平均を追い越し、今では10歳差になってしまった。何だかビックリである。
ちなみに国全体の平均年齢がいよいよ50歳になるから昔に比べて若者が幼く見えちゃうのも仕方がない。若者自体が少数派になっているわけだ。若者にはちょっと気の毒である。
昭和35年ぐらいだと国全体の平均年齢はまだ20代だった。若者のエネルギーが世の中で幅を利かせていたのも納得である。だから何だ?と言われそうだが、イマドキの世相を俯瞰する意味では興味深いデータではある。
さて、私自身の「時代遅れ問題」である。一例をあげる。ビジネスの世界で飛び交うヘンテコな横文字が妙に気持ち悪くて仕方ない。だいぶ前からそう思ってはいたが、近頃ますます違和感というか嫌悪感が強くなってきた。
期限だの納期をデッドラインなどと言われると途端にゾワゾワする。もともと編集畑で仕事をしたせいで私は「締め切り」という日本語に今でも敏感だ。変な言い換えがいつもひっかかる。
「オンスケで頼む」「デフォでよろしく」みたいなのも苦手だ。実際に耳にしてもヘンテコさを指摘するほど偏屈ではないが心の中でイライラする。
ナレッジだエビデンスだコンセンサスだ等々、なぜ日本語にしないのか不思議でしょうがない。定着していない考え方や適当な日本語が無い場合ならともかく、ごく普通の日本語でコト足りる意味合いだと気持ち悪さしかない。
「ボトルネック」とか言われると夜の銀座の話じゃないかと思ってしまう。オネエサン達にすぐに飲まれちゃう私のボトルの名札のことが真っ先に頭に浮かぶ。
ブツクサと文句を書いてしまったが、考えてみれば私が違和感を覚えること自体が世の中が変わってきている証なのだろう。
ビジネスの世界で60歳といえば超高齢者である。中枢で動いている面々は年下ばかりだ。ヘンテコな横文字が標準化しているなら私が感じる違和感は一種の老害に近いものなのかもしれない。
あ~~切ない…。
ヘンテコ横文字問題だけではない。自分が若かった頃に定着していなかった風習やイベント的なことへの違和感も同じだ。ハロウィンでワチャワチャする風潮などその最たるものだ。
クリスマスやバレンタインデーにはちっとも違和感がない。自分が経験してきたからに他ならない。ハロウィンに関しては若き日に無縁だったから何となくナナメからあーだこーだ言ってしまう。
西洋かぶれだ、ミーハーだ等々あれこれエラそうに断じてしまう。それを言うならクリスマスやバレンタインにも同じような姿勢をとるのが“正しい偏屈”なのにそうじゃないからシャバダバである。
恵方巻きもしかり。「あんなもの西のほうの怪しげな風習だろ?」などと毎年のようにウンチク付きの文句をシタリ顔で語っている。あれだって今やすっかり定着して私のようなブツクサ派はすっかり少数派になってしまった。
しっかり定着したそうした一連の流れに対してイチャモンをつけたくなるのは単に時代に逆行しているだけだ。言い換えれば時代遅れでしかない。ちょっと悔しいけどそれが現実だ。
あ~~切ない…。
と、自分の感覚が時代遅れだと改めて実感しているわけだが、かといって今さら迎合するのも気持ち悪い。キチンと自覚しながら“ブツクサ精神”を維持していこうと思う。

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