2025年9月3日水曜日

気持ち悪いこと

 

9月になっても相変わらず暑くてイヤになってしまう。世の中にはイライラしている人が多いみたいだが、今日は私が最近感じた「ちょっとイラついたこと」を書いてみたい。

 

「二宮金次郎は座っている」。最近知ったヘンテコ話である。薪を背負って歩きながらも必死に本を読んで勉強する姿が私が知る金次郎さんである。一定年齢以上の人ならだれもそういう認識だろう。

 

ところが、最近は座っている二宮金次郎像が増えているのだとか。実際に見たわけではないので何とも言えないが、その理由に驚いた。「歩きスマホを助長しないため」だとか。うーん、何じゃそれ!?である。

 

いわゆる、ながら運転、ながらスマホはいけないことだが、金次郎さんにまでそんな“コンプラ”を押し付けるとは実に気持ち悪い社会になったものである。座っちゃったら単なる休憩だ。寸暇を惜しんで頑張ったという大事な部分とズレてしまう。

 

いったいどんなバカがそんなヘンチクリンな方針転換を指示し始めたのだろう。もちろん、歩きながら本を読むのは危険だ。そんなの当たり前だ。それはそれである。その正論をゴリゴリ押し付ける対象が金次郎さんにまで及ぶのは行き過ぎだろう。

 

誰が言い出したのか知らないが、そんな要求だか主張をいちいち気にするほうもどうかしている。コンプラ絶対正義論者の思いつきみたいな声を気にしてヘンテコな路線に変えちゃう安易さが気持ち悪い。

 

各地で話題になっている裸婦像の撤去問題も同じだ。公共の場に裸の女性の姿があるのはけしからんという話。これまた何だかな~って感じだ。

 

そりゃあオッパイを見てドキっとするのは普通だが、芸術作品とエロとはまた別な話だ。ここでも「オッパイはダメ」というゴリゴリな正論モドキが暗躍する。それこそ筋骨隆々の男性の裸体像にはそんな声は上がらない。ヘンテコな話だ。あれだって思春期の女の子が見たらドキっとするはずだ。

 

裸婦像だけが俎上にあがって裸男像は無視されているあたりがジェンダー、ジェンダーとやかましく騒ぐ連中の底の浅さを露呈しているような気もする。ちょっと言い過ぎだろうか。

 

テレビドラマの世界では車で逃げる犯人がシートベルトをして、どんなに悪人だろうとタバコのポイ捨てすらしないような生真面目な“規制”が最近では標準様式になった。昭和のおおらかさのほうが正しいとまでは言わないが、今の社会の「ウソっぽい感じ」が妙に思えて仕方ない。

 

何でもアリ状態のネットの世界と一般メディアとの二元的な迷走は非常に陳腐だと思う。配慮しているつもりの青少年世代はそんな「ウソっぽい感じ」をもっとも敏感に感じ取り、そのダメダメぶりを嘲笑しているのが実態だろう。

 

そういえば最近ここでも書いたネットフリックスの「グラスハート」というドラマにもナゼだか13歳以下には視聴制限が推奨されていた。エロい描写も無いしいったい何で制限するのかと思ったら「乱暴な言葉」のせいで該当しているらしい。こりゃまたオイオイ?って感じだ。

 

やくざ映画のおっそろしいセリフが飛び交うわけでもなく、いわばバンドマン達の青春ドラマである。そりゃあ少しぐらいイケてるセリフも飛び交う。それを「乱暴な言葉だからダメです」と押し付けちゃうゴリゴリぶりがバカみたいだ。世の中の12歳や13歳をバカにし過ぎ。

 

女優という言葉が急速に使われなくなっているのも気持ち悪い。俳優に統一されつつある。これまた「ジェンダーゴリゴリ」の流れだ。女優はあくまで女優でありそこにはいろんなニュアンスが含まれている固有の言葉だ。なんなら美しい言葉だと思う。

 

帰国子女、父兄会みたいな言葉を使わなくなったり、看護婦さんが看護師になったり、女流〇〇みたいな表現が規制されるのと同じ意味合いだろう。深く考えずに「女優」という言葉まで無くそうという安易さはこれまた気持ち悪いことだと感じる。

 

話は飛ぶが、日本中で熊が人を襲って大惨事になっているのに熊の殺処分にあからさまに反対する声も相変わらず存在するらしい。


「熊を殺しちゃダメ」。そりゃあまあそう言いたい気持ちも分からなくはないが、今の状況でまだそんなことを言うのはさすがに幼い。「白クマさんが可哀そうだからエアコン消しましょう」という小学生の姿にかぶる。

 

なんだか話がとっ散らかってきた。とにかく今の世の中、一部の「ゴリゴリ正論モドキ」に過剰反応し過ぎだと思う。コンプラも結構、ホワイトも結構。でも現実を見据えながら自分の頭で考えたり、物事を必要に応じてナナメから見るような意識がどんどん希薄になっているように感じる。

 

私もたいがいバカなのだが、そんな私が呆れちゃうようなバカな言動や行動がチマタに溢れまくっている。なんだかゾワゾワしてしまう。

 

あくまで個人的な愚痴だが、こんなことをツラツラ書き連ねることが私自身が時代から取り残された証拠だとしたらちょっと切ない。



 

 

 

 

 

 

2025年9月1日月曜日

進歩しない

 更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ。ちょっと真面目な話です。16年前に書いたことが今もほとんど変わっていないことが切ない。


成功体験

2025年8月29日金曜日

グラスハート

 

来年開催されるWBCの中継はネットフリックスが独占するそうだ。これも時代の流れだろうか。国民総注目ともいえる野球の国際大会を日本のテレビ局が中継できないわけだから一大事と言っても過言ではない。

 

普通の人にとってはさほど問題はないが、私の母を例にとるとネット視聴自体が出来ないから中継は見られない。お年寄りにとってみれば大事件だ。

 

ネットフリックスなど新興勢力の勢いはドラマの分野でも顕著だ。「全裸監督」しかり「地面師」しかり、相撲の世界を描いた「サンクチュアリ」も独特な世界観で作品がつくられていて画期的だった。

 

地上波のドラマの中にはどうにも台本が稚拙だと感じるものもあるから配信系ドラマとの“格差”は今後も広まっていくのだろう。

 

先日、ネットフリックスが最近流し始めた全10話のドラマを見た。私のような年代をターゲットにした作品ではないが、面白くて2日間で全10話を見てしまった。「グラスハート」というドラマだ。

 



主演は佐藤健だ。以前、彼が主演だったネットフリックス作品の「ファーストラブ・初恋」に感動してしまったオジサマとしては、今回も彼がメインというだけで期待しながら鑑賞。

 

端的に言うなら昭和の「大映ドラマ」的な作品だった。松村雄基や伊藤かずえはいつ出てくるのかと思ったぐらい全体的にあのノリ?だった。ベタというか、大げさというか、青臭いというか、直球一本やり?の娯楽作品である。

 

天才ミュージシャンをめぐるバンド活動の話なのだが、ライバル関係、敵対する悪者、恋模様のどの局面もベタベタに分かりやすい。悪役なんてどこからどう見ても悪らつだし、天才ミュージシャンの天才ぶりもスーパーマンみたいだった。

 

佐藤健は非常に格好良いのだが、見方を変えれば非常に気持ち悪い。そこがまたこのドラマのキモになっている。ボーイズラブ的な要素もあって観る人によってはいろんな楽しみ方ができる作品だ。

 

バンドの腕っこきギタリスト役の町田啓太という俳優も良かった。ロン毛がとてもカッチョよく、同じくバンドメンバー役の志尊淳よりも二枚目ぶりが際立っていた。菅田将暉の突き抜けた感じも良かった。

 

とにかくツッコミどころ満載の作品だったから細かいあらすじを書きたくてしょうがないのだが、これから観る人のためにそこは割愛。間違いなく言えることは「大映ドラマ」的な仕上がりに対して、いちいちツッコミを入れながら鑑賞すると楽しいということだ。

 

そう書くとディスっているように思われそうだが逆である。ツッコミまくれる面白さこそがこのドラマのウリなんだと思う。あえてそういう作りに徹したのではと邪推してしまう。

 

それにしても俳優って凄いと改めて感じる。ライブシーンでの演技はどうみても卓越したミュージシャンにしか見えない。オヤジバンドのボーカリストである私からすると、あそこまで徹底してカッチョよくキメちゃう姿に尊敬すら覚えた。

 

ノリノリで演奏したりシャウトしたり…。そういうシーンを本物のライブでもないのにやり切っちゃう憑依体質ぶりが凄い。私自身、10年以上バンド活動を続けているが、いつまで経ってもステージ上では恥ずかしくてノリきれない。このドラマを見習って今年のライブではハジけてみようと決意した次第である。

 

深夜に一人、このドラマを観ながら「おいおい!」とか「そりゃあ無いわ!」とか「なんじゃソレ!」などと声に出しながら過ごした時間は意外に有意義?だった。時には単純明快な娯楽作品の世界に没頭するのも悪くない。

 

 

 

 

 

 

2025年8月27日水曜日

強壮作用?

 更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。


セックスミネラル

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/01/blog-post_26.html





2025年8月25日月曜日

シェイク、シェイク!

 

マクドナルドが日本に登場したのは昭和46年、銀座に1号店がオープンした。もう50年以上前の話だ。銀座店はお弁当屋さんみたいに店頭で販売するだけで椅子席はなかったそうだ。椅子席が用意された最初の店舗は同じ年にオープンした代々木店だとか。

 

私がマックと出会ったのは開業間もない代々木店である。当時私はボンボン!だったから荻窪の家から飯田橋の幼稚園までクルマで送り迎えされていた。帰り道に母親が立ち寄ってくれるマック代々木店は憩いの地だった。

 

いま思えばよくもあんな距離を毎日毎日送り迎えしてもらえたものだと思う。当時は交通量がまだまだ少なめだったのだろうか。交通戦争なる言葉が生まれどこも渋滞だらけになる少し前ののどかな時代だったのかもしれない。

 

マック代々木店での思い出といえばフィレオフィッシュのタルタルソースとマックシェイクに尽きる。タルタルソースという悪魔的にウマいものはまだ世の中に出回っていなかった。少なくとも私の世代に関してはタルタルソースはマックで覚えた。

 

さて、シェイクである。当時の子供でもミルクセーキという飲みものは知っていた。名前の響きもどこか魅惑的だったのだが、マックが「シェイク」と言い出してから「セーキ」への愛は一気に吹き飛び「シェイク」の大ファンになってしまった。

 

ミルクセーキとは違うあのアイスクリーム的な冷たさも衝撃だった。まだまだ後進国だった日本の子供全員がシェイクに骨抜きにされたのは歴史的事実だろう。

 

聞くところによるとマックシェイクにはちょっとした秘密があるらしい。秘密というかこだわりだ。マクドナルドはシェイクを美味しく感じる吸引速度を研究して「母乳を飲む速度」を目指してシェイクの粘度などを決めたという。ストローもそれを計算した太さに統一されているそうだ。

 

子供たちはイチコロだろう。あのちょっと野暮ったい吸い心地は母乳を吸う感覚を無意識に思い起こさせるわけだ。夢中になるのも当然である。ちなみに今も私はマックシェイクが好きだ。母乳かどうかはさておき、きっと私も「乳の吸い心地」に魅せられているのだろう。ちょっと恥ずかしい。

 

デリバリーがすっかり日本人の食生活を支えている昨今だが、マックのデリバリーメニューにマックシェイクが無いことは大いに残念である。きっとマックが誇る「母乳吸引感」がデリバリーだと台無しになってしまうことを避けているのだろう。

 



マック以外のデリバリーの世界にはシェイク的なものはそれなりに存在する。ドミノピザがカフェ的なメニューとして用意しているシェイクも美味しい。最近わりとハマっている。素直にウマい。ホイップクリーム抜きを選ばないあたりが私の悪いクセだ。

 

以前から甘いものは好きだが、昨年あたりからスイーツ愛がやたらと高まっている私としては今の季節、シェイクを見かければすぐに欲しくなってしまう。

 

最近はコーヒーのチェーン店・タリーズが出しているエスプレッソシェイクもやたらと飲んでいる。名前の通りちょこっとほろ苦さもあるので大人向きだろう。変な話だが、タバコとの相性が抜群だ。タバコ休憩の相棒として活躍してくれている。

 



数あるシェイク類の中でもちょっとした希少性を味わえるのが「ずんだシェイク」だ。シェイクといえば、バニラ、ストロベリー、チョコ、そのほかのフルーツ系が主流だが、ずんだシェイクは翻訳?すれば枝豆シェイクである。そう聞くと気持ち悪いが、甘みを足したずんだ餅に使うあのペーストがベースに使われている。

 



職場や家の近所でずんだシェイクを味わえる店を知らないので、羽田空港に出かけた時の私の密やかな楽しみである。羽田に行く機会があれば必ず飲む。時間が無くても駆け足で買いに行くほどウマいと思う。空港にあるなら東京駅を探せばありそうだから今度探してみようと思う。

 

今の地元・日本橋にある「GODIVA CAFE」の近くを通るとシェイク的なチョコレートドリンクを買いたくなる。昔、銀座7丁目あたりにあった「GODIVA CAFE」には同伴メシを食べた後のクラブのオネエサン達とよく行ったことを思い出す。懐かしの味である。

 

この店では「シェイク」と呼ばずに「ショコリキサー」という謎のネーミングだ。よく分からないがシェイクの仲間として認識して間違いないだろう。

 



この画像はわがオヤジバンドのメンバーと八重洲の居酒屋でいっぱいやった後に立ち寄った際の一コマ。酒の後でこういう口直しも悪くない。

 

綺麗なオネエサンか、禿げたオッサンか、一緒にいる相手は違ってもシェイクの味は同じだ。でもお互いのシェイクの違いを味見することはなかった。オッサン同士である。ストローで間接キッスする姿は一種の地獄絵図である…。


ヘンテコなまとめかたになってしまった。





 

 

 

 

2025年8月22日金曜日

福山雅治の問題

 

いま、時代のエジキになっているのが福山雅治である。何だかお気の毒だ。私は彼のファンではない。どちらかといえば苦手だ。それでも飲み会を楽しんだだけで「深く反省しております」と言わされる状況が気の毒だと思う。

 



だいたい「不適切会合」という怪しげな言葉が独り歩きしているのが気持ち悪い。なんじゃそれ?って感じだ。渋々参加するメンバーがいる飲み会はすべてが「不適切会合」に該当するのだろうか。だったら毎日毎晩、日本全国の端から端まで不適切だらけである。

 

肝心のフジテレビ自体が「福山さんによるハラスメント行為があったという申告は確認していません」と発表している。だったら一体あの騒ぎは何なんだろう。

 

端的に言えば飲み会で下ネタが飛び交ってそれを不快に感じた人がいたという話だ。ニュースバリューも無ければ世間が騒ぐ必要もない話だ。

 

下ネタまで糾弾されるような社会になったら暗黒時代の到来だ。それこそ軍国主義の戦時中のような息苦しい世の中になってしまう。エロをおおらかに語ったり表現したりすることは社会が平和であることの一種の証である。大げさなようだがそれって真理だと思う。

 

だいたい、下ネタ乱発で糾弾されちゃうなら私なんて100回以上起訴されて50回ぐらいは銃殺刑になってしまう。話の内容が不快だったというだけでバッシングされるなら何も下ネタだけを槍玉にあげる必要はないだろう。

 

先輩や上司の自慢話や知ったかぶりするオッサンのウンチクや疲れたオバサンの愚痴だって、付き合いで聞かされる側は堪ったものではない。下ネタを聞いて不快になるのと不快さはさほど変わらない。

 

だったらそれらも「不快だ」の一言で糾弾すればいいというヘンテコな理屈も成り立ってしまう気がする。いわば気に入らない会話はすべてクレームの対象ということになりかねない。実に息苦しい世の中だ。

 

今回の「不適切」をめぐって鬼の首でも取ったかのように騒ぐメディアや一部のSNS愛好家のあさましさというかアホらしさが物凄く気持ち悪い。要するに売れっこの足を引っ張りたいだけ。いわば嫉妬や妬みの類だ。

 

世の中で話題になる不倫騒動やらトラブルを叩きたがる真理って嫉妬や妬みが根本のエネルギー源である。なんとも淋しい話だと思う。みみっちいというか、チンケというか、哀れな感じすら覚える。

 

不倫バッシングに励む人に限って、カラオケに行けば不倫を描いたヒット曲を熱唱したり不倫を題材にしたドラマに熱中したりする。要は自分では足を踏み込めない世界でウマくやっている人への嫉妬だ。

 

自分には真似できないという残念な感情を思いつきの正義感によってゴマかしているようにしか見えない。綺麗ごとや正論を正面から吐くことは一種の安全地帯からの発言だ。恐いものナシで全能感みたいな感覚に酔えちゃう。バカな話だと思う。

 

なんだか勢い余って強めの書き方になってしまった。不快に思った人がいればスイマセン!

 

もちろん、不同意性交罪や強制わいせつに該当するような不祥事ならとことん叩かれて当然だし、擁護する気はさらさら無い。それらの犯罪行為とちょっとした脱線行為をゴチャ混ぜにして何でもかんでも叩きたがる風潮がオゾましいと言いたいだけである。

 

今の世の中、ごく一部の人のクレームをことさら事件かのように扱う面倒くさい空気が支配的だ。昭和の頃がおおらか過ぎたのも事実だが、イマドキの閉そく感は年々強まっているようでブキミですらある。

 

話は変わるが、先日観たNHKのドキュメント番組でタメ息が出ちゃうような話が紹介されていた。

 

甲子園に出場している沖縄代表の高校を応援する際、アルプススタンドから「ハイサイおじさん」のメロディーが鳴り響くのがおなじみの光景だ。ところが、一時期あの演奏を中止していたことがあったという。

 

理由はちょっとしたクレームだ。「ハイサイおじさん」という歌は酒浸りのオジサンを描いているから高校生の応援にふさわしくないというのがその内容。

 

私には単なるイチャモンにしか思えない。沖縄の応援団の皆様にも逡巡はあったようだが、ある試合のチャンスの場面で思い切って再開、その後は今に至るまですっかりチャンステーマとして定着している。

 

話がそれてしまったが、今の社会にはびこる息苦しい空気感を思うと、このエピソードはある種の教訓のようにも思える。

 

話のオチはとくにない。息苦しい社会が続くことがちょっと不安だ。いま必要なのは「おおらかさ」。その一言に尽きると思う。


火野正平や山城新伍が開き直っていた頃が妙に懐かしく感じる今日この頃である。若い人には分からないか…。






 

 

 

 

 

2025年8月20日水曜日

豚になっちゃう

 

昔から漫画やアニメの世界に没頭できないタチだ。世代的にはルパン三世やガンダムや宇宙戦艦ヤマトに熱中してもおかしくなかったのだが、どれもまったく興味がなかった。

 

子供時代に熱中したヒーローシリーズも仮面ライダーやキカイダー、はたまたロボコンみたいな実写版ばかりでアニメ系に熱中したことがない。私自身に絵心のカケラがまったくないせいでヒネくれてしまったのだろうか。

 

さて、そんな私だが、子供が幼い頃に付き合いで観たアニメ「千と千尋の神隠し」の中のあるシーンだけは妙に印象に残っている。そのシーンは今もしょっちゅう脳裏をよぎる。主人公の女の子の両親が突然豚になっちゃうシーンである。

 


 

確か、どこかに置いてあった食べ物を勝手に食べあさっているうちに豚に変身してしまったシーンだ。食い意地のはった私としては妙に怖い描写に思えた。

 

「勝手にヨソのメシを食べちゃうと豚になる」。映画公開時にすでに立派な大人だった私だが、あのシーンのせいで、人様の食事を断りもなく食べてはいけないと初めて!?知った次第である。バカですいません。

 

よく覚えていないのだが、あのシーンは何となく不思議だった。子供がいるいっぱしのオトナが夫婦そろって人様の食卓に置いてある食事を勝手にガツガツ食べちゃう。普通そんなヤツはいないだろう。ヤクザもビックリの非道ぶりだ。

 

まあ、そんな非道ぶりだから罰として豚になってしまったのだろう。結局、意味がよく分からないシーンなのだが、私の頭の中には「意地汚く食う」イコール「豚になっちゃう」みたいな図式が埋め込まれてしまった。私の脳みそは実に単純だ。

 

「食べてすぐ寝ると牛になる」。そんな迷信みたいな話を幼い頃によく聞かされた。もちろん、信じるほどバカではなかったが、深層心理のどこかに「牛になっちゃうオレ」という映像が刻まれている。そんなスットコドッコイは私だけだろうか…。

 

そのせいもあって「豚になっちゃうオレ」という恐怖心もアニメ映画のせいで私の心の片隅にあるみたいだ。「豚イコールデブ」みたいなイメージも相まって、ドカ食いや意地汚い食べ方をすると豚に姿を変えた自分を想像してしまう。

 

そんなことを書くと自分が異常者みたいだ。まあいいか。

 

おバカな私のこんな発想には少なからず豚肉が大好きであることが影響している。いわば、豚に対する申しわけなさである。

 

ここ数年、とにかく豚肉愛が強い。我が家の冷蔵庫、冷凍庫には豚肉しか無いといっても過言ではない。ふるさと納税で取り寄せる食品もコメの他には豚肉ばかりである。

 

極端な言い方をすれば「牛肉ほど重くない、鶏肉ほど軽くない」という点にハマり続けているのだろう。自炊する際も大半が豚肉をアレコレしている。

 




 一般的な焼肉さんならともかく、一品料理も多い本格的な韓国料理屋に行くと牛肉ではなく豚肉が欲しくなる。サムギョプサルやらポッサムをムシャムシャ食べているのが幸せだ。

 

上の画像は赤坂のハモニ食堂で食べたサムギョプサル。この店はわがオヤジバンドのスタジオ練習の後に何度か利用した。45人ぐらいでアレコレ注文するといろんな味が楽しめるのでオススメである。

 

ウマい豚肉は何より食感が好ましい。当たり前だが牛や鶏とも違う歯ごたえにウットリする。脂身の甘みもまた素敵である。牛の脂よりも断然甘さと旨味が強いと感じる。

 

そんな豚ファンの私が見逃していた豚肉料理の専門店がある。マロリーポークステーキというチェーン店だ。だいぶ前からその存在は知っていたのだが、未踏の地だった。

 


料理のサイズ感をウリにしている店にウマい店はない、そんな固定観念に縛られていたせいで何となく敬遠していたのだが、ひょんなことで初体験してきた。単純にウマかった。やはり食わず嫌いは損をする。

 

とある日の昼下がり、ちょっとした事情で朝飯抜きだったので空腹バリバリの状態で最近オープンした日本橋店に入店してみた。画像はランチメニューだから夜は値段が変わるのかもしれないが、肉の量からすれば値段も手頃である。

 

「安いステーキは美味しくない」。これまた固定観念のせいでちょっと心配になったのだが、とにかく空腹だったので450グラムの豚の塊を注文した。

 



 

付け合わせのタレというかソースが2種類用意されていた。どちらも肉との相性がバッチリだった。別注でトリュフバターも追加したのだが、これまた味変効果を発揮して悪くなかった。

 

肝心のポークステーキそのものについてだが、しっととり柔らかく焼き上げられていた。パサついた部分はまったく無かった。ヘタな牛のステーキを食べるなら個人的には断然こっちが良いと感じた。空腹男子なら450グラムはペロリだろう。

 

極度の空腹だったから何を食べても美味しく感じたのかもしれないが、想像していた味より確実に上だった。すぐにまた食べたい気分である。


夜はツマミになる小皿メニューがいくつも用意されているようなので近いうちに飲み屋さん的にも活用しようと思う。

 

ここ数か月、節制も兼ねてモツ焼き屋に行って怪しい部位の豚肉をチマチマ食べる機会が多い。炭水化物は避けて梅きゅうやモヤシ炒めなども頼んでヘルシーな気分になっている。

 

それはそれで悪くないが、ポークステーキ屋でも似たような過ごし方はできそうだ。生ハムやピクルスをツマミにハイボールでも飲みながらシメに適量の豚の塊を食らう。なかなか魅力的だ。

 

ホッピーにモツ焼き、というパターンよりちょっとシャレている。でも豚は豚だからきっと総摂取カロリーは似たようなものだろう。

 

でもデカいサイズを頼みたくなる私の悪いクセは要注意だ。調子に乗っていると「千と千尋…」みたいに気づけば豚になってブヒブヒ言ってるかもしれない。怖い怖い。