いきなりだが、生きることって突き詰めれば我慢することだと思う。
というわけで、生きる上でもっとも楽しいことは我慢しないことである。すごい結論だ。
食べたいものだけを食べて生きられたら幸せだろう。つくづくそう思う。
私の場合、一人暮らしだから割と好き勝手な食生活である。とはいえ、身体のことを考えて時々は野菜を食べようと努力する。
野菜を食べるということは私にとって我慢以外の何ものでもない。
肉料理の皿の端っこに載っているニンジン、鍋の中でさも主役みたいな顔で威張っている白菜、カレーを食べたいのにナゼか混ざっているジャガイモ、麺を邪魔する存在でしかない五目焼きそばの野菜等々、我慢のオンパレードだ。
野菜不足を補うためにサプリをアレコレと飲み、毎日欠かさず青汁を飲んでいるから我慢は不要かとも思うのだが、どうなんだろう。
「ゴーヤチャンプルーください、ゴーヤ抜きで!」
「チンジャオロースください、ピーマン抜きで!」
堂々とそんな注文をしたいものだが、オトナの矜持?のせいで実行できないのが残念だ。
野菜が主役なら仕方ないが、“付け足し”で加えられている野菜が気になる。
新橋の某酒場で出てきた肉豆腐である。春菊が物凄く目障りだ。彩りのためだけに参加している感じが気に入らない。
カツ丼に載っかっているグリーンピースも意味不明だ。味に素敵なアクセントを加えるわけでもないのに、日本全国津々浦々で当たり前のように登場する。
カツ丼のフタを取ったときにフタの裏にヤツらがくっついて離脱してくれるとバンザイしたくなる。
同じ野菜でも薬味として活躍してくれるなら大歓迎である。というか、私は妙に薬味が好きである。野菜嫌いなのに薬味はドッサリ使う。
鍋にドカンと入っているネギは嫌いだが、薬味のネギならナゼか大量に食べる。我ながら不思議だ。
ラーメンのネギも昔は嫌いだったが、最近は好きになった。ネギラーメンだって食べられる。この点は私にとっては大いなる進化だ。
タマネギもデカいサイズで出てくると敬遠したくなるが、チャーハンに入っているような細々したヤツは好きだ。
この画像のようにゴリゴリとした野菜が入っていると、時間をかけて分別作業に励む。海外の炒めご飯系はゴリゴリ系に遭遇することが多い。要注意だ。
ヒドい時にはオクラがぶりぶりと混ざっていることもある。分別後に食べる頃には小盛りサイズになっちゃうから困りものだ。
寿司屋や鰻屋、焼鳥屋あたりに出かける頻度が高いのも野菜という邪魔者がデカい顔で出てこないからだ。
それ以外でもたいていの飲食店では、コース料理ではなく、ほぼ100%アラカルトで注文する。これも野菜を避けることが狙いだ。
天ぷら屋でコースなんか頼んだら半分は野菜になってしまう。温泉旅館でもアラカルトは現実的ではないから、時々シンドイ思いをする。
抜群に上質な懐石料理も私にとっては野菜との闘いという側面もある。
人様の目線があれば、野菜を美味しそうに食べて「さすがに旬の野菜は旨味が強いですね」などと思ってもいないことを口にする。
若い頃は何かと我慢する場面は多かったが、この歳になると無駄な我慢は避けたい。
我慢はストレスの元だ。ストレスは健康を害する。ということは、私にとって野菜は健康を害する存在という理屈になる。
こういう素敵な食べ物ばかりに囲まれて生きていければ幸せだ。
なるべくそうしようと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿