2010年3月3日水曜日

浪漫が足りない

「景気の底にたどり着いたので、そこからは上昇するだけだ」みたいなテレビCMをよく見る。やはり景気に光が射し込まないとすべてが煮詰まったままだ。

先日、銀座8丁目の「かに道楽」にいた。何を食べたいか考えながら、ひらめくものが無いとついついベタに「かに道楽」を選ぶ。私のカニ好きは病的だ。

禁煙のテーブル席は、御門通りを見下ろす2階の窓側。金春通りあたりがまっすぐ見える。飲み屋街として銀座でも濃いエリアだが人通りがまばら。月末、天気も良く温かな日なのにそんな状態。なんとも元気がない。

街に活気がないと、そこにいるのが面白くない。わざわざ繁華街に出て行く以上、賑やかな街の空気とか、集う人々が持つエネルギーを吸収したい。陰気な空気などご免こうむりたい。


カニミソ甲羅焼とかカニ刺身を頬ばりながら、人通りを眺めるが、夜が更けてきてもまばらな状態は続く。

考えてみれば、カニ道楽あたりのレストランだって満席になっているのを見かけない。いまどき安定的に満席になる店など希少な存在だろう。予約が取れないことで有名な店を攻めるには今がよい時期なのかも知れない。

“檀家まわり”と称するクラブ活動をしていてもたいていの店が空いている。状況を“取材”してみても「厳しい」という反応ばかり。結構深刻みたいだ。

バブル崩壊後、いろいろと不景気はあったが、昨今の不況は深刻らしい。同伴客やアフターの客も激減しているとか。

客層が変わったという指摘も興味深い。あの世界独特の空気を楽しむ客が減って、プロを求めない客というか、短絡的な若い客が増えたそうだ。

口説き、口説かれ、騙し、騙されみたいなイジイジした時間なんかはまるで無意味とばかりに「ところで、ヤレるの?ヤレないの?」というストレート?な御仁ばかり増殖中らしい。

いいとか悪いとかではなく、それも時代の特徴だろう。情緒が無い、深みが無い、趣が無いなどと表現するのが適当だろうか。

ちょっと格好つけすぎかも知れないが、強いて言うなら「浪漫が足りない」。

夜の街ではいろんなフリをして、いろんなフリをされ、さまざまな思惑を交錯させながら酔っぱらうのが正しい。

突き詰めてしまえばどうってことのない男女の関係を味気ないもので終わらせないために演出しているのがあの世界だ。

街や店そのものが舞台装置であり、女性陣は女優だし、客だって、いわば男優だ。

私だって、仕事にしか興味が無いカタブツの聖人君子であり、本当はホモなのに、あの街に行けば一生懸命にスケベオヤジを演じる。女性に好かれる男になろうと演技に磨きをかけているわけだ。

安直にヤレるヤレないと騒ぐようようではせっかちすぎるし情緒もない。まさにガサツだ。男のホンネは確かにその一点にしか向いていない。それは認める。だとしても、クネクネ道をさまよってこそオトナだと思う。

クネクネ道がかったるいなら、吉原の社用族専用の超高級店に行けば良い。あれはあれで無形文化財技能保持者みたいな凄い世界であり特筆モノだ。。。と知り合いに聞いたことがある。

やはり、キチッとした住み分けも必要だろう。

だんだん話がそれてきた。今日は何を書きたかったんだろう。

そういえば、銀座方面では世相を反映してスナック的価格のお気軽なお店も増殖中。先日も新規開店のその手の店に顔を出してみた。

これも住み分けの一種だと思う。居心地が良ければお手頃価格だけに悪くない。そう言いながら初めて会った南米出身のオバサンに延々と説教されたりした。

ちょっと微妙だ。でも最近すっかりM気味の私だ。また行ってしまうのだろう。

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