身近なウマいものと言えばラーメンが代表格だ。あちらはウンチクを語る人が日本中に溢れている。ウマいマズいをめぐって日本中で熱い論争が繰り広げられている。
焼鳥屋さんの数だってラーメンに負けず劣らずだろうが、ラーメンみたいにマニアックな話は聞かない。
ラーメンオタクのことを「ラオタ」と呼ぶらしいが、焼鳥オタクは聞いたことがない。
だからどうだという話ではない。そのぐらい焼鳥という存在が日本人の日常に溶け込んでいるということである。
おせんべいみたいな存在だろう。ウマいマズいを超越している。何となく食べちゃう。ついでに食べちゃう。そんな存在だ。
もちろん、グルメが集うような予約困難な焼鳥屋や、ビックリするほど高級な焼鳥屋もある。今日はそういう路線の店ではなく「普通の焼鳥屋」の話だ。
オジサンの世界では、焼鳥屋は定食屋と同じぐらい身近だから、誰もがお気に入りの焼鳥屋が一軒や二軒はある。
基本は「わざわざ感とは無縁な場所」にあることだ。職場のそばや自宅の近所など思い立ったら出かけられる立地が前提になる。
一昨年、同じような時期に私の職場と自宅の場所が変わった。直面したのが焼鳥屋問題である。
馴染みのない土地だから、一から焼鳥屋探しに励んだ。ウマい店はいくつもあったが、自宅から少し歩いた距離にある焼鳥屋が今のお気に入りだ。
新富町駅から近い位置にある「義常」がその店。いわゆる普通の焼鳥屋さんである。狭過ぎず広過ぎず丁度いい大きさだ。
気取った感じの高級店ではなく、かといって安さをウリにする大衆路線でもない。ちゃんとした焼鳥屋さんだ。
一品料理もあれこれあるし、中央区界隈では結構貴重なバイスサワーも用意されているのが嬉しい。
炭火で丁寧に仕上げられる焼鳥はどれもキチンと美味しい。オジサマ族にとって欠かせないレバーも極上な仕上がり。うずらの卵も半熟気味なのがニクい。
私の場合、予約して出かけたことはなく、たいていは一人でふらっとカウンターに陣取る。
いわば「名前も知られていない程度の顔なじみ」である。このぐらいが居心地が良い。コロナ禍を嘆く世間話を女将さんと交わし、あとは黙って山芋の千切りやナンコツ唐揚げをツマミにグビグビと飲んでいる。
いつも滞在時間は1時間程度だ。ダラダラ飲まずにホロ酔いぐらいで引き上げる。止まり木みたいに利用している。
漬け物がウマいのも有難い。浅漬けが苦手な私としては、昔ながらのしょっぱいぬか漬けを出してくれる店はそれだけで好きになる。
コロナが広まる前は、ふらっと訪ねても満席で入れないことが多かった。地元では知られた店のようで、先日はたまたま一人で飲みに来ていた近所の寿司屋の大将と遭遇して一献傾け合った。
あの界隈でウマいものを求める人がちょくちょく通いたくなる店なんだと思う。
仕事を終えて帰宅する前に、気の利いた焼鳥屋でちょっと一杯ひっかけながらノンビリするのは大人の大事なたしなみだ。
時短営業だろうとそれに合わせて何とか駆け込めば、しっかりとそんな憩いのひとときが過ごせる。
ちょっと大袈裟だが、精神のバランスを健康に保つためにはそんな時間を意識して確保することは大事だと思う。
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