2013年2月20日水曜日

時計の役割


女性と違って男の場合、ジュエリーに高価な出費をすることはないが、スーツや靴なんかに凝り出したら結構なお金が飛んでいく。

まあ、それでも宝石類に比べれば大したことはない。男の場合、クルマとか変な趣味とかに大枚を投じて悦に入っているのが普通だ。

そうは言っても、それなりの年齢になれば、身に付けるものには多少の注意は払わないとスマートではない。

多くのマニアが存在するのが腕時計の世界だ。スイス製最高級ハンドメイドともなれば1千万円を超えるような鼻血ブーな商品もある。そういうのは悪事でも働かないと買えそうにないので善行一辺倒の私には無縁だ。

100万、200万ぐらいの腕時計を何本も持っている人は意外に多い。コレクターと称される御仁も珍しくない。

私だって、その気になれば?その程度の時計は買えなくはない。でも買えない。他に出費すべきものが多すぎて手が回らない。

クルマを買い換えなかったり、潜水趣味をやめたり、旅行にポンポン出かけるのをやめれば何とか買えるのだろうが、さすがに無理だ。そんなイジましい努力をして手に入れるほど時計好きではない。


もう何年もの間、パテックあたりを一本持とうかと考えているのだが、勇気がない?から実現していない。

デパートで衝動買いをした比較的安価なスイス時計(Baume et Mercier)を日常の友にしているが、これ以外には廉価品のオメガの小ぶりな革バンドのものとGirard-Perregaux(これはチト高価だった)があるぐらいだ。

大したこだわりなど無いから、選ぶ基準は「読めそうにないヤツ」。こんなフザけた基準が自分の中では大きかったりする。上に書いたのは「ボーム&メルシエ」と「ジラール・ペルゴ」だ。こんな綴り、まず読めないから好きだ。

中学入学記念に祖父に買ってもらった人生初の腕時計は「シチズン」の地味な一品だった。誰も彼もが「セイコー」ばかりヒイキにしていたから「シチズン」にした。

アマノジャッキーとしての面目躍如である。

大人になって、腕時計の一級品に憧れてはみたが、どなたさまもお持ちのロレックスには興味はなく、「綴りが読めないヤツ」にばかり興味を持った。

30年近く前に洒落たダイバーズウォッチが欲しくて購入したのがホイヤーだった。まだ「タグ・ホイヤー」に移行する前の頃の話。凄くメジャーな存在でもなかった点に惹かれた。

ダイバーズウォッチの最高峰といえば、ロレックス・サブマリーナだが、当時、知り合いだった「その筋の人」にしか見えなかった潜水業界の長老が金ピカのそれを愛用していたので、以降、ナゼか興味を持ったことはない。


それならばBREGUETのトランスアトランティックシリーズのほうが欲しい。ブレゲである。これまた綴りが読みにくくて素敵!?だ。

イヤラシイほどの高級イメージがある「ブレゲ」なのにダイバー仕様だ。防水100メートルである。なのに平気で2300万もする。

これを実際のダイビングに平然とはめていける人はいるのだろうか。つくづくいつの日か、そんなトンチキオヤジになってみたいものである。

私が高級腕時計に接近できない理由は財布のせいだけではない。そんな高価なものをいつ何時、腕にはめていいいかわからないからだ。しまい込んでおくのでは意味がないが、小心者なので無くしちゃうのも恐い。酔っぱらって腕時計を外して飲み屋のテーブルに置いてしまうこともある。

そんなヤツは最高級品を持っても無くしちゃったり、盗られちゃったりするだけだろう。



この画像は、ネット上でどこかの業者さんから勝手にパクって来たのだが(すいません)、「Vacheron Constantin」と「Jaeger-LeCoultre」である。こういう雰囲気の時計に憧れる。

何よりも素敵なのは「読めない綴り」!?だろう。「ヴァシュロン・コンスタンタン」と「ジャガー・ルクルト」である。ちっとも詳しくは知らないが名門の逸品だ。

その昔、子どもの頃に何気なくパラパラめくっていた名品図鑑みたいな本に「バセロン・コンスタンチン」という名前で紹介されていた腕時計の値段におったまげた記憶がある。

いまでは「コンスタンタン」などというズッコケみたいな響きが日本での正規の呼び名になったが、昔の「バセロン・コンスタンチン」のほうが、凄まじく強そうで高そうでカッチョ良かったと思っている。

なんだか、時計マニアの人が読んだら怒られそうなほどテキトーなことばかり書いている感じだ。反省。

冗談はさておき、こういう感じでシュっとして端正なフォルムなのに美術品みたいなデザインが混ざっている時計に惹かれる。

誰か買ってくれないかなあ。プレゼントしてくれたら、御礼に寿司とかピラフを10回ぐらいは御馳走するのに。

しょうがないからバンコクとかソウルあたりで一生懸命ニセモノでも探してみようか。いやいやそれも情けない話だからダメだ。
本物が買えない自分、ウソついて格好つけているダメな自分・・・。持っているだけで憂鬱になりそうだ。

そもそも時計の魅力は、未来を刻むことだけを目的に作られている点だ。過去を指し示すことはない。そう考えると実に魅惑的な商品である。

自分の未来にまだまだ期待したい私としては、未来を刻んでくれる時計にはもう少し気を使ってみたい。

みすぼらしい未来もイヤだし、インチキな未来もイヤだ。端正で美しい未来を目指すためにそれに見合った時計を探してみることにするか。

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