本来なら毎年この時期は音楽漬けの日々だ。一応、私はバンドのメインボーカルという立場だから年末のライブに向けて奮闘していた時期である。
今年はもちろん、来年もまだビミョーな情勢だ。そろそろ自分が音楽活動に励んでいたことを忘れそうな感じである。
というわけで、バンドのメインメンバーである3人で集まって今後について熱く議論しようという話になった。
わがバンドが主に練習に励むのは神保町のスタジオだ。それにあやかって神保町の中華料理屋に結集した。
会場はスタジオにほど近い「揚子江菜館」。冷やし中華を日本で初めて提供したといわれる老舗である。昭和っぽい気配が漂うオジサマには居心地が良い店だ。
音楽談義を中華飲みで!みたいな流れだが、この日は結局、気が狂ったような「炭水化物の宴」になってしまった。
いい歳してバカなことをしてはいけないのは世の中の掟だ。そんな掟をないがしろにした我々に待っていたのは当たり前の報いだ。3人とも腹上死、いや満腹死しそうだった。
名物の冷やし中華を前菜に、池波正太郎が愛したと言われる上海焼きそばにつないで、デカい肉団子が入った特製カレーライス、そこから冷やし担々麺、ついでにデカいパーコーを乗っけるトマトラーメン、シメに天津丼である。
あまりにヘンテコな注文だから途中でザンゲするかのように餃子も頼んでしまった。餃子の印象が無いぐらい「麺と飯」に明け暮れた。
オジサン3人で麺飯類を6つである。画像では分からないがそれぞれ盛りも多めだ。おそらく女性なら一人で一品を食べきるのもキツいぐらいだろう。
どの料理も昭和を思い起こさせる味わいだった。オシャレ感やハヤリのアレンジとは無縁の質実剛健な仕上がり。男同士でガッつくにはもってこいである。
ビックリするほどウマいというより、うんうん頷きながら黙々と食べ進めたくなる味とでも言おうか。近所にあったら頻繁に行きたくなると思う。
3人とも食べるのに必死で、最初のビール以外にはウーロンハイを2杯づつで終わってしまった。だから誰も酔わずじまい。
紹興酒を熱燗でまったり飲むといった雰囲気には一瞬たりともならなかった。酒は2軒目の店でいいやと割り切ってひたすら食べた。
で、激論を交わすはずだった音楽談義は1秒もしなかった。ただただ腹をさすりながら1次会を終える。
で、2軒目だが、あまりの満腹に3人とも瀕死の状態である。おまけに喫煙者としては食後の一服を求めたいのに近隣の飲み屋は禁煙の店ばかり。
結局、オジサン3人で喫茶店に入る。誰もが表情はうつろだ。酒を飲む余力は無く、とりあえず頼んだコーヒーにも口を付ける気にならない。
音楽談義どころか、会話はただただ「苦しい・・・」というつぶやきの応酬である。ハタから見たら仲が悪そうな3人組に見えたかも知れない。
お通夜に参加したような顔をしながら「足るを知る」「分相応」「後悔先に立たず」。そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
でも間違いなくこういうバカげた行動は、いずれ一級品の思い出に昇華するはずである。
50代も半ばになれば友人達と集っても「バカ飲み」はしても「バカ食い」はしない。そういう意味では貴重な思い出になることは必至である。
いずれ3人のうちの誰かが死んだ時には、間違いなく残る2人はこの日のバカ食い大会を思い出すはずだ。
ついでに言うなら、とりあえず健康だからこんなことが出来たわけで、それ自体が幸せなことである。
厄介な持病なり、厳しめの食事制限を強いられていたら、こんな乱暴なメシ会は出来ない。そう考えれば大いに意義深い時間だったと思う。
こじつけみたいだ。いや、言い訳だ。
というわけで、バンド活動の今後については何一つ話し合うこともなく、膨満感だけに包まれた一夜となった。
2 件のコメント:
こんにちは。
神保町にスタジオがあるのですか?60年以上住んでいて知りませんでした。
揚子江、昔から名店でした。現在は、メニューも新しくなったようで、いろいろとありますね。昔は餃子はなかったですし、パーコーも。ちょっと大衆化した感じは否めません。
私も吐きたいほど食べた記憶があります。
揚子江の反対側には廬山という名店がありましたし、最近までスイートポーズもありました。結構古い店があって、楽しめますよね。
昔は共栄堂は洋食屋でしたし、ドトールの所はいろはという寿司屋でした。
今度はランチョンでビールなどいかがですか?
佃在住さま
ありがとうございます。どの街も様変わりしてるのでしょうね。神保町は楽器屋さんに併設されているスタジオに行くぐらいなので、サッパリ分からないです!
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