2009年1月15日木曜日

さもしい 定額給付金

安直にお金をばらまけば支持率が上がるだろうという短絡的な発想で登場した「定額給付金」。その場しのぎとしか言えないお粗末な話だけに、結局、言い出しっぺの麻生首相を苦しめているのだから皮肉だ。

つくづくこの問題のズッコケブリは現政権を象徴しているように見える。当初は、全世帯給付という話だったが、早々に閣内の不協和音のせいで高所得者層には支給制限する方向に落着きかけた。ところが、ここでも迷走。

作業を丸投げされる自治体の反発で、技術的に所得制限が難しいとなったら、今度は高所得者層には辞退を促し始める始末。辞退を呼びかける制度なんて国の政策としてまるでトンチンカン。歴史的珍事、トホホな状態だろう。

そして、国会論戦を受けて、またもや路線転換、ここにきて結局、全世帯給付に舞い戻り、高所得者層であろうと定額給付金を積極的に受け取って消費に回して欲しいと言い出した。

まあ、方針転換自体は、百歩譲ってアリだとしよう。経済が非常事態であれば、政権としても手を代え品を代え対策を講じねばならないわけだから、多少のブレは起こりえる。

ただ、一連の迷走劇のなかで見過ごせない問題もある。この点だけは強調しておきたい。高所得者層に対して定額給付金辞退を呼びかけていた時の首相の言いぐさだ。

麻生首相が昨年12月に「さもしい」という言葉を使った事実はもっと糾弾されて然るべき。最大限に人をおとしめる言葉を使って、高所得者、すなわち高額納税者が給付金を受け取ることはさもしいと発言したわけで、ここまで言ったのにコロッと路線を転換させる異常性は見過ごせない。

ついでにいえば給付金をもらうかもらわないかは「人間の矜持の問題」だとご高説をぶっていた。高所得なのに給付金をもらう人はロクデナシと言われていたのと同様。

1月13日の午後の段階で、麻生首相は、「高額所得者も盛大に使っていただきたい。『さもしい』と思っていたら、そのようなことは言わない」と述べ、マスコミは、「“さもしい発言”事実上の撤回」と書き立てた。

事実上の撤回というのは、マスコミ側の勝手な分析であって、本人が「撤回します」と言ったわけでもなんでもない。じゃあ12月の発言は何だったんだと言いたくなる。麻生首相の言葉の軽さは滅茶苦茶なレべルだ。 

ここにきて急きょ路線を転換しても“さもしい発言”への正式な謝罪はない。撤回だって正式なものではない。「さもしい」とか「矜持の問題」と言われた高所得層の人々にとっては納得のいかない話だ。

高額納税者を讃えるどころか、コケにして平気な精神構造は許されるものではない。あまりにお粗末な表現力、言語力に対して怒りより脱力感を覚える。

大体、景気刺激のための方策だというなら定額給付金というスタイルが期待薄なことは誰でも分かる。「減税」を選択せずに給付金方式にしたのは、納税していない人にまでバラまくため。これじゃあ景気刺激効果は小さい。

消費刺激を強調するなら、所得税について収入に関係なく納税額の一律数パーセントを戻すという方が遙かに効果がある。結局金持ち優遇という批判を恐れているだけのこと。

人よりたくさん税金を納めている人は単純に偉いと思う。納税額の多寡で行政サービスに差があるわけでもなく、何も特典はない。

にもかかわらず誠実に納税する人はもっと賞賛されていいはずだが、国の政策を思うと、いつもコケにされているだけ。これじゃあ健全な納税思想など育まれるはずもない。

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