2025年10月10日金曜日

甘い還暦

 

還暦を迎えた。なんだか妙に感慨深い。普段の誕生日と違って節目ならではのいろんな感情が湧いてきた。60年生きてきてどこにも故障がなく好き勝手に過ごせていることをつくづく幸せに感じる。

 

同級生の中にも先に逝ってしまったヤツもいるし、健康に生きていられることを喜ばないといけない。喜怒哀楽の感情にしても生きていなければ味わえない。怒や哀はイヤだが、それだって生きていればこその話である。

 

40代の頃までは誕生日に何かを思うことはなかった。生きていれば勝手に誕生日はやって来ると平然としていた。それ自体が若さだったのだろう。50歳の誕生日を迎えたとき、四捨五入したら100歳だと意味不明な感慨にふけって以来、最近は誕生日イコール「今年も無事だった」的な気持ちになる。

 

「おじさん」というカテゴリーで生きる日々も随分と長くなった。オジサン界隈?ではすっかりベテランの域である。オジサンを40歳からだと定義すると既に20年もオジサンだ。だんだんと次のステージが近づいていることに我ながら驚いている。次のステージは「おじいちゃん」である。実にヤバい。

 

おじいちゃん予備軍なのに最近はそこらへんのギャルみたいに甘いものを食べまくっている。かなりのスイーツ大好きオジサマになってきた。

 

さすがに血糖値を心配していたのだが、直近の血液検査でも標準値に収まっていた。こればかりは遺伝的要素に感謝である。

 



これは娘が買ってきてくれたマロンシャンテリーである。パレスホテル、東京會舘が覇権を争っているマロンシャンテリーだが、正直言ってどちらのもウマい。ニッポンのスイーツ業界における伝統芸能的な逸品だと思う。

 

もはやマニアックな趣味になった大学野球観戦に行ってもついつい甘いものを買ってしまう。自販機で売っているようなどうでもいいアイスも好きだし、絶対にメロンじゃない謎の物体がトッピングされているメロンかき氷だって食べてしまう。

 




 その一方で繊細さがウリの練りきりのような和菓子も大好きだ。下の画像は東京駅のステーションホテル内にある虎屋直営カフェの練りきりだ。煎茶も頼んで一息つくとエネルギーが湧いてくるような気分になる。

 

つくづく砂糖が貴重品だった時代に生まれなかったことはラッキーである。「時代ガチャ」でいえば勝ち組みたいな話だ。

 



刑務所に服役していた人が出所した途端に口にしたくなるものが甘いものだという。酒でもタバコでもなくスイーツに飢えてしまうらしい。分かる気がする。絶対に服役することがないように気をつけようと思う。

 

和菓子、洋菓子問わず大好きだが、太らないために実行している努力?が「外側を捨てる」という極悪非道な行為だ。

 

シュークリームやエクレアあたりは外側あってこその一品だが、私は中身だけ食べる。ただの甘いクリームと言われたらその通りである。外側はほんのちょっとかじれば満足してしまう。

 




この画像はどこかの人気店の特製シュークリームである。生クリームやアンコ、カスタードクリーム等々がうじゃうじゃ投入されているのに外側はほぼ残した。はたしてこれで体重に影響があるかは不明だ。でも罪悪感という感情に勝ててしまうという効果があるのは確かだ。

 

最近はふるさと納税でも口コミ評価が高いピスタチオアイスを何種類も取り寄せたりしている。アイスクリームはちょっと溶けた状態が美味しいので電子レンジで温めるのが常だ。シェイクだかアイスクリームだか分からないぐらい柔らかいと嬉しい気分になる。

 

端的に言ってスイーツは幸せの象徴だろう。日々の暮らしの中で幸せを感じる場面は意外に少ない。その点、ちょろっと口にするスイーツはいちいちプチ幸せを感じさせてくれる。

 

と、相変わらずどうでもいい話を書き殴ってしまった。いま私の手元にはグミが転がっている。グミがテンコ盛りになったバケツサイズのハリボーをわざわざ職場に取り寄せている。バケツに手を突っ込んでどんなグミが出てくるかワクワクドキドキ?するのが楽しい。


ハリボーの中でも「ハッピーコーラ」という商品はどこかの国で大麻成分が検出されたとかで回収騒ぎになったらしい。それはそれで禁断の味みたいな話で気分がアガる。不謹慎だが、ハッピーコーラを食べるたびにハイになれないものかと期待している。

 



グミを口にするたび幸せって身近なところにあるんだと感じる。60歳、ノーテンキ極まりない日々である。

 

 

 

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