「シーザーサラダください。ドレッシングはサウザンでね」。大昔の恥ずかしい失敗談である。
シーザーサラダなど知らなかった若造が知ったかぶって恥をかいたわけだ。若い頃はそんな経験が随分ある。
「きたより貝を握ってください」
「エッ?ホッキのことかい?」
そんな恥もかいてきた。知ったかぶりは見栄を張りたい心理の表れだ。見栄を張ること自体は悪いことではないが、ピントが外れるとカッチョ悪い。
誰だって自分を良く見せたいのは当たり前だ。適度な見栄は本能的な行動である。
ゴリラが立ち上がって胸をポンポコ叩いて強そうに見せるのも一種の見栄みたいなものだ。
見栄を張ることと自慢話は違う。自慢話はヤボの極みだが、見栄っ張りはちょっと可愛げがある。一種の自己満足の世界だし、時にはイキにもなる。
財布が寂しいのに気前よくおごったり、薄くなってきた髪をドライヤーでふくらますのも見栄、パンツが見えそうなミニスカ女子からあえて目をそらすのだって一種の見栄である。
いわば痩せ我慢みたいな心理が根底にあるわけだ。「ダテの薄着」だって見栄だし、ビュッフェの料理を取り過ぎないように気取るのも見栄、体重を少しばかり少なく言っちゃうのも見栄だ。
女性を連れてバーに行った際、私が決まって頼むのがウイスキーのロックだ。甘いカクテルを飲みたくても我慢する。実にくだらない見栄であり痩せ我慢だ。
でも、そんなこだわりが男には必要だろう。マクドナルドでポテトのSサイズは頼まないような精神性が男にとって大事だと思う。
バカみたいだと言われればそれまでだが、男として生きている以上、時にはバカみたいなことを頑張るのは極めて正常なことだ。
エイベックスの会長らしき人がツイッターだかインスタの“裏アカ”に書き込んでいた内容が表に出ちゃって不評を買ったそうだ。
確かに金満ぶりの自慢話に溢れていて、なかなかエグい内容だった。見栄を張る必要もないレベルになると自慢話も歪んでしまうのだろうか。
ブログのタイトル通り富豪になりたいと願っている私だが、チマチマと見栄を張っている程度だから可愛いものである。
仮にこれから大富豪になっても品の無い自慢は絶対に避けたい。まあそんな日が来ることはあり得ないだろうからブツブツ言っても始まらない。
ヘンテコな自慢をする人にも困る。ピントがズレた自慢話は聞かされる側も迷惑する。
「最近モテちゃってしょうがないんだよ」ぐらいならカワイイが「オレの友達のオヤジの親戚が菅総理なんだぜ」とか、「オレの知り合いに要潤の元カノがいるぞ」とか言われるとどう対応していいか困る。
“忙しい自慢”も厄介だ。「最近寝てないんだよ」「最近ロクにメシも食えてないんだよ」などと遠い目をして言われると、ナゼそんな人が今ここにいるのかと突っ込みたくなる。
「そりゃあアナタの能力が低いからだろう」。聞かされる側はそう思うわけだが、さすがにそうは言えない。
不健康自慢も同じだ。「最近、ガンマGTPが300になっちゃって参ったぜ」「血圧はいつも180ぐらいだよ」などと勝ち誇ったように言う人がいる。
イキな人はちょっとした体調不良などは人様に言わない。それこそ痩せ我慢という見栄を発動して涼しい顔をすべきだろう。
いや、やっぱり今はコロナ禍のご時世だから発熱や倦怠感なんかを隠したままで涼しい顔されたらマズい。そっちは正直に、かつ大袈裟ぐらいに言ってもらった方がいいかもしれない。
なんだかよく分からない話になってしまった。
2 件のコメント:
こんにちは。
きたより貝のはなし、微笑ましく読みました。
むかしバブルのころ、銀座のカクテルバーでオヤジとお姉さんの会話。
「ハッコツ温泉に今度行かない?」というところで、初老のバーテンダーが
ジロリと我々の顔を見てニヤリとしたのを思い出しました。
ちなみに、私は、「たかたのばば」、「あきはばら」を使っています。
佃在住さま
夜の街で頑張るオジサマとオネエサンの会話はヘタなお笑い番組を見ているより面白いです!
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