お節介で煩わしいルールが最近どうも気になる。暑いからだろうか。いや、やっぱり一昔前より妙に鬱陶しい制約とか規制が増えたような気がする。
ゴミの分別のあの異常なまでの細かさは何なんだろう。個人情報という錦の御旗によって、なんでもかんでもオモテに出てこない風潮は何なんだろう。女性専用車両だけでなく男性専用車両を作らないのは何でだろう。誰もいない場所まで路上禁煙が徹底されているのはナゼだろう。
挙げればきりがない。
アイドリングはダメだ、タクシーの後部座席でもシートベルトをしろ、等々、どんな場面でもがんじがらめだ。
おまけに浮気はするな、不倫はダメだなんて言われる(一般的にはダメなんだろう!?)。いちいち息苦しくってしょうがない。
大阪の橋下市長が何年も前の浮気でメディアから叩かれたのは記憶に新しい。公人になる前の話だし、その女性とトラブルになったわけでもないみたいだし、何を騒いでいるのかと不思議だった。
正直私は、橋下さんは好きではない。でも、あの騒動だけはバカらしくて同情したくなった。
浮気だ不倫だといっても、刑事罰が問われるわけではない。姦通罪が存在した頃は、立派な法律違反だったわけだが、そんな罪状がない以上、国家としてそれを刑事事件に値しないと認識しているわけだ。ちょっと強引な論法でスイマセン・・・。
オトナの了解事とか、大らかさとか、そういう概念がすべて悪いことかのような空気が世の中をつまらなくしている元凶だろう。
かつてフランスの大統領が婚外恋愛が発覚した際に記者に対して「それがどうした?」と聞き返した。大したもんだ。確かに大統領の職務とは無関係だろう。
かつての日本にも傑物はいた。戦後活躍した政治家・三木武吉は、演説会で対立候補から「メカケが4人いる」と非難された際に、「4人ではなく5人だ」と訂正した上で、「みんな年を取ったので、捨て去るような不人情なことは出来ないから養っている」と応戦して喝采を浴びたそうだ。
うーん、実に潔い。
話を戻す。そもそも人間として大切なことは「男は男、女は女」という基本を忘れないことである。何を当たり前なことを言ってるんだとお叱りを受けそうだが、この考え方はとても大事だ。
結婚した途端に男は男でなくなり、女が女でなくなる感覚が強すぎはしないか。まったくの思いつきだが、その遠因は、上っツラだけのキリスト教的結婚スタイルが導入されたことだと私は睨んでいる。
犬じゃあるまいし、あんなウソっぽい指輪をハメさせられて喜ぶようになってから、極端に窮屈な道徳観が絶対視されるようになったのではないだろうか。
夫である前に男、母である以前に女である。それが普通なのに実際は逆転している。
結婚という形を選んだことで、たかだか20歳代とか30代前半で男や女でなくなる。ゲゲゲって感じだ。人間としてまるで不自然な話。そんなものを貫き通そうというほうが無理がある。
もちろん、サカリのついた動物みたいに、闇雲に異性を追っかけろという話ではない。たとえ、夫婦同士であろうと、結婚したからといって、単なる「父ちゃんカアちゃん」にならずに、男と女であり続ける努力が必要だ。
たまたま家庭の外に好きな人が出来てしまったからといって、人の道に外れているとは思わない。煩悩深き人間だからこそそういうことも起こりうる。単純に人間臭いだけの話。
かつて石田純一が「不倫は文化だ」と語って大バッシングを受けた。あれも「不倫から芸術や文化が生まれることもある」という話が曲解されたわけで、彼の言いたかったことは一般論としては正しい。
あの騒動も、しょせんは男や女を捨ててしまった人達が、悔し紛れや妬みの発想でバッシングしたのだと思う。
そんなものは開き直りだというご指摘もあろう。その通りである。ただ、人間なんて自分の思ったことを貫くには開き直るしかないし、開き直らなければ何も進まない。
開き直ることも、これまた人間臭いことで、大いに結構だと思う。
大阪の橋下さんの件もそうだが、大衆はそんなにリーダーに対して聖人君子像を求めているのだろうか。決してそんなことはない。
子どもの世界ですら、クラスの人気者は決して「お勉強ちゃん」ではない。ガリ勉の石部金吉よりも、どこか危ないところもある人間臭いヤツが支持を集める。
そういう意味で、唐突だが、個人的には、野田さんよりも麻生太郎のほうがよほどマシだったと思っている。麻生さんの方がフツーにヤンチャなことをしていそうだし、人間臭い感じがある。
アチコチ話が飛んで恐縮だが、タレントの麻木久仁子ともう1人別な女優と二股騒動を巻き起こした「山路さん」を覚えているのだろうか。ナントカ通信社代表の「山路さん」だ。
あの人は今、女性週刊誌に人生相談のレギュラーコーナーを持っている。メディアからは散々女性の敵だと叩かれていたのに、「人生経験豊富なナイスミドル」みたいな位置付けで、世の主婦からの色恋の悩みなんかにマジメに回答している。
大衆の潜在意識の実相を思い知らされる。結局は、「山路さん」的なものを忌み嫌うのではなく、どこか面白味のある人物として認識しているのだろう。
世の中みんな「山路さん」になってしまったら、それはそれでマズいのだろうが、もう少し「山路さん」的な空気は広まってもいいと思う。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」。最近、このフレーズばかり頭に浮かぶ。
2012年8月6日月曜日
不倫とか浮気とか山路さんとか
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