「お前が打たなきゃ誰が打つ」という野球の応援歌が自粛されたらしい。「お前」という言葉が教育上よろしくないからだとか。
実に気持ち悪い。窮屈な世の中を象徴するつまらない話だ。いつの頃からか、世間から大らかさがどんどん失われている。
SNSなどが普及したことで監視社会、告げ口社会という言葉も聞かれるようになったが、旧人類の私からすれば息苦しいったらありゃしない。
こんな傾向が続くなら20年、30年後の世の中の雰囲気は想像以上にドンヨリするのではなかろうか。
有名人の不倫タタキしかり、あんなものはモテないヤツがひがんで糾弾しているだけ。放っておけばいい。
教育者や政治家ならいざしらず、世の中すべてに例外なく教科書的な品行方正だけを求める風潮は気味が悪い。
鬱屈した人が多い証拠だろう。楽しくない、充実していないから、楽しそうな人、充実している人にイラつく。
考えてみれば、世の中の秩序やモラルと呼ばれるものは、総じてヒガミ根性が出発点なのかもしれない。
宗教の戒律だって、世の中の風紀の乱れに応じて生まれたわけだが、変な言い方をすれば、楽しく乱れている側が作り出したわけではない。そっち側に入れなかった面々が編み出した対抗策だったはずだ。
かつて石田純一が「不倫は文化だ」と語ったとして大バッシングを浴びたが、あれだってモテモテ男に対するヒガミ精神が爆発したようなものだった。
“不倫から文化が生まれた例はいくつもある”といった趣旨の話が省略されて騒動になったわけだが、ほんの100年ぐらい前の世の中は実際にそうだったわけだ。
明治大正の財界人などは、派手に芸者遊びをして、お妾さんを複数囲って、豪邸や庭を造って、骨董や美術品を集めるのが、純然たるステータスだった。
そこから文化が生まれたことは確かで、日本中にある個人姓を冠した美術館も彼らのステータス競争の成果で生まれたと言っても大げさではない。
肖像画がお札に刷られる偉人だって女性関係が複雑だった人はいっぱいいるし、お妾さんの地位も今とは比較できないものだったらしい。
乱暴に言ってしまえば、エロがステータスの証となり、エロが文化に貢献したわけだ。エロエネルギー恐るべし!って感じだ。
当時は当時でゴシップ雑誌もあったようだが、おおむね世の中の反応としては「そんなもんだろうなあ」といった感じだったらしい。
「そんなもんだろうなあ」。そんな感想で充分だと思う。関係者じゃなければショックを受けたり怒ったりする話ではない。
原田龍二だって袴田吉彦だって渡辺謙だって川谷絵音だって、あなたの職場の上司や近所のオジサン、はたまた、あなたのダンナや嫁さんだとしても「そんなもんだろうなあ」でやり過ごせばいい。
4 件のコメント:
いつも楽しく読んでいます。
今回のお話で、渡辺淳一先生の作品を思い出してしまいました。
「それがどうしたの?」と聞き返せる人になりたいですね。
コメントありがとうございます!
まったくその通りですね。
余裕と大らかさが失われていくのは残念です!
いつも楽しく拝読しています
お前というのは近しい人にしか使わない言葉でもあると思うんですけどね
じゃあ何て言うの?と思ってしまいます(笑)
コメントありがとうございます!
小生も部下や女性相手(娘も含めて)にお前と言ったことはないです。マナーだと思います。
ドラゴンズの応援歌問題は、あくまでスポーツという戦いの舞台での声援ですから、あまり神経質になる話ではないと思いました。
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