どんより、陰気、沈滞、滅入る・・・。どれもネガティブな言葉だが、だからといって、こうした空気がすべて悪だとは思わない。
時には積極的にどんよりしたい時もあるし、どんよりすることで気分を入れ替えるきっかけになることだってある。
大体、いい年した大人の男が天真爛漫ちゃんみたいに常に明るくはしゃいでいたら危険である。逮捕されたほうがいい。
大なり小なり色々な事情をかかえて生きているわけだから、どんよりしながら頭の中を整理したり、哲学的な気分になることは必要だろう。
沈思黙考。なにかとせわしない時代だからこそ、そんな時間も大事だ。
とかなんとかキザったらしいことを書いているが、私自身、単に疲れがたまると無性にどんよりしたくなる。
どんより気分の時は、それに見合った場所で過ごすとなかなか快適だ。
どんよりした店。そう書くとロクでもないが、気持ち良くどんよりできる店で、とことんどんよりしながら熱燗をすすっていると、いつの間にか心がリセットされる。
文京区の大塚にある「S」というお寿司屋さんが私の「どんより基地」である。
楽しい気分の時に行く気にはならない。誰かを連れて行くような雰囲気でもない。実にどんよりしている。
なんとなくグダーとしている気分の時に行きたくなる。知る人ぞ知る江戸前の名店なのだが、このうえなくどんよりしている。
初めて訪ねた時には、瞬間的に「変なところに来ちゃったな」と思ったほど、どんよりしている。
お寿司屋さんなんだから威勢良くチャキチャキして欲しいし、実際にそれが良い店かどうかのひとつのバロメーターなのだが、この店はそんな常識を超越した珍しい店。
威勢が良くない、あえて言えば活気がない。それなのに大変美味しい寿司を食べさせる。握ってもらう前の酒肴も外さない。相当なレベルだと思う。
店の様子も昭和の香りどころか、昭和のままでどんよりと止まっている。決して汚いわけではないのだが、40年ぐらい何も手を入れていないらしい。風情を通り越して、ただ古いとしか言いようがない。
中年、やや初老寄りの親方が一人きりで切り盛りする。恐いとか、威圧的だとか、そんな感じでではない。無愛想といえば無愛想だが、感じが悪いわけでもない。良い意味で?どんよりしている。
話しかければ普通に応えてくれるし、時たまニコニコする。でもそれも長くは続かない。気づけばまた、こちらもあちらもどんよりする。
変な言い方だが、実に快適だ。もちろん、ここに来る時は決して気分がハイな状態ではないから、そういう状況だと快適だという意味である。
この写真は焼きウニとアワビの肝を肴にどんより熱燗をすすっていた時のもの。「写真撮ってもいいですか」などと尋ねるような楽しげで小洒落た空間でもないし、ここではそんな気分にもならないのだが、ブロガー魂?のせいで、親方が裏に作業しにいった際にパシャリと撮影。
何の変哲もない焼きウニなのだが、すこぶるウマい。日本中でウマいウニをアレコレ食べてきた私だが、ここの焼きウニは特別ウマいと思う。味付けは酒と塩だけらしいが、それぞれの加減や火加減が絶妙なんだろう。
熱々をひとくち頬ばると、束の間、どんより気分が飛んでいくほどだ。目が丸くなる味とでも言おうか。
これはイカの印籠詰め。イカの印籠といえば、濃いめの甘いツメを使った一品を連想するが、この店のはアッサリ味。中身はハスとかおぼろだか、バラチラシで使うような混ぜ合わせたシャリ。小ぶりなイカの食感や味付けとマッチするほんのり甘め仕上げ。
これまた食べた途端に目が丸くなる。どんよりしていられないほど幸せな味がする。
白身魚の昆布締め、煮ハマグリ、穴子、茹で海老、コハダといった「仕事系」の握りはかなりの高水準だと思う。握りは結構大きめで、これまた「昔ながらの寿司屋」を思い起こさせる。
正直、値段は高い。だから大混雑状態になることは珍しいみたいだ。あの場所であの風情であの雰囲気だったら、確かに純粋な寿司好きの人しか来ないのだろう。
客が私一人だったことも何度もある。他にお客さんがいようといまいと親方の様子に変化はない。淡々と黙々と、そしてどんよりと仕事をしている。
私の場合、二度、三度となぜか吸い寄せられるように通っているうちに、ここの空気が妙に気に入ってしまった。
どんよりとした時間を過ごしたくせに、店を出た後には不思議と気分がリセットされて足元も軽やかに帰路につく。
実に不思議だ。もしかしたら、人間、とことんどんよりすると、その次にはウキウキするように出来ているのかもしれない。
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