2010年7月21日水曜日

野菜


年をとったなあと痛感する瞬間が増えている。動悸、息切れ、不眠とか、物忘れ、倦怠感、あちこちが痛いとか、下半身関係の問題とか、お決まりパターンばかりだが、先日、変な場面で高齢化?を実感した。

「野菜を喜んで食べている自分」。これには我ながらビックリだ。つくづく年をとったことを痛感した。

男の子は基本的に野菜が嫌いだ。レッキとした男の子であった私は、ライオンのように肉しか食わずに成長してきた。野菜は敵とばかりに一切目もくれなかった。

若い頃親しくした女性の数は、それなりに多かった方だと思うが、その人達が今の私の食生活を見たら皆さん大げさに驚いてくれると思う。

「野菜を注文している!」、「ごぼうにお金を払ってる!」・・・。そんな感じでビックリするはずだ。ついでに「オトナになったのね」とも言ってくれるだろう。

仕事上の付き合いで会食する機会は多いが、そういう場面、すなわち無理やり会話のネタを探り合うような状況では、必ず私の野菜話になってしまう。迷惑な話だ。

これまで野菜をまったく食べないことを指摘されれば、「宗教上の理由で食べられない」とか「死んだ親の遺言で食べない」とか抗弁してきた。

今も無理して野菜を食べようとは思わない。いやいや食べたところで、それ自体がストレスになって、きっとガン細胞が生まれてしまう。

そんな私だが、なぜか時に無性に野菜を食べたくなる。身体の中の奥深くからの叫びなのかもしれない。

かといって、ピーマンにセロリだとか、インゲンだとか、オクラだとかニンジン、かぼちゃあたりは今でも許せない存在として敵視対象ではある。

野菜すべてに門戸を開いたわけではない。あくまで一部解禁である。

群馬の人からいただいた上物の下仁田ネギをすき焼きに投入した時には、肉なんか無視してネギばかり食べた。

トンカツのキャベツが無性に食べたくなって何度もオカワリしてソースまみれのウットリした時間を過ごした。

某高級串焼店で出されたトマトの串に感激して2回もオカワリした。

天ぷら屋のカウンターで椎茸と小玉葱の天ぷらが気に入って、そればかり追加注文した。

しょせん、その程度だ。でも、まごうことなき野菜だ。それを喜んで、金まで払って食べている事実は、私にとって人生の一大事ではある。

5年ほど前から「青汁」を飲むようになった。まずくもないが、うまくもない。会社に常備してあるので、平日は1日500ミリリットルほど摂取。これも立派な習慣だ。誰も誉めてくれないから自分で書いておく。「立派だ」。

青汁を飲むようになったのは、もともと野菜を断固拒否するためだ。青汁を飲んでいる以上、申し訳程度に皿に載っている野菜なんか無視しても問題ない。

出された野菜を残した時、ついつい後悔というか、罪悪感みたいな感覚にとらわれがちだ。でも、そんな時は「オレは青汁を飲んでいる」という事実を思い出してみる。すると、あっと言う間に心が晴れやかになる。青汁の効能だ。

カレーに入っている野菜も、ピラフに入っている細かな野菜も上手によけるのは簡単だ。私には何十年も培ってきた職人技がある。「蓮舫の事業仕分け」にも負けないぐらいスパッと野菜どもをやっつけることができる。

おっといけない。野菜を好んで食べる話のつもりが、いつもの野菜嫌い自慢話になってしまった。

軌道修正。

そういえば、青汁を飲んでいるにもかかわらず野菜を食べるようになったのは「おでん」に多大な責任がある。

もともと、おでん嫌いだったのに、30代後半ぐらいだったか、突然、おでん屋さんのツボにはまった。

“銀座あたりのシッポリしたおでん屋で酒を飲む”というシチュエーションに身を置きたいばかりに無理しておでん屋に通うようになった。おでんが食べたいというより、その気配を楽しみたかったわけだ。

そうはいっても、刺身と枝豆、小鉢の珍味あたりでカウンターでチビチビやっていると、そのうち板前さんがおでんダネをあれこれ勧めてくる。おでんだから当然、野菜系が中心だ。

勧められるものをそうそう断るのもイキではない。“カネがない客”だとか思われるのもシャクだ。食べたくもない野菜なんか断りたいのだが、そうもいかない。

なにしろ“シッポリとしたおでん屋でゆるりと酒を飲む余裕のあるオトナな感じ”に浸りきっている私だ。大嫌いな野菜が出てきても「おお、もうそんな季節か」と感慨深そうにポツンとつぶやかないといけない。

そんなバカげた理由で野菜のおでんをつまんでいた。初めは吐き出しそうな思いをこらえて食べていたのだが、さすがにそのうちウマく感じるものも出てきた。ちょっと屈辱的だが、一部の野菜どもの軍門に下った格好だ。

冒頭の画像で左奥に映っているのは、ごぼう巻きだ。“ごぼう”だ。土みたいなドロみたいな味がする“ごぼう”だ。それこそ20年、30年前には親のカタキぐらい憎んでいた相手だ。

いまだにごぼう自体はマズいものの代表だと確信している。それでも、おでん汁が染みたあの独特なごぼうだけはナゼかウマく感じて注文してしまう。新興宗教の洗脳みたいなものだろう。恐ろしい話だ。

今日は長文になってしまった。携帯で何気なく撮影した冒頭の画像を見ていたら、ついついダラダラ書いてしまった。

2 件のコメント:

悶々 さんのコメント...

銀座8丁目蕎麦屋成冨のごぼう天もドロとは思えないほど美味しいので、お寿司かおでんの帰りにでも食べてみてくらさい。

富豪記者 さんのコメント...

ドロですよねえ。ごぼうを表現するとしたら・・・。

成富、トライしてみますね。ありがとうございます!