2010年2月12日金曜日

カラオケを考える

40ウン年も生きていると「遠い昔のこと」が随分と増えてしまった。ふと自分のカラオケデビューがいつだったのかを考えてみた。

昔は変な大げさな箱に変な大きさのカセットテープを差し込んで伴奏を流していた。新しモノ好きだった祖父の影響で、初期の頃から自宅にあったような気がする。

カラオケ専用機で歌ったのがいつだったかは定かではないが、単に「カラオケ」という意味では、懐かしのラジオ番組を思い出す。

確か「コーセー歌謡ベストテン」という番組だっただろうか。宮川泰が上から目線であれこれ評論していたのを思い出す。

確か番組内で毎週注目の曲を歌手のボーカル抜きで一曲まるまる流すコーナーがあった。カラオケだ。カラオケといってもガイドメロディーが流れるわけではない。生の演奏だけ。

歌手の声を抜いてみると生々しいミュージシャンの演奏が妙に格好良く聞こえた記憶がある。

大田裕美の「木綿のハンカチーフ」や岩崎宏美の「ロマンス」、浅野ゆう子の「セクシーバスストップ」あたりが印象に残っている。

エアチェック好きだった兄が録音して私がマイク片手に熱唱するみたいな間抜けな姿を思い出す。

私が高校生、大学生だった頃は、カラオケはどちらかといえばオヤジの遊びというイメージが残っていた。カラオケボックスが
今ほど普及していなかったことも理由だろう。

30年近く前のカラオケはステージのあるスナックみたいな場所が主戦場だった。チンチクリンのオヤジが菅原洋一をうなり、不良っぽいオジサンは尾崎紀世彦になりきり、パンチパーマみたいな髪型のオバサンは越路吹雪だった。

そんな場所に引っ張り出される幼かった私は、しかたなく初期サザンや沢田研二なんかを歌ってお茶を濁していた。憂鬱だった。

当時は遊びたい若者にとってディスコ全盛期でもあり、カラオケを熱唱する行為は、それこそ当時の流行語“マルキン・マルビ”の「マルビ」に該当するようなイメージがあった。

その後、六本木あたりにやたらとゴージャスな個室カラオケが登場したあたりから風向きが変わった。ディスコが衰退し、どことなく洒落っ気を意識したボックスの台頭で一気にカラオケ隆盛時代がやってきた。

いま我々オジサンは、原体験のせいで世の中の主流となったカラオケボックスに馴染めていない。“歌だけをガナりたてる”という構図がどうもシックリこない。

あくまで“酒を呑む場所でついつい歌も楽しむ”みたいな大義名分を欲しがる。そんな感覚は私だけだろうか。40代のオヤジ達は似たような感覚があるはずだと思う。

そのせいでステージがあるような店で騒ぐほうが落ち着く。エンジンがかかってしまえばボックスだろうがどこだろうが結局は同じである。



しょせん、こういう画像のような姿で声が枯れるまで歌うわけだ。少しせつない。

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