2015年12月16日水曜日

疲れてるとき~


「悲しいとき~」って叫びながらネタを披露するお笑いコンビがいた。どこにいっちゃったんだろう。

あの口調を真似ながら、最近私が頭の中で叫んでいるのが「疲れてるとき~」である。疲れるようなことをしているつもりはないのだが、年齢のせいもあってバテやすい。

正確に言うと、疲れがとれにくい。身体の調子が悪いわけではない。血液検査の結果は、シングル生活になって以降ずっと良い状態だ。中年男特有?のウツウツした気分もない。

でも、疲れがとれない。おそらく、適度な運動だの体重を落とすだの、誰でも思いつく事に励めば改善するはずだ。とはいえ「アマノジャッキー」としては、そんな当たり前の努力に励むのはシャクだ。



季節のせいもあるが、疲れを実感すると食べたくなるのがカキである。疲労回復に効果のある食材の代表格だ。

肝機能も改善してくれるし、アッチのパワーまで強化してくれる凄いヤツである。もっと日常的に食べないといけない。

タルタルソースをヤケクソみたいに載せたカキフライは水道橋にある「菩提樹」というトンカツ中心の洋食屋で食べた。

この店、やたらとゆったりした造りで、基本はトンカツ屋さんなのに気の効いたツマミが揃っている。おまけに各種の揚げ物が1切れから注文できる。「揚げ物で酒」という際にはバッチリの店だ。

トンカツのウマい店はアチコチにあるが、トンカツとエビフライぐらいしかメニューにないのが普通である。そういう店はノンビリ飲める雰囲気でもない。

こちらの店はビックリするほどウマいわけではないが、トンカツ方面?を酒のツマミで楽しむ店としての総合力は素晴らしい。そういう観点では都内屈指の店だと思う。


ちなみにここのハンバーグの美味しさは知る人ぞ知るレベルだ。ちょっとビックリする。

話がそれた。カキの話だった。2番目の画像は高田馬場・鮨源でひんぱんに注文する吸い物仕立てのカキだ。

この店では常に産地の異なる数種類の上等なカキが用意されている。生で食べるお客さんが多いが、私の場合、いつも疲れている?ので、念のため加熱調理してもらう。

焼きにも揚げにも応じてくれるのだが、出し汁に浮かぶ「カキのお吸い物」が私にとっての癒やしメニューである。

ちなみにカキでアッチのパワーが増大した覚えはないが、効果を実感する人などホントにいるのだろうか。謎である。

個人的にトロロを食べようが、ウナギを食べようが、馬肉を食べようが、ちっともソッチの変化を感じたことは無い。眠れる森の美女みたいなものである。。。

話が逸れた。

さて、元気の源になる成分のなかでも大事なのが鉄分である。不足するとフラフラするらしい。


で、レバカツである。これもたまに無性に食べたくなる。思えば、レバカツを求めている日も「疲れてるとき~」と頭の中で叫んでいる。

豚レバはとくに鉄分が豊富らしい。ほうれん草の6倍、牛レバの3倍だとか。優秀である。この画像は巣鴨の名門?大衆酒場「千成」でのひとコマ。この店は「イカメンチ」が絶品なのだが、バテているときはレバカツだ。

レバカツといえば、モツ焼き屋を始めとする大衆酒場以外ではまず見かけない。だからこの画像でも下町の大衆酒場御用達の「バイスサワー」が写っている。

大衆酒場におけるチャンピオン級のメニューがレバカツだ。ハムカツも仲間みたいなものだが、アイツのほうがどこか爽やかである。レバカツには無頼な気配が漂う。

レバカツ。こればかりは銀座あたりの小粋な料理屋で出されたら興醒めだ。入りにくそうな無頼な大衆酒場で出てくるべき食べ物だ。

なんか変な思い込みでスイマセン。

なんだかんだ言って、疲れているならとっとと家に帰っておとなしくすればいい。元も子もない話だが、それが正解である。

もちろん、たまにはそういう日もある。でも、夕飯の問題やアルコールの問題を考えると、独り者はついついフラフラしてしまう。ビミョーである。

「家庭料理っぽいものを食べたい」。疲れを感じると、一応そんな殊勝な気分にもなる。寒い季節などは尚更そんな気持ちになる。

家庭人?だった時は家庭料理なんて興味がなかった。そんなもんである。でも、考えてみれば、寅さんにおばちゃんが作るような古典的な家庭料理って実際にはウマいわけではない。「ホッとする味」という特殊なジャンルの食べ物だろう。

私自身、母親の手料理で懐かしく思い出すのは、煮っ転がしやお浸しなどなどではない。ドリアとかハンバーグとかタラコスパゲッティーとか、ジャンク系?のものだ。

結局、「家庭料理っぽい」って一口に言ってもよく分からない。定義付けは難しいかもしれない。


この画像は銀座の日本料理屋店「三亀」。仰々しくない雰囲気でキッチリした料理が楽しめる。海老しんじょう、タケノコの煮物、ブリかまである。カウンターでやたらとくつろぎながら過ごした時のラインナップだ。

どことなく「家庭料理っぽい」と言えばそれっぽい。なんだかホッコリする。とはいえ、家庭料理ならこんなに真剣にダシをとらないし繊細な味付けにもならないだろう。

「家庭料理っぽい」ものを求めて来たわりには、結局普通の家庭では食べられないプロの味にウホウホ言って過ごす。

その他にもウマい一品をつまみつつグビグビ。調子に乗ってすっかり肝臓までフル稼働。

オマケに銀座である。とっとと家に帰るどころか、気付けば綺麗どころにお世辞言われて鼻の下を伸ばして午前様である。

やはり、まっすぐ家に帰って写経したり、哲学書を読んだり、はたまた盆栽なんかにチャレンジするようなドッシリとした時間を過ごさないといけない。

それも疲れそうでイヤだ。

2015年12月14日月曜日

「浮き様」になりたい


12月になると街中がキラキラとネオンの光で溢れる。今年もあの季節がやってきた。

忠臣蔵の季節である。12月14日は赤穂浪士が討ち入りを果たした日だ。

300年以上も前の歴史的事件が大元である。大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の元藩士47人が主君の敵討ちのためにハッスルする話である。

毎年のように作られる映画やドラマで出てくる感動的なエピソードはほぼ100%が作り話らしい。そんなことは百も承知だが、私は忠臣蔵が大好きである。単純明快に楽しい。痛快である。


毎年、世の中がクリスマスで浮かれ始めると条件反射のように忠臣蔵が恋しくなる。今年はBSで再放送していた10年前のドラマスペシャルが印象的だった。

大石内蔵助は松平健、吉良上野介は伊東四朗が演じ、浅野内匠頭は沢村一樹が大真面目に演じていた。下級藩士役でやたらと初々しい要潤が頑張っていた。


さて、忠臣蔵には勧善懲悪モノの要素が完ぺきに網羅されている。「堪え忍んで悪役に仕返しをする」というストーリーは、仮面ライダーやガッチャマンにも通じるヒーローものの王道だ。

実際には、討ち入りを果たしたのは、死んだ主君とは面識すら無い下級武士が中心で、再就職に向けたパフォーマンスだったという見方もある。

それ以前に「主君の仇討ち」という美談自体が単なる「言い訳」でしかないという見方もある。

現に討ち入りのリーダー・大石は断絶させられた浅野家を再興するために奔走していた。それが叶わなかったから討ち入りに方針転換。すなわち、お家再興が許されていたら討ち入りはしなかったということ。

吉良が憎いとか、亡き殿のためとかではなく、職場を失うハメになった処分への抗議として過激な行動に走ったという話だ。

あくまで幕府に抗議したかったものの、勝ち目もないし、お上にタテつくことが許されなかった時代である。サムライ政権である幕府が奨励していた「忠誠心」を逆手にとったわけだ。政府に対する強烈な皮肉である。

寝込みを襲われた吉良ジイサンは堪ったものではない。名君だったという説もあるが、後世の映画やドラマでは悪役の代表格になってしまった。スーパーヒールである。

「デスノート」に出てくる「キラ」というキャラクターも恐らく吉良上野介からネーミングされたのだろう。違っていたらゴメンナサイ。

まあ、忠臣蔵の何たるかを語ればキリがない。エピソードの大半が作り話だろうと個人的には構わない。映画やドラマでは、あくまで痛快なヒーローものとして描いてもらいたい。

浅野の殿様はシュッとした若い二枚目俳優、奥さん役はこれまた美人女優じゃなきゃダメだ。当然、大石役はドッシリと構えた味のある中年の演技派、吉良役は悪人顔の老獪なベテランで決まりである。このルール?は絶対守らないと成り立たない。

忠臣蔵の定番シーンはいくつもあるが、大石が遊郭で遊び呆けるシーンもそのひとつ。討ち入りなど考えてもいないというフリをするため、夜な夜な遊んでいる設定だ。

たいてい、目隠しをされて鬼ごっこみたいなことをしている。遊女達に「浮きさま~」と呼ばれてデレデレしている。浮かれた浮きさまである。

私は昔からあのシーンが好きである。「バカなフリをしながら実は用意周到に計画を練っている」というのが格好良い。

大石役の俳優の見せ場でもある。遊郭で遊びながら時折チラっと見せる真剣な眼差し、あるいは遊郭の帰り道に悪い衆に囲まれてもチョチョっと退治しちゃう感じがステキだ。

男なら憧れてしまう。何か壮大なはかりごとを考えているのに、それをオクビにも出さずに夜の街でイキに過ごす。なんかカッチョいい。

綺麗どころに囲まれてデレっとしているくせに、時折、力強い目で遠くを見つめる。帰り道に暴漢に襲われそうになっても、アッという間に蹴散らしちゃう。

よし、私もこれからはその路線を目指してみることにしよう。

まずは「壮大なはかりごと」を作ることから始めなきゃならない。でも、仇討ちをしなきゃならない「亡き殿」もいないし、職場も失ってないからモチベーションの点で難しい。困ったものだ。

仕方がないから、まずは「浮きさま~」と呼ばれることから始めよう。それなら難しくなさそうだ。

これからの季節はネオン街に出没する機会は増えるから、知り合いには「浮きさま」と呼んでもらうことにする。

「サンタさん」とか呼ばれて散財させられるよりはマシだと思う。

2015年12月11日金曜日

冷凍食品に唖然とする


最近の幼稚園は、子どもに持たせるお弁当に冷凍食品を入れたら怒るらしい。食育がどうしたこうしたという趣旨なんだとか。

御苦労なことである。

まあ、わが家(かつて)でも子どもの弁当に冷凍食品を使ったことなど無かった。でも、共働きの家庭などでは、たまには手抜きのおかずを入れることもあるだろう。

全面禁止みたいな極端な話はヒステリックでバカみたいだ。いや、バカだ。

手抜きを問題視するなら無洗米を使ったり、弁当箱を食洗機で洗うのもダメという話になる。アホらしい。冷凍食品を闇雲に敵視?するのはちょっとピントがずれていると思う。

などと、冷食擁護派みたいな論陣を張ってみたが、実は最近、私の中で冷凍食品ブームが到来している。

一人暮らしをしているから仕方なく冷凍食品でシノいでいるわけではない。「今日は冷凍食品でいいや」ではなく「今日は冷凍食品じゃなきゃイヤだ」と思うぐらいウマい商品が珍しくない。


「冷凍食品イコールだめな食べ物」。確かにそんなイメージは私達の世代にはしっかり染みついている。いや、結構幅広い年代に染みついている。

非常食の乾パンみたいな位置付けで捉えている人もいる。私もそうである。基本的に認めていなかったし、20代の頃に一人暮らししていた時でも冷凍食品に手を出すのは人として正しくないなどと思い込んでいた。

浅はかだったと思う。

そりゃあ、毎日毎日、冷凍食品ばかり食べていたらヘンテコだが、そういう話ではない。

コンビニ弁当と冷凍食品。いずれもそれを食べたことを大っぴらに言いたくないというか、誰かに話すにしても妙に卑下しながら語るような「日陰者」みたいな存在である。

コンビニ弁当は確かにビミョーな点がある。ソース焼きそばの場合、紅ショウガまで一緒に電子レンジでチンされて、フタを開けたときにそれが不快な臭いになったりする。

だいたい、伸びちゃうから作り置きの麺類が美味しいはずがない。頑張って進化しているが、どうしても「冷めちゃった料理」だ。それでも10年、20年前よりははるかに美味しくなったことは認める。

しかし、コンビニ弁当がどう頑張ろうと冷凍食品の美味しさの進化にはかなわないと思う。あまりの美味しさに時々ビックリする。

ちなみに私がここで声を大にしている冷凍食品は「チャーハン、ピラフ、パスタ」ぐらいで、その他のおかず系のものは知らない。そっちは今後研究していこうと思う。

2~3年前、冷凍食品のパスタ類がメーカー同士で激しい競争を繰り広げどんどん進化していると聞き、いくつか食べてみた。正直ビックリした。

乾麺を茹でて、出来合いのちょっと高級なレトルトパスタソースと和えて食べるよりも、断然冷凍パスタのほうが上だった。

その後、風の噂?で冷凍食品業界におけるチャーハン戦争が凄いことになっていると聞いた。でも何となく食べる機会もなく過ごしていた。

今年のとある日、遅ればせながら「イマドキの冷凍チャーハン」を食べた時の驚きは予想以上だった。

ここ数年、自宅でデリバリーを注文する際、中華料理ならチャーハンも頼んでいたが、数え切れないぐらい食べてきたそれらのチャーハンのどれよりも冷凍チャーハンのほうが圧倒的にウマい。

気付けばさまざまなメーカーの商品を試した。変な話、マズいチャーハンを探すことが難しいぐらいみんな美味しい。

2~300円で2人前である。デリバリーやコンビニ弁当系のチャーハンと比べると破格に安いのにウマい。日陰者にしておくにはもったい存在だと思う。

核家族化が進み、共働きが進み、おひとりさまも増加した現代社会がもたらした副作用というか効能というか、起きるべくして起きた現象だと思う。

思えば、私が子どもの頃はレトルトカレーだってボンカレーぐらいしか無かった。今では帝国ホテルを筆頭に高級ホテルもレトルトカレーを発売し、高級スーパーには1食1000円を超える値段のレトルトカレーが平然と並んでいる。

カップ麺も然り。昔と違って最近ではご当地ラーメンや高級志向の商品も出ている。冷凍食品も時代の流れとともに「とりあえずの非常食」みたいなイメージから「わざわざ食べるウマいもの」に着実に変わってきたわけだ。

チャーハンだけでなく、先日食べてみたピラフにもウットリした。牛乳の明治が開発した「チキンときのこのピラフ」は、コメの硬さは完ぺきだったし、ミルクとバターの風味がまとわりついてきて実にウマかった。
願わくばチャーハン、ピラフそれぞれ、高級バージョンが出てきて欲しい。現状では低価格路線を維持するためなのか、具材が乏しいのが残念な点である。

レトルトカレーのように価格帯にバリエーションが出てくればもっと凄い商品が出てくることは確実だ。

ちなみに、「チキンときのこのピラフ」にアレコレとトッピングを加えてみたらアホみたいにゴージャスで物凄くウマいピラフが出来た。昔からピラフを愛するピラファーである私が悶絶したぐらい最高だった。

画像を撮り忘れたのが残念である。

スーパーで買ってきた結構上等なぶつ切り鶏肉と冷蔵庫にあったセブンイレブンの「金のソーセージ」も細かくカットして、ついでにマッシュルームを適量加えて適度に味付けして冷凍ピラフと合体させた。

完ぺきだった。

そのまま加熱して食べられるという冷凍食品の良さからは外れてしまったが、家にいながら高級レストラン顔負けのピラフがあっと言う間に出来てしまった。

今日の話を読んでいる読者の皆様の多くが、冷凍食品の話など侘びしい独り者の戯言と感じているかもしれない。

でも、そう思って手を出さないのはちょっともったいない!。熱く語りたくなるぐらい冷凍食品にはワクワク感がある。少し具材を追加したり少しアレンジしたら「冷凍食品ごときで食事を終わらせてしまった」という罪悪感?も解消できる。

冷凍チキンライスに別途ユルユルに作ったオムレツを載せればフワフワオムライスが出来るし、ビーフピラフだったら別途ステーキや焼肉をドカンとトッピングすれば一気にゴージャスな一品になる。

極端な話、もし私が料理上手な女性と暮らす日が来るとしても、冷凍食品のチャーハンやピラフは愛し続けると思う。

2015年12月9日水曜日

麻布十番で焼肉 兜


牛肉をしっかり食べる機会が無くなった。ちょっと極端かもしれない。

長生きする人はたいてい最晩年までステーキなんかを好物にしているから、私の場合は早死にしちゃうのだろうか。大丈夫だろうか。

まあ、そうは言いながら酔っ払った時の牛丼は相変わらず禁止できないでいる。だからたぶん大丈夫だ。

酔っ払いが深夜に食べるものといえばラーメンが王道だが、私の場合、牛丼屋に足が向くことが多い。それも「特盛り」で注文する。おまけに余裕で完食する。

先日も酩酊状態で歩きながら、牛丼の誘惑に負けないよう松屋、吉野家、すき家などの看板が目に入らないように歩いていた。


ところが、とあるジャンクっぽい店の前に「牛うま煮丼」というメニューを見つけ、なんとなく入店。「並」ではなく「大」を注文しちゃう悪いクセはどうしても直らない。

普段、酒を飲んでいる時にはさほど食べないから、「酩酊牛丼」というクセさえなければ私も「向井理」のようにシュっとした体型になれるのに残念である。

というわけで、私が食べている「牛肉」はハヤリの熟成ステーキみたいな肉ではなく、バラ肉ばかりだ。出がらしになっちゃったような肉だからワシワシ食べられるのかもしれない。

なんか冴えない話である。

某日、久しぶりに焼肉屋に行く機会があった。馬肉とか鶏肉ではない。いわゆるキムチやナムルがある焼肉屋である。

30代の半ばぐらいまでは頻繁に焼肉を食べていた。20代の頃は、おそらく私の身体の3分の2ぐらいは焼肉で形作られていたはずだ。若いうちに一生分の焼肉を食べちゃったようで、その後はすっかり焼肉とは縁遠くなっている。

この日訪ねたのは麻布十番の「兜」という店。真っ当な牛肉を正面から食べることが苦手になってきた私から見てもなかなか良い店だと思った。

麻布十番の商店街から少し逸れた隠れ家感、適度な高級感、普通のテーブル席でもパーテーションをうまく使って個室風に仕切れる造作。麻布十番というオシャンティー?な土地柄を反映した使い勝手の良さそうな焼肉屋さんだ。



肝心の味も素直に美味しかった。厚切り極上牛タンなる、ちょっと仰々しいネーミングの一品もウマかったし、トモシビと称するランプ肉のあたりも正しい赤身肉の旨味が感じられた。

なによりも飲み物と一品料理のメニューが豊富だったことが「酒中心」のオジサマ的には嬉しかった。ワインが好きな人なら選ぶのがメンドーになるほどだ。

野菜無しで肉だけで勝負している牛すじ煮込みなどスープ類が美味しかったので、ジンワリしたい寒い季節にはオススメだ。

しつこい系の肉は、ザブトンと呼ばれる部位を食べたが、オジサマには一切れで充分である。20年前なら15切れ、30年前なら30切れは余裕で食べられたはずだ。

「脂っぽい肉への欲望」は30年で30分の1まで減少したわけである。


結局、ホルモンとかミノを良く焼いて酒のツマミにかじってるのが幸せになっちゃったから少しカッチョ悪い。ワイルドな男とは呼べない。

焼肉屋でヒーロー?みたいなメニューは「極上霜降りなんちゃら」である。値段も他よりもエバっている。富豪を名乗りたい私としては、そういう逸品を注文すべきなのだが、単価の安いミノやホルモンのほうを多めに選んでしまう。

無理してやってきたビンボーな客だと思われそうで残念だが、結果的に財布に優しいからバンザイである。

ちなみに、まっとうな焼肉屋で食べる焼肉は無条件に美味しい。でも、近頃はちょろっとしか食べられないから、いつも食べ終わった後にビミョーな敗北感につながる。

「焼肉をガンガン食べられなくなった自分」。これってチョッピリ悲しい。無類の焼肉好きだったからこそ味わう屈辱感にも似たドンヨリ気分になる。

そんなことでストレスを貯めていたら早く死んじゃうから、なるべく焼肉は食べないようにしよう。

意味不明でスイマセン。。。

2015年12月7日月曜日

パンチラ問題 銀座のクラブ

某日、知り合いに連れて行かれた飲み屋はミニスカ姿の女性しかいない怪しい空間だった。断っておくが、私にとって「怪しい」は「嬉しい」と同義語である場合が多い。

同行者はそんな店でも難しい経済問題を語っていた。野暮である。仕方なく私も難しい顔をしてうなずく。でも頭の中はミニスカである。

ミニスカートの女性が魅力的に見えるのはナゼか。法人税減税の是非を語る同行者のほうを向いているフリして私の視線の先はミニスカである。

「パンチラへの期待」。これこそがミニスカが気になる男の心理だ。脚線美をどうこう言っても男の本音はそこではない。その先である。すなわちパンチラへの憧憬である。

分かりやすい例をあげてみよう。

「菜々緒みたいなスタイルの女性の短パン姿」VS「ちょっとブサイクでスタイルもイマイチの人の怪しげなミニスカ姿」。

9割の男が凝視したくなるのは後者である。短パンではパンチラは発生しない。エスプレッソもカプチーノもコーヒーであるのと同じで、ミニスカとパンチラも同じ穴のムジナである。

よく分からない話になってしまった・・・。

その店で私の前に座った女性から残念な話を聞いた。そこで働く女性は皆さん「見せパン」を着用しているという。

椅子の高さ、目線の位置のせいで前に座る女性の「禁断の三角地帯」が見えやすい。パンチラ天国みたいな世界だったのだが、女性陣もそれを見越して「見られてもいいパンツ」を着用しているわけだ。

「見られてもいいパンツ」って一体何なんだろう。許しがたい!男にとって敵である。見られたくないものを見ちゃった時に喜びを感じるパンチラの絶対的な公式から逸脱している。

「見せパン」の話を聞いてしまったせいで、その店での私の喜びは一気に消滅した。前に座る女性の三角地帯をちらちら見るのが楽しかったのに、二度と見る気が無くなってしまった。

強がりではない。そういうものである。

海で女性の水着を見てもいちいちムホホ~!とはならない。それと同じある。見られても困らない、見られても恥ずかしくないのなら、こっちも「別に」って感じである。


結局、男がパンチラに惹かれるのは、相手の「恥ずかしさ」や「困惑」を見ることに萌えるからなんだろう。

だから、偶然や不意打ち、突発的というアクシデントとしての要素こそが大事になる。いわば「一瞬の輝き」である。

その昔、ランジェリーパブというヘンテコな商売が流行った。魔都・池袋に会社がある関係で何度か出かけた。女性社員にまで連れて行けとせがまれた。

ランジェリーパブはその後、どんどん過激になり、今ではピンサロみたいな方向に変化していった。

ナゼか。

面白くなかったからである。

当時のランジェリーパブは、文字通り下着姿の女性が普通に酒の相手だけをする店で、いわばキャバクラの女性の衣装がキラキラした下着に替わっただけだ。だから女性客だって来ていた。

店に入ってから3分、いや5分は感動する。目に入るのは大勢の下着姿の女性達である。さすがにウホウホ気分になる。

でも、5分もすると目が慣れてしまう。あくびも出てくる。女性にとって下着姿は単なる衣装であり、男性に見られても困らないし恥ずかしいわけでもない。

チラリズムに喜びを感じる男の心理とはまったく噛み合わない形態だ。だからあの頃のような健全?なランジェリーパブは絶滅したのだろう。

ちなみに「チラリズム」という言葉の語源はアノ「浅香光代」なんだとか。ビックリ仰天である。


今ではコワモテの女傑イメージだが、若い頃の剣術芝居の立ち回りの際に、チラチラと太股を見せる姿が大人気となり、新聞記者が「チラリズム」と命名したそうだ。

話がそれた。

男がパンチラを求めるのは、結局、パンツを見たいのではなく、「困惑」「羞恥」を見たいという哲学的かつ変態的欲求が原因である。

見る側、見られる側の双方が「想定外」の状態だからこそ威力を発揮するのである。

その証拠にムフフな場面を終えた後の帰り際にパンツを着用する女性の姿を見てもパンチラを見たときのドッキリ感はない。世の東西を問わずすべての男性が同意するはずである。


それにしても、こんなテーマを延々と熱く語っている私はどこか変なのだろうか。この問題を分析、解明したところで私の未来が開けるわけではない。

まだまだ語り尽くせぬほどパンチラ問題については意見があるが、キリがないからこのあたりで終了する。

結論。パンチラとは、想定外の一瞬の輝きだ。見せパンに惑わされたら負けである。

2015年12月4日金曜日

時代は色ボケ!


先日、70歳の知人と飲んだ。仕事上の付き合い酒は楽しくないのが普通だが、その日は相手の「武勇伝」をいろいろ聞かされて大いに刺激を受けた。

70歳といえども現役バリバリである。もちろん、アッチ方面の話である。素直に尊敬する。

若い頃、いや40歳ぐらいまでは、中高年、とくに還暦も過ぎたオッサンが女性を追っかけて交尾活動を目指す姿を軽蔑していた。

「いい歳してアホか」「みっともない」等々、一般的な否定論者のような言葉を発していた。でも、自分が年を重ねるごとに「頑張ってるヤンチャなおっさん」を支持したくなってきた。

少年時代には50歳、60歳にもなったら、すっかり弱っちゃって花鳥風月を愛でることぐらいが楽しみになるのだと思っていた。

もっと言えば、たかだか40歳ぐらいの人を「引退した人」というイメージで見ていた。子どもの頃、長島が38歳、王が40歳で現役を引退したせいで、勝手に40歳あたりを節目だと思っていたようだ。

バカみたいだ。

自分が40歳になった時、30歳の頃と大して変わっていない自分に慌てた。ちっとも進歩していないのは恥ずかしい。でも、頭の中で考えていることは18歳ぐらいの頃からほとんど変わらない。こんなことじゃマズいと感じた。

でも、人間の本質なんてものは30歳も40歳も大差が無いのだろう。思春期が終わった頃に形成された人間性はおそらく死ぬまで似たようなものだ。

もちろん、30歳の頃より、40歳になった頃の方があらゆる物事への視野が広がっていた。それなりに年相応の変化は経験していたのだろう。

そして40歳から50歳へと時間は進んだ。相変わらず頭の中で考えていることは若い頃と似たようなものだ。でも、やっぱり物事への視野は40歳の頃とは変わった。

本質は変わらないものの、視野や目線といった見え方や咀嚼の仕方は年齢とともに随分変わる。歳をとるとはそういうことである。

だから70歳のオッサンが女性を追っかけるのは、ある意味当然であり、男として正しい行動だと思う。

50歳ごときの私の頭の中からエロ煩悩が無くならないのも当然である。無くなるどころかそっち方面の煩悩は複雑化・高度化していく一方である。若い頃のほうがよっぽど爽やかだった。

「女性は人生をあきらめると下ネタを連発し、男は人生をあきらめると下ネタを言わなくなる」。

ネットか何かで見た格言?である。実に深い言葉だと思う。下ネタの数は元気さに比例するのかもしれない。

冒頭で書いた70歳の知人は、やたらと下ネタだらけの猥談に励んでいた。良し悪しは別としてエネルギッシュな証拠である。まさしく人生をあきらめていない。それどころか人生を謳歌している。

50歳程度の自分たちの世代でも「オトコ、終了」みたいな人は多い。確かにそういう面々は下ネタも話さないし、エロ系なこととは一切関係ないような顔をしている。

社会はそれを分別や常識と称して正当化する。でも、それって間違いだ。秩序は大切だが、人間の業に無理して逆らっても仕方がない。

日本の個人金融資産は1700兆円という途方もない金額だが、その6割以上を60歳以上の高齢者が持っている。

国の政策が語られる際には、必ずこの「高齢者のカネ」をどうやって流動化させるかが議論される。

手っ取り早い経済対策は、高齢者に楽しくお金を使ってもらうことである。子や孫への贈与に非課税枠を広げるのも結構だが、そんなくだらないことで高齢者がイキイキとお金を使うはずはない。

ズバリ、高齢者にどんどん色気づいてもらうほうが、よっぽど経済は活性化する。

冒頭で書いた70歳の知人がさんざん話していたのが「女性に対する浪費」である。
老後の経済的不安を口にする割には気前良く女性のためにお金を使う。

「クルマを買わされた」だの「ヨーロッパに連れて行った」だの、豪勢な話がポンポン出てくる。

アッパレである。

男の行動なんて大半が女性の歓心をかうのが目的だ。若造時代にカッコいい服が着たいとか、カッコいい髪型にしたいなどと思いはじめたら、そのコストは既に「女のため」である。

若い世代に元気が無い今、60歳以上の人がバリバリに色恋に励むことはニッポン経済にとって大いに意味のあることだ。

ずぶずぶの不倫までいくと殺傷沙汰に注意が必要だが、必ずしも肉体関係にこだわることもあるまい。

単純に「異性とドキドキする」ことが大事だ。それだけだってオシャレしたり、プレゼント買ったり、旅行の計画を立てる。

内需拡大である。

銀座あたりで活躍する金満ヒヒ親父の皆様にも「金満ヒヒジジイ」として末永く女性にお金を使ってもらいたい。

景気刺激策などと言葉にすると難解だが、個人消費なんてそんなものだと思う。「異性にモテたい」。古今東西、このエネルギーが経済活動の基本的な根っこである。

「老いらくの恋」「色ボケ」など、高齢者の色恋ネタは古くから否定されてばかりだったが、高齢化社会まっただ中の今、社会全体で意識を変えたほうが早道だと思う。

ということで、まだまだ私は若造です。

2015年12月2日水曜日

ライブ報告

先週の土曜日、私がメインボーカルを担当するオジサマバンドのライブが無事に終わった。

会場は六本木のライブハウス。今年も100名近くのお客様にお越しいただき大盛況だった。図々しく今後も続けていこうと強く決意した次第。

当日、お越しいただいた皆様、まことにありがとうございました!

今年でライブは4年連続になる。1年目は他のバンドがいくつか出演する中の一つとして参加した。友人達からのお世辞を真に受けてその後も続けることになり、2年目からは我々のバンド単独で奮闘している。



子ども時代からの同級生3名によるアコースティックバンドだが、昨年からはベースとドラムのサポートメンバーが加わって後半の数曲は重厚感仕様?にアレンジしている。

5人合わせて250歳である。だからどうしたって話だが、結構なオトナである。いや、オトナ以上かもしれない。その証拠にライブ翌日の疲労感が過去にないほど重かった。3日経ってもまだ腰が痛い。深刻である。

日頃の不摂生のツケである。たかだか50歳ぐらいでヘトヘトになっているようではダメだ。60歳を超えても永ちゃんとかハマショー師匠はあんなに元気である。

日頃、もっとスクワットしたり、散歩したり、女性のお尻を追っかけたりするべきだろう。大事な場面でもアクロバティックに組んずほぐれつしないと体力がどんどん落ちてしまう。

真剣に頑張ろうと思う。


さて、ライブ自体は例年来て下さっている方々から好意的な感想を随分いただいたので全体には良い感じにまとまったと自負している。

声も調子よく出た。今年は練習の際に例年以上に他のメンバーから歌い方や声の出し方にダメ出しをくらった。いつも泣きながらイジけていたのだが、今更ながらの歌唱指導のおかげで少しは進歩したのかもしれない。

他のメンバーも少しはトチったものの、逆にそれが会場の皆様に和んでもらう効果をもたらし、総合的には良い出来だったと思う。本番の緊張と興奮で狂いがちになるテンポも安定していたし、すべての面で毎年続けている成果が着実に出ていたと思う。

まあ、自画自賛ばかりでは進歩がないから、近いうちに反省会を開いて厳しい意見を言い合わないとなるまい。

今回、私にとって最大の難関がギターデビューだった。以前、このブログで、他のメンバーのソロ歌唱の際にバッキングでちょろっと演奏するだけだと書いたのだが、ホントはちょっと違った。

実際にはバッキングの他にサプライズ?的に私の弾き語りコーナーも用意してあった。

自分の知り合いには事前に言いまくっていたのでちっともサプライズ的な空気にはならなかったが、そのほうが結果的に気が楽だった。

「人様の前でギターを弾きながら歌う」

私にとっては歴史的大事件である。人生の一大事といっても大げさではない。

どれほどビビって、どれほど心細くて、どれほど逃げ出したくなったか。そんな繊細な私の心の動きを他のメンバーはおそらく知らない。

他のメンバーは思春期の頃からギターをいじっている。人前で演奏した経験だってある。私は「50の手習い」である。心臓ドッカンドッカンである。身体中のいろんな「部位」が縮こまるほどだった。

でも、自分のキャラ的にあまりビビりまくるわけにもいかない。必死に強がって過ごしていた。

だいたい、自分の弾き語りの曲以外に通常通りにボーカルに専念する歌がいっぱいある。そっちが私の大事な役割である。

開場・開演前のリハーサルでも、本心では「オレの弾き語りデビュー曲だけを100回やらせろ」と言いたかったのだが、そんなことはオクビにも出さずに全体のリハーサルに励んだ。

で、開演である。

前座と称して他のメンバーはステージに出て行ってしまった。楽屋には私ひとりである。

落ち着かないから芋焼酎・黒霧島をカッカっと飲む。ユンケルも飲む。喉スプレーもシュバシュバする、胃薬も飲む。怪しい薬物に手を出すミュージシャンの気分が少し理解できた。

本番が始まりステージに行く。1曲目、2曲目、なんとか順調に歌えた。それぞれの曲で歌詞を間違えたのだが、誰にも気付かれないようにサラっと流すことが出来た。このあたりが年の功である。オジサマでよかったと思う。

3曲、4曲と順調に進む。例年通り3曲目あたりから開き直りモードに入る。緊張感は消えないのだが、徐々に楽しくなってくる。

そしていよいよ私の弾き語りである。船越に似ていると言われるので船越コラージュにしてみた。


結論を言うとトチらなかった。それが事実である。人生初なのに一応スムーズに出来た。およそ200個の目玉に見つめられていたのに何とかなった。出来映えは別としてトチらなかったのは奇跡である。

とても喜ばしいことだが、そんな簡単に満足してはいけない。高い目標を持って精進しようと思う。

それにしても、中年になってから足を踏み入れたオヤジバンドの世界が確実に自分の人生に彩りを与えてくれていることが感慨深い。

「断らなさそうだ」という理由だけでボーカルに誘われ、いつの間にか深みのある趣味に発展して、おまけにギターまで始めてジャカジャカやるようになった。

自分の中では革命みたいな変化だと思う。そんな場を作ってくれたバンドメンバーには心から感謝である。

私が「弾き語りデビュー」した曲の歌詞を紹介したい。敬愛する浜田省吾師匠の「Walking in the rain」という曲だ。


I'm just walkin' in the rain
口笛吹きながら 襟を立て ずぶ濡れで
I'm just walkin' in the rain

I'm just walkin' in the rain
立ち止まり 何故かと尋ねても分らない
I'm just walkin' in the rain

どこか陽の当たる場所を
探したけれど 今も見つからない
So I'm walkin' in the rain
I'm just walkin' in the rain

何もかも 遠ざかる
I'm just walkin' in the rain

時々 誰かの温もり 慰められて泣きたくなるけれど
But I'm walkin' in the rain
I'm just walkin' in the rain

ひとりきりさ いつだって
I'm just walkin' in the rain

ひとりきりさ いつだって
I'm just walkin' in the rain


なかなか切ない歌詞である。シングル生活をしている私にはグッとくる内容だ。

やたらと「ひとりきり」を強調している歌詞だが、今回のステージでは真ん中にいる私を左右からサポートするバンドメンバーが卓越したギター演奏で要所要所をサポートしてくれた。

ちっとも「ひとりきり」ではなかった。有難かった。

「ひとりきり」などと気取っている暇はない。来年の春頃にバンド練習を再開したら、今年以上に歌もギターもスパルタ特訓が待っているはずだ。

ちょっとビビっている。