「熟年」の定義がよく分からないからWikipediaで調べてみた。なかなか面白いエピソードが載っていて興味深かった。
もともとは「老年」の呼び替えみたいな趣旨で1960年代に考案されたが、広く中高年全般を指す言葉に変化していったらしい。
80年代に入り、中高年を指す新名称を作ろうという役所主導の取組みでは、1位になったのは「実年」。熟年は「熟した後は腐る」というイメージで最終候補から外されたそうだ。
でも実際は「実年」など誰も使わず、熟年が定着して今に至る。役所のズレっぷりは今も昔も一緒だ。
さてさて、熟年である。いずれ腐ってしまう?のは切ないが、人生100年時代と言われる昨今では、50才程度では人生の折り返し地点を過ぎた段階である。
熟している期間が長いか、腐ってからの期間が長いか、そこが問題だろう。なんとか前者でありたいと切実に願う。
いきなりだが、「永ちゃん」は70才になったとか。ビックリである。確かに矢沢永吉が世に出たのはウン十年前だから、永ちゃんが爺ちゃんになるのも無理はない。
サザエさんの波平や宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が50才そこそこの年齢設定だった昭和の頃の感覚と随分変わってきた。
館ひろしだって69才である。千葉真一は80才、加山雄三に至っては今年82才だとか。
いやはや、50才ごときで腐る寸前などと弱音を吐いてはいけない。
そうは言っても、ここ数年、あちこちにガタが来はじめている。視力、筋力、食欲などは顕著に低下している。老年への準備期間ならではの変化だ。
きっと、永ちゃんも館ひろしも人知れずヨレヨレになっている時間もあるのだろう。
そう思うことで自分を奮い立たそうと意識している今日この頃である。
骨董品かガラクタか。古いものはこの2種類に分かれる。人間だって同じかもしれない。
クルマや時計、家具やカメラ、ギターだって、古くても価値のあるものはヴィンテージ扱いされる。
価値のないものはゴミ箱行きである。熟年世代も気をつけないといけない。ガラクタだったら世の中から不要品扱いされる。
知識や教養、その人ならでの個性を磨いていれば、ガラクタとは違う価値ある存在でいられるわけだ。
私もまだまだ頑張らないといけない。そう思って哲学書でも読もうかと考えるのだが、結局は、官能小説みたいな俗っぽい本を毎晩のように読みふけっている。
手遅れかもしれない。いやいや、館ひろしの歳になるまで15年以上もある。あきらめてはいけない。
2 件のコメント:
私たちの年代は若い頃、新人類と呼ばれましたが、違った意味で過去の世代と違うのではないかと最近思います。日本の今の50代は人生を2回生きることに自覚的である最初の世代、人類史上初の年代ではないでしょうか。
人生を二回生きる、ですか。。
確かにそんな可能性はありますね。
良いのか悪いのか、なかなか難しいですね。
頑張らないと!
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