2019年10月7日月曜日

プライムビデオ中毒


Amazonプライムビデオにハマッている。もう3年ぐらい前から使っているのだが、ここ最近は日課のように深夜までテレビの前に陣取っている。

ネット環境のせいか、今の家に引っ越してきてからの方がサクサク反応してくれるので、中毒のようになってしまった。おかげで睡眠不足だ。



阿部寛主演の連ドラ「結婚できない男」も12話分を3日間で見終えた。もう13年も前のドラマだ。

10年以上経ってもまだ結婚できない状態を描いた新作が明日から始まるらしいので、ちょうどよい予習になった。

十数年前の放送当時もチラチラ見たが、改めて見返すと印象が違う。今の私にとっては身につまされるような部分もあって、やたらと真剣に見てしまった。

一人でいることを好み、偏屈で独善的な主人公の気持ちは私にはよくわかる。よくわかるからこそ素直にゲラゲラ笑えない。自分のバカっぽさを突きつけられているように感じた。

明日からの新作も必死になって見るつもりだ。ちなみに私は「結婚できない男」ではなく「結婚がうまくいかない男」である。あの主人公よりは社会性はある、と思う。



「ドクターズ 最強の名医」シリーズも短期間で全部見た。第3シリーズまである連ドラ全話の他に2本の単発スペシャルもすべて一気に見た。

医療モノが好きなわけではないのだが、何気なく見始めたら高嶋政伸の怪演ぶりにハマって引きずられちゃった感じである。

ウマいヘタという次元ではなく「怪演」というジャンルは中毒性がある。かつて佐野史郎が演じた「冬彦さん」あたりから怪演キャラが増えたのだろう。このドラマも沢村一樹演じる主人公より高嶋政伸のことばかり印象に残った。



こちらは8年前に放送されていた「陽はまた昇る」というドラマだ。プライムビデオの音声検索機能で「佐藤浩市」の主演作品を探していて見つけた。

俳優の名前で作品検索できるのは便利だ。「佐藤浩市」「三浦友和」「江口洋介」あたりで検索すると、割と骨太系の映画やビジネス系ドラマがたくさん出てくる。

もちろん「高倉健」「松方弘樹」といった探し方も出来る。中高年オヤジには有難い機能だ。

このドラマは警察学校の鬼教官と制度たちを描いたベタな作品だったが、佐藤浩市モノが好きだから最後までしっかり見た。

先日、わざわざ映画館に行って中井喜一主演の「記憶にございません」を見てきた。私がひねくれ者なのか偏屈なのか、あまり面白いと思えなかったが、佐藤浩市が絶妙な味を出していたのでそれなりに楽しめた。

映画館の迫力も捨てがたいが、私の場合、アクションとか宇宙でドンパチとかそういう系の映画は見ないので、家でノンビリ大画面テレビと向き合っている方が快適だ。

小型のホームシアターセットを繋いであるからテレビにありがちな「音がショボい問題」も気にならない。

映画をじっくり見るのも楽しいが、連ドラをまとめて鑑賞する場合、1話が50分弱だからマメに区切りがつけられて何かとラクチンだ。

普通に社会で生きていれば、連ドラをリアルタイムで毎週見続けるなんて至難のワザである。頑張って見始めてもつまらない作品も多い。

その点、過去に放送された評判の良かったドラマや個人的に興味を持ったドラマをヒマな週末や夜中にぶっ続けで見るのは変な背徳感があって楽しい。オススメです。

2019年10月4日金曜日

志満金 喜代川 宮川本廛

アニサキスアレルギー宣告のせいで、ビビってしまってお寿司屋さんに足を運んでいない。もう3週間近く寿司断ちである。


こんなに間が空いたのは記憶に無い。ここ20年で初めてのことだ。今までほとんど問題なかったのだから今更そんなことをしても無意味だ。わかっているのだが、モチベーションが上がらない。

一応、内服薬も家にストックしたから、ちょっとジンマシンが出たって平気なはずだが、意外な自分の神経質ぶりに我ながら困っている。

で、肉ばかり食べるのもツラいからウナギ攻めの頻度が増えた。すっかり高値安定になってしまったウナギだが、エンゲル係数破たんオヤジだからしょっちゅう食べている。



たまに食べるからこそ感激する。ウナギってそういう要素がある。しょっちゅう食べてももちろんウマいが、最近は感激しなくなってしまった。バチが当たりそうな話である。

高校生の頃、渋谷センター街にあった大衆的な鰻屋さんで、細切れウナギが34つだけ入っている安いウナ玉丼を頬張っていた日が懐かしい。

あの頃は、普通の鰻重を食べるオジサン達が羨ましくて、大人になったら飽きるほどウナギを喰いまくるぞと心に誓った。

いま、ウナギざんまいという目標は達成したわけだが、若い頃のウナギへの飢餓感が無性に愛おしく思える。タチの悪いワガママみたいな感覚だ。まあ、それも人間の業である。

なんだか大げさな話になってしまった。



これは神楽坂「志満金」の鰻重。てんこ盛りである。先日、娘から昼間に呼び出された時に御馳走させられた一品。

私は朝夜の二食生活だから、昼からこんな立派なのを食べるのは無理だ。もっと小さいやつにして、それも半分は娘にあげてしまった。

「ウナ玉丼」の頃には考えられない退化である。

もはや私にとってのウナギは、食事というより酒の相棒になってしまった感がある。それはそれで構わないのだが、ガッツガツ食べていた頃に比べて弱体化した自分がちょっと切ない。




茅場町と人形町の間ぐらいにある「喜代川」の白焼きとうざくだ。繁華街から離れた場所にポツンと佇む雰囲気のある店だから、シッポリとウナギ飲みを楽しむには良い店だと思う。

ウナギを味わう際は店の風情も無視できない。モダンな造り、オシャレなBGMなんか害にしかならない。



あの香りが漂ってくる場所はあくまで純日本的な空間に限る。その点、この店はイメージ通りの鰻屋さんだから心地良くホロ酔いになれる。

今の住まいに引っ越してから3か月が経ったが、徒歩で行ける便利な店が「宮川本廛」だ。築地と新富町の間ぐらいに位置している。

大箱だからウナギ以外のツマミも揃っている。「夜ウナギ」には嬉しい。先日頼んでみた焼鳥も美味しかった。



子持ち昆布や枝豆でスタートして、こんな焼鳥やら肝焼きを肴にグビグビ飲む。そしてノッソリと鰻重がやってくるーー。こんな素敵な展開は日本人にとってスペクタル極まりない世界である。

高い高いと言っても、得体の知れないフレンチのお仕着せコース料理にどうでもいいワインを頼むようなディナーよりはよっぽど安上がりである。何よりこっちのほうが気分が上がる。

まだまだ訪ねてみたい鰻屋さんはたくさんある。しばらくはアニサキスアレルギーでウジウジしたままになりそうだから、別次元の魚?であるウナギに頼って生きていこうと思う。

2019年10月2日水曜日

ムホムホ チョメチョメ


オノマトペという言葉をご存じだろうか。なんだか音の響きが呪いの言葉や新型の性病みたいである。尾野真千子の親戚みたいな感じもする。

「雨がザーザー」「雷がピカピカ」「怒りがメラメラ」といった擬音語のことオノマトペと言うそうだ。

オノマトペという用語自体が、「オナペット」とか「カトちゃんぺ」を思い起こさせる言葉だが、元はフランス語なんだとか。

日本語はこのオナペット、いやオノマトペが多いらしい。犬や猫のワンワン、ニャーニャーもそうだし、ドキドキする、ワクワクするなど頻繁に使われている。

ムシャムシャ食べる、ガンガン働く、ジンジン痛む、ピカピカに磨く等々、常日頃から何気なく使っている。テキトーというのか、感性が豊かと言うべきか、日本人の性質に合っているのだろう。

メキメキと上達する、お腹がペコペコ、胃がキリキリ。考えてみれば擬音語の部分だけを独立させてジッと見つめてみると、先人達の感性の凄さに恐れ入る。

メキメキ、ペコペコ、キリキリである。そこだけ切り取ると超絶的に意味不明だ。謎めいている。でも、上達、お腹、胃がくっつくだけで日本全国誰にでも通じる言葉として成立する。なんとも奥が深い。

笑い方を表す際も「ニコニコ」「ニヤニヤ」「ニタニタ」「ケタケタ」「ゲラゲラ」など実に多様なパターンが存在する。

泣く場面でも「しくしく」「めそめそ」「さめざめ」「めそめそ」「はらはら」「ぽろぽろ」など実に多様だ。

それぞれ使い分けることでニュアンスがしっかり変わるところが凄い。日本語の面白さを象徴する話だと思う。

雪がしんしん降り積もる。春の小川はさらさら行くよといった風流な響きのものもある。情緒の部分にも貢献しているから、オノマトペを安易な表現、テキトーな言い回しなどと評してしまうのは間違いだろう。

このブログでもしょっちゅうそんな言葉を使っている。「ぶりぶり飲んだ」「ワシワシ食べた」「疲れてデロデロだった」「暑すぎてゲロゲロ」「梅干しをグジャグジャ」等々、たいていは過剰なニュアンスを表すときに使っている感じだ。

同じ音の繰り返しだけではない。「ドッヒャー」「ビヨーン」「サクっと」「ベロリンチョ」「チャラい」「ションボリ」「ヘチャムクレ」など例をあげればキリがない。

ついでにいえば「ペチャパイ」「ツルッパゲ」あたりも擬音語だろう。好き嫌いは別として傑作だと思う。



その昔、今は亡き山城新伍が「チョメチョメ」という言葉をハヤらせたことがある。使い道は主にエロ系である。まだ子どもだった私には神秘的な響きに聞こえた。

その後、昭和50年代に欽ちゃん番組で人気だった少女が写真週刊誌に彼氏とのベッドイン写真をすっぱ抜かれた時に「ニャンニャン」という言葉が登場した。ずばりセックスの意味である。

「ニャンニャンする」「ニャンニャンしちゃった」みたいな言い回しが普通に広まったことを覚えている。

チョメチョメ、ニャンニャンの系譜につながる言葉として私が強く推しているのが「ムホムホ」である。

「ムホムホな展開に持ち込む」「ムホムホな関係になった」という使い方も出来るし、「脚線美にムホムホした」「ビキニ姿にムホムホ」みたいな使い方も出来る。

実に含蓄に富んだ素敵な言葉である。「全日本ムホムホ普及協会」でも設立したいぐらいだ。なかなか同調してくれる人がいないのが問題である。

日本語の奥深さを書き始めたつもりだったのに、結局は下ネタになってしまうのが私のスットコドッコイな特徴である。

ついでに私が大好きな擬音語を並べてみる。ギンギン、カチカチ、ペロペロ、パコパコ、そしてフサフサである。

2019年9月30日月曜日

ショックな診断


物心がついてきてから半世紀。気付けば随分と体質的なものが変わってきた。いまや新陳代謝も無くなり、呼吸しているだけで太るし、先日はついに眉毛に白髪を発見した。

あれほど好きだった焼肉屋のカルビも見るだけでゲンナリするようになった。その一方で昔は親の仇のように嫌っていたミョウガみたいなを美味しく感じる。

変われば変わるものである。

女性の好みだって若い頃はちょっとムチムチしているぐらいの体型に惹かれたが、今では首筋のシュッとした細めの人に目が行く。

きっと子孫を残す本能が強かった頃は安産型みたいな体型に魅力を感じたのだろう。逆に言えばそれだけ生殖年齢から程遠い立場になったということでもある。

先日、馴染みのクリニックでアレルギー検査をしてもらったら意外な結果が出た。「アニサキスアレルギー」というシャレにならない診断である。



これまでアレルギーとは無縁の人生だったから結構ビックリした。おまけに意外に厄介なアレルギーだとか。

アニサキスに関しては10年前にこのブログでも取り上げた。読み返してみると当時は呑気な書きぶりだ。あの頃は良かったとしみじみ言いたくなる。


寄生虫が胃壁に噛みついて痛さにのたうち回るパターンは「アニサキス症」といって、アニサキスアレルギーとは別らしい。

生きているアニサキスなら、冷凍したり加熱すれば心配ないし、刺身だってよく嚙めば大丈夫である。

アレルギーの場合は、死んでいるアニサキスが体内に入っても、はたまたアニサキスの分泌物が付着している魚だろうと反応しちゃうそうだ。軽くジンマシンが出るぐらいなら構わないが、劇症化すればヤバいことになる。

アニサキスに縁がない完全養殖の魚にしても、エサに魚粉が使われていたら反応しちゃう可能性もあるらしい。人によってはカツオダシを摂取しただけでアレルギーが出ちゃうこともあるとか。なんとも厄介である。

私の場合、サバや貝のアレルギーはまったく無いのに、夜中に時々全身にジンマシンが出ることがあった。ここ数年の傾向なのだが、どうやらアニサキスアレルギーが原因だったみたいだ。

花粉症や甲殻類アレルギーみたいに、いわゆるコップの水が溢れてしまったのかも知れない。

シメサバは子どもの頃から大好きだったし、カツオのたたきにも目がない。イカのはらわたの刺身なんかも大好物だ。いよいよリミッターが振り切れてしまったのだろう。

なんとも切ない事態である。

アニサキスはどんな魚にも寄生するから、このアレルギーがある場合、極論すればサバやイカに限らず、魚介類なら何でもあたっちゃうリスクがあるという話である。

寿司好きの私にとっては悪魔の宣告だ。眉毛に白髪が混ざっているどころのショックではない。ライフスタイルに影響しかねないわけだ。

救いは常にアレルギー反応が出るわけではない点だ。平気なときは平気だから、今後いっさい青魚を食べられないわけではない。

アレルギー診断を下された日も、ヤケになってイワシのガリ巻きとカツオの刺身をしっかり食べてみた。結果はセーフだった。運が良かったのか、やたらと体調が良かったのか理由は不明だ。



とはいえ、そういう魚を食べる時の気分がもうダメである。これがキツい。何となくビビッているから心の底から楽しめない。悲しいったらありゃしない。

先日も「つばめグリル」でハンバーグの前にニシンの酢漬けを注文したのだが、結局一切れだけでやめてしまった。美味しかったのに寝不足だったからビビリモードになってしまった。

まだ悪魔の宣告を受けて間もないので余裕ぶっているが、今後ジワジワと私のライフスタイルに陰を落とすことになりそうだ。

ちなみに、いずれアッチが硬くならない日が来たら、きっと同じぐらいショックだと思う。

いや、さすがにそっちのほうが死ぬほど悲しいはずだから、それよりはマシだと自分に言い聞かせようと思う。


2019年9月27日金曜日

音楽の季節


個人的に秋は音楽の季節である。毎年恒例のオジサマバンドライブに向けて、練習が本格化するのがこの時期だ。



本番は128日。今年も青山のライブハウスが会場だ。毎度、立ち見が出るほど大勢の皆様にお越しいただくが、プロが使うちゃんとした会場なので、我々の格安チケット価格ではいつも赤字である。

まあ、趣味の世界にお付き合いいただくわけだから損得勘定など二の次である。オジサマ達の太っ腹の見せどころだ。痩せ我慢バンドである。

このブログをお読みの方もコメント欄にメッセージいただければ、詳細をご案内いたしますのでゼヒ遊びに来てください!

いつも春頃からメンバーで集まって練習を始める。とはいえ、春や夏はほぼ遊んじゃって時間が過ぎる。

一応、演目を絞ったり構成を考えるのだが、ヘンテコな替え歌を作ったり、ワイ談にはげんだり、ただ飲んじゃってオシマイである。

だから秋頃から焦りはじめる。これからの時期はかなり真面目に音楽に取り組むことになる。



秋からの練習はスタジオにこもって本格的な音量の中で仕上がりに向けてシビアに調整していく。つい先日も4時間みっちり頑張った。

今まではアコースティックギターだけで細々と練習を積み上げてきたが、その日は今年初の全体練習だった。アホ話は最小限にしてアコギ以外の担当メンバーとすり合わせ。

アコギだけの練習を録音した音源データに合わせて個別練習を重ねてくれたエレキ、バイオリン、キーボードなどの担当メンバーもさすがに腕っこきである。一気に仕上げに向けて前進した感じだった。

次回の練習では新たにゲスト参加するメンバーも合流する予定だ。本番当日は楽曲によっては最大8人がステージに上がる時間帯もありそうだ。

調子に乗って拡大し過ぎたらAKBグループのようにシッチャカメッチャカな大所帯になりそうだから気をつけないといけない。

今年のライブでも1415曲を披露する予定。中年世代に耳馴染みのある楽曲中心の構成だ。オフコース、アンルイス、チャゲアスなども演奏する一方で、あいみょんやジャニーズ系まで準備中である。

メンバーそれぞれ演奏したい曲があっても、オヤジバンドにありがちなマスターベーション的なライブになることを避けるためにワガママは封印。だから私にとっては神であるハマショー師匠の曲も泣く泣く断念した。

バンドを名乗る以上、一応オリジナル曲も大事だ。今年は再演曲の他に新曲も用意している。12月開催だからクリスマスを題材にした曲だ。

長く連れ添ったカップルに捧げる大人のクリスマスソングである。そんな内容なのに作詞した私も作曲したメンバーもナゼか独身である。だからなかなか仕上がらずに微調整中だ。頑張らねば・・・。



仕上がってもいないのに、雰囲気優先?で新兵器も購入した。ツリーチャイムという楽器だ。チロチロ~キラリン~とロマンチックに響くヤツである。小細工も大事だ。

小細工ついでに、ハマショー師匠がライブで使っていたような見た目がカッチョいいタンバリンまで買ってしまった。ウッドの色合いがダンディー?である。



ツリーチャイムもタンバリンもちょっと本格的なやつは結構高い。まあ、ゴルフが趣味ならドライバー1本に凄いコストをかけちゃう人もいるわけだから、それに比べたら大したことはない。

このブログにつらつらとライブの話を書くとモチベーションは上がってくる。ついでにプレッシャーも強まってくる。

でもそれもまた楽しみの一つだ。来てくださる皆さんと忘年会的なノリで楽しめるライブに仕上げたいというのがメンバー全員の願いである。

なんかカッチョいい言い回しになってしまった。



2019年9月25日水曜日

ヤバい味 銀座「そうな」


若い人が「ヤバい」という日本語を乱発するのが好きじゃない。とか言いながら、先日訪ねた料理屋は「ヤバい」としか言えない店だった。



良い意味での「ヤバい」である。銀座のオネエサンに教わった店なのだが、初めて連れて行かれた日の3日後には、一人でふらっと再訪したほどだ。この写真はその名もカラスミビーフンだ。ヤバい。

銀座8丁目の雑居ビルの地下にひっそり構える「そうな」という店。パッと見はカウンターだけだからバーのような風情。バーとしても使えそうだが、料理がまさに百花繚乱で、何を食べてもウマかった。

和洋中なんでもござれみたいなメニューが特徴だろう。それぞれが水準以上の味で、中途半端な食べ物を出す創作料理店とは一線を画している。



カツオのたたきややクジラベーコン、子持ち昆布といったオーソドックスな一品も美味しかった。クジラベーコンは自家製だとか。食感が別モノだった。

こういう普通系がしっかり揃っているうえに「ウニとトリュフのグラタン」みたいな気の利いたメニューがいろいろあるのが楽しい。




このグラタン、まさに「ヤバい」味だった。濃厚なクリーミー攻撃に悶絶した。熱々を小さいスプーンで味わいながら「ヤバいねえ~」という言葉しか出てこない。

本当にウマいモノは四の五の言わずに「ヤバい」しか言いようがない。これこそが食べ物をめぐる真理だろう。

似たようなココット系の料理で大興奮したのは「ズワイガニのカニ味噌焼き」だ。これまた熱々を小さいスプーンでほじくりながら悶絶した。



店主の仕事が早いのも特徴的だ。アラカルトでアレコレ注文しても、こちらが退屈しないテンポで料理が出てくる。ダラ飲みだろうとサクっと食べるパターンでも楽しめそうだ。

お次は揚げ物。メンチカツとカニコロッケである。別々の日に食べたのだが、この二つを両方並べてハイボールや梅干しサワーを飲んでいれば、ただただ笑顔でいられる自信がある。



メンチカツはジューシーで肉の旨味が強く、タマネギの甘さに頼ったヤツとは別次元の完成度だった。

カニコロッケはクリーミーで上品なのに濃厚だった。意味不明な表現だ・・・。簡単に言うならば、やはりヤバい味だった。

これをムホムホ食べている時なら、たとえ娘が突然結婚すると言い出しても笑って許しちゃいそうなぐらい美味しかった。



こちらは上州牛のカツ煮。贅沢な一品だ。カツと卵を一緒に煮ないのがこの店のこだわりらしい。卵の火加減が牛カツの味付けが絶妙で、これまたヤバい味だった。

ボキャブラリーの足りなさを「ヤバい」の一言でごまかしてしまったが、本当にヤバいと感じたのだから仕方がない。

今後、ちょこちょこ使わせてもらいそうだ。


2019年9月20日金曜日

怒りの場

SNSの世界は自慢ばかり。誰もが自分のキラキラぶりをアピールすることに必死だ。別に悪いことではない。


まあ、自分のヨレヨレ話をあえて広めようという人はいないから、自慢合戦はある意味自然なことだ。

私だって似たようなものだ。あれを喰った、これがウマかった、どこに旅した、こんな事も知ってるんだぜ、等々、そんな話ばかり書いている。

ちなみに、相変わらずウマいトンカツに巡り会いました。ハッピーだった。



そんな話は読む人によってはただの自慢にしか見えないだろうし、ウザったく感じるはずだ。すいません。

でも、自慢するつもりが無くたって、人が何かを表現する時はエエ格好しいになってしまうものである。

もっと、ヨレヨレ、へろへろな話を面白く書けるように頑張ろうと思う。

さて、自慢話に溢れるSNSだが、自慢よりも厄介なのが、やたらと怒りを撒き散らしているケースだ。

そりゃあ、災害支援へのお上の動きが遅いとか、必要な怒りを発信するのは大事なことだと思う。

ちょっと前に話題になった「保育園落ちた。日本死ね」みたいな叫びも社会への必要な訴えかけなんだろう。

そういうテーマならともかく、ビールが冷たくなかったとか、タクシーの運転手の態度が悪いとか、身近な小さなことにやたらと怒っている人がいる、

普通に愚痴を言うぐらいならともかく、世の中の一大事みたいに怒っている書き込みを見ると、その人の精神状態が心配になる。

芸能人のすべった転んだみたいな話を意味不明な目線で真剣に怒ったり、知り合いでもない著名人の不倫に真剣に怒ったり、なぜか滝川クリステルにやたらと怒ったり、なんだか「怒ること有りき」みたいな書き込みを結構目にする。

ああいう人達って、きっと「怒っている自分」が好きなんだろう。正義感みたいな感覚に酔っているというか、自分は硬骨漢なんだぞ的なアピールがしたいのかもしれない。

たぶん、日常生活でいろいろと抑制されているから、その裏返しで怒りを爆発させているのではないか。

奥さんに叱られ、職場でも叱られ、ラーメン屋のオヤジにまで叱られ、イジイジしている反動で怒りを世間に発信しているのかもしれない。

だとしたら気の毒な話だ。気の毒であり迷惑な話だ。

SNSなどそっち系の分野に詳しい人によると、ネット黎明期の頃は今よりも情報交換の場としての活用が主流で、怒りをぶちまける場になってしまったのは、近年の傾向だとか。

ちょっとしたことでもネット上のクレーマーが騒ぐから、企業をはじめ、生産者やサービスを提供する側もやたらと事細かに神経を使うようになった。

結果、大らかさは失われ窮屈な空気が広まることになってしまった。ちょっと大げさかも知れないが、一部の人のマスターベーション的で思いつきみたいな怒りの発散が窮屈な世の中を招いてしまったわけだ。

つくづく、どうでもいいことには勝手に一人で怒っていて欲しいと思う。世間の共感を集めようとしないで欲しい。

SNSやネットの世界は、それこそ今風の言葉でいえば「ゆるく」使うのが間違いない。

眉毛に白髪が混ざってて残念とか、ホテルの入口で女性に逃げられたとか、賞味期限を2年過ぎたカレーを食べて下からもカレーが出たとか、そんな話で盛り上がればいい。

薄っぺらいぐらいがちょうどいいと思う。