2011年8月31日水曜日

人生後半戦

酒も煙草も遊びもやらず、それで百まで生きる馬鹿。

私の好きな「格言」だ。

言い得て妙だと思う。人生の楽しみを捨てて長生きしても仕方がないように思う。

好きなように生きて適度なタイミングで寿命を迎えるのが一番だ。もっとも、適度というのが何歳ぐらいなのか、これが難しい。

若いつもりでいたのだが、私だって、どう逆立ちしたって人生の折り返し地点はとっくに突破している。男性の平均寿命まで頑張れたところで、あと30年ちょっとだ。

30年前を思い返すと、今に至るまでの30年なんて、割とあっという間だった気がするから、残り時間は案外少ないのかもしれない。

色々な意味で現役でバリバリ行動できる時間となると、あとどれぐらいだろうか。結構やばいかもしれない。10年か15年か、せいぜい20年ちょっとか。

じゃあ何をすべきだろうか。聖人君子のように生きることでは無い。これだけは確かだ。かといって、好き勝手といっても限度がある。どうしたもんだろう。

古今東西、男のDNAには「放浪したい」という感覚がある。現代社会の制約の中で、そんな願望にすら気付かずにいる人は多いが、間違いなくそういう感覚はある。

山頭火みたいに汚らしくボロボロになって放浪するのはイヤだが、寅さんみたいにブラブラできたら最高だろう。

寅さん映画があれだけの人気を得たのも、元を正せば誰もが憧れる放浪への思いが背景にある。暑くなったら北へ、寒くなったら南へ。

それで日々、恋が出来たらなんて素敵なことだろう。

永井荷風とか壇一雄あたりの無頼を真似したくなるのも男の憧れだろう。破天荒というよりも自分自身に正直ゆえの型破りだったんだと思う。貫ければ幸せだ。

吉行淳之介みたいに愛憎劇を一生続けるエネルギーも凄いと思う。正妻と内縁の妻以外にも、30年近くにわたって愛した人がいたという逸話は、彼の死後に公になった。いい悪いという次元ではなく、素直に尊敬に値する。

さてさて、凡人の極みである私は、放浪も無頼もいまだ夢想の中の話でしかない。それでも、自分の心に正直に信じる道を突き進みたいといつも思っている。

根拠に乏しい漠然と通説化しているだけの常識という枠のせいで変な妥協はしたくない。だから時には息苦しいこともある。それでも光明は必ず見つかると信じて行動するしかない。

なんか、表現が固くなってきたので軌道修正しよう。

冒頭で書いた「酒や煙草にも無縁で長生きしたってしょうがねえ」という話だが、そうはいっても、最近、タバコをやめようとしている自分がいる。これって情けないことなんだろうか。ちょっと悩む。

咳や痰が最近かなり気になる水準になってきた。近いうちに肺のCT検査も受ける予定だが、そろそろ煙草からは完全引退しようかと思っている。

30代後半に禁煙に成功して4年近く吸わなかった経験がある。あの時の便利さが懐かしい。店選びにも困らないし、電車や飛行機だって快適。なにより、ライターが見当たらないとか、タバコがきれたとか、そういう面倒から解放されたことが大きかった。

禁煙の目的は、あくまで「不便だから」ということにしておきたい。健康のためとかいうと、少し情けない感じがする。

まあ、そんなことで格好付けても仕方がない。せめて「もっと子孫を残したいから健康に気をつける」ぐらい大きく出たほうが潔いかも知れない。

子どもは二人いるのだが、許されるものなら自分の生きた証しとして10人ぐらいこの世に残していくのもカッチョ良いかもしれない。現実の社会生活の中では不可能だが、時にはそんな荒唐無稽なことも頭をよぎる。

無責任だのワガママだの、そういう批判は当然だろう。でも案外、それをやっちゃったもん勝ちってことだってある。

これからでも何とか企んでみようか。それとも、私の知らないどこかで既に存在していたらそれはそれで面白い。面白いとか言っちゃ不謹慎だろうか。いや、そのぐらい悠然と構える人になりたい。

最近はつくづく社会秩序というシロモノを作り上げてきた先人達の知恵に恐れおののいている。自分が悶々としているすべての根源は社会秩序という名の制約であり、しょせんはそんな殻を破れない凡人である自分がイヤになる。

せいぜい、社会秩序の中で新しい形、新しいスタイルを模索しようと思う。秩序の破壊ではなく、秩序の中での革命を実現したいものだ。

うーん、今日はどうも話が重いというか、うっとおしい。鬱っぽい。季節の変わり目だからだろうか。そういえば最近、やけに季節の移り変わりに敏感になっている。先が長くないのだろうか。困ったものだ。

いま考えていることの一つが、「素の自分の反芻と分析と自己表現」をどうやって手掛けようかということ。

日記でもシコシコ書こうかと思ったが、あそこまでアナログなものだと、あとあとどこかから発見されてもマズい。

明治の粋人は、家族に読ませないために漢文で日記を残したという話もある。カッチョいい。残念ながら私にはそんな教養はない。

せいぜい秘密のサイトを作って、すべての思いや考え、行動の裏表を日記形式で記録してみようか。書くという行為がもたらす自己分析はなかなか侮れないもので、冷静に自分と向き合うにも有効だ。

真剣に考えてみよう。

今日は何を書きたかったんだろう。8月最後の日、おセンチ?な気分になってしまった。

2011年8月29日月曜日

フォーシーズンズホテル

高級ホテルに感じる憧れというか、高揚感には独特なものがある。人によって違うだろうが、私の場合、ホテルでお茶だ、食事だ、待ち合わせだなどというだけで妙に気分が高まる。

なんでだろう。

幼い頃、現役経営者だった祖父に連れられて会社の周年パーティーだとか、ファミリーイベントのようなホテルの催しに出かけた頃の体験がベースになっているのだろうか。

蝶ネクタイをして、頭をポマードで固めたキッチリした大人の男性がキビキビ働いている。集う人達もどこかおめかしして、非日常的な感じを楽しんでいる。

そんな印象が昭和の時代のホテルには色濃かったように思う。

私が小さい頃は、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニが漠然と「エラい」位置付けで、パレスホテル、京王プラザホテルとか、キャピトル東急ホテルあたりが「まあまあエラい」ような印象があった。

外資系ホテルなど無かったから、昨今のいわゆるホテル戦争を見聞きしても、個人的についつい日本の古参組に肩入れしたくなる。どこか判官贔屓?みたいな感覚なのだろうか。

ペニンシュラだコンラッドだリッツカールトンだとか、最近はカタカナ外資が高級ホテルの代名詞になっている。確かに演出上手だし、日本中の腕っこきホテルマンを引き抜いたりして、必死に質を高めようとしている。

ドメスティック男の矜持として、とんがっているカタカナホテルを避けてしまう私だが、たまにはお茶や食事に出かけることもある。でもどこか落ち着かない。

外資系のなかで一か所だけ、私が妙に思い入れがあるのがフォーシーズンズホテルだ。

フォーシーズンズホテルと言えば、ヨーロッパやハワイやバリ島あたりでも、高価すぎて泊まらずに、食事やお茶を楽しみに行っただけだ。そのあたりはちっとも富豪ではない。

東京では丸の内にもあるが、私が好きなのは文京区の高台・椿山荘の一角にあるフォーシーズンズホテルだ。場所が場所だけに、孤高というか、一種独特の存在感がある。

文京区ってところが良い。流行とか最先端とは異質のホンモノの東京っぽい場所だと思う。区長が幼稚園時代からの旧友なのがシャクにさわるが、そればかりは仕方がない。私自身、文京区は好きなのだが、住民票とかいちいち旧友の名前で証明されるのがイヤなので、隣の区に住んでいる。

なんといっても、このホテルは私の会社からクルマで10分もかからずに行けるので親しみがあるし、使い勝手がいい。オープン当初に比べると、こなれてきたというか、角が取れてきて良い感じだ。

池袋周辺エリアにあるホテルといえば、巣鴨プリズン跡地の墓標である?プリンスホテルか、JR系の高級ビジネスホテルであるメトロポリタン(中華はかなり美味しいです)ぐらいで、それ以外は百花繚乱のラブホテルばっかりだから、「ホテルの高揚感」を感じさせてくれる目白台のフォーシーズンズホテルは貴重な存在だ。

実は私の最初の結婚式はここでやった。自分の住まいや勤務先から近かったという点が最大の理由だったが、アマノジャッキーとしては、15年以上前のあの当時、こんな僻地?で結婚式を挙げる人が少なかったから迷わず選んだ。

そういえば、照明を真っ暗にした会場でデザートが炎に包まれてサーブされていたことを思い出した。実に小っ恥ずかしい過去だ。若気の至りだ。

親友の応援団出身男が現役の学ラン応援団を引き連れて太鼓をガンガン叩いて祝ってくれたのだが、あのホテルでは、その後、披露宴会場に太鼓持ち込みが禁止されたと聞く。若気の至りだ。

割とすぐにその結婚自体をやめちゃったから、大いなる無駄を費やしたことになる。いにしえのあの日、お祝いしてくださった方々、いまさらながらスイマセン。

まあ、そういう恥ずかしい過去は別として、それ以外にもちょくちょく使ってきた。会社帰りにここのバーに寄って葉巻をプカプカ、アルコールをグビグビしてから帰宅したことも何度もある。一種の止まり木に使っていた。

このホテルの良さは、場所柄ゴミゴミしていない点だろう。ロビー周りはいつもすがすがしく適度に凛とした空気が漂う。

全体的に暗いトーンで統一されているが、不快な感じはなく、適度な重厚感につながっている。

椿山荘の緑がどこにいても良い景色になっており、椿山荘と共有する庭も都内では貴重な散策コース。初夏は螢が舞い飛ぶ。

この夏は、全国から集めた風鈴が庭園内にいくつも設置され、灯籠の明かりの中、涼を呼ぶ音色が気持ちを和ませる。

都内中心の高層ビル系のホテルではこの感じはどう逆立ちしても味わえない。オフィスビルと同居しているようなイマドキの外資系ホテルにどことなく漂うインチキな感じは、立地自体の問題に尽きる。

ビルの一部分だけ異空間にしようとしても無理がある。高級ホテルを名乗るのならビルの外の段階から異空間になるような演出は必要だ。巨大庭園を持つ立地を活かしたフォーシーズンズホテルは、その点かなり有利だ。

正面玄関に車を横付けしてそのまま乗り捨てられるバレットパーキングも気分がよい。
車を運んでくれるドアマンさん達も優秀で、何度か使っていると、すぐにこちらを名前で呼ぶ。大したもんだと思う。

都内中心部では帝国ホテルが好きな私なのだが、あの駐車場ビルをグルグル登っていく感じだけはわびしくて嫌いだ。まあ、常に運転手さんとともに行動するようなVIPになれればそんな目には遭わないのだろうが、そうだとしても自分で運転していきたい時だってある。

フォーシーズンズホテルの場合、駐車場の立地がすこぶる使い勝手が悪いので、しょうがなくバレットパーキングが一般的になっている。そんな背景があるだけの話なのだが、結果オーライだ。

大きすぎないホテルならではの良さは、館内で迷子にならない点にもある。方向音痴では人に負けない私だ。ここでは、すべてが分かりやすく配置されているので助かる。

ロビー奥のカフェラウンジで楽しめるアフタヌーンティーも都内屈指の穴場だと思う。窓の外に見える緑を眺めながら、ソファ席にどっかり腰をおろせば、ひとときの現実逃避が可能だ。

ホテル開業時、鳴り物入りでオープンした超高級中華の店は無くなってしまったが、イタリアンに和食、ビストロもあるので、食事にも困らない。

実は格安デイユースも手配するやり方があるし、宿泊料金も昔とは比べようもない破格値を探すやり方もある。

と誰かが言っていた。

小さいながら設備の整った室内プールやジャグジーもあるし、スパや綺麗な温泉大浴場もサウナ付きで用意されている。客室もベーシックなカテゴリーでも充分広めだ。

私がもっと稼げて、ついでに無頼に生きていける事態になったら、きっとこのホテルに長期逗留するような気がする。

2011年8月26日金曜日

島田紳助と前原前外相

島田紳助の引退で世の中、結構大騒ぎだ。正直、どうでもいい話だとは思うが、テレビの影響力を考えるとニュースバリューは高いのだろう。

割を食ったのが、奇しくも島田紳助と同じく京都を地盤にする前原前外相だ。つくづく運の良くない人だと思う。

満を持して、それこそ真打ち登場のようなイメージで、民主党代表選、すなわち日本の総理大臣指名選挙に出馬しますよとブチあげたはよいが、発表翌日のニュースは島田紳助一色。

国民の意識の中で、あきらめムードが強い政治の世界と比べて、島田紳助問題のほうが大事なニュースだと言うことなんだろう。

まあ、真相は知らないが、有名人であろうが、一民間人である島田紳助が暴力団とちょっと関わりがあったというだけで引退という結論になったわけだから、潔いといえば潔い。

潔さという意味では、菅直人とか、もっといえば鳩山由紀夫にこそ見習って欲しいものだ。

次の総理大臣選びをめぐっては、結局民主党も昔の自民党と同じで主流派だの非主流派だの派閥闘争がベタベタだ。「小沢史観」なるわけの分からない言葉まで飛び出し、てんやわんやの様相。

本命視されている前原前外相だが、言うまでもなく外相ポストを手放したのは、外国人からの政治献金問題が発覚したから。

それから半年も経っていない今、「総理になりたい」って言い出して、周囲からも本命と目されている現状が気になる。

だいたい、つい先週あたりに出馬するかどうかを聞かれて「自分には覚悟も能力もない」と明言した人だ。能力も覚悟もないなら頼むからおとなしくしていて欲しいと思う。

外国人からの違法献金問題は、古くからの知り合いである在日韓国人の飲食店経営者からのもので金額も少額。それゆえに「大したことのない話」という受け止め方が一般的だ。はたしてそうだろうか。

政治家の仕事、国の仕事って何だろう。自国の安全確保と国益の追求に尽きる。国際社会の一員という建前の中で、あくまで自分の国のエゴをゴリゴリ押し通すのが仕事だ。

外国からの影響を排除するために政治資金規正法で外国人からの政治献金が厳禁されていることは当たり前であり、政治のイロハのイであり、一丁目一番地だ。

この考え方は、決して偏狭な国粋主義とは違う。国という存在、それを動かす政治家という存在を考えるうえで当たり前の話だ。

前原氏の問題の場合、在日韓国人の知人が日本に長く根を下ろしている人だったこともあり、あまりにエモーショナルな反応だと、結果的に在日韓国人の人達への差別問題になりかねないという側面もあって、世論やメディアも「ケアレスミス」でコトを済まそうとしてきた部分があるのだろう。

これも変な話だ。まったく別問題だ。「日本の政治家は外国人から政治献金を受けてはいけない」という大原則に違反したことを問題視することは、外国人差別とはまったく異質の話だ。変に混同するから論点がおかしくなる。

何のためのルールなのか、あくまでルールがある以上、脱線したら糾弾されて然るべきだし、責任は問われて当然。

おまけに、献金してきた人との付き合いの古さだとか、献金額が小さいことで見過ごされていいはずはない。

もちろん、前原氏に献金した人をどうのこうの言うつもりはない。あくまで一般論としての危うさを指摘したい。

考えようによっては、暴力団とそこそこの付き合いがあった島田紳助よりも、外国人から政治献金をシレっともらっていた前原氏の体質のほうがヤバい話じゃないかと思う。

有名芸能人だから青少年に影響を与える、とかなんとか言う理由で引退までするハメになった問題と、国家のリーダーとなろうとする人間が犯していた危険性。考えただけでどっちが大問題か分かろうというもの。

仮にこの国に影響を与えたい外国勢力があったとする。古い付き合いならいいとか、金額が小さければ献金が許されちゃうなら、それを逆手に長期に渡って緻密に日本の有力者に工作を仕掛けることだって可能になる。

国際的な謀略とかマインドコントロールなんてものは、ほんの少しのスキや油断を突いてくるのが当たり前だ。実際に某大陸から長年にわたって懐柔されてバリバリのシンパになっている国会議員の多さがその証しだ。

いざ国益を左右しかねない問題に直面した時に弱腰になってしまうのが人間の情というもの。魑魅魍魎がうごめく国家間の覇権争いだって、結局はそういうところを突いてくるものだろう。

総理大臣は言うまでもなく国権の最高責任者であり、有事の際には国防の最高指揮官である。外国人献金問題は「のど元過ぎた」話ではないことを強く訴えたい。

2011年8月24日水曜日

値段か看板か

このところ食べ物の話ばかり書いている。グルメぶってるオヤジみたいでチョット問題だ。お盆休みだったし、他に面白いトピックがあっても、堂々とここには書けないような話が多いので、今日も食べ物の話にします。

そろそろ、裏富豪記者ブログも検討せねばなるまい。。。

さて、いつも自分の気にいった店ばかり行けば間違いないものの、ついつい未知の世界に足を伸ばしたくなる。当たれば良いが外すと切ない。

わざわざ開拓する以上、はなからヤバそうな店は避ける。当たり前だが、ここで結構重要な判断ポイントになるのが価格だ。

安さをウリにしている店に過剰な期待は禁物だ。ファーストフードは別としてそれが実態だろう。

若者がカキコミするようなサイトでコストパフォーマンスが悪いと批判されているぐらいが、オジサン達には丁度いいのかもしれない。ちょっと暴論か。

で、妙に値段が高いことを一つの安心材料として麻布十番にある中華料理店に行ってみた。「登龍」という店。看板に自ら「高級」と謳っていたので、それがウリなんだろう。


価格帯はこんな感じ。一流ホテルのうやうやしい中華もビックリの値段だ。これならマズいことはないだろうと、ある意味、大いに期待してみた。

名物の餃子は2000円だ。1個400円だ。餃子1個で100円マックが4つ食べられる。

お店の名誉のために書くが、はっきり言って美味しいです。餃子の餡も皮も焼き加減も問題なし。少し上品すぎるだろうか。まあ、値段ありきで頬ばってみるとウダウダ言いたくなる。1個400円かと思うと感動しないというだけ。


価お店自体は極めて普通の造りで、仰々しさや落ち着かないきらびやかさとは無縁。むしろ、昔からある街の中華屋さんという感じ。居心地はよい。サービスも真っ当。

でも餃子が1個4百円かあ・・とついついセコビッチ根性がしつこく頭をもたげて辛口評価をしたがってしまう。ちっとも富豪的ではない。

そこそこお客さんは入っているのだが、よく見ると、皆さん、餃子と担々麺ぐらいしか頼んでいない。そういう使い方がポピュラーな店なのかも知れない。

こちらは意気込んで前菜や一品料理をいくつか注文。それぞれ、マズいものは無いのだが、昔ながらの街の中華屋さんが良い素材で丁寧に作ったという感じ。

「福臨門」とか「富麗華」のような、こういう価格帯の高級中華で体験するような官能的なウマさとはちょっと違う。

でも、麻布十番あたりに昔から住む中高年のお馴染みさんが安心して美味しく味わうには適度な加減なのかも知れない。


最後にフカヒレかけご飯を注文してみた。4千円だ。100円マックなら40個食べられる。単純に美味しかったのだが、官能的という感じではない。キザにいえば、エロスが足りないとでもいおうか。

セットで出てきたスープがある意味特徴的だった。完全に街のラーメン屋でチャーハンと一緒に出てくるあのスープの味そのもの。

近所にあれば、気軽に麺と餃子だけ食べに行くだろうが、腹ぺこがっつりディナーとか、ましてや接待やデートには使いにくいカテゴリーというのが私の結論だ。

値段があえて高いほうが安心するという歪んだ?店選びの基準とおなじで、初めていく店を「看板」で選ぶのもよくあるパターンだ。

老舗には老舗ならではの存在理由があるし、有名店もしかり。伝統的な看板があるだけで一定の味の水準は維持されていると見るのが一般的だ。

で、看板に頼って初めて行ってみたのが「神田・藪」。珍しく夜の酒のお供に蕎麦屋を選んだ日のこと。良い評判をよく耳にする「まつや」を横目に、藪の門をくぐった。


通りを歩く人が減ったお盆休み時期だというのに大盛況。期待して、つまみをアレコレ頼んで冷や酒やら蕎麦焼酎でウダウダ過ごす。

蕎麦抜きの鴨を食べたり、天ぷらを食べたり、味噌をなめたり、とろろで精を付けたり、しばし風流人もどきの時間を過ごす。悪くない。

そして、せいろがやってきた。

「うーん」というのが率直な印象。最近は以前ほど蕎麦の旨い店にアンテナを張っていなかったせいで、安易に「看板」だけを頼りにしてしまった。「うーん」だ。

雰囲気も良い、つまみも悪くない。ただ、そばが残念。こういうところで主観的なことを書き殴ってはいけないのだが、さすがに闇雲に誉めてばかりもいられない。

浅草・大黒屋の天丼と同じカテゴリーとでもいおうか、観光客向けといおうか、割とアチコチで旨いそばを食べてきた自負のある私としては、つい辛口になってしまう。

いやあ、読み返してみると今日の内容は、随分とイヤミだ。いかんいかん。少し反省してみたが、せっかく書いたからこのままアップする。

「登龍」と「神田・藪」ファンの人、すいませんです。

もう少し気の利いた話を書くように仕切り直ししないといけない。

2011年8月22日月曜日

熱海の効能

夏休み気分もさすがに終わりだ。この夏はいろいろ熱かったのだが、日焼けを全然しないインドアな夏だった。

そろそろ潜水旅行に行きたいが、遊んでばかりなので、さすがに時間が取れそうにない。困ったものだ。

この8月、近場への小旅行を何度かした。高速の渋滞とか大混雑電車は苦手なので、新幹線こだまに乗ったり、あれこれと快適に過ごすために工夫をしてみた。

熱海にも行った。東京駅からこだまで45分ぐらいだ。ピーク時期でも、グリーン車を選べば車両ごと貸切にしたかと思うほどガラガラ。実に快適。

いまだに喫煙車両が用意されている点も素敵だ。JR東海だかの大株主が日本たばこ産業だという理由が大きいみたいだ。良いことだ。

日本たばこ産業には、日本中の公共交通機関の大株主になってもらいたいものだ。

熱海の話だった。

泊まった宿は「石亭」。昔ながらの情緒のある宿だ。熱海、伊東あたりは、小洒落たお忍び風旅館が増殖中だが、イマドキのその手の宿が、どうにもラブホテルみたいに感じてしまう私としては、老舗の王道みたいな宿を選びたくなる。

敷地中が石をベースにした渋い庭園になっていて、すべての部屋が離れ形式。造りこそ古いが、清潔でゆっくりできる。

別邸を建てるには、こんな感じがいいなあ、などとカネもないのに考えてみる。


部屋についていた露天風呂もゆったりサイズ。急ごしらえしたような「部屋付露天」とは一線を画す。4,5人でも入れそうだ。お湯もしっかり源泉が引かれ、舐めればしょっぱい熱海の湯だ。

竹や松の木を見ながら、蝉時雨の中、半身浴。煙草もプカプカしちゃって極楽モード。夜になれば満月を愛でながら束の間のリラックスモード。

料理旅館的な要素が強い宿なので、食事も高水準。日本酒に合う料理がゆったりと一品づつ運ばれ。悦楽の一時。持参した唐津のぐい呑みでグビグビ。



熱海に行った頃は、ちょうど鬼嫁様、お子様御一行様が高原に避暑に出かけていたので、気兼ねなく自分の「素」に戻って命をジャブジャブ洗濯できた。

翌朝、のんびりと宿を後にしてMOA美術館へ。レンブラントもあったし、モネの睡蓮もあった。ちょうど、九谷焼の名工の陶芸展も開催されていたので、結構じっくりと館内を散策。

宗教団体が作った施設だけになかなかの威容だったが、立地条件が素晴らしく、初島を望む海の絶景に見惚れる。


老舗の宿、そして美術館。われながら行動パターンが立派すぎる?と反省して、次に向かったのは「熱海秘宝館」だ。

ロープウェイで高台に行き、わざわざ下品極まりない展示物を見て回る。最低最悪の品ばかりで少し感動する。エロ一辺倒だ。あそこまで徹底すると一種の芸術だろう。結構混んでいたのにも笑った。

若い女性観光客が「ゲッ、またチン○だよ・・」とかつぶやきながら歩いていたのが印象的だった。どんなところか知らずに来たのだろうか。そんな人間観察もちょっと楽しかった。

日本全国城めぐりを老後の趣味の候補にしている私だが、日本中の「秘宝館」めぐりをライフワークにするのも面白いかも知れない。

秘宝館の建物外から見る海の眺めが素晴らしく、しばし絶景を眺める。どうも海ばかり見ていた小旅行だった。高台から見る夏の海の輝きは何とも言えずロマンチックで、心も少しばかり綺麗になった気がした。

熱海の魅力は、何と言っても東京から鼻歌歌いながらついてしまう立地だろう。ピークシーズンでも苦労せずいけて、いいお湯もあって、ウマいメシもあって、絶景もある。

中古のリゾートマンションがだぶついてる話は、このブログでも以前書いたことがあるが、真剣に物件探しがしたくなってしまった。

またすぐにでも行きたい。

2011年8月19日金曜日

肉を食う

草食男子がはびこるおかげで、肉食世代に回ってくる「食べ物」が豊富になって何よりだと思う。

いや、やはり若い人たちが肉食になって頑張ってくれないと、こっちの老後が心配だから、少しは分け前をプレゼントしようかと思案中だ。

わけの分からない話を書いてしまったが、先日、人から聞いた話だと、若者の草食ぶりはかなりひどいらしい。

その人の目撃情報によると、都内某所の若者で賑わうプールでのこと。見るからにナンパ待ちをしている女子グループのそばで、いくつもの男子グループが男子だけで楽しくはしゃいで帰って行ったそうだ。

健康的といえなくもないのだろうが、我々の世代からすると、純粋に不健康な行動だと思いたくなる。

2~30年前、ヒドいことになっていた伊豆七島あたりも今では草食系の男子たちが男同士で草でもはんでいるのだろうか。少し心配だ。

最初から大きく話がとっちらかってしまった。今日は、肉を食べる話を純粋に書こうと思っていた。そっちの話に戻す。

松阪牛、近江牛専門の焼肉屋さんに出かけた某日。結局、たくさん食べたのは、ハツとかホルモン系、あとはチャンジャとかユッケ。韓国焼酎を呑んで辛いクッパを食べておしまい。

どうにも「どうだい牛肉だぜ」みたいな肉が食べられなくなった。

若い頃はカルビだけで5,6人前は一人で平気で食べられたのに、自分のだらしなさが悲しい。ウマいなあとは思うのだが、ちょびっとで満足してしまう。加齢だ。

今では、牛よりも豚、豚よりも鶏が好きな肉類の順番になってしまった。


というわけで、先日、久しぶりに鶏肉をブリブリ食べてきた。新宿に昔からある水炊きの店「玄海」。ここのスープが絶品で、気付けば訪ねたくなるのだが、だいぶご無沙汰した。

鍋物といえば、すき焼きだろうが、しゃぶしゃぶだろうが、フグだろうが、クエだろうが、主役よりも野菜が幅をきかせているのが難点だ。

その点、「玄海」の水炊きは最高だ。鍋の中には鶏肉だけ。野菜はカケラ一つもない。登別とか霧島温泉のように白濁したコクのあるスープに包まれてブツ切りされた鶏肉がゴロゴロ。

この潔さがたまらない。どう考えたって鍋に野菜を入れれば薄まっちゃうし、ヘタすると鍋の旨味を野菜が吸いとってしまう。


スープを楽しむことがこの店の魅力の70%を占めるような気がする。漉したニンニクを加えて味わえば、まん丸く、かつ、がっつりした旨味が口の中に広がる。バツグンだ。

ブツ切りされた鶏肉は特製ポン酢で食べる。骨の周りの肉までチューチュー絞り取って食べ続ける。

牛肉にはすっかり弱くなってしまった私だが、鶏肉相手だと際限なくむさぼり続けることができる。不思議だ。

スープだけを追加注文することも可能だ。いつも当然のように追加する。熱いスープを肴に冷酒をグビグビ呑むのが最高だ。私の価値観の中で、液体方面?で酒の肴になるのは玄海のスープぐらいだ。


鶏のロース焼きも食べた。単純明快に焼き上げた奇をてらっていない一品だ。両手でバキバキと裂き、したたり落ちる肉汁にヨダレを垂らしながらカブりつく。素直にウマい。

ケンタッキーフライドチキンに10回行くのなら、この店に1回来るほうが、人として正しいように思う。ちょっと大袈裟か。

こちらの店は基本的に全席個室で、店の作りも昔ながらの料亭風で居心地も良い。さすがに一人メシには場違いだが、恋人、接待、家族、友人同士など、相手を選ばない懐の広さがある。

小さめの個室に陣取り、素敵な女性と二人、冷酒を差しつ差されつしながら、ズズズっとスープをすする状況がイチオシだと思う。

コラーゲンをたっぷり吸収した肌を、その後デザートとしていただけるかどうかは別として、お店のどっしり感は意外なデートの穴場と言えそうだ。

いまハヤリのインチキっぽい和テイストとは一線を画した純日本的造りは、束の間の小旅行気分になれる。変に格好良すぎるレストランなんかよりオススメだと思う。

2011年8月12日金曜日

カミングアウト

成り行き上、「富豪」を名乗ってしまったせいで、このブログでみみっちい話は書かないようにしている。

なんだかんだ言っても、私もセコビッチ太郎なので、貯めている小銭がいっぱいになって、銀行でお札に交換してもらうのが至上の喜びだし、会社の近所の古本屋を覗いて100円の本を吟味するのも楽しみだ。

灰皿の中のシケモクをヤケドしそうになりながら吸うこともあるし、自宅近所の90円で缶ジュースが買える自販機にも良く行く。

このブログでは富豪として振る舞わねばならないため、日々、高級寿司店とか高級料理屋で食事をしているような書きぶりだ。

実際には、そんなはずはない。プロントでまずいピザを食べて終わる夕飯もあるし、リンガーハットの皿うどんで終わる日もある。

なんだかんだ言って、俗に言うB級グルメとかファーストフードも実はかなり好きだ。ジャンクフードとともに育ってきた年代だからだろうか。

牛丼は「松屋」支持派だ。アマノジャクとしては、単なる牛丼ではなくビビン丼やキムカル丼あたりが好物だが、別注の牛皿を更にトッピングするあたりは、一応、富豪的だと思う。

最近は「旨辛ネギ玉牛丼」がイチオシだ。辛めのネギと半熟卵が牛丼に加わっている。これに別注の牛皿をトッピングすれば言うこと無しだ。


話は変わる。

シンコは終わりだ、新イカはまだか、などと寿司通みたいなことを書き連ねている割には、隠れ回転寿司ラバーでもある。

カミングアウトしてスッキリした!

回転寿司は、あれはあれで別格のジャンルを確立している存在だ。

握り寿司というより、乗っけ寿司と呼んだほうが的確だろう。寿司を文化的、学術的に捉えずに、新しい時代の食い物として割り切ってハジケているところが良い。

邪道か否かという次元ではない。正しいか正しくないか、という議論もあの世界では不毛だ。変なモノにこそ、ある意味、回転寿司の「矜持」があるのだろう。大袈裟か。

先日ぶっ飛んだのは「シュリンプピザの握り」だ。説明は不要だろう。ピザ味だ。善し悪しに関係なく、この居直り具合が凄い。

「豚しゃぶ握り」も食べた。「げそマヨサラダ軍艦」も食べた。「明太ポテト軍艦」、「エビフライロール」、「トンカツロール」、「コーンマヨ軍艦」も食べた。

食べた、というか、私の場合、回転寿司に出撃する場合、その手のヘンテコ寿司しか食べない。普通のオーソドックスな握りは、滅多に頼まなかったりする。

一見、変わり種ではない「エンガワ」もよく注文する。話によると深海に住む得体の知れないナントカガレイが素材らしい。

脂が乗ってると言うより、不健康にビチャビチャしている。そのゲテモノ感に引き寄せられて結構良く食べる。

しょせん私の味覚はそんなものなんだろう。

で、ここからは話を富豪っぽく持っていく。

回転寿司で奇妙な寿司を食べると、あらためて真っ当な寿司の有り難さというか、偉大さが分かる。

馴染みのお寿司さんでは、邪道な注文を平気でしてしまう私だが、基本的には王道的な正しい寿司に惹かれる。




写真は上から、イワシ、サンマ、シンコの握りだ。この季節、青魚が恋しくなるが、イワシもサンマもまだまだ締まっていて素直にウマい。

脂が乗りすぎると、どうもグジャグジャした食感が出てくるので、ハシリに近い頃のネタのほうが好みだ。いくらでも食べられる感じだ。




こちらの画像は、キスの昆布絞め、カツオの握り、イサキの刺身だ。

カツオは薄切りを3枚ほど重ねて握られていた。空気感?のせいで食感が変わる。

つまみで頼んだイサキは関アジ、関サバで知られる大分の佐賀の関からやってきた。身が締まっていて旨味もあってバツグン。キモまで付いてきたのでウヒョウヒョだ。

この画像はすべて、よくお邪魔する高田馬場の鮨源で味わった逸品たちだ。いつもスーパーツナマヨ軍艦とか、刺身用の馬肉をバター炒めにしてもらうような邪道オーダーばかりしているが、この日は真っ当な寿司ネタを真っ当に食べた日だった。

いつも、こんな風に真っ当に寿司をパクついていればイキなのだろうが、頻繁に出没しているとついつい変なものを頼んでしまうのが困りものではある。

先日も、腎虚?気味だったので生牡蠣用のカキを摂取することにしたのだが、こってりバター炒めにしてもらった。

イタリアン顔負けのオリーブオイルをしっかり投入されたカキバターは実に官能的な味だった。

携帯が壊れてしまって、せっかく撮った画像がないのが無念だ。

実は邪道はここで終わらないからリアル邪道だ。

牡蠣を食べちゃった皿に浮かぶ不健康そうな「オイルバターソース」が私に何かを訴えている。

「うまいぞ~!」と囁いていた。

「パンある?」。天下のお寿司屋さんでそういう失礼な問いかけをした私だ。アホ丸出しである。

残念ながらパンは無かった。その代わり「シャリを入れてリゾット風にしますか?」と板前さんが神のような言葉を私にくれた。

ニコニコうなずく私。しばし待っていたら、クリームチーズまでミックスされた「牡蠣エキスオイルバターしゃりリゾットクリームチーズ和え」が出てきた。

そりゃあウマいでしょう。悦楽の味が口に広がる。冷酒を飲んでいたので、酒との相性は全然ダメだが、それが気にならないぐらいパンチの効いた味だった。

「まっとうなネタをイキにつまんで、四の五の言わずに颯爽と店を後にする小粋な男」。実はこれ、15年前に目指した私の15年後の姿だ。ちっとも近づいていない。それどころか、年々だらしなくなってきている。

次の15年。私はどんな不気味な進化を遂げるのだろう。

★★夏休みモードなので、来週の月曜日と水曜日は更新をお休みします。