2015年1月19日月曜日

欲望を考える


人間の三大欲求は「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」だと言われる。人間というより動物全般にとって生きる上で必要な要素だ。

食べない、寝ないが続けば死んじゃう。セックスもマメに励まないと死んじゃう。いや、これは死なないか。

性欲に関してはレジャー?としての意味ではなく種の保存を考えたら絶対に必要な欲求である。

まあ、三大欲求といっても、あくまで生き物の根源的な欲求であり、日常生活での強い欲求は「物欲」や「出世欲」などさまざま。

私などは「遊びたい欲求」専門だ。サボりたい欲や旅に出たい欲ばかりである。温泉での「入浴」も絶えず求めている。オヤジギャグですいません。

さて、今日のテーマは「食欲」についてだ。「性欲」を書き出したら原稿用紙5千枚ぐらいの論文になりそうだから、そっちの話は避ける。

最近、食欲が低下している。ここ3か月ぐらいで一気に様子が変わった。

もう何年も朝と夜の1日2食を基本にしてきた。夜の酒を美味しく飲むことが目的だ。さすがに午後の時間帯は空腹を感じることが多かったが、最近はまるで平気だ。

待望の夜が来ても、ビールを飲んでチョロッと刺身をつまんだあたりで、何だか落ち着いちゃってガツガツ食べないことが増えた。

加齢も理由の一つだろうが、それにしては極端である。いまでもその気になれば狂ったようにドカ食いが可能だから、加齢だけが理由ではない。

おそらく血圧の薬が原因だと思う。

血圧を下げる薬を飲み始めて3か月が経った。はじめの1か月はダルくなったり、不整脈が出ちゃって難儀したのだが、その後は身体に馴染んだようで適切にコントロールされている。

薬だから副作用もそれなりにある。そのひとつが「食欲不振」だ。私の場合、数ある副作用のうち運良く?食欲が弱まる効き目が発揮されているようだ。

ウン十年にわたる大盛り生活も終わりを告げようとしている。家で茹でるパスタも200グラムから120グラムぐらいに減少した。

さすがに時には激しく空腹を感じるが、そんな時でも不思議なことに食べたいものが頭に浮かばない。常日頃、ウナギだトンカツだと脳みそ全部が食べたいもののイメージで占拠される私としては異例の事態である。

でも良いことである。

自然のままにしていれば必ず痩せるはずである。でも、時々ストレス性ドカ食いに励むからちっとも痩せない。

「珍味」を食べたい欲求も大幅低下中だ。冬場になれば白子にアンキモを主食のように食べていた頃もあったが、最近はチョビっとで満足している。尿酸値なんてまるで健康人である。


この画像はイバラガニの内子だ。珍味の中でも私が特に愛する逸品だ。

つい先日、銀座のお寿司屋さん「九谷」で遭遇したのだが、以前ならもっと大量にもらったはずが、この程度で大満足してしまった。




イカのハラワタの刺身、筋子、毛ガニのミソである。数年前は目を血走らせ、鼻息荒くムホムホ叫びながら酒とともに味わっていたが、このごろは普通にウマいな~とつぶやく程度の反応になってしまった。

感激しない、心が動かない。こんな心理状態に陥ることは人として非常に問題である。人生を楽しむうえでは、何事にも大袈裟に心を揺さぶられていないとダメである。

そういう意味で、最近の食欲不振問題は私の今後の生き様に影を落としかねない由々しき問題かもしれない。ちょっと大袈裟である。


そういえば、先日、高田馬場のお寿司屋さん「鮨源」で珍味をめぐって新たな発見があった。アンキモを奈良漬けと一緒に食べるとウットリしちゃうという新事実である。

ここ15年ぐらいアチコチでさんざん珍味攻めをしていたが、ちょっとした食材の組み合わせだけで新たな喜びが見つかるという典型例である。

一般的に長生きする人は食が太いと言われる。先日テレビで見た長寿の島イタリア・サルディニア島の107歳のお婆さんはリゾット1人前とカツレツ1枚をペロッと食べていた。

今はなき私の祖父も80歳を過ぎてもステーキが大好物だった。60代半ばで亡くなった祖母が呆れるほどの粗食好きの小食だったことを思えば、食の太さは大事なことだと実感する。

あれこれ書いてみたが、結局のところ食欲が大幅に低下したことが良いことか悪いことかは結構判断が難しい問題ではある。



少なくとも、イカの塩辛を食べた後に小皿に残ったデロリンチョの部分に少しだけ寿司飯をもらって食べるようなヘンテコな小食男は店にとっては迷惑な客であることは確かだ。

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