人生で初めて野菜を心からウマいと思った。一種の事件である。
時々、ぶらっと訪ねる銀座のお寿司屋さん「さ久ら」で食べた「すっぽんスープ大根おでん」とでも呼びたい一品がそれ。
その名の通り、おでんのような感じだが、出し汁は長時間丁寧に取ったすっぽんスープである。
まいったまいった。絶品だった。ふくよかな旨味、食感、香り、すべてが完璧だった。
その昔、京都・祇園の鮨割烹で食べたカブラ蒸しを「野菜のくせにウマい」と感激したことがある。ただ、あくまで「野菜のくせに」という前置き付きでの話だ。
今回の大根は肉や魚や炭水化物と同じ土俵で語ったとしても問答無用に美味しかった。
おでんといえば大根が王様みたいな顔しているが、私はおでんの大根が好きではない。そんな私が卒倒したのだから我ながらビックリである。
話は変わるが、大根が苦手というだけでなく、私はおでん自体が好きというわけではない。
今もおでん屋さんは、その場の雰囲気だけに魅せられて通っていると言ってもいい。
その昔、銀座あたりの大人がくつろぐ高級おでん屋でしっぽり一人酒を気取る姿に憧れた。
おでん嫌いだったのに、背伸びしたい、カッコつけたい一心で、それっぽいおでん屋に頑張って通った。
練り物ばっかり食べて大根なんか無視していたが、そのうち、おでん屋の大将と顔馴染みになってくると、「大根がちょうどいい感じですよ」とか言われる。
悪魔の囁きに聞こえたが、こっちはカッコつけたいバカだから「やっぱり、大根は外せないっすよ~」と満面の笑顔でウソをついていた。
不思議なもので、そのうち、大根もコッソリ飲み込まずに、しっかり嚙んで味わいように進化した。今では空腹だったら普通に食べるぐらいになった。
でも、あくまで「普通に食べられる」というレベルであり、好物ではない。しみじみウマいな~と感じることは無い。
そんな大根をしみじみウマいと思ったのだから嬉しいような、負けちゃったような複雑な気分である。
さてさて、野菜である。実に悩ましい存在である。天敵である。マズいし、苦いし、臭いし、すべての形容詞を使って悪口を言いたい相手である。
先日、食事を共にした女性が「バーニャカウダ」を注文した時には、その人が鬼畜に見えた。
あのバーニャカウダとやらは何なんだろう。腹が立つ存在だ。シャレたネーミングで気取ってやがるが、平たくいえば「ウサギのエサ」ではないのか。
その時は「ウサギのエサ」に付属していたタレ?をチビチビ舐めて酒のアテにしてみたが、草は食べないで済ませた。
職場で青汁を飲むようになって7~8年になる。日々500㎖を摂取している。なかなか優秀である。
そんな私が野菜を食べることは青汁に対する裏切りである。背信行為である。倫理にもとる話である。
毎日、会社で粉末青汁を水に溶かしてペットボトルに用意してくれる女性社員に対しても申し訳ない話である。
だから安易に野菜を食べてはいけない。野菜が主役になっている料理はもちろん、付け合わせの野菜だって同じである。
レストランでハンバーグやステーキに添えられるニンジンとか草とかにしても、次のお客さんに使い回ししてもらうために一切手を付けないのが私のマナーである。
あんまりフザけたことばかり書いていると叱られそうだから適当にしよう。
野菜を毛嫌いしてきたのに半世紀近く病気らしい病気になったことはない。骨折したり、扁桃腺が腫れたり、尿管結石になったぐらいだが、野菜とは無関係なものばかりである。
今日は何を書こうとしていたのだろう。そうだ。ウマい「すっぽんスープ大根」の話が脱線してしまった。。。。
お店ではたまに作る料理とのことで、次にいつ味わえるか分からないのがタマランチンである。
ところで、野菜嫌いに話が戻っちゃうのだが、これを書いていて一つの真理に気付いた。私が異常なまでにウナギを愛する理由についてだ。
白焼きだろうと鰻重だろうと、ウナギを思い浮かべると野菜がまったく出てこない。同じ器に付け合わせで野菜が乗っかっていることもない。
これって凄いことだ。蒲焼きが単品で出てくる時でも付け合わせなど皆無である。なんとまあ潔いことだろう。
ますますウナギに惚れている私である。
2 件のコメント:
うなぎの魚醤焼きに続いてすっぽんスープ大根おでんですか。下地となる材料に調味料の旨さを乗せて昇華させる和食の神髄みたいな料理ですねえ。とはいえ富豪記者殿の感覚に余裕があるから味わえたんではないでしょうか。どんな事でも公言していた事と違う事を表明するのは勇気がいる事だと思います。そういった感覚はお互いに大事にしていきたいですね。
道草人生さま
野菜嫌いであることは今後も声を大にして社会に主張?していきたいのですが、あまりにウマいものに遭遇したときは是々非々を胸に公正なジャッジ?を心がけようと思います。。。
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