「福子」という伝説をご存じだろうか。伝説というより習慣と表現した方が的確だろう。障害を持つ子が生まれた家は繁栄するという話がベースだ。
確かに障害児の誕生は普通の家庭にとって大事件。それをきっかけに家族や親戚の絆や結束が強まるというのは理にかなった話。それによって何かとコトがうまく運ぶようになるという三段論法みたいなもの。
商売繁盛のシンボル「福助」も同じような趣旨で崇拝されているが、福助のモデルも障害を持った人だったというのが定説。
障害を持った子どもを福子と呼んで大切にする習慣は日本独特の感性として古くから定着していた。
七福神あたりの縁起モノ方面のキャラクター(?)は、大体が障害を持った人がモデルという説がある。結構この手の話を調べると面白い。
わが家にやってきたダウン症の長男のせいで、こんなウンチクを知ることが出来たわけだからそれはそれでOKだ。
ちなみに七福神の人気者・恵比寿様がダウン症だったという説も根強い。この話を聞いて以来、わが家ではビールといえばエビスが定番だ。
「蛭子」と書いて「エビス」と読むこともその理由を表わしているそうだ。そういう解説を聞くと妙に納得してしまう。
話は神話時代にさかのぼる。イザナギとイザナミの最初の子どもがヒルみたいにフニュフニャしてどうにもならなかったので蛭子と名付けられた。
結局は船に乗せて流してしまったのだが、その神話をベースに、ヒルコがたどり着いた場所といわれる日本各地でエビス信仰が
生まれたらしい。
諸説あるのだろうが、そういう話に接するとこちらとしては楽しくなる。わが子にも福々しい存在になって欲しいと前向きな気分になる。
でも、今のところヤツは富を運んでくる気配はない。こればかりはボヤいても仕方ない。
もちろん、福子伝説の一方で、鬼子伝説があるのも事実だ。さげすまれ追いやられた障害者の歴史は、つい最近まで続いていたハンセン病患者への差別を例に出すまでもなく厳然と存在する。
優生保護法という強制的な断種に関連する法律がほんの10年ぐらい前まで存在していたわけだから、この手の問題への意識はやはりそう簡単に改善されるものではない。
福子伝説のようなのどかな習慣も明治維新後に様変わりしてしまう。すべて迷信として切り捨てられ、当時の富国強兵政策のなかでは、戦力になり得ない障害者は完全に排除対象とされてしまった。
古くは法律用語などにも「白痴」とか「痴愚」などと表記された事実もあるようだ。わが家の福太郎も今の時代に生まれてつくづくラッキー。
ちなみに某巨大新興宗教団体では、障害児が生まれること自体が「仏罰」だと教えるらしい。ありゃりゃビックリって感じだ。
そういう屁理屈までこねて信者やカネを集めるのだから凄まじい。
下品という言葉以外思い浮かばない。
2010年2月19日金曜日
福子と仏罰 ヱビスビール
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