2022年6月8日水曜日

ビッグマックとの50年 


50年といえば半世紀だ。生まれた子どもが50歳になる年月である。そんな長きにわたって同じ店の同じモノを食べ続けることは考えてみれば凄い話である。私にとってこの凄い話を体現しているのがビッグマックとフィレオフィッシュだ。

 

マクドナルドが日本に上陸してから昨年で50年だったとか。幼稚園のお迎えついでに母親に連れて行ってもらった頃から既に50年。オッタマゲである。

 

昔のマックはメニューが今ほど多彩ではなかった。てりやきマックもチキンなんとかも朝マックもまだ登場していなかった。ビッグマックを頂点にハンバーガー、チーズバーガー、フィレオフィッシュぐらいでダブルという概念も無かった。

 

マクドナルドは若者向けの食べ物の代表だが、若者時代から進化していない私は今もちょくちょくマックにお世話になる。

 

フィレオフィッシュとダブルチーズバーガーを合体させるような大人の自覚がまるで欠落したような食べ方だって喜んで実行している。ノーマックノーライフみたいな一面がある。

 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/10/blog-post_13.html

 

さてさて、私が半世紀にわたって食べ続けているビッグマックとフィレオフィッシュはもはや古典の世界だとも言える。そんな古典作品に革命が起きた。グランドビッグマックとギガビッグマックの登場だ。

 



要はデカくなっただけの話だが、往年のビッグマックファンには大きなニュースである。昭和の頃、ご馳走感に満ちあふれたビッグマックがより大きくなったわけだから年甲斐もなくワクワクする。

 

いまやサムライマックのそれっぽい肉のせいでビッグマックに搭載されている昔ながらのショボい肉は肩身が狭い印象がある。街場の本格バーガーショップに比べてもあの肉をいくら2枚入れようともシャバダバである。

 

グランドビッグマックはその弱点を解消する意図があるのだろう。ちなみにギガビッグマックは単なるウケ狙いのネタだと思う。ヤケになったペヤングみたいな話だ。

 



 この歳になってお店でそれらの新商品を頼むのは気が引けるからウーバーに持ってきてもらってウチで堪能してみた。箱のデカさに妙に興奮する。10代の頃にこれがあったら週に8回ぐらい食べたかも知れない。

 

味は昔ながらのビッグマックと同じである。あの謎めいた色のソースがウリである。ケチャップとマスタードというハンバーガーの基本から上手に進化したマック自慢の味付けである。

 

新型ビッグマックも普通サイズのビッグマックと同じソースなのだが、問題は肉が大きくなった分、ソースが足りないことである。

 

ファストフードの味のバランスを熱く語るのもどうかと思うが、50年慣れ親しんだ味だからつい問題点を指摘したくなる。標準のビッグマックに比べると確実にパンチに欠ける味だ。肉が大きくなったのにその点が残念だ。

 

問題はギガビッグマックのほうである。こちらも普通サイズのビッグマックと同等量のソースしか入っていないのだろうか。とにかく「味が足りない」という印象しかない。デカさだけに気を取られて味わうという観点がまるで無い。

 


 

まあ、それ以前にデカ過ぎて普通に持てないことに難儀する。パンがヤワいからどう持っても部分的にひしゃげちゃって中身が無残にこぼれ落ちる。

 

率直に言ってソースが絶対的に足りないから正直言ってちっとも美味しくない。中身はこぼれ落ちるし味は薄いし満足感と言うよりストレスばかり感じる。古典的存在のビッグマックへのリスペクトが無い。

 

あまりにも味が物足りないからケチャップを足してみた。ビッグマックソースにケチャップを合わせるのは50年食べてきて初めてである。

 

ひょんなことから50年目にして初の味変チャレンジである。これはこれで新たな発見みたいな味がした。眠たい感じのビッグマックの味がちょっとキリっとする。


とエラそうに語ってみたが、実は私にはそんなふうに上から目線でビッグマックを語ってはいけない根本的な「人としての問題」がある。

 

デブ対策として昔から家でマックを食べる際には大半のパンを残すという不届き者的な食べ方に徹している。贅沢食いである。罰当たりだがこれも健康のため?である。

 

デカくなった新型ビッグマックもそんな食べ方がオススメだ。上のパンと下のパンの間に口を突っ込み中だけを吸い込むように食べる。手や顔がグシャグシャになるのが問題だ。気をつけないと鼻の穴にまでビッグマックが侵入する。

 

この食べ方だと肉肉しさがより強まるのが嬉しい。ビッグマックの場合、上下のパンの他に真ん中にもパンがあるからそれをしっかり食べれば一応ハンバーガーを食べた気持ちにもなる。

 


 

残骸を見ると罪悪感に襲われるのだが、すっかりこの食べ方に慣れてしまったので、自宅以外ではさすがに食べられない。店舗では人目があるし、自宅でも娘に叱られるから一人の時に限ってこっそり楽しむようにしている。

 

マックを頬張ることがいつの間にかエロ動画を見るのと同じような行動になってきた。実にヘンテコである。


意味不明な結論になってしまった。いろいろゴメンナサイ。







 




 

 

 

2022年6月6日月曜日

ソーセージへの愛


ソーセージといえば世のグルメ論評の外側に存在する食べものみたいなイメージがある。その割にはみんなの好物でもある。私も大好きだ。シャウエッセンなんて毎日でも食べたいぐらいだ。

 


 

ソーセージって考えてみれば凄い食べ物である。ケッタイな食べ物と称してもおかしくない。食肉用語を解説した書物にはこんな書き方がされている。

 ~~家畜を解体して、保存目的のためにハムやベーコンなどの大型の単味品を製造した余りの肉や、血液、各種可食臓器などを細かく切って混ぜ合わせて、胃や腸、食道、膀胱など、袋状になるものに詰めて作られた~~

 

胃や腸、膀胱なんかに余り肉や血を混ぜ合わせて作ったわけだから想像するだけでゲンナリする。でも私は大好きだ。シャウエッセンなら毎日食べてもいい。

 

しつこくてスイマセン。

 

初めてトライした大昔の人の根性に感謝状を贈りたい。古代ギリシャ時代には既に兵士の携行食として確立されていたそうだ。人間の食への貪欲さの最たるものかも知れない。

 


 

普段、ソーセージは家で食べることが多いが、ドイツ料理屋を始めそっち系の店に行ったら必ず何種類も食べたくなる。太さ、長さ、味付けなど数え切れないほどの種類があるそうだが、私にとってはどれもウマい。

 

マスタードをベトっとつけて頬張り、ビールで流し込むとウホウホと叫びたくなる。「余り肉や血を胃袋や膀胱に詰め込んだ一品だ」という事実などどうでもいい。素直にアノ旨味に溢れたソーセージは愛しい。

 

数多くのソーセージの違いに関するウンチクを書きたいところだが、今日はそういうテーマではない。私のソーセージ愛を淡々と書く。

 

ソーセージには得体の知れない肉という世間の評価?がつきものだが、それを言ったらハンバーグだって同じである。大昔、マックのハンバーガーは猫の肉というデマを信じた子どもが大勢いたようにハンバーグやソーセージの肉は謎っぽいからこそそそられる。

 

カップヌードルに入っている四角い謎肉に誰もが惹かれるのと似たようなものかも知れない。

 

ハンバーガー屋さんでハンバーガーと共にサイドメニューのホットドックも一緒に味わえば何となく禁断の食べ物を食べ尽くしてしまうような背徳感も味わえる。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/08/blog-post_23.html

 

一般的にソーセージは酒場でアテとして食べる人が多いが、私は白米のおかずにソーセージを選ぶことが多い。

 



 茹でてもウマいが、ご飯のおかずの場合、炒めて少しだけ焦げ目がついちゃうぐらいにするのがオススメだ。イマドキのフライパンは油をひく必要がないが、あえて油をひいたフライパンにソーセージを投入してしばし炒める。

 

途中でブチュっとソーセージが割れたりするとそこから肉汁が滲み出る。フライパンの油とソーセージから漏れ出た脂が融合することが嬉しい。

 

そして皿に盛った後にウスターソースをドヒャっと投入。油と脂にソースが混ざる。ここがポイントだ。もはやソーセージのタレである。割れたソーセージの断面にタレをベトベト含ませ、それを白米にバウンドさせながら食べるのが最高だ。

 

私はいつもこれをシャウエッセンで展開する。抜群にウマい。「香燻」なども試したが燻製的な要素が強すぎるとちょっとイメージと違う。シャウエッセンのバランスの良さに軍配が上がる。

 

もはやニッポンの洋食と呼びたい味である。日本ならではのウスターソースに白米、そして日本ハムのシャウエッセンである。海外移住したら食べられない一品だろう。

 

昭和の子どもが愛した「赤いウインナー」も一種の日本料理である。日本独自の食べ物だ。昭和中期にそれこそ得体の知れない原材料で作ったソーセージを少しでも美味しく見せようと合成着色料ぶりぶりで完成させた先人の努力の賜である。

 


 

あえてあんな色にしちゃうわけだから着色する前はいったいどれほどマズそうな色だったのかが大いに気になる。今は一応、着色料の規制の範囲内のものしか製造されていないわけだからそんなに無気味に考える必要はない。

 

個人的に赤いウインナーはさきほど書いたような白米のおかずになりにくい。やはり中身の謎っぽさの違いだろう。割れて出てくる肉汁というか脂分の感じがシャウエッセンなどに比べると頼りない。

 

やはりアイツは素揚げしたうえで中濃ソースまみれにしてホッピーの相棒にするのがちょうどいい。薄めの衣で串揚げにしてソースに浸して食べるのもアリだ。アイツにアイツの居場所があるのだろう。

 

最後にソーセージを偏愛する私がオススメするちっとも参考にならないレシピを紹介しよう。

 

ソーセージをかなり小さめに細切れにして硬めに炊いた白米の冷や飯ととともにフライパンで炒める。味付けは塩胡椒、特に胡椒を多めにする。炒めながら適量のウスターソースを投入、隠し味程度にケチャップも使う。

 

レシピと言えるほどのシロモノではない。単なるソーセージ炒めご飯ではある。しかし、そこに作り手の真剣さと愛が込められればスペシャルソーセージチャーハンと呼べるほどの美味しさになる。

 

あくまでソーセージとソースが好きな人にオススメの一品なのでそれ以外の人はスルーした方が賢明だと思う。

 

 

 

 

 

2022年6月3日金曜日

真面目な一面

 

少しバタバタして更新が出来なかったので、仕事で書いたコラムを3つほど転載してみます。ここでは普段ロクでもないことを書いているものの、私にだって真面目な一面はあるという証拠?です。

 

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不発弾。普通に暮らしているとピンとこないが、沖縄に関しては話は別だ。いまだ生活のすぐそばに不発弾の恐怖が存在する。毎年処理される不発弾は600700発にも及ぶ。すべて処理するにはあと100年かかるという見方もある

不発弾に縁のない地域の人からすれば沖縄の処理件数は驚異だ。「鉄の暴風」という表現が決して大袈裟ではないことが分かる。終戦から77年、本土復帰から50年。台湾有事などキナ臭い話が浮上する今だから「沖縄の記憶」を改めて思い起こしたい

基地問題では普天間基地の辺野古移転をめぐる長年の迷走が県民の間に根深い遺恨を残した。補助金の在り方が県民の融和を破壊する結果を招いているなら税金の使い道として実に切ない話だ

「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」。77年前の6月、玉砕を覚悟した大田實司令官が海軍本部に宛てた有名な電文だ

今はインターネットなどで簡単に全文を読むことができる。皇国の繁栄をなどというお決まり言葉は一切なく沖縄県民の辛さにだけ言及している。その精神を風化させてならない。

 

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近頃の画像加工技術の進歩には驚かされる。人の顔もスマホで簡単に別人レベルに美化される。参院選まで2ヶ月を切ったいま、候補者達の中にはせっせと選挙ポスターなどの顔加工に励んでいる人も多そうだ

人は見た目とはいうものの、さすがに国政を担う人材を顔だけで選んではいけない。当たり前だが政策面を吟味することが大事だ。そんなことを書きたくなるぐらい世の中の参院選への関心は低い

 野党の存在感の薄さやウクライナでの戦争に伴う国民の“安保指向”もあって与党有利という観測が強まっている。もっともな分析だが、参議院という存在そのものへの関心の低さも選挙戦を“無風”に終わらせかねない要因だと感じる

 独自性が感じられない参議院の在り方そのものこそ参院選の争点にふさわしい。そんな議論が盛り上がらないことは残念だ

 そもそも参議院は衆議院の暴走防止や社会の各分野・職域の知識経験者を構成員として衆議院と重複しない機関とすることが創設の趣旨である。衆議院と同様の役割なら存在価値は無い。ちなみに世界では一院制を採用する国のほうが多いことも書き加えておく。

  

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 この11年、折に触れて気になることが東日本大震災での原発事故の責任問題だ。今も多くの住民に苦難を与えているのに実際に罰せられた人はいない。摩訶不思議な現実だろう

当時の原子力安全委員会トップは「安全指針に瑕疵があったと認めざるを得ない」と国会の事故調査委員会で語り、原子力安全保安院トップも「安全神話に安住していたことは否定できない」と語った。明確に人災の要素を認めている

東京電力だけに責任をなすりつけようとした当時の両機関の醜さは今も忘れられない。結局、両機関とも責任追及を逃れるかのようにさっさと解体され、原子力規制委員会、原子力規制庁という組織に形を変えた。逃亡したような話だ

 原発の推進と規制を同じ経産省で管轄していた異常な事態こそドサクサ紛れに解消されたが、責任や罰という大事な話はなし崩しにされた

 国の責任を求める各地の訴訟では一審、高裁で判断が分かれるもどかしい状態が続く。だからといって「天災だから仕方なかった」というごまかし、いや、ウソが定着することは許されない。決して風化させてはいけない問題だ。





2022年6月1日水曜日

ボアナタ、翠江堂 至福の時間

 

前回のブログで近所にやたらとウマい和菓子屋と洋菓子屋がある話を書いた。すっかり甘党オジサマである私の幸せを支えてくれている。前を通ればついつい多めに買ってしまう。

 

まず洋菓子屋さんについてだが、店の名前は「BOA NATA」(ボアナタ)。ポルトガル由来のエッグタルトをウリにするお店だ。エッグタルトはもちろん、その他のすべての商品が美味しい。

 https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130203/13240159/

 

卵黄ケーキや半熟カステラ、チョコムース、アーモンドケーキ、チョコバスクチーズケーキなどがラインナップされているのだが、不思議なほど全部ウマい。キャロットケーキまで野菜嫌いの私がウマいと思うほど。

 


 

特徴は見た目の普通さにもある。エッグタルトは別としてケーキ類は家庭で作ったような何の変哲もない素っ気ない見た目。だから一口食べてみてビックリする。他の店とは違うこの店ならではの濃厚なのに後味爽やかな絶妙な美味しさが堪らない。

 

たまたまこの店の近くにある珈琲専門店(https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130203/13151229/)のコーヒーがウマいのでセットで揃えて近所の公園や隅田川テラスでホゲホゲした時間を過ごす。至福の時である。

 

この店のコーヒーはスタバの5倍ぐらい美味しいと思う。コーヒーに詳しくない私の意見だからアテにならないが、注文してから受け取るまで結構な時間がかかるからそれなりにこだわっているのだろう。

 


 

スイーツと甘めのコーヒーなんて無駄なカロリー摂取の代表である。でもだからこそ幸せな味がする。人生って結局はどれだけ無駄な時間を満喫するかで充実度が変わるのだと思う。

 

そんなことをボケっと考えながら過ごす時間はこれまた大いなる人生のムダみたいで実に魅力的だ。せわしなく仕事に追われたりアタフタと用事を片付けることばかりではQOLは零点である。ちっとも楽しくない。

 

嗜好品と無駄な時間。手っ取り早く幸せを実感できる組み合わせだろう。

 

話が逸れた。

 

ボアナタのエッグタルトは運がいいと焼きたてに遭遇する。そりゃあそりゃあ官能的な味がする。卒倒しそうになる。コレステロールだの糖質だのといった厄介な雑念のことなど瞬時に忘れる。

 

続いては和菓子屋さんの話。「翠江堂」という創業80年のお店である。ここもまた何を買ってきても美味しくて嬉しくなる。近所にこういう店があるのは運が良い。

 https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130203/13007680/

 

名物はいちご大福だ。すっかりポピュラーになったいちご大福だが、個人的にこの店のは東京でもトップレベルではなかろうか。私もあちこちで食べてきたがここのいちご大福はまさに完璧。外側の餅の食感、こしあんの味、そしてそれぞれの分量のバランスに至るまで文句のつけようがない。

 




 いちご大福は昼ぐらいには売り切れになってしまうこともあるが、それ以外の商品もレベルが高い。とにかくアンコが非常に美味しいのが特徴だ。

 

以前はウチの冷蔵庫にこしあんを常備してそれだけをスプーンでチビチビと食べながらお茶をすすっていた私にとってアンコが凄く美味しい和菓子屋さんが徒歩圏にあることは大きな喜びである。

 

ここもまた前を通ればついつい多めに買ってしまう。娘へのお土産のつもりが気付けば自分が食べたいラインナップをごっそり買ってしまう。まさにオトナ買いである。

 

先日、ひょんなことで東京ステーションホテルの中にある虎屋直営の「TORAYA TOKYO」で冷やし白玉ぜんざいを食べる機会があった。この店もアンコのレベルの高さが特徴だが、ご近所の「翠江堂」にすっかり心酔しているせいでさほど心が動かなかった。ただのご近所贔屓かもしれないが、そのぐらいアンコの美味しさが印象的だ。

 


 

何だか甘いモノを熱く語ったが、我ながら随分とマメにスイーツ大会!を展開しているような気がする。お子ちゃまもビックリの味覚である。

 

歳をとると子供返りしていくと言うが、私の甘いモノへの執着も加齢のせいだとしたら問題である。

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月30日月曜日

隅田川テラス



3年ほど前に中央区に引っ越してから水辺の散歩が好きになった。最初の頃は銀座が近いなどとハシャいでいたが、今ではすっかり川沿い散歩マニアである。


住まいから近い距離に隅田川が流れており快適な遊歩道が整備されているおかげだ。遊歩道・隅田川テラスに初めて行ったときはちょっと感動したほどである。

 

隅田川テラスは50年以上前に汚染されてヘロヘロだった川沿いを都民の憩いの場にするべく学者さんが提案したことが始まりらしい。

 

以来、自治体や住民ぐるみでエリアごとの個性を活かしながら遊歩道が整備され今のような快適な環境が整ったわけだ。先人の努力がとても有難い。未来のために実施されるプロジェクトの尊さを痛感する。

 

 

永代橋の近くであれば橋の曲線をイメージしたデザインが歩道に施され、築地の聖路加病院がある付近であれば明治時代の外国人居留地を模した赤レンガの壁が設置されている。

 

車や自転車がいないからホンモノの歩行者天国である。随所に花も咲き乱れマスクを外して新鮮な空気を吸いながら歩くのはとても気持ちがいい。

 



4月に引っ越したマンションは以前の住まいより川が近い。昼だけでなく夜も気軽に夜景散歩と洒落込める。隅田川にかかるいくつもの橋がライトアップされていて気分がアガる。

 



 自宅から一番近い橋が中央大橋だ。夜の橋の上に佇むと右手に佃大橋、左手に永代橋がそれぞれ昼間とは違った表情を見せてくれる。月島側のタワーマンションの灯りも相まって東京名所の一つと言えるぐらい雰囲気がある。

 


 

バンコクのチャオプラヤー川はもちろん、パリのセーヌ川にだって負けない川沿いの美しい景色だと思う。天候によっては独特の川の香りも漂う。

 

水を眺めるだけで何となく心が落ち着くから、今後また引っ越しする際にも隅田川テラスから遠くない場所に絞って住まい探しをするのだろう。

 

天気の良い週末はあてもなく川沿いを歩いて運動不足解消に励む。2本先、3本先の橋までなどと目標を決めて歩いたり、時々は遊歩道を外れて周辺を散策する。

 


 

佃大橋を渡ると佃煮発祥のエリアだ。下町の風情が色濃く残るエリアでもある。老舗の佃煮屋さんも数軒固まって営業している。ついつい覗いてしまう。

 

鰻の佃煮を買いたいのだが散歩の時にはポケットに少ししかお金を入れていないからいつも泣く泣く断念。仕方なくタラコの佃煮なんかを買って満足する。

 


 

時代モノの小説にも隅田川は頻繁に登場する。たいていは大川と称されて市井の人々をめぐる人情話なんかの情景描写に使われている。

 

いまではタワーマンションのメッカである佃島だが、その昔はかの長谷川平蔵の発案だったかで囚人の矯正施設が置かれたエリアだ。さまざまな職業訓練が行われていたそうだ。橋のない時代の孤島ならではの話である。

 

江戸の頃、大津波によって島の施設が壊滅的被害を受け、一時的に釈放される囚人達のその後を描いた小説を読んだこともある。あんなに静かな大川にも大暴れした歴史があるらしい。

 

温暖化でゲリラ豪雨が増え、いまだって増水のリスクはあるのだろうが、こればっかりは神のみぞ知る世界である。水門調整などで何とか凌いでほしいものである。

 

今の住まいは隅田川から徒歩34分の距離だから氾濫しちゃったら結構ヤバそうではある。とりあえず持ち家ではなく賃貸だから財産的被害は考えなくてよいのが救いである。

 



なんだか話が変な方に逸れてしまった。

 

新居に移ってまもなく2ヶ月、抜群にウマい和菓子屋を見つけたし驚異的にウマい洋菓子屋も見つけた。その2軒を知っただけで引っ越して良かったと思えるぐらいだ。

 

平和でボケそうである。





2022年5月27日金曜日

凝り性 スティックコーヒー


B型気質なのか単なる変人なのか、自分の凝り性がどうにも気持ち悪い。気に入ったモノへの執着心がやたらと強くなる習性がある。

 

最近ではナゼかパンに目覚め、白米か麺ばかりだった朝食がパン食に変わった。パンに凝るのではなくパンに塗るジャムやクリームに妙にハマってアレコレ買い集めて食べ比べに励む日々が続いた。

 

レトルトのスープをやたらと買いまくっている話も先月このブログで書いた。その前はフルーツゼリーやカットフルーツに執着した。

 

コンビニスイーツにやたらと執着した時期もあった。昨年の夏は全国各地からチルド麺の冷やし中華を取り寄せたりもした。


何年か前にはレトルトカレーを全国から取り寄せまくったこともあった。たいていはしばらくすると熱は冷めて落ち着く。でも凝っているときはストックが貯まりすぎて難儀する。

 

いまハマっているのはスティックのコーヒーである。半世紀以上生きてきてスティックコーヒーなど飲んだことがなかったから、この歳になって初めて知った手軽さと美味しさに驚いてそればかり飲んでいる。

 


 

いつものことだがバカみたいにたくさん注文してしまう。スティックコーヒー各種が大きな箱で届くわけだからヘンテコである。

 

もともとコーヒーはあまり好きではなかった、いまもそんなに好きではない。ブラックコーヒーなどマズくて飲みたくない。飲む際にも黒糖蜜なんかを入れて甘味を出す。

 

というわけで私がいま凝っているのは甘いヤツである。甘めのコーヒーはここ数年で飲むようになった。きっかけは職場でタバコが吸えなくなったことだ。近所のプロントにタバコ休憩にマメに行くようになりそこで知ったカフェモカの妙な美味しさにハマった。

 

その後もマックのキャラメルラテを知り、スタバでもバニラシロップ追加などという注文の仕方を覚え、自宅にあるドルチェグストの専用カプセルを注文する際もキャラメルマキアートみたいな甘めのものが中心になった。

 

最近のお気に入りはやはりタバコ休憩に出かける職場近くの上島珈琲店の「黒糖ミルクコーヒー」だ。正直に言えば甘ったるい。でもなんとなくホッコリする。

 


 

スティックコーヒーに話を戻す。今更ながらではあるが、お湯を注ぐだけである。安直さが嬉しい。


粉にお湯を注ぐだから美味しいはずがないと決めつけていたのだが、世の中は確実に進化していたようで甘めのスティックコーヒーに関しては濃い目に仕上げれば思ったよりウマい。

 

おまけに実に数多くの商品が出回っていた。今まで知らなかったことを後悔している。わが家の自慢のドルチェグストはいかに手頃とはいえスティックコーヒーにはかなわない。


ドルチェグストの機械本体に水を入れスイッチを押してカプセルをセットするだけなのだが「粉にお湯を入れるだけ」という行為に比べればその工程は実に大変!である。私のお子ちゃま的味覚からすれば味だってそんなに変わりはしない。

 

カフェモカ、キャラメルマキアート、クリーミーカフェラテなど日頃ダンディーなオッサンぶっている私が店先で口にしにくいラインナップもこっそり世間から隠れてガブガブ飲めるのが良い。

 

画像のようにやたらと大人買いをしてしまったので職場でも家でも割と頻繁に飲んでいる。カロリーもそこそこあるみたいだし糖分過多の問題も気にしないとならない。

 

綺麗な花にはトゲがある、ではないが健康を考えればウマいものには毒があるぐらいの意識も必要だろう。まあそんなこと言ったら毎日毎日毒ばかり食べていることになるから気にしても仕方ない。

 

液体だからカロリーはゼロ。そう思い込んで味わったほうが幸せである。





 

2022年5月25日水曜日

女子大生との暮らし


引っ越しをしてからまもなく2ヶ月。娘との同居生活はなんとか順調である。あーだこーだと毎日よもやま話に花を咲かせている。

 

一人暮らしではなくなったことで家事の作業が軽減されるかと思ったが、ナゼか相変わらず私がマメにこなしている。

 


 

元々せっかちで自分流を貫きたい私の性格のせいもある。野菜たっぷりのヘルシースムージーを作ってくれる娘の姿を見ると他の家事はとっととやってしまおうという気になる。

 

実際には毎週来てくれる家政婦さんの活躍がわが家を綺麗に保っているのが現実だ。娘も大学の対面授業が増えバイトもあるので常に家にいるわけではないが、同居になれていない私は娘のためになるべく家にいてやろうなどと余計なお節介モードになっている。すっかりマイホームパパみたいだ。

 


 

勉強に励む娘の部屋におにぎりを運ぶような甲斐甲斐しさはさすがにないが、何かと気になって部屋を覗くので娘にとってはきっと迷惑だろう。そろそろ子離れしてマイペースに過ごし始めないと私にとっても良くない。ちょっと意識を変えたいと思う。

 

さて、大学生の娘と一緒だと若者的な時間?を過ごすことも多い。シーシャに凝っている娘に付き合ってシーシャバーに行ったり、オジサマ族にはあまり縁がないような店で食事をすることも増えた。

 



 

徒歩圏に評判の良いハンバーガーショップがある。「do」という店だ。私一人では入りにくい店構えの店だが若者と一緒なら平気だ。もともとハンバーガーが好きだからゲバラのTシャツを着た娘に渋々付き合わされたような顔をしながら過ごす。でも内心ウキウキである。

 

ハンバーガーという食べものをマックによって知った昭和の子供の成れの果てである私はバーガー専門店の値段にたじろぐことが多いが、たじろぎながらも本格バーガーのウマさにはいつも悶絶する。

 

若者時代にこういう店がアチコチにあったら頻繁に通ったと思う。本当は1度に3つぐらい食べたいのだが、オトナの自尊心が邪魔をして1個で我慢する。オトナも大変だ。

 

タイ料理も嫌いではないが鯛料理のほうがこの歳になると惹かれる。でも近所にいつも賑わっているカジュアルなタイ料理屋があるのでこれまた娘と共に行ってみた。「バンコクポニー食堂」という小さな店。

 



 

タイには何度も出かけているのでタイ料理はそこそこ詳しい。ヤムウンセンをつまみにビールを流し込むのは最高だ。これからの季節にはこういう組み合わせはアリだろう。

 

一品料理メニューがかなり豊富だったので飲み屋的使い方にも適していそうだ。無難にガイヤーンあたりでやはりビールをグビグビ。タイの調味料をぶりぶり付けて気分はバンコクである。

 

タイの家庭料理という注釈付きでインスタント麺の炒めものがメニューにあった。間違いなくウマそうだったのだが、この日は無難にパッタイとトムヤムクン風味のチャーハンを注文する。

 


 

寿司、焼鳥の他、ウナギなどをローテーションのように食べている私には妙に新鮮だった。時にはこういう刺激的なものを食べるのも悪くない。脳ミソまで斬新な感じにリフレッシュする気がする。

 

別な日、近所にあるイタリアンというかバルみたいな店にも訪問。「イルバッカ」という店。カウンターで一人で飲み食いしているオジサンもいたから若者専用の店ではないようだ。

 

大衆酒場のカウンターも良いが、時にはこういう店でトリッパあたりをつまみに一人飲みに励むのも面白いかも知れない。


私の場合、固定観念が強すぎるせいもあって一人飲みの際は和食路線ばかりだ。ワインバーあたりでしっぽり過ごすような変化球も身につけてみたくなった。たぶん無理だと思う。

 




 

トリッパにからすみパスタ、ウニクリームパスタである。イタリアンというよりカジュアルバーみたいな雰囲気の味だったが、いちいち本格的な感じを求めるよりこういう路線をホッコリと味わうのもアリだろう。

 

いずれにしても若者を同行してアレコレ世間話をしながら過ごす時間は自分の嗜好や思考がずいぶんと硬直化していることを実感する時間でもある。

 

老け込もうと思えばいとも簡単に老け込める歳になった今、こういう刺激はなかなか有難い。無理に若作りしたりアンチエイジングとやらに励むのはゴメンだが適度な柔軟性は維持したい。

 

女子大生との共同生活は案外私にとって役に立つ効能がたくさんあるのかもしれない。