2011年6月3日金曜日

語学の壁

人生後半戦に入ってつくづく思うのが語学への後悔だ。日本語は達者に操ることが出来るのだが、英語も中国語もフランス語も私にとっては、すべて宇宙人の言葉のようだ。

英語は旅先で迷子にならずに、なんとか好きなものを食べて、野宿することなく過ごす程度のレベルだ。中学、高校、大学とあんなに勉強させられたのにどうしてダメなんだろう。

フィリピンあたりに行くと、高等教育を受けていない貧しい階層の人だって自国語以外に英語がペラペラだ。つくづく日本の英語教育のもったいなさというか、トンチンカンぶりが分かる。

まあ、教育制度のせいにしているようじゃダメだ。ちゃんと意識を持って勉強していればもっとマシになれたはず。今からでも英会話教室にでも行ってみようか。それともゴルフの石川遼が宣伝している変な学習法にでもトライしようか。

大学生の頃、ヒマで仕方がないので近所の英会話教室に行ってみた。教会系の説教くさい講師ばかりに馴染めず、長続きしなかった。

ある日、少し仲良くなったアメリカ人講師が東京モーターショーに行きたいと言う。仕方なく二人で出かけた。同年代の男だ。

マツダのクルマのロゴを巡ってひと悶着。ヤツは「MAZDA」という表記なら「マツダ」と発音するのは変だと言い張る。こっちはこっちで「マツダは松田自動車なんだからマツダに決まってるじゃないか」と話は平行線。

英語の先生としての意識が強いヤツはなぜか譲らない。私も日本人の人名が起源だから譲らない。そんなくだらないことで険悪になった。

あんな小さなことを譲らないアメリカ人はイヤだ。そういう私もそんな小さいことを譲らないケツの穴の小さい日本人ではある。

20代半ば頃、カリブ海に浮かぶケイマン諸島に一人旅をした。頼れるのは中学生の頃に教わった堅苦しい英語。ところが現地人との気軽な会話ではそうはいかない。

恥ずかしい話だが、「How are you?」と「How are you doing?」が同じ意味合いだと分からず、バカみたいな受け答えをしていた。

こちらの知識は古典のような「How are you? I’m Fine, thank you and you?」。
あくまでそれしか知らない。

ところが、そんな会話をしている人はいない。声をかけられる時は決まって「How are you doing?」である。実際に聞き取る時は「How」はかろうじて聞こえるが、「are」
は聞こえない。カナ表記すれば「ハウ・ユー・ドゥーイング」だ。

毎朝、ダイビングショップの受付やダイビングボートの上で、デカい連中が私に叫ぶ。「はう・ゆー・どぅーいんぐ」。

バカな私もバカなりに考えた。「How」だから何かを質問しているらしい。おまけに「doing」だ。

日本語的発想で勝手に解釈してみた。きっとこういう意味だ。

「おい!何してるんだい?」

これが会話に重きを置かなかった英語教育の悲しい産物だ。

向こうにしてみれば「やあ!元気?」とか「調子はどうだい?」とか、へたすれば単に「おはよう」ぐらいのつもりで声をかけているだけだ。

それなのに私は常にその時していることをつたない英語で必死に伝えようとする。

「水中カメラのフィルムを入れ替えているんだ」とか「いま着替えようとしているところだ」とか、そんな受け答えだ。

想像してもらいたい。

「やあ元気?」
「オレはいま電池を交換するんだ」

こういう感じの会話が美しいカリブ海をバックに毎朝交わされていたわけだ。

ケイマン諸島の海は素晴らしく、その翌年も懲りずに出かけた。その時は英語が出来る女性が一緒だった。

1年ぶりに訪ねたダイビングショップで、スタッフが大袈裟に再会を喜んでくれた。なんかペラペラ愉快にしゃべっている。

私の解釈は「おう、また来たのかい。嬉しいぜ。はるばるようこそ。今度もいい写真撮ってくれよ」である。

「OK」とか「Yes,Yes」と応えながらハグとかしちゃって、すっかりいい気分の私だ。念のため同行者にヤツらが何を言ってるのか聞いてみた。

正解は次の通り。

「おい、今年は少しは英語が分かるようになったのかい」。

そんなもんだ。

勝手な解釈と無鉄砲さは若い頃だから笑い話で済むが、今となってはみっともないだけなので、つくづく語学に打ち込まなかったことを後悔する。

近いうちにパリに行く予定なのだが、フランス語といえば小学校、中学校でせっせと勉強したのに、今ではカケラ程度も覚えていない。これも実にもったいない。

旅行用の携帯フランス語会話みたいな本を見てみたのだが、おぼろげながら昔はだいたい知っていたような記憶がある。

小学校時代の6年間ずっと家庭教師がいた。成績も当然良かった。6年間もマジメにやったのだから6才の子ども程度のフランス語はできたはずだ。話半分でも3才程度の能力はあった。3才の語学力だったら充分コミュニケーション可能だ。

1から100まですらすらとフランス語で言えたあの頃の優秀な私はどこに消えたのだろう。フランス人の先生とフランス語であーだこーだ会話できた素敵な私は記憶喪失にでもなったのだろうか。

エクスキュゼ・モアだ。

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