2008年2月29日金曜日

六本木南蛮亭

焼鳥や串焼きといえば、昔は場末の赤ちょうちんと決まっていた。少なくとも30年ぐらい前まではそうだった気がする。

いまでは、お洒落なダイニングバーとしてステップアップしたお店が増殖し、グルメの世界でも立派にカテゴリーを構築している。

こうした流れに先鞭をつけた店が「六本木南蛮亭」だろうか。一時期は直営、フランチャイズあわせて日本中に看板が出ていたが、いまは一定の店舗で伝統を守っている。

初めて訪れたのは、もう30年ほど前だったような気がする。中学生の分際で六本木で友人と二人で串焼き。こう書くととんでもないシチュエーションだが、悪友の父親がここの経営者だったため、悪友の招待で出かけた。

子供の視線では、大層あか抜けた世界に映った。外食といえば、創生期の頃のファミレスか、ナイフとフォークの練習用に連行されたフランス料理屋か、ステーキ専門店くらいしか知らなかった私にとって、南蛮亭の空気はとても刺激的だった。

友人の父親は、びしっとスーツを着て店の中を見回し、はっぴ姿の職人さんと客の間をダンディーに取り持つ。たまにわれわれお子ちゃま組にもコーラか何かをサービスしてくれる。私はいまだに「六本木人」といえば、この悪友の父親を思い出す。

先日、久しぶりに六本木の総本店を訪ねた。悪友もせっせと働いていた。お店の雰囲気はかなり年季が入っていたが、逆に伝統を感じさせる熟成感も漂っており、居心地は良い。相変わらず欧米系外国人のお客さんは多いが、それでも喫煙可能なのが嬉しい。

南蛮亭の串焼きの特徴は、鶏だけでなく、牛や豚、ラム、魚介類まで豊富に揃っている点。「焼鳥の南蛮亭」というイメージが強いが、ここは大事なポイント。鶏以外の串焼きがとくにオススメ。

海老や帆立の質も良く、肉類の合間にいいアクセントになる。豚のアスパラ巻も、野菜自体に味があって滋味。名物の南蛮焼は、牛肉を特製の少し辛めのタレで付け焼にしたオリジナル。酒に合う逸品だ。

アルコールのラインナップにもうひと踏ん張り欲しいところだが、極端に品揃えが少ないほどでもない。

コースで頼めば、一通り味わえて、内容を思えばお勘定は安い。流行の店ばかり追っかけるより、何十年続く店の味をゆっくり堪能する方が安心感がある。だいたいその方が東京の人っぽい。

その昔、カーターさんか誰だったか、アメリカの大統領が来日した際、南蛮亭で串焼を体験したそうだ。警備などのエピソードをあれこれ友人から聞いた記憶がある。結構すごい歴史だ。

わが家の近所の炉端焼屋が、イタリアのポルノ出身国会議員・チチョリーナが来店したことを激しく自慢し続けているのとは格が違う。

六本木で気取りきった食事もイヤだ、居酒屋もイヤだみたいなノリなら、南蛮亭はイチ推しです。活気があって、ちゃんとこなれています。

「富豪記者ブログを見た」といえば、コース料理が3割引になります、というのは真っ赤なウソです。

六本木南蛮亭http://www.nanbantei.com/

2008年2月28日木曜日

相続税の税務調査


相続税がかかる人は、亡くなる人が100人いればそのうちの4~5人。そして相続税を申告した遺族に対して、税務署が調査に来る割合はだいたい3~4割程度。

相続税の税務調査は上記したように、誰にでも関係する話ではない。ただ、相続税がかかる程度の家庭であれば、他の税金とは比べられないくらい高い確率で税務調査のターゲットになる。

3~4割の確率といえば、イチローがヒットを打つぐらい普通のこと。相続税申告のうち、内容があまりに単純明快で遺産総額もギリギリ課税対象になるレベルのものなら調査対象になりにくい。

そう考えると、そこそこの企業を経営し、遺産内容もキャッシュ以外の不動産や自社株、各種投資用品なんかがあるケースでは、申告後、税務調査が当然のように来るものと考えた方が無難だ。

一生に一回とはいえ、それなりのオーナー経営者にとっては、実は相続税調査は非常に身近な存在だ。

税務調査、税務調査官がやって来るといっても、真面目に申告していれば何も問題はない。表面的にはそうだ。でも実際は違う。相続税の税務調査の場合はとくに違う。

真面目に申告したから問題ない、何もやましいことをしていないから問題ない、という感覚が通用しない世界だ。国税当局の公式データでも、相続税調査が行われたら、ほぼ9割から申告もれが見つかっている。その平均額は1件につき1千万円に近い水準だ。

企業に対する税務調査であれば、すべての金銭の流れが記帳されており、勘定科目をめぐる解釈の相違とかはあるものの、真面目な経理が徹底されていれば、ポロポロ申告もれが出てくることはない。

一方の相続税、なにより一番詳しい人間が既にこの世にいない。欠席裁判のようなもの。おまけにプライベートなお金の流れに帳簿などはなく、実態が曖昧な資金の流れは多い。

わかりやすい例を挙げる。ずっと専業主婦だった未亡人の預金が、たとえば1千万円あったとする。当然、未亡人は旦那の相続税申告の際に、その預金は旦那の遺産だとは考えていない。あくまで自分の名義だし、何も考えずにそのままにしておく。

税務調査にきた調査官は、遺族の資産内容も確認する。当然、未亡人の預金は何を元に形成されたのかをしつこくチェックする。専業主婦なのに1千万円も預金があるのはおかしい。旦那の預金を単に未亡人名義にしてあるだけではと突っついてくる。

ちゃんとした説明が出来ないと、1千万円は単なる名義預金で、実質所有者は旦那だと認定されかねない。簡単に1千万円の申告もれができあがる。

口からでまかせで、「旦那からもらったんだから私のものだ」などと言おうものなら、贈与税の申告はしていたのかと、違う角度から突っ込まれる。

税務調査官は、その道のプロ。相続税の調査ばかり専門にやってきた職人だけに、突っ込みどころを無数に準備している。

遺族が故人の羽振りの良さを話したついでに、「ある時払いの催促なしで親戚にもお金を渡していた」といった話をしたと仮定しよう。貸した金は貸した金であって、あくまで貸した側のもの。税務調査官は、貸した金を返してもらう返還請求権が申告書に計上されているかチェックすることになる。

税務調査官は遺族との世間話からもアラを探そうとする。ゴルフが趣味と聞き出したのに申告書に会員権が計上されてなければ、申告もれを疑う。

また、故人の死亡までの流れを聞き出すにしても、長い間、病に伏せった後の死亡であれば、「生前に相続を見越した資産移動が可能だった」という解釈をする。

対する遺族側は、未亡人が対応することが中心。世情にうといおしゃべり婆さんだったりすると目も当てられない。余計なことをしゃべりすぎて、調査官を喜ばせる。

「顧問税理士がついてるから大丈夫」。この思い込みもまったく見当違いだ。税理士は遺族に言われた内容を申告書という形にすることが主業務で、税務調査の現場に立ち会っても故人のプライバシー、遺族の資産内容までは把握していない。税務調査で家族間の微妙な金銭の流れなどが問われる場面では、どうにもならなくて当然。

「ウチなんかに税務調査は来ない」、「隠しごとなんかしていない」、「真面目に申告している」、「税理士がついているから大丈夫」。
相続税の税務調査について楽観している人々の意見はこうした声に集約される。でも全部間違い。そんなに単純じゃあない。

まずは、税務調査の特徴や傾向、調査官の行動パターンなどを学習したうえで、然るべき対応を練る必要がある。

2008年2月27日水曜日

フルネームの店

稲庭うどんの老舗「佐藤養助」が首都圏に初めて出店した銀座店に行った。うどん屋さんというカテゴリーというよりモダンな和食屋さんという風情。

場所柄、うどん以外にもメニューは充実。秋田料理を中心に酒肴もあれこれ揃っている。刺身もちゃんとした品質、比内鶏の焼きものも美味しく、使い勝手は良さそうだ。

店内は、座席の感覚もゆったり、壁面には滝のように水のカーテンが流れ、居心地良し。うどんもさすがにつるっと喉ごし抜群で老舗の矜持がうかがえる。

それにしても、店の名前が人の名前そのままっていうのは結構格好いい。知らない人が「佐藤よーすけに行こう」って言われたらビックリしそうなところがいい。

名前自体がブランドという発想は日本では、微妙にアレンジされることが普通だ。ファッション関係でも、たいていローマ字表記で欧米風に姓名を逆さにしてようやく固有名詞にする。

TAKEO KIKUCHIにしても、タグに漢字で菊池武夫と書かないし、どうしてもニセ外国人みたいな表記をする。

思えば、欧米社会では、先駆者などの名前をやたらと公共機関の名称に使う。空港や道路なんかそればっかりかもしれない。

面倒なのでカナ表記するが、ジョン・エフ・ケネディ空港、シャルル・ドゴール空港など。イギリスにはジョン・レノン空港もある。アジアでも、ジャカルタはスカルノ・ハッタだし、マニラもニノイ・アキノだし政治的な英雄が冠になっている。

古い時代の人ではなく、近現代の人物が多いことが興味深い。日本で似たような取組みをしたら「吉田茂空港」、「佐藤栄作空港」、はたまた「新渡戸稲造空港」など。やっぱり変か。でも「西郷隆盛空港」なんて結構いい感じだ。

一応、日本にも人名を冠した空港が存在する。「高知龍馬空港」がそれ。龍馬さんの名前自体が「ひろし」とか「さくざえもん」だったりしたら、空港名にはならなかっただろう。リョーマという響きが地名と混ざっても違和感がないのでしっくりくる。

でも、日航や全日空のホームページを見ても基本的には「高知空港」という表示が中心で、龍馬空港という愛称が全国的に認知されているわけではない。

外国の名車も個人名が多いのに対して、日本車にはそういう習慣はない。日本人が奥ゆかしいのか、単に横文字風の造語の方が格好良く感じる習性があるのか、よく分からない。ただ、名品といえるレベルのものを扱うのなら個人のフルネームをそのまま商品名や店名にしちゃっても格好いいと思う。

和食や寿司屋では店主の苗字がそのまま店名になっていることが多いが、フルネームが店名になっている店があったら覗いてみたい。自信に満ちあふれた料理が出てきそうな気がする。

銀座・佐藤養助のうどんも自信ありげな味だった。その日の夕食は、いろいろ難しいことを考えたり、会食相手へのお願いごとなどもあり、いっぱい食べられなかったのが残念。もっとすすっておけば良かった。反省。

2008年2月26日火曜日

クラブ活動

昨日は怪奇現象チックな話を書いたが、今日は別の意味でコワい?話。美しく化ける女性が主役だ。

夜のクラブ活動に足を踏み入れてしまったのは19歳の頃。ひとまわり以上年上のその道好きの人に、なぜだかしょっちゅう連れて行かれた。

なぜだかと書いてはみたが、その人に言わせると、「会社の経費にするのに、誰かと行ったことにしないとマズいんだ」とのこと。いま思うと結構真面目な人だったのだろう。

彼のホームグランドは六本木。軽く20年以上前のこと。今も残っている店もあるが、たいていは懐かしい存在。

当時、小さな店のチーママ的な位置付けだった女性が、いまは活気あふれる有名大型店のママさんだったりする。思い出したようにフラッと顔を出すと、さすがに長い付き合いだけに大仰に喜んでくれる。でも、四半世紀の付き合いだとか言われてしまうと、その店の若い女性陣から変な警戒をされてしまう。少し悲しい。

大学生ぐらいの年齢の頃は、当たり前だが、周囲に若い女性はいっぱいいるわけで、オトナの方々のクラブ活動に朝まで付き合わされるのは、何が楽しいんだろうと正直しんどいことが多かった。

そうはいっても、ホステスさんだけでなく、黒服さんやバンドマン達と親しくなって、お店がひけた後に飲みに行ったり、ゲームしたり、よく遊んだ。色んな経験をした。

時はまさにバブル景気に突入する直前。世のナンパ大学生がマハラジャとかワンレンボディコンだとかウカレモード全開で騒いでいる頃だ。年上のオジサンと夜な夜なクラブ通いをする変な日常が、アマノジャクの私としてはちょっと面白くもあった。

思い出すのは、恥ずかしながら、戻したこと、吐いたことばかり。気持ちが悪くなっても、若者特有の格好付けで、素知らぬ顔で、トイレに逃げ込み、何もなかったように遊びの輪に舞い戻る。いつも涙目だったはずだ。

私を同行する年上の友人は、とかくアフターが大好きで、こっちが眠かろうが気持ち悪かろうが遊ぶ遊ぶ。朝まで帰らない。おまけに彼はアルコールを受付けない体質。いつもトマトジュースかウーロン茶。ずるい。

タクシー代がもったいないので、彼の運転するクルマで送り帰される決まりだった。おかげで帰路、青山とか信濃町周辺は私にとっての吐き場だった。いまもあの辺に行くと条件反射で「ちょっと止めて」と言いたくなる。酸っぱくて苦い気分になってしまう。

でも得難い経験だった。六本木だけだったが、学生時代に何十回、いや3ケタ回も行っただろうか。貴重な時間だったと思う。

大学生といえば井の中のナントカ的な生きものだ。そんな私にとって、ひとつひとつの遊びや経験が視野や世界を広げることに直結していた気がする。いま思えば無駄なことなどなかったのだろう。

少しだけコワい思いもした。靴を持って裸足で明け方の某マンションからダッシュで脱出したこともある。ちょっと変な女性に監禁されかかったこともある。詳細は割愛。
全部自分が悪い。

ところで、酒場で働いていた人達から教わったことだけでなく、酒場に来ている大人達からもいろんなことを学んだ。

他のお客さんとも顔なじみになることも珍しくないが、酒場での男の姿は人間の本性がくっきりと出るようで興味深かった。

「居住まいの格好いい人」、「品性お下劣な人」。もちろん、真ん中ぐらいの人もいるが、印象的なのは、やはり対極の2パターンだ。

「居住まいの格好いい人」。是非そうなりたいものです。まず、姿勢がいい。リズムがいい。目配せ、気配りが出来る。威張らない、自慢しない。自分の世界があって、引出しが豊富。愚痴や悪口を言わない。長っ尻もしないし、慌てもしないなどなど。

一連の要素が揃っている人は、たいてい人相も悪くない。頭が悪そうな顔つきの人もいない。

上記した要素をそのまま逆にしたら、たちまち品性お下劣になる。必然的に人相も魅力的じゃない人が多くなる。

酔いに加えて、酒場独特の高揚感が人の生きざまをあぶり出す。こう書くと大げさだが、酒の席って結構そういうものだと思う。魔界だ。

だから人生修養のために酒場通いは必要だ。
と、結局は自己弁護につなげてしまった。

最近は、六本木より銀座方面が多い。どちらの街も夜の仕事は大変な様子。どんなジャンルの仕事も同じだが、勝ち組、負け組が鮮明になっている。真ん中がなくなっている感じがする。

クラブ活動というタイトルをつけたので、今日はサービスショットを掲載。了解をとって撮影したので、迷惑防止条例とかに引っかかるものではありません。

でもこれを見て気付いた。銀座と六本木のクラブ活動における大きな違いだ。「露わな太もも」との遭遇頻度だ。

今更気付いたがこの部分は随分違う。実に下らない定義だが、案外マトを得ているかもしれない。

客層とか、空気感とか、和装出現率とか、営業時間とか、システムとか、銀座と六本木を隔てる定義はあれこれあるが、新しい定義を見つけられたので、今日これを書いていたことも無駄ではなかった。

これからも人生修養に励まねばなるまい。

2008年2月25日月曜日

エスパーな私

私はエスパーだそうだ。霊験あらたかな占い師さんが言ったらしい。直接見てもらったのではないが、ひょんなことからその話を聞いた。この占い師さん、四柱推命とか霊視とかをハイブリッドさせた能力を持つ人で、数ヶ月先まで予約が入らないほど人気があるそうだ。

線が細いとも言われたらしい。結構恰幅のいいほう(ちょいデブか?)なのに、そんなこと言われると、寿命のことが心配になる。

寿命はともかくエスパーのこと。
要は、いろいろなことを感じやすいらしい。感じやすいといっても身体ではない(身体も感じやすいのは確かだが)。
感覚のこと。

エスパーとは、難しく表現すると「超感覚的知覚を持つ人」。自分自身にそんな自覚はないが、言われてみれば思い当たるふしがある。

いわゆる霊感みたいなものはあまり感じない。変なものが見えちゃったりすることもない。極めて普通だと思っているが、ちょっと敏感な部分がある(身体のことではない。しつこいか。)。

特定の場所そのものに漂う「気」のようなものに自分なりにアンテナが動く。もちろん、感覚的なもので、気のせいかもしれない。

気のせいと書いてみたが、確かに「気」のせいであれやこれや感じる。でも全然ビジネスの分野では役に立たないのでしょうもない。

感じるといっても、せいぜい「このあたりは気が重い」とか「気がよどんでいる」といった程度。ネガティブな「気」に敏感で、明るい方にはあまり反応したことがない。

以前、家を建てるための土地探しをしていたときは、やたらアンテナが反応した。「なんか、ここに長く居たくない」といった感覚に見舞われる場所が案外多くて、ちょっと困った。

なかでも一カ所だけ、ブラブラ見にいった場所が特別に気持ち悪かったことは鮮明に覚えている。それこそ冷汗が滲み出る感覚で、急いでそこから移動した。普通の住宅街なのに今でも不思議な記憶だ。

特定の狭い場所だけでなく、街全体とか、あるエリアの一角とか、自分にとって苦手な場所は結構ある。軽々しく狭い場所の具体名を特定して書いてしまうのは無責任なので伏せるが、一応の共通点はある。

具体的に言うと、大勢の人の念や情とか業みたいなものが沢山集まっていた歴史を持つような場所。全部が全部ではないが、遊郭があった場所などに空気の重さを感じることが少なくない。

もちろん、自分の知識によってそんな感覚に陥っている部分もあるだろう。遊郭の悲しい歴史を思えば、そこに残った念のようなものは簡単に消えないはずだという思い込みだ。

ただ、知識に関係なくあたってしまったこともある。豊島区内の繁華街から少しそれたある場所。一見、普通の住宅街なのに私にとっては、通りたくない、何となく避けて通りたい狭いエリアがある。そこが戦前に存在した、かなりすさんだ盛り場の跡地だと知ったのは、随分と後になってから。

結構不思議な気持ちがした。

くれぐれも誤解のないように書くが、これらはあくまで、私個人の感覚的なもので、誰かに押しつけたり、共感してもらおうという趣旨ではない。でもきっと誰にでも似たような感覚あるのだと思う。

クルマを運転していても、そこを通るときに何となく気が重い、早く通過したいと思う場所ってあるのではないだろうか。割と同じようなルートを頻繁に運転する場合、たいてい、気分のいい場所と悪い場所は決まってくる。まあそんな程度の感覚だ。

ついでにひとつ。海外だから具体的な名前を出すが、ミクロネシアのトラック島(チューク諸島)に行ったときの話を書く。

グアムから2時間程度で到着するトラック島は、言わずとしれた第二次大戦の激戦地。いまだに近海に沈む無数の軍艦から当時の遺骨が出てくるような悲しい歴史を持つ。

20代の頃、ちょっと変わったダイビングをしようと旅の目的地に選んだ。沈没船ダイビングが狙いだ。

毎日潜るのは、戦時中の沈没船周辺。船体の横っ腹に大きく空いた砲撃による穴から船内に侵入、なかにはゼロ戦が格納されたまま。什器備品もそのまま、飲料用のボトルなんかも転がっている。

水中にいる時間、無意識に身体は緊張していた。何かを感じるというより、畏怖の気持ちに覆われていたような気がする。

水中での怪奇現象の話も事前にいろいろと聞かされていたが、運良く、防空頭巾の女性に足ヒレを掴まれることもなく、ダイバーと並泳する軍服姿の若者を目撃することもなく、ダイビング自体は無事に終了した。

ホテルの周囲というか陸地全体が、私にとっては水中よりも「気」の重さを感じた。

ホテルのバーに入っても、楽しげな空気の一方で何かが違う。うまく説明できないが、息苦しいような、重いものを背負わされているような空気感が濃厚だった。

ひとり旅だったので部屋で過ごす時間も多かったのだが、どうにも水周りのあたりがダメ。何も見えないし、何物かを感じるわけではないのだが、相当気合いを入れないと、洗面台やシャワーがある方に行けない。

そこに近づいても、無意識の自分が必死に自分に言い聞かせる。「絶対に鏡だけは見るな」。

なぜ、そう思ったのかは分からない。自分のどんな潜在意識がそれを指示したのかも分からない。指示というより強烈な命令だったように思える。でもはっきりと自分で分かったことは、その指示に従えということ。

オチが無くて恐縮だが、結局、鏡は見なかった。見られなかったといった方が正しいかもしれない。あのとき、あの部屋の鏡には一体何が映っていたのか、今も気になっている。

その後、旅をめぐる不思議な体験としては沖縄で水中心霊写真を撮影してしまってゴタゴタしたこともあった。でも、何も写さず、何も見なかったはずのトラック島の体験が一番印象深い。

2008年2月22日金曜日

アメックスの攻撃

クレジットカードを初めて持ったのは18歳の時。こう書くと「なんだかなー」って感じだが、祖父から大学入学時に渡された。いわゆる家族カードだ。とはいえ、自由気ままに使えるわけもなく、実際に毎月1万円だったか2万円ぐらいの使用上限を決められていたため、まさしく宝の持ち腐れ。

「男なんだからいざという時のために持っておけ」。浅草あたりでブイブイ言っていたらしい“モボ”崩れの祖父の粋な計らいだった。いい経験をさせてもらったと思う。

いま、クレジットカードはお付き合いで持たされているのも含めて結構財布に入っている。個人のカード、法人カードなどいろいろ。

アメックスを利用した際のポイントが航空会社のマイレージサ-ビスに移行できることもあって、一時期、アメックスを沢山利用した。航空会社の提携クレジットカードでももちろんマイルは貯まるが、貯めたマイルの有効期間の問題とかもあり、期限切れのないアメックスのポイントを貯めるという合わせ技を使ったわけ。

もう10年以上前になるだろうか、ゴールドカードをドシドシ使っていたら、アメックスからプラチナカードの案内がきた。尋常ではない年会費を取られるが、数々の特典のうち、専用の旅行手配デスクが24時間使えるという点が気に入ってホルダーになった。

航空券やホテルの手配が電話一本でできるし、おまけにプラチナレートという特殊な特典が用意されているケースも多く、使い勝手はよい。

プラチナカードといえば、はしりの頃は知る人ぞ知るステータスのようなものがあったようだが、そんな知識のないお兄さんやおばあさんがレジを打っているような店ばかり行っていたせいか、プラチナカードを出して感心されたことはない。

その後、プラチナホルダーがタケノコのように増えたらしく、アメックスが繰り出してきた次の手がブラックカード攻撃。この商魂には結構驚かされた。

というのも、プラチナカードの案内の際は、四の五の書いた案内文書が送られてきたが、ブラックカードのときは、頼んでもいないのに現物の黒いクレジットカードそのものが送られてきたから。

表には自分の固有のカード番号、有効期限などが刻印済み。カード裏面にサインを書き込めば、その時点から使えるという手回しの良さ。現物を見ちゃうと精悍な黒のカードの格好良さもあって、使い始めちゃおうかなと思う。でもあまりに尋常ではない金額の年会費を知って結構悩んだ。

一生懸命、ブラックホルダーの特典を見ても、プラチナから切り替えるほどの魅力は感じない。プラチナとの違いは、高級ブランドショップで、通常営業終了後に店を貸切にしてプライベートショッピングが出来ますとか、そういった類のもの。

「プリティウーマン」のリチャード・ギアでもあるまいし、当時はジュリア・ロバーツとも知り合っていなかったし(今でもだが)、冷静に考えて、ブラックカードは封印決定。いまもプラチナホルダーだ。

このあたりを深く考えずにステップアップしないようだから本当の富豪にはなれないのだろう。

プラチナカード所持者に毎月送られてくる雑誌を紹介したい。「DEPARTUARES」というタイトルの豪華絢爛雑誌だ。何となく捨てられずにバックナンバーが随分たまっている。

そもそもファッション系の雑誌のセオリーは、訴求対象となる読者層にとって、ちょっと手が届かないレベルの素材などを紹介することだ。ワンランク上に目を向けさせて消費・購買意欲をあおる作戦だ。

この雑誌、プラチナホルダーというそれなりに可処分所得がある人向けに出しているわけだから、上記した雑誌のセオリーも合わさって、やたらと非日常感が漂っている。

旅、クルマ、モノ等々、“誰が買うんですか商品”のオンパレード。普通に紹介されている腕時計が800万円とか、3千万円のクルマの紹介も極めてシンプルに実用性まで検証している。外国の素敵なホテルの紹介では、室料などという下世話な情報?は省かれちゃったりする。

でも楽しい。雑誌的夢の世界を満喫するには相当楽しい内容だろう。まあ書店売りしてもそうそう買っていく人はいないような感じだが。

紙質、デザインとか全体のクリエイティブセンスが極めて上等。さすがに掲載されている広告も週刊ポストとかには載ってないような高級品のオンパレード。毎号パラパラ見終わったあとの感想は、「もっと頑張らねば」というひと言。

確かに「あいだみつを」的な現状肯定視点も大事だが、やはり現役でフィールドに立っているのなら、ある程度の上昇志向は必要だ。非日常の世界をのぞき見ることで健全な上昇志向が維持されれば、この手の情報に接することは意味がある。

安さを追い求めることも時に必要。ただ、そればかりでは「ちゃんとしたもの」を見失う。ちゃんとした店でちゃんとしたものを買い、ちゃんとしたものを食べ、ちゃんとした暮らしをするには、やっぱり夢を見ることが大切だろう。
願わなければ何もかなわないのだから。

2008年2月21日木曜日

オトナの歌


テレビや雑誌の「あの人は今」みたいな企画が結構好きだ。その人が活躍していた頃の自分の記憶をたどって感傷にひたれる。

こんなことを思ったのは、先日、iPodに何か新しい曲を仕入れようと、ウェッブ上の音楽ストアをあさっていて懐かしい名前を見つけたから。

「門あさ美」。80年代初めに独特の存在感を示した謎の女性歌手だ。「ファッションミュージック」とかいう意味不明の看板が掲げられていた歌手だったが、その表現が確かにピンとくる世界を歌っていた。

シブガキ隊とかがもてはやされていた時代、多感な中高生達は洋楽に救いを求めた。綴りが面倒なので全部カナ表記するが、有名どころではエア・サプライとかクリストファー・クロス、ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェルあたりは、いわゆる「オシャレなもの」として必須課目というべき存在だった。

邦楽のポップス系はちょっと遠慮しておくみたいな気取りが少なからずあった多感な頃の私が妙に惹かれたのが「門あさ美」。もともと女性が聞くような雰囲気の曲ばかりだったが、その歌詞の世界が、当時おこちゃまだった私にはえらく新鮮で、友人には内緒でこっそり聞いていた。

ジャケット写真からしか窺い知れない本人の容貌もまた「大人」のイメージ。ワンレンの走りのような長めの黒髪に物憂げな表情を際だたせるメイクがおこちゃまには嬉しかった。

徹底的にメディア露出を避ける戦略をとっていたため、その神秘性が増加、ませた中高生がイメージする大人の世界そのままのイメージができあがっていた。

大人の世界といっても、もちろん演歌的大人の世界ではなく、エロティックな大人の世界だ。最近の「エロかっこいい」とか中途半端なものではない。

胸の谷間や太ももを一切見せることのないエロティックさが特徴だ。膝から下の美、指先の美みたいな感じ。匂い立つ色香に思春期そこそこ坊やがクラクラするようなエロティックさだ。

具体的な曲のタイトルを見ても「セ・シボン」、「月下美人」、「ミセス・アバンチュール」、「感度は良好」、「お好きにせめて」等々。最近は使われなさそうな言葉だが、当時、確実にオシャレな響きに聞こえた。

一流のアレンジャー、ミュージシャンを揃えて制作された楽曲自体が、完成度が高く、そこに艶っぽい歌詞がのっかる。甘ったるく切ないヴォーカルは、あえぐように、すがるような歌い方で独自の空気感を醸し出す。そんな感じだった。

iPodにダウンロードして20ウン年ぶりに聞いてみると、あれほど大人の世界に聞こえた歌詞の世界が結構普通で逆に新鮮。微笑ましかったりもする。でも、この感想自体が自分が加齢しちゃったことの証で、ちょっとせつない。

「感度は良好」、「お好きにせめて」などのタイトルは、言葉の印象だけでは、一歩間違えると時代をもっとさかのぼった畑中葉子の迷曲「後ろから前から」を連想させる。もちろん、門あさ美の世界は上品なエロティックさに満ちており、畑中葉子のスケベっぽさとは一線も二線も画していた(それにしても「後ろから前から」ほどイタい歌はそうそうないと思う)。

昔の歌を聴くのも結構楽しい。

ところで、門あさ美に「気分はもうメンソール」という曲があった。メンソールという単語自体にお洒落な感覚があったわけで、いま思えば妙に新鮮。そう考えると、あの当時盛んに使われて、今では陳腐化しちゃったフレーズって結構多い気がする。

「マティーニ」とか「カンパリ」とか「バカンス」、「ランデブー」、「ジュークボックス」、「シュガー」、「ペパーミント」とか、「ピンボール」、「ララバイ」、「ヴィーナス」、「レモネード」、「マーメイド」、「トロピカル」あたりは、やたらと耳にした記憶がある。なんか甘酸っぱい記憶がよみがえる言葉だ。

いまこうした言葉をカラオケでうなると相当恥ずかしいかもしれない。