今月、2~3回ほど銀座のクラブ活動に出動した。この1年半ですっかり縁遠くなってしまったが、多くの店が何とか営業している。
当然だが、こんなご時世だから繁盛というには程遠い。あの世界は東京の大事な文化みたいな存在だから壊滅しないで欲しいと願うばかりである。
「夜の酒」がすっかり悪者のように扱われている今、クラブという業態を維持するのは厳しい。いつか人波が復活するにせよ、以前のような活況に戻るのはかなり先だろう。
顧客の行動パターンは、習慣というか、一種のリズムのような感覚に左右される。通うことが習慣になっているから通うという側面は大きい。
その証拠にコロナ以前は、正月明けやお盆休み明けは意外に空いている店が多いという話をよく聞いた。
すなわち、長い休みのせいで客も店に通うリズムが狂ってしまい、また通い始めるには少しばかり時間がかかるわけだ。
長期化したコロナ禍のせいで、なんとなく夜のクラブ活動を“卒業”しちゃった人は相当な数にのぼるはずだ。私自身、たまたま長い付き合いの黒服さんに上手に誘導されなければ行かずじまいだったと思う。
で、久しぶりにじっくり過ごして感じたのは負の連鎖だ。勝手な思い込みだが、私があの世界に足を突っ込むことになったきっかけは「気」である。
空気感の気、雰囲気の気である。賑わっていた銀座のクラブに漂っていた「気」は独特な魅力があった。
2年前にこのブログで銀座のクラブの「気」について書いた。その観点からみれば現状は厳しい状況である。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/04/blog-post.html
悪い気を背負っている人は必然的に集ってこない。言葉は悪いが負け組的な気配とは無縁の「上向きな気」に溢れている点が銀座の強さだったと思う。
今かろうじて営業している店にそうしたアゲアゲな気が漂うことはない。混雑していないことだけが理由ではない。やはり「夜の街」に押されてしまった負の烙印が影響している。
時短要請、休業要請等々の影響で「夜」「酒」はすっかり悪者扱いされている。緊急事態宣言が解除されても東京では「酒は夜7時まで」「営業は夜8時まで」という意味不明なルールが罷り通っている。
そんなスタイルが何となく受け入れられている以上、基本的に夜8時ぐらいから活動が始まるクラブという存在は浮き世離れそのものという話になる。
おまけに、どっかの議員センセイがウソまでついて銀座のクラブに通っていたことがバレて党を離党する騒ぎになった事件なども、銀座のクラブ=悪い場所というネガティブイメージを強調してしまった。
実際、銀座のクラブの中には、店の入口を閉じた状態で扉には休業の貼り紙があっても、実は中では営業中というパターンが少なくない。
こうなると、まさに人目を避けてコッソリという状態だ。「気」という点では上向きな空気にはなりようがない。むしろドンヨリした空気感につながる。なんとも残念な状況だ。
ほろ酔い気分で店を出た後も同じ。遅めの時間の7丁目8丁目界隈に人の流れは無い。目に付くのは黒服など夜の街関係者ばかりだ。上機嫌でウェイウェイ闊歩しているオジサマ族など見かけない。実に淋しい。
淋しい場所に人は来ない。ましてやアゲアゲな気を持った人々ほどドンヨリした気が漂う場所を嫌う。夜の銀座がどうにもならない悪循環のまっただ中にあることを痛感する。
極端に人の流れが無くなったにもかかわらず、悪名高きタクシー乗り場規制は今も続いている。夜10時以降、流しのタクシーは拾えず正規の乗り場からしか乗車できないルールだ。
実にバカな話。タクシー乗り場では乗車待ちのタクシーの赤い空車サインが延々とつながって灯っている。シュールな光景というより哀しい光景だ。
つくづく街に活気が戻って欲しい。そうすれば上向きな空気をまとった人々も戻ってくる。ドンヨリした空気が街に染みこんで取れなくなる前にそんな日が来ることに期待したい。
ついでに13年前にこのブログで夜の街のアレコレを書いた話を貼り付けてみる。ひと昔以上前の話だ。今と比べると違う星の話のように感じる。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_14.html
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