前回の「ゆで太郎」の話に続いて今日もちっとも富豪的ではない話です。
先日、出前で注文した天津丼にカニかまがトッピングされていた。
カニかま。いわゆるニセモノである。分別、見識に満ちあふれた大のオトナが嬉々として食べるものではない。
私も根本的に毛嫌いしているのだが、意外にウマくて驚いた。ニセモノ恐るべしである。
私はカニが大好きである。わざわざ日本海側に冬のズワイを求めて旅をするし、北海道に上モノの毛ガニを求めて出かけもする。
おまけにタラバなんかは、カニではなくヤドカリの仲間だというウンチクをひけらかしながら敬遠するほどである。
なのにカニかまを喜んで食べた。ビミョーである。
モノは考えようで、アレはアレである。カニだと思うヤマしい心があるからソッポを向きたくなる。カニかまという独立独歩の食品だと考えれば何も問題はない。
ペヤングと同じである。あれは麺状の揚げ物を熱湯でふやかしてソースを絡めるシロモノであり、決して麺を炒めたり焼いたりした食べ物ではない。
だからといってニセモノなんか食えるか!などと居直れない。ペヤングはペヤングとしてウマい。ゴキブリ騒動から早く立ち直って欲しい。
さて、カニかまである。
世界中に流通しているらしい。ヨーロッパでは大人気だとか。食の都・パリでもカニかまを使った人気料理がたくさんあるそうだ。
食の都だってそうなのだから、バカにしたものではないのかもしれない。
ちょっと悔しい?が、それが現実である。
日本の技術力の結晶という見方もできる。戦後ニッポンの偉大な発明の一つだとも言われている。
どうでもいい魚の練りモノなのに特殊な製法によりカニっぽい繊維質の食感を作り上げ、それっぽい風味が加えられている。
なかにはホンモノの蟹エキスを入れた商品もあるようで、カニアレルギーの人が反応しちゃうこともあるとか。
大型温泉ホテルのバイキング会場に置かれているようなダメダメなマズい蟹よりマトモである。カニ好きな私はアレだって喜んで食べてしまうのだが・・・。
カニかまは正確に言えば「カニ風味かまぼこ」でしかないのだが、日進月歩の進化によって西洋人の中にはホンモノの蟹だと信じて食べている人もいるそうだ。
人工的な食品は、これから成長していく子どもに食べさせたいモノではない。マトモな食品を食べさせることが健康面、食育面で重要なのは確かである。
かといって一部の商品を殊更ヤリ玉にあげてインチキだのニセモノだのと騒いだところではじまらない。世の中、そんなもので溢れている。
喫茶店のコーヒーについてくるミルクモドキしかり、チューブに入って売っているわさびモドキ、安い弁当に入っている人工イクラなど例を挙げたらキリがない。
安いアイスクリームだって植物油脂と増量剤で出来ているし、くず肉を寄せ集めて整形したものがステーキみたいな顔して堂々と流通している。
ネギトロと称して売られているグジャグジャした食品も困ったものである。
アレの正体は夕方、築地の裏路地に行けばよくわかる。日々、人目を避けてコッソリと作られている。
腐りかけの大量のマグロをブツ切りにして得体の知れない油を大量にふりかけ、大勢のホームレスのオッサン達が裸足になってせっせと踏んづけて作っている。
ウソです。ごめんなさい。信じる人などいないか・・・。
でも、そんな想像をしたくなるほどアレはアレで気持ち悪い。ああいうものは子どもに食べさせてはいけないと思う。
カニの話がそれてしまった。
なんだかんだ言いながらカニかまの話で終わるのはシャクである。
冬の前半、カニ業界の人気者が香箱ガニである。セコガニとも称される。ズワイガニのメスである。
その昔は、それこそ港で捨てられちゃって、地元の子どもがオヤツにしていたそうだ。今では大出世である。
チョロっとしかない身肉は二の次で、内子と外子がウリである。いわば酒飲みのためにあるような一品だと思う。
先日、寒い夜に香箱ガニを温かく味あわせてもらった。
トロみのある餡がかかった香箱ガニをハフハフしながら食べた。こんなツマミをアテに酒をキュ~と飲めば年の瀬の慌ただしさも忘れるほどだ。
至極幸せだった。
結局、ホンモノが持つオーラ?はカニかまとは別次元だと改めて痛感した。
でも、カニかまはカニかまでコッソリ応援しようと思う。
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