2022年5月2日月曜日

スープの話

 

最近になってスープを喜んで飲む習慣が出来た。私の人生において画期的なことである。半世紀以上生きてきて嗜好が変わることはなかなか面白い。

 

Wikipediaには、スープは先史時代に鍋が発明されると同時に誕生したとか、古代ギリシャでは医者が処方する薬として飲まれていたとか、いろいろウンチクが書いてあった。スープの歴史恐るべしである。

 

そんな偉大なスープだが、私は昔から苦手だ。味噌汁は好きだが、いわゆるスープ類には興味がない。飲み物なのか食べ物なのかはっきりしない中途半端な感じがイヤだ。

 

気取ったレストランのコース料理には仰々しくスープが出てくるのもイヤだ。空腹なのに液体をうやうやしくスプーンですすらされる。固形物を持ってこい!と心の中で叫ぶ。

 

ズルズルと音を立てるわけにもいかないからもったいつけたような味わい方になる。おまけに熱かったら猫舌の私はイライラする。自分がそこに何をしに来たのか分からなくなって混乱する。

 

大袈裟である。

 

というわけで、今も夜の外食、それもコース料理のスープは好きではない。スープを喜んで飲むようになったのは朝起きてすぐに口にするレトルトスープである。あの手軽さと適度な幸福感に今更ながら気付いた。

 



 

ここ半年ぐらい、朝起きても空腹を感じることがなくなった。ケンチャナヨ、いや、顕著な老化である。朝から牛丼やパスタだってモリモリ食べていた私としては実に淋しい現実である。

 

若者は別として、世の中多くの人が朝からドカ食いなどはしない。私は50歳を超えてもドカ食いをすることが自慢?だったのだが、ついに普通の人になってしまった。

 

長い間の習慣で、明日の朝は生姜焼きでも作ろうかなどと寝る前に思うのだが起きた瞬間に忘れる。朝になると食べたいものが浮かばない。かといって朝食を抜くのは避けたい。菓子パンでもかじるぐらいでちょうどいいような気持ちになっている。

 

そこに手軽なスープである。湯煎かチンか、はたまたお湯を注ぐだけでホンワカ気分の味わいが身体に染みる。同居し始めた娘の真似をして飲んでみたのがきっかけだが、案外イケる。いや、結構美味しいし朝の気分に最適だ。

 

まあ普通の人なら当たり前のことなのだろうが、急に朝が弱くなった私にとっては一種の大発見である。「固形物を持ってきやがれ」的な勇ましさはすっかり無くなり、マグカップに入れたスープをスルズルすすりながら寝ぼけた頭を動かし始めるようになった。

 

人間、変われば変わるものである。つまらぬ思い込みに囚われすぎると人生をつまらなくするという真理をこの歳になって思い知らされたような気がする。

 

相変わらず大袈裟だ。

 




 

で、相変わらずAmazonなどで必要以上にレトルトスープを買いまくっている。味覚がお子ちゃま寄りの私は定番のコーンポタージュがお気に入りだ。かぼちゃのスープも飲んでみたが野菜感がちょっと鼻につく。

 

「大人むけのスープ」とやらも飲んでみたが別に特徴はなかった。糖質オフのシリーズも別に味が薄いわけでもなく普通に美味しい。正直どれも大差ない。悪口ではない。どれも美味しい。コーンスープにそんなに味の差など無いのかもしれない。それを言っちゃあオシマイだが・・・。

 

レトルト食品の常だが、温めた後にすぐ開封せずに数十回ふりまくることが大事なポイントだ。この作業をするかしないかで味に大きな違いが出る。おそらく気のせいだろう。でも私はカレー、シチュー、パスタソースなどでも徹底して降りまくってから開封する。

 

一手間かけたつもり。そんなちょっとしたこだわりがちっぽけな幸福感につながる。

 

 

 

 

 

 

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