2012年10月29日月曜日

男の作法

池波正太郎といえば、時代小説の大家であり、また食分野や映画、演劇評論などでも知られる伝説の御仁だ。

作家としての評価だけでなく、亡くなって20年以上が経った今では「粋人」としての風評を至るところで見聞きする。

イキな男になりたいと願う私にとっては、氏の膨大な著作を日夜読みふけらないといけないのだが、時代小説が苦手なせいで、まるで読んだことがない。恥ずかしいかぎり。


先日、昭和56年に発表された氏のエッセイを読む機会があった。タイトルは「男の作法」。

こういう大上段に構えたタイトルは、それこそイキではない。ちょっとシャラくせ~と思って読み始めたのだが、読み進むうちにそんな安直な印象を反省した。

さすがにイキな男のモノの見方が凝縮されていた。随想というより、編集者相手に口述している「語りおろし」のスタイルなのだが、そもそも偉そうに指南するという風情はまったくない。時に遠慮気味に「男の作法」をやわらかく諭している。

ただ、本人も指摘しているが、内容の多くは作法などという大袈裟なものではなく、「常識」であり、口はばったく言ってしまえば、いっぱしの大人だったらわきまえているべき事柄が中心だ。きっと若い大人向けに出版されたのだろう。

と、エラそうに書いたが、一連の常識をついつい疎かにしてしまうオトナは多い。私自身、読み進むうちに、「わかっちゃいるけど、それが出来ていないんだよなあ」と反省しきりだった。

酒の飲み方、服の着こなし、人付き合い等々、いろいろな場面で、正しい男の居ずまいが語られている。

昭和56年当時の本だから、当時の大人に向けて語られている。21世紀、平成の今だから、「大人の粋」が希少価値になってしまたと思っていたのだが、そんな頃から「粋人」は絶滅危惧種になっていたとは情けない話だ。

その後、バブルの時代があり、ITの時代が花開き、世の中の価値観や日本人的感性はこの本が出版された時代よりも大きく変化した。

寿司屋、天ぷら屋、蕎麦屋での振る舞い、バーとの付き合い方から恋愛観、結婚観に至るまで、今の時代だから「教科書」として読むべきズレた大人が多いような気がする。

実はこの本を「バイブル」と崇めたてている中年オヤジがいるらしい。なんともダラしない頼りないダメなオッサンだと思ったのだが、考えてみれば、この四半世紀、こういう分野の「教育」は社会が疎かにしてきたのも確かだ。今更でも、粋な姿を目指そうという姿勢は大事かもしれない。

たとえば、寿司屋で通ぶって「ムラサキ」だの「アガリ」だの符丁を乱発する愚かさ、時間を守ることの大切さ、客だからといって威張るような品の無さ、店が混んできたらスッと席を立つスマートさなどなど、当たり前のマナーにまるで無頓着な男は魅力的ではない。

当たり前なのだが、その当たり前がなし崩し的に軽視され、不作法を恥だと認識しない社会が出来上がってしまったのだろう。

氏は人間が鈍感になっていることを嘆く。気配りが出来ない男は粋人の対極だが、その原因は便利になった現代社会の生活スタイルにもあると指摘する。全自動で何でもかんでも処理できるから、昔の人のように同時にいろんなことに神経を使って作業する訓練が欠けていると説く。

昭和の頃より遙かに便利になった現在、気配りにつながる人間の感覚の鈍化は一層進んでしまっているのだろうか。

また、印象的だったのは、高度成長によって「みんな貧乏になっちまった」と語るくだりだ。

自由主義でありながら共産体制みたいな状況は、良くも悪くも「上下の無さ」に現われていると分析する。

せいぜい家にあるテレビの数や部屋数が多いか少ないかぐらいの格差しかないし、社長だろうが平社員だろうが同じものを食べている現実は、見方を変えれば総貧乏化だと指摘する。

氏は大きな意味での「男の小遣い」の大切さを強調する。美術館など日本全国にある文化的遺産の大半が、国家ではなく、実業家など個人の遺産であることを例示し、「男の小遣い」が世の中を潤すと指摘している。

堅くなるが、金融、税制など国の経済政策にもつながる視点だと思う。

なんか小難しい話になってしまった。

「食」への関心の高さ、知識の深さでも知られるが、結論から言って、氏が食の上でも「粋人」に位置付けられたのは、その「しなやかさ」に尽きるのだろうと思った。

もちろん、寿司や蕎麦などすべてに一家言持つのだが、ガッチガチに自説を押しつけるような無粋さとは無縁だったのが印象的だった。

「何がいいと決めないで、それぞれに特徴があるのだから素直に味わえばいいんですよ」

「どこそこの何でなければ、なんて決めつけるのが一番つまらない」

こんな調子で実にさりげない。もちろん、実際には自分の中で譲れないこだわりは頑として持っていたはずだ。ただ、そんな拘りを人様に吹聴することを良しとしない精神性がチラリと感じられた。

食べ物の細かい好みを題材に、熱くなって知識や好みを披瀝することなぞ極めて格好悪いことだと分っているからこその、控えめな物言いなんだと思う。

まあ、大人物を肴に四の五のどうでもいいことを書き殴ってしまった。それこそ無粋である。

とりあえず、粋人を目指す私としては、自分に言い聞かせている「戒め」を今後もブラッシュアップしないといけない。

知ったかぶらない、威張らない、自慢しない、すぐに触らない(これは違うか)、やせ我慢を心掛ける等々、まだまだ修行の道は続く。

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