このところ、元気に飲み歩く機会が減った。とくに大した理由はない。仕事や変な遊び、ギター教室等々、あれやこれやでバタバタしている。おかげで漫然と飲み歩く時間が減ってしまった。
銀座界隈もご無沙汰気味である。あの街の空気は好きなので、もう少しマメに探検したいのだがサボってばかりだ。
それでもポツポツとは銀座に出向いているのだが、あの街に行くと目的もなしに歩き回りたくなる。昔の言葉だと「銀ぶら」である。
文字通り銀座をぶらぶらするという意味だが、私の場合「ぶらぶら」というよりキョキョロしているから「銀キョロ」である。
以前、今は亡き作家・城山三郎氏が何かのエッセイで「銀座ジャランジャラン」という表現を使っていた。
ジャランジャランとはインドネシア語で「散歩」を意味する言葉だ。バリ島が大好きな私も現地では得意になってこの言葉を発している。
城山三郎氏いわく、銀座には「ぶらぶら」よりも個性的な「ジャランジャラン」が似合うとのこと。なんとなく頷ける。
職場や住まいの近所をぶらぶらするのとは違う独特な感覚が芽生えるのがあの街の面白さだと思う。
私の場合、夕方から夜の銀座ばかりである。ついでに言うと1丁目から4丁目界隈はあまり歩かない。6~8丁目あたりで「銀キョロ」するのが専門である。
今の季節は日暮れが早いのでダメだが、日が長い季節だったら夕方、それこそ薄暮の時間帯の銀座を歩くのが好きだ。
暑さが少しゆるんだ黄昏時、文化遺産みたいな老舗ビアホール「ライオン7丁目店」に人が並び始める夏の夕暮れに中央通りを散策したり、新橋寄りの裏路地で割烹着のオバサンが水打ちするのを眺めたりしてノホホンとした気分に浸る。
私の場合、銀座の夜の顔ぐらいしか垣間見ることはないが、良くも悪くも二面性があの街の特徴だ。
どこか気張って背伸びしてヨソイキの姿を保っているのが銀座だ。当然、ヨソイキの姿の裏側には素の部分もある。
薄暮の頃には素の部分が垣間見えて興味深い。仕事を終えて歩いている人達とこれから仕事が始まる人達が交差する時間だ。
夜の仕事に携わる人達が、まだまだユルい感じで過ごしている姿を目にすると、舞台裏を覗いたような面白さがある。
料理屋の職人さん、バーテンさん、夜の蝶など、銀座の夜を舞台にする人々が少しずつせわしなく動き始める。
動き回っていても本番の顔は作っていない。そんな中途半端な空気が街全体に漂っている時間帯だ。
格好良く言えば、舞台やステージが開演する直前のワクワクした空気と似た感じかもしれない。少し高揚感があって適度に緊張感もありながら、どこかホッコリした感じも漂う。
そんな気配の中をアテもなく歩きながら、雑居ビルの看板を眺めたり、いままで素通りしていた小道に足を踏み入れてみる。
凜とした門構えの料理屋があれば勝手に中を想像したり、居心地が良さそうな喫茶店や謎めいたバーを発見したり、飽きずに歩き回ってしまう。
時々、顔なじみの黒服さんと遭遇して軽口を叩いたり、綺麗どころに見つかって営業攻勢を受けるのも御愛敬である。
一人で時間つぶしをする時には葉巻が楽しめるバーに出向く。遅い時間なら当然アルコールだが、早い時間だと珈琲や、ヘタするとホットミルクなんかを注文して喫茶店代わりに使う。
小ぶりな葉巻をエラそうにふかしているクセにホットミルクに砂糖をたっぷり入れてズズズっとすするのも悪くない。
そんな「どうでもいい時間」をあの街で過ごすのが楽しい。そのあと訪ねる店で何を食べようか、何を飲もうか、誰かを呼び出そうか等々、それこそどうでもいいことを考えていると、それなりにリフレッシュできる。
適度に歩いて、ウマいものを食べて、いい感じにホロ酔いになったら、とっとと帰るのがベストである。実際、そんな感じで帰宅することもあるのだが、ネオンの誘惑に負けることが多い。
東京人の矜持として、長っ尻はイキではないと分かっているのだが、綺麗に着飾ったお世辞のプロフェッショナル達を前にするとダラダラと酩酊してしまう。
夏場だったら酔いにまかせて深夜になっても「銀キョロ」に励んでデロデロになることもある。さっさと帰るつもりだったのに飲み過ぎて後悔するパターンだ。
これからの季節は寒さが厳しくなるせいで、さすがに深夜の銀座俳諧にブレーキがかかる。
薄暮の時間帯を楽しめる夏場が恋しいが、私の健康のためには冬の銀座のほうが好ましいのかもしれない。
これから年末に向けて街が活気づく。もともと夜の銀座は「負け組」が近づきにくいオーラやエネルギーに溢れている。
私もそんなパワーにあやかりたい。プラスのエネルギーを吸収するためにもいそいそ出かけることにしよう。
もっともらしく書いてみたが、ムダに酒を飲む言い訳である。
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